1996年3月15日号



小松崎茂という作家


 昭和初期、冒険活劇絵物語の作者として、山川惣治と人気を二分していた小松崎茂。大正4年2月14日生まれ。若かりし頃はふくふくとしていた体型も、いまは小さく、丸くなっているものの、はりのある声としゃきしゃきとした様子は、さすが江戸の生まれである。
「あたしはね、南千住の生まれだからね、江戸っ子なんです」と、声が大きい。
「先生はねえ、電車の中でも声が大きいから、はずかしいんだよ」と、四十年以上も書生を努める根本圭助さんが言う。
「圭ちゃん」と小松崎先生は根本さんを呼ぶ。
「先生とはもう長いからねえ、もう、家族ですよ」と根本さん。
根本さんは最近、光人社より『異能の画家 小松崎茂』という本を出した。
「このまえ、ファンという人たちにはじめて囲まれて驚いてたんですけど、二十歳くらいの若い人たちで先生のファンが結構いるんですよ。本にはさんである葉書とか見ると、年齢層が若いのです」と不思議そうに言う。
<「地球SOS」「太平原児」などの少年雑誌の絵物語、SFアート、零戦・大和などの戦記画、プラモデルのボックス・アート「サンダーバード」などによって常に一大センセーションを巻き起こした小松崎茂ーーー師の身辺にあって40年余、師を最もよく知る著者が大正・昭和の時代を背景に書き下ろした異色の人物世相史。>と帯にある。

 私が小松崎茂という画家のことを知ったのは、数年前のことである。それも、神田の本屋の店先に積まれた『小松崎茂の世界 ロマンとの遭遇』という1冊の画集であった。
 その表紙の絵はどこか懐かしく、それでいてちっとも古さを感じない、不思議なパワーがあった。私は1冊買って、翌日また、もう1冊買った。
「宇宙王子」「海底王国」などの絵物語は私が生まれる以前に描かれたSFストーリーであるのに、そのセンスとスケールたるや………。1950年に、空飛ぶスクーターに乗る少年の冒険談があったなんて、信じられない思いがした。
「あのね、あたしのことを1950年代だって(小野耕世が)言ったんだけど、そのとおりなんだよ。あたしはアメリカが好きだし、そのアメリカといったら、キャデラックしかないね。キャデラックほどゴージャスなクルマはないね」
強く、逞しいアメリカのシンボルがキャデラックに象徴されているという先生の話に、周囲の人が「あれは燃費が高い」だの「時代が違う」だの言っている。それをぽつりと「現実的だねえ」とつぶやく先生。
「絵でいえば、ノルマン・ロックウエルね。音楽は何でも聴きますね。ただハード・ロックはだめだねえ。グレン・ミラー、それからパーシーフェイスなんかも好きですけどね。そのへんが限度です。ビートルズは好きですよ。」
椅子に深々と腰かけ、なんだか子供のようなあどけない目をくりくりさせて、はきはきと言う。
「でも、あれだね、浅草は国際劇場をつぶしてからダメになった。昔はね、50銭もって、よく浅草に遊びに行ったもんですよ。屋台でもんじゃ焼きを売っていて、2銭だった。ラーメンが5銭、カレーライスが8銭。雑誌は?銭(注:すみません。忘れました)したのを考えると、今よりうんと高いんじゃないかね。4をかけると、1冊2000円かい? 高いねえ。」
何が何銭だったか、ということをよく覚えていらっしゃって、一同感嘆する。

「こーしー、飲みにいきやしょう」
先生の江戸っこの発音では「コーヒー」は「こーしー」となる。
「あたしは東京の生まれですから、この辺(銀座)は詳しいんです。柏に越したのは戦後のことですからね」 ちょっとちょっと、先生。戦後から転居したのなら、もうしっかりと千葉の人のはずである。千葉へ移ってからずっと「東京へ帰りたい」とことあるごとに言っていたというエピソードをあとで知ったが、先生にとって東京はアメリカに次ぐシンボルなのだろうか。
「あしたのジョー」のイラストがプリントしてある年代もののBobsonの布袋をどこに行くにも忘れないという。中には絵の具、筆洗用のプラスチック・カップ、タオルなどの七つ道具が入っている。
 旅に出て写生すると忙しくて案外「見ている時間がない」ため、写真などを参考に絵を描くことが少なくないと言う。

「絵を描くときは、頭の中にストーリーがどんどん湧いているんですか?」とうかがうと
「そうです。いつもストーリーを考えて描いています」と先生。
「ああ、もったいないですねえ。そのストーリーは先生しか知らないんですねえ」と言うと「くす」と笑って「まあ、そんなときもあるんです」と。本当にもったいない。
「絵を描くというのは努力じゃなくて、才能が必要ですね」
銀座をとっとと歩きながら、きっぱりと言う。
「それと、チャンスっていうものもある。時代ということもあります。しっかり描いていても、引っぱり出されないでいる時期というのもありるんです」
戦争中のことを言っておられるのだろうかと思った。
「テレビも見ますけどね、映画もよく見ますよ。常に勉強を怠っちゃいけません。絵を描くには、才能のほかに、観察力と想像力が必要です」
 ただし、夕方から夜中までが仕事の時間だが「相撲が始まると、仕事はやってられません」と笑う。

「絵を描くのは楽しいですか?」と聞けば、
「(絵を描くのは)楽しみでもあり、苦しみでもあります」と、厳しいお声で答えられた。
「生涯現役」と言われると「一生貧乏」と言われているようでいやだとおっしゃるということを根本さんから聞いた。でも、描き続けてくださったおかげでお逢いすることができた。勝手にこんな文章を書いてしまってよかったのだろうかと思うが、書かずにはいられないほど素晴しい先生だった。


‾qM¥