3.『マリオ』『ドラクエ』大ヒットゲームを作るには
ゲーム機の性能を上げて、安易にリアリティを追究してもおもしろいゲームにはならない、リアリティというのは実は演出に関わることなのだ、という話をしました。
これまでのゲームの超ヒット企画、『マリオブラザーズ』と『ドラゴンクエスト』を見ても明らかですね。どちらも、本当の本物の世界とはかけ離れています。では、ああいったゲームがなぜ、ヒットしたのでしょうか。

ゲームの企画というのはすごい難しいんですよね。ゲームの企画書って、結構分厚いんですよ。それが、ゲームの「仕様書」っていわれる、こんなゲームを作りましょうっていう提案書になるわけです。
ゲームの提案書ってページ数じゃないんです。センチもしくはキログラムっていわれるんです。他愛のないアドベンチャーゲームでも、ほぼ60センチから80センチといわれてます。つまり仕様書で、それだけの厚さになるわけです。で、『ドラクエ』だったら、これがセンチじゃないわけです。「今回の仕様書は○+キロあった」とか、重さの問題になってくるんです。
ではそういうふうな企画書みたいなやつで、はたして『テトリス』っていうのは語れるのか。『テトリス』ってすごい単純なんですよ。企画書書いても、3枚で終わっちゃうんです。で、企画書を書いたからって、みんなわかんないわけです。ブロックみたいなものが動いて、上から棒みたいなのをポーンと落としてパシッと消えるっていうふうに言われても、多分どういうことかわかんない。『ぷよぷよ』もそうなんですけど、多分口で言われてもわかんない。やらなきゃわかんない。やってはじめて、快感がわかるゲームです。
で、そのゲームの快感っていうのは何なのか。だいたいですね、快感っていうのを調べるには、その時代ではやってる宗教を調べればいいというのは、もう社会学的にわかってることでありまして。今の宗教はですね、大別すると次の2つに分かれます。個別的問題設定と縮約的問題設定です。一方は「幸せになりたい!」に応える行為的宗教なのに対し、もう片方は「ここはどこ? 私は誰?」に応える体験的宗教、と言えるでしょう。

個別的問題設定の方は、「行為系」ってありますが、何かをやることがすごく大事なんです。「幸せになるために私たちは何をしようか」「漬け物を売ろう」「ツボを売ろう」というやつですね、これは。「大衆的」というのは、これはですねえ、ちょっと言葉が悪いですけど、簡単に言っちゃうと「頭がわるい」ってことです。「みんなにもできる」ってことですね。「効能的」とあるのは、その効能はですね、現世で出ます。ツボを売ったから、水子の霊はどっか行っちゃって幸せだ、っていうやつですね。だから、同じことを何度もやります。念仏教も基本的にそうです。念仏唱える、みんなもできる、念仏を唱えてれば幸せになるよ、と。
これはどういうことかというと、それぞれの人が自分の悩みを持っている。「なんで私はこんなに運が悪いんだろう」「どうして私は理解されないんだろう」「どうして私は東京大学落ちちゃったんだろう」っていうような、個別的な問題設定を持ってる人に対してはこの宗教がすごいきくんです。歴史上この宗教がほとんどメジャーをしめてます。「FEEL」と書いてあるのは、すごく感覚的なものだということですね。
それに対して縮約的問題設定の方は、「SOUL」とありますが、こちらは魂の問題です。「人間っていうのはどこから来てどこへ行くんだろう」「私たちは何者なんだろう」という問題に応える宗教です。だから宗教の話なんか聞いてもですね、「この世の中は実はこうなっているんだ」っていうような話になります。つまり縮約的という言葉の意味は、自分の問題だけでなくそれを一般化して考えるということです。だから「知識人的」とあるように、知識人に受けるんですね。「教義学的」とありますが、この手の宗教は教義として、「この世の中ってこうなってるんだ」っていうようなことがはっきりしています。そのような意味で、この宗教を持ってる人は必ず自分の体験を語ります。「これこれこういうことがあって、私は真理に触れた」とかですね、「私はプレアデス星団の宇宙人から教えてもらった」とかですね、言うわけです。だから、すごく小難しいわけですよ。
個別的問題設定の人はそんなこと言いませんね。その人たちが言うのは、「いいからこの洗剤使ってみなさいよ」っていうようなもので、わかりやすいです。

ちょっと難しいので、確認させてください。現代の宗教は大きく2つに分けられる。個別的問題設定というのは、悩みを持った人がそれを解決するために何かをすることが特徴で、とてもわかりやすい。縮約的問題設定というのは、自分の悩みを、人間一般の問題を解決する答えを見つけることで解決しようとすることが特徴で、それに応える教義がしっかりしていて、その裏付けには体験がある。こんな感じでいいんでしょうか。

まあ、そんな感じでいいでしょう。
ではこれがゲームとどう関係があるのかということですが、『マリオ』って個別的問題設定の方なんですよ。『マリオ』ってスイッチ切った後、なんかお茶でも飲んで15分くらいしたらもう1回やりたくなるでしょ。あれは感覚に訴えてるので麻薬性があるからです。もう1回スイッチ入れても、最初からしかできないですよね。バッテリーバックアップがない時代ですから。でも最初からやっても、みんなイヤじゃないんですよ。もう1回あの世界で、ピヨ〜ン、ピヨ〜ンって飛び跳ねるのをやりたい。感覚をもう1回味わいたいっていう、感覚に訴える快感なんです。
それに対して『ドラクエ』はですね、もしあれがスイッチ切るたびに頭からやり直しだったら誰もやらないんですよ。縮約的問題設定の方はですね、その世界にもう一度戻って続きをやりたい、物語の世界観を体験したい、というふうに、感覚というよりは魂に訴える快感なんです。ゲームによって受ける快感が違うんです。
ゲームの快感を分類するときに、皆さんも既存のですね、コンピューターゲームの本とか読んでみてくれたらわかると思うんですけど、こんなふうに分けてどこも書いてないです。みんな書いてるのは、シューティングっていうのはこんな快感だ、シミュレーションはこんな快感だ、RPGというのはこんな快感だ、などとですね、まあ私に言わせりゃ頭の悪い分類をやってるわけなんですけども。でも快感の分類っていうのはそうじゃないと思うんですね。『マリオ』と『ドラクエ』をそれぞれの代表として、感覚に訴える快感、魂に訴える快感、というふうに分けてみると、すごくスッキリすると思います。

『マリオ』は、ピヨ〜ンと飛び跳ねる「行為」が大事で、誰でもできる「大衆的」なゲーム。スイッチを入れるとすぐに「感覚的な快感」が得られる「効能的」なもので、個別的問題設定の宗教とそっくりです。一方の『ドラクエ』は、「教義」にあたる世界観がしっかりした場所で、キャラクターはいろんな「体験」を重ねていく。謎が少しずつ明らかになったり、だんだんと物語が展開していくという、「知識人的」なゲームで、精神的に満足感があるというか、「魂の快感」を感じられる。確かに縮約的問題設定の宗教と対応していますね。
となると、次に知りたくなるのは、ではどうやってこういう快感をゲームの中に作り出すのだろう、ということでしょうか。『マリオ』や『ドラクエ』のような大ヒットゲームを作るためには、具体的にはどういうことを考えたらいいんですか。

これはゲームに限らず、映画でもマンガでも何でもそうなんですけど、気が狂ったみたいにヒットするものってたまにありますよね。『E.T.』もそうですし、『スターウォーズ』もそうですし、『ジュラシックパーク』なんかもそうですね、なんでなのか。実はこの4つが必ず含まれてるんです。でですねえ、そんなにヒットしないやつはこの4つのうちどれかが欠けてるわけです。

SEXと書きましたけど、これは性的な快感のことです。だから、美しいものを見て気持ちがいいっていうのもこれです。また「体感的な快感」も、その範囲に含まれます。アクション映画を見ているときの快感、みたいなものかな。
勝負。その作品の中で必ず勝ち負けがある。
知性。知性っていうのは何かっていうと、その中で何かちょっと物知りになった気がするってことです。例えばどのようなものがあるかといえば、『ドラクエ』でプレイしてると、だんだん薬草の値段を覚えちゃったりしますよね。あと、何か買ったものを店に行って売り戻すと、買った値段の75%の金しか手に入らないようだとか。これが知性なんですよ。知的な快感、大脳の喜びってやつです。
社会性っていうのは何かっていうと、やってることがどの程度の社会性を持ってるか、その作品の中に社会性があるかどうか。だから、ラブロマンスがなんででっかいブームにならないのかというと、だいたいの場合これがないんです。ラブロマンスでも『風と共に去りぬ』みたいなのは、南北戦争を背景にして、没落している南部アトランタを舞台にするということをやってるので、この社会性がガーッと強調されてきてメガ・ヒットにつながったわけです。
今までにものすごく当たったもの、音楽でも何でもいいです、考えてみてください。メガ・ヒットっていわれるものは、そんじょそこらのヒットじゃないですよ、メガ・ヒットというくらいのものには、絶対この4つが入ってます。
普通ですね、まあ大衆に受けるものはセックスとバイオレンスがあればいいんだ、とよくいわれますけど、それだけでは足りないです。セックスとバイオレンスだけではですね、見てる人はついてこられない。メガ・ヒットっていうのは、子供が見て、若者が見て、大人が見て、ダーッと社会が動くってやつです。それには確実に知性と社会性の快感が入ってますね。
で、ゲームっていうのはですね、『マリオ』だったらボタンを押すとピョ〜ンと跳ぶ快感とか、『テトリス』だったらブロックがパッと消える快感とか、そういう性的な快感と、コンピューターと対戦するという勝負の快感が、必ずあります。知性っていうのはですね、さっき言ったみたいに、ゲームやってると知らず知らずのうちについちゃうんですよ。何か法則がわかったとか、こういうゲームなんだというふうに読めてくる。あとはだから社会性がつけばいいわけです。だから、どこのゲーム会社もこの頃テレビCMに力を入れてるのは、ゲームの中での社会性はみんなあきらめてるわけです。「主人公は王国の王子で、伝説の剣を……」っていうような作品の社会性はもう限界に達してるので、じゃあ一般に宣伝をかけて、このゲームは社会的な動きだ、『ファイナルファンタジーZ』が発売されるのはすごいことなんだ、というような宣伝をかけて社会性を得ようとしているんです。まあ、そのような作られた社会性では、なかなか人は動かないんですけれども。
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