『マジメな話』1998年4月11日版 ン1998.Toshio Okada
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小林よしのり 

思想なき時代の『ゴーマニズム宣言』


●宮台真司はオタクだ

岡田 今回の「ゴーマニズム宣言」、敵は宮台真司さんでしたね(笑)。

小林 いつか書いてやんなきゃしょうがないと思ってたんだよな。よっぽどわしに惚れあげとるみたいで、『終わりなき日常』の本にも、わしの名前を麻原彰晃と並べて出してたし、書くものにしょっちゅうわしのことが出てくる。それを見ると、わしがテレビに出てしゃべったこともいちいちチェックしているんだよなあ。

岡田 宮台さんってテレビが好きなんですよね。以前、大阪の大学であったシンポジウムで一緒になって、その帰りの飛行機で、ずっとアニメの話をしてました。僕ね、"オタク仲間"という線を引いて、その人のオタク度合いで自分との距離を測るんです(笑)。だから宮台さんの場合は「よし、宮台、おまえ、オターク!」という(笑)。僕はOKなんです(笑)。

小林 でもあんまりオタクってとこ、出さないよね。

岡田 出さないですね。まあ宮台さんは、ビジュアル的にも気をつかっていますよね。そこはちょっといけません。いけませんっていうのは単なるヒガミですが(笑)。

 

●従軍慰安婦問題に勝ち目はあるか

岡田 今アメリカではメディア・リテラシー教育というのが叫ばれているんです。これは簡単に言うと、メディアを信用するなという教育なんですよ。向こうでは規制が撤廃されて出版と放送を同じところがやれるようになったために、マスコミは産業として強化された半面、言論を好き勝手に操る力も強化されてしまった。では、国民の方もメディアに対して強化しようと。メディアの言うことを簡単に信用しないで、記事の裏にある背景を読んだり、テレビのフレームの外で何があったのかを常に考えさせる教育っていうのをやっている。

 で、僕から見たら、今小林さんが戦っていらっしゃる戦場というのは、どうも従軍慰安婦ではないと思うんですよ。今回はたまたま従軍慰安婦問題ですけど、そのバックにはメディア・リテラシーという意識があるのではないかと思うんですけど。

小林 ああ、かなり正確なんじゃないかな。今やってるのも、大新聞によってずっと報道されて世間に通ってしまっていることを疑わせるということだし。テレビだって「朝まで生テレビ」の舞台裏なんかは皆知らされていなかったわけだしね。報道されているものをそのまま信じないような体質を皆が作ってくれれば、もうそれでいいって気持ちはあるけどね。

岡田 極端な話、今回の従軍慰安婦問題は、負けはどのへんまで考えていらっしゃいますか?(笑)勝利条件はわかりやすい。日本人全員が強制連行はなかったと考えるという。でも、負けでも「いい負け」と「悪い負け」がありますよね。こんな形でだったら負けてもいいやというのは?

小林 負けでもいい負けねぇ……。そうだなあ、政府とか文部大臣あたりは今の方針を曲げないままだけど、一般の人たちの多くはもうしっかりと疑ってしまって、ずいぶんと根を張ってしまうということかな。そこからあとは、彼らが常識として広げていくと思うんだよ。今、当時の慰安婦というものが強制連行ではないことは、知的に体力のついた人間にかなり広がっているから、今後彼らが慰安婦・性奴隷という言説を塗り変えるくらいの力は持っていると思っているけどね。

岡田 勝ち負けというより、自分でものごとをきちんと判断するようなやつが世の中に育てばそれが本望。

小林 まあ、原則それだよね。

岡田 では彼らが、例えば小林さんや西尾幹二さんが書かれているものを読んだうえで「やっぱり強制連行はあったし、日本は謝ったほうがいいや」と判断して、これからも土下座だとするのはOKなんですか?

小林 「こりゃあったわ」って判断したら、わしのところに説得できる論拠を持ってくるはずだよ。今はどうしても説得されないから、わしはどんどん攻めっぱなしになっているわけで。

岡田 じつは、この対談場所に来る寸前まで、従軍慰安婦問題についてオレはどっちだろうと考えていたんですよ。でも、二人で笑っている写真が誌面に載る限りは、たぶんオレは小林さん側だと見られるんですよ。もう、これはどうしようもない(笑)。

小林 そうなんだ。

岡田 それは、小林さんとメディアとの対立が従軍慰安婦ではなくて、メディアという巨大な宗教に入っているか入っていないかという宗教裁判になっているからです。僕としては、それに巻き込まれたくねえなっていうのが正直あるんですよ。というのは、僕はそのメディア宗教の中で商売をしているわけで。宗教の教会の縁日でものを売っているわけですよ。小林さんもこの間までその縁日でものを売っていて「薬害エイズ、コワイよ、コワイよ。あれ、悪いよ、悪いよ」ってやっていたのに、今回はそのメディアのシステムをぶっ壊す方向にいっているわけですよね。

小林 なるほど。だけどなんていうのかな、わしはどうしても、将来的にはこっちが主流

になるという確信が、メディアそのものがこっちに追随してくる確信がある。

岡田 けっこう勝ち目あり?

小林 もう、絶対に勝つと思ってる。今度出した『新ゴーマニズム宣言』の第三巻がさっそく売れていてね。それを見たマスコミの若い人なんかから、反響がどんどんきている。「こんなにわかりやすくて説得力のあるものはなかった」って。だから、吉見義明をはじめとする謝罪派の学者たちとの論争でも、もう確実に勝てるという自信があるんだよね。

岡田 この状況で勝ったら気持ちいいでしょうね。

小林 ああ、そりゃもう間違いなく勝てると思う。あの三巻を見たら謝罪派は完全に青ざめると思うよ。しかもこっちにはまだ手があって、だいたい二ヵ月おきに次の手を打っていくから。間違いなく勝てるよね。 

 

●優等生の論理が通用しなくなってきた

小林 その三巻の後書きにも書いたんだけど、論議しているものに忠実に耳を貸せば、勝てると思うんだけど、それを「おかわいそうに」という感情が阻むんだよね。テレビで韓国のおばあさんが泣いているのを見て、その姿をかわいそうだと思う同情心にはどうしても逆らえない。でも、本当の情の論理で言えば、それが自分の知り合いとかおじいちゃんや親戚という血のつながっている人たちだからかわいそうとなるはずでしょ。それなのに、テレビを通してかわいそうって言うわけじゃない。テレビがなかったら、かわいそうだと思いようがないわけだからね。たとえばブラジルのストリート・チルドレンとか、あるいはアフリカあたりで女性の陰核を切り落としてしまうという情報だってテレビを通して流れてくるおかわいそうな情報に変わりはない。「うわ、かわいそうだ、うわ、無残だ、うわ、人権が侵害されている、なんとか協力して助けなきゃ」っていっぺんに共感していくけれども、自分の身近にそういう被害者がおるから、どうしても助けねばという話とは違う。

岡田 そうですよね。

小林 結局メディアを通して湧き上がってきた人権宗教の「おかわいそうに」の論理なわけだ。テレビと新聞が一番大きな力を持って、みんなを洗脳してしまった。そのメディアの虚構を、どうわからせるかなんだよね。

 わしらの論理は、例えれば不良の論理なんよね。向こう側は「これだけかわいそうな方たちがいますね、謝りましょう」って優等生のきれいごとをいつも言っている。それを延々繰り返しすぎて、時代的に限界にきていると思うわけ。「戦争はとにかく悪かった。戦争にまつわる残酷なことはいっぱいあった。気の毒なことも色々ありすぎた。いちいち謝りましょう」と、クラスの一番優等生の部分が一生懸命率先して言ってて、これまでは五十人のクラスのうち四十人が優等生側で「謝りましょう」だった。こっちの不良側は十人もいなくて、密かに教室の隅で「あのバカ野郎、なにが従軍慰安婦だよ、なにが南京大虐殺だよな」とかコッソリ言っていて、万が一本気になって「なにが南京大虐殺三十万人だよ」なんて言おうものなら、四十人がドワーッとくるもんだからとてもじゃないけど言えなかった。でも今はそうじゃなくなってきているわけよ。教室の中央に向かって言うやつが、どんどん増えてきている。

岡田 その一番面白い段階って、こちらが十五人、相手が三十五人ぐらいですよね。

小林 そうだね。いまそのへんまできてるよ。

岡田 僕もそう思います。そこから二十五を超えて三十以上になると、そろそろ小林さんも面白くなくなってきますよね。

小林 もう過半数越えたら、そのあとは勢いづいちゃうから。わしの仕事はそこまで。

岡田 いいとこだけ持っていきますね(笑)。

小林 あとはたぶん反動がつくだろうから、とにかくそこまで覆していくところが醍醐味なわけでね。

岡田 それでガーッと勢いがつくと、「まったく悪くなかったんだ」と言うやつが出てきて、これはこれで困っちゃうわけですよね。

小林 そうしたら、またその時の少数派につけばいいんじゃないのかな(笑)。

 

●謝罪は日本にとって得か損か

岡田 僕の場合、肉親を考えても全然接点がないし、大阪育ちで近所に韓国人も住んでいたけど、近いからかえってリアリティがない。だから極めてどっちでもいいという考え方なんですよ。前に小林さんが「国際貢献をするのでも兵隊を出すのでもなんでもいいから、どんな損得があるのか教えてくれ」と書いておられましたが、その感覚にとても近いんですよね。謝ってもいい。その逆に、謝れと言ってるやつを、一人残らず拉致して潰して回ってもいいんです。国益という言い方はおかしいかもしれないけれど、僕らにとって一番得になることってなんだろうと考えてしまうんですよ。

 ただその場合の「僕ら」という線が、僕と小林さんとは違うと思うんです。小林さんはたぶん「日本人」というところで線を引いていらっしゃって、僕は「オタク」で引いているんですよ。

小林 「オタク」で引けますか。

岡田 僕にしてみれば、アメリカのオタクと僕とは同じ国民なんだけれども、同じ日本人でも僕と国籍が違う人がいっぱいいるような感触なんですね。 

小林 ちょっと待ってよ。わし自身の中では、日本人というところで線を引いているわけでもないみたいな気がする。つまり、こういうことなんだと思う。国益というところで謝ったほうがいいというのは、今まででいえばそれは儲けだよね。アジアの市場を拡大して、もっと儲けたいからという。

岡田 それが今までの国益ですよね。

小林 ところが、例えば最近金属バットで自分の子供をぶん殴って殺しちゃったっていう親父の裁判があったんだけど、その親父は子供が家庭内暴力をふるうようになって、精神科のカウンセラーに聞きに行ったら、子供にはとにかく一切逆らうなとカウンセリングされたわけ。それで親父は、自分の息子にまったく逆らわなくなって、しまいには自分が寝るときに息子に三つ指ついて「寝てもよろしいでしょうか」と挨拶しにいくようになってしまった。すると子供は、もっと暴れ出す。わしはそれを聞いたら、ほんと、その子供かわいそうだなと思ってしまうわけよ。だってそこまで尊厳のない自分の親父を見たら、もうつくづく嫌になって、どこまでやれば一体この親父はこういう、なんていうか尊厳のなさみたいなものを改めてくれるのか、どうやったらこいつのどうしようもない根性が直って、親父としての誇りを持ってくれるんだろうかと、子供はずっと思っていたと思うんよね。その子供の感覚が、いまの社会にもそろそろ出てきていると思うわけ。

 要するに、儲けのためだったら頭なんか下げてしまえという、大人の尊厳のなさですよ。それに、果して人々が満足しているかやね。わし自身はイラついているし、若い人たちも同じくらいイラついているから、同調する人がたくさんいるんだと思う。「日本人」にとって一番得になることって言うより、損得超えて「尊厳」のないやつにはイラつくってことだけにすぎない。まあ、「尊厳」があれば、日本の国益に結びつくって考えてもいいけど。

岡田 僕自身は、その国益を経済的利益とはあまり考えてないんですよ。自分の言葉で言うと、洗脳的利益なんです。自分の言葉なのでちょっと崩しにくいんですけれども、要するにどれぐらい日本がカッコいいかのほうが重要であるということなんです。日本人の本質というのは、日本の文化や風習や人々の振る舞いにあるわけですから、よその国が日本を真似たり、日本文化をコピーするようになることが重要であると。いかにして日本的なものを増やすかという戦いに私たちは参加している。これが僕の考えなんですよ。

小林 なるほど。それはすごくわかるな。つまりわしの言葉では「尊厳」というカッコよさなんだよ。

岡田 僕は"オタク"の国益のために尽くしているので、いかに世の中の人がオタクになるか、オタクの振る舞いを真似するかという戦いをしているんです。きわめて分の悪い戦いですけれど(笑)。

小林 前にテレビで、オタク文化というものがアメリカに勝てるんじゃないかと言ってたじゃない。わし、あれにすごく感動したんよ。

岡田 あれは勝ち目があると思ってるんです。逆に言えば世界中に氾濫しているポップ・カルチャーとか、英語で書いてあるのがカッコいいという感覚がありますよね。あれは結局記号にすぎないんだから、俺たちのほうに変えることも可能だろうと思うんです。変えたら相当グロテスクだろうけど、今のグロテスクさとそんなに変わらないなら、俺の国民が豊かなほうがいい(笑)。

小林 なるほど。オタク文化でむしろ侵略してやろうみたいな、オタクナショナリズムね。その感覚はすごいね。それができるなら、オタク文化も確かにすごいかもしれないな。

 

●美学という戦場

岡田 そこで、今の問題としては、日本という国はこれ以上金稼いでもカッコよく見えないと。じゃあもっとカッコよく見せて他の国が日本を真似るにはどうすればいいかという戦場で、「今度は一回突っ張ってみるという戦略もありだ」という意見と、「まだ謝るほうがカッコいい」という意見があるんだったら、僕は納得するんですよ。つまり、より日本をカッコよく見せるという共通の利益を目指して、手法の違いで戦っているわけですから。ところが今は、正しいか正しくないかで議論が進みがちじゃないですか。証拠がどうしたとかこうしたとか。でも、証拠なんて後で捏造すりゃいいわけですし(笑)。どちらのほうがカッコいいか、僕ならそのポイントを優先すると思うんですよ。

小林 カッコいいかっていうのは、わしもすごい価値観だと思う。例えばペルーのフジモリ大統領が、の日本大使館に武力突入したじゃない。わしはやっぱり、あのほうがカッコいいと思うわけよ。

岡田 そうですね。あれは、日本、すげえカッコ悪かったですね。

小林 あれがカッコいいという感覚ですら、最近やっと広がった風潮の中で思っているわけで、ちょっと前までは福田(元総理)が赤軍派を逃がしちゃったときのように「人命は地球より重い」と言っていたほうがカッコよかったんよね。そういう時代がずっと続いていたんだけれど、「もう世界中からカッコ悪いと言われてるじゃねえかよ」と言う連中がどんどん出てきて争いを始めた。でもそこへ大新聞やテレビが「いや違う」と。正々堂々と謝ることがカッコいいという言説を布教しているんだもん。しかもそれを言うために事実を歪めることまでするわけ。そこを「お前らは事実を歪めている。事実を歪めてまで謝ったほうがカッコいいと言っているのがお前らだ」ということを証明するためには、その事実も出していくしかない。証明するしかないから。

岡田 極論ですけど、それに対抗してわしらも事実を歪めてでも謝らんという姿勢を、まず作っちゃう。

小林 それを言ったら、イデオロギー重視だから悪人にされるな。まずどこのメディアにも出してもらえない状態に(笑)。だって朝日新聞をはじめとする日本のメディアの方が、実はイデオロギー重視というのが実体なんだから。『ゴーマニズム宣言』の中でも、実はそこまで言い切ったことはあるんよ。「自分の祖父の代を守るためには、自分は悪人にだってなる」と。でもそこまで言うと、いわゆる右翼の人たちの論説とほとんど変わりないんだよね。わかって言ってんだもん、こっちは。

岡田 でも「新しい教科書をつくる会」の中で、「カッコいい論」のところにいるのって、小林さんだけのような気がするな。他の人はみんな「正しい論」のところにいるように思える。

小林 ああ、正しい論ね。『正論』って雑誌あるもんね。

岡田 オレはここに西部邁さんがいても、うなずくとはとても思えないんですよ。

小林 ほお、そうなのかねぇ。まぁ、謝罪側なんてもっとカッコ悪いやつらしかいないんじゃないかなって感じがするけど。

岡田 あまり話を「カッコいいか、どうか」でまとめられたら、困りますか?

小林 いや、それは全然構わないんだけれども、何て言うのか、それは確かにうなずけるよ。カッコいいカッコ悪いという感覚を持ち込んだり、そこで解釈した人は今までいなかったから。向こう側が言っている、ペコペコと誠実に謝ろうというのは、カッコ悪い。ダサイよ。だいたい、事実によって謝ろうというような言い方も、わしにはカッコいいと思えんわけよ。事実、ファクトが大事だと。それによって謝るから、しっかり調査しようじゃないかっていう言い方。

岡田 僕は、事実はあまり重要視していないんですよ。どちらかというと、カッコいい男のモデルケースを提示できないことが、今の言論状況の混乱を招いているのではないのかなと。つまり、どういう責任の取り方をするか。例えば、ある疑いをかけられただけで恥だと感じて切腹するっていう考え方も昔はあって、これも一つの美学ですよね。

小林 三島はいいけど、伊丹はね。

岡田 そういう美学の上にたって、「日本はこれで経済的に破算してもいいから、民族的な切腹をするために謝るんだ。それによって日本は、このような信頼を得ることができるんだ」と謝罪派が言ったら、僕はそれはOKなんですよ。でも、そこまでの覚悟もないようだし。

小林 そうだね。「金が政府が出す、オラ出さない」って思ってるもん。

岡田 逆に「新しい教科書をつくる会」の方々は、「俺たちはちょっと頑固な古いタイプの男というものの復権を目指しているんだから、いちいち全部に謝ってられない。通すところは通して、ダメだったときは叩かれても構わない」とか。たぶん、新しい教科書を作ることで、近隣諸国と衝突が起こると思うんです。東南アジアとかに進出している企業にしてみたら、小林さんたちがやっている活動というのは、すごく耳の痛い活動ですよね。ごまかしながらなんとかうまくやってきた関係に、もう一回火をつけられてしまって。日本はあの論をベースにして、再軍備するのではないかと思われる。小林さんたちはそのつもりがなくても、彼らにとってはその可能性はあるだろうし。最終的に小林さんの話を聞いて育った世代が、オウムみたいに変になってしまって、日本が再軍備する可能性もありでいいじゃんかって言い出すかもしれない。でも「たとえそうなっても謝らないぞ」と。これも美しい覚悟だと思うんですよ。こういうふうに両者とも最悪のモデルケースを出して判断してくれって言ったら、僕はすごくわかりやすくていいなと思うんですよ。

 

●キャラクターの勝負

小林 本当はわしにはわしなりの恐ろしい企みがあるんだけど、それは全部言えない、この段階では(笑)。それを言ってしまうことは、誠実じゃないんよ。ストーリーには引きがいるから。

 ただ少なくとも、「正しい」という用語をどれだけ使っても、謝罪派の悪人の底ぐらいはしれてると思ってる。むしろわしは、例えば西尾幹二とか藤岡信勝とか、かなり癖のある人間がこちらにいるわけじゃない。謝罪派側に並んでいる人材を見ると、こっちにいるメンバーのほうがはるかに狂気を秘めていると思うてるよ。だいたい漫画のキャラクターにしようとすれば、はっきりわかるよ。謝罪派側のキャラクターをどんなに並べたって、東大通とか、おぼっちゃまくんとか、そういうキャラクターにならないもん。あれは立たないよ、キャラクターとして。でも、こっちは西尾幹二にしたって誰にしたって、似顔絵を描いて動かしてみた段階で、キャラクター立っていくやつがいっぱいいてさ。

岡田 でも、薬害エイズの安部でもキャラ立ったわけでしょう。

小林 立ちました。

岡田 立ちゃいいってわけでもないですよね(笑)。

小林 うん。でも、例えば、吉見義明を主人公にするか、安部英を主人公にするかっていったら、やっぱり安部英を主人公にせざるを得ないよね。吉見義明では、どうやったって立たないわ。だから、立てばいいわけじゃないけど……

岡田 立てばいいんですね、やっぱり(笑)。

小林 漫画としては、物語としては、安部英を認めざるを得ない。やっぱり悪人じゃないと立たないよね。そりゃ薬害エイズという社会的な問題においては、絶対に許されないけど。だから、物語的には安部英よりも小林よしのりのほうが悪党じゃないといけないと、わしは思っているけれども、キャラクターとしては、吉見義明よりは安部英じゃないと立たないなぁ、どうやっても。

岡田 わかりやすい話ですね。

小林 その悪人を描くんだとしたら「新しい教科書をつくる会」に賛同している人たちの方が、恐らく個性は強烈だよ。そういう部分でカッコいい。

 それじゃあ東大通はカッコよくないのかっていう話になっていくけれど、わしは、あれがカッコいいと思っているし、カッコいいと思わせたい人間なんだよね。そこにわしのオタク文化に対する違和感があるんよ。オタク文化の中で、外国にどんどん輸出されていくキャラクターって、要は姿のカッコよさでしょう。

岡田 そうですね。

小林 姿の美しさといっても、それは八頭身、九頭身の、顔が小さくて足の長い人間で、日本人でもありようのない姿をしているわけでしょう。日本人という印すらなくて、国籍を除外して受け入れられているという部分もあるわけじゃない。例えばそこで「子連れ狼」がね、黒沢明が受けるなら勝ったと思う。それと同じで、東大通とかおぼっちゃまくんのようなわしのキャラクターがカッコいいと世界で認められないと、日本が勝ったってことにならないと思ってるんよ。

岡田 まずかたちから入る人は、最初は八頭身とかのキャラが好きになるんですよ。ところがある程度練れていくと、それをデフォルメ・キャラクターで、自分たちで描き出すんです。つまり、そこでようやく、「かわいい文化圏」に入ってくるわけですよ。

 僕がオタク文化が侵略性を持っていると言っているのは、そのバックグラウンドにある、あれを生み出す日本人の思想なんですよ。かわいいものがよくて、一見カッコいいものの中に、すごいグロテスクなものを秘めますよね。そういう日本人の思想的なものもいっしょに輸出しちゃってるんですよ。外国人は、カッコいい映像を見ているつもりでも、その心情込みで受け取ってしまうから。「きまぐれ☆オレンジロード」っていう、ふやけたマンガをアメリカで放送したら、それを見ていた黒人のマッチョな兄ちゃんが、僕も三角関係、四角関係がいいと、だんだん変わっていくんです。アメリカ人の恋愛というのは、ふつう好きになったらアタックなんですけれども、秘めた恋のほうがいいとか言いだすんですよ。マンガがツールになって、私たちの感性全体が輸出されているんです。

小林 なるほど。そうか。

岡田 僕らがハリウッド映画を見ていると、自由がいいとかポジティヴなことがいいと洗脳されていきますよね。日本アニメの場合は、一見カッコいいロボットのようなものを輸出しているように見せて、じつは日本的な感覚を輸出しているんですよ。そこに勝ち目があるなと。世界全体がフロンティアで発展しているような時代であれば、アメリカ的なほうに行きやすいんです。でも今、資源がもう限界にきていて、いかに国際的な協力、協力とはつまりこまめな紛争ということですよね。こまめな紛争のなかで、どう活躍するのかということに関しては、日本の少女漫画的な、恋愛におけるパラレルな人間関係みたいなものをOKとする感覚って、すごく強いんですよ。今頑張れば、たぶん五百年征服できる。僕はこの五十年ぐらいが勝負だと思ってます。

小林 なるほどね。オタク文化が日本人の感情や心情とかに通じる道を開いてしまうという可能性は、確かにありそうな感じはするね。

岡田 それはアメリカ人がこの百年ぐらいでやったことですよね。少なくとも僕らがたたき込まれてきたのは、国際間においては経済もなにもすべて侵略競争でしかないということなんです。今私たちは文化の侵略競争というところの際にきていて、これから五百年、また負け組さんになるのは、俺は嫌なんです。勝ち組さんに行きたいんですよ。一つの方法としてアメリカ文化の侵略の手先と言いますか、それになってですね。なんか渋谷の街をヒップホップの格好をして、ヘイッてやるのもありだと思うんですけれども。でもそれは配給欲しさに占領軍に媚びるみたいなもので(笑)、男のやり方ではないと。

小林 そういう意味では、すごくよくわかるなぁ。

岡田 ただ、私たちの武器は、傍目から見ても大変情けない。たまごっちとか、ポケモンとか、美少女アニメとか、ロリコンとか、そういうようなものがラインナップされていて、恥ずかしいことは恥ずかしいんですけどね。

小林 そこの通路を開いとってくれれば、そこから先、わしが潜入していく素地もあると認められはするけどね。最初に東大通から入っていっても、絶対進んでいけないような状態ってあるからな。

岡田 うん。どちらかというと、そちらのほうが本質ですから。第一、漫画が読めるようになるのって、相当訓練が必要なんですよね。

 

●もう女子どもには迎合しない

岡田 ちょっと話がそれますけど、僕、少女漫画が読めるようになってから、女の子の考え方って変わったと思うんですよ。今の女子高生の考え方と、二十代後半ぐらいの女性編集者の考え方のギャップって、どれぐらい少女漫画を読んだかにあると思っているんです。今の少女漫画って、もう少女漫画ではないですから。その断絶にあるんじゃないのかなと感じているんですけどね。やっぱりね、私にしてみりゃ、少女漫画を読んでいない女の子たちというのは違う国民なんですよ。あいつらのために、私は指一本動かす気にならないんですよ(笑)。

小林 今は少女漫画そのものがもう死滅してしまっているでしょう。

岡田 はい、はい。

小林 今の若い子たちは、少女漫画なんかうざったくて読んどられんという状況になってきてるわけだから。彼女たちのほうが、もっと男っぽくなってる可能性はあるね。

岡田 あれは別の国民です。私としては殲滅(せんめつ)したいんですけど。今いるぶんはしょうがないですから(笑)。  

小林 そうなんだ。

岡田 殲滅したい。昔の僕だったらそいつらを殺すなり、監禁するなりしなくちゃいけなかったけど、今はその人の心の五パーセントから十パーセントを僕らの感覚に共感させればいいと考えるようになりました。そうなれば個人の中でオタクもありという状況になるなと。そのルートを開いちゃえばいいんだって。悪者だな。

小林 日本のラブコメの中にある女々しさの美学みたいなものが、外国を洗脳していくスピードが速いのか。それとも逆に日本の若い女の子全員が、白人や黒人のほうがたくましくてカッコいいと向こうに全部なびいてしまい、日本人の男はすっかり取り残されて誰にも相手にされなくなるスピードが速いのか。その勝負になってきてるところがあるからさ。

岡田 僕は三年ぐらい前から「女子供にはわからん」って表現をあえて使っているんです(笑)。そろそろこれ、言っちゃっていいんじゃないのかな。これまでは女子供がマーケティングの対象だったから絶対ダメでした。だから僕は、オタク文化をあえて「女子供にわからない世界」と定義して、自分の本にも「男中心のオタク文化」と書きました。実際その通りなんですよ。今のメディアは女の子にしかわからない世界というのをうち立てて、それを全部オヤジたちにわからせようとする情報がずっと流れています。これには私たち負けますよ。洗脳される消費者の側にいるわけですから。

 さっきおっしゃったように、女の子がみんな白人黒人がカッコよくて日本人の男が取り残されるんだったら、これを切り離しちゃう。そうして"俺たちにしかわからないやつ"を作るとかして、ターゲットをよそへ求めたほうがてっとりばやいんじゃないかと。私たちが目指すカッコよさっていうのは、今の日本の女の子を対象にするんじゃなくて、もう少し外のほう。アジア諸国とか欧米でもいいですし、または年齢層の幅を拡げるのでもいいですけど、そのほうが戦略としてはありなんじゃないかなと。 

小林 どうかね、そのへんは。それ、勝ち目あるのかね(笑)。一体、女の子に振り回されているオヤジっていうのは何なの?

岡田 僕が見ている範囲では、サブ・カルチャーというものの解釈の最終形態だと思うんですけども、「繁栄がいい、大量消費がいい、若いのがいい」って言ったら、もう女の子に行き着くしかないわけですよ。日本だけが先にポンと行き着いた。それで、オヤジさんたちが女の子的な感覚を消費のポイントにして、ここにもあり、あそこにもありと、どんどん自分たちで拡大解釈して売っていくわけですよ。でも、それは限界に来ていると思いますけどね。現にその最先端にいる女の子たちは楽しそうじゃないですから。自分たちが流行をリードしているという楽しさもない。もしあったら、あんなに年がら年中、やることを変えないと思うんですよ。

小林 ある意味、オタク世代と言われる三十代は、やっぱり今のオタク的な気質を持っていてさ。そのオタク的な気質にロリコン的な気質も含まれているから、女子高校生あたりに相当ナメられてしまっている状況も、出てきているよね。

岡田 それは、その気質があってなおかつ頭下げるからだと思うんですよ。買わなきゃいいんですよ、そんな女。「なんで俺が金出してまで、女としなくちゃいけねえんだよ」とまでいって、ちょうどバランス取れるんですよ。

小林 そこまでいったやつだったらわかるけれどもね。

岡田 あえてこの五十年間我慢して、百年後の栄光を取る。まあその間にみんな死んじゃうんですけどね(笑)。うまくいきゃ、五十年かかんないですよ。

小林 なるほど。

 

●中途ハンパなオタクはダメだ

岡田 だいたい、今オタクのやつが、オタクやめてモテるかといったらそんなのあり得ない。モテるなんてことを目的にしちゃダメなんですよ。

小林 徹底的にオタクに徹してくれればいいんだけれどもね。

岡田 僕が見ている限り、「オタク」と「普通」の境目を行ったり来たりしてる人が一番社会性がないですよ。そういうヤツって、オタクから見るとなんかヘボいし、言うことも所詮どこかのオタク評論家みたいな人の言葉を焼直しているだけ。あるときは小林さんの言っていることを鵜呑みにしてそのまま喋ってしまったり、またあるときは俺の言っていることを鵜呑みにして喋ってしまったりする連中が、いっぱいいる。そういうやつのほうが、可能性ないなと思うんですよね。

小林 すっかりオタクのほうに行ってしまったやつのほうがいい?

岡田 ええ。そういうヤツの言葉というのは、自分が反社会的であっても構わないと思って積み上げたものだから、言葉にけっこうリアリティも、重みもあるんです。でも中途半端なところで妥協して世間様と合わせた言葉というのは、案外面白くならない(笑)。

小林 しかしさ、例えば、岡田斗司夫とか竹内義和とか、いわゆる自称オタクと言っている人間は、やっぱり商売うまいよ(笑)。でも例えば宅八郎とかというのは商売下手だよ。

岡田 でも、あのほうが商売になりますよ。ただ、宅さんの場合はこの商売全体がイメージ産業であって、それぞれが教祖になる一種の宗教であるというところまで行き着けなかったんですよ。思い切りが足りない。既存のシステムに乗ろうとするから、過剰にオタクになってしまいますよね。僕や竹内さんの場合は、過剰にオタクを演じなくても、素のままで大丈夫なんですよ。

小林 演じてるか、素のままかという勝負か。

岡田 別にTシャツ着て、紙袋持たなくてもいいんです。俺、座りゃオタクだよ。座ってオタク、立ってオタク。

小林 それはすごくわかるな。

岡田 ただ、竹内さんは、常識人たらんとしているんですよね。そこに僕は竹内さんとのギャップを感じます。竹内さんは、オタクであることと常識人であることを両立させるのがいいんだと考えていらっしゃるんですね。そのへんは世代差があるんですけど、そんな常識人いらないって。それは常識じゃなくて、ものを考えりゃいいだけだよって。オタクであることとものを考えることが両立すれば、必要な常識なんか勝手に身につくし。

小林 岡田さんがオタクとしての売り方がうまいって言ったのは、要するに自分をどうプロモートしたら、どう見られるか、どういう効果が跳ね返ってくるかっていうのを計算してるんだよね。でもそのためには、自分の外側にもう一つ視点を持っとかなきゃいけないわけじゃない。でも、オタクにはそれがないから、オタクだったんじゃないの?

岡田 いや、それは頭が悪いからです。

小林 そうなの?

岡田 そうです、絶対そうです。

 以前呉智英さんが、みんながバカとか気違いという言葉を失ったとおっしゃっていて、僕はオタク問題の根本はそれだと思っているんです。オタクというのは、根源的には、例えばいくつになってもアニメや漫画を見ているバカっぽい趣味なんですよ。そのバカっぽいサークルにはどんなやつがいるかというと、本当に頭が幼稚でロボットやアニメが好きなやつと(笑)、自分自身でも「やっぱアニメってくだらないかもな」とわかっていながら、それでも好きだというやつがいるんですよ。これをひとくくりにしちゃうと、「あえてロボットアニメが好きなやつ」っていうのは、過剰に世間を意識せざるを得ないですね。だって、自分の趣味が幼稚だと自覚しているわけですから。そうなると、その中で一番煙たくなってくるのは、無自覚にロボットアニメが好きな幼稚なやつ。こういうやつらに対しては、本来はただ単に精神年齢が低いとか、バカだとか、与太郎だっていう言葉で済むはずなんですけれども、そういう言葉を民主主義教育で使えなくなってしまった。そんなオタク内サークルの差別用語は「オタク」なんですよ。「あいつはオタクだ」って幼稚な人たちをバカにして安心している。俺、それが嫌なんですよ。幸せになるんだったら、切り離して幸せになるんじゃなくて、みんな一緒に幸せになったほうがいいじゃないですか。その中で、あえてバカはバカって言えばいいし、常識のないやつには常識ないと言えばいいだけであって。そいつらにわざわざオタクという新語を作る必要はないんですよ。だってメタな社会から見ると、そいつらを含めて僕たちはオタクと呼ばれているわけですからね。切り離すことはできないんですよ。

小林 そうか。オタクの中にも階層があるのか。色々いるってことなわけね、結局。

岡田 はい。特にオタクの人たちというのは、自分がどうかというのを説明するのが好きですよね。小林さんのところにも、ものすごい分量の便箋が来たら、だいたいそれはオタクですよね。過剰に説明が好きで、それも自分のことをわかってくれるまでやめないという習性のやつらがいるんですよ。

小林 だろうね。例えば薬害エイズをやりはじめるじゃない。そうすると、薬害エイズのオタクが出てくるんよね。誰が関わっていてとか、その全貌を調べて延々と手紙に書いて送ってくれるんだ。でも、そうやって知識を得ること自体を面白がっているやつというのが、やっぱり出てくるよね。

岡田 そのやつらって役に立たないですか。

小林 役に立たないよ。

岡田 立たないですか(笑)。そうか。

小林 知識を与える場を用意すれば、彼らは一生懸命勉強するじゃない。関心持ってくれるだけでもという意味では、確かにそれは役に立ってはいるんだ。集まれと言えば集まってくれたりもするし。でも、目的がそれているんじゃないかなって言いたいんだよね。

岡田 僕なんかはオタクの習性は利用するほうなんで、そういうヤツらは研究職につけりゃいい。本来学者なんてそんなヤツらがやればいいんだし。「あんたら勉強好きなんだから、永遠に勉強してろ」と。で、例えば今さらマクロ経済学やるよりは、鉄腕アトムの研究して絶版漫画でも集めてろよっていうほうが、みなさんのお役に立つんじゃないですか。

小林 わしの役には立ちそうだね。

岡田 だから、オタクからの手紙って、聞いている限りはうっとうしいけれども、そういう生き方をやってくれていたほうが、少なくとも世間の迷惑にはならない。研究だけしてて、コレクター的に抱え込んでしまって、実際に見せないやつのほうが難儀ですよ。

小林 うちのスタッフにもオタクがいるよ。岡田さんの本もしっかり読み込んでいるし、竹内義和の大映テレビのなんとかいう本なんかも持っている。怪獣からなにから、漫画も昔の手塚治虫からなにから全部揃えまくってるやつなんだけど、この男はすごく役に立つんだよね(笑)。今回の従軍慰安婦問題でも、謝罪派側がそれこそオタクのように、いろんな資料をどんどん分析して持ってくるわけだけど、こっちはそれにつき合う暇はない。だからそのオタクの彼に「わしはこれ、絶対に戦争犯罪じゃなくて戦争冤罪だと思うから、きみを戦争冤罪研究センターの所長にする」って言ってね(笑)。従軍慰安婦問題を徹底的に調べてくれと言っとったら、ものすごく調べる。もう、謝罪派の本すべてを読んでいくわけ。吉見義明の資料集から何から、全部に目を通していくわけよ。そうすると膨大な知識を持ってしまって。 

岡田 便利ですね(笑)。

小林 そう。すごい便利でさ。わしが「朝まで生テレビ」なんかの討論番組に出ていくとき、彼をタクシーの横に乗せてパーッと出発するの。テレビ局に着くまでに、彼にどんどん質問して(笑)、その間に覚えていくんよ(笑)。

岡田 大統領の執務官みたいにブリーフィングあるわけですね。

小林 そのときに一気に覚え込んで、その知識でテレビの生番組にいくんだけど、やっぱりそいつはすごい。知識の量で戦うんだったら恐らく吉見義明に勝つよ。ただパフォーマンスの部分とか喋り方の部分での負けはあるだろうけど。

 

●オタクの価値相対主義

岡田 でも、それってじつは価値判断が入っていないから勝てるんじゃないかと思うんですよ。オタク特有の価値相対主義というのがあって、僕自身もそれなんですよ。でなければ、知識ってそんなに蓄えられない。信念があると他人の心情の本って読めませんからね。どっちでもいいと思ってなきゃあんなに読めるはずがない。

 じつのところ、ほんとはどうでもいいんですよ。面白いのは、小林先生の戦争に加担している軍師みたいな気楽な態度。つまり作戦がうまくいきさえすれば、戦争に勝とうが負けようが関係ねえっていう。それがオタクの無責任なポジションなんですよ。

小林 ほお、そんなもんかね。

岡田 だからその人も、戦略的な勝ち負けはあっても、従軍慰安婦問題は結局どうなのかという価値判断を、ギリギリのところで自分でしていないから、そんなに勉強できるんじゃないかなと思うんですけど。

小林 どうなのかね。実に楽しそうに勉強してるけどね。もしあいつを向こうの謝罪派側においたら、ものすごい活躍をする恐れはあるな(笑)。

岡田 そういう嫌なヤツですよ、オタクって(笑)。信義がないですよ。 

小林 なるほどね。優秀なオタクを見つけておかなあかんね(笑)。

岡田 何人かストックしておくといいです。でも三人以上いるとうっとうしい(笑)。

小林 一人で十分だね(笑)。

岡田 僕がオウムをまったく他人ごとに思えないのは、この相対主義というスタンスなんです。これがオウムみたいになりやすい。正直言って、オタクの人って常に判断を預ける人間を探しているんですよ。大きな流れとしては、ある時期は宮崎駿みたいな人だったりもするし、オウムもそれに含まれると思うし。またある時は別冊宝島みたいなのがルートを開いた、オカルトっぽい価値観もあるし。特定の個人じゃなくても、いろいろなものや時代の流れといったものについつい無批判に考えをポンと預けてしまって、価値判断を任せてしまう。その中で勝手に勉強して、どっちもあるよねと言いながら、いつの間にか時代にグイグイ押しつけてる悪い癖があるんですよ。

小林 そうなんだ。

岡田 自分もそうなんです。これはどうしようもないんですけれどもね。ただ、今はこの相対主義を「手段」として使いこなしていない相対主義者が多いので、相対主義が誤解されると思うんですけれども。つまり、なにかを選ぶ時、できるだけ偏見をなくそうという手段であって、消費者がたくさんあるラーメンのなかからひとつを選ぶとき、もちろんそれは価値相対で選ぶわけですよ。それと同じように、言論や思想に関しても選ぶための相対主義のはずなんですよ。あとから自分で構築するために、一回リセットしましょうというだけの思想ですから。ところが、このリセットボタンを押しっぱなしにしていたら、なにも作れないんですよ。ツールとして使いこなせない人というのは、押したままにしてるんです。それを押せば負けないのはわかっているから。相対主義って、絶対負けない思想なんですけれども、同時に勝てない思想なんですよ(笑)。だから貧乏臭い討論になっちゃうんですよね。

小林 確かにこっちが絶対だって言えなくなっちゃうからな。

岡田 だから情の部分でホロッときちゃったり、強力な教祖が出てきたらコロッといってしまうというのは、その相対主義でずーっと通せるほど心の強い人って、あまりいないということなんですね。そんなに、すべてのものを相対として見られるはずがないですよ。

 

●豊かな世代の動かし方

岡田 メディア・リテラシーに話を戻しますと、僕自身二年ぐらい前から、大騙し戦争というのをやっていまして。オタクというのは海外では評価を得ているんだという大ボラ話が、どこまで通用するかなと思って意識的にまいていたら、けっこうイケるんですよ。今、みんな相当信じてますが、あれは僕が作ったホラですから。針小棒大だから針はあるけど、でも針程度。

小林 でも、かなりいろいろと報道されてたよね。

岡田 僕がそれをやって得た感触は、メディアというのはコントロール可能で、みんながこれをやっているのに、全然やっていない人や知らない人もいっぱいいる、ということなんですよ。今僕たちの常識っていうのは人権思想にしてもなんにしても、たとえば僕みたいに意識的にやっていればいいんですけれども、無意識も含めていろいろ仕掛けられている上に乗っかってできているわけじゃないですか。なのに、それを知らないのは不利だし、相手を知らないで騙すゲームというのは、もうあんまり面白くねえよなって。だから僕はこの仕掛けをバラしちゃって、もともと日本ではすごくネガティヴだった「オタク」という言葉をある程度ポジティヴなところへ持ってくるのに成功した。まあセコイですけどね。小林さんの場合、エイズの薬害運動では仕掛けられる側でしたよね。今回の従軍慰安婦問題に関しては仕掛ける側ですよね。つまり意図的な洗脳の被害者の側であり、加害者の側であると。僕の場合は、数年前の宮崎事件によるオタクバッシングで長年被害者だったから、これぐらい返してもいいやと思って返した。じゃあ、そういうことをわざとやった者同士、話ができるかなと思ったんです。

小林 なるほどね、そうか。わしは、マスメディアに対する懐疑の念っていうのは、恐らくこの慰安婦問題をひっくり返してしまったら、相当に鍛えられると思っているんだよな。だってオウムの時も、薬害エイズの時も、ひっくり返すのは無理だって言われてたよ、ずっと。

岡田 僕がオタクに関していけるなと思ったのは、マスメディアを動かすにはいくつかの仕掛け、スイッチがあってそれ以外のところを押しても無駄なんです。僕が押したのは「オタク文化の海外評価」というもので、これはけっこう効きがいいんですよ。

小林 なるほど、外圧からくるわけね。

岡田 はい。で、今回の教科書問題に関するスイッチはどのへんですか? 謝ってばかりはカッコ悪いというあたりなんでしょうか?

小林 たぶん、沈黙している多数はすでにスイッチ入ってるんだが、マスコミを通して出てくる声がうるさいんだ。わしの『おぼっちゃまくん』の読者で連載当時小学四、五年生ぐらいから中学二年生ぐらいの世代って、今はもう二十歳前後にまでなっているんだけど、その世代っていうのは感覚として違うのもいると思う。まず、謝って自分を誠実に見せることがカッコいいって感性はないわけでしょう。

岡田 小林さんの漫画を読んで育った人っていうのは、基本的に文明とか繁栄というものに対して、非常に肯定的ですよね。かわいそうな人に謝っちゃうというのは、繁栄に対するうしろめたさがないと謝れないですよ。少なくとも『おぼっちゃまくん』を読んでたら、そういううしろめたさって持っていないですよ。

小林 なるほど。『おぼっちゃまくん』をちゃんと読んでくれてたらね。

岡田 さらにそのあとジャンプが連続攻撃で出してきたラブコメや格闘もののマンガ群、あそこらへんには、繁栄に対する批判みたいなのが一切含まれていなかった。そこに八十年代のジャンプの強さがあったと思うんですよ。

小林 まず豊かであることが前提になってしまってて、それを何の罪悪感もなく受け入れるんだったらすごいけどね。

岡田 逆に、貧乏が前提の世代もいますよね。その世代にとっては豊かな自分っていうのが虚構に見えるわけです。彼らのなかには「お前ら、いざというときどうするんだ」って言い方する人がいるじけど、その「いざ」とは、貧乏になったときのことなんですよ。「お前らそんなボンヤリ生きてるけど、貧乏になったらどうすんだ」って。その貧乏はあり得ないのに、それが本来のポジションだと言ってしまう。ところが、今の十代から二十代の前半の人たちっていうのはすでに繁栄が前提なので、繁栄を前提として謝るのか、謝らないのかという考え方だと思うんですよ。だから、それにコンプレックスを持てと言ってもそれはピント外れですよ。「俺たちは豊かで彼らは貧乏だから悪いと思え」と言われても、思えないですよ。

小林 なるほどな。貧乏が前提のやつが罪悪感を持つってか。大月隆寛が、高度経済成長を語る言葉というのがないとか言ってたけど。もし、豊かなのはまったく当然だと揺るぎなく信じ込めてたら、豊かを持続するために謝罪とか、自虐したふりをして儲けねばならないんだとか言われても、ピンとこないだろうね。

岡田 恐らく豊かっていうのは、システムが全部できていることですよね。じゃあ、豊かな時代の自虐とかコンプレックスというのは「お前がいなくても代わりはいる」とか「お前は絶対必要な社会のパーツじゃない」ということだ思うんですよ。だから「お前が動けば社会が動くぞ。このシステムが変わるんだぞ」という、薬害エイズの時みたいな動かし方でチョンと突いたらスッと動くのかなと。

小林 なるほどね。

岡田 つまりそれが豊かな世代の動かし方ですよね。「いつ貧乏になるかわからないぞ」というボタンを押しても動かないけど、「お前がいる意味はじつはあるんだ」というボタンにはみんなすごい敏感ですよ。

小林 なるほどね。これは『新ゴーマニズム宣言』の四巻にも書いたけどね。五年ぐらい前にやった講演で、『おぼっちゃまくん』のファンだという小学五年生の女の子にサインをしてやった。その子が最近電話かけてきたんだけど、今は高校一年生になったんだって。で、中学のときから『ゴーマニズム宣言』を読んでいて、『おぼっちゃまくん』『ゴーマニズム宣言』と入ってきているわけよね。それとか、今読者から送られてくる手紙みても、プリクラ貼った女子高校生なんかがどんどん入ってきつつあるんだよね。その子たちは、わしとしては意識がすでに違っているというか。

岡田 男の場合は、システムが変わるぞという方でまだ動くんです。それが微妙ではあっても、社会やシステムを自分が動かせるんだという確信が見つかるまで、永遠に元気がなくダラダラダラッて生きることはある(笑)。でも女の子はもっと冷めてるから、システムが変わるということに対してはリアリティを持ち得ないんですよ。彼女たちのリアリティは「そんなことしたって就職するときに職はないんだし」とか「あんないいこと言われても総合職は追い出されるんだし」といった、自分はいてもいなくてもいい存在だというところにある。となると、今あるネットワークみたいなものが自分の存在理由だというふうにどうしてもなっていきますよね。人と人とのつながりを確認するだけの産業みたいなほうに過剰に行かざるをえない。

 

●『ゴーマニズム宣言』は宗教だ

小林 人と人とのつながりと言えば、結局共通の言語がなくなってしまっているからね。『ゴーマニズム宣言』っていうのは、その中で使用されている言葉とか語り口みたいなものが、読者を結びつける言語になってしまっていて、その共同体というものがもう出来上がってしまっているんだよね。

 若い読者には、共通の言語というのが親との間にもないし、クラスの友達との間にもなかなかないんだと思うんよ。今はプリクラであるとか写真機をいつも持ってて、誰とでも一生懸命撮ってその写真をいっぱいストックしているけれど、あれはつまり言葉の代わりにしかなっていないわけであって言葉でつながっているわけじゃない。じゃあ自分自身の存在を取り巻く社会を、どんな言葉で語ればいいんだっていったら、その言葉を与えてくれる人が世の中にいないんだよね。それで『ゴーマニズム宣言』を見たときに、この言葉だとすごくわかると。さらにこの言葉でつながっている人たちがずいぶんたくさんいるみたいだと感じて、その言葉の共同体に入り込んできているというのかな。だから、オタクの場合でもオタク文化の中のいろんなアイテムで語られる共同体の中にいて、充足感を得ているんだろうし。ある意味、それが三十代ぐらいの共通言語だったのかもしれないけれどもね。『ゴーマニズム宣言』も、そういう言葉の共同体になってしまっているところがあるから、そういう部分でも、わしはそんな勝手にやめられないんだよね。

岡田 つまり僕がやっていることも小林さんの『ゴーマニズム宣言』も、そういう人々のコミュニケーション・ツールに使われて、アイデンティティのもとになっているということですよね。それはすなわち宗教ってことですよね。

小林 まぁ、そうだね。

岡田 僕はそれ全然悪くないと思います。宗教から離れられるものだったら、この三千年で離れてみろと思いますね。言葉と宗教ってくっついているものですから、人間が言語を持っている限り必ず宗教はあります。でも参加している人たちは「これは宗教だ」と気づいているんでしょうか? 気がつかなくてもいいのかもわからないけど、僕は「君たちが

 岡田斗司夫っていうものをアイデンティファイして喋っている限り、それは僕の宗教に属していることであるから、御布施を払っていただきますよ」と言いますよ。

小林 最近大月隆寛が「新しい教科書をつくる会」のシンポジウムに来た人たちを取材して回ったら、若い子たちはやっぱり『ゴーマニズム宣言』から入ってきたというのが多いらしいんだ。その中に宮古島に住んでいる女の子がいて、彼女は「小林よしのりがサリンをまけと言ったら、私はまく」と言っているらしい(笑)。

岡田 それぐらいのやつがいなきゃつまらないですよね(笑)。

小林 なんていうのかな、「宗教だって別にいい」と言って選択するという、そういう居直りができるぐらいまで読者の思考そのものが複雑になってきていると思うよ。それはわしが金日成に例えながら、カリスマと言われ始めた自分を相対化する漫画やら何やらを散々描いてきて、それを全部読んでしまった果てにね、わしが漫画で「うちのスタッフはサリンまかないと言っているよ」と描いても、読者には「それでも私はまく」っていうやつまで出てきちゃったわけだから。それはもう承知しているけど、でもあえてそう言ったほうが自分でも面白いという選択をしているんじゃないかなと思うけどね。

 

●エンターテインメントはもういらない

岡田 以前、東大の僕のゼミで小林さんに対談していただいた時に、「もう漫画はいいじゃないですか。エンターテインメントなんか捨てて、いっちゃえいっちゃえ」って言ったんですよね。

小林 うん。わし、あんなふうに言われたの初めてなんよ。みんなに「とにかくやめろ、物語に戻れ。物語がお前の日常だろうが」って延々言われ続けてきて。「やめる必要ない」って言ったのは、西部邁と岡田斗司夫しかいない(笑)。

岡田 うわ、そうなんですか(笑)。僕、あの時にけっこう不遜なことを言ってしまったんですが、本当は物語の世界を描いてくれていた方が、僕はライバルが少なくてすむんです。このことに関して自覚しているやつって恐らく日本に五人もいないはずであって、小林さんはその一人じゃないかと。俺はそっちにいこうと思っているから、将来思いっきりぶつかる可能性があるんですよ(笑)。その時は宗教戦争になって、本当にサリンの世界になっちゃいます(笑)。ただ、そういうやつらが何人かいないと、もう面白くなりようがないというか。

小林 そうだね。

岡田 エンターテインメントはもういいというのは、俺は面白さっていうのを否定しているからなんです。現実社会がこんなに崩れちゃったら、その現実をみんなもう一回物語化して語るしかないですよね。だからしょうがなく、今はみんなギリシア神話のようなかたちで、政治家の汚職とか芸能人のスキャンダルなんかを、まるで神々の話みたいに語っているわけですよ。「いやいや、それはヘレナが嫉妬して……」とか「太陽神アポロンが……」というのと同じ。宗教がない時代のローマ市民は、あんなこと語るしかなかったわけです。やっぱり人間っていうのは何かが必要なわけで。じゃあ、宗教の方へ行ってしまったほうが面白れえよって。

 そうか、西部さんも同じことを言ってるか。でも西部さんはきっと、俺のライバルを育てようとかじゃなくて、共に戦いましょうだと思うんですけれども(笑)。

小林 どういうつもりなのかな。

岡田 これ以上あやつらに面白いもの与えてどうするんですか。今の状況下、フィクションで面白いものなんて、おいしいたこやき屋を開くのと同じくらい意味がない。おいしいものよりは体にいいものを、という流れと同じように、体にいいもの、みんなの頭にいいものを作ったほうがいいですよ。

小林 なるほどね、そうか。

岡田 小林さんの場合は「職業=小林よしのり」で、漫画はツールに見えるんですよ。まず「小林よしのり」が描いているというのがあって、そのうえで今回の話はなんだろうと。

小林 大人はそうかもしれないけど、子供は違うでしょう。

岡田 もう子供は切っていいですよ。女子供は切る(笑)。女子供がターゲットっていうのは平成以前ですよ。 

小林 なるほどね。わしはそこのところにすごく分離した感覚があってさ。やっぱり自分が手塚治虫とかに育てられてるじゃない。子供の憧れが漫画だった、その恩恵みたいなものにものすごく感謝しているからさ。だからそれをちゃんと継承しないと、すごく罪悪感が芽生えるところがある。

岡田 いや、もう今は継承したあとです。

小林 継承したあと(笑)。

岡田 もうこれ以上は、ジュースに砂糖を溶かすようなものですから。

小林 なるほどね、そうか。

岡田 小林さんが、もし今「少年ジャンプ」で連載したら、一人あの雑誌の枠から外れるわけですよね。だからもういいと、本当に思いますけどね。新人の漫画家だったら別ですけれど、今小林さんが漫画の文化を豊かにする必要は、僕はやっぱり感じないですよね。今の漫画の文化っていうのは、基本的に二十代のやつが頑張って三十代が発展させるというという構造ですよね。この二十年間その構造だけは変わっていないので、もう三十代終わったら「俺は恩返ししたから、若いお前らが漫画を発展させなさい。俺は俺でやることがあるから」と言っていいんじゃないのかな。そのうえで漫画の可能性を他の人たちに見せるだけでいいと思います。小林さんって、弱気になると漫画家というクリエイターのほうへコソコソッと逃げて(笑)。

小林 弱気になるとね。

岡田 強気になるとガーッと出るという(笑)。

小林 そうなのかなぁ。なるほど(笑)。ほぉー、そうか(笑)。 

岡田 小林さんの場合は、漫画の中に入っている情念がバクハツしさえすれば、漫画という不自由なツールを使ってもここまでできるというのが武器ですから。情念をファイヤーさせて世に出られるんだったら出たほうがいいし、弱気になってコソコソしたいときは漫画描くのもよし。でもそれは老後の楽しみのためにとっておいたらどうですか(笑)。

小林 なるほどね。そんなこと言われたの初めてだよ(笑)。

 

●日本征服宣言

岡田 僕は、ツールとして『ゴーマニズム宣言』が出てきた時に「吉本隆明どうするんだ」って思ったんですよ。「今からお前、漫画の勉強しろ」って(笑)。あの時に僕ははじめて漫画家になりたいって強く思ったんです。それは今の従軍慰安婦問題でも、論理性がある説得なんてみんな聞かないわけですよね。聞きたいものを聞きたい順番で、どういうふうにプレゼンテーションするのかを待っている状態で、情報を咀嚼する顎の力がすごく弱くなっているわけです。僕らの世代はまだ活字に対する信仰はある方だけれど、例えば漢詩に対する信仰とか、シェークスピアの引用に対する信仰みたいなものはありません。それと同じように、若いやつらは活字に対する信仰はないけど、漫画みたいな表現形式とかキャラクター化に対する信仰はあると思うんですね。だったら西部も吉本も今から漫画の勉強をして、五年後ぐらいになんとか生き残ることを考えないとヤバイんではないかと思っているわけなんですよ。『ゴーマニズム宣言』の、考えていることを漫画に描いて、イベントにして、自分をキャラクター化する手法というか、あれはもう思想ですね。あれはイケまっせ。

小林 なるほど。ノセ方が最高にうまいな。

岡田 それに、これまで、漫画家から大人になる道っていうのを、誰一人提示していないじゃないですか。みんな漫画家のまま死んじゃった人ばっかりでしょう。漫画というところからカッコいい男像みたいなのを見せてくれないから、漫画に対する憧れはなんとなくあるけど、漫画家という職業に対しての憧れは持ちにくい。つまり、オタクの人も、それと同時に一家の主であり会社員でありとかいう属性を求められるのと同じように、漫画家と同時に社会人でもあるという属性が求められるはずなんです。ところがそこはクリエイターの聖域というやつで、愚かな人間でもいいという感覚があるじゃないですか。もうそれはなくしてしまって大丈夫なんじゃないですか。一般社会のど真ん中に来て大丈夫。選挙出ましょうよとは言いませんが(笑)。

小林 まぁ、そりゃ確かだ。

岡田 この歳になって、田植えしているばあちゃんに頭下げたくねえっスよ(笑)。

小林 うん、ないない(笑)。

岡田 それで栄耀栄華が保証されるんだったら、いくらでも田んぼに出て土下座しますけ

ど(笑)。

小林 何でも言うなぁ(笑)。

岡田 ともに日本を征服しましょう。

小林 征服するか(笑)。

岡田 小林さんは九州のほうをどうぞ。オレ関西に行きますから(笑)。いや、その前に連合国軍を作ろう(笑)。だって基本的に価値相対だから、オタク文化が世界を全部一色で塗るとはどうしても考えにくい。濃いやつは心の中の八十パーセントまでがオタク文化だけど、薄いやつはそれが一パーセントぐらいでもいい。それが世界人口の中に緩やかに分布しているというのが、私の望んでいる繁栄の姿です。

小林 こういうふうに言う人いないんだよ。初めて出てきた(笑)。この前の講義のとき初めて聞いて、どう対処していいものやらわからないような。

岡田 どれぐらい、こいつは本気で言っているんだろうかと。

小林 あきれた意見なんだよ。「ほぉ、そんなこと言う人間がおるのか」と思って。

 

●クリエイターの時代は終わった

岡田 私がこう言ってしまえるベースというのは、ものを作る時代はとうとう終わっちゃった。もうクリエイターは終わったと思っているからなんです。

小林 ええ!? そこまで言うのか。

岡田 だって今二十五歳以下で、クリエイターっていないじゃないですか。絶滅するんですよ。ここにいれば私たちは住みにくくなる。

小林 なるほどね、そうまで大胆に言う。

岡田 十九世紀から二十世紀型文明の頂点として、創造者が頂点であるというのはあったんですけれども、十年前くらいに崩れたなって感触があったんですよね。

小林 確かにクリエイターが一番だとか絶対だっていうのは、もう信仰だよね。信仰となるほどに普遍的なみんなの中の観念だよね。

岡田 そのクリエイトされたものが、今は単なるコミュニケーション・ツールに堕ちつつありますよね。歌はうたいやすい歌。言説は、流行しやすい言説。言論も、コピーしやすくて、みなが自分の言葉として言いやすいものでなければ流通しない。そうなってしまった以上、発言者が絶対であるという信仰はものすごい勢いで崩れていきます。私たちはその変化の真っただ中で、揺さぶられているのかなという気がします。

小林 なるほどね。それだったら一番最初のころに『ゴーマニズム宣言』を描き始めるときに、物語に戻れとかなんとか言われているときに、現実を物語化すること自体をやってみると言ったわしの意見は……。

岡田 僕はそれが一番の正解だと思います。虚構の物語は今あるもののアレンジだけであと千年はいけますから、このバリエーションがあればもう大丈夫です。あとは、ネットワークとか同人誌といったものが増えれば増えるほど、プロが商業ベースでやっている物語の意味がどんどん薄らいでいくと思っているんですけどね。

小林 プロとアマチュアの境は確かになくなってきているけど、それはプロがサボっているからとか力がなくなってきたからと思っていたんだけれども。プロが創造するもののパターンが出尽くしちゃったってこと? 

岡田 パターンが出尽くしたということもあるし、プロでサボっているやつとアマで頑張っているやつが完全に逆転してしまったんですね。これまでは、プロになるにはいろいろなことを我慢した上で、ようやっと作品の発表ができたわけですよね。でも今は我慢なしに発表する形態が、ホームページだ、同人誌だとものすごい数で出てきてしまった。すると、ドロップアウトじゃないんですけれどもプロの中から次々とプロとアマの中間になる人も現われてくるんですね。こうなってしまうとクリエイトというものに関する特殊性がなくなるんですね。昔は漫画家や小説家になるといったら、平凡な人生を全部捨てなきゃいけなかったのに、今はとんでもないことに地方公務員しながらできるじゃないですか(笑)。さらに漫画の種類がすごく増えちゃったおかげで、千人の支持者がいれば何とか食える状況になってきたんですね。そうなるとプロの漫画家である利点、つまり作品発表の場が持てる、商業作品として発表できるということが、そう重要でもなくなる。だから今、コミケとかで描いているやつは「商業誌はどうせ好きなもの描けないから嫌です」と言いますよ。かつて同人誌で描いてるのは、商業誌では勝負できない、仲間うちでしか受けない漫画しか描けないネガティヴなやつらのものだというイメージがありましたよね。でも今はそういう解釈は通用しないほど、そいつらの人数が莫大に増えちゃったわけですよ。今年の夏のコミケなんて五十万人ですよ。

小林 ほんと?

岡田 コミケだけで五十万人、そのほかにも週に一回の割合で日本全国のどこかで似たようなイベントが開かれていますから、通算すれば日本国民の何パーセントというけっこう巨大な数が、それめがけて動いているわけです。それだけのマスの人間が自閉的であるわけがないですよ。そのぶんだけ商業誌の部数はどんどん減っていく。

小林 確かに『ゴーマニズム宣言』をやっていると、前は学者っていうのは相当なものだと思っていたのが、じつは全然大したことないなと思う局面がどんどん出てきた。それこそ今回なんか、まるっきしのオタクに過ぎないうちの若いスタッフの一人に、ちょっと従軍慰安婦について調べさせたら、謝罪側の権威の吉見義明とかだって打ち破れるほどの知識がついちゃうからね。向こう側を学者としてのプロだとするんだったら、アマチュアでも勝てる状態になっているからね。もしかすると、学者とか論壇とかという「権威」と言われているものも、ひょっとすると……。つまり素人の水準がかなり上がってきてしまっているんだよね。

岡田 小林さんが漫画の中で描いている「テレビの情報操作にはごまかされない観客が増えている」っていうのは、すなわちアマチュアのレベルの上昇ですよね。逆にそれがバレる番組しか作れないというのが、プロのレベルの低下ですよね。

小林 なるほど、そうだよね。確かに、例えば金曜日に「朝まで生テレビ」に出て、自分が謝罪派側の仕掛けの中に突入していってしまって、これは何なんだって惑わされてしまったとするじゃない。でも月曜日になると、それを全部見破っている読者からたちまちドーンと手紙がくるもんね。

岡田 そうですか、すごいな。

小林 その手紙を見ると「ああ、そうだったのか、そうだったのか」となってしまうし。そういう読者は文章のレべルもものすごく高いんよ。でも手紙を出してくるのは、本当にこっちがピンチになったときだけなんよね。どうも、わしが困っているみたいだなって見えると、ダーッとくるんよね。それ以外の人たちは、自分勝手な思いをどんどん書いて、自分のコミュニケーションの手段として利用しているだけみたいだから、そのときに思い知らされるけどね。「うわ、こんなやつがいるのか」って。

 

●僕らは利益代表者

岡田 僕は、小林よしのりという人間は「小林よしのり」という思想集団がいて、その利益代表者に過ぎないのではないかと思っているんですね。アメリカの大統領っていうのは、アメリカ国家の利益代表者なんですよね。僕は自分を「オタク」の利益代表者だと思っているんですよ。だからオタクの人からクレームがくれば、自分の考え方を平気で変えるんです。オタクにとって有利であるようなことをするのが僕の仕事で、オタクを利用して有名になろうっていうんじゃないんですよ。その仕事をちゃんとやっていれば僕のところに幸せが返ってくるような仕掛けになっていると信じているんです。

 小林さんのいところにいい読者から手紙がくるということは、その人たちの心の中である程度のパーセンテージで、バーチャルな小林さんが運動しているわけですよね。その心の中の小林さんが手紙を書くわけですよ、「オレ小林」はこう言っていると。小林さんはその手紙を見て「そりゃ気ィつかんかったな」って自分の考え方を変えるわけですよね。つまり小林さんは『ゴーマニズム宣言』を通じて、小林さん的な思想の利益代表者としてそこに座っていると。そこに座れる人間っていうのをカリスマと呼ぶだけであって。

小林 なるほどね。大月隆寛が『新ゴーマニズム宣言』の三巻を見て、相当衝撃を受けたらしく、「これはもう、小林よしのりのユニットになっている。こんなものを相手にするっていうのが気が知れない」って相当ビックリしてたけど。

岡田 だから最終的に小林さんも僕も、「あれは小林教だ」とか「岡田教だ」って言われると思うんですよ。そのときの反論として準備しているのが、「僕は岡田斗司夫的なものの考え方の利益代表者に過ぎない。僕以上のやつがいれば座を譲るし、自分は利益代表としてみんなの意見をとりまとめて最大限の幸福のために動くという、あんたたちが好きな民主主義そのものをやっているだけです。ただシステムに乗っていないだけです」と。

小林 それはわしも抗議がいっぱい来る時はそれはそういうふうに書いたわ。わしに向かって連載を中止しろだの(笑)、わしが読者を洗脳しているという風に抗議が来るんだけど、連載さえやめれば、読者が洗脳から解かれるはずだと思い込んでいるんだよ。となると、これはわしに対して言っているんじゃなくて、わしの読者をバカにしている。そう書いたんだよね。結局、読者が洗脳されているのではない。もしわしが読者の考え方に背くようなことばかり書けば、当然読者は逃げていく。そうするとわしは食えなくなっていってしまうんだから。

岡田 たとえば選挙で選ばれるっていったって、二年に一回でしょう。小林さんの場合は、隔週の雑誌だから、ひと月に二回選挙があるわけでしょう。その状況で、売れるか売れないかというのを常に判断されているわけですよね。

小林 こっちは売れるようにしか描けないからな。反響を見れば、「ああ、これは受けてるんだ」とか、「これはダメなんだな」とかはっきりわかっちゃうわけだから。だから日常に戻れだの、物語の世界に戻れだのいろいろ言われるときは、わしの客つまり読者そのものをただ取っていけばいいじゃないかと思うよ。いつでも取ってくれていいんだから。

岡田 分散型の国家になっちゃったんだから、みんなが国民を取り合えばいいんです。俺はとにかくみんなから税金を集めるシステムというのを確立して、自国民を養成して、強くして、さらに国民を増やしていくということをやっているだけだから。

 

●思想家は絶滅した

岡田 さっきのプロとアマの話でいうと、カリスマというのはプロではないんです。それはツールなんですよ、みんなにとっての。みんな一人でものを考えられないんです。だからものを考えるっていうのは、誰かと誰かと誰かと誰かの意見を頭の中で合成するのが限度なんですよ。「そうではなくて自分自身の考えを」というのが、オリジナリティ信仰であって、これの頂点にあるのがクリエイター信仰なんですけど。

 今、みんな、自分一人でものを考えるんじゃなくて、本を読んだりいろんな人の考えを聞いたりして、頭の中でそれを組み合わせて、コーディネートするしかできないわけです。そうなってくると、自分の中にカリスマというのが何種類かいて、そのバランスがいいか悪いかの問題になってくるんです。だから小林さんと宅八郎さんの両方のファンであるということが容易にできるようになるんですよ。それは自分の中の配置の問題だから。部屋の中にコントラストとして、クロとシロを配置するようなものですよ。その幅をどれだけ取れるかですね。たぶん部屋の中に岡田斗司夫しかいないような人は、他の人から見て相当偏狭な人なんです。そうじゃなくて、そこに何人いるのか、そのバリエーションがどれだけあるのか。小林さんと宅さんしかいなかったら、それはそれでコントラストはとれているんですが、コーディネートする趣味がヘンですよね。じゃあ、自分らしい調和のとれた部屋を作るとか、ファッションみたいなもので、一つのブランドで上から下まで揃えるんじゃなくて、全部パーツで揃えて、色とかに気を使うのと同じように、思想的にもどれだけのカリスマというのが頭の中に配列されているのかというので、現にみんな考えていますよね。

小林 そのへん、考えているのかね。

岡田 それが現代の「知的であること」の限界なんですよ。知的以下はなにかというと、小林よしのりを「好きか嫌いか」で導入しているだけです。現在の知的の上限は、誰かの言論というのを組み合わせている人が、たぶん限度だと思います。僕はそれを、現代の思想家の方々に会ったり本を読んだりして、痛感しました。「あ、思想家っていないんだ」と。絶滅品種なんですよ(笑)。どうも百年ほど前に絶滅しちゃったみたいですね。僕が思うに、今は代弁屋さんみたいな人はいますけど、思想家はいないですよね。なぜかというと、彼らはものを考えずに、先に本を読んじゃってそれの組み合わせでしか考えられなくなっている。悪い癖ですよね(笑)。思想家は本を読むなって思うんですけど。本棚取ったら成立しないような人しか残らなくなっちゃったんですよ。

小林 やたら知識仕込んでもバカはバカだもんな。

岡田 怖い。怖いっていうか、ひどいこと言ってます(笑)。まあそういう時代のなかで、僕はみんなのツールのひとつになればいいかと思っているんですけどね。一色に染めようとすると、独裁者や宗教家になっちゃうけど、間接政治を増やしたりして人数を増やせばいいだけだから。

小林 マルクス主義みたいな思想的なものが全部潰れてしまって、それ以降はなにもないわけだからね。

岡田 今の思想家がやっていることって、社会現象を思想界の用語で言うだけの当てはめ屋さんでしょう。そんなの思想家であるはずがないですよ。マルクスに謝れってやつですよね。僕は浅羽通明さんが一時期名乗っていた「思考代行業」というのが気に入ってまして、これはいい職業ですよ。「あなたの代わりにものを考えまーす」という(笑)。

小林 なるほどね。だから納得しないのかもしれないね。いわゆる知識人と言われている人たちが書いているのを読むとさ。例えばクローンという具体的なテーマに対して「それにはこういう考えもある、ああいう考えもある、さらには……」と知識をバーッと披露していく。読んでいるほうは「そりゃああるだろうね、あるだろうね、だからなに?」って最後のところを見ると、なにも新しいものは提示されていないの。「だから今後もいろいろな問題は絶えないであろう」みたいに終わっちゃうんだよね。「なんなんだ、これは?

 なにが書いてあったんだ?」となるわけよ。俺ならこんなに知識を披露してもらわなくても自分勝手に書けると思うもの。

岡田 思想のプロのレベルが下がってきて、アマチュアのレベルが上がってしまったんですね。完全に逆転している。

小林 ものを知っているというよりは、いろいろな人物、今なら岡田斗司夫とか小林よしのりという人間のコラージュが知的というわけ?

岡田 そうです。

小林 そりゃあすごいね。しかし。

岡田 たぶん僕自身も今まで読んできた人の影響を強く受けて、そうなっているはずです。もうスタイルとしてバレないようにしていますけど(笑)。

小林 なるほどね。そんな状況なのか。でもそれはあり得るよね。

岡田 たぶん僕と同世代、というよりそれ以下の人たちは、必要以上に小林さんに近づくのを恐れているんですよ。"小林派"と呼ばれることに対する恐れがあると思うんです。彼らは他人にレッテルを張りたがるくせに、レッテルだけは張られたくないと思っている根性なしのやつが多いんですよ。だからすぐにみんなポジショニングマップとか、思想家ポジショニングマップみたいなのを作りたがるくせに、その中に自分を入れないでおこうとするんです。

小林 ああ、なるほど。それは見ていて感じるね、確かに。

岡田 でも、なにかをする時には立場を表明せざるをえないですよね。だから大月さんみたいな根性がなかなか出ないんですよ。

小林 例えば湾岸戦争の時に、文筆家が自分の立場を表明してしまってすごく恥をかいてしまったじゃない。あれ以降、自分の立場を表明するのを、みんなものすごく恐がっている感じするけどさ。ああいう形の表明してすごくバカやったとしても、それ以降自分が作りだすものとか振る舞いが、やっぱり強烈であったり面白けりゃそれでいいんだろうに。

岡田 さっきも言いましたけれど、自分の中に今の知識人だの知性のあり方だのがいろいろあっても、他の部分は除いて、その中の特定の一つだけをお客様に出さなければいけない時ってあるんですよね。でもその作業ができない。自分は色々あっての自分ですって、どうしても言いたくなっちゃうんですよ。

 だから、僕、以前小林さんと話したときに一番すごいなと思ったのは「小林さんってこういう人ですよね」なんて言うと「そうかも知れん」って一回返してくれますよね。これは僕らの世代以下は絶対できないことで。自分が何か決めつけられそうな時は必ず「っていうか」と言って、必ず反論しちゃうんですよ。これはもう弱点です、自分でも実感しているけど、自分を含めた世代的な弱点。

小林 そう、それはいつも感じるな。自分のプライドだけはものすごく高くなっちゃっているんだよね。従軍慰安婦でも、いろんな人が文章書いたりしているけど、こっちはそれを読んで間違いがあれば指摘するし、異論も言う。そうすると「それは知っていた」と必ず言うんだよね。「確かに知らなかった」と認めたっていいじゃない。それだけで済むことなんだから。それで自分の価値を著しく下げることってあり得ない。

岡田 でも、それって言論の世界の人が昔からやっていることですよね。必ず一線も引かない。一線も引かないことがカッコいいんだと思ってるから。だからそういう人と話すと、すごい疲れるんですよね。引いてくれないから。人前で話すときの面白さってあるのに、それをこいつら考えてねえのかって。

小林 そうだよな。

岡田 それに、言論の人がダメなのは、彼らは一対一の「勝負」だと思っているけど、実際は一対多数の「競争」なんです。討論では勝ち負けなんてつかなくて、お互いに傷つかない別れ方ができるかもしれないけど、実際には多数に対する影響力があれば、厳然たる順位なんてついちゃいますよね。これを意識していない人が、直接対決とかやりたがっているわけですよ。討論とかやったって無駄なんです。こういうことを言うと朝日新聞の人とかに「それでいいと思うんですか!?」とか言われるんだけど(笑)。でもこういうメディアの社会って少なくともあんたらが作ったんでしょと思っちゃいますよ。要するに、こういうルールって正直に言っただけなのに、急に人のことを悪人みたいに言いやがってって。君たちはルールを言わずしてやろうとしているのか、ずるいと。

 

●クリエイターは老後の楽しみに

小林 いやあ、なんかすごいねえ、今日は。クリエイターの価値観そのものまで疑われてしまうとは思わんかったよなぁ。

岡田 申し訳ございません(笑)。

小林 クリエイター信仰が、わしの中にもしっかりあったのにね。それ自体が壊れてきているとしたら、本当にすごいよなぁ。

岡田 でもそれは、小林さん自身もそこから一歩踏み出してるんですよ。『ゴーマニズム宣言』だって、クリエイターは至上だという価値観を壊しちゃったんですよ。それも原因の一つですから。その人がもう一回クリエイターの世界に戻るというから、なんて厚かましいんだと。そんなのは老後の楽しみにとっておいてください(笑)。

 


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