『東大オタキングゼミ』1998年4月15日版 ン1997.Toshio Okada
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第3章 ゲーム


1.コンピューターゲーム

 今回の講義はコンピューターゲームについてです。ゲーム産業は、あっという間に日本を代表する産業の一つになってしまいました。『ニューズウィーク』の調査によると、今、最も有名な日本人といえば、ソニックとマリオだそうです(笑)。

 では、コンピューターゲーム業界がどの程度のパワーを持っているのかの実例を説明します。例えば任天堂の現金預貯金額は、約800億円と言われています。現金で800億という金額って、ちょっと想像つかないですけど、日本を代表する企業である松下グループが自由にできるお金が、有価証券類を併せても1000億円と言われてます。そう考えると「現金預金が800億円」という数字が、いかにキチガイじみているかわかります。

 その松下グループが、21世紀を迎えても大企業であり続けるための方策として選んだのが、3DO・REALの開発でした。世界の松下は、ゲーム会社に転身することを決意したのです。

800億っていうと、大企業の持ってる金としては大したことないと感じるかもわかんないですけど、企業が持ってる金っていうのは基本的に有価証券とか株券類で、資産として持っているわけですね。現金貯金っていうのはですね、だいたい一部上場の企業でも5億とか10億しか持ってないのが普通なんです。で、任天堂はキチガイじみたことにですね、普通預金で800億持ってるんですよ(笑)。松下グループがコロンビア映画を買収するというので、とにかく余剰資金ですよね、あといろんなところにまわっている金利とか、そういうのをかき集めてかき集めて1000億円やっと集まって、コロンビア映画に払ったといわれています。松下グループが創立以来40年間かそこらで集めた金と、任天堂がこの5年間で集めたお金というやつで比べると、いかにゲーム産業というのが恐ろしいものかがわかると思います。当たり前ですけど、トヨタの経常利益なんか軽く抜いてしまってます。その意味でゲームは21世紀型産業っていわれてるんですけど、大ウソですよね。20世紀の後半、既にこんなに強くなっちゃいました。

任天堂というと、僕たちがすごい小さい頃は、花札とかトランプを作ってるような会社だったんですよね。それがゲームウォッチがヒットして、ファミコンがヒットして、ちょっとの間にものすごい会社になってしまったんですね。

上のグラフが、日本とアメリカでのゲーム機のシェアです。国内のシェアは任天堂が80%で、セガが10%、その他というのはですね、まあ皆さんおわかりのように、PCエンジンとか、そのへんの機械を合わせた数字です。ところがアメリカ行くとこれが逆転してまして、任天堂が47%でセガが53%っていう統計資料が出てるんですよ。本当は47と53だと足すと100になっちゃうんでその他がないはずなんですけど、わかりにくいんで1%ウソを加えまして書きました。まあ、そこにはアタリのジャガーというマシンが加わると思ってください。

 セガは、アメリカで完全に逆転してますが、この状況がいつまで続くか誰にもわかりません。どっちにしても日系の企業がここまでやってきたということで、彼らも何とかせねばと思ってるわけです。ですから、クリントンとゴアが言ってる「情報スーパーハイウェイ構想」っていうのは、実はこれが原因の一つなんですよ。というのは、アメリカではですね、もともとアメリカの国策産業は鉄鋼でした。USスチールを作って、アメリカはガンガン景気よく20世紀前半の大恐慌までやってて、その次に自動車でガンガン伸してきたんですけど、第二次大戦前にですね、すでに日本は鉄鋼で世界一になってしまい、第二次大戦後はご存じの通り自動車で世界一になってしまい、コンピューター分野でも大躍進。こんなことを続けられちゃあ、アメリカは困っちゃうわけです。

 そこでアルバート・ゴア副大統領らが推進するのが、次世代のアメリカ覇権の柱、情報ハイウェイ。そしてその鍵を握るのが、次世代・次々世代のゲームだと言われています。なぜかというと、将来、衛星放送から有線テレビ、ISDNにつながる電話やファックスの通信網からパーソナルデータアシスタント、コンピューターにいたるまで、いろんな情報機器を統合して簡単に使えるようにしようとしているんですね。で、いずれ各家庭にこういう情報機器を統合する端末が入る入ると言われてるんですけど、徐々にスーパーファミコンやプレイステーションというような、パソコンと言うよりはゲームマシンがこの位置を占めるという意見が有力になってきたんです。だから、みんな焦ってるわけですね。焦ってるっていっても、やっぱり産業界のおじいちゃんたちはですね、どうもこれくらいの箱の中に電子機器が入ってても、それが国を動かすとは思えない、信じられないということで、大型マシンの方にまだ信頼というか望みをつないでるんですけど、まあ無理でしょう。

鉄鋼、自動車につづいて、コンピューターの分野でも追い立てられていることに、アメリカは困っていると。特に、ゲームマシンが未来の家庭内のさまざまな情報機器を統合する端末としての役割を果たすようになるのだったら、その競争に負けるということは、自動車につづいて、決定的なダメージになってしまうということですね。

そういうことです。ところで、コンピューターゲームって一口に言いますけど、商売的には大きく3つに分けられています。「コンシュマー」「アーケード」「パソコン」ですね。図で分類を説明すると、次のようになります。

 「コンシュマー」っていうのは、日本語では「消費者」という意味になりますが、家庭用ゲームのことです。家庭用テレビゲームとか、携帯用のゲーム。ゲームボーイとか、ゲームギアとか、アタリのリンクスとかですね。それからエレ玩具というのもコンシュマーに含まれますが、これは液晶画面の、ゲームウォッチみたいなやつですね。あれは業界ではエレガンと言われています。

 「アーケード」っていうのはゲームセンターにあるようなゲームで、ノーマルなやつと、筐体(きょうたい)ものと、通信ものに分かれます。だいたいわかるとおり、ノーマルっていうのはまあ、モニター1台で、1人か2人でプレイするやつです。筐体っていうのはですね、人間が乗っているハコが動いちゃうやつです。通信っていうのは、それを8台並べて競争できるというようなものです。

 それと、「パソコン」。まあパソコンでプレイするゲームですが、これが最近元気ないですね。

 このように分類されるわけですが、やはり、21世紀に向かって家庭用のゲーム機がどうなっていくのか、どのメーカーのものが世界の中でシェアを獲得していくのか、というのが、今ゲーム業界でもっとも問題になっているところですね。これまでは任天堂とセガくらいしかなかったわけですが、今後は、先ほども言ったように松下グループなど、従来の家電メーカーも参入してきます。21世紀産業とはいいますが、もう、勝負は始まっているわけです。

★1 この講義が行われた94年はたしかにパソコンゲームに元気はなかった。しかし96年あたりから、ディアブロ等通信型ゲームによって「もっともエキサイティングなゲームの舞台」に生まれ変わりつつある。これだからゲーム業界を語るのは難しいんだよな。

 

2.ゲームとアニメ・マンガ

 さて、ハードの話を通してコンピューターゲーム産業というものを考えてみました。つづいては、じゃあそのコンピューターの上で動くソフト、ゲームというものは、国際的にはどのような位置づけにあるのか、というのがここでのお話です。

今、世界中のあちこちで、日本のゲーム・アニメ・マンガがブームとなりつつあります。今回はゲームの講義なんですけども、日本が世界に送り出しているソフトの中で、ゲームとアニメとマンガというのはとても似た状況にあるので、ここではちょっとまとめて話しましょう。

 日本のゲーム・アニメ・マンガといったソフトが、日本国内では地位が低いままなのに、世界では次々にブームになっていく様子というのは、かつての浮世絵の扱われ方と近いものがあると思います。

 浮世絵というのは、だいたい江戸時代はですね、お茶碗とか買ったときに包んでくれる紙みたいなものだったんですね。まあ今だったら、伊勢丹とか東急デパートの包み紙みたいなものですね、あれだったんです。それで、意匠を凝らしていろんな絵を描いてたんですけど、それがヨーロッパに流れていきました。そうしたら

ヨーロッパの人はパニックになったんです。というのは、ヨーロッパでは、絵を描くっていうのは全部光と立体でとらえなきゃいけないと思ってたのが、日本の浮世絵は、形としてとらえていると。フォルムの線でとらえていいんだっていうことで、もうルノアールとかゴッホは頭がポーンといっちゃって、強烈に憧れたわけです。それと同じようにですね、アメリカのアニメーション、特にディズニーなんか見たらわかるとおり、動き全体にしても、顔にしても、すごく立体を意識して描いてるんですよ。360度周りから見ても狂いのないデッサンや遠近感の確かな絵、それがアニメーションだとてっきり思ってたんですけども、日本のアニメーションを見て、みんなまたびっくりしちゃったんですね。結局、なんで日本人ってこういうふうにものを見られるんだろうと。

 で、今ですね、ヨーロッパでだいたい月に1冊か2冊くらい、日本のアニメとかゲームの専門誌が出てるんです。日本でアニメとかゲームの専門誌というと、本屋さんでは、なんかちょっとすえたニオイのする一角によくあるんですけども(笑)、あちらの方では、かつての『ポパイ』とか『ブルータス』みたいな扱いで、完璧に若者文化、それも大人が理解できないもの、クールなものとして、とらえられています。

ゲームとかアニメとかマンガというものが、かつての浮世絵のように、世界で「かっこいいもの」として受け入れられていっていると。日本ではどうしても「子供っぽい」などと思われる風潮があって、大人がゲームとかアニメに熱中してると眉をひそめられることもあると思うんですけど、外国ではそういうことはないんですか。

日本のゲームやアニメが外国で攻撃されるという意味で言えば、例えばフランス政府は、日本のアニメを、フランスに対する文化的侵略、と名指しで批判していました。『聖闘士星矢』というアニメがすごい人気で、僕が見た資料だと「視聴率95%を超える人気番組」とありましたが、これはですね、聞くと笑っちゃうでしょ。95%ってどんな数字なんだ(笑)。簡単に言うと、フランスで、ホテルのロビーにテレビがありますよね、そのホテルのロビーのテレビは、『聖闘士星矢』を映してないんですよ。で、それ以外のテレビっていうのは、だいたい『聖闘士星矢』が映ってるという状況でしょうか。

 それで、5年くらい前には、『ゴルドラック』っていうアニメがフランスで大ブームになりました。これは何かっていうと、『UFOロボ・グレンダイザー』です。皆さん見たことないですか。そういう、永井豪の作品があるんですけども、それがすごい視聴率とっちゃって、その時にですね、あの、日本人を働きアリだと言っていた、女の首相、何だっけ、あ、クレッソンさん。あの人が、文化的侵略だといって放映の打ち切りを宣言したんですよ。

 フランス人っていうのは文化侵略に関してすごくシビアでですね、たとえばヨーロッパの「ユーロディズニーランド」って、パリ郊外にあるんですけども、フランス人はなかなか行かないんです。「アメリカ人の作ったネズミの映画なんて見られるか」と思ってるんですけど、ただ、彼らにしてみたら、『聖闘士星矢』は登場人物の髪の毛の色が黒じゃないのでですね、「これはヨーロッパの話だ」とか、ひどい人は、「これはギリシャの話だ」と思いこんでるんですよ(笑)。この調子で行くと、来世紀中国がみんなテレビを持つようになったら、私たちはきっとあれですよ、「魁!男塾」をですね、中国で流すんですよ(笑)。

★2 その時の日本アニメ・バッシングの先鋒、セゴレヌ・ロワイヤル女史は、その功を認められて今や文部大臣である。あいかわらずフランスの「自称日本通」の知識人・インテリたちは「ミシマやクロサワを生んだ日本文化は素晴らしい」とオウム返しに繰り返している。現地の日本大使館や文化庁の対応も、「正しい日本文化は、ミシマ・クロサワです」とフォローしている。日仏文化交流に大きな影響力を持つ元NHKキャスター・磯村尚徳氏も日本のゲーム文化に関してはまったく無関心のようだ。日本初のオタク文化は今、日本人自身の手によっても抹殺されようとしている。

外国からの文化侵略にうるさいフランスでも、日本のアニメが大人気だと。しかし、登場人物の髪の色が黒じゃないからヨーロッパの話だと思って見てる人がいるというのはすごい話ですね。彼らにしたら、髪の黒い東洋人ばかりが出てくるアニメだったら、すごく違和感を感じるのかもしれません。ということは、日本の映画が世界ではあまりヒットしないというのは、そういう点でも考えてみる必要があるのかもしれないですね。

そういう話はまだあって、フィリピンでですね、10年程前に『ボルテス』というアニメがオンエアされたんですよ。『ボルテス』というのは3部構成になっていて、恋愛モノでロボットが空手でガンガン戦うという、まあおバカなアニメーションなんですけども、敵が貴族制なんですよ。で、敵が仲間割れをして、貴族制に反対して、最後はそれまで戦っていた敵の隊長とボルテスが力を合わせて、敵の貴族制を打倒するという話なんですよ。それがもう大ヒットして視聴率がむちゃくちゃ上がって、国民が熱狂的に見てるわけです。大人も見てるわけです。ところが、フィリピンは民主主義とはいいながら軍閥政治ですので、それで革命モノなんかやられたらたまんないということで、フィリピン政府は『ボルテス』を、途中で打ち切ったんです。で、フィリピンの子どもたちはそんなこと知りませんから、あのボルテスはどうなったんだろうということで、5年後か6年後に彼らが成人して日本に来て、その続きを初めて見た。そうするともう国の革命モノが描かれているということで、ああそうか、それでフィリピンではオンエアできなかったんだなあというのを、以前NHK特集でやってたので私も腰が抜けた覚えがあります(笑)。

 なるほど。日本のアニメーションというのは、結構日本人の知らないところで、世界中に浸透していっているんですね。

 ところで、話をゲームに戻しますと、日本のゲームというものも、今後アニメーションと同じように世界でも受け入れられていくんでしょうか。アメリカでは任天堂がセガに負けているというお話がありましたが、特にソフトの面で、日本のゲームというのは勝算はあるんでしょうか。

冒頭に話しましたように、パナソニックが社運をかけて発表した3DO・REALというゲーム機があります。しかし「初年度200万台」といわれた販売計画も、結局15万台しか売れず、現在このゲーム機は消えたも同然です。これはいったいどこで間違えてしまったのか考えてみると、ゲームの成功のポイントがどこにあるのか、見えてくると思うんです。

 セガのAM2研、つまり『バーチャ・ファイター』を開発した部局で、こんな話があります。そこでは、前作の『バーチャ・レーシング』を開発しているときに、実物のF1と全く同じ操作感を再現することに成功したそうです。それだけ聞くと、本物のF1と同じ感覚を味わえるゲームなんてすごい、ぜひやってみたいと思うと思うんですが、ところがやってみると、運転が難しすぎてちっとも遊べなかったというんです。

 3DOの苦戦というのはこの話で代表されるんですが、ゲーム機を開発してるオヤジさんとかメーカーの人が考えるのは、もう全員口をそろえて言うんですけども、「あの8ビット機のファミコンが300万台売れたんだから、取り込み画像でCD音声バリバリの3DOだったら3億台くらい売れるんじゃないか」というわけなんです。でも、違うんですよね。もう皆さんだいたいわかると思うんですけど、取り込み画像だったら本当にいいか。だったら『マリオブラザーズ』を作るときに、イタリアの移民のオッサンにオーバーオール着せてですね、岩山でピョーンと跳んでもらえばみんな見に行くかっていう話になっちゃうわけです(笑)。

 つまり、抽象化されたものとリアリティというのをどういうふうにとらえるかというのが問題なんです。映画とかテレビドラマを見たら、僕たちは「リアルな恋愛だなあ」とか「リアルなセリフだなあ」と思うことがあります。でも、それはどうしてそう感じるんでしょうか。それはですね、その状況の中で、特に共感する部分を強調して作ってるからです。で、いらない部分の情報を外してるから、僕らはリアルに感じるんです。

本当の本物にいかに近づけるかということがリアリティなのではないということなんですね。人がリアリティを感じるというのは、ある特徴的な一部分を強調して、ムダな情報を削ってしまった、およそ本物とはいえないものに対して感じるんだと。

アメリカでつい先日バーチャルセックスマシンというのが1万ドルで売り出されたんですね。2人の男女が箱の中に入って、お互いをケーブルでつないでバーチャルなセックスを楽しむものなんですが、これが電話回線でもできるというのが売りでして(笑)。俺が見た宣伝ではねえ、ほら、なんだっけ、『めぐり逢えたら』でしたっけ、トム・ハンクス主演映画の、遠距離恋愛の映画がありますよね。原題は「Sleepless in Seatle」つまり「シアトルで眠れない」、あれに引っかけて、「シアトルに行かなくてもできる」って書いてあるんですよ(笑)。でも、リアリティっていうのはこれじゃないですよね。

 リアリティっていうのは、どこを強調してどこを省いちゃうかっていう、演出面に関わることなんです。そのへんをわからずに、ゲーム機の性能だけどんどん上げて、本物のF1と同じ操作感を再現できるようになっても、ゲームとして遊べないわけで、それじゃあ売れないわけです。ゲーム機の性能が上がっていく中で、ゲームの映像や音声や操作感というのをよりリアルにするというのは、本物そっくりにするということではうまくいかないんです。

 じゃあ、そこまで偉そうに言う私は、ヒットするゲームというものをどのように考えているのでしょう。つづいて話してみることにします。

 

3.『マリオ』『ドラクエ』大ヒットゲームを作るには

 ゲーム機の性能を上げて、安易にリアリティを追究してもおもしろいゲームにはならない、リアリティというのは実は演出に関わることなのだ、という話をしました。

 これまでのゲームの超ヒット企画、『マリオブラザーズ』と『ドラゴンクエスト』を見ても明らかですね。どちらも、本当の本物の世界とはかけ離れています。では、ああいったゲームがなぜ、ヒットしたのでしょうか。

ゲームの企画というのはすごい難しいんですよね。ゲームの企画書って、結構分厚いんですよ。それが、ゲームの「仕様書」っていわれる、こんなゲームを作りましょうっていう提案書になるわけです。

 ゲームの提案書ってページ数じゃないんです。センチもしくはキログラムっていわれるんです。他愛のないアドベンチャーゲームでも、ほぼ60センチから80センチといわれてます。つまり仕様書で、それだけの厚さになるわけです。で、『ドラクエ』だったら、これがセンチじゃないわけです。「今回の仕様書は○+キロあった」とか、重さの問題になってくるんです。

 ではそういうふうな企画書みたいなやつで、はたして『テトリス』っていうのは語れるのか。『テトリス』ってすごい単純なんですよ。企画書書いても、3枚で終わっちゃうんです。で、企画書を書いたからって、みんなわかんないわけです。ブロックみたいなものが動いて、上から棒みたいなのをポーンと落としてパシッと消えるっていうふうに言われても、多分どういうことかわかんない。『ぷよぷよ』もそうなんですけど、多分口で言われてもわかんない。やらなきゃわかんない。やってはじめて、快感がわかるゲームです。

 で、そのゲームの快感っていうのは何なのか。だいたいですね、快感っていうのを調べるには、その時代ではやってる宗教を調べればいいというのは、もう社会学的にわかってることでありまして。今の宗教はですね、大別すると次の2つに分かれます。個別的問題設定と縮約的問題設定です。一方は「幸せになりたい!」に応える行為的宗教なのに対し、もう片方は「ここはどこ? 私は誰?」に応える体験的宗教、と言えるでしょう。

個別的問題設定の方は、「行為系」ってありますが、何かをやることがすごく大事なんです。「幸せになるために私たちは何をしようか」「漬け物を売ろう」「ツボを売ろう」というやつですね、これは。「大衆的」というのは、これはですねえ、ちょっと言葉が悪いですけど、簡単に言っちゃうと「頭がわるい」ってことです。「みんなにもできる」ってことですね。「効能的」とあるのは、その効能はですね、現世で出ます。ツボを売ったから、水子の霊はどっか行っちゃって幸せだ、っていうやつですね。だから、同じことを何度もやります。念仏教も基本的にそうです。念仏唱える、みんなもできる、念仏を唱えてれば幸せになるよ、と。

 これはどういうことかというと、それぞれの人が自分の悩みを持っている。「なんで私はこんなに運が悪いんだろう」「どうして私は理解されないんだろう」「どうして私は東京大学落ちちゃったんだろう」っていうような、個別的な問題設定を持ってる人に対してはこの宗教がすごいきくんです。歴史上この宗教がほとんどメジャーをしめてます。「FEEL」と書いてあるのは、すごく感覚的なものだということですね。

 それに対して縮約的問題設定の方は、「SOUL」とありますが、こちらは魂の問題です。「人間っていうのはどこから来てどこへ行くんだろう」「私たちは何者なんだろう」という問題に応える宗教です。だから宗教の話なんか聞いてもですね、「この世の中は実はこうなっているんだ」っていうような話になります。つまり縮約的という言葉の意味は、自分の問題だけでなくそれを一般化して考えるということです。だから「知識人的」とあるように、知識人に受けるんですね。「教義学的」とありますが、この手の宗教は教義として、「この世の中ってこうなってるんだ」っていうようなことがはっきりしています。そのような意味で、この宗教を持ってる人は必ず自分の体験を語ります。「これこれこういうことがあって、私は真理に触れた」とかですね、「私はプレアデス星団の宇宙人から教えてもらった」とかですね、言うわけです。だから、すごく小難しいわけですよ。

 個別的問題設定の人はそんなこと言いませんね。その人たちが言うのは、「いいからこの洗剤使ってみなさいよ」っていうようなもので、わかりやすいです。

ちょっと難しいので、確認させてください。現代の宗教は大きく2つに分けられる。個別的問題設定というのは、悩みを持った人がそれを解決するために何かをすることが特徴で、とてもわかりやすい。縮約的問題設定というのは、自分の悩みを、人間一般の問題を解決する答えを見つけることで解決しようとすることが特徴で、それに応える教義がしっかりしていて、その裏付けには体験がある。こんな感じでいいんでしょうか。

まあ、そんな感じでいいでしょう。

ではこれがゲームとどう関係があるのかということですが、『マリオ』って個別的問題設定の方なんですよ。『マリオ』ってスイッチ切った後、なんかお茶でも飲んで15分くらいしたらもう1回やりたくなるでしょ。あれは感覚に訴えてるので麻薬性があるからです。もう1回スイッチ入れても、最初からしかできないですよね。バッテリーバックアップがない時代ですから。でも最初からやっても、みんなイヤじゃないんですよ。もう1回あの世界で、ピヨ〜ン、ピヨ〜ンって飛び跳ねるのをやりたい。感覚をもう1回味わいたいっていう、感覚に訴える快感なんです。

 それに対して『ドラクエ』はですね、もしあれがスイッチ切るたびに頭からやり直しだったら誰もやらないんですよ。縮約的問題設定の方はですね、その世界にもう一度戻って続きをやりたい、物語の世界観を体験したい、というふうに、感覚というよりは魂に訴える快感なんです。ゲームによって受ける快感が違うんです。

 ゲームの快感を分類するときに、皆さんも既存のですね、コンピューターゲームの本とか読んでみてくれたらわかると思うんですけど、こんなふうに分けてどこも書いてないです。みんな書いてるのは、シューティングっていうのはこんな快感だ、シミュレーションはこんな快感だ、RPGというのはこんな快感だ、などとですね、まあ私に言わせりゃ頭の悪い分類をやってるわけなんですけども。でも快感の分類っていうのはそうじゃないと思うんですね。『マリオ』と『ドラクエ』をそれぞれの代表として、感覚に訴える快感、魂に訴える快感、というふうに分けてみると、すごくスッキリすると思います。

『マリオ』は、ピヨ〜ンと飛び跳ねる「行為」が大事で、誰でもできる「大衆的」なゲーム。スイッチを入れるとすぐに「感覚的な快感」が得られる「効能的」なもので、個別的問題設定の宗教とそっくりです。一方の『ドラクエ』は、「教義」にあたる世界観がしっかりした場所で、キャラクターはいろんな「体験」を重ねていく。謎が少しずつ明らかになったり、だんだんと物語が展開していくという、「知識人的」なゲームで、精神的に満足感があるというか、「魂の快感」を感じられる。確かに縮約的問題設定の宗教と対応していますね。

 となると、次に知りたくなるのは、ではどうやってこういう快感をゲームの中に作り出すのだろう、ということでしょうか。『マリオ』や『ドラクエ』のような大ヒットゲームを作るためには、具体的にはどういうことを考えたらいいんですか。

これはゲームに限らず、映画でもマンガでも何でもそうなんですけど、気が狂ったみたいにヒットするものってたまにありますよね。『E.T.』もそうですし、『スターウォーズ』もそうですし、『ジュラシックパーク』なんかもそうですね、なんでなのか。実はこの4つが必ず含まれてるんです。でですねえ、そんなにヒットしないやつはこの4つのうちどれかが欠けてるわけです。

 SEXと書きましたけど、これは性的な快感のことです。だから、美しいものを見て気持ちがいいっていうのもこれです。また「体感的な快感」も、その範囲に含まれます。アクション映画を見ているときの快感、みたいなものかな。

 勝負。その作品の中で必ず勝ち負けがある。

 知性。知性っていうのは何かっていうと、その中で何かちょっと物知りになった気がするってことです。例えばどのようなものがあるかといえば、『ドラクエ』でプレイしてると、だんだん薬草の値段を覚えちゃったりしますよね。あと、何か買ったものを店に行って売り戻すと、買った値段の75%の金しか手に入らないようだとか。これが知性なんですよ。知的な快感、大脳の喜びってやつです。

 社会性っていうのは何かっていうと、やってることがどの程度の社会性を持ってるか、その作品の中に社会性があるかどうか。だから、ラブロマンスがなんででっかいブームにならないのかというと、だいたいの場合これがないんです。ラブロマンスでも『風と共に去りぬ』みたいなのは、南北戦争を背景にして、没落している南部アトランタを舞台にするということをやってるので、この社会性がガーッと強調されてきてメガ・ヒットにつながったわけです。

 今までにものすごく当たったもの、音楽でも何でもいいです、考えてみてください。メガ・ヒットっていわれるものは、そんじょそこらのヒットじゃないですよ、メガ・ヒットというくらいのものには、絶対この4つが入ってます。

 普通ですね、まあ大衆に受けるものはセックスとバイオレンスがあればいいんだ、とよくいわれますけど、それだけでは足りないです。セックスとバイオレンスだけではですね、見てる人はついてこられない。メガ・ヒットっていうのは、子供が見て、若者が見て、大人が見て、ダーッと社会が動くってやつです。それには確実に知性と社会性の快感が入ってますね。

 で、ゲームっていうのはですね、『マリオ』だったらボタンを押すとピョ〜ンと跳ぶ快感とか、『テトリス』だったらブロックがパッと消える快感とか、そういう性的な快感と、コンピューターと対戦するという勝負の快感が、必ずあります。知性っていうのはですね、さっき言ったみたいに、ゲームやってると知らず知らずのうちについちゃうんですよ。何か法則がわかったとか、こういうゲームなんだというふうに読めてくる。あとはだから社会性がつけばいいわけです。だから、どこのゲーム会社もこの頃テレビCMに力を入れてるのは、ゲームの中での社会性はみんなあきらめてるわけです。「主人公は王国の王子で、伝説の剣を……」っていうような作品の社会性はもう限界に達してるので、じゃあ一般に宣伝をかけて、このゲームは社会的な動きだ、『ファイナルファンタジーZ』が発売されるのはすごいことなんだ、というような宣伝をかけて社会性を得ようとしているんです。まあ、そのような作られた社会性では、なかなか人は動かないんですけれども。

 

4.ゲームの問題点

 それでは最後に、ゲームとゲーム業界の抱える問題点について話すことにしましょう。

まず、制作費の高騰という問題があります。いま、RPGを1本作るのに最低1億5000万かかるといわれています。

 これからはもっと上がります。今まではまだよかったんですが、これからは取り込み映像使うぞとか、もっと内容も濃くするぞっていうと、どんどんどんどん制作費が上がってって、下がる要素が全然ないんです。

 で、おまけに次々と新マシンが出る。次世代機っていって、今度セガ・サターンというのが出るんですけども、業界の人がみんな言ってるのは、もういい加減やめてくれと。次から次へこんなにマシンが変わったらですね、開発する方はたまったもんじゃない。そのたびにコンピューターを買い換えたりとか、新しい開発ソフトを作ったりとか、もう面倒ばかりなわけです。本当は、任天堂のスーパーファミコン以外この世の中からつぶれちゃって、あれでしか作れなかったらどんなに楽だろうかということになります。

 次の問題はさっきのとからみますが、制作費が上がりすぎたので、ソフトの1本あたりの値段が9000円を超えちゃった。そうなると子供が買えない。大人だって、まああんまり買わない。

 そうすると子供がこれからどんどん減っていくというのに、おまけに値段が上がって子供が買わなくなったらどうなるか。問題ですよね。

 じゃあこれを解消するために、もう少し手を抜いて作ろうといっても、もうみんな引き返せないです。あんなに映像がすごい、音がすごい、っていってたのに、映像もショボい、音もショボい、かわりに4000円でゲームを売りますっていっても、普通買いませんよね、そんなの。

 ということで、いまゲームにはこのような問題があるわけです。

 


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