『マジメな話』1998年4月11日版 ン1998.Toshio Okada
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岡田和美 

さらば言論の日々、そして


和美 え〜、私から聞くんですよね?ああ、恥ずかしい(笑)。

岡田 まあ、かまへんやん。この対談の企画意図、というヤツを説明しますと、このままこの対談集を出版したら、あまりにも自分の今の気分・感覚とズレまくってしまうなあって思うてんよ。

和美 対談したのは宮台さんを除くと、去年の9月までかな?

岡田 うん。正直そのころまでは、「オタク一匹なにが出来るか」とか「人民を善導するのじゃ」とか思ってた。ところが97年の末頃から、そういう気持ちがまったくなくなったわけやね。いや、悪いと思てるよ。読者の人とかが、みんな僕の後に付いてきてウワーって「オタク号」に乗り込んでくれたわけですよ、いよいよ出港だっていうときに、自分はさっさと降りちゃって「エー?」、でも「船長さんもいるし、エンジンも大丈夫! いってらっしゃーい」。そりゃ怒られるやろうけど、怒られてもええから降りたいと思ったわけだから。 僕はやっぱり自分の中の動機・熱意がいちばん大事やからねえ。その気持ちが冷めてしまった。

和美 じゃあその熱意が冷める前の原稿読み返して、どうだった?なにが印象に残りましたか?

岡田 ウーン……小室さんと話したとき、学問も大したもんやなあ、と思うたな(笑)。

和美 なんかいいこと教えてもらったんじゃなかったっけ?

岡田 「完全自由競争」あと「自由市場」。自由市場っていうのは、なんやったっけ……ある条件のもとでしか成り立たん、っていうようなことを……去年やったら言えたのに(笑)。

和美 もう忘れた? 私、教えてもらって、まだ覚えてるよ(笑)。すごい嬉しそうに教えてくれたでしょ、「賢こくなった、賢こくなった」って(笑)。

岡田 それは「夢・幻(ルビ:ゆめまぼろし)」でした(笑)

(突然、「社会学的定義による完全自由競争」の説明始まる。立て板に水状態)

和美 よかったね、覚えてて(笑)。

岡田 あと印象に残ったのは鶴見さんの原稿チェック。直しの入った原稿見たらね、対談したときよりさらに「僕はいいかげんなんです」っていう演技を深めてはるんやんか。中央大学で話したときは、もうちょっとマジに受け答えしていたのに、直った原稿見たら「世の中、滅亡したっていいじゃないですか」っていう不健全野郎になってやがる。この野郎〜「悪い子ブリっこ」しやがって〜(笑)。おかげで対談原稿が噛み合うてへんねん。

和美 あの〜、私が聞いてるのは「熱意が冷める前の自分を見て、どう思うか?」ということなんですけど。

岡田 了解、では「マジメな話」を。原稿読み返して、正直びっくりした。ただ単に僕、自分の言いたいことを区切って言ってるだけやねん(笑)。

和美 人の言ってること聞いてないっていう意味?

岡田 聞いてるよ、聞いてインスパイアされたことを勝手にしゃべってるだけやねん(笑)。

和美 つまりちゃんと聞いてないっていうことね(笑)。

岡田 意に介してへんねん(笑)。

和美 ひどい(笑)。でも小林よしのりさんなんか、前に言ってたよ。この対談じゃなくて初めて会った時に。

岡田 東大(のゲスト講義)の時にとにかく「負けた」って言うたね。この十年間で負けたと思ったのは初めてやからねえ。あの覚悟に負けたんやったかなあ? なんでかなあ?

和美 でも、最初すっごい悪口言ってて、私が「そんなの当たり前じゃないの」って言ったら、「負けた、負けた」って言い出した。なんで怒ってたんだったかなあ。

岡田 えーっと、なんで怒ってたんかなあ……あ、つまり薬害エイズにしろ、従軍慰安婦にしろ、その問題が結果としてどうなろうと自分は実は構わない、大騒ぎになればいい、そんなことを言ってらして。それに対して最初僕は、責任感がないとか怒ってたんやけど。

和美 「そんなええ加減なことでええんか!」って怒ってたねぇ。

岡田 君がそれに関してどう言うたかは覚えてへんけど、僕がどう思ったかは覚えてるよ。君に一発説教かまされた結果、私は改心して「結果をコントロールしようとするのは不遜である」というふうに考えるようになってんよ。結局、大騒ぎを起こすことはできるんやけど、大騒ぎしてどうするのかは、それぞれの人が決めればいいのであって、結果までどうこうしようっていうのは不遜であるし、おまけに不可能である。できないことであって、なおかつ失礼である(笑)。そう考えるようになって、「小林さんに負けた、私にはそこまでの覚悟はございませんでした(土下座のポーズ)」。

 

●「対談集を読まされる人は災難やなあ(笑)」

岡田 でね、原稿読み返すやん、読み返して思うのは、ホンマにねえ「去年の僕は賢かった」(笑)。けっこうご立派なことを、わしはほざいてるわけや(笑)。

和美 今年の僕は?

岡田 今年の僕はバカやねん、ホンマに感心すんねん(笑)。去年の僕の賢さというのはねー、たぶんこの本読んでも読者の人、わからへんような気がする。僕、キー・ワードばっかり喋ってるから(笑)。キー・ワードしか言うてへんから、対談相手の人にあんまり伝われへん。そら当たり前やな。自分が考えてることのキー・ワードみたいなものを、ポンポンポンポン出してんねんけども、それは「取り付く島もない」というか。だいたい、対談やねんから、自分のことばっかり一方的に言うわけにはいけへんやん。それでもなんかね、小林さんのやつなんか読んだら、そうとうワシ一方的にしゃべってんねんけど(笑)。

和美 なんていうヤツ。

岡田 対談集を読まされる人、災難やな。ハッキリ言うて、岡田斗司夫という人間を知ってたらわかるようなことが多いんやけど、じゃあ知るためにはなにしたらええのか? 他の僕の本、読んだらええのん? そんなことと違うんよ。本人と付き合うしかない(笑)。

和美 そりゃあ、あんまりよ。小林さんのファンが「わあ、小林さんが載ってる。」って買っても、わからないわけ?

岡田 小林さんの考えはよくわかる。小林さんとか鶴見済さんの考えてることは、ハッキリ言って、小林さんや鶴見さんの著作よりよくわかるようになってる。でも、それはね、僕にとってよくわかるようになってるだけであって(笑)、読者にとってわかるのか言うたら、そんなんようわかれへんなあ。まじめな読者であればあるほど、小林さんのヤツはとくにショックやろうし。

和美 本当、勝手な人ねぇ。

 

●嘘を作るというクリエイター・作家の特権

岡田 僕、人と話してる最中にいろんなことを思い付くやんか。今野敏さんと話してて僕は、「物語を作る人っていうのは、良識の基となるべきである」というようなことを、今野さんは言わへんかったけど、言うたような気がしたんや。

和美 (プッと吹き出す)いつもと一緒(笑)。

岡田 いつものこと。『インディペンデンス・デイ』でタンス開けたらヘルメットが出てくる、みたいなもので(笑)。今野さんが言ったような気がした(笑)。で、確認したらやっぱりそういうふうに思ってはったんや。それはね、去年の大発見やった。それまで私は、「もうモノなんか作らんでもええわ」と思ってたんだけど、これはもう修正!今度、小林さんに会うたら「小林さん、マンガ書いてくださ〜い!」って、この対談集で言うてることと、まったく逆のことを言わなアカン。

和美 コロコロ変わる迷惑な奴(笑)。

岡田 だって価値観、良識、世界観っていうのは虚構でしかないわけやん。なんでかって言うたら、人間っていうのは言葉を使うて生きてるわけやん。言葉を使うてものを考えたり、生きてる限り、ぜったい現実とのズレがあるよなあ。そのズレっていうのが慢性的に溜まってきて、しまいには「言葉で定義された価値観」っていうのが現実やと思うてしまう。

そのズレっていうのは意識化されないから、ますます激しくなっていくやんか。本来、フィットするはずのない「言葉の世界観」というのを、みんな使うて生きてはるわけや。そのためには嘘も必要やし、宗教も必要やし、もととなってる価値観やね、たとえば「男女の愛は永遠だ」でもええし「人は一人では生きていけない」でもええし「自然との共存」でもええんやけど、いやホンマになんでもええんやけどな(笑)、中心部には「巨大な嘘」が要るわけや。

その嘘を作るっていうのは、クリエイターとか作家の特権やと思う。

和美 でも、それは「物語」のなかで語られるべきでしょ。たとえば、戦争で手柄を立てた人を褒め称えるっていっても、結局それが語られるときは「物語」の形になる。

岡田 そうそうそう。「物語」のかたちでしか人間って認識でけへんからさあ。事実であっても、それは物語化されて人間の頭の中に、やっとこさ入ってるようなもんやから。まあ、そんなことをやなあ、今野さんと話してる最中に考えとってん。今野さんには悪いんやけど、実は途中から今野さんの話を聞けへんようになって……(笑)。

和美 いつものパターンね(笑)。

 

●「OK、じゃあ問題ないからサイナラ〜ッ」

岡田 『朝生』で話したり、語ったり、インタヴュー受けたり、対談したりっていうような、いわゆる賢い方向の評論家っぽいやつ、やってたやんか。それってその前4、5年間ぐらいの、「なにか賢いこと言うてみようか」っていう僕のチャレンジの集大成やねん。

それが役に立ったかっていうと、気が済んだとしか言いようがない。宮台さんと話してた時にも痛感させられたけど、今はそんなことにさらさら興味がないんですわ。

和美 そんなことっていうのは「賢いこと」っていうこと?

岡田 賢いこと自体には一定の興味はあるんやけど、もうそれに関して自分のなかで結論がついてる、と申しましょうか。……なに驚いてんの?

和美 (呆れ顔) 結論って、どんな結論?

岡田 考えるっていうのはいかなることであって、どういう効果があって、どんなええことが将来起こりうるのか、なんていうのはだいたい感覚として把握できてるわ、っていう結論やな。

和美 賢いことを考えて、ちょっと賢くなった結果、自分にどんないいことがあるかがわかったいうこと?

岡田 他にも「みんなに、どんなええことがあるのか」とか、「これからこの世の中どうゆうふうになっていくのだろうか」というようなことに関して、だいたい漠然とした見通しがついたんで。

あれやよ、地図を見て、もう行った気で、っていうやつや。アメリカの地図を貰うて、「ハイ、OK。もう行かんでええ」。

和美 それは要するに、たいしていいことなさそうだから?

岡田 気ぃ済んでん、アメリカの地図見たから(笑)。行ったらええことあると思うよ。現役で頑張ってはる人らも、ええことあるんやと思う。けどなあ〜。

和美 普通そういう地図を見て、ああもあるこうもあるって考えるもんでしょ。行ってみたいなあって。

岡田 それぞれの現地人に会って話したもん。その現地人の人らっていうのが、宮台さんだったり、小林さんであったりする。それ以外にも大月隆寛だとか浅羽通明、あと中森明夫さんとかとパラパラパラパラと会って話した。『朝生』出てたり、評論家と呼ばれる人らと、ここ3、4年がかりで話して、そういう人らが、なんで発言してて、どういう気持ちで、どういう価値観の世界に住んでいて、どうしたいのかっていうのがほぼわかって、それでOKになった。

OKになったっていうのは、彼らに任せといて大丈夫やいうことやねん。基本的に私が出て行って、そのなかで混ぜたり、そんなかのひとつになってやったりして、ええことも悪いこともないよな。その人らが右の極端から、左の極端までで頑張ってるんやから。

和美 A地区担当、B地区担当みたいな?

岡田 そうそう。その能力っていうのが、要求水準、こんぐらいやったらええなあっていうのより上であるっていうのがわかったから、もう気が済んだんですわ。説明しにくいけど、プロデューサー気質っていうやつでね。

たとえば僕、アマチュア・フィルムやってたりした時に、自分の家を提供したり、お金を出したりしてたわけやん。普通、日本映画界ではそういうふうな人間は、監督になるわけやな。でも、私は昔からそういう感覚がなくて、どっちかっていうと、自分よりもちょっとでも上手い人を見つけたら、そいつに監督やらせてしまう。そうやって、自分より上手い奴、上手いスタッフって当てはめていくと、しまいには、自分一人で作るよりもはるかにええ映画ができる。自分でも気が付かんこと、自分ではでけへんことっていうのもリスト・アップして、また自分より上手い奴を見つけてくる。で、上手い奴同士で競争が起こるようにして、その競争があったときにはちゃんと見て、より上手い奴が上に立てるようなシステムを作るっていうのが、俺の考えるプロデューサーのいちばんベーシックな仕事やから。

それで言論業界のほう見てみたら、みなさん、僕より上手い。弁が立つ、立てへんとか、文章の表現がどうかという枝葉末節な意味と違うで。みんな基本的に勉強してるし、まじめやねん。あと僕みたいに思い付きで喋らへんな(笑)。

和美 ちゃんと論理立てて、積み上げて発言しているっていうことね。

岡田 その分、対立は深刻やけど。何かと言うとみんな口喧嘩する(笑)。それはもう、「機械の作動音がうるさい」みたいなもんで、言うてもしゃあない贅沢や。『朝生』っていうのは、作動音だけ聞かせて金取ってるようなもんやなあ(笑)。

で、言論界を見てみたら、「いろんな方向からものを考えなアカン」もしくは「こういうふうに考えたらええのに」という、その全てに関して人材は豊富やった。各ジャンルごと、人権派やったら人権派に、極右だったら極右に、だいたい「人物」っていうのがおって、その人らの話聞いたら、「まあ、これに任しておけば十分や」という任せられる人がいっぱいおった。

その向こうにさらにいる現実的に世の中を動かしている、現場の人だったり、メーカーの人だったり、官僚の人だったり、政治家っていうのも、そこそこ考えてるのがわかった。それで、彼らの間に、コミュニケーション・ギャップがあるのかというとそうではなくて、まあ割とみなさん話しあい、りかいしあってるのがわかった。

で、僕は「OK、じゃあ問題ないからサイナラ〜ッ」っていう。

 

●これ以上望めないくらい「作動」している言論界

和美 問題ないのはわかるけどさあ、普通、プロデューサーっていうのは、それを使ってなにかするもんじゃないの?

岡田 それは違うなあ。放っといたら、なんにもでけへんかったら、どうにかするよ。たとえば映画作りたい集団があって、そいつらが映画作られへんかったら、プロデューサーがいて映画作ればええんやけど。彼ら単独で映画が作れるんやったら、放っておいたらそれでOK。ほな、サイナラーみたいなもんでしょ。

和美 イマイチよくわかんない。

岡田 たとえば商売人がおって、砂糖は余ってるけど塩がないA地点、砂糖はないけど塩はぎょうさん余ってるB地点があったら、その間の架け橋になる。でもそのうち、流通の経路ができたら、その商人にはやることがなくなるやろ? どっか他へ行って、また新しく商売すればええだけやん。それを「いや独占流通権はうちだけが」とか言うてると、体に悪いし、精神衛生上もよくない(笑)。

「自律して動き出してるのがわかった状態でタッチするのをやめる」っていうのわからへん?

和美 「特に問題がない」っていうとこ、わからないなぁ。

岡田 問題があるって思ってたんよ、3、4年前までは。「これは日本は大変なことになってるな」って思ってたし、「ハッキリ言って、アホばっかりやなあ」と思ってたわけや。でも話してみたら、そんなにアホばっかりと違うて、出版の事情であるとか、言論界の事情であるとか、もしくは、さっき言った喧嘩する時の作動音がアホっぽいだけであって(笑)、みんなOKやった。OKっていうのがアカンのかな?

和美 OKで頑張ってるっていうのはよくわかるけど。それでいいっていうのがわからないなあ、やっぱり。

岡田 これ以上、望まれへん。ちゃんと作動してる。これに僕が入ってみなさんの生産効率が上がったり、新しい概念が出てくるんやったら、そら行きまっせ。でもそうと違うねん。もう十分に作動していて、これ以上の効率は僕には上げられへん。たとえば宮台さんを"スーパー宮台さん"にして、小林さんを"スーパー小林さん"にしてとかなんとか。でけへんよ、そんなん。確認だけがやっとのことやった。本人たちにとっては、せんといて欲しい、余計なお世話やってんけどな(笑)。「なんで、お前に確認されなアカンねん」。僕は僕で、僕が確認せんだら、世界中の誰が確認しても信用なんかでけへんから。

コンコンていきなりドアをノックして、ガバっと開けて、機械の調子見て「あー、こうなってるんですね。OKですよ、宮台さん! じゃ!」ってバタンと閉めて帰ってくる(笑)。

和美 なんかすげえ迷惑な気がするけどね、相手には(笑)。

岡田 迷惑かもわからへんけど、僕にしてみたら不安やったから。今回の対談集の対談相手だけと違うて、だいたいこの3,4年間で会ったり、本を読んだりした人の総体として、言論OK、政治OK、なんかエブリシングOKになったんで。

和美 現実として、あまりOKっぽくは見えないけど。目一杯がこれで、これ以上の改良点がないってゆうこと?

岡田 根本的な改良点はないね。改良やと言い張ることはできるよ。改良や言うてドライブかけて、今の状態を右や左へ少しは振れさせることはできるやろうけども。まあ生産性は上がらへんよね。朝のラジオ体操の歌を変えるようなもんや。これで生産性が上がりますって言い張ることも可能やし、いろんなデータや社会学的な統計で立証することも可能なんやろうけど、そんなん、やってもしゃあないやん。

和美 それは言い換えたら、「することが見つからなかった」ってゆうことじゃないの?

できることとか。

岡田 うーん(しばし無言)ま、そうそう。「御用聞きに行ったら、用がなかった」。「皆様、お部屋のお掃除いたしましょうか?」って行ったら、奇麗やってん。

和美 で、OKって言って、蓋閉めるしかなかった?

岡田 そやね。それに、私はそれに関してプロの業者として行ったんと違って、素人は素人として「こんなもん、信用できるかあ!」って言うて行ったわけやから。

 

●あとは自分がどうするかだけだ!

和美 話が戻るけど、今年になって頭が悪くなったっていうのは、本当に悪くなったの? それとも社会問題から興味が逸れたの?

岡田 頭がようなった、悪なったっていうのは、客観的メーターを読み取っているわけと違って相対的な観測やからね。去年言うてること見たら、「今年の僕、こんなんよう言わんわ」と思ったんで、「きっと去年の僕は頭が良かったんでしょう」と思ったわけやけど。

和美 「よう言わん」というのは、発想とかのこと?

岡田 「このタイミングで、ようこんな切り返しできるわ」とか、そういう演芸的な反射神経もあるし。後ねえ、「僕、賢いこと考えてはるやん」って正直思ったわけや(笑)。でも『週刊アスキー』が潰れたあたりからかなあ、そういうふうなことにヘラヘラーと、見事なまでに興味がなくなっていったからねえ。

やっぱり学者にしても、政治家にしても、政治評論家にしても、僕が思ってたような職能の人と違ってたよね。もっと、本来の意味に近くて、学者っていうのは学問を研究する人であって、評論家っていうのは評論をする人であって、それ以上のことを期待したら申し訳ないと申しましょうか。

和美 その前はどう思ってたの、いったい?(笑)

岡田 なんだかんだ言うて普通の人はみんな、テレビで言ってたり、本に書いてあることを気にしてるやん。それを信じたり、受け入れたり、自分の中で解釈・咀嚼して、自分の価値観の一部、生きるツールとしてるわけやんか。そのことに関してもう少し自覚的で、よい商品を作るメーカーみたいな考え方してるんかと思うたら、もっと純粋やったな。

和美 ゛世直し屋さん"みたいな人だと思ってた?

岡田 そうそうそう。でもこの世の中に、そんな人おれへんねん(笑)。

和美 そりゃいないよぉ(笑)。

岡田 「困ったもんやなあ」と思ってた時期もあってんけど、言論界総体としては限界一杯まで動いてて。それも昔は「現状は出力60くらいやけど、80ぐらいにでけへんかな」と思っててんけど、実際は35ぐらいやってん。それが限界一杯。そりゃ、日本国中が知恵を絞れば、38ぐらいには上げられるかもしれへんけど、そこまでして3上げてどないすんねんっていう効率の問題やなあ。

和美 そりゃ効率の問題だけど、機能はしている?

岡田 これぐらいのゆらぎ、あそび、無駄、ロスはしょうがない。ただ、大きい問題点っていうのは、いろんな人が語ることによって多面的な方向から光が当てられるようになってるから、そうなったら自分はどうするのかしか残らへん。

消費者である私たちっていうのは、どういうふうに考えるのかじゃなくて、結果としてどのような行動をするのかしか、選択肢はないやん。どんなふうに考えても同じやんか。

たとえば日本が戦争をガーってやって、よその国を侵略してるときに、みんな心の中で戦争反対って思ってもしゃあないし、考えてもしゃあない。遺書に書いてもしゃあないやん。それは個々人の行動として、人を説得するでもええし、反政治運動を起こすんでもええし、もしくは賛成して鉄砲持って走るんでもええんやけど、行動に移してはじめて意味があるよね。

和美 社会として意味があるよね。

岡田 でも、その前の段階の、考えたり思ったりするのって、まったく意味ないやん。

和美 でも、たとえばオウムの事件が起こっても、「まあ恐いわ、オウムは悪いわ」「いやオウムは悪くない」で終わりでしょ。大概の事件はそういうものじゃないの? いろんな意見が出ても、それはただの「意見」で終わり。なんにもできないよね。

岡田 そりゃ、意見を言う人は、意見を言うて流通させるのが仕事やから。流通させるっていう行為をしてるわけやから。

和美 その人たちはいいだろうけど。でもテレビを見てる人とか……。

岡田 テレビを見てる人は、それを見て行動が取れるやん。たとえば近所にオウムの人がおったら家にモノを放り込むとか、挨拶されても知らんふりするとか(笑)。もしくは、暖かく社会に受け入れてあげるとか、職を世話するとか。なんでもええよ、とにかく行動化できるやん。その行動化っていうのをせえへんで、「いや、もうちょっと考えなアカン」と私も含めて全日本人が(笑)、腰が引けてたのが去年まで。全日本人っていうのは極端かも知れへんけど、なんとなくそんな雰囲気やった。

で、考えるツールとか方向っていうのは、いろんな人が方向なり角度なりを提示してるわけやから、それによって自分の態度を決めて行動できるっていう状態にあるのがわかった。だから私は自分のプライベートのことにしか興味がなくなってしまったんですよ。「じゃあ、僕はどうしましょうか。なるほどね、教育に問題があるんですね、じゃあ、わが家の教育問題、こうしましょう」とか(笑)。世界が見えて自分との繋がりができたんで、無理矢理に「社会的」なことは見なくてもよくなったというのかな。別に私がマイホーム主義になったんと違うよ。世界の構造が信用でけへんで不安やった。そやから見に行ったんやけど、なるほど、効率が悪いなりに、今、最適のシステムで動いてるっていうのがわかったから、もう目を離しても大丈夫やねん。

 

●信頼性の高い工場=言論界

岡田 僕にしてみれば、社会問題を考えることは「下請け」に出したと考えてるねん。たとえばTシャツを作るんやとしたら、自分でデザインして、版下作って、権利を自分で取りに行って、染料の色見て、生地取り寄せて、ここで縫製やってっていうのを全部、自分で管理せなアカンやろ?ところがある日、下請け屋さんが来て「それぜんぶ、うちでやりますわ」って言うてくれてん。もちろん最初は信用でけへんよ。で、工場見せてもろうて、職人さんの働きぶりを見て、ええとこも悪いとこも見て、その上で下請けさんに任せようってなったら、気遣いから解放されるやん。それと同じように、社会問題に関しては下請けさんに任せて大丈夫やってわかってん。

和美 社会問題に関しての「下請け工場」って、どこなの?

岡田 言論界全体やよ。あそこ、トータルで巨大な工場としてみたら、信頼性は割と高いねん。個々のパーツで見るからすごい問題があるように思うねん。たとえば「保守反動があんなこと言うてる。放置してていいのか!」とか言うんやけど、僕らは放置しててええねん。もちろん、あの工場内の人らにとっては、クオリティー・コントロール活動をやってるわけやから、放置することは許されへん。「流れ作業の効率が悪いぞ」とか「なんとか支部は問題やと思います」とか言うてるようなもんで(笑)、でもそれは僕らには関係ないねん。

その結果生み出されている社会常識とか僕らの社会の価値観っていうのは、ぎりぎりなんとかええモノが生産されてるからな。これがもうちょっと悪なったらまた行きますけど。

 

●「知的増税」はぜったいに許さない!

岡田 下請けっていう意識が出てきたもんやから、この前『朝生』に出たときにとんでもないこと口走ってしまった。隣にいた辻元清美さんっていう政治家の人が、「もうちょっとみんなも、社会問題や政治について、自覚を持って考えるべき」って言うから、腹は立てへんけど急におかしなってきて、「僕らはそういうことを考えて解決する専門家として、あんたらを雇って金払って、食わしてるんや。その上、僕らにものを考えさせようとは、なんという怠慢か」と言って、無茶苦茶怒ってん(笑)。当たり前やけど、政治家の皆さんには不評でした(笑)。私は腹の底から「主権オレ様」やと思うてるからさ、政府とはなにか言うたら、僕の代わりをしてくれる機関であって、そのために税金というギャラを払うて経営してもろうてる、国家運営を下請けに出してるわけやんか。下請けさんが国防とか、民主主義とか、竹島とか領土問題とか、あと天皇の管理とかやってくれてるわけや。不満と言えば、競合会社がないわけやからすぐ効率が悪なってしまうんやけど、複数の国家に税金払って、競争させるっていうのは今のところ無理やから、まあこんなとこでしゃあないやろ、と手は打ってるわな。どうしても嫌やったら、国籍変えるっていう手もあるしな。

去年まではそんな意識なかってんよ。今年あたりからポポポーンて出てきて、思わず言うてしもうた。で、『朝生』の帰りのハイヤーの中で、「ああ、言うたらよかったなあ」って思ったのがねえ、ルポライターやってる今井さんっていう人が、沖縄の名護のほうではヘリポート問題で住民投票があった、もっと住民投票の結果を受け止めるべきやとか、政治に関心を持つべきやとか演説して、僕それにメチャクチャムカっと来てん。でもなんでかはわからんかった。

ハイヤーの中で考えてわかったんは、彼らが言ってるのは"知的増税"やねん。経済的増税ってなにかって言ったら、国家の経営がこれ以上うまくいかへん、あんたらから預かった金ではこれ以上やりくりでけへんから、もうちょっとお金ください、っていうことやろ。知的増税っていうのは、あんたらからギャラ貰うてる私ら賢い人だけでは問題が解決できません。みなさんももうちょっと問題考えてください。そんなことを、あいつら要求してるわけやんか。

和美 それって考えてください、ということになるの?

岡田 考えて行動してください、考えて投票してくださいっていうことやろ。なんていう無茶言うんやと思うてさ。それを健全な姿やと思うてんねん。そりゃあいつらにしてみれば健全やろ、知的増税取立人やねんから。一人でも多く「社会的な意識を持って考えること」が彼らの得につながるんやから。でも僕らにしてみれば、それは経済的増税と同じように、人生で楽しかるべき知的活動の一部を社会奉仕のほうに使わなアカンということや。そんなん考えんで済むように、議論が効率よく進むために、それ専門の専業家を雇ってるはずやねん。そやのになんちゅうけしからんことを主張する奴やと思うて。帰りのハイヤーの中でそんなこと思って、「今度『朝生』出たら絶対言うたろ」と思ったけど、そんなん言うたらエライことなるわな(笑)。絶対、一人も賛成してくれへん。テレビの向こうで誰もOKサイン出してくれへんよ(笑)。

和美 みんなあなたみたいな考え方はしないからね(笑)。

岡田 去年言うた"プチ論壇"と同じように"知的増税"ってええ言葉やと思うねんけど(笑)。

評論に飽きたっていうのはインターネット等での議論集団、いわゆる"プチ論壇"のせいもある。馬鹿にしてるんと違って、彼ら実はレヴェルが高いんねん。問題もよう見てはるし、勉強もしてる。「これで私にできることってなにがあるんですか」って思ってしもうたことが、事実としてあるな。テレビに出たり本を出したりしてるような人たちのレヴェルと、アマチュアでまだチャンスはないんやけどインターネットでやってる人らとの間で、個人個人の優劣のレヴェルで差があるだけで、プロ、アマチュアの圧倒的な差はないねん。

もうここまでみなさん知的になってきてるんやったら、知的専門家としての評論家なんて実はそんなにいらんよなあ。少なくとも岡田斗司夫はやらんでもええ。OK、OK、消費者のいちばん上のレヴェルはここまで考えてる。で、去年で僕のオタク評論も終わり。

 

●「冒険家」は一人でもう十分だ

和美 評論家の部分はわかったけど、オタクは?

岡田 オタクをツールにして、批評とか言論っていうのをやってたわけやん。

和美 言論界のオタク地区担当(笑)。

岡田 言論の人らって、自分のやってることに自信がないねん。自信がない人って、原始人呼んで話を聞くっていう癖があるんや。環境問題やってて話が難しくなったら、とつぜんアマゾンの原住民とかアポリジニ呼んできたりして、素朴な言葉で語らせる。ほんで感心して「うん、聞くべきなにかがある」っていうのがみんな好きやん(笑)。僕はそれやねん、オタク界の原住民みたいなもん。連れてきたら英語ベラベラで、「旦那、ええもんあるよ」みたいな感じでガンガン喋れるから、珍重されてわけですわ(笑)。

和美 原始人の言葉だったの?

岡田 そりゃプロの言葉やないよ。僕の話は、すべてがたとえ話の連続やんか。「岡田さんの話を聞くとわかったような気になる」って言ってくれるのは、ぜんぶたとえ話だからであって、ある種「教祖」の話を聞いているのに近いわけやな。イメージが湧くし、気分になれるんやけど、それを応用しようとして他の人に言おうとしたら、僕の言葉の使い方以外にないんやんか。すごい伝えにくい。

これは面白いなというのと、これは必要とされているな。その両方があったからやってこれたけど、もうあんまり必要とされてるっていうのが、感じられなくなってきた。去年の後半あたりから、オタク関係の書籍がバンバン出てきて、オタク評論家みたいな人もパンパンパンパン新しい人が出てくるし、古い人も急になんかフーコーの言葉引用してみたりして肩に力入れてオタク論語ってるやん。カワイイもんやん、任せて大丈夫やよ。カワイイもんなんて言うたけど、ワシより頭のいいのもバンバン出てきてるしな(笑)。そしたら、私がこんなところで中途半端な言論やってるよりも、さっと身を引いたほうがカッコええしやな。

フロンティアとしての面白味っていうのもあったけど、4年間ぐらいやってきて、最後の1年間は量産体制に入って「似たような言葉の繰り返しになってきたぞ」っていうのが、去年の秋頃に見えたから。『週刊アスキー』がポンとなくなったのをええことに止めてみたわけや。そしたらなんと、枯渇感がないねん。『週刊アスキー』で連載する前までは、「自分が考えてることを残さねば。この自分が持っている価値観・認識とかを人に伝えなければ、死んでも死にきれない!」みたいな焦燥感が確かにあってんけど、終わってみたら、ぜんぜんないなあ、と。

和美 言うべきことは言った、聞くべきことは聞いた。

岡田 これ以上、言うべきことがあんまりない状態でそれでもまだなにか言うたら、昔から僕自身が批判している「お前はもう作る時期じゃないのに、まだ作ってる」という作家と同じになってまうからねえ。やっぱり、人間、引き際が大事ですよ。

和美 でも本来、大衆化してから浸透するわけよね。

岡田 その浸透のプロセスと、中心にいる人間がダメになる度合いは比例してるからねえ。ダメになるのがイヤやったら、さらに過激になるしかないんやけど、こっから先の過激は「過激のための過激」になってしまう。これまで言うてきたことは、自分なりの積み重ねがあったんやけど、こっから先は「言うために言う」ことになってしまう、人の耳目を引くために言う。それはなんやら気色悪い、家帰ったあと恥ずかしい。布団のなかで「ウワーッ」とかまた言わなアカン(笑)。

でもなんかね、僕にしてみれば代表して味わってきたっていう気分があんねん。僕、昔SFファンやったころアメリカのSF大会行ってきて、帰ってきてみんなにそれを話したやんか?みんな同じ話でも、なんべんでも聞きたがんねん。それはなにかっていうと、誰か一人の体験談を何度も聞くことで自分の体験化していって、アメリカという国であったり、世界のSF事情っていうのを、なんとか自分の中に取り込もうとしていたわけやん。僕と同じ30代半ばぐらいの世代で、オタクやってたり、世の中に中途半端な関心持ってて、本格的な知的訓練受けてないような人、それが今の社会の中でものすごい人数多い、大多数って言ってもええんとちゃうかな。その一人の冒険談の一部分が、この本のわけやねん。それを読むことによって、みんな気が済んだらええよな。だって一人一人が行く必要はやっぱりないねんもん。

僕は日本の知的状況の中でいちばん面白いところに、ちゃんと現実に行って、会うて、向こうを怒らせたり、自分も怒ったり、テレビに出て恥をかいたり、ええ思いをしたり、お金を儲けたり、損したり、有名になったり、人に嫌われたり、さんざんごっそり経験してきた。その結果として言えることは、「スッゴイ面白いところやけど、君ら別にやる必要はないよ」。それがようわかった(笑)。

和美 でもなんだか、勝手な意見だなあ(笑)。

岡田 僕も気が済んだから、君らも気ぃ済ませてくれとしかよう言わんわ(笑)。

 

●プライベートなものの代用品

和美 最近はオモチャばっかりですねぇ。オモチャとかアンティーク玩具屋さんの状況とか、いつも話題にするね。急に来たねぇ。

岡田 今の仕事に一段落ついて、最大の関心事であった評論とかから急に関心がなくなって。

あと、あれやね、僕には3ヶ月周期の躁と鬱っていうのがあるやんか。それと同じように何年か周期の外向的と内向的の波があって、今、また何年かぶりの内向的な波に入り出してるんやよ。去年ぐらいまでは人に会って話したり、自分の意見を言ったりしてたんやけど、今は、自分について考えたり、なんでそういうふうに感じるのかな、こういうふうに感じてるっていうほうに、ダーっと行ってるなあ。だから対談とか、えらい困りるよね。そういうでっかい周期で動いてるし、そういうもんには、あまり逆らわないようにしているわな。

そういう周期ってあんたから見てわかんのん?

和美 本人が言うから、そうかなあと思うけど(笑)。自己申告の世界ですから(笑)。

岡田 躁と鬱の時はわかんの?

和美 強烈な鬱はわかるよ、さすがに顔見たら。強烈な躁もわかる。喋る高さ、声が違うから(笑)。あと喋る速さも違うよね。鬱の時とか喋らないでしょ。

岡田 去年はどうやった?

和美 去年は鬱では苦労したねぇ。後半からでしょ、苦労しなくなったのは。

岡田 オモチャも外向的な頃やったら、産業構造とかね、そっちのほうにもっと興味が行くと思うんやけど、あんまり興味行かへんねん。昨日、パソコン通信でオモチャ好きな人が集まって、オモチャ見せっこして、オモチャOFF会っていう会議みたいなのをやってん。でも他の人のオモチャ見ても、ぜんぜん興味ないんやよ。俺が集めてんのはオモチャ違うみたいやねん。もっとプライベートな気持ちの代弁者を集めてるだけであって。古いオモチャじゃなきゃっていうわけでも、どうもない。何やら特定のものでなければなきゃいけないっていうことであって、それを話せるのは3年ぐらい経ってからやなあ。3年間どうやって食べていけばええんやろうか?

和美 大丈夫、大丈夫……ちょっとだけ食べればいいから(笑)。

 

●世の中の無意識と僕の無意識のギャップ

岡田 ところで、評論家みたいな仕事を私がするのはどうでしたか? その前はアニメ作ったり、ゲーム作ったりしてたわけやん。その後、チンタラしてたわけやん。そっからフィンフィンフィーンってエンジンがかかって、なんやら社会評論みたいなもんをやりだしたわけやん。それに関して君は、どう思ってたん?

和美 そりゃ、ずっと同じことやってるより、変わったほうが面白いよ(笑)。端から見ててもエキサイティングでしょ?

岡田 勝ってるか、負けてるかとかいうんとは違うんやろ?

和美 まず、落差がある。最初、アマチュアでブイブイ言わせてたのが、プロになった。プロになってもそれなりにブイブイ言わせて、そのあとゲームを作った。ゲームを作ってそれなりに儲けて、それっきり泣かず飛ばずなわけで(笑)。

岡田 アハハハハ(爆笑)。

和美 その差がまず面白い。一発当てて儲けて、だったらアリガチな、いわゆる大成功の人生でしかない。泣かず飛ばずっていうのもアリガチだけど(笑)。そのあと、ある程度似てるけどまったく違うジャンルで、それも今までは共同作業、みんなで作ってたのを個人で活動して、テレビ出たりとかぜんぜん違うことして、それなりに成功して、っていうのは面白かったよね。

岡田 「 面白い」しかないん? 止めて欲しかったとか、もっとやって欲しかったとか、「どうせやったらここまで行かんと男とちゃうで」とか、思わへんの?

和美 評論活動に関してはねえ。本人がそこまで「自分は熱意がない」とか「これ以上できない」って言うんだから、そりゃしょうがないと思うでしょ。そりゃどうせだったら、世の中を動かすような評論家、昔の小松左京さんみたいに、大阪万博をやっちゃうような活動があったほうが、カッコいいよね。影響力としては。

私が思うのは、みなさんそれぞれ言論界でちゃんと活動してて、いわゆる制作現場はあるわけでしょ。だったらその制作現場使ってなんか作りたくないのかなっていうのはあるよ。ある程度の影響力は持ってるわけだし。

岡田 なるほどなあ、わかるわかる。さっき言った、業界みたいなもんがあって、映画の製作現場みたいなもんがあって、なんで映画を作ろうと思わんのか?っていうことやな。

なんで作ろうと思わへんのかやな?

……(考え込む)

 うん、思ってた、思ってた。それはねえ、一本化させてなんとかしようと思ってて、それに関してはまあなんかこういう風にすればええんとちゃうかなっていうビジョンが、自分の中にあるような気がしてた。その責任感もあったし、自覚もあったし、やる気もあった。

正直な話、手に負えんなあという感じがしたよなあ。それはその工場が手に負えないんじゃなくて、この工場の力をまとめて市場に行くには、ちょっと僕も含めて力不足かなあ。それがさっき言うた、限界やとか力がない、とか。

和美 35点って言ってたからね。かなり低い点数だもんなあ。

岡田 それは、政策立案能力とか実行力とかと違って、マーケティング能力やねんなあ。みんなの幸せがどっちなのか誰も決められへんねんから、これは個別発生的にそれぞれの人がそれぞれの方向の幸せにアプローチするしかない、としか言われへんねん。以前は全体の方向でも、ある程度束ねて「こっちや」というのができるつもりやってんけど。これはできへんなあ、やったらアカンねんなぁって思ったんよ。

和美 それはみんなの幸せがバラバラだから?

岡田 僕にわからへんから、みんなの幸せが。もう手に余る事件、続出。

和美 ああー、いろいろ最近ありますねえ。

岡田 あのねえ、酒鬼薔薇聖人事件というやつで、まず第1回目の「わからん、これ」。去年までの快進撃はなんやったか言うたら「おまえらオウムわからへんの? 俺、わかるで」っていうのがものすごくあったわけや。「隅から隅まで全部わかるわ」っていうのがあってヒャーっと行ったわけやけど。で、去年の夏に酒鬼薔薇聖人事件があって、あん時「あ、わからへんこともあるわあ」って思ってヒャーと引いてって、今に至るわけですわ。

和美 腰引けまくり(笑)

岡田 もうこんなん(思いっきり腰を引く)ですわ(笑)。こんなこと喋るのは、辛うじて残ってる評論家みたいなこともやる岡田斗司夫に対して、ものすごう致命的やねんよ。わからへんっていうのが致命的な職種やから。でもわからへんことを、あえてわかるように努力するっていうのも嫌やし、わかる振りするのも嫌やし。努力してわかるなんてこと、あるはずないやん。世の中のウジャーとした無意識みたいなもんと、僕の無意識が一体化してるから、わかるっていう状況があるわけであって。

和美 それは理解するとかいうことと違って、ピンとくるとか、感覚としてフィットするとか、そういうことね。

岡田 ところが世の中の無意識と僕の無意識にこんなにもギャップがある、私の考え違いでした。やれることはオウムとかそこらあたりで、もうやり尽くしてしまいまして、あと、本をちょっと書いてそれぐらいで終わりですわ。

和美 それは、「自分にはわからない世代が生まれてきた」というのとは違うの?

岡田 今までもいたんだけどね。生まれてきたんやなくて、わからん世代がおるっていうのにやっと気づかされて。それは世代の問題やなくて、きっと同世代のたぶん半分もわかってなかったんやと思うよ。でも、オウム事件をみんなあんなにわからへんて言うてくれてたお陰で、あれがわかることによって私は、ぜんぶわかってるような気になってたんやけど……。

和美 イケイケな気分だったんだな(笑)

岡田 でも「ウワー、下半分裸やー」(笑)。それで今、過剰に腰が引けてるんかもわかりまへんけど。

和美 でもそれって、今、言論界で活動している人でも「わかる、わかる」っていう人はいないのと違う?

岡田 おれへん、おれへん。でも私は今まで「わかる、わかる」でブイブイ言わせてたわけやん。どうして私みたいな素人同然の人間が、その道何十年の人らに「そんなん、ちゃいますよ」って言えてたかというと、私はわかるからという前提で(笑)。女性論戦わせてる現場で「女ってそんなもんじゃないわよ」って言い出す、ヤな女みたいな気分やったわけやよ(笑)。

ほんとに感覚の問題で、階段がない、ハンドルがない感覚。景気悪い話やねえ。

和美 そうねえ(笑)。わからないからってバタフライ・ナイフ、突然持ってもしょうがないしねえ(笑)。

岡田 39年間培ってきたもんやからねえ。2年間やそこら頑張ってもなあ。

 

●「『無知の知』を知ってるよ、俺は(笑)」

岡田 でも、これは言い換えたら「去年までは勘違いでした」って言うてるようなもんやからさあ(笑)。

和美 でも、去年までの事件はわかってたんでしょ? それは「勘違い」とは違う。そこは大事な違いだと思うけど。それまではわからない人らは事件を起こさなかっただけなのかな。

岡田 僕が今ねえ、辛うじて縋ってる優越感はねえ「無知の知」を知ってるよ俺は(爆笑)。『朝生』出てる奴はこうはいかんやろう(笑)。これぐらいしか叫ばれへんわあ。貧乏臭いですなあ。

和美 昔、ほとんど仕事をしてないような時は、毎日すごい抽象的な話をしてたような気がする。たとえば「人間の意識とはなにか?」みたいな話をしてたよね。でも最近の話題は具体的な人の話題が多いよね。あと、最近人のことを馬鹿だとか、アホだとか言わなくなった。いろんな人のいろんなパターンは認められるようになったような感じはするなあ。

岡田 それは『SPA!』でやってる人間のタイプ別っていうのの影響やね。ああいうふうに人間を考えるようになって、ただ単に「こいつは馬鹿や」とか「こんなことわかってへんのか」 とか思ってたのが、「なるほど、この人のパターンと立場と性格、この3つを組み合わせたら、これしか出てきようがないよなあ」って考えることによって、腹は立てへんようになるよな。

それがええことやとは、あんまり思わへんねんけどね。

和美 腹が立つほうがいいの?

岡田 感情が動くからね。感情が動けへんかったら、納得するしかないわけやん。共感なんていうのはもともと無理なわけやねんから、そこにあるのは納得であって、諦めであって、心が動けへんっていう状態だけやん。

動機付けのレヴェルからして、そのパターンのなかで納得してしまってるわけやから、ある種あの考えは私にとって福音であると同時に撤退やよ。確かにツールとしてはメチャクチャに便利やねん。けど、ツールとして使うために必要な、一番最初に自分はこうしたいっていう動機が持ちにくいね。

特に去年の夏ぐらいからこっち、誰かに対して腹が立てへんようになって、「これはもうこういうふうなもんやからしようがない」っていうようなことが重なってきて、おまけにわからん事件っていうのがやってきて、今、自分の巨大な流れとして主観的になろうとしてるんやと思うんやけどね。もし主観的になれへんかったら、今年後半の私は使いもんになってへんと思う。

そこでですね、よけい内向的になってですね、「私っていったいなにでできてるんでしょうねえ」っていうことで内側見つめて、ロケットかなあとか、モノレールかなあとか……3つめがもうないんやけど(笑)、またロケットかなあとか(笑)。未来カーとかありますけど(笑)。

 

●「今日から私は『女々しく』行きます!」

岡田 最近、「おセンチ野郎」になろうとしてる。前はどちらかというと、「理性」と、理性のベースになってるのはモチベーション、「情熱」みたいなもんですよね、それがあってん。「こういうのは問題だと思うな」っていう情熱があって、その上で、「でも、こうだよな現実って」っていう理性・分析みたいなのがあった。今はそういうのはぜんぶ「置いといて」(笑)。心の使ってないもう反対側で「でも僕はこうでなきゃヤダぁー」とかですね、「僕はこれがあればいいんだあー」っていうやつをキューッと凝縮しようとしている。おセンチっていうのをある程度言語で説明すると、こういう感じですかね。「おセンチ」と言ってみたり「リリカル」と言ってみたり、いろんな表現を使ってみたりしてるんですけど。

和美 ノスタルジー?

岡田 懐古的……。これまで私はノスタルジーって嫌いやったからね。収まりかえってるオッサンらが、懐古的になりやがって、自分は現役やよって思っててんけど。「でも僕は現役じゃないんだ、バタフライ・ナイフも酒鬼薔薇もわからない〜」って思った瞬間に「昔はよかったあ〜」っていうのがズズズって出てきて(笑)。

和美 オッサン臭いの? 私はイメージとしては女の子っぽいかなと思ってたけど。

岡田 じゃ、そういうふうに切り替えます。オッサン臭いと、まだ今日までは思ってましたけど、今日から女々しいと。

和美 そのほうがまだいいかな?

岡田 女の腐ったみたいなって考えたらええねんな。

和美 ムカムカ。

岡田 君、この表現、昔から嫌いやね。

和美 男でも女でも腐ったやつは臭いから。

岡田 悔しい〜ぃ(笑)。

和美 なんで?

岡田 1ミリも反論でけへんからや(笑)。今日から私は女々しく行きますから……こう決意したら雄々しいかな?(笑)


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