
私が20代前半のころ、雑誌でもっともカッコイイと思われるのは「月刊プレイボーイ」という男雑誌だった。もちろんエッチな写真も掲載されていたけれど、登場する男性たちはだれもが男っぽくて、スタイリッシュに思えた。
アメリカが大好きだった私は「こんな雑誌で仕事をしてみたい」と思い、企画書を書いた。
いきなり編集長宛に電話を入れ、売り込みに出かけたところ、当時編集長だった池さんは30分以上にわたる私の話をじっと聞いてから「あなたの熱意はわかった。でも、この本の読者はあなたよりもずっと経験も、見識もある30代の男性なんだ。その人たちにあなたはなにを提供できるかといったら、まだ10年早い」とぴしゃりと言われた。
いまならそこでなにか言い返すかもしれないが、そのときは「ははー、なるほどなぁ」と納得して、自分の仕事を見直すきっかけとなった。
それまで私は、女でありながら、男の子たちのなかで遊ぶことが多く、男のほうがカッコイイと思っていた。
だから女雑誌で仕事をするということなど、まるで考えていなかったのだけれど、「女じゃなくちゃわからないこともたくさんあるはずだよ」と言われて、はじめて「男」と「女」の違いというものを考えたのだった。
それから私は仕事のフィールドを男雑誌から女性誌に移すことにした。
女だからわかること、あるいは女にはわからないことを生み出す編集者として、女性誌のなかでは「実用」と呼ばれるページや海外取材、オーディオなどのハード的なものなどを取り扱うことが多かった。
さかのぼれば、19歳のころに勤務していた凸版アイデアセンターでは女性ものの開発をしていたのだから、女性のための企画開発をするのが私に課せられた仕事なのだろう。
以来、そろそろシルバープライスをもらえるくらい働いてきて、私のまわりには男の子たちに負けないくらい素敵な女性たちのネットワークが生まれ育ってきた。
そして改めて「女性が欲するものってなに?」と周りを見渡すと、なにもかもが男によって作られているように思えてくるのである。
先日、あるマーケティング企業の発表会をのぞいてきた。
インターネットで女性会員を募り、マーケティング・リサーチを行い、商品開発を行うというものなのだが、社長も副社長も男性である。
社名も新宿の飲み屋みたいなゴロあわせで、とてもじゃないけれど「女性らしい」とは思えないのだけれど、記者会見は立派で、統制がとれていて、ビジネス・モードとしてはとてもソフィスティケートされているように見えた。
その会社ではすでに数社から企画開発依頼があり、その公開プレゼンテーションということであったけれど、そのなかでいったいどこが「女性」なんだろうと思った。
「女って、こんなものなんだよ」と男たちが寄り集まって「女」像を作り上げているように思えた。
それがいけないというわけではない。ただ、なんとなく、女を売り物にされているような気がしてしまう。
私はフェミニストではないけれど、やはり女のことは女にやってもらいたい。
とはいえ、「女」の会社であっても本質的な女であるかどうかは別の話で、「女の皮をかぶった男」と呼ばれる女性社長も少なくない。
男であれ女であれ、最終的には「人」の問題かな。
大手の企業がやることは一見そつなく、洗練されているようではあるけれど、ひとりひとりの利用者に対して、どれほど細やかな気を配っているのだろうか。
そのあと、EC研究会の「オンラインショッピング大賞」の発表会シンポジウムに参加した。
上記の女性マーケティングサイトにおけるアイデア募集の賞金が100万円(ただし該当者なし)であったのに対し、こちらでは大賞でも50万円である。
いかにも手作りというアットホームさが特徴のこの会では、スタッフがそれぞれ笑顔で迎えてくれて、久々に参加した不義理な自分が恥ずかしくなる思いがした。
私はアナログな人間なのかもしれない。
テレビでがんがんCMを流したり、雑誌に広告を出す企業もいいけれど、地道に口コミと人望で支えられる企業はもっといいと思ってしまう。
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