やさしい国

 なんだかんだあって、仕事にかこつけてアメリカに来ている。
アトランタとシリコンバレーでは知人・友人・仕事関係に囲まれていたが、そのあと久々にアメリカ横断一人旅となった。といっても、飛行機に乗って、見知らぬホテルに辿り着くというだけのアドベンチャーであるけれど。

 辿り着いたところはボストン。
 赤茶色のレンガの建物が続き、たゆたうチャールズリバーとあくまでも広い空が底抜けに青い。川越えの風だけが冷たいが、それを感じるのはどうやら異邦人だけのようで、土地の人たちは(アメリカはどこでもそうであるように)Tシャツ1枚でもへいちゃらのようである。
 私はほんとうにひさしぶりに、仕事らしい仕事をしない日々を過ごしている。
 ボストンの空はカリフォルニアの空と似ているのだが、もっと広く、もっと澄んでいるように感じる。

 私は毎日のようにシーザーサラダを食べている。これはロシアンレタスとかいう、緑が激しいバリバリのレタスをブルーチーズドレッシングであえただけの(ときにはドレッシングを上にかけただけの)代物で、それをうさぎのようにバリバリと食べていると顎が痛くなる。それほど歯ごたえがあり、量がある。
 洗面器ほどのサラダが入ったプラスチックの入れ物をかかえて、陽射しの暖かい芝生でランチタイムをとっていると、そばでは見事なスリーフィンガーピッキングでアメリカントラッドを弾いている人がいる。
 時間はゆったりと流れていて、1日は24時間、たっぷりと私たちを受け入れてくれている。
 そう感じるのは単に私が旅行者だからなのだろうけれど、正直なところ、これまで何年も何年も感じたことがない解放感に満たされている。
 高いビルがなく、車も少なく、なによりも人が圧倒的に少ないということもリラックスさせる理由になっているだろう。

 父が亡くなり、ちょうど百か日となった。
 毎日のように、父のことを思い、そして自分のことを考える。
 今回の旅はそのための時間であり、自分を癒すことが一番の目的である。
 気がついたら私も42歳になっていた。
 これまでの人生にひとつとして悔いはないけれど、もう20歳のときのような恋はできないのかなと思うことがある。
 42歳と、こう書くと、すっかり立派なオバサンではないか。もうシニアに片足を突っ込んでいる年齢だ。

「いったい何のために仕事をしているの?」
 いつも私がみんなに問うことを自分に問う。
「自分にとって悔いのない人生を過ごしていると思う?」
 川添いのモーテルのカフェは、曇るところなどまったくないガラス窓によって、外の様子を金魚鉢のなかの世界のように見せている。

私は癒されているのか、それともかえって傷ついているのか。
明日はニューヨークだ。  
東京に1歩近づく感じ。  
仕事が待っている。

 



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