愛あるミセスWの半生

今日は「淳子通信=弁護士Yの冒険」でローカル有名人となったY弁護士が主宰する勉強会があった。
6時からの勉強会にしっかりと遅刻をして、8時からの2次会に参加した私は、本勉強会にも勝るとも劣らぬ大感動ストーリーを聞くことができた。忘れないうちにまとめておこう。
ちょっと違うかもしれない。でもそれは愛嬌。目をつぶって許してね>Wさん

「潰れそうな会社でやめるわけにもいかず働いているうちに、やめるにやめられないと思うようになった」というミセスWは、一見物静かに見えてエレガントな物腰でありながら、芯が強そうな感じがしなくもないキャリアウーマンの大先輩である。
仕事は、インターネット関連の新しい音楽配信ビジネスの著作権管理に関わっていて(合ってるかな?)、その前はレコード会社で版権管理部みたいなところで権利関係のことを担当していた。
はじめて就職したのは文化放送。
「当時は女性は25歳定年ていう時代だったんだけど、文化放送だけが男女同権で女性でも55歳まで働くことができたの」
ひとり娘だったミセスWは、いずれ両親の面倒を見なくてはいけないと考え、なるべく長く勤めることができる職場を探した。
おまけに、そこでは社内結婚しても辞めなくてよかった。だからそれに準じたわけではないけれど、同僚と結婚。なんと20歳のときである。若い。若すぎる!

しかしそれから子どもができたら、男女同権どころではないのである。
住んでいたところが手狭なために引越しを考えなくてはと思い、大きなおなかを抱えて不動産屋に行くものの「ペットと赤ん坊は禁止」というところばかり。
そのとき、ミセスWは思った。
「動物と赤ん坊は同じだということなのかぁ」

そうこうしているうちに奇跡的に実家の裏に空き家が見つかった。
日頃たいして役にたっている亭主というわけではなかったが、その家の契約をしたことについては一生に一度の快挙であった。

「子どもが生まれてしまえばなんとかなるだろう」
気軽に考えていたことが、実は「どうにもならないこともある」とお勉強させてもらう機会でもあった。
たとえば、当時はベビーシッターなどはなく、電柱に「子守募集」と貼っても一向に人は来ない。
しょうがないので、毎朝、布おしめ(もちろん当時は紙おむつなどない)を15枚きちんとたたみ、母乳を絞って入れた哺乳ビンを6本用意して、順繰りにやれば困らないように手順をそろえて母君にベビーシッティングを頼んで会社に行った。
ところが、昼にすらなっていないというのに、会社の電話が鳴った。
電話に出ると母親が絶叫して「早く会社、辞めて! すぐに返ってきて!」

「ひとり娘を育てただけで子育てはもうたくさん」という母親の言うことも無理はない。
ミセスWは母親が37歳のときの子どもで、母親にしてみれば子育てなんてとっくの昔に終わってしまっていて、もはや初心者同然なのだ。
孫は眺めている分にはかわいいが、それと面倒を見るのとはちょっと違うようだ。
そこでミセスWは子育ての間、仕事から離れることとなった。
5年間ほど会社勤めから遠ざかっていて、その間何もやらなかったわけではないけれど、でもほとんど専業主婦生活だった。

毎日子育てして、ひとりで家にいると、夫の帰宅だけが楽しみになる。
夫が帰ってきたら、あれもこれも話したい。
ところが、疲れきった夫を待ってましたとばかりにつかまえようとする妻を避けるように、夫の外泊が増えていった。
そのときミセスWは、「私だけに子育てを押し付けて」ということは考えなかったし、夫を責めることもしなかったという。
「だって、子どもを作ると決めたのは私の選択だったから、それは私の責任だもの」としらっと言う。
ただ、夫が帰らない日は、カレンダーに×をつけた。

多いときは1ヶ月に17日も×がついた。
あるとき夫が「この印はなに?」と聞くので、「あなたが帰って来なかった日よ」と言うと、夫は×のついていない日も全部×印をつけてしまった。
それを見て、「夫が帰ってこない日を数えるようなことはやめよう」と思った。
以来、夫が外泊しようと、あるいはたまには自分も外泊したとしても、それはそれでいいと思うようになった。
おたがいを信じて、家庭をたいせつにしていれば、それ以外の愛をどこかにお裾分けしてもいい。
ただ、夫婦として「わからないように」していればいいことなんじゃないか、と。

再就職すると、子どもたちが淋しがることも少なくなかった。
「それはできる限り説明するしかないわよねえ。でも、かわいそうなこともたくさんあったのよ」
子どもたちと午後6時に茅ヶ崎駅のベンチのところで会おうと約束した。ミセスWの勤務先は東京。
ところが、6時になっても仕事が終わらない。
当然、いまのように携帯電話もない。
すぐに帰ったとしても2時間かかる。
夕暮れ時に小さな子がふたりで母親を待っている…
しかたないので茅ヶ崎の警察署に電話をして、派出所の警官に迎えに行ってもらった。
「ほんとうにかわいそうだと思ったけど、しかたなかったのよね」
ミセスWはえくぼを見せながら、淡々と話す。

「これまでの自分の人生を振り返って、一番よかったのはどの年代でしたか?」
私は尋ねた。
「そうねえ」
「私は40代になってすぐ、親が病気になって、ほぼ10年間、親の面倒を見なければならなかったの。
その10年間は女性として最も充実している時代だったのに、それが親の世話で終わってしまった」
ミセスWはそこでちょっと言葉を置いた。
「すごくたいせつな時期をもったいないことをした。そう思っていたことがあったのだけれど、
 思い起こせば、その時期が一番親につくし、自分なりにがんばった年だったかもしれない」

50代を前に「更年期障害」についても考えた。
仕事も続けたいし、親の面倒もみなくてはいけない。そんなときに更年期障害で不調になったら困る。
「更年期になんてなってられない」と思ってスポーツジムに通った。
「最初は恥ずかしかったけれど、12キロ痩せて、がんばって続けようって思ったの」
そのおかげで肩こりもなくなり、更年期障害に苦しむこともなかった。

「同年代の女性社長がいてね、いまから10年くらい前に、『50になったら仕事を辞めよう』ってふたりで言ってたの。でも、50になったら辞められなかった。こうなったらずっと続けてやるぞぅって思った」
55歳になった今、長女は嫁ぎ、次女も近々結婚が決まっている。
「下が出ていったら淋しくなるから、長女に出戻ってきてもらおうかとか言ってるの」とくったくなく笑うミセスWだけれど、「淋しい」なんて言っている暇があるとは思えない。
「そうね、この年になっても飲み友達はたくさんいるし… ふふふ」
ミセスWの余裕ある笑顔。お肌もつやつやなのだ。
女性が年齢を重ねるっていうことはこういうことなのか、と思った。
女性にとって、10代は10代の悩みがあり、20代は20代の、30代は30代の、つまり、いくつになっても「違う女」がそこにいるのである。
それを思えば、男の人生のなんと単純なことよ!
「そう考えると絶対に女のほうがトクよね」と、その場にいた、3人の女たちは笑った。

40代になった私は、最近やっと過去を振り返ることができる年齢に近づいてきたと思うことがある。
30代のころにはあきらかに感じなかったことや、見えなかったことが見えてきたようにも思える。
でも、これから先のことについて、若いころには考えたこともなかった一抹の不安がないわけでもなかったのだが、ミセスWの話を聞いて、女性が年齢を重ねることのすばらしさがわかったような気がした。
「女性はいくつまで恋をすることができるでしょうね」と聞くと
「あら、一生よ」という答えが返ってきた。
なんと説得力のある!
「50歳で仕事を辞めたい」と思っていた私は、「50歳で辞めたいと思っていたけれど辞められなかった」というミセスWのひとことひとことが身に染みるようだった。
どんな仕事でも、責任ある仕事を持ち続けることはすばらしい人間を作っていくのだなあ。
私もやはり50歳で辞めるに辞められないのだろうか。
そのときはまた、60代になっているミセスWに50代を振り返ったお話を聞かせてもらおう。

 



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