『マジメな話』
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●「大きい物語」不在の時代鶴見 前に岡田さんと、今のマンガやアニメで「大きい物語」というものが作れなくなってるんじゃないかという話をしたことがあって。 岡田 ちょうど『エヴァンゲリオン』が話題になっていた頃ですね。でもエヴァに限らず、この五年間ぐらい、マンガというものは妙にラストシーンが崩れているんです。 鶴見 それは単に編集部が引っ張るとかそういうことじゃなくて、作家がストーリーの終末ってものを描けなくなったんだろうと。望月峯太郎の『ドラゴン・ヘッド』も、もう収拾がつかないような状態になってる。なぜそういうでかいストーリーを展開すると破綻してしまうのか。それは今の時代状況と関係ある重要なことかなという気がするんで、そこから今の社会の正体を暴こうと。 岡田 前の自分の会社で『ふしぎの海のナディア』というアニメーションを作ったんですけど、主人公は正義に決まってるから、元気はつらつな少年とかちょっとひねくれた女の子とか適当に配列すりゃいいわけです。ところが敵を設定するときに、悪の帝国みたいなのを作ろうとしたんですけれども、悪の帝国のほうに視点が移りますよね。そうしたら悪の帝国の内部倫理も描かなきゃいけなくて。悪の組織だろうと、朝飯は食うだろうし、上司は部下に説教をするはずなんですよ。悪というだけであって、実際は企業団体というか集団ですから、そこにだって人間性はあるし、トップの命令一つでみんなが動くわけじゃないという現実もある。だからたとえば、その中に悪い奴がいれば、悪の中間管理職は悪の平社員に向かって説教しなきゃいけないんです。「お前、こういうことでいいと思ってるのか」とか、人生経験を語りたおして説教しなきゃいけない。でも、そういう説教の根拠みたいなものを持ち得ないんですよね。 鶴見 親が子どもに言う言葉を失ってるのも同じことかな。 岡田 たぶん、それとも共通してると思うんですけれども、これまで考えなくてもよかった「正義が正義たる理由」というのが存在しない。悪者が世界征服だとか、とにかくハルマゲドンだとか、ゲルマン民族優秀だとか言ってくれたから、それに反対するだけで良かったんです。視聴者は納得してくれた。 鶴見 絶対悪っていうのがあってくれれば、簡単なんですよね。最後に善玉が勝ってハッピーエンドとか。 岡田 『デビルマン』なんかは特例ですけどね。途中で悪者の形が変わって、それを内包している人間が悪いんだっていうふうになっちゃったから。あれは一回しか使えない大技を三十代前半で使っちゃったマンガ家がいかに辛いかということでもあるね。 鶴見 そもそも、善玉が悪魔のデビルマンですからね。 岡田 その悪の方も、じゃあ人類を征服するっていっても、その征服から先が出てこない。 鶴見 今の世の中も、一体誰がいいのか悪いのか……。たとえば東西冷戦時代なら、資本主義社会ではソ連が悪者でしたよね。それとか、冷戦の一環としてベトナムとアメリカが戦争してて。ベトナムが勝ったっていうのもとんでもない話ですけど。 岡田 アメリカが尻尾を巻いて逃げた。 鶴見 ゲリラ戦に歯が立たなくて、ジェノサイド(皆殺し)作戦なんて言って、枯れ葉剤とかナパーム弾を信じられないほど撒いて、なりふり構わず勝ちにいったのに。当然世界的な批判を浴びますよね。そしたら、たとえばジョン・レノンみたいな人が「ラブ・アンド・ピース」とか歌って、善玉=ジョン・レノン、悪玉=アメリカとか、非常にわかりやすかった。そういう社会的な二項対立が、いまはすっかりなくなりましたね。 岡田 東西冷戦のときに、ソ連が悪だとか、何かが悪とすることに飽き足りないマンガ家たちは何をしたかというと、たとえば「アメリカやドイツが悪いんじゃない。悪いのは戦争だ」っていう形で、究極の「戦争を悪にする」ことができたんですけれども。でも、それにもそろそろみんな気がついちゃって、使えなくなっちゃった。 鶴見 だから、今の時代は敵が見えないというか、敵がいない。この間ピストルを輸入したがってる人と話をしてて、ピストルが大量に日本に出回るようになったら面白いけど、じゃあ誰を撃つんだと。天皇を撃ったって、昔の天皇を撃つ意味とまったく違っていて、意味がない。橋本龍太郎が最高権力者かっていったらそうじゃないから、総理大臣も撃てない。結局全部自殺用じゃないかって。あとは脈略なく撃つか。使えないんじゃないかって言ってたんですが。 岡田 ピストルを使って、豊かになろうともしてないわけですね。 鶴見 金儲けにも、あんまり関心ないですよね。 岡田 お金ってあんまりあってもしょうがないもんだ、って思っちゃってるし。あと、お金の価値を前提としている社会システムを軽蔑した以上、持っていてもあんまり楽しくないですよね。 鶴見 経済活動に励んでも、円高で叩かれちゃうし、もはや高度成長期のようにはいかない。 岡田 まことにもって、物語を作る人にとっては極めて貧乏臭い……。
●生きがいって何?鶴見 あとは、ラブコメの小さい話しかないのかな。 岡田 ラブコメも相手との関係性を信じられた時代は良かったんです。友情なんていうドラマが成立するのは、友情という題材、心と心の触れ合いという題材に、真実があるような気がしたからですよね。 鶴見 なるほど。 岡田 「この世の中にたった一人、自分を理解してくれる人がいるかもしれない」なんていう、ヘナヘナなことを考えられた時代だったから。もう、それがダメでしょう。 鶴見 最近、片親が多いから、結婚とか永遠の愛なんて神話も空しい 岡田 そうですね。日本では昭和三十三年に赤線防止法ができるまで、性風俗、売春なんて当たり前だったと思うんですけれども、それよりもいまのほうが遙かに当たり前になっちゃってる。昔は堅気の奴ってあんまり風俗に行かなかったんですよ。でも、いまは堅気の奴でも風俗行くし、堅気の女の子でもどんどん風俗行って働いちゃう。そこら辺で結婚の必要性とか、結婚への幻想とか、セックスへの意識がヘロヘロと崩れていきますよね。全部巨大な日常に飲み込まれていく。鶴見さんにとっては願ってもない状況というか。 鶴見 願ってもないというか、俺はずっと前からわかってましたから。 岡田 いつぐらいからそういうふうに思ってました? 鶴見 小学校ぐらいですかね。(笑) 岡田 嫌な小学生ですね。(笑) 鶴見 幼稚園かな。幼稚園のときに「終わりなき日常」って、言ってましたから。(爆笑) 岡田 どういう意味で「終わりなき日常」と言ってたんですか。 鶴見 延々と続く同じことの繰り返しの日常生活は戦争より怖いとか。とにかく退屈が大敵だと。 岡田 そんな、ひねた子どもだったなんて、何か嫌なことがあったんですか。(笑)。 鶴見 いや、この社会に住んでいたらそれは真当な感覚だと思いますよ。「日常生活が辛い。戦争でもドッカーンと起こってくれ」という。だって、台風が来るとワクワクするじゃないですか。深夜もTVで台風情報やってて、緊急事態っぽいし。江口寿史の『ストップ! ひばりくん』にも「台風が来るとワクワクしない?」って、ひばりくんが言う場面があるし。「デカイ一発」が欲しいんですよ。 岡田 いくつぐらいのときに、「これは来ないよ」って思ったんですか。 鶴見 『完全自殺マニュアル』の前書きに書いた通りなんですけど。岡田さんはあの頃、どう思ってました? 八八年頃の『危険な話』ブームの時。 岡田 この話するといつも「岡田はバカ」って言われるんですけれど。あのときに俺は、たしか二十冊買って配っているんですよ。人前でこの過ちを話すときにはいつも「俺って恥ずかしい奴だな」って……。 鶴見 いやいや。俺もスパゲティ食わなかったっすよ。本当に「東海原発がいつ爆発してもおかしくない」と思ってました。だけどやっぱりしないんですよね、爆発って。 岡田 しろと思ってたんですか。 鶴見 確か「どっちでもいい」と思ってました。卒業旅行で中南米の紛争しているところに行こうとしてて。生きがいとかっていまどき感じてる人、いるんですかね。 岡田 生きがいを感じてるっていうか、「生きがいがない」と言えるほど爽やかな奴はいないんですよ。 鶴見 「生きがいって何?」って感じだな。 岡田 じゃあ、日常がすべてで、「巨大な一発が来い」と思っていた鶴見さんの生きがいは何なんですか。 鶴見 生きがいの前に「普通の状態」を目指してましたから(笑)。 岡田 現在の生きがいはやっぱり、チンタラ生き続けることなんですか。 鶴見 生きがいとかと関係なく、ただ生きているだけです。生きものとして(笑)。意味も目的もないです。岡田さんは? 岡田 俺、七〇年代後半、アニメ作ってましたね。 鶴見 燃えてやってた? 岡田 そうそう、燃えてやってた。そうやっていてもやっぱり日常はドンとあって。ただその日常が永遠に続くのかとか、巨大な一発が来ないかと思うのって、わりと社会のメインストリートの、それも真ん中を歩いてる人の特権なんですよ。俺らは隅っこだったんで。怪獣好きでアニメ好きでこんなに玩具ガンガン買ってたら、俺たちに未来はねえなと。でも同時に、文化そのものがたそがれていっていましたからね。八〇年代のバブル文化というやつで、みんな、ジュリアナに行って、クリスマスにホテルをバンバン予約して。 鶴見 トレンディなことをね。 岡田 俺らはたぶんそのころ、「動画用紙が足りない」とか。(笑)「撮影が手を抜いた」だとか、「ネオ・アトランティスの新兵器どうする」というようなことを朝の六時まで話したりしてる。そうすると、どんどんたそがれた気分になってきて。 鶴見 やっぱりやさぐれ入ってくるんですね。 岡田 やさぐれ入っていくわけですよ。 鶴見 俺なんか「世の中、ぶっ壊れろ」とか物心ついた頃から思ってた気がしますよ。 岡田 ぶっ壊れろは思わないですね。どうも、支配階級と被支配階級がいるらしいから、この構造を利用して支配階級になる方法がないか、どうかということを考えましたけれどね。 鶴見 戦略的ですね。 岡田 いや、商売人(笑)。
●支配者は誰だ?鶴見 だけど、支配階級って一体誰? この日本の社会は、誰が支配してるんですか? 岡田 昔の支配階級・被支配階級ほど象徴的に、支配=偉い、被支配=偉くない、っていうわけじゃないんです。会社の中の上司と部下みたいなもので、単なる立場というものが前提となっているんですね。たとえば、今この部屋の中では俺と鶴見さんが支配階級で、聞いてる人は被支配階級。これは僕の基本的な見方なんですよ。世の中で自分の意見が言える人間とか、自分の考えを出せる人間が支配階級で、それを聞いて口移しに喋るしかない奴が被支配階級。 鶴見 そうすると、日本全体では政治家が支配階級? 岡田 いや、政治家自身も自分の意見、人の意見を、あんまり変えたりできないんで。 鶴見 じゃあ、だれの意見でこの日本の社会って動いてるんですか。 岡田 恐らく一万人程度のプレイヤーがいるんですよ。残りは駒ですね。 鶴見 どこにいるんですか? 岡田 俺たち、その中に入ってるんですよ。鶴見さんの著作を読んで影響されたり、俺の話を聞いて影響されたりする人間がいる限り、俺たちは支配階級なんですよ。 鶴見 俺はそういう見方じゃなくて、やっぱり、官僚が動かしてるのかなとか。 岡田 官僚だって俺らの本、読んでますよ。勉強会で本の受け売り喋ってると思いますよ。「鶴見はこう言っている」とか。 鶴見 「覚醒剤は素晴らしい!」なんて? すごい勉強会だな(笑)。 岡田 いや、二次会で喋る。「俺、鶴見の言うことわかるんだ」とか言って。わかってねえよって(笑)。そんなのが、俺は見えちゃう。 鶴見 捕まりますよ、その人(笑)。でも、それが支配だと。 岡田 そうですね。だから、かつての統治支配とか経済支配に代わって、俺、自分の本の中で言ってるけど、それは「洗脳支配」なんですよ。 鶴見 支配って言うとイメージ悪いですけどね。俺なんかとくに、読者が何十人も死んじゃってるからね(笑)。 岡田 それは自由競争みたいなもので、俺らだって自分の意見をでっち上げたわけじゃなくて、誰かの受け売りを適当に繋いでアレンジして喋ってるだけですよね。俺の場合は岸田秀とか橋本治とか、どんどん恥ずかしい元ネタばらしやってるんですけど。 鶴見 ということは、ナンシー関も支配階級なんですか。 岡田 そうですよ。(笑) 鶴見 俺、結構本持ってるんすよ……。 岡田 でも、ナンシー関が出てきてから、ものすごい数のコラムニストの文体が、ナンシー関になったでしょう。体言止めとか使って。あと、ナンシー関的な突っ込むっていう考えが一般的になった。ナンシー関なくしてダウンタウンはない、というやつです。彼らはナンシー関によって生まれた、子どもだと思ってるんですけど。嫌な母親と嫌な子ども。(笑) 鶴見 俺は、やっぱりヒットラーみたいなわかりやすい支配者がいて欲しいんですよ。昭和天皇、明治天皇とかね。社会が動いてるってことは、誰かが動かしてるわけだから。でも誰だかさっぱりわかんないです。半数近い人が棄権しても、ひょっとしてゼロになっても、社会は大丈夫かもしれない。政治家なんて誰でもいいわけで、力ないですよね。官僚もなさそうだし。 岡田 鶴見さんの考えだったら、たぶん、システムって言い方になっちゃうと思うんですよね。 鶴見 そうなんです。システム全体が勝手に動いていると睨んでいるんです。 岡田 官僚っていうより、官僚の伝統とか、もしくは官僚文化そのものですか。そういう、彼らのソサエティのなかの不文律みたいなものが社会を動かしている。 鶴見 一言でシステムって言っても行政、金融、教育、企業、マスコミとか、全部一所になってて、とらえどころがない。結局、時計が社会を動かしてるんじゃないかと。そのシステムを探っていったら、一番奥に一個、時計が置いてあった、なんて印象しかないんですよ。 岡田 でもその時計を分解していったら、誰かがいるような気がするんですけどね。よく池上遼一とかのマンガで、「支配者はだれだ」ってやっていくと最後、プールでザバッザバッてバタフライで泳いでて、ザバーッと立って、女の人をバックからいつも犯してるような支配者が(笑)。 鶴見 結局そんなわかりやすいヤツだったりして(笑)。 岡田 「支配してる奴がわかったら戦おう」とか、そういうメンタリティはありますか。 鶴見 それがさっきの話とつながるんですが、支配している奴がわかれば、敵対とか対立関係が見えてきますよね。物語がそこから生まれる可能性が出てくる。だけど、こんな状況じゃ対立とか反抗の物語も無理ですよね。レイヴが広まる理由のひとつは、パンクのように反抗もしないし、「ラブ・アンド・ピース」などと主張もせずに、ただ踊るだけだったからだと思います。
●自由という舞台装置の中での「自由」岡田 尾崎豊みたいなのはもうだめなんですか。俺の知り合いの大学生に尾崎豊ファンがいてね。彼に「尾崎豊って、他人の家の庭で、裸で死んだ男?」って聞いたらね、メチャクチャ怒られて(笑)。俺はその通りなんだと思ってるんですよ。どんなにいい歌を歌ったかしらないけど、最後は人の家の庭で裸で死んだ奴でしょう(笑)。その冷徹な事実を認めろって。 でも彼は「尾崎はそうじゃないんです」と。「尾崎は大人社会というシステムに反抗したんだ。だから、窓ガラス割ったんだ」って。ところが、夜に窓ガラスを割っても、先生にしたら誰が割ったかわからないでしょう。つまり、生徒というシステムに自分が逃げ込んでいるわけじゃないですか。学校教育というシステムの中に。 鶴見 その後、中退しますが。 岡田 え? 本当に割ったんですか。 鶴見 と、青学の奴から聞きましたよ。いまでも尾崎信者みたいな奴がいて、「おお、こ こが尾崎の割った窓ガラスか」なんて。(笑) 岡田 毎年毎年、その記念日にみんなで割ったりしないんですか。(笑) 鶴見 いや、窓ガラス割ることに何の意味も見出せないでしょう。「嫌なら、学校辞めろよ」ってことになるらしい。最近の高校生ってすぐ辞めるんですよ。 いまの世の中、不良も見えにくくなってますよね。昔は高校にも不良がわざわざ来ていて、遅刻とかして、反態度を貫きたいみたいで。でもいまは、辞めさせるらしいんですよ。考えてみたら当然ですよね。そんなに学校に来たくないなら辞めなさいって。 岡田 やっぱり、反抗しようと考える人って、そういうシステムとかに支配されること自体が嫌なんですかね。 鶴見 そうでしょう。それは間違いなく。自分もそうです。 岡田 「支配者側に行こう」とは、あまり考えないわけですね。システムなんだから支配されるしかあり得ないわけですね。 鶴見 支配欲があまりないし。自由にしてくれりゃいいんです。 岡田 「自由」ありなんですか。 鶴見 「生きがい」とか「愛」なんていらねえなんて言ってても、自由は死守ですよ、死守。 岡田 「自由」を与える立場になったらどうしますか。 鶴見 う〜ん。 岡田 日本の人、世界の人と言ってもいいけど、みんな自由っていうのがそんなに似合わない顔をしている。あまり自由を謳歌すると不幸になるから、四割ぐらい導入すればいいんじゃないかな。 鶴見 確かに「自由にしていい」って言ってるのに、わざわざ不自由なことをしてる奴は多い。女子高生のルーズソックスなんか、崩し方までビシッと同じにしてるし。 岡田 僕らが一番自由を感じるときっていうのは、じつはある程度整備された「不自由な」場所へ放り出されたときですよ。ディズニーランドとかゲームセンターみたいに、遊び方が決まってるところへ放り出されるのはいいんです。でも着のみ着のままで、荒野のど真ん中に放っぽり出されて「遊べ」と言われたら、困っちゃいますよね。自由っていう舞台装置がないと自由にできないというか。コカ・コーラのコマーシャルみたいな舞台装置です。友だち同士がいて、静かにしてなきゃいけない図書館で、ちょっとみんなで、「ハーッ」と歌っちゃったり。(笑) 鶴見 ナチス・ドイツなんて、完全に自由を放棄して、徹底管理による幸福を追求した社会ですよね。あれは、クーデターで実現したわけじゃなく、みんながわかっててナチスに投票して成立した。民主主義社会から多数決によってこんな社会が生まれたっていうのもすごいけど、ナポレオンの独裁とかもそんな感じなんすよ。みんな自由と管理のどっちがいいか、よくわかってないかもしれない。
●管理する側、管理される側岡田 鶴見さんの考えと、僕の考えの一番違うところっていうのは、いわゆる大衆側に視点があるのか、もしくは大衆側に視点がないのかだと思うんですよ。 鶴見 俺は大衆側かな。 岡田 うん、そうですよね。「管理される」という言葉を使いますよね。僕は恐らく「管理する」と言うんですよ。コントロールする側だというふうに自分で考えているので。 鶴見 何しろ元工員で、バリバリ管理されて痛い思いしたんで。 岡田 俺はアニメ会社をやって、アニメーターをバリバリこき使った経験があるんで。(笑)たぶん、管理するという考えがあるんだと思うんですよ(笑)。 鶴見 そうすると、オルテガ風の「エリートがバカな大衆を支配する」みたいな考え方に近づいていくんじゃないですか。西部邁なんかもそうですよね。大衆社会を成り立たせていくために、一部のエリートが必要だ、なんて考え方。 岡田 宮台さんも似たようなこと言ってるんですよ。一部のエリート層を出すための方法論として、援助交際とかそういうふうなものを認めてしまって、世の中を巨大な日常にしてしまったら、途端に不満分子が必ず浮き上がってくる。その不満分子というのがエリート予備軍であって、それを鍛えればエリートになる、というのがどうも基本思想らしいんですよ。 鶴見 まったりと生きる人たちだけでは、社会がいつか維持できなくなるなら、維持しなきゃいいじゃないですか。そんな頃には自分は死んでいるわけだし。 岡田 宮台さんの考えというのは、たとえば、そのエリートっていうのがこの世の中に千人必要だとします。日本には一億何千万人いて、ほとんどがまったりと生きていても、その中で不満持ってる奴がたぶん十万人ぐらい出てくる。この十万人のうち本当に必要なエリートって、千人しかいないわけですよね。残りの九万九千人はエリートの落ちこぼれなわけです。この人たちが自分たちのことを「俺たちは落ちこぼれなんだからもう一回まったりと生きよう」なんて考えられるぐらいだったら落ちこぼれないで、最初からエリートになっていますよね。ということは、そういう中途半端なエリートの奴は、上のエリートの奴を引きずり下ろそうとして工作するはずなんです。どうするのかというと、上のエリートのやっていることで、人に説明しにくいこととか、矛盾していることを、下の大衆に対して「みろ、あいつら間違っている」訴えかけることで、世代交代を図る。これが政権交代の本質なんだと。でもそれっていまの言論界の状況そのものだから「宮台さんの言っている状況は完成されてるじゃないですか。宮台さん、幸せですよね」って言ったら、宮台さんは、ウーンと困ってましたけど(笑)。
●「第三の波」で世界中が退屈化していく鶴見 この先もこれまでと同じことを続けそうですね。だったら、この社会が一世紀か二世紀くらい続くんじゃないかな。 岡田 僕は、ゆっくりとこのシステムは崩れていくと思います。とにかく、社会のインフラの中、俺たちみたいな責任感のない奴が現場のトップに立つわけです。緩やかに、ダラダラダラッとこの文明社会というのは崩壊していく。それには三百年ぐらいかかるんじゃないかな。 鶴見 たとえば、アルビン・トフラーなんかの考え方に「第一の波」「第二の波」というのがあって。「第一の波」は農耕革命で、「第二の波」は産業革命。どちらも社会が激動しますね。産業革命は十八、十九世紀、二十世紀の、オイルショックあたりまで続く。つまり我々は、歴史の激動から普通の姿に移ったところを目撃しちゃってる気が、するんです。要するに、二回の革命期以外は、変わりばえのしない社会がずっと続いていて、これが歴史の普通の姿なんだと。だからまだまだ続く気がするんです。これらの革命に匹敵するものが出てくるとしたら、岡田さんはいつくらいだと思いますか。 岡田 もう、四、五年前からでてきています。それは、デジタルです。「第一の波」、「第二の波」というのはすべてテクノロジーによって発生していますよね。「第一の波」、農業革命の本質は、それ以前は獲物の奪い合い、喧嘩しかなかったんです。それが、来年も、再来年も食物が採れるというシステムができたんです。そのとき、相手を支配して土地を奪い、生産の上前をはねるという考え方が初めて生まれて、部族ごとの喧嘩が戦争になったわけですよね。「第一の波」が国家すなわち奴隷制度というものを成立させたわけです。 「第二の波」の産業革命は、蒸気機関というやつで、ローマ帝国が崩壊したのは、蒸気機関がなかったからじゃないですか。人間の足とか馬では、これ以上は伸びないという成長の限界があって、自滅的に内側に向かって倒れていく。ところが、産業革命を日本史で例えると、大陸間を渡って向こうの国に戦争を仕掛けることができるようになった。これで世界的な戦争状態になった、と同時に、発展もあったわけで。 では「第三の波」というのはなにかというと、いま進行中で、それはデジタルであったり、コミュニケーションの確認です。人間同士、簡単に連絡が取れてしまった。携帯電話とかポケットベルみたいなものを含めて。 鶴見 じゃあ、九二年ぐらいから農耕革命と産業革命に匹敵するような大きな革命が起きている? 岡田 そうです。「第一の波」、「第二の波」は破天荒な変化を生んでたんですけれども、第三のコミュニケーション革命の面白いところっていうのは巨大な日常を生み出すところ。 鶴見 でもパソコンで通信できるようになっても、茶の間にテレビが来るとか、冷蔵庫が来て、食料が保存できるようになったとか、それまで洗濯板で洗ってたところにバーンと洗濯機が来るとか、そのくらい大きなことじゃないと、革命って言われても 岡田 「第二の波」のすごい特徴は豊かになる。つまり、物で計れる。「第一の波」の特徴はそれまで移り住んでたのが、農耕に適した場所に定住するようになるということで、物ではあまり計れなかったんです。「第三の波」も、その特徴を物で計ろうとすると絶対ミスしちゃう。あるパラダイムにいる人間は、次のパラダイムの変化が起こっても、どうしてもそれが変化だとわからない。 鶴見 それに「あるパラダイムの中にいると別のパラダイムを想像することさえ難しい」と。中世の封建社会で生きてた人の考え方なんか、理解できない。 岡田 巨大な日常性っていうかね。日常性を持っていることは何かっていうと、劇的なことが起こり得ない。集団がなくなって、個人もなくなって、家族もなくなってしまう。代わりに、共同の友だちみたいなものが、無限のグラデーションで、自分の近くにいたり遠くにいたりして。年がら年中不安で不安で、コミュニケーションをとって、電話したり直接話したりして自分一人でものを考えずに済む、巨大な日常社会。俺にとっては暗いんですけれども。 鶴見 それも革命なんですか。 岡田 革命です。イヤな革命。世界的にも、日常化はすごい勢いで進んでるように見えます。というのは、僕が言う日常化社会っていうのは、第三の波のデジタルコミュニケーション革命で占められるもので、テクノロジーがついてきます。貧乏な国って、いま、一所懸命豊かになろうとしていますよね。豊かになる象徴がエアコンとコンピュータなんです。どのくらいその国にクーラーがあるかっていうことと、どれぐらいその国の教育設備を含めてデジタル化されているか。コミュニケーションが進めば進むほど、たぶん、巨大な日常のまったりの中に飲み込まれますよ。まだ貧乏な国っていうのは生きがいがあって幸せなんですよ。でも、その貧乏な幸せな国っていうのはどんどん俺たちの国を目指しているわけですから、急激にネットワーク化されて、三十年から五十年ぐらいでほとんどの国がほぼ同一水準に達するんじゃないかなっていう。 鶴見 短いですね。 岡田 たぶんね、これ、短いです。後進国であればあるほど、意地になったようにデジタル化が進むんですよ。僕らの社会っていうのはゆっくりと電信、電話、携帯電話っていうふうに進んできたんですけれども。そういう社会的文化がない国っていうのは、いきなり衛星電話とか携帯電話に行っちゃうわけです。だって、電気代払わなくて済むわけですから。そういうふうな国ほど社会的なインフラとして、たとえばパソコン通信とかインターネットの料金を安くする傾向がある。 鶴見 まあ、日本も戦後三十年くらいで退屈化したし。今後はますます短期間に退屈なそういう社会が生まれてくるのかな。 岡田 あと、なんで遅れている社会にみんな注目してるのかっていうと、前世紀まではどんなに南半球に貧乏人がいようと、みんな関心持たなかったわけですよ。それはヒューマニズムの理由じゃなくて、消費者という概念がなかったからです。いま、中国とか第三国にものすごい興味を持っているのは、巨大な潜在消費者であると思っているからです。潜在消費者に売りつけるものは何かっていうと、大衆社会の消費物と通信関係のものなんです。これやっちゃうと、どんな民族であろうと三十年もたないです。あっという間に俺たちのようにヘヨヘヨになっちゃって、世界中の奴らがもうすぐ『セーラームーン』のTシャツ着るようになると俺は思います。そのときは『セーラームーン』じゃないでしょうけれども(笑)。 鶴見 メガールだったりして。 岡田 『セーラームーン』であって欲しいとは思うんですよ。そのときにマドンナだったら俺の負けなんです(笑)。 鶴見 GIOGOIだったらいいなあ。 携帯電話って、ヨーロッパはそれほどでもないようですけど、世界的に日本なみに普及してます? 岡田 香港は進んでますし、あと、マレーシアのほうはかなり進んでます。でもやっぱり、社会インフラで電話線が通ってる国って、そんなに簡単に携帯電話にサッと流れないんですよ。日本の場合は便利だからということと、日本人にオンとオフの感覚がないことでしょう。ここまでで仕事終わり、っていう感覚がないから。ただ、アジアの国々に行くと、日本よりもさらに携帯電話の使用料安いですし、香港なんてこの間まで一ヶ月に基本料金をいくらか払えば、かけ放題ですから。携帯電話、繋がりっぱなしでしょう。 鶴見 女子高生がみんな携帯持ってるようなところまで行ってます? 岡田 いや、そこまでは。 鶴見 じゃあ、日本は世界一の携帯電話先進国なのかな。 岡田 女子高生まで持ってるという意味では明らかにそうですね。 鶴見 女子高生に名刺貰うと、必ず携帯かPHSの番号が書いてあるんすよ。俺なんか電話番号だけだっつうのに。 岡田 生まれてから女子高生から名刺なんか貰ったことがないですっ。(爆笑) 鶴見 貰ってる方が恥ずかしいかも。 岡田 俺んところに来るのは、「岡田さん、一緒に『電車でGO!』をやりませんか」って。(爆笑)
●オタクの保守感覚鶴見 でも、連絡がつかないと、とりあえず不安になるとか、待ち合わせと遅刻にいつも脅かされているとか、そういうときに、携帯電話ってバチッとはまりますよね。日本は最も重症かも。時計的支配も世界一強力だろう。一部屋に十個も時計があるのは、家電大国の日本だけだろうし、世界一の時計輸出国だし。時計、電話、情報、時間、通信……あたりが、この社会のポイントと、睨んでるんですけど。 それと、「いまの社会に不満な人ほど、いまが激動の時代だと思いたがる」といったところが、岡田さんにもあるのかな。 岡田 俺は古い人間ですんで、いまのほうが好きなんですよ。たぶん鶴見さんの言う、もっと生きやすい社会のほうが、ダメなんですよ。女の子が援助交際する=けしからん社会、とかですね。若いものがドラッグをやる=けしからん社会というふうに、本当はそういうふうに考えちゃうんです。 鶴見 本当に? ポーズじゃなくて? 岡田 ポーズじゃなくて、本当にそうです。オッサンですから。 鶴見 ドラッグをやるのは悪いですか? 岡田 ああ、オタク的な感覚からいうと。オタクは保守ですから。(笑) 鶴見 違法行為だから? 岡田 それは、だらしない気がするから。(笑) 鶴見 じゃあ、プロザックを飲んでる人は? 岡田 プロザックって何ですか。 鶴見 アメリカでいますごくはやってる抗鬱剤で、合法ですけどすごく強いんですよ。 岡田 それはねえ、もう、宮崎駿な考え方が頭にしみついてですね。頭の中で麦藁帽子被ってる少女が、「そんなことやっちゃダメじゃない」って言うんですよ。(爆笑) 鶴見 玉蟲がダーっときたり。 岡田 オタク根性って、そこら辺にありますね。 鶴見 じゃあ、援助交際はなんで悪いと? 岡田 そんなことしたらね、男の人が興奮しなくなるからダメ。これは本音のほうだな、俺。 鶴見 俺は自分に迷惑かけなきゃ、何やろうが知ったことじゃないですね。 岡田 でも、それやると、男は頼りなくなりますよ、たぶん。援助交際を前提にしてセックスができるほど、男性という性は強いとは思わないから。みんな、ヘナヘナと潰れちゃいますよ。 鶴見 じゃあ、ブルセラはどうですか 岡田 パンツ売るやつですか。そんなもん、売ればいいじゃないですか。 鶴見 それはいいんですか。 岡田 買う奴が、変なんです。 鶴見 倫理が崩壊してるとか、援助交際と一緒に言われてますよ。 岡田 どこに線を引くのかっていうのは、たぶん、個人の趣味嗜好の問題だと思うんですけれども。そこら辺に、俺は線が引かれちゃって。だって、買う奴、変ですもん。女子高生が売春してたら買うのは、それは気持ちとして分かるんですよ。でも、女の子がパンツ売ってても、俺、買う奴の心がよく分かんない。江川達也がマンガで、女の子のパンツを頭に被ってる絵を描くんだけど、彼はこれを、人類、男性普遍の欲求として描いてた。「あれは誰にでもある、どんな男にも必ずあるでしょう」だって。ないないない(笑)。 鶴見 大学で、高校時代に下着盗みばっかりやってたやつがいましたけど。そいつの楽しみを奪いたくないな。もうウハウハだったでしょう。 岡田 それって、趣味のひとつだっていうのはわかるんですけれど、普遍の欲求って言われたら、それ、ないよって思いますよ(笑)。汚れたパンツ嗅ぎたいっていうのは、フェチ入ってます。 鶴見 じゃあこれ、「いざとなったら自殺をすればいい」は? 岡田 あ、それはOK。 鶴見 OK? 岡田 うん。自殺はありですよ。 鶴見 俺は自殺もそこらへんも、一緒くたに見えますけど。女子高生なんてどうでもいいけど、モラルに反しているけど、人に迷惑をかけない行為ってことで。 岡田 一緒くたな感じがしますか? 俺は、そのへんは分けて考えたほうが面白い、と思うんですけれども。たとえば、安楽死って何かっていうと、テクノロジーの限界があると。医学とか医者、医療システムが信用できない。この苦痛が長く続くんだったら、死なせてくださいっていう。それって自殺ですよね。そっちの自殺は良くて、なぜ自分が社会のシステムを信用しないことがダメなのか。それは自分の目で判断したことですよね。自我が判断したことで。それによって自殺――首吊りでも何でもいいですけど――することがなぜダメなのか。 鶴見 俺が言ってる自殺も安楽死ですよ。でも安楽死させてやった医者が殺人罪ですからね。「末期ガンでも強く生きろ」ってことでしょう。 岡田 鶴見さんが言ってる自殺っていうのは、ちょっと死んでみようっていう自殺じゃないでしょう。本の中で、「ちょっと死んでみるのもハッピー」って書いてないじゃないですか。 鶴見 ええ。でも、ちょっと死んでみるのもいいと思います。(笑)どうせ死ぬんだし。命だって本人の持ち物なんだから、どうしようと本人の勝手ですし。
●援助交際は日常である岡田 マヤ文明が割とそういう文明だったらしいです。ちょっと山のほうに行ったら、大きなサウナみたいな部屋があって。その中で麻薬みたいなのを嗅ぐんです。その中はただ単に煙くて苦しいだけ。とにかくひたすら煙くて苦しくて窓もほとんど開いてないところに一時間座って、仮死状態まで追い込まれる。それでポーンと開けて中から出てくると、世の中すべてが瑞々しく光って見える。それが大流行したんですよ(笑)。 鶴見 本当ですか。それが覚醒剤の煙なら、日本でも大流行だな。 岡田 現代人っていうのは、それを時間的に圧縮するのが好きなんですよ。わずか三分間ぐらい苦しい思いをして、ハッピーになるとかね。古代人っていうのは、一時間とか一年とか苦しい思いをして、丸二日ぐらい想像もつかないハッピーが好きなんですよ。だから、百五十年ぐらいかけて、苦しい思いをしてピラミッドを作って、できてワーッて。 鶴見 でもほとんどの人は、途中で死にますよね。 岡田 いや、それはそれで、死ぬことでピラミッドを作らなくてよくなるわけだから、ハッピーじゃないですか(笑)。支那の古文書を読んだら、古代の奴隷だって、現代の会社組織と一緒のようなものです。宮仕えしているようなもんですよ。 鶴見 昔から生きてる実感を得るのに苦労してそうですね。これからも苦労が続きそうだな。 でもこのまま、ダラダラしてて、人類が退化してきても、滅んでも、全然いいと思いますけど。援助交際だって勝手にやればいいし、人に迷惑かけてないなら、誰にも止める権限はないですからね。 岡田 これは、岸田秀という心理学をやっている人の、全くの受け売りなんですけれども。男性というのは、通常の状態だとじつは性的に興奮しないんですよ。性的な興奮は本来、三歳、四歳の、生物学的な第一次成長のときに止まっちゃう。そのときにセックスできないものだから、男は全部変態になっちゃう。俺の認識の通底には、男に限らず、男女ともすべて変態になっちゃったというのがあるんですよね。まず、日常であれば男は立たない。非日常を作らなければセックスできないという、これが僕の考えているセックス観です。 援助交際について、さっき「興奮しないですよ、まずいですよ」って言ったのは、援助交際は日常なんです。巨大な日常。なぜかっていうと、買いたい男がいる、売る女がいる。これ、当たり前ですよね。心の中のタブーというのを外したり、社会の倫理を外して売春するというのは、極めて当たり前の常識的な行為なんです。この常識的な行為を当たり前にやっちゃうと、セックスが日常になってしまう。セックスが日常になってしまうと、興奮しなくなっちゃって人類が滅びちゃう。 そこでたぶん鶴見さんは、「滅びるんだったら、滅びちゃってもいいんじゃないですか」とおっしゃるんですけれど。でも、僕が考える滅びのイメージは、いっぺんにある日、パチャンと滅びるのではなくて、千年ぐらいかかってグニャグニャと崩れていく。このグニャグニャと崩れていくときに、たぶん数十億人単位ですごく嫌な思いをするはずだ。それはまずい。ここまで文明持ってきて、みんな幸せになったんだから。ある日、パシャンだったら俺もOKなんです。グニャグニャグニャといっても、毎年一億人死ぬ。それも老衰死みたいに、ゆっくり死ぬんだったらいいんですけれども、苦しんだり歪んだりしながら死ぬのは、いくらなんでも苦しいよな、辛いよなというのが俺の中にある。そういうグニャグニャッと崩れていくのはやめて、非日常みたいなものを自分らで演出したほうがいい。 俺は、家の中でいつもパジャマ着てたり、下着でウロウロしてるんですけど、人前出るときには服を着る。俺にとってこの格好は非日常ですから。だから、セックスするのも、当たり前ですが非日常を演じるしかないわけです。「みんな、ガンガン非日常を演じましょうよ」と。良き女を演じたり良き男を演じたりしたほうが、お互いのために幸せですから。そういうふうなぐらい無理をしたほうがいいんじゃないですかっていうのが俺の考えです。 鶴見 そうなった頃には、俺、死んでますからね。知ったこっちゃないです。人類の将来考えるヒマがあったら、自分たちがより気持ちよく生きる方法を考えますね。あと、自殺すれば楽に死ねますよ。
●生きやすい世界を作る岡田 今の「巨大な日常」を作っている日本型の文化といってもいいですし、資本主義社会、二十世紀後半の文化といってもいいですけれど、これは、僕、ダメなんですよ。だから、早めに新しいのを作っちゃって、みんなが非日常の物語に帰結する。それも巨大な一つの物語ではなくて、多数の物語が同時に参加する形でしかないだろう、と考えているんですけれど。そのあたりはどうですか。鶴見 「文化を作る」なんて聞いただけで、無力感に襲われちゃうんですよ、俺なんかだと。それは、具体的には? 岡田 自分の所属観っていうのが、多数複層的にあるっていうことです。つまり、たった一つの所属しかない、日本人であったり、軍人であったり、お父さんだけであったりすると、みんなストレス溜まって無理ですよね。それがたくさんあることによって、ストレスが溜まったところから常に逃げられる。一つの社会から否定されると、それは自殺ということになるんですけれど、社会自体のものの見え方が複数あると、そこからの社会的自殺で済みますよね。それによって、みんな何とかあと千年ぐらいやっていけるんじゃないかな、と思って。 鶴見 それ、生きやすそうですね。俺は今のままでもいいですけど。なんか、スロー・デスできるくらいなら大したもんだって感じで。永遠に続くような感じがするんです。 岡田 俺ね、いま自分と同じ世代が、人の親になったり、学校の教師になったりしてるところから、これは無理だな、崩壊してるっていう感じです。 鶴見 いやあ、でも、思いっきり壊そうとしたってビクともしませんよ、きっと。どうやって崩壊するのか想像もできないし。とりあえず、レイヴ行ってますよ。同じところでグルグル踊って、終わったら帰って、また行ってグルグル踊ってまた帰って、また行って……っていうまったく無意味な繰り返しをやります。もう退化が始まってるかもしれないけど、それでもいいし。 岡田 レイヴは後引かないでしょう。「レイヴって、宵越しの興奮は持たねえっていう考え方だからいい」って考えてません? でも、例えばそれが、従軍慰安婦に関する運動なんかだと後引くんです。家に帰っても続いちゃう。 鶴見 そもそもまったく意味も考えもないんで、引こうにも引けないんです。 岡田 レイヴってどうやるんですか。 鶴見 えーと、夜中から踊ったりブラブラしてるうちに、朝の四時、五時ぐらいに夜が明けてきて。ここが一番好きなんですが。で、日が出て、またいい気分なって、そのまま昼までやってるんです。……踊ったりブラブラしたりを、ずーっと。で、帰ると。スゲエいいんですよ、これが。なにがいいんだか全然わかんないすよね(笑)。 岡田 日本の土着的な文化の良さを感じますけれど。ドンドンドンドコドンドン……。 鶴見 そうそう、同じなんです。俺らはただ、今まで踊るのを忘れてなかっただけの話で、やっと、部族社会とかの人たちがやってた楽しみ方を、自分らなりにやり出しただけです。 岡田 それはいいことを聞きました。適当にみんな踊らしときゃ不満がないのか。 鶴見 そうですね。ただ踊って喜んでるだけです。反抗とかするのは、止められた時だけ。 岡田 天安門事件で集まった人たちを踊らせればみんな平和に家に帰ってた。あの時広場にいた人の九十九パーセントは、勢いで集まってしまった人ですよね。踊ったら絶対気が済みますよ。 鶴見 小平も一緒に踊ったりしたら、もうわけわかんないですよね。それを戦車でガーッとか(笑)。 岡田 でもそれって、宮台さんの言うところの、エリートに都合良くないですか。 鶴見 どうですかね。踊らせておけばおとなしくしてますから。ドイツだと「政府がわざとエクスタシーも取り締まらないで、レイヴやらせてるんだ。思うつぼだ」ってレイヴに反対する声もあります。でも、やってる方だってバカじゃないですから。まあ、バカなんですけど(笑)。「俺たち、管理されちゃって、レイヴも届出制なんだぜ」って言いつつ、結局、ベルリンのど真ん中で百万人のレイヴやっちゃってるんで。どっちが本当に賢いのかは、わからないですね。
●地上に現われた楽園岡田 俺、これは大学ではときどき言ってるんですけどね。たとえば、オタクっていう言葉の意味を、この二年間ぐらいですり替えちゃったんですよ。アメリカで大して流行ってもないアニメを、「流行ってる」と言ってみたりですね。世界でオタクブームになってるという嘘八百を、いろいろなところに書いてみたりすると、みんな信じるわけですよ。 鶴見 あちゃー。嘘八百。 岡田 行って聞いてみれば確かめられるのに、確かめないから。それをいいことに、少しずつ意味を変えていったら変わるんですよ。「ああ、なんだ、世の中って結構思い通りになるじゃん」って思った。この巨大な遊び道具があるから、俺は結構楽しいです。 鶴見 被支配者としては、だまされないように十分注意して、あとは踊ると。この楽しみ方のほうが自分に合ってますね。気がついたら「デカイ一発」なんて思わなくなってて、「退屈感」も消えちゃって「この社会は、今まで見たこともないようないい社会だ」とまで言い出しちゃって。もちろんダメなところもたくさん目につきますけど。 岡田 俺は楽園って言ってます。俺がこの社会を動かせるなと思うのは、この十年ぐらいだけなんですよ。それを過ぎちゃえば、本当の楽園になってしまって、僕の意見すらもマスメディアみたいなのを通して言えるものとか、巨大なコミュニケーションの相互交換の海の中に入っちゃって。ただ単に「ある池とか、ある湾の中で有力」に過ぎなくなっちゃうだろう、という諦めに似た気持ちがあるんです。だから、そうなってしまうと、僕がいた値打ちとか意味とかいうのは、たぶん、この十年ぐらいでなくなっていくだろう。だから、それまでは積み上げていって、そこから先に来る楽園では、楽園に住めなかった、進化できなかったサルとして皆さんの幸せを遠くより見て……。 鶴見 うーむ。俺は自分に価値とか意味とか一切ないと思ってるんで、その心配はないな。 岡田 辛いけれども、それは生物的な限界ですよね。その時代に生まれなかったんだからしょうがない。と言いながら、そこまで諦めてないな。そこでもう一騒ぎ起こして十年を三十年に延ばせないか、それは延命策を考えますよ。 鶴見 レイヴにいく手もありますよ(笑)。 岡田 でも、いま、二十歳以下の人ってみんな楽園に住んでいると思います。 鶴見 そうですね。 岡田 援助交際をするっていうのを、さっき、俺、ネガティブな表現で言いましたけれど、それは僕自身の倫理、というか美意識です。でも、いまの高校生の美意識に照らし合わせたら、悪い理由ってたぶんないんですよ。僕も見つけられないし。古来、人間は原罪がない状態。人間の原型の罪がない状態として、キリスト教をずっと支えてきたわけですから。やっとその時代になったんだから、いいと思うんですよ。 鶴見 そもそも、こういう社会を目指してきたんですよね。対立も反抗も抗争も何もない、安定した国とか。 岡田 だいたい具体的に見て、演劇とか映画が面白くなる時代っていうのは、必ずその社会が貧乏とか、苦しいとか、辛いんです。 鶴見 ベトナム戦争のおかげで『フルメタル・ジャケット』とか『地獄の黙示録』なんて、面白い映画ができたし。 岡田 だから、社会が平和で安定して幸せであればあるほど、物語はつまらなくなるのは当たり前でしょう。 鶴見 だから、大きな物語ができない世の中っていうのは、悪い世の中なんかでは決してない。逆ですよ 岡田 ただ、俺にとっては、なんか住みにくいと思っちゃうんです。「君たちにとっていい社会だね、俺は嫌だけど」っていう。 鶴見 『完全自殺マニュアル』の前書きとかで、「僕たち一人一人がいてもいなくてもどうでもいい存在っていうところが死の気持ちを膨らませる」なんて書いたんですけど、見方によっては、いてもいなくてもどうでもいい存在なんて最高ですよね。命が軽けりゃ、体も軽いと。 岡田 あらゆるしがらみから解放されるっていうことですからね。俺もあれは感動しました。幸せなんだって、僕も、あれを読んでから考えるようになったんです。 鶴見 「永遠と続く同じことの繰り返し」なんて、ダンスとかテクノがまさにそうなんですが、いつの間にか大好きなものになってましたよ。 最近「モラルがない」なんてビビって、昔の価値観を復活させようとしてる人もいるけど、後戻りなんてできるわけないんだから。いいんですよ、なくても。「なにもない」ってのが一番いいんだから。みんな気楽そうだから、見てみろっつーの!(笑) 岡田 俺なんかは、みんな過度の気楽はやはり重荷だろうと思って、適当にストレスかけてあげようと思って。やっぱりストレスないと辛いじゃないですか。 鶴見 少なすぎてもよくないですよね。 岡田 だから、とんでもないこと言えば、日本は再軍備しろとか、若い奴は兵隊に行けっていう奴は必要なんですよ。 鶴見 ちょうどいいスレッサーとして(笑)。 岡田 極論を言う奴が、この世の中にきらめく星々のようにいて、自分はそれに対して共感したり、反対することによって、ようやく保っている。そういうお星様は、大切にしなきゃいけないと思うんですけれど。
●いくつもの価値観がある「豊かな人生」鶴見 最近、大学生が元気ないと言う人もいますが。 岡田 元気があるのが変なんですよ。でも、そういうこと言う奴も大切にしなきゃ。(笑)みんな高校終わってダラダラしに行くんでしょう。(笑)ダラダラで正しいんですよ、じつは。昔、大学の頃しか世の中にいいことなかったから、卒業したら終わるとか、俺たちは灰色のスーツを着た大人になると思ったから、祭りがあったわけでしょう。いまは社会に入っても同じですから。みんなダラダラしてる。 鶴見 「就職難」なんて就職しないための口実に使われてますしね。去年、就職できなかった学生の知合いが二人いるんですけど、一人は編集の手伝いをやって、もう一人はバイトしながらDJやってるんですよ。彼らと同期で就職したどの知人よりも、その二人が楽しそうなのは否めない。就職難にぶつかった人はラッキーだと思うな。 岡田 でも、そのDJと編集者っていうのは俺に言わせりゃ、やっぱり他人に自分の発言とか考えの影響力を及ぼせる支配階級にいるから幸せになれた。支配階級、いいですよ。(笑) 鶴見 まあ、「優越感」っていうのが、近代人にとっての最大の快感とも言えますしね。そう言えば、ニュースの世界がとんでもなく歪んでいるのも、支配ってことなら納得がいくな。従軍慰安婦問題で大騒ぎとか。 岡田 あれは当事者にとって大問題なだけですよ。従軍慰安婦という騒ぎを起こそうというのがコンセプトですから。極めてその上では正しいんですけれども、端の人間がそれに巻き込まれるのは、消費者に回るということなので、商品を買わされているということですよね。 鶴見 送り手は支配者なんだから、当然好きなように操作するわけだ。 岡田 たぶんね、巨大な悪とか、それに戦って勝つというのは、プレイするゲームの種類として勝敗があるゲーム。たとえば剣道もそうですし将棋もそうですね。一人が勝って一人が負ける。こういうのを「ゼロ和ゲーム」って言うんですけれど。ゼロ和ゲーム的な考え方ですよね。ところが現在の人類社会っていうのは地区の人間が一斉に参加して一人が勝って残りが負けるではなくて順列が決まるという「非ゼロ和ゲーム」型の社会なんで。その中で勝ち負けとか悪い奴を探してもしょうがないです。勝ってる奴を探して次につくとか、自分はいま百番目なんだけど九十九番目になるとか八十八番目になるというのが唯一の戦い方ではないかと僕は思うんです。 鶴見 近代社会のモデルとも見えますね。あらゆるところで常に細かい競争と優越感が生じている。権力について見ると、全員が僅差の横並び状態で突出した部分はない。支配者がいないというのは、そういうことです。でも岡田さんの見方は戦略的ですね。結構、本質をついてますよね。 岡田 商売的なんです(笑)。俺、アメリカ人ってそういうふうに考えてるんじゃねえかなと思うんです。あの人ら、絶対に勝負って言わずにコンペティション=競争と言うでしょう。物事の本質を競争だと捉えてるところがいまのアメリカの強いところだなと。 ゼロ和ゲームと非ゼロ和ゲームと言いましたけれども、支配・被支配というのは、一対一対応の支配=勝った・被支配=負けたではなくて、n対nの支配する・されるの競争なんですよ。心の中で何%を占めるかの競争をみんなやってるわけです。だから、鶴見さんの本に関しても、「自殺いいじゃねえか」と心の中の三十%がOKになって、残り七十%が反対でも、鶴見さん的にはOKなんです。それが三十一になるのはもっといいことですし、二十九に減っちゃうのは悲しいんですけれども、心の中のパーセンテージというか、パラメーターの問題でしかないわけです。 鶴見 なんか受験とか学校とかを思い出しますね。優越感欲しさに細かい競争にはまりまくってたな。でも競争は疲れるんで、もう放棄しました。踊ってるのがいいですね。 岡田 富士山のふもとの樹海で死んだ奴が鶴見さんの本を持ってたと聞いたときに、ヤッターと思いました?(笑)鶴見 わりと、いい宣伝かなと。(爆笑)支配の快感は一切なかったです、そう言えば。 岡田 祝電じゃなくて、弔電打ちました? 鶴見 そこまで関心ないですよ(爆笑)。どうでもいいんです。 岡田 鶴見さんの考えに反対している人も、じつは鶴見さんの支配下にあると思いますよ。言ったことによって惑わされているわけですから。知らないとか気にしないっていう奴が、まだ影響の及んでいないところで。そこへ光を照らしたいと思うなら、自殺の次は人格改造だと思っちゃうわけですよね。 いままでのある程度の格好良さっていうのは、生涯ある意志を持ち続けることだった。ある特定の宗教、科学でもヒューマニズムでも何でもいいから、ずっとその価値観でいることが格好良かったんですけれども、これから格好いいのは複数とスピードです。いくつもの宗教を信じてもいい、はまってもいい。オウムにはまってサリン撒いてもいいとは言わないけれども、オウムでも何でもいいです。とことん行くところまで信じて早いスピードで戻って来る。これを年に四つぐらい繰り返す。(爆笑)たくさんはまって、そのストックを一杯持ってると、あたかも人生観が豊かのように見えますから。 鶴見 いいですね。俺は「全部どうでもいい」っていう“全否定”の立場で、それやってます。“全否定”って“全肯定”と同じことなんですよね。「何でもいい」ってことだから、いくつハマってもいい。ひとつだけ認めるなんて、一番ツライですよ。そう言えば、自己開発セミナー行ったら、あっちこっちハシゴしてる人たちがいっぱいいましたよ。 岡田 やっぱり、いっぱいはまると、そのぶん楽しくなります? 鶴見 でもセミナーの価値観って、どこも似たり寄ったりだからなあ。 岡田 まずは、愛は永遠であるみたいなやつにはまって、次にアニメーションは芸術であるみたいなところにはまって、レイヴにはまるってしたら、すごく豊かな人生のような気がしますね。 鶴見 で、ヘロイン教にはまったらそこでお終い。(笑) 岡田 帰って来られないのはまずいですね。でも、帰って来なかったら逆にそれが幸せと言うこともできますね。 鶴見 シド・ヴィシャスは幸せ者だ。 岡田 行って帰ってくるんだったら、それは冷めてしまって不安になるっていうことだから、行きっ放しが本当は幸せなんですけどね。 鶴見 じゃあ結局、一番いいのは自殺教ですね。全員行きっぱなしだから(笑)。
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