昔の男

友人Kは高校時代、つきあっていた彼のことを「世の中にこの人ほどすばらしい人はいない」と思っていたという。
「もう、ほーんと、神様みたいに思っていたんだもの」
遠くを見つめながらKが言う相手を、実は私は知っているのだが、どう考えても「神様」ほどすごい人のようには思えないし、世の中にその人以上の男性がどれほどいるかといえば、同年齢なら8割以上が彼以上であるように見えると思える。
「いったい、どうしたらそういうふうに見えるんだろうねえ?」というと、
「だって、そのときはそう見えたんだもの」とKは少し照れながら続け、
「でもね、その人に再会したら、そんなにすごく見えなかった、というか、すごくへんな人に見えたのよ」
あなた、それが正常な目というものでしょう、と、私は内心思ってしまったのだが、彼女はさらに続けた。
「それって逆ならよかったのよねー」

「逆ってどういうこと?」
「昔、すごください男だったのに、再会したらすごく素敵に思える、そういうのがいいと思わない? でもね、私の場合は逆だったのよ。昔よかったのが、いま最悪(笑)」

年をとれば男も女もふつうはだいたいしょぼくなるものだ。
私は高校時代、とても好きだった人がいて、それこそ「結婚するならこの人しかいない」とまで思っていたのだけれど、オトナになって思えばかわいい初恋そのものである。
彼のなにをわかって私は結婚したいと願っていたのかといえば、容姿や、部分的にしかわかっていない性格めいたもの、そして楽器がうまかったこと。それだけしか知らなかったというのに、世の中のどんな男よりもその人が素敵だと思っていたのだ。
そして何年もたったあるとき、偶然再会した彼は高校時代のスリムでかっこよかった面影はまったくなく、伊集院か石塚かと思われるほど膨張したブーデーな体型になっていた・・・
そのときの私はといえば「あ! デブな彼もかわいいな」と思い、そう思うことができた自分もかわいいと思った。

私の初恋は何年もあとをひき、トラウマになり、「もう、どうでもいいや」と恋情があきらめになったころに、どうでもいい人と結婚した。
結婚相手となった人が私のことを愛しているといってくれたので「愛してくれるんだったら悪いようにはならないだろう」という程度のいいかげんな選択だった。
結局その結婚は「人生のなかでこれほど無駄なことがあるのか」と思い知る勉強時間となったという以外のメリットはなにも残さず、いまでは記憶のなかにさえ、ほとんどなにも残っていない。
初恋も結婚経験も、まるでほかの人の人生みたいな、他人事的思い出になってしまって、その後もいくつかの出会いと別れがありつつも、私の場合は過去と比較するということがあまりないな、と思い当たった。
私はいいと思ったらずっといいし、嫌な人は最初から嫌。途中から転換するということはほとんどない。
つきあっていても、単なる仕事仲間でも、私のなかで締める位置は最初から最後まであまり変わることはないように思える。

なんであんな人とつきあっていたんだろう、と思うこともなければ、またあの人とつきあいたい、と思うこともない。
たまにセンチメンタルな気分になることはあるけれど、終わってしまった恋はなかった恋と同じなのだ。

久しぶりに鎌倉の実家に帰ったら、母が昔のアルバムを出してきた。
「ほら、あなたが大すきだった○○くんよ・・・」
ボーイフレンドをいちいち覚えているのがうちの母のいやらしいところだ。
ジャーニー・フリッキーの「Old Photograph」という曲を一瞬思い出した。
古い、なつかしい、色が変わった写真・・・
でもそこに写っている人たちは、私にはもはやどうでもいい、関係のない人たちだ。(もちろんそこに写っている過去の私も、もう今はいないのだから)

「いちどに大勢を愛することはできるけれど、ほんとうの恋をするのは一度にひとりだけしかできない」と書いた人がいるけれど、ひとつひとつの恋に溺れることができる人はしあわせだ。
秋の風が吹いて、ちょっとだけ肌寒い夜は、やっぱりひとりよりふたりで過ごしたいよね。



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