
私は小さいころからメガネが似合う人がうらやましくてしょうがなかった。
メガネをかけているだけで理知的に見えるし、なんとなく神経質そうに見えたり。マッチョな人もステキだが、反面、デリケートな人にもアコガレるのである。
でも、シアワセなことに私はずっと眼がよかった。
良すぎて、一時は2.0だったこともある。
100メートルくらい離れているところに立っている人が、男性か女性かわかるだけでなく、顔の造作も見えた。
眼がいいというのはお金もかからないので便利は便利で、メガネをかけたければサングラスでも伊達メガネでもかけていればいいのだけれど、なんとなく本当に眼が悪くてメガネが似合うってステキだと思う。
小さいころはどうにかして眼が悪くなるようにと思って、暗いところで本を読んだりもしたのだけれど、なかなか悪くはならなかった。
それがあるとき、ふと、遠くのものが見えにくくなったような気がした。
「ついに!?」と思って検眼に行ったら「1.5と1.2」と言われた。
「でも、どちらかというと遠視気味なので、遠視の矯正用にメガネをかけたほうがいい」と言われたのだが、そのメガネをかけるとなんとなく圧迫感があるのでやめることにした。
そういえば私はいつも書店で本を選ぶとき、棚からずいぶんと離れて本を見る。
すると、ときどき私と棚の間に人が割り込んでくることもあって、「なんだ、コイツ」とか思うのだけれど、その位置に立つとなんとなく見にくいので、やはり後ろのほうに立ってしまうのである。
それこそが「遠視」行為のようなのだが、小さいころからそれがあたりまえだと思っていたので、自分ではそれほど不便はないのだった。
それからほぼ15年。
最近になって、眼がやたら疲れるようになった。
夜になると字がかすんだり、朝は朝でテレビの文字が読めないときがあったりして、いよいよもってして「!?」と思うようになった。
針に糸を通しにくくなったときにはほんとうに「これから困るなあ」と思うと同時に「もしかして、老眼!?」とショックでもあった。
「眼が悪い」というのと「老眼」というのはちょっと違う。
新聞を読んだりするときだけメガネを取り出すというのは、ちょっとカッコ悪い・・・
たまたま会った人の「老眼鏡」をかけたら、なんだか字が読みやすく「絶対に老眼だよ!」と言われたりしたものだから、老眼説は決定的かと思われた。
昨日たまたま鎌倉の実家に帰る用事があり、駅前にあるメガネ屋さんにふらりと入って検眼してもらった。
すると「老眼ではなく、少し乱視の入った遠視」ということだった。
「老眼じゃないんですか?」としつこく食い下がったが、老眼鏡というのは近くの文字などを見るためのメガネで、私に必要なのは遠くのものをクリアに見るためのメガネなのだという。
「遠視の人は、ふつうの人よりも眼の筋肉を使いすぎるんです。だから疲れ眼になったり、老眼になるのが早くなるんですね。このメガネは老眼鏡じゃないから1日中つけていてください。いいですか、1日中ですよ!」
「じゃあ、本を読んだり、パソコンをしたり・・・」
「そうです。遠くを見たりするときも、近くを見たりするときも、これだけでいいです」
というわけで、めでたく私もメガネをかけることになった。
とりあえず本日は終日かけてみたが、特に可もなく、不可もなくといったところ。
たいして度が入っているわけでもないので、はずしてもそんなに変わらないのだが、「毎日かけないと、老眼になりやすくなりますよ」という、なかば脅迫めいたアドバイスのおかげで案外ウキウキとかけているのである。
問題は丸顔なので、なかなか似合うメガネがないという点にあるのだが、はじめての終日メガネはMaxMaraで、あっという間に決めてしまった。私は決断は早いほうなのだ。
母によれば、その店ではコンピュータ・シュミレーションがあり、撮影した顔にいろいろなメガネを合成して選択できるシステムがあるのだそうだ。
私は「即日お持ち帰り」コースで、しかも「格安」コースだったから、そういう手間をかけてもらえなかったのかもしれないが、今度行ったら試してみようかと思う。
メガネをかけた私って、自分で想像してたように「賢そう」に見えるかなあ。
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