『マジメな話』
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●明治以来の最大の議論「首都機能移転問題」堺屋 首都機能移転問題というのは、ご存じのような膨大な議論と調査が積み上がった話で、国会の議論だけで九百時間超えてます。ふつうは一年間の予算が百四十時間なんです。明治以来最大の議論なんですね。だから資料も膨大なら、議論も長大。 岡田 なんでそんなに議論するんですか。 堺屋 それはやっぱり大問題だから、慎重にということでしょうね。 岡田 論点が分散しちゃうんですか。 堺屋 論点の分散もあれば、深まりもしますね。 岡田 それはどこへ首都を移転するかということについてですか。 堺屋 ということは、いまのところまだ議論していないんです。その議論をしたからこれまでのは全部ダメだったわけです。平成になってその議論はいっさいやめて、まず首都機能を移転するという議論をやろうと。どこへという議論は九十八年の一月からやります。 岡田 いつ頃決まるんですか。 堺屋 九十八年の末ぐらいです。 岡田 一年で決めちゃうわけですか? 堺屋 そうです。もうそこまで煮詰まってるというわけです。 岡田 具体的な話になっちゃうんですけど、決める先としては東京というのもあり得るわけですね。つまり「東京に動かします」ということもあるわけですよね。 堺屋 今のままはあるけれど、東京に動かすという議論はないんです。たとえば、東京の湾岸にもってくるとか、それはないんです。 岡田 今のままでいくということも選択肢の中にあるんですか。 堺屋 あります。それは法律に書いてあります。「東京との比較を含め検討する」と。 岡田 官僚たちは動かしたくないんでしょうか。 堺屋 中央官僚への調査では、動かしたいのが56パーセント、動かしたくないのが40パーセントでしたね。 岡田 動かしたい人というのは何に危機感を持っているんですか。みんな東京に家を構えているわけでしょう。 堺屋 いや、家を構えている人は少なくて、公務員宿舎とか、妻の実家などが多いんです。そういう事情もひとつにはあるでしょう。それと愛国心でしょうね。この日本の現状を見ていると、やはり動かしたほういいという人が多いです。さらに阪神大震災も相当影響ありますね。東京で地震が起こると、どんなにしてもやっぱり救いがたいですからね。 岡田 では動かしたくない人というのは、なんで動かしたくないんでしょう? 堺屋 さきほど言われた、自分の家があるとか生まれ故郷であるというほかに、やっぱり東京でなけりゃ俺は勤める気がないんだという人も多いんです。私が通産省で九つの研究所を東京都内から筑波へ移転させたとき、「月給も安いし住宅も悪いのに、私たちが東京に住んでるのは、ただ、ただ銀座や赤坂の灯を毎日見たいからだ」という人が一番多かったですね。 岡田 どこかへ移転しちゃっても、自分の息子たちはやっぱり東大へ行かせたいわけですね。 堺屋 それも議論が分かれていて「東大の権威が保てるのか」「首都だから東大だ」という人もいれば、「いや、やっぱり東大は東大だよ」という人もいますね。 岡田 「東大をもってきちゃえ」という人はあまりいないですか。 堺屋 東大は別の観点で千葉県のほうに土地は買っておりますが、それは東大が決めることで、政府が決めることではありません。 岡田 なるほど。
●首都は応接間で十分だ岡田 ところで、今回の「SIM JAPAN」で首都機能移転先を長野にしたんですけど、ぼくは首都ってのは日本の応接間であればいいんじゃないかと思ってるんですよ。その家の者には白々しい空間でふだんはあんまり使わないんだけど、お父さんのお客さんが来ると通す。つまり外交のための機能だけ果たせばいいんじゃないか。となると風光明媚、オリンピックも開催されて一応のインフラも整った長野がピッタシじゃないだろうかと思うんです(笑)。 堺屋 実際には長野という話はないんだけど(笑)、でも首都の機能をどのようなものにするかというのは、移転論議の重要な一部なんです。いわゆる首都機能の三権――司法・立法・行政だけに限った単品都市にするのか、あるいは大学などの文化機能も含めるのか、さらに経済機能はどうするかといったことですね。 ―― いまお二人がおっしゃった「機能」の内容って微妙に違うような気がしますね。岡田さんは機能というか概念的なものですね。 岡田 ぼくらにとって、首都ってほとんど意味がないんです。通信手段や交通網の発達で、首都じゃなくても仕事はできる。だったらもう国民には関係なくって完全にお客様を迎える部屋としてだけあればいい。 堺屋 首都機能は、国家がある限り、やはり必要だと私は思います。国会、中央官庁、最高裁判所はどうしても必要ですよ。だから私はその三つに絞った単品都市にすべきだと思います。応接間というより、そこにある応接セットのイメージですね。応接間ほどの比重は持たないけど、人が出入りするからそれなりの格式はある。そして、比較的小規模な都市で、経済的機能はまったく必要ないと思っています。日本銀行や証券取引所は作るべきではない。さらに、北海道から沖縄まで全国を公平に見られるような中立性がないといけない。いつまでも東京にぶら下がっていたんじゃ、一向に解決しないと思います。 岡田 その三権は、同時に動かして、しかも一カ所じゃないといけないんですか? 堺屋 これについては、延々たる議論があります。たとえば、ドイツは国会と行政府は一緒ですが、最高裁判所はカッセルにあります。今度首都機能がベルリンに移りますが、その場合は国会と中央官庁が半分移って、国防省と社会保険庁はボンに残る。また、最高裁判所もカッセルから移らないことになっています。その場合にどんな非能率が生まれるかはわかりませんが、それは国の体制によって違います。日本の鎌倉時代、首都機能は鎌倉にあった。多くの人々は、首都は京都にあって首都機能が鎌倉にあったと解釈しているんです。 岡田 でも、三権というのは、僕らとわりと距離がありますよね。そこらへんでホイホイと生活している人にとっては「政治ってよくわかんねーよ」とか。司法と言っても「離婚するときには家庭裁判所というのがあるのか」とか、せいぜいそのくらいの関係しかないですよね。 堺屋 そう。離婚や交通事故で訴えられたり借金に追われたときぐらいで、たしかに司法は日本人には縁遠い。でも行政は逆に身近で、なにかことが起こると政府はなにやってる、役所の規制がどうだとか言う。 ―― 頼りますよね、みんな。 堺屋 頼りすぎなんですよ。だから今は行政だけが強くて立法と司法が空虚なんです。厳密には民主主義じゃなく官僚主導制の国なんですね。面白いことに日本のヒーローには公務員が多い。とくに江戸以降は水戸黄門、遠山の金さんなど行政府の人ばかりでしょう。公務員でないヒーローというのは、国定忠治だとか藩随院長兵衛などのアウトローしかいないんです。こんな国は世界中にはありません。日本人はホントに官僚が好きなんだなあって、いやになります。なぜそうなるかというと、江戸の将軍様のお膝元に首都機能があった。明治は官僚政府のお膝元に首都があった。また、戦後においても、官僚主導による非常に強い規制と指導によって、日本という国は運営されてきた。このことと密接な関係があるんですね。 岡田 それは富国強兵の思想というか、日本という国を経営し動かしていくためにはいいシステムだったわけですよね。 堺屋 ええ、ある時期まではいいシステムだったと思いますよ。とくに規格大量生産をする上では、非常に効率的な制度だった。この制度はそもそも明治維新の時、ビスマルクのドイツ帝国を真似した。いわゆる官僚主導型啓蒙主義、エンライトメントというんですがこれを真似したことからはじまったわけです。とくに戦後の復興は「昭和十六年体制」という戦時下に作られた制度が基本になっていて、それが強化されている。教育においては、何丁目何番地に住んでいる子供はここの小学校に入りなさい、と役人が強制入学制までやっているわけです。また、日本人も自分の子供や自分自身が入る学校まで役人に決めてもらうことを喜んでいるという状況です。しかし、ここまで役所が入り込んでいる国は珍しいんですよ。 それに、テレビや雑誌などのマスメディアにしても東京に集中していますが、これだって自然に集まったのではなく、役人に集められたんですよ。雑誌には東京に取り次ぎ四社体制というのがあります。つまり、東京にある四つの取り次ぎ会社以外は雑誌を取り次いではいけないとされたんです。ですからたとえば、大阪市で印刷された本を橋一つ挟んだ尼崎市に売るのにも、東京に持ってこないと販売できない。「再販制度」と絡んでいま必死になって擁護しているのが、これなんです。誰も反対だの、崩せなどとは言わない。 さらにテレビに至っては世界に類例のないキー局システムです。東京のキー局でないと、全国の番組編成権が与えられないという特殊な制度です。つまり、ありとあらゆるものを東京へ集めることが行政主導で行なわれたんです。このために、全国の情報が東京一極発信となったわけです。だから東京からコマーシャルを流すと、同じ製品が全国でさーっと売れる。つまり規格大量生産には非常に便利な国ができた。
●首都はすでに無意味化している岡田 しかし、ここまでできあがったシステムをいじって変える必要があるんでしょうか。たとえばぼくは大阪の出身ですが、最近はみんなが外で大阪弁をしゃべらなくなっています。標準語の扱いがすごくうまい。ぼくが学生の頃は大阪弁しか話さなかったんですよ。標準語使うと「なに気取ってんねん」となる。でもいまの学生は気軽に使い分ける。家に帰ったら大阪弁、外では標準語、コンパやカラオケになればノリで大阪弁というふうに。それはやはり小さい頃からのテレビとかメディアを通して、文化の中心は東京にあるのであって大阪には何か違うもんしかないと、そう割り切って考えているんじゃないかと思う。以前は大阪というのは比較的東京に対抗しているところがありましたけど、もう過去の話ですよ。すべてが東京からの再拡散で、全国がこれだけ平準化されてしまっちゃっている。それをもう一回崩して、以前の地方色豊かな時代に戻そうというのは、あんまり現実性がないと思うんです。 堺屋 いや、あると思いますよ。またそれがなかったら、日本は世界の都市間競争に対抗できないんじゃないでしょうか。 岡田 競争というのは経済的な競争のことですか? 堺屋 文化的、発想的競争です。それがソフトウエアを生んだり、芸術を生んだりして、経済力に転化しますけどね。たとえば、アメリカは、ニューヨーク、ロサンゼルス、ピッツバーグ、アトランタなど、いろいろなところからあらゆる情報が発信されている。そのうちでどれが勝ち残るかという競争で、常に刺激を受けているわけです。ニューヨークの文化も、ハリウッドの文化も、その次を戦々恐々として、自らも新しいものをクリエイトしていこうとしている。しかし日本にはそういう状態がまったくありません。これは放送局もそうだし、雑誌社もそうだし、証券会社も、政府官僚もそうですよね。もう東京で決めたら、全部に知らせたら、地方からの反応はなくていいんだと。だから地方からの反応はなくても東京さえ通ったら、すべてOKという発想になっていますね。 岡田 僕にしてみると、自分自身がゲームやアニメなどのソフトウエアだけの産業のところからきてる人間だからなのかもしれませんが、いまの首都機能移転論議にあまりリアリティを感じられないんですよ。パソコン通信とか、ネットワークとか、あとファックスなどの通信手段が出てきたら、なにも東京に出て行かなきゃいけないってことはなくなりますよね。漫画家も昔だったら東京へ出てこなければ絶対漫画家になれなかったのが、もうどこの地方で漫画描こうが関係なくなってますよね。つまり首都というのが、自分たちから見るとすでに無意味化しちゃってるんですね。 堺屋 いや、統計的に見ると、特にアニメなどの制作はどんどん東京に集まっています。とくにこの十年間、バブルが崩壊してから猛烈な勢いで東京へ集まっているのが現実ですよ。それはなぜでしょう? 以前から、ファクスができたら、その前には電話が直通になったら、その前には新幹線ができたら、飛行機ができたら、地方分散すると言われ続けてきた。そしてアメリカやヨーロッパではそうなりました。ところが日本だけは、逆に猛烈な勢いで東京へ集まってきた。みんなが地方に広がっていったと言われていたけれど、四年たったらやっぱり東京に集まった。こういう結果をくりかえしてるのはなぜでしょうか。この議論は三十年間、私が青年時代から何回も繰り返されているんです。たとえば地方に行っている人で目立っているのは倉本聡さん。あの方は北海道へ行きましたよね。でも全体としては東京に集まっているんです。 岡田 いや、僕が言ってるのはそういうトップクリエイターの話じゃなくて、もっと零細企業レベルのゲームハウスなんかのことで、みんな地方でも暮らしていけるようになっています。 堺屋 そう言いますけど、統計を見るとたとえばゲームハウスというのは、北海道にあったのも神戸にあったのも東京へ来てますよ。 岡田 本社機能を東京へ移転してるだけで、実際に作っている現場は地方にあるんじゃないでしょうか。 堺屋 職業統計があって末端までわかります。これで見ると、現場はもっと東京に集まっていますよ。極めて小さいところに全部集まっています。いまの話は、五年刻みで見ると毎回毎回そうなんですよ。だから、その特殊な例の話はよくわかるんですが、それを十年刻みで全体を見てみると、どうもそうではないんですね。放送制作などでも、地方制作のこんな番組が当たりましたっていうと、その番組のプロデューサー以下全員、次の年には東京へ来てるんですね。いままでさんざんJターンだとかUターンだとか言ったけれども、結局慰めでしかなかった。やっぱり東京集中が進んでる。特に知的活動については通信機関が発達すれば、飛躍的に東京に集まるというのは、誰も否定できない現実ですね。
●日本人は官僚統制が好きか、嫌いか岡田 東京のほうへ集中しちゃうというのは、東京が面白いからだというふうにも考えられますね。 堺屋 それもありますね。 岡田 でも日本のどこかへ首都機能を移転しても、そこを面白くすることってできないですよね。 堺屋 できると思います。 岡田 できますか? 堺屋 はい。日本中の都市を面白くできると思う。それができないなら、首都機能移転というのは、これほど大きな運動にならなかったと思いますよ。 岡田 首都機能というのは、どっか適当なところで真面目にやってくれて、東京は面白いままに残してくれたほうが、結局現実的じゃないかなと思いますが。 堺屋 その通り、首都機能がなくなったら、東京は非常に面白くなりますよ。けれども、首都機能が移ったところは、そういった環境の好きな人にとっては面白くなると思います。ただみんなに面白くなるとは限りません。たとえばアメリカならばワシントンが面白いと思う人もいれば、ニューヨークが面白いと思う人もいる。ロサンゼルスだと言う人もいれば、モンタナだと言う人もいます。つまりアメリカの場合は、みんながそれぞれの都市を面白いと思っているから、都市間競争があるんだと思うんです。同じことはドイツについても、イタリアについても言えると思いますね。 岡田 それでしたら日本だって、福岡も面白ければ大阪も面白いはずですけども、現実にはあまり面白くないですよね。だから地方の若者が自分のところの方言を捨てて、標準語になっちゃうわけです。もし東京から首都機能がどこかに移っても、その移転先を面白くする方法って、僕にはわからない。と言うのも、僕は面白くする専門家だったからなんですけれども。面白くなるというのは、だいたいこんな環境が整っていたら、二十年ぐらいで勝手に面白くなるんじゃないかなと検討がつくんです。その環境を作る、カオスみたいなものが、どうも持ち込まれないような気がするんです。新しい首都の場所を、たとえば札幌でもどこでもいいんですけれども、そこに決めてポンとみんながそこへ行く。それで、札幌の文化を活性化しようといっても、その方法がないですよね。これまでも文化庁みたいなところがありとあらゆる文化を育てる試みをしてますけど、ことごとく外れてますよね。すでにあったものに対して賞を設定するとか、そんな程度でしょう。 堺屋 それは外れてるというべきか、外れてないというべきか、どちらでしょうねえ。問題なのは、先ほど言いましたように、東京の面白さの一つには出版社、テレビ局、およびそれに関係してるいろんな人たちがいるということなんです。だからこの一極集中をやめればいいんです。そうすれば、テレビ局だって日本中にキー局ができ、そこで自由に考えた人々が番組を販売すればいいわけで。そこでNCCとか、スター放送とか、そういうものが育つと思うんですよ。あなたがおっしゃったのは官僚統制に依存してやろうとするからできないんです。 岡田 でも官僚統制というのはみんな好きなんですよね。日本人のメンタリティとして、そういうのが好きでしょうがないように見えるんですが。 堺屋 いや、それだったら、日本人は自由経済と民主主義に向かない民族だと思いますよ。 岡田 先生の著書にそう書いてありましたけれど。 堺屋 それなら面白いことはやめたほうがいいね。みんな軍服を着て、ちょうど戦争中に官僚が夢みたように、国民服というのを定めて全員ファッションは国民服だとしたほうがいいと思いますね。 岡田 いや、そこまではしたくないんでしょう。つまり日本人が一番好きな姿は、自分らはそこそこ自由であって、だれかに決めてほしいと。いわば制服がない学校みたいなもんですよね。 堺屋 それだったら、私はこれからのソフト化の時代、グローバル化の時代に日本は一流の国になれないと思うんですね。私はもっと日本人を信頼してます。確かにいままでは規格大量生産をし、近代工業国家をつくるためには、官僚統制制度がいいと思って選択した。言いかたを変えれば、官僚統制が便利だったから使っていたという感じだな。しかしこれからは近代工業社会ではない。だから官僚統制というのを日本人自らが自由に外していくだろうと思いますね。官僚統制が好きな民族だとは、僕は思わない。もっと国民を信頼してます。その点、ちょっとあなたの意見とは違いますね。
●堺屋、岡田、それぞれの日本人像岡田 僕が大学生ぐらいの頃まで、民族にはその成長の過程があるという話を、僕らより二世代ぐらい上の人がよく言っていたんです。たとえば、日本人はまだ子どもだから、官僚に頼っていた。でも、いずれ成長して大人になるんだから、そろそろこれまでのような官僚の干渉やアメリカの干渉ははねのけて、自分で決めよう。そんな内容の話だったんですけれども。 堺屋 それは終戦のころに言われていた、日本人十二才論というものですね。マッカーサーやライシャワーといったいわゆる戦後第一世代の人が来て、そういうことを言ったんですよ。これまた非常に極端というか、かなり誤った議論で、日本もアメリカも同じだが、違いは発展段階だけである。日本は十二才で、アメリカは大人だ。だからやがて日本も成長して、アメリカとそっくりになる。こんな話ですよね。でもそれは相当誤ってましたね。そういう部分もなきにしもあらずという程度の議論でした。いま私が言ってるのは、日本人がアメリカのようになるとか、フランスのようになるとか、ロシアのようになるとかいうものではなしに、日本人は近代工業国家になるための手段として、官僚統制というのを自ら選んだ。ところが、いまや近代工業国家を卒業して、これから多様な生産をしていく、ソフトな社会をつくらなきゃいけない。そうなってくると、日本人自ら官僚統制を放棄していくんです。国民的な好みは時代で変わります。平安時代のような公家好みもあれば、戦国時代のようなチャンチャンバラバラの時代もあったわけです。それぞれの時代精神に規定されながら、日本人は変化してきた。日本人は時代に沿って倫理観や美意識を転換していける、極めて敏感で柔軟な能力を持っていますよ。 岡田 僕が感じる日本人の実像もいまのお話と同じなんですけれども、解釈が違うんです。そこそこの支配やコントロールをしてもらうのが好きなんだけども、そのなかで自分の自由時間ぐらいはほっといてくれというような感じだと思います。つまり、もう自由は飽きたんじゃないですか。自由とか、創造とか、クリエイティブということに、もう疲れてきている。やってみたけどあんまりよくなかったと思って、手放しはじめてるんじゃないかな。 堺屋 そうは思いませんね。日本人は自由な状況を、少なくともこの三百年の間、一度も経験したことがないと思いますよ。 岡田 それはもともと嫌いだったんじゃないでしょうか。 堺屋 いや、損だと思った。 岡田 世界中の人が、というか先進国の人たちが、クリエイティブだ、自由だという方向に向かうのはいいんですけれども、それももう限界がありますよね。みんながそんな自由になれるはずがないですし、衝突だってある。クリエイティブになることで、よその国に文化侵略するということにもなっちゃいますし、僕がやってるゲームとかアニメにしても、ヨーロッパではやってはいけないというところがいくつもあります。そんな状況で、先生がおっしゃられてることというのは、資源が有限だというのと同じように、人の価値観の広がりや転換にも、ある限界があるのではないでしょうか。 堺屋 さあ……。僕はそれほど官僚的な発想はしないんだけどね(笑)。 岡田 これって官僚的ですか? 堺屋 うん、極度に官僚的ですよ。いま、規制緩和反対のエリート官僚はあなたと同じことを言います。「先生、規制緩和と言いますが、それは違いますよ」と。ヨーロッパであろうがアメリカであろうが、あるいは中国であろうが、ゲームソフトを拒否したいと思う人もいれば、逆にどんどん受け入れたいという人たちもいます。時代がグローバルになるほど人間は多様性を求めるんだと思いますよ。たとえば、村落共同体でみんなで農業やって、祭りだ、葬式だ、花見だって生産も消費も娯楽も一緒にやってる。そんな生活をしてるところへ行商人が鮭を売りにきたら、その日は村中で鮭を食べるしかなかったわけです。村には他の魚も肉もないわけだから。ところが江戸になり、東京になると、鮭もあれば鰯もある。刺身がいいというのもいれば洋食がいいというのも出てくる。そんな風に多様性が出てくるんですよ。ある人がゲームソフトを拒否するのは事実です。しかし全体としてみれば、各人が自由に選択をするようになり、結果として何百万人がゲームソフトを受け入れるようになればいいんです。それは、とりもなおさず政府の権限から自由になるということです。
●無意味な首都、尊敬されない政府――政府の仕組みを変えずに移転はできませんか。 堺屋 できません。現在の永田町や霞ヶ関がそのままポンとどこかに飛んでいくなんて、物理的にも組織的にも無理です。ある省庁を移すとなれば、どこの課がいくか、どの仕事を持っていくか、これは本当に必要な仕事かといった議論が必ず起きますから。日本の歴史を見ると、首都機能の移転ですべて社会が変わっているんです。奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代。そして現代は東京時代と呼ぶこともできる時代でしょう。逆に、移転しなかった時には絶対変わらなかったことの証明でもあるわけですね。首都機能は移転する、でも社会は変えないで規制を続けるということは、理論的には考えられても事実上は不可能ですね。 岡田 でも、先生がおっしゃるように、首都を変えるごとに必ず新しい文化が生まれるといっても、基本的には日本が昔から持っている支配体制、つまり集権体制が形を変えて移動しているに過ぎないんじゃないですか 堺屋 いや、必ずしもそうではありません。たとえば鎌倉時代の場合、首都機能は鎌倉にあったけれども、経済機能や文化機能は京都にあったわけです。したがって、地方分権が非常に進んだんですね。だから集権的なものが移動したとは思えません。室町時代も同じですね。集権的なままで移動してたら、戦国時代のような内戦状態にはならなかったと思いますよ。 岡田 さっきから多様性がなんでいいのかというのがひっかかっていて「なにか違うなあ」と思ったんですけどね。堺屋先生が「多様性をもってクリエイティブにならなければ」とおっしゃるのは、国際的に見て日本は文化的に二等国であるという前の世代の価値観、その部分だけがくっついてきているように思うんですが。 堺屋 岡田さんがおっしゃっているのは、国家統制がいいんじゃないかということを言ってるんですよ。 岡田 向いているんじゃないかと思っているんです。 堺屋 要するに岡田さんがおっしゃるのは、日本というものを、日本人と日本国とに分けて、日本国はどうでもいいと。日本人が世界中へ飛んでいって、それぞれのところで才能を発揮すればいいという意味ですか。 岡田 と言うか、首都機能のほうもそうだと思うんですけど、僕がある程度その三権をどっかへ持っていって、そこで好きにやらせろと言ってるのは、それによって無意味化が進むからなんです。本気で政治改革したいなら国民がもっと政治に無関心になるようにしむける方がよほど現実的ですよ。政治改革って「どうしたら国民が政治に関心を持ってくれるか」ということだと思うんです。だから首都は国民から遠く離して、サミットとか面倒なものはそこで勝手にやってもらう。首都はますます国民には無意味になる。逆にそれが国民の意識を変えるんではないかと。 堺屋 そうですね。でも初めにも言ったけど、国家がある限り完全な無意味化はできませんよ。罪悪を犯した人を裁くとか、法律をつくるとか、戸籍謄本をつくるとか、絶対必要です。ただ、無意味化するのではなくて、その規模を、いまのような大きくて立派なものじゃなくて、小さくてしなやかなものにしたいんです。そのためには、東京のような堂々たる都市ではいけない。将軍様のお膝元以来の伝統を引き継いだ帝都の発想を払拭しなくてはだめですね。いまの政府というのは、相撲協会なんですよ。まず、相撲をする人は十五才で相撲部屋に入って、相撲の練習だけではなく、チャンコの世話から、兄弟子の背中流しから、全部やらなきゃいけない。力士になって出てくる時は、ちゃんと髷を結って、髭を剃って、蹲踞(そんきょ)の姿勢をして、柏手を打つ。そして、何よりも大事なこと、誰が横綱になるか、誰が幕内になるかを、すべて相撲協会が決めていくんですね。それと、いま学校教育は公営制で、国立大学はたくさんありますね。道路なんて全部国が作ってますね。つまり相撲取りの半分は政府なんですよ。しかも行司も政府なんですよ。さらに相撲茶屋までやりましてこれがやたらと高いんですね。 でもこれからは、相撲協会は片隅でせいぜい行事役か審判ぐらいをやってくれればいいわけです。それで、力士も相撲興行を行なう座主も民間に任せてほしいというのが、一番のポイントなんですよ。プロレスみたいに、好きなだけ団体作ったらいいんです。それで選手も民間に任せる。べつに小川さんが入ろうが、馬場さんが六十才でやってようが、女子プロレスができようがいいじゃないか。もちろんどこそこが一番強いとか、どこの団体が一番美人が多いとか、いろいろ言うけれども、それはもう好き好きですよ。で、美人が好きな人は美人プロレスを見に行けばいいし、メジャーの好きな人はメジャーを見に行けばいい。いろんなタイプがあっていいんですよ。そのなかで誰が生き残るかは消費者が選べばいいわけで、政府が決めることではない。大仁田厚みたいに負けてばっかりいても、人気があればメインイベントでいいと。べつに十四勝以上しなきゃいかんとか、そんなことは政府が決めることではない。そうするためには、やっぱり小さくて、そして、語弊がありますけれども、あえて言えば、それほど尊敬されない政府になってほしいと思うんですね。
●日本を変えるのは「セコイ首都」だ岡田 ゴールに関しては、堺屋さんのおっしゃるとおりだと思うんです。ただそのゴールに行く手法として、僕は、どんどん無意味化していけばいいんじゃないのかと考えちゃうんです。それ以外に、既に権益を持っている人間から権益を引き剥がしたりする現実的な方法ってないんじゃないですか? それはすごく苦しいことのような気がするんですよ。 堺屋 たしかに、日本で規制緩和、行政改革、地方分権と叫ばれてから十八年になりますが、この間まったく進まないばかりか、逆に猛烈に強化されたんですね。私にとっては絶望感みたいなのがありましてね。これはもう首都機能移転でもしない限りできないんじゃないか。そうでなくても阪神大震災やオウムサリン事件、O−157でも、規制はものすごい勢いで増えてるんです。それを抑えられないですよね。 ―― お二人の共通点は首都機能移転が国民を変えるということのようですね。岡田さんは政治の無意味化が人の心の変化を促すから規制をいじるよりはこのままの状態で首都をどんどん無意味なものにしていくべきだと。堺屋さんは、首都機能の移転は人の心を新しい状態にシフトする。しかしその首都は小さくあれということですね。 堺屋 古い言葉で言うと「民心の一新」ってやつですね。それは確かに効果があると思います。それと、首都機能が移転すると「日本は変えられる国だ」とだれもが思うでしょう。今は若い人の間でも「もう世の中変わらないよ。今日を楽しく生きたらいいじゃないか」という“陽気なペシミズム“が流行ってるんです。ぜひこれを変えたいと思うんですが。 岡田「民心の一新」みたいな大局的な目的のために首都機能を移転しよう。でもその首都ってのはセコイほうがいい。できりゃ貧乏くさいほうがいいくらいだと。それくらいが自分たちの身の丈に合った首都なんじゃないかってことでしょうか。 堺屋 貧乏くさいってのはちょっと語弊があるけれども、小さくて軽やかな、という……。 岡田 またそういういい言葉つけちゃうと、いつもみんなそこで誤解しますから。あえて「セコイ首都待望論」でいきましょう。 堺屋 セコイというのはいいかもしれないね(笑) |