『ぼくたちの洗脳社会』1995年12月5日版 ン1995.Toshio Okada
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第二章 マルチメディア中世


○消えた古代都市

 これは古代都市「シバーム」をご存じでしょうか。イエメンに今も残る、紀元前四五〇年頃の建築群。日干し煉瓦で出来た七〜八階建てのビルディングが、五百棟以上、新宿なんかと比べものにならない整然さで林立しています。


 築後二千五百年を経て、今も七千人以上の人が住んでいる、と聞いて私は呆れながらも感動してしまいました。(今のイエメンは、マイケル・ジャクソンとかアポロ月着陸とか、そういう変な切手の産地としてマニアには有名です)
 これほどの古代科学文明が、なぜ失われてしまったのでしょうか?私たちの文明には、一体どんな法則があるのでしょうか?

 

○パラダイム・シフトの時代

 第一章で今までのパラダイム、「科学主義」「経済主義」が死につつあることを説明しました。
 私たちは、「科学主義」の中にどっぷり浸かってきました。だからそんなことを聞くと、ついつい「世の中が乱れてきた」「みんな、ちゃんと物事を考えなくなってきた」「これからどうなってしまうのだろう」と、世を憂うる気持ちになってしまいます。
 しかし、心配する必要はありません。世の中は「乱れてきている」というより、「流れるべき方向へ流れて」いるのです。
 つまり歴史的必然、というやつですね。
 もちろん今現在、世の中には多くの齟齬や不都合があります。その全てを「これは歴史的必然であるから、文句を言うな」と決めつけてしまうつもりはありません。
 それはいくらなんでも、無茶というものです。
 しかし、第一章で述べた「現代の若者たちの価値観(合理主義の衰退)」によって、多くの摩擦が起きつつあります。つまり、人々の価値観変化が社会変化に追いつけなかったり、あるいは社会変化がパラダイム・シフトに追いつけなかったりしているのです。
 しかし、パラダイムと社会変化は、お互いに影響し合いながら変化し、やがて落ちつくべきところに落ちつきます。だから、私たちはそんなに慌てふためく必要はないのです。

 なんか自信ありげに断言していますね。私がここまで確信を持ってキッパリ言えるのは、過去のパラダイム・シフトのお手本があるからです。
 そう、パラダイム・シフトとは勿論、何も初めてのことではないのです。
 判りやすいように、手近で小さなパラダイム・シフトを例にとって説明してみましょう。たとえばダーウィンの「進化論」。
 彼の進化論自体は、単純な学説です。字にしてわずか十七文字。
 『生物は、環境に適応した種が生き残る』
 しかし、私たちはいつの間にか、この生物学上の仮説の上に、自分たちの都合がいい社会論を乗っけています。

 たとえば私たち自身、弱肉強食を「仕方がない」ではなく「正しい」と思っています。企業は、どんな立派な商品を作っていても、経済競争に負けたら倒産は仕方がない、と考えています。
 私たちは、貧乏な人たちが、ただ単に経済援助を受けて生活していることで満足しません。それだけでは何か間違っているような気がします。「このままじゃ、人間としてダメになる」とか思ったりしてしまいます。
 そこで彼らが自分自身で生活できる手段なり能力を得ると、やっと安心します。弱いことは仕方がない事ではなく、いけない事なのです。
 弱いものは助けるだけではダメで強くならなければならない、と心に刷り込まれている訳です。
 ところがキリスト教会が幅を利かせていた中世では、こんな考えはメジャーではありませんでした。何と言っても恵まれない者に与えることは、もっとも尊敬される行いだったのですから。
 また、私たちは「最新のモノはそれだけ優れている」と心の底で、信じています。
 現代社会は、古代社会や中世より「進化」している、なんていう考え方はその典型です。昔の人は頭が悪く、無知だったから、変な宗教やファシズムにいれこんだりした、なんていう人は、今でも結構いるでしょう。
 これらの考え、世界観は全て「進化論」の後でメジャーになったものです。「進化論」が知れ渡ることによって、人々の価値観、世界観が変わり(パラダイム・シフト)、それによって近代の幕が開いた、とも言えるわけです。

 しかし我々は今、「進化論」程度とは比較にならないほど巨大なパラダイム・シフトの時代を生きています。
 第二章では、過去の代表的なパラダイム・シフトをよく見ることで、私たちが今置かれている状況を客観視してみたいと思います。

 

○人間のやさしい情知

 人間には「豊富なものをたくさん使うことを格好よいと感じる美意識と、不足なものを節約するのは正しいことだと信じる倫理感」が存在する。
 「知価革命」という本の中で、堺屋太一はあらゆる文明に共通の法則を、こう分析しています。
 この価値観を堺屋は「人間のやさしい情知」と名付け、パラダイム・シフトの原動力と考えました。
 つまり人間というのは、その社会全体に豊富にあるもの、余っているものをたくさんどんどん使うことを「カッコイイ、やってみたい」と感じる。少ししかないもの、不足しているものを大切にすることを「正しい、立派なことだ」と感じる。そういう心が原動力となってパラダイムを変化させる、というのです。
 この章では、堺屋の「人間のやさしい情知」に則って歴史上のパラダイム・シフトを再評価し、来るべき新世界を展望してみましょう。

 

○農業以前の精神文明

 歴史上、最も大きなパラダイム・シフトは農業革命と産業革命でしょう。
 トフラーの言う、「第一の波」と「第二の波」ですね。まず、第一の波、農業革命によって、社会システムがどう変わったか見てみましょう。

 農業革命以前は、人々は部族毎に分かれて住んでいました。
 魚を捕り、獣を狩り、貝や海草を採ったり、木の実や果実を採ったりして暮らしていたのです。
 部族ごとに縄張りのようなものはありました。しかし、食べ物がなくなれば部族ごと移動することが普通だったのです。彼らは土地に縛られることなく、暮らしていました。
 もちろん、移動に伴って、争いも起こりました。
 部族は人数が少なすぎると、戦いは不利になります。しかし、人数が多すぎると、全員の食い扶持を探すのが大変です。自然と、数十人程度の小部族になったと考えられます。
 そんな世界で、人々の関心事は「今日、食べるもの」に尽きました。
 彼らはそれぞれ、太陽や月や鳥や猛獣など、自然の中の様々なものを「カミ」として崇めました。そして「今日、食べるもの」に、恵まれるよう、彼らのカミに対して呪ったり、占ったり、祭ったりしました。
 「今日、食べるもの」のために、他の部族と戦うための武器を作ったり、毒を塗ったり、呪いをかけたりしました。
 よそ者が迷い込んだ日に、大きな魚が捕れれば、よそ者を歓迎しました。逆によそ者が来た後、病気が流行るとよそ者を殺し、カミに捧げたりもしました。
 そういった知識を豊富に持っている老人を大切にし、言うことを聞きました。
 そのような事柄の中には、科学の時代の我々から見れば、なるほど生活の知恵だ、と感心するようなこともあります。逆にあまりにも無意味で眉をひそめるようなこともあります。
 しかし、彼らは彼らなりに「その日、食べるもの」のために、真面目で真剣であったことは確かなのです。

 モノが不足し、常に我慢を強いられる始代人たちの興味は、モノよりも内面、精神世界へ向かいます。
 これこそが「たくさんあるモノをぱーっと使うのがカッコイイ、足りないものは大事にするのが立派なこと」という「人間のやさしい情知」の働きです。
 つまり、有り余る時間を「思索」というきりのない作業に当て、モノに執着する心をさげすみ、モノを使わないようにする、という考え方が生まれたのです。こうして始代人たちは宗教をつくり、その世界に浸りました。彼らの美術は写実主義ではなく、全て抽象的であり、具体的な人間や動物も極端にデフォルメされています。
 別に絵が下手なわけではありません。そうではなく、本当の姿がどうであるか、というモノそのものより、それを見てどう感じたのか、どんなのが好きか、カッコイイか、といった主観を大切にした表現方法なのです。
 ちょうど現在のアニメーションに出てくる人間や動物が、極端にデフォルメされているのと同じですね。そんなわけで、始代人の文化は宗教的・抽象的で、時として私たちには判りづらいのです。

 

○農業革命と社会変化

 農業革命は、そんな状況の中で起きました。
 「その日、食べるもの」に、精いっぱいだった彼らにとって、農業は計り知れない魅力に満ちていました。
 明日、食べるものの保証が全くなかったのが、いきなり何十、何百日分の食料を一度に手に入れることが出来るようになったのです。
 彼らは夢中で耕し、種をまき、育てました。
 それまで海沿いや川沿いに、ぽつりぽつり住んでいた人たちは、耕しやすい平地に移り住み、どんどん畑を広げていきました。
 一族は力を合わせて畑仕事に取り組み、農地を子孫に残しました。農地は何よりも大切なものとなり、食べ物を求めて移り住むことは少なくなりました。人々は土地に縛られた代償として、飢える心配がなくなり、人口は爆発的に増えました。
 
 しかし、禍福はあざなえる縄のごとし。人生万事、塞翁が馬。農地が増えると、どこまでが誰の畑かと行ったもめ事が起きます。
 農耕をしない、他の狩猟民族たちが攻めてきて、せっかく蓄えた食料を奪っていったりもします。
 狩猟民族にとっては、食料とは戦って勝ち取るのが当然の正しいことなのです。しかし農耕民族にとって、それはもっとも憎むべき犯罪です。農耕民族にとっては、食料とは狩るべきものではなく、慈しみ、育てるものだからです。
 こういった食料の新しい秩序を守るために、管理社会と身分制度が生まれました。
 どんなに農民達が飢えようとも、来年の収穫を約束する種籾、種芋だけは絶対食べてはいけません。また、収穫に応じてどの家族にどれだけの食料を配分するか、も大問題です。
 農業社会の成立によって、管理社会と身分制度は必然的に誕生したのです。
 当時奴隷は家畜と同じ扱いで、人権などありませんでした。それでも少なくとも家畜同様、最低限の食べ物を与えなければなりませんし、寝る場所も必要です。糞の掃除も必要ですし、逃げ出さないように気を配る必要もあります。複雑な仕事を奴隷が出来るように分解し、監督するマネージメントも大変なのです。
 つまり奴隷制は、奴隷一人の働きで増える収穫が、奴隷一人の食べる量よりずっと上回る、という条件が整わなければ成り立たない制度なのです。
 古代の農耕技術の発達で、急にフロンティアが出現したことによって、初めて奴隷制は成立できたわけです。国の領土拡大は、より多くの奴隷の獲得のためでもありました。

 土地を巡る身分制度は、農業革命の波が拡がるにつれて、複雑化しました。
 まず、人々は「畑を持つもの」と「畑を待たず、働くだけの農奴」とに、二分されます。農奴はいくら働いても豊かになれない身分だと言えます。
 又、農業が発展して人々の生産力に余力が出来ると、今度は商業が発達しました。
 この当時の商業は、輸送手段が馬やロバに頼っていたため、細々としたものでした。しかし農奴から脱サラ(?)して商人になるものも生まれ、やがて、商人にも「商人としての権利」が生まれてきたりしたのです。

 こうして農業革命後の社会では、収穫の基礎である土地を巡る権利を、世襲で受け継ぐことが普通のことになりました。それまでの部族単位よりも、「血の繋がった家族」「長男の責任と権利」といった絆が重要になりました。
 また狩猟時代の「食料を見つける才能」や「戦いで勝った者」が族長として部族をまとめる、というのは時代遅れになりました。族長の地位、も世襲で継がれることが当然になってきたのです。
 臨機応変が身上の狩猟社会とは違って、農耕社会とは、毎日が同じ繰り返しです。毎日、こんなに頑張っても、成果が出るのは半年も先。当然、作業をさぼる者も出てきますし、そうなれば見張る者も必要になってしまいます。
 こうして、族長の仕事は徐々に「王様」に近いものになっていきました。
 世襲で決まった王様は、農民達の土地の所有を決定し、年貢を取り立てます。外からの侵略に対しても、王様が中心になって戦います。水不足や、凶作といったトラブルも、すべて王様の決定事項です。
 きわめて原始的な「封建制度」の誕生です。

 

○封建社会の価値観

 一般庶民の価値観も、農業社会の発展につれて変化しました。
 このような時代の人々にとって、一番基本になる考えは「身分」です。
 「自分は農奴だ」とか「自分は領主だ」とか「商人だ」という、大変はっきりとした自分のポジションに疑問を持たない。それまでは、とにかくその日食べるもので頭が一杯で、「自分とは○○である」というような意識が全くなかった頃に比べると大きな差があります。
 農奴は農奴として、ちゃんと畑を耕し、作物を作るのがあるべき姿なのです。
 いくら、働くのがいやだったり、凶作が続いて貧しくても、農地や身分を捨てて森で獣を追って暮らすなんて出来ません。
 それは罪深く、おまけに恥ずかしいことになってしまいました。
 そこには職業選択の自由、なんて発想はありません。「農奴」という身分があるからこそ、自分は社会の一員である、という(低いながらも)保証が得られたのです。身分を持って生まれないのは蔑むべき未開人なのですから。
 
 領主も又、領主らしくあるのが良いことです。
 ちゃんと自分の領土を守り、出来れば領土を広げるのが立派な領主のすることです。そのために税率の調整をしたり、潅水工事をさせたり、兵隊をそろえて戦いを仕掛けたりします。
 今の私たちは、つい「領民のために尽くす領主」「領民の幸福を考える領主」が、立派な領主と考えがちですが、これは大間違い。
 そんな考えは領主はおろか、領民だって持っていませんでした。
 確かに年貢率を上げすぎて領民の半分が飢え死にしてしまっては、話にすらなりません。しかし、年貢が低すぎて下手に領民の間で食料が余っても、揉め事の種になるだけです。
 耕作できる農地の面積は、限られているのです。なのに領民達に必要以上の食料を与えてしまったら、人口が爆発的に増え、数年後には飢饉となってしまうかもしれません。新しいことは何もしない方がいいのです。新しいことは、その時には素晴らしい考えに見えても、後でどんな災難を呼んでくるか判りません。
 大体、よその領主より、年貢の率が低くても、特に領民の忠誠心が上がったりはしませんし、別に忠誠心が上がっても、特にいいことはないのです。
 それよりも余った食料や労働力を使って、立派な城や、バカでかい墳墓を作ったりした方が、よほど領主としての威信も保てるというものです。

 このように、農業が起きると、そこには必ず封建制度が作られ、それぞれ似たような世襲の身分制度が作られました。
 皆、生まれた土地で生まれながらの身分を守って、一生を過ごすようになりました。もう今日食べる物を求めて走り回ったり、毎日毎日飢えの恐怖と戦う必要はなくなったのです。他の部族と命を賭けて食料を奪い合ったりする必要もなくなったのです。
 何と素晴らしい事でしょう!
 狩猟民族からみれば、勇気を無くし自分達の神にそむく行為に見える農耕生活ですが、一度この居心地の良さを知ってしまうと、肉体的にも精神的にもあっという間に引き返せなくなってしまいます。
 農耕をはじめて1年もたてば、狩をする体力はすっかり衰えてしまいます。数十年もたてば、狩をするノウハウそのものが忘れ去られてしまうでしょう。そうなってから狩猟生活に戻ろうとしても、わざわざ飢え死にするようなものです。

 

○引き返せない楔

 いったん変わってしまうともとに戻れない、こういった社会変化を、トフラーは「引き返せない楔」と呼びました。
 自由に移動していた人々は、農地から離れることが出来なくなります。
 システム化した身分制度に生涯、縛られます。
 変化を嫌う気風が一般的となり、アニミズムの「カミ」は廃れて、王や貴族、身分制を肯定する「宗教」を押しつけられます。
 そのかわり、もう今日の食べ物を心配しなくてもいいのです。
 農地に縛られようと、毎年秋には収穫があることが、はっきりしているのですから。
 身分が固定されたおかげで、機を織る専門家や、農具を作る専門家が生まれ、生活は比べものにならないほど、良くなりました。
 安息日に行く、目も眩むほどの教会や、王様の住んでいる立派なお城が、まるで自分のことのように誇らしく思えます。
 
 このように引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しい社会システムへと移行します。農業時代の人々は、もう狩猟時代には戻れません。それどころか狩猟生活をしている人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
 「あんなその日暮らしの生活をするのは、野蛮人だけだ」「身分も持っていない、祝福されていない奴等」(全く、人間というのは仕方がない生き物ですね)

 つまり社会システムの変化は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会を変化させます。これが農業革命の時に起こった、パラダイム・シフトなのです。
 農業革命によって生まれた封建制度は、新しい社会制度ですが、同時にまったく新しいパラダイムでもあるのです。
 封建制度は、王様が威張っていて農民は耐えていた、というイメージがなんとなくあります。
 でも考えてみたら、「自分が畑仕事をする理由なんて一つもないけど、王様の軍隊が怖くてしかたなく農奴をしている」という人ばかりでは、けっして封建制度は保てません。
 「王様が統括する」事も、「農民が農耕する」事も、みんながそうするものだと考えているからこそ保たれるシステムです。もっと言うと「そうする事がよい事だ」とか「そうする事があるべき姿だ」と考えてるといえます。
 この、みんなが「そうするものだ」と考えている事柄の集大成こそがパラダイムなのです。社会システムとパラダイムが表裏一体である事が、おわかりいただけたでしょうか。

 

○古代科学帝国の限界

 モノの豊かな時代の特徴は「写実美術」と「科学する心」です。
 ギリシャ・ローマの写実美術。インドやギリシャの医学・農学・数学・論理科学。
 モノの豊かな時代は、モノそのものをよく見、観察することから、こういった美術や科学が生まれます。科学の発達は、より多くのモノ、より珍しいモノ、より便利なモノを生むきっかけにもなるわけですから、ますます相乗効果で科学に心が動き、モノが豊かになっていきました。
 また、農業革命以前の国家が宗教的であったのに対し、モノの豊かな時代は国家の役割も現実的です。
 古代の国家の役割は、軍事の他に、治水・利水・道路・港湾・水路などの公共事業、物価の安定、等価交換の保証、税制の公正化といった立法や経済政策が国家の大きな仕事でした。教育以外はおよそ現代の国家とほぼ同じだといえます。この章の冒頭で紹介した古代都市シバームも、こんな時代の産物なのです。

 奴隷制や教育といったこと以外、現代社会と大変よく似たパラダイムを持った古代社会は、やがて飽和状態に達しました。
 帝国が極大化したとき、とうとうフロンティアは失われました。彼らの国境の外側には不毛の砂漠か、極寒の原始林か、住むに耐えない熱帯雨林しか残らなかったのです。
 農耕が不可能な土地を領土として獲得しても、防衛のための費用がかさむばかりです。土地の有限性が証明されれば、そこから生産される食糧も、それによって維持できる自由市民や奴隷の数も、おのずと限られてきます。

 また、古代社会の「成長の限界」で、もう一つ見逃せないのはエネルギー不足です。
 当時唯一のエネルギー源だった森林資源が枯渇し始めたのです。
 高度成長に伴う乱伐によって森林が消え、乾いた土地になってしまいました。このため公共事業も農機材の生産も、船や建物の建造も一挙に衰退します。
 こうしてモノの豊かな古代は終わりを告げ、モノ不足の中世へと入っていきました。
 こうした現実の変化は、古代人たちのパラダイムを大きく揺さぶりました。実際にフロンティアがなくなったり森林資源が不足し始めたための不都合だけならば、それほど急激なパラダイム・シフトは起きる必要がないはずです。
 が、現実はそうではありませんでした。
 こういった変化を過剰に感じとり「モノへの関心・欲求」を肯定的イメージから否定的イメージに急激に変化させてしまったのです。

 

○「モノ不足、時間余り」の中世

 古代文明の次に訪れた中世文明は、「モノ不足、時間余り」の時代に、人間のやさしい情知によって選びとられた新しいパラダイムとなりました。
 中世というと宗教に縛られた不自由な時代、というイメージが強いのですが、決してそうではありません。
 確かに、ヨーロッパはキリスト教に、中近東からインドはイスラム教に、中国は仏教に支配されました。それぞれ戒律も厳しく、支配力は絶大でした。しかし、それぞれの宗教は古代文明からはずれた、遅れた土地で生まれ、文明の地に逆輸入されています。
 つまり、古代人たちは自分たちの手で、こういった宗教を選びとったのです。それは、フロンティアを失い、エネルギー危機を感じとった古代人たちが「モノの豊かさではなく心の豊かさ」を求めるようになったからだ、とも言えるでしょう。

 さて、中世の特色は「モノ不足・時間余り」です。
 意外なことに中世の人たちにとって、勤勉とは泥棒と同義の犯罪でした。というのは、一人がたくさん働けば、結果的に他の人の土地や資源を奪うことになるからです。中世の人々は、いくら働いても貧乏な可哀想な人々ではなく、「貪欲は悪」という価値観に生きていたのです。
 そのため、中世の一般市民は冬はほとんど働かず、夏も日曜はもちろん、その他にたくさんの祭日を持っていました。
 ローマ帝国の最末期ですら、平均週休四日だったのです。これが本格的中世になると、もう本当に人々は働きませんでした。
 例えばフランスの農民は、冬の三ヶ月は全く働かず、夏期も色んな理由を付けて休日だらけでした。おまけに村単位、職能ギルド単位で労働時間を厳格に決め、抜け駆けの働きは厳しく罰せられました。中世においては、「働くべき時に働かない」よりも、「働くべきでない時に働く」方が、ずっと重い罪だったのです。

 また王侯貴族や当時急増した聖職者などほとんど働かない人々が大勢いました。
 働かずにすむと言えば楽しそうに聞こえるかもしれませんが、余った時間で別に遊べるわけではありません。遊ぶ、というのは食べたり飲んだり、着飾ったり旅行したり、とにかく消費を伴うからです。そんな余裕は中世にはありません。
 というわけで、中世は極端な「モノ不足・時間余り」の時代だったのです。「不足するモノを節約し、有り余る時間をいっぱい使う」生き方として中世の人々が尊敬し、あこがれたのは「清貧な思索家」です。
 ヨーロッパでも「貧者ピエール」など、物欲に縛られない態度が尊敬されました。十字軍に遠征した夫の無事を祈り、下着を何年も脱がなかったセピア婦人の話は、あまりに有名です。そして、有り余った時間をいっぱい使って宗教的研究に没頭しました。
 これは、科学や実験といった、現実と関連するものではありません。魔女の研究や、デフォルメされたマリア像など、現実的なものとは無関係の、抽象的心象的なものなのです。
 中国でも、晋朝以降の貴族は、詩と酒に酔い、政務を省みず、ほとんど働きませんでした。中には田舎に引っ越してしまい、世捨て人になって詩を読んで暮らす聖人もいて、これがまた「竹林の七賢」などと呼ばれて、皆の尊敬を集めたりしました。

 中世においては、こういった聖人が尊敬され、高い地位につけました。
 身分や報酬も、こういった尊敬や血筋によって決められました。いかによく働いたか、いかに生産性を上げたかといったことはマイナス評価にこそなれ、プラスに評価されることはありませんでした。たとえ誰かががんばって生産性を上げても、それは神様の思し召しとしか考えてもらえないのです。
 古代社会では常識だった、経済の等価交換の原則も崩れてしまいました。
 同じ商品も相手の身分や売り手の機嫌、かけひきによって、全く値段が変わってしまうのです。貧乏人にはタダにしてやったり、尊敬する人には安くしたり、気に入らない人は高くしたり。せっかく古代人が作り上げた統一経済や、自由競争市場も失われてしまいました。そして、それを惜しむ人は、誰一人いなかったのです。

 

○高度抽象文明

 モノへの関心が低かった中世の文化の特色は、その高度な抽象性にあります。
 彼らは言葉や数値による正確で具体的表現よりも、抽象的感覚的表現で雰囲気を伝えようとしました。
 中世の宗教はどれも光・音・色など感覚的な要素をうまく融和させたトータルメディアとして見事に設計されています。
 キリスト教教会では、意味不明のラテン語の聖書、エコーがかかる建築構造、高い天井からステンドグラスを通して落ちる様々な色の光、暗闇に消える視界、壁や扉の宗教的レリーフ、これらすべてで神秘的な感動がわき上がるように演出されています。中国の仏教、インドのヒンズー教も同じように幻想的な雰囲気で信者をトリップさせる寺院を建築しました。
 偶像を完全に否定したイスラム教のモスクも、複雑な幾何学模様と、コーランの高唱という総合芸術の世界です。具体的な言葉や数字を否定して、抽象的・印象的・総合芸術へ移行したということが「モノ不足・時間余り」の中世におけるパラダイム・シフトを最もよく表していると言えるでしょう。

 

○産業革命前夜の風景

 それでは第二の波、産業革命における社会変化と、それに伴うパラダイムシフトを見てみましょう。
 まず第二の波、産業革命がおこったのは中世ヨーロッパでした。
 いわゆる暗黒の中世と呼ばれる時代のヨーロッパ、第一の波・農業革命によって作られた封建制度は、ヨーロッパ全土にくまなく行き渡り、ヨーロッパは小国の集まりとして(比較的)安定を保っていました。
 収穫量には上限がありますから、ある程度以上には人口は増えず、封建制度による職業人口比率も、バランスの良いところで安定していました。
 もちろん悪天候による飢饉や、急な伝染病で人口が激減する事も周期的にありましたが、順調なときには又、徐々に人口は戻りました。
 隣国どうし多少の衝突はありましたが、強力な王が現れてヨーロッパを統一するといった事もなく、おおむね平和でした。

 そんな時代ですから、いくら封建制度といっても王様は、ぱっとしません。
 もともと蛮族や、隣国の侵略から自分達を守ってくれるための王様ですから、平和になって役目を終えれば、ありがたみも減るというものです。
 「今日食べるもの」の心配にも、蛮族から食料が奪われる心配もあまり気にしなくてよくなった人々にとって、もっとも大きな関心事は、病気で死ぬ事です。
 なぜ病気になるのか。
 なぜ死なねばならないのか。
 死んだらどうなるのか。
 死ぬのは怖い、病気は怖い、怪我は怖い。
 その当時は、殆どまともな医者もいず、医学知識もなく、家族や自分が病気になっても怪我をしても、為すすべはありませんでした。そんな人々にとって、病気や怪我で死ぬ事ほど不安で恐ろしい事はなかったでしょう。
 その不安をやわらげてくれたのが、王様に代わる彼らのヒーロー・神父様だったのです。

 中世ヨーロッパはキリスト教に支配された、暗黒の時代といわれています。しかしそれは産業革命、という「引き返せない楔」を経て、我々現代人が中世の人たちの価値観を理解しにくくなっているからです。
 その当時そこに住んでいた人にとっては、「キリスト教」も「暗黒」も、そんな客観的な基準はなかったでしょう。あるのは教会と神父様だけです。
 神父様は「大丈夫、死んだら天国へ行ける」といってくれました。
「神様に召されるのだから怖くない」と励ましてくれました。
 立派な教会で、立派な神父様が分厚い聖書を手に、おごそかな声で話してくれるありがたいお話を聞いているとほっとします。
 この前死んでしまったおじいさんも、天国で自分を待っていてくれるだろうか、と考えたりもします。少々辛い事があっても、感謝の気持ちを持って頑張ろうと思ったりもします。
 神父様は立派な人です。
 家のない者を泊めてやったり、スープを飲ませてやったりもしてくれます。
 なんでも遠い町までいって、神様の勉強をしてきたそうです。病気の時には家へ来て見舞ってくれます。誰かが臨終の時には必ず来て懺悔をさせ、天国に召されるようにしてくれます。
 丘の上の教会の塔を見ながら「ちゃんとした教会のある村に生まれて、本当によかった。これも神様の思し召しだ」、と感謝で胸が一杯になります。
 これが熱血信者A君の心です。
 どこが暗黒でしょうか?
 「死んだらどうなるのかわからない。怖い怖い」と考えている我々の方が、よほど人生真っ暗だと言えるかもしれません。

 当時の人々は多かれ少なかれ、A君のように考えていました。
 「死んだあとなんてどうでもいい」とか「天国なんてあるわけない、死んだら全部終わりさ」と考えられるほど勇気のあるヒネクレ者は、ほとんどいませんでした。
 不信心者という言葉がありますが、不信心者の人が神様や天国の存在を信じていなかった訳ではありません。そうではなくて「わかってはいるけど、つい」というやつなのです。「朝晩お祈りしなさい」と言われているけど、つい面倒くさくて、1回ぐらいとさぼってしまう。これが不信心者なのです。
 なんせ、そのころのみんなの関心事は天国があるかないかではなく、天国へ行けるかどうかだったのですから。
 こうしてキリスト教は、ヨーロッパの人々の生活の基盤となりました。
 どんな小さい村にも、小さいなりの教会が建てられました。
 大きな町には、みんなの心血を注いだ立派な教会が建てられました。
 日曜日に教会へ行かないのは、よほどの変わり者か、教会もないほどの、ド田舎に住んでいる人だけでした。
 みんな暇さえあれば祈りました。
 というより、無理矢理時間を作ってでも祈ったのです。
 又、少しでも経済的に余裕があれば教会へ寄付したり、自分より貧しい人々に施しをしました。余裕がない家も、少し食べるものを我慢してでも施しをしました。
施しをしたために貧しくなるのは、立派な事だったのです。

 

○「科学」はキリスト教から生まれた

 ところが十八世紀、社会は大きく変化します。
 物欲を憎み、モノを軽んじる中世人たちが、あらゆる努力で世の中をますますモノ不足に追い込んでいた事は水泡に帰してしまいました。
 新大陸の発見による、有限感・閉塞感の払拭。
 世界航路発見による、新たな通商開拓。
 そして、真打ち登場、とばかりにとうとう産業革命がやってきたのです。これにより「モノ余り・時間不足」の時代がやってきました。
 産業革命以後「モノ余り・時間不足」という古代と同様の状況が、よりヴァージョンアップして急スピードで起こりました。
 一時的に飽和状態に見えた工業化は新大陸の発見によって、また一気に花開きました。そして大量の石油資源の発見と、その応用技術の発達によって、高度経済成長が歴史上見られなかったほどのハイスピードで成し遂げられたのです。

 そもそもは、キリスト教から独立した科学の発展によって全てが始まりました。
 科学自身は、実はキリスト教から生まれたものです。
 「神様がこの世界をお作りになったのだから、この世界は素晴らしい秩序で満ちているに違いない。その秩序を見つけて、神様の御技を讃えよう」
 これが科学の本来の姿です。
 「そんな秩序など見つけなくても、神様がすごいのはわかっている。そんな事する暇があったら真面目に祈ってろ」という主流派のイジメにあいながらも、熱心な彼らは研究を続けました。
 これらの研究の成果がメンデルの遺伝の法則だったり、万有引力だったり、ケプラーの法則だったりするのです。これらの発見は大抵、神様を信じ、神の御技を見ようという敬虔な信者たちによってなされたのです。
 ところが、このような科学の成果によって、人々の暮らしは徐々に変わり始めました。
 「科学や、発明の力で人々は幸せになれる」
 みんな、そう思い始めました。その結果、キリスト教は、昔のように絶対の権威を保てなくなってしまったのです。
 キリスト教から生まれた科学が、キリスト教自身を否定してしまう。皮肉なことですね。
 産業革命の始まりとなった蒸気機関の原型、「メコン機関」も又、敬虔なキリスト教牧師達の手で、神の名を称えるために発明されたそうです。しかし人々はもう、そこに神の偉大さを見はしませんでした。新時代の到来を約束する、巨大な力「科学」を見たのです。
 蒸気機関車、紡績機、自動織機、無線機、蒸気船。その他、無数のものが発明され、産業博、万国博が各地で催されました。
 エレベーター、ガラスと鉄のお城、世界中の珍しい特産物。それらのものを、次々と見せられた人々は、もう科学の生み出す成果と、その可能性に夢中になってしまったのです。
 こうして神様の素晴らしさを証明するためのものだったはずの科学は、あっという間に神様に代わるヒーローになりました。第1章で述べたように、人々は科学の力が自分達を幸せにしてくれると考えるようになったのです。
 もう神様に頼って死んでから天国に行く、なんて当てにならない事にかける必要はありません。科学がこの世を天国にしてくれるのですから。

 

○中世社会の崩壊

 そうなると、今までの身分制度もすっかり崩れてしまいます。
 自分も才能さえあれば大発明をしたり、事業を成功させたりして、大金持ちになれるのです。そんなときに農奴らしくしていても仕方ありません。
 教会の力も弱まりました。
 人々は祈る時間を削って働くようになりました。
 施しのお金を削って次の事業に使ったり、新しい電化製品を買うようになってしまったのです。
 
 人々の考え方も大きく変わりました。
 まず今までは、悲しい事も嬉しい事も生まれや育ちも、すべて「神様の思し召し」という考え方でした。それが、「なぜ」という科学的合理的思考法に変わったのです。
 確かに中世ヨーロッパにも、知識や知恵はありました。
 例えば中世ヨーロッパの墓堀人夫は死体袋を土に埋めるとき、石灰をたっぷりかけます。こうすると死体が腐りにくいのですが、墓堀人夫が石灰をかける理由は腐りにくいからではありません。それは親方に「死体には石灰をかけるもんだ」と教えられたり、他の墓堀人夫みんながやっていたからです。
 たとえ石灰をかけ忘れるとすぐ腐ってしまう、と知っていても「悪魔は白い粉が嫌いなんだろう」程度にしか考えません。
 それどころか、世の中の事に疑問を感じたり、質問したりするのはよくないことです。それは知恵の木ノ実を食べた人間の、悪いくせと考えられていたのです。
 ところがそれに比べて科学的思考でこの問題にアプローチしてみます。
 石灰のかわりに塩や酒や聖水をかけてみたり、顕微鏡で悪魔の正体を見ようとしたりして、最終的には腐敗菌の存在と、殺菌というシステムを考えるにいたるわけです。
 こうやって原因と結果の間に、法則を見いだそうとする考え方が、合理的思考法なのです。

 現在では、日常的なあらゆる事柄が、合理的思考でとらえられています。
 乳酸菌を飲むと、お腹の働きがよくなるとか、風が山にぶつかると冷やされて雨を降らせるとか。
 こういった合理的思考法は、科学技術の発展にはめざましい効果がありました。
 が、世の中のあらゆる不都合にはすべて原因があってきちんと観察し、思考し、実験すれば必ず特定でき、把握できるという考え方は、逆にそうしなければならないというプレッシャーを私達の心に与える事になりました。
 つまり私達は永遠に世の中の不都合に関して心配し、考え、本を読まねばならなくなってしまったのです。

 

○民主主義・経済を生む「科学」

 科学は、科学技術の発達や合理的思考法を生み出しました。
 同時に、そこから派生して、民主主義や経済主義も生み出したのです。この件に関して少し説明してみます。
 民主主義も経済主義も、人間とか利益、富といったものを一律に定量的にとらえて考えようという、とてつもなく大胆な発想から生まれました。キリスト教時代では、とても受け入れられそうにない「罪深い」アイデアです。
 民主主義は、まず一人一票という思いきり方がすごいですね。
 成人になりさえしたら、まだ仕事もできないヒヨっこも、死にかけの年寄りもIQ一八〇の天才も、みんな一票。
 納税額がいくらであろうと、大会社の社長であろうと、浮浪者であろうとみんな同じ一票なのです。はじめて民主主義が登場したときの非難・批判は想像に余りあります。
 この一票で何をするかというと、自分達の代表を選ばせ、票の多いものに政治をさせようというのです。
 なんの代表かと言うと、自分達の利益の代表です。
 例えば「○○会社の中堅サラリーマンであり、○○市の市民であり、○○国の国民であり、平均的な消費者であり、夫であり二人の子供の父親である自分」の利益をもっとも守ってくれそうな人を一人選ぶ、というのが民主主義です。
 これはみんな自分がどうあるべきか、という自我が確立しているという前提に立っている発想です。つまり、何が自分にとって損か得か、自分は社会に対してどういう態度を採っているのかを、キチンと把握できるのが市民なのです。
 又、選んだあとも、きちんと自分の利益を守る方向で政治を行ってくれるかをマスコミを通じて客観的科学的に判断し、次回の選挙に活かさなければなりません。
 世の中の出来事が、神様の思し召しではなく「どの政治家が何をやったからこうなった」という因果関係からなっていると、みんな認識している事。そしてそれを読み取れるという前提に立ったシステムともいえます。
 このように科学から生まれた民主主義は、科学的思想体系なくしては成り立たなかったシステムなのです。

 経済主義も又、定量化という科学的発想からなっています。
 こちらはすべての「モノ」を、円やドルというお金の単位で換算しよう、という考え方です。
 「モノ」は食べ物、服といったものそのものだけでなく、労働力やサービス、権利といった、目に見えないものまで、考えられるあらゆるものが含まれます。
 今まで自分達が作ったものを食べ、残ったものは施し、残った時間は祈っていた人々にとって、パンひとかたまりと、工場で一時間働く事と、レストランで二時間働く事と、靴下一足が、みんな同じ値打ちだといわれても、どうしてもピンと来なかった事でしょう。
 又、自分達が一生飲まず食わずで働いても手に入らないものを、神様の思し召しではなく、親が金持ちだというだけで生まれたときから持っている人がいる事も「経済的思考」によってはじめて知り得た事なのでした。
 この考え方が、みんなに行き渡ったりしたら、「農奴」とか封建的身分制、なんて、もう誰も信じられなくなってしまいます。
 全てのもの、労働は、お金に換算できて、それは交換可能なのです。だったら農奴をやってる、ということはタダ働きをしている、という意味になってしまうわけですから。
 

 

○近代のパラダイム

 ここで又、農業革命の時と同じく「引き返せない楔」が発生しました。
 未来学者のアルビン・トフラーが命名した、「引き返せない楔」というのは、「いったん変わってしまうともとに戻れない社会変化」のことです。
 農地から解放された人々は、仕事を求めて都市から都市、工場から工場へ渡り住みます。その結果、農業社会を支えていた大家族制度は崩壊し、移動に適した「核家族制」が一般となります。工場労働者としては、適当でない「老人」は田舎に残す訳ですね。

 システム化した身分制度は崩壊し、常に平等のチャンスを要求する「市民」が誕生します。
 変化は常に「良いこと」になり、宗教は廃れて、他人を出し抜くのが正しい生き方になったのです。
 そのかわり、誰もが「豊か」になる権利が与えられました。
 どんなに手の届かないようなものであろうと、それはただ単に「お金」の問題として解決できるのです。
 お金さえ払えば、今までは諦めるしかなかった医療も受けれます。旅行にも行けます。寒い朝も快適になるし、どんなものでも買えるのです。
 この世界の全てのものが、自分のものになる可能性を秘めている、と言えましょう。このような価値観、考え方は、今まで中世の世界に生きていた人たちにとって、圧倒的な魅力として迫ったに違いありません。
 
 このように引き返せない楔を打ち込まれた社会は、確実に新しい社会システムへと移行します。
 農業革命の時と同じですね。産業時代の人々は、もう農業時代には戻れません。それどころか身分制度やキリスト教徒時代の人たちのことを、理解できなくなってしまっているのです。
 「身分制度と無知が支配していた、暗黒の中世」「『本当の自由』を知らない、かわいそうな貧乏人達」(ああ、また差別している!!)

 産業革命は、人々の価値観の変化を誘い、お互いを加速し合いながら社会を民主主義、経済主義へと変化させます。これが産業革命の時に起こった、パラダイム・シフトです。
 この三百年間は、常に「モノ余り・時間不足」を基準にパラダイムがつくられました。このパラダイムは、第1章でお話しした科学主義・経済主義の考え方です。
 そして、先ほどお話しした「モノ余り・時間不足」の古代と、大変よく似た特色を持っている社会だとも言えます。
 近代のパラダイムは、あらゆる点でモノをよりたくさん作りだし、よりたくさん消費することをかっこいいと感じ、時間や人手を節約し効率を上げることを正しいことだと感じる、という方向で形作られています。
 商品の規格化・画一化による大量生産。
 生産機械や輸送手段の大型化、高速化による効率化。
 人手を減らし、機械や資源によって労働を置き換える省力化。
 これらすべてがモノあまりを促し、時間不足を助ける方向性を持っています。そしてモノそのものに関心を持ち、物事を数値的・客観的にとらえる科学主義・経済主義・合理主義が他の考え方を駆逐した時代だとも言えます。この点も古代と非常によく似ていると言えますね。
 あれほど権力を持っていたキリスト教もイスラム教も仏教も、すっかり精彩を失ってしまいました。宗教は完全になくなったりはしませんでしたが、人々の生活における重要度は著しく下がりました。自ら「無神論者」を名乗る人たちも大勢現れました。
 こうして、人々はよりモノをたくさん使うためによりたくさんのモノをつくり、それで得たお金でよりたくさんのモノを買いました。
 これが近代のパラダイムです。

 

○近代人の生き甲斐

 産業革命によって、それまでの封建主義的身分制度が崩れると、世の中は自由経済競争社会となりました。
 誰もが金持ちになったり、大勢の人を雇う立場に立ったりできるようになったのです。民主主義制によって、政治家として支配階級にもなれるようになったのです。
 別に皆がいっせいに金持ちや政治家になれるわけではないのですが、チャンスと能力とやる気さえあればトライできるという事実は、それまでの「自分の人生」に対する考え方を大きく変えてしまいました。
 それはアメリカン・ドリームと呼ばれるような夢が持てる、素晴らしい事であると同時に、不安や不満や自己嫌悪も大量に生み出しました。こうあるべき自分はお望みのままなのに現実の自分はそれにまったく追いつけない、という人がほとんどなのですから。
 それでも科学が世の中を便利にし、人々の生活を豊かにし続けている間は、人々はずっと幸せでした。自分が自分の力で自分の家庭を豊かにしていると考えられたからです。そして自分の働きが、この社会の発展の一端を担っていると考えられたからです。
 自分は「神様の思し召しでこの世に生まれ、やがて神様の思し召しで天国に召されるか、地獄に落とされるのだ」と考えているのとは、なんという違いでしょう。
 中世において自分とは、自分でもどうにもならないもの、この世に何もできないちっぽけで罪深いものだったのですから。

 

○「国民教育」の正体

 さて、科学は又、人々にキリスト教の代わりに「物事を論理的に解明する」という方法論を教育しました。その効果は絶大で、しばらくの内に蒸気機関や電気の発明がなされました。
 それからは皆さんもご存知の通りです。
 蒸気機関車から電気、電話と次々と発明され、人々の生活は大きく変わりました。
 それまであらゆる事が土地中心、農業中心に組まれていたのに、都市中心、工場中心の生活へと変化したのです。人々は畑を捨て、都市に出てきて工場で働くようになりました。
 今まで家族で協力して畑仕事を行っていたのが、お父さんは工場へ働きに出かけ、お母さんは家事と育児を担当するようになりました。
 つまり「家庭」と「仕事」という考え方が生まれたのです。今まで自分達で作ったものを自分達で食べていたのが、生産と消費という2つに別れてしまいました。
 
 工場中心という発想は教育システムまで大きく変えてしまいました。
 一九世紀のイギリスの社会学者、アンドリュー・ウールは次のように述べています。
 「いったん成長期を過ぎてしまったら、農民の子でも職人の子でも、優秀な工場労働者に仕立てるのは不可能である。若者を、あらかじめ産業制度用に育てられれば、あとの仕込の手間が大幅に省ける。すなわち公共教育こそ、産業社会には不可欠である」
 これに関して、トフラーは次のように分析しています。
 「工場での労働を想定して、公共教育は基礎的な読み書き算数と歴史を少しづつ教えた。だがこれは、いわば「表のカリキュラム」である。その裏には、はるかに大切な裏のカリキュラムが隠されている。その内容は3つ。今でも産業主導の国では守られている。時間を守る事、命令に従順な事、反復作業を嫌がらない事。この3つが、流れ作業を前提とした工場労働者に求められている資質だ」
 今、私達みんなが受けてきた義務教育には、実はこんな目的があったのです。
 義務教育の目的として、もっとも大切な事は知識の修得ではなくて、集団生活を学ぶ事だ、とはよく言われる事です。
 が、「集団生活を学ぶ」と言うのは、実は工場で機械的な集団作業をこなすための練習だったのです。つまり流れ作業員養成用特別システムです。
 こうして、日曜には教会にいき、普段は家族から少しづつ農作業を教わるだけだった子供達は、全員数年もかかる流れ作業員養成講座を受ける事になりました。そしてその成果はめざましく、次々と作られる工場の優秀な工員として、彼らは続々と育っていったのです。
 

 

○近代人の苦悩

 思考法だけでなく、「自分」というものに対する考え方も、大きくかわりました。
 中世ヨーロッパでは、「自分」は神様の思し召しで生まれてきて、神様の思し召しで天に召される存在でした。神様という、いわば他人まかせのものだったのです。
 神様によって農民の子として生まれてきたのだから「なぜ農民じゃなきゃいけない?」と考えたりはしません。それよりは、農民としてちゃんと生きる事、その中でいかに一生懸命祈ったり、施しを与えたりするか、が頑張りどころ、プライドの置きどころだったのです。
 が、産業革命以後、これはまったく変わってしまいました。
 自分がどんな自分であるかは、自分自身で考えて決める、他人まかせにはしないというのが、現在の当たり前の考え方です。
 自分で決めるといっても、その時その時で好き勝手をやるというのではありません。自分はどうあるべきか、自分にとってなれそうな立派な自分とはどんな自分かを考え、それを目標に頑張るという事です。
 こういう「あるべき自分をちゃんと思い描いて頑張っている人」の事を「自我が確立している人」と呼びます。
 みんなが行くから大学へ行く、みんながなるからサラリーマンになる、ではいけないのです。
 そうではなく「人間は社会に貢献しなければいけない」という自分の考えと自分の能力を考えて、サラリーマンを選んだり医者になったり警察官になったりするべきだ、という考え方です。
 これはもちろん職業だけでなく、あるべき夫や妻の姿であったり、あるべき父親象母親象であったり、あるべき国民の姿であったりもします。
 産業革命以降、ヨーロッパやアメリカでは、特にこういう「自我の確立」が何よりも大切だとされました。
 「神様が、決めたとおりに生きる」という枷が無くなったぶん、一人一人が自発的に立派であってもらう以外、社会秩序を保つ方法は一つも無いのですから、当然の事でしょう。
 しかしそれは又、とんでもなく難しく、面倒くさいことだったのです。
 この結果、現代の我々は社会ストレスや、精神病、神経衰弱といった「近代人の勲章」を持つことになってしまいました。
 だって、自分が貧乏な理由、物事がうまく行かない理由、人から尊敬してもらえない理由まで、全部自分のせいなのですから。
 みんなが豊かさを目指せる社会、とはもう一つの意味を含んでいます。豊かでない自分は負け犬である、という事です。

 

○マルチメディア中世

 ところがこの近代の高度成長にもかげりが見え始めました。そのきっかけは、なんといってもオイルショックが挙げられるでしょう。
 それまで成長すること、発展することはすばらしいと信じ、努力さえすれば無限に発展していけると考えていた人々にとって「石油がもうすぐなくなる!」という認識は、本当に「ショック」でした。二度のオイルショックをきっかけに世界の経済成長は頭打ちとなりました。
 アメリカでは双子の悪魔を抱えての長い不況、日本ではジャパン・バッシングとバブル崩壊。今や経済成長速度はどんどんゆっくりになり、徐々にゼロ成長時代を迎えつつあります。
 別に石油が枯渇してモノがつくれないためではありません。資源というのは使えばいつかなくなるものなんだ、と認識し始めたためです。
 モノを使えば環境を破壊することにつながるのだと考え始めたためでもあります。
 「私たちは宇宙船地球号の乗組員なのだ」というフレーズに代表される、こういった有限感は近代社会の「モノ余り・時間不足」のパラダイムと本質的に対立します。
 このために今や近代工業化社会のパラダイムはゆっくりとシフトしつつあるのです。そこで基本になるのは「モノ不足・時間余り」の思想であることに間違いありません。物欲や金に惑わされるのをみっともないと感じる。モノに関心を示さないのを立派と感じる。精神世界を大切にし、科学よりも抽象的芸術を愛する。こういった中世とよく似たパラダイムを持つ新しい時代を私たちは迎えつつあります。

 それはデジタル技術によって到来する「マルチメディア中世」とでも呼ぶべき新しい世界です。
 トフラーは、今訪れつつある「電子技術による価値観変化」を「第三の波」と名付けました。
 経済学者のP・ドラッカーは「ポスト資本主義社会は「知識社会」である」と予言しました。
 思想家のベルジャーエフは「現代の合理主義から非合理主義へ、更に言うならば中世的タイプの超合理主義への経過」として「新しい中世」と呼びました。
 作家の山口泉は、これからの時代をその著書『新しい中世がやってきた』の中で「資本主義的中世」と名付け、このように宣言しています。
 「いま始まったこの一大潮流においては、これまでのそれとは根本的に次元を異にした、全く新しい政治制度と社会構造、新しい「産業」と「資本」の論理、「労働」と「生産」の概念、そして―新しい価値体系、新しい倫理と信仰とが、明らかに要求され……しかもそれは着々と準備されつつあります」

 「マルチメディア中世」とは、双方向に開かれたデジタル・ネットワークの成立によって始まる世界です。その世界では、人々は自己実現・自己発表のためにめまぐるしく動きながらも現実の世界ではモノを消費せず、あまり動いたりして資源の消費をしないようにつとめます。この新しい世界については、もう少し後で更に説明しましょう。

 

○人類の「悩み相談所」

 このように農業革命・産業革命によって、人々の生活とその価値観は互いにフィードバックしながら大きく変わりました。
 社会の変化や価値観の変化は、一般の人々にとっての悩みや心の拠り所も変えていきます。
 少し大げさな言い方になりますが、その時代を生きている人たちにとって、誰に悩みを託すのか、というのは、パラダイムを読み説くキーワードだと思います。
 狩猟時代の悩みは、今日食べるものです。
 もう幾日も移動しているのに食べるものに出会えない時、どっちにいったらいいのか、頼るのはまじない師しかいません。
 封建時代の悩みは、病気や病死です。
 家族が病気で死にかけているとき、来てもらうのは神父様でした。
 科学時代の悩みは貧しさです。
 もっと豊かな生活をするため、科学者の発明や意見をどんどん取り入れました。しかし先ほど説明した、「全部、自分の責任」という重い悩みは解決されません。
 そして、第一章で述べたように豊かになり、科学者のいう事など誰も聞かなくなった現在、みんなの悩みは「誰も自分をわかってくれない」という感じでしょうか。

 この悩みを聞いてくれるのは、科学から生まれたマスメディアです。
 みんな、「勇気を出して」というロック系の歌手に励まされたり、みのもんたに叱られたり、ワイドショーのコメンテイターにうなづいたりしています。
 なんか全然、中世の人たちを笑えませんね。「神父様」が「みのもんた」になっただけなのですから。
 しかしそれも、今ではマスコミやマスメディアの裏側が見えてきて、頼りがいが減ってきた、というのはみんな勘づいています。

 

○新しいパラダイム

 それでは新しくやってくる「マルチメディア中世」とは具体的にどんな社会で、どんなパラダイムを持つのでしょうか。この点に関してもう少し考えてみたいと思います。
 
 今起こりつつある新しいパラダイムは「モノ不足」、つまり「資源・土地・環境に対する有限感」から成り立っています。いかにモノを使わないか、いかにモノをつくらないか、が重要な社会とも言えます。
 そこでは土日も働くお父さんは、みっともなく見えてしまいます。
 働きすぎることは資源を浪費し、環境を破壊する悪徳なのです。ただお金を儲けるため働きまくるのは、自分を大切にしない、恥ずかしいことです。自分たちがお父さんたちと同じ社会に入って、企業戦士として働かされるなんて、とんでもないことですね。

 だから若者たちはアーティストやプログラマーや研究家といった、資源をほとんど浪費しない職業に就きたがります。が、残念ながらそういった専門職の知識は高校でも大学でも教えてくれません。しかたなく専門学校に入りなおしたり、フリーターをしながら独学したりします。
 そんな彼らをお父さんたちは「いつまでも大人になれないモラトリアム族」と怒ります。
 本当にそうでしょうか?ひょっとしたら彼らは「別の形の大人」になろうとしているだけ、とはいえないでしょうか。
 少しくらい貧乏でもいい。
 将来の保証がなくても構わない。
 最低限食べるだけのお金があればよしとして、たくさんお金をもらうために意に添わない仕事に就くことを潔しとしないのです。

 こうして「モノ不足」の社会では、必然的に「時間余り」現象が生まれます。
 フリーターや学生である彼らにとって、時間はたくさんあります。その時間をいかにうまく使うかが、彼らの重要な課題になります。
 この前までは時間の余った学生はバイトをするか、遊ぶかだけでした。
 つまりモノをつくるかモノを使うかだけだったのです。
 が、今の学生は違います。彼らは自分を豊かにすることに時間を使いたいといいます。自分を見つめ、自分を清めるために祈った中世の人たちと大変似ている発想です。
 といっても「もう一度暗黒の中世がやってきて、キリスト教が、あるいは新興宗教が世界を支配するのだ」というつもりは毛頭ありません。(なんかこの頃、そういう雰囲気ですけど)確かに中世と現代とでは「モノ不足・時間余り」という点では共通しています。が、決定的に違う点が三つあります。
 まず最初に「情報余り」
 次に「自分」の捉え方。
 最後に「教育」です。
 順を追って説明しましょう。
 

 

○「資源不足・情報余り」の時代

 中世と現代の一番の違いは、「情報余り」という点です。
 トフラーが「第三の波とは情報革命である」といったように、現代は情報であふれています。特に資源をほとんど使わない「電子情報」は、今後もどんどん増え続けるはずです。これが今の価値観変化を加速させています。
 「たくさんあるモノをパーッと使う美意識」は「情報をたくさん使うこと」を格好いいと感じさせることになります。しかも「モノ不足」の時代ですから、どうしてもその関心は抽象的な方向に向かいます。
 つまりこれからの情報は、科学的な分野や経済的な分野が中心ではあり得ません。言い換えれば「世界情勢や株価の動きが瞬時に、しかも正確に把握できること」が情報革命の本質ではないのです。いわゆる「マルチメディア時代・高度情報化時代」の予測を、私がヨタ話だというのは、これが原因です。
 もっと抽象的で総合的な芸術の分野において、その情報は使われるはずです。
 今でもその前兆はそこここにあります。
 例えばパソコンゲームやファミコンゲーム。
 1本のゲームには、莫大なデータが入っています。そのため1本のゲームをつくるのに、たくさんの時間がかかります。ゲームをする方も、他の娯楽に比べて圧倒的に時間がかかります。
 その割に、小さなカセットやディスクに入っているため資源を使わず、輸送のエネルギーも小さくてすみます。将来は電子情報のみを送れるというのですから、資源の浪費は無限にゼロに近づくわけです。
 つまり「モノ不足・時間余り・情報余り」の現代に、ぴったりの商品なのです。ゲームソフトの爆発的なヒットも、当然の流れだと考えられますね。
 また、CGを駆使した映画やアニメーション。
 これも今までの映画に比べて、圧倒的に手間と情報が入っています。
 それにCGを駆使することで、現実ではあり得ない現象や世界を描くことができるわけです。モノそのものに関心を持たず、精神世界や抽象的事象に興味がいく現代において、CGは大変有効な道具なのです。
 あるいはディズニーランド。
 他の遊園地とは比較にならない「情報量の多い遊園地」です。
 メインストリート一つとっても、時代設定、ストーリー設定、装飾等に施された心理学的効果など、他の遊園地に比べて圧倒的に情報量が多いのです。
 こう考えると、現代の若者がミュージシャンやプログラマーや映画監督になりたがるのも頷けると思います。ドラクエをつくったエニックスやディズニーランドに就職希望者が殺到するのも当然ですね。(情報のあふれる社会に関しては四章でも詳しく書きたいと思います)

 

○唯一無二の自分

 中世と現代との違いの二つ目は、「自分」というものに対する考え方です。
 中世において「私」とは神様の思し召しで生まれてきた存在でした。農奴に生まれてきたとしても、それを神様の思し召しとしてありがたく受け入れるか、試練としてがんばるか、しかありません。不信心者ですら神様に愚痴を言うことくらいしかできませんでした。
 が、現代は違います。
 現代の若者は、自分の事を「唯一無二の自分」と考えています。
 「自分にとって自分は何ものにも代えがたい、大切な存在」なのです。と同時に「自分にとってのみ、自分が何ものにも代えがたい存在」であって「他人にとっては大勢の中の一人」でしかないことも知っています。だからこそ「自分らしさ」を大切にすることと、「自分の気持ちを大切にすること」が何にもまして重要だと考えるのです。
 このような考えは、近代の特徴である「自我の確立」や「人間は皆、平等である」といった考え方を大きく反映しています。ややこしい話ですので、もう少し説明しましょう。

 すでにお話ししたように、近代において初めて農奴や王様といった身分に関係なく、人間は皆平等であるという考え方が普及しました。それまで農奴と市民は、人間と馬以上に違う存在だったのです。それが、人間という同じ種であり「法の下の平等」という言葉で、同等に扱われるようになりました。
 同時に「自我の確立」、つまり「あるべき自分の姿」を持つように求められました。神様が「こう生きろ」と言ってくれなくなったので、自分自身で生き方を決めなければいけなくなった。だから「私はこう生きよう」というイメージが必要になったわけですね。
 「みんなと同じ人間」の私は、だからこそ自分自身で生き方を決めなくちゃいけない。それがみんなとの違いであり、生きてきた意味なんだ。
 結構、堅苦しい考え方です。当然、ノイローゼになる人も大勢、出ました。これが「近代的自我の呪い」という奴です。このプレッシャーを背負って、みんな生きている。「近代人はつらいよ」って溜息混じりに言いたくもなりますね。
 で、この自分に対する考え方が「モノ不足」の現代にきて精神世界へと移行され、プレッシャーから解放される方向へ向かいました。。

 「人間は皆同じである」という客観的な考え方は「自分は他の人にとって大勢の中の一人にすぎない。でもいいや」という主観的な認識に転換されました。つまり、あきらめたわけです。
 「あるべき自分の姿を確立する」という現実的な考え方は「自分の気持ちを大切にする」「自分らしさを大切にする」という精神的内面的な問題になりました。つまり、逃げたとも言えます。
 けっして「あきらめた」「逃げた」を否定的な側面のみで捉えないように。だいたい、元々の「近代的自我」に無理があったんですから。人間、体や心を悪くしてまで守らなければならない理念なんて、長続きするはずありません。

 こういった変化は、以下のような社会現象として観察されます。
 「唯一無二の自分」を大切にするという点で、最先端にいる若者たちの多くはアマチュア活動のような「非営利活動」に対して熱心です。非営利活動といってもいわゆるボランティア活動とは違います。漫画を描いて同人誌をつくったり、UFOやオカルトの研究をしたり、モデルガンを集めたり分類したり……と内容は千差万別です。
 が、アマチュア活動にはいくつかの共通点があります。
 まず一つ目は、これらのアマチュア活動はボランティア活動と同様に、お金儲けを度外視している点です。例えば同人誌を販売するときも、自分たちの原稿料や編集料はゼロと考え、印刷費を取り返せる程度の価格設定にするのが平均的アマチュアグループです。ドラッカーは『非営利組織の経営』で、このような組織が未来企業として主流になる、と予言しています。
 二つ目として、これらの活動は相手にとっても何の腹の足しにもならない、という点です。ここがボランティア活動と全く違う点です。「モノ不足」の現代は創作や研究も、どうしても内面世界に向いてしまうからです。
 三つ目として、彼らの活動の一番の動機が自分の「好き」とか「おもしろい」という気持ちを大切にしたいから、という点です。彼らは自分の気持ちを大切にするためにつくったり売ったりします。つまり、自分の好きという気持ちを再確認するために描いたりつくったりし、その気持ちに同調してくれる人の存在を確認するために売るのです。お金をもうけるためでも有名になるためでもありません。こういったアマチュア活動は今後ますます盛んになるでしょう。

 

○求められる「生涯教育産業」

 中世と現代の違いの三つ目に、「教育」があげられます。これも近代においてつくられた「義務教育制度」が大きく影響しています。
 同じ「モノ余り・時間不足」でも、古代には教育というシステムも考え方もありませんでした。もちろん中世にもありません。教会の日曜学校は教育というよりはやはり宗教活動です。
 それが、第二章でも説明したように近代になってから工業社会を支えるために義務教育システムが作られました。これにより企業は良質のブルーカラーを大量に、しかも定期的に獲得することができるようになりました。
 また、一般の人々にとっては身分に関係なく、都会人になるパスポートを手に入れることができるようになったのです。しかも成績の良い者は身分に関係なく、より高い教育を受けられます。ホワイトカラーになる権利さえ、手に入れることができるようになったのです。

 このように工業化社会の「教育」は常に、大人になってから参加する経済競争の前哨戦、という位置づけでとらえられていました。それが「モノ不足」の現代、大きく変質し始めています。
 「モノ不足」の認識によって労働や生産という活動の重要性が、どんどん小さくなってきています。当然ブルーカラーになりたい人、ホワイトカラーになりたい人の数が激減してきています。が、教育システムは近代のままなのです。
 当然、これにより様々な齟齬が生じ始めています。登校拒否やいじめの問題もその一端なのかもしれません。
 一番の問題は、教育の目的を、誰も胸を張って言えなくなったことでしょうか。「ちゃんと学校を卒業すればあこがれの都会で働ける。まじめに勉強しなければ田舎で百姓だぞ」と言われれば、近代の若者ならみんな、いやいやでも学校に行きました。が現代は違います。
 そんなウソは、バレバレなのです。ちゃんと学校に行っても、後で何もいいことがないことをみんな、知っています。今、学校へ行ってる人の動機は、「みんなが行ってるから」しかありえません。その「みんなと同じ事をする」という近代最後の価値観さえも、マスメディアへの不信によって崩れつつあります。

 また、学校で教えてくれるのは「科学」です。
 科学的思考や合理的な考え方、というやつですね。文学も歴史も、合理的な解釈で分析法を教えてくれますし、勿論音楽や美術と言った芸術も教えてくれます。教え方すらも「効果的カリキュラムと、成果を調査する試験」といった科学丸出しのやり方です。
 しかし現代は、モノ不足でモノそのものに関心が行かず、科学よりも精神世界や抽象的な総合芸術に興味がいく世界です。これら、「産業社会用カリキュラム」は、すっかり的外れになってしまいました。
 だからこそ高校や大学を卒業してから、またアニメーションスクールやデザイン学校といった芸術系の専門学校に入り直す人が、大勢出てしまうのです。

 こういった人たちは皆「勉強したい」といいます。けれどその「勉強」は就職に有利になるからではありません。今や英会話やワープロといった実社会で役に立つカルチャースクールの人気はガタ落ちです。それよりもタイ語やウクレレ、「懐かし玩具」「美術史」といった本当に何の役にも立たない分野(関係者の方々、すいません。つまり「メシの種にならない」という事が言いたかったのです)の人気が急増しています。

 働かない奴らの暇つぶし、というわけではありません。彼らは「就職しても勉強は続けたい」と真剣に考えているのです。勉強を続けるために、時間にゆとりのある仕事を選びたいとさえ思っています。現に、先程述べた「役に立たないカルチャースクール」のお客は殆どが社会人です。
 彼らは「おもしろそう」「楽しそう」という自分の気持ちを大切に、勉強する分野を選びます。が、別に一つの分野をずっと学んで一流になりたいと考えているわけでもありません。タイ語を学んだからといってタイと取引のある商社に就職したり、タイ語の先生になったりするのはちょっと違うな、と考えています。
 そんなことで就職してしまって、他の勉強ができなくなったのでは元も子もないからです。
 彼らの目的は「自分を豊かにする」ことです。
 こんなことをおもしろいと感じる、あんなこともまた違う風におもしろいと感じる、そんな自分を育て、実感するためとも言えるでしょう。


 次世代の世界は、基本的には「マルチメディア中世」と言えます。しかし実際の中世とはいくつかの違いがあります。実際の中世と現代の違いは、大まかに言って以下の三点です。
 一つ目は「情報余り現象」。それを消費するためのデジタル・ネットワークの発展が予測されます。しかしその目的・使用法は、現在考えられているどれとも違ったものになるでしょう。
 二つ目は「唯一無二の自分」という自己認識。つまり「自分の感覚・趣味性を最大の価値とする」という事ですね。
 そして三つ目は「一生、お勉強」という気持ちです。この「唯一無二の自分」と「一生、お勉強」が合体して、アマチュア活動やカルチャースクール活動はどんどん盛んになるでしょう。これら二つの活動は、お金をもらって売るか、お金を払って学ぶかというだけで、目的は大変似通っています。
 「モノ不足」の現代、お金の意味はどんどん曖昧になっていきます。アマチュア活動とカルチャースクール活動の境もどんどん曖昧になっていくことでしょう。やがてこういった「生涯教育活動」「非営利組織の運営」は、現在の企業活動以上の重要性を持ってくる事になるでしょう。

 


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