『東大オタキングゼミ』1998年4月15日版 ン1997.Toshio Okada
目次へインデックスページに戻る


 

第4章 映画


1.邦画はなぜ失敗し続けるのか

 「邦画の危機」とはよく言われることです。 雑誌などでもよく取り上げられていますが、その内容といえば相変わらず「他の業界から有能な監督をスカウトする」といったタイプの、いわば「おもしろい映画を作れば万事解決する」といった脳天気な発言だったりします。本当にそうなのでしょうか。おもしろい映画を作らなかったから日本映画はダメになって、おもしろい映画さえ作れば日本映画は復活するのでしょうか。そのような先入観はさておいて、具体的な失敗例と成功例をみてみましょう。

★1 97年から「失楽園」の大ヒットや「Shall We ダンス?」の海外公開等により、「これからは邦画の時代だ」という声が高まった。本章を読んで頂ければ、納得してもらえるはずだが、筆者はあいかわらず、この本で取り上げている問題は、何一つ解決していないと思う。

 いろいろ異論はあると思うんですけど、僕がここに成功例と失敗例として出してるのはですね、映画を作った関係者の人たちから話を聞いたりしたときに、本人たちがさすがに渋い顔をして「失敗だ」と語ったやつは失敗例に入れてます。で、本人たちがニコニコ笑ってるやつを成功例に入れてあります。ですからその意味で言うと、スタッフというか関係者の自覚に基づく分け方といえるかと思います。

 例えば『敦煌』という映画がどの程度の失敗かといいますと、徳間書店というのは徳間康快という方が社長で、それまでもスタジオジブリで宮崎駿のアニメーション映画を作ったり、『アサヒ芸能』という雑誌などで売り上げを伸ばしてきた会社なんですけども、この映画1本のためにですね、社長交代にはいたらなかったんですけど、住友銀行が経営陣として入ってきちゃった。つまり取締役会を監視されているわけですね。それくらいお金がかかり、なおかつ回収できなかったわけです。

 なんでかといいますと、『敦煌』というのはすごく立派な映画なわけです。立派な映画っていうのは、ものすごくお金がかかるわけです。具体的な数字でいうと、この映画はほぼ製作費30億円以上かかっています。30億円かけて、テレビで宣伝バンバンやって、宣伝費を15億円以上かけてます。合計で45億円もかけちゃった映画というのは、だいたいどれくらい人が入らなければ、ツーペイっていうんですけれども、お金を回収したことにならないかっていいますと、ほぼ日本人口の1割がこの映画を見ないとペイしないといわれていました。

 なんでそんなことをしちゃったのかというと、半分以上は会社や社長の見栄になっちゃってるわけですね。で、自分たちが立派な事業だと思ってますので、どんどん予算をかけてしまう。で、回収のめどが立たない。そうなると、いろいろな関係者のところに、前売り券がなかば押しつける形で売られることになって、さらに恥をかくことになります。

 そもそも、徳間書店のメインのお客様である『アサヒ芸能』なんかを見てる人が、『敦煌』という映画の予告編をテレビで見て、見たいと思うかっていうと、そうはなってない映画なんですね。いわゆるもっとインテリの人、アッパークラスを狙った映画になっています。文化的事業として作られてるから、明らかに日本アカデミーとかその辺を狙った映画なんですね。ところがその文化的な意識が高い人が見ると、あまりにも脚本が弱いとか、いろんな事情で貧弱な映画になってしまう。バランスが悪いんです。だから誰のために作ったのかわからないという映画になってしまいます。「誰が見に行くんだ?」という映画は、たいてい失敗することになるわけです。

 次の『ノストラダムス・戦慄の啓示』はですね、これは映画としての品質をいってるんじゃないです。いい映画か悪い映画かをいってるんではなくて、当事者たちの感覚の問題ですから、その辺、誤解しないようにしてください。

 『ノストラダムス・戦慄の啓示』っていうのは、これも結構お金かかってるんですけども、いいんですよ、これはお金かけて。なんでかというと、宗教団体の人たちが自分たちの世界観を知らしめるために作った、立派に作るというのが目的の映画なんです。 

 ところが、この映画が何が失敗したのかというと、お客様が入ってないんですね。だいたい客の入りが、15%から20%。15%から20%というと、例えば50人教室で、だいたい7人か10人しか客がいない感じなんです。ガラガラに見えますよね。そうするとどうなるのかというと、「幸福の科学はもうダメだ」という印象をもたれてしまう。これでは彼らが映画を作った意味がないです。

 彼らの読み違いはどこにあったのかというと、いくらなんでももう少し自分たちの信者がいると思ったわけです。すいません、失礼な言い方になってしまいましたけれども、僕は4年前に、ここが最初に東京ドームでイベントやったときに見に行ったんですよ。で、一般入場券5000円って書いてあったんですけど、絶対に当日安いはずだと思って行ったらですね、前でダフ屋が200円で売ってたんで、200円で券を買って入りました。で、5万人の大集会というはずだったんですけれども、どう数えても2万人くらいしかいないんですよ。ただ、彼らの集客力というのは、東京ドームに2万人くらいの人を集めることはできたから、映画を作るというのはオッケーなんですよ。ところが自分たちの集客力に対して、4年前と同じような読みをしていたというのがミスの一つですね。

 もう一つは、この映画はコンピューターグラフィックは出てくる、特撮も出てくるという、結構お金かかってるんですけど、そういうもののファンが来ない映画なんです。つまり、CGとかSFXにお金をかけるということは、ある程度それによってお客様が増えるということを前提にしなくちゃいけないのに、この映画、さすがにSFX目当てで見に行く人はなかなかいないですね。ちょっと人生悩んでないとなかなか見に行きにくい映画です。

どちらにしても、「どんな人が見に来るのか」ということを考えて作られてないんですね。それから、CGなりSFXなり、別に予算がかかることをやるのだったら、その分お客さんが増えるように考えてやらないと、失敗はさらに拡大すると。

それにくらべて成功例っていうのはどういうものかというと、『私をスキーに連れてって』、これご覧になった方もいるかと思うんですけど、わりと、製作費がかかってないんですよ。リッチに見えるのは、今まで日本映画がお金をかけていた、いわゆる俳優さんであるとか照明であるとか一般美術にお金をかけずに、新しく自分たちがデザインしたスキーウェアであるとか、ストック、スキー板というような、パッと目がいく小道具にいっぱいお金をかけたわけです。だから映画を見ると、すごくリッチに見えるわけです。それとこの映画は、まずコミック雑誌で自分たちの「ホイチョイプロダクション」っていう名前を売ってから映画を作るというタイアップもうまかったですし、ターゲットを若者と明確に絞り込んだのもよかった。映画としては1億円弱程度で作って、配給収入で充分ペイしたっていう、すごくうまくいった例です。

 次の『大霊界』、これがうまいんですよ。『大霊界』というのは誰が見に行ったのかというと、僕ももちろん見に行ったんですけども、まわりを見るとおじいさんおばあさんばっかりなんですよ。おじいさんおばあさん用に作った映画って、今の日本では『寅さん』しかないんです。おじいさんおばあさんたちっていうのは、いわゆるヒマな時間はいっぱいある、小金ももっているというわけで、映画館にはいつでも行ける。おまけにですね、「死んだらどうなるのか」って、彼らほど切実な興味もってる人はいないわけですよ。

 ターゲットが明確なんですね。おじいさんおばあさんが見ればいい。なんで見るのかっていうと、もうすぐあなたたちはそこへ行くからちょっと不安でしょ、見てみたいでしょという気を誘う。その意味ですごくいい映画です。あくまで、映画の内容のことではないですよ(笑)。

★2 『寅さん』亡きあと、この「お爺さんお婆さん映画」の需要はますます高まっている。誰か高齢者向けの『失楽園』を作らないのかなあ。

 『ドラえもん』『ゴジラ』がなんでいい映画かっていうと、この映画って、子どもが見に行きたがりますよね。子どもって1人で映画館行かないんですよ。必ず親とか、知り合いのお兄ちゃんとかに連れていってもらいますから、必ず2人以上で行くと。で、映画館に行くと子どもは必ず売店で物を買う。パンフレットはもちろんのこと、ポップコーン買ったりかっぱえびせん買ったり、ジュース買ったりする。これの売り上げがある。実はアメリカ映画界で、向こうで切符っていま6ドルだから800円くらいなんですけども、その6ドルのお金っていうのは劇場の方に入らなくてもいいんですよ。劇場の人っていうのは、6ドルで切符売っても、その6ドルをそのまま配給会社に渡してもいいと。なんでかっていうと、お客さんがみんなポップコーンとかコーラを買うから、その収益で映画館が成り立つくらいなんです。そのくらい、ああいうものっていうのは重要なんですね。おまけに今は、こういう映画の場合、必ず映画館内の売店でキャラクター商品を売っています。キーホルダーやオモチャ、カードなどこの売上げがまたバカにならない。

成功した映画というのは、どれもターゲットが明確なんですね。若者であったり、お年寄りであったり、子どもであったり。特に子ども向けの映画は、複数の客を呼びやすいと。そう考えると、若者向けといっても『私をスキーに連れてって』の場合、1人というよりカップルで行く人の方が多そうだから、これもうまいやり方ですよね。

こんなわかりやすい話はないんですけどね。じゃあなんで、そういう失敗がなくならないのか。みなさんも、日本映画で今何が上映されてるのか聞かれて、パッと答えられる人はほとんどいないと思います。でも日本映画が公開されてないわけではなくて、まあいつも何か上映されてるわけです。でもやっぱり、誰も見に行かないわけですね。

 で、誰か見に行くためには例えばどうしなくちゃいけないかというと、極端な話ですね、『敦煌』でもいいんですけど、なんかつらくて寒い思いをして山崎努が敦煌に行ったら、そこでは女の人がみんなヌードだった、っていうと、『アサヒ芸能』読んでる人は見に行っちゃうわけですね。ああ、なるほど、この映画はすごくたくさん女の人の裸を見られるのか、と。これ、本当に真面目な意味で売りになるんですよ。ところが、その辺を計算せずに、真面目な立派な映画を作ろうとすると、どんどん一般消費者の意図から離れてしまう。この辺のマーケティングの根源的な間違いというのが日本映画の失敗の原因です。

 同じ過ちを繰り返す理由というのは、自分たちの成功例とか失敗例というのを客観的に見るという土壌が今の日本映画界にはないからです。失敗した場合は、監督のせいにしたり、だいたい彼らは誰のせいにするのかというと、観客のせいにします。「今の観客は『敦煌』みたいな立派な映画を見に来られる客じゃない。彼らは、『私をスキーに連れてって』とか『ドラえもん』なんかを見に行くような程度の低い観客だから、日本映画はダメなんだ。ああ、フランス映画はよかったねえ」と、昔話になっちゃいます。

 成功した場合は、やっかみが入ります。なんで成功したのかって分析をする人、僕は今まで映画関係者の人たちと結構話してるんですけど、会ったことないです。なんで成功したのかではなくて、成功したっていうのは前売り券がどうだったとか、もしくはお寺に動員かけたからとか、表千家とか裏千家のお茶の方から動員かけたから成功したとか、そういうようなかたちでしかとらえてないです。映画というものを本質的に構造としてとらえて、成功と失敗というのを反省したり、分析しようとしている動きは今のところ不幸にしてないですね。これを平たくいうと、日本映画界にプロデューサーがものすごく不足しているということになります。

 

2.映画プロデューサー入門

 この世の中には、「企業の法則」とでも呼ぶべきものがあるようです。その法則とは、次の3つです。

これはシャレや冗談ではないです。今ですね、日本の各企業の中で、映画を作ってる会社って120くらいあります。それはすごい有名な会社から、みなさんが聞いたことのないような会社まであります。具体的にいうと、佐川急便が立体映画作ってるなんて知ってる人いますか。知らないですよね。ものすごいレベルの高い立体映画作ってるんですよ。おもしろいかどうかは知りません(笑)。僕自身は残念ながら見たことがないんですけど、3Dメガネなしで見られる立体映画らしいんです。で、なんで知られていないのかというとですね、毎年毎年、年始めに佐川急便の新年会があるわけです。そこで上映するための映画なんですよ。で、この映画1本に10億円かけてるそうです。10億円かけて作った映画を、全国の佐川急便の各支部の人や、トラックの運ちゃんが見て、拍手して終わりという映画なんです。

★3 先日、知り合いの佐川運転手のにーちゃんに確認したところ、「勤めて3年だけど、そんな話は聞いたことがない」と言われた。バブルの頃に聞いた話だから、もう今はやっていないのだろうか?

 これはまあ特殊な例ですけども、三井、三菱、日商、芙蓉グループというような商社とか、セゾングループやらバンダイやら、ソニー、松下電器といったメーカーまで、日本のあちこちの会社が映画を作っています。これはどういうことかというと、日本中の会社が、ハードウェア主体のところからソフトの開発をするという方向に、この数年間でどんどん体の向きを変えてきたわけですね。今世紀末にかけてこの体の向きの変わり方はさらに激しくなるわけです。ソフトを作ろうという方向に。そのとき、いちばんみんなが作りたがるのは映画なんですよ。で、映画作らない会社は必ず歌舞伎座を作るというのがなんか知らないけど法則になってまして、それの担当というのは、おおむね、いい大学を出た、その企業でエリートコースを比較的歩んでる人です。ですからそういう典型的なエリート人材候補生である、東大生のみなさんも(笑)、映画とは関係なさそうなところに就職しても、外地にでも行ってない限り、結構高い確率でプロデューサーにさせられる可能性があります。

 会社の中でプロデューサーなんかになっちゃったら最後、会社中からすごいやっかみの目で見られます。これはもう僕も何回もつきあって見てて、そのたびにイヤだなと思うんですけど、どうしようもないみたいです。で、その映画が失敗作に終わると、これがねえ、だいたいそうなんですけど、そのプロデューサーになっちゃった人が責任をとらされるわけです。

 例えばセゾングループが作った『千利休』という映画なんて、有名な役者が10人くらい出てて、そいつらのギャランティーだけでだいたい1億円くらいかかってるわけです。ギャラだけで1億かかった映画って、結構キツいですよね。そうやって作っちゃったと。これもですね、セゾンの、その人は東大ではなかったですけど、結構いい大学を出た人で、それまで映画なんか作ったこともないという人がプロデューサーになってました。で、だいたい35歳以上の、役についてる係長以上の人たちっていうのは、映画なんて作って全社から嫉妬の的になるのイヤだし、失敗したら責任とらなくちゃいけないっていうのがわかってるから、絶対受けないんですよ。だから、そういうふうな若手社員で、エリートコース歩いてる人が生け贄になっちゃいます。

 バンダイなんかもそうですね。バンダイなんて、もう今や日本映画の4分の1近くに投資しています。特に北野武映画、だいたいスポンサーはバンダイですね。みなさんからすればここはおもちゃ会社で、ちょっと知ってる人にしてみたら「ガンダムで儲けたところだな」というような認識だと思うんですけれども、映画業界では、ここは今、日本最大の映画投資会社です。特に角川春樹が捕まっちゃって以来、日本映画の命運というのは半分くらいここが握ってるといわれるところです。

 あとあんまり知られていないところでは、王子製紙と大王製紙っていう、両方ともティッシュペーパーのメーカーですね、あそこなんかも映画に積極的に投資してました。こういうケース、つまりだいたい年額にして数億くらいの、まあ言っちゃえばわりと少ない額を映画やマルチメディア産業に投資している会社は、結構多いです。だから今映画のポスターを見ると、製作のところが「○×映画製作委員会」となってて、企業の名前がいくつも出てるのは、こういう「乗合プロデュース形式」で参加している会社が多いからなんですね。

 ソニーと松下というのは、もうアメリカの映画会社を買い取っちゃって、それとは別に日本でも映画を何とかして作ろうとしています。それくらい一般企業というのは今、ソフト産業に進出しようとしています。

ということは、一般企業がやたらと映画を作りたがる理由というのは、映画のスポンサーになって企業のイメージアップをはかろうとか、宣伝にしようというわけではなくて、これまでハードウェア中心にまわっていた企業の考え方自体が、ソフトウェア中心に変えていかねばというふうに大きく変化しているようすが表れているということなんですね。

そう、宣伝のためなんかではなくて、真面目に企業の方向を変えようとしているんです。例えば松下なんかだったら、「白モノ」っていいますけど、冷蔵庫とか洗濯機とか、白い色をしてるから「白モノ」っていうんですが、そういう家電製品がもう売れないんですよ。ですから、もうハードを売ろうとしても限界があるわけで、あとはソフトを売っていくしかないだろうという方向になってきた。それで東芝はタイムワーナーと提携したんですけど、そんなにいい映画をいっぱいもってるわけじゃない。みんなのパニックはそこなんですよ。誰もソフトをもってない。

 昔はソフト会社を買い取ろうとしてたわけですね。例えばアスキーがベクトロンフィルムというところを買ったり、松下がMCAを買ったり、ソニーがパラマウントを買収したり。ところがそれでは映画ができないっていうことがわかってきたわけです。自社で作らない限りソフトは開発できない、おまけにソフト競争に敗れてしまっては21世紀に大企業として生き残ることができない。だから自分がソフト会社になろうとしてるわけですね。

 そういうわけで、もう日本中の企業がソフトメーカーに変身しようとしています。みなさんが就職する頃には、どんな企業に入ったとしても「映画プロデューサーにさせられる恐怖」が忍び寄る可能性があるといえると思います(笑)。ではそのプロデューサーという仕事に就く人が知っているべきことというのは何か。シンプルに、3つの役割を抽出してみました。

 ここから先では、みなさんが映画プロデューサーになった場合に、どうやれば失敗せず、うまくやれるのか、考えてみましょう。それは同時に、日本映画の問題点をさらに探ることにもなりますし、ハリウッド映画がどうやって「売れる映画」になっているのかを知ってもらうことにもなると思います。

 

3.映画の経済学

 映画のプロデューサーが知らなければならないことの一つは、やはりお金の問題です。映画を作るというのはどういうところにいくらくらいの出費があるのか、そして、何人くらいの人に見てもらえば赤字を出さなくて済むのか。

 これは、あまり今まで語られていないことですが、まずは映画の収入面の構造をみてみることにします。みなさんが映画館で払うチケット代が、どういうふうに分けられるのかということです。

 みなさんが映画館で、1800円払います。そうすると、その半分は映画館がとっていきます。つまり、1800円だったら900円映画館がとっていきます。で、残りのうちから、宣伝・プリント代がトップオフされます。トップオフっていうのは、配給会社という、映画を映画館へ渡す会社、いわゆる問屋みたいなところが、宣伝費っていうのを全部もっていきます。

 日本の映画興行ってヘンなところがありまして、これはもう昔から、ヤクザが盛り場を仕切ってた時代からの成り立ちというのがあって、絶対に自分で興行やらせてもらえないんです。例えばみなさんの家が大金持ちで、自分で映画を作って公開しようと思っても、できないです。なんでかっていうと配給会社が配給させてくれないからです。全部自分で作ったんですよ。1円もいらない、配給してくれたらその配給のお金なんかお前に全部あげるって言っても、まだ配給してくれないんです。じゃあ配給するための条件には何があるかというと、「宣伝費、うちでは2億かけるから、その2億くれ」と言われるんです。「その宣伝費、何に使うの?」ということを聞くと、「大きなお世話だ」という返事をされます。

 俺は映画のスポンサーの人と一緒にある配給会社へ行ってですね、宣伝費の2億5000万円の内訳を聞いたことがありますけど、「大きなお世話だ」というふうにそのままの言葉で言われました。スポンサーの社長はめちゃくちゃ怒ってたけれどもですね、相手の社長は涼しい顔で、「いやいや、そういうのはもう素人の人が聞いてもしょうがないですから」と言って、すっとぼけました。

 その後ですね、代理店や裏から手を回して2億5000万の内訳を調べたんですけども(笑)、スポーツ新聞の芸能欄の担当の人にお酒を飲ませたりですね、そういう映画宣伝とは直接関係ない場所に消えてることが判明しました(笑)

 それと、プリント代っていうのは何かっていうと、今35ミリフィルム、みなさんが映画館で見てるフィルムですね、それを1本、2時間映画で焼くと、ほぼ70万円くらいかかります。ドルビーサラウンドがかかってると100万くらいですね。これを全国100館で上映したとなると、100万×100館で1億円です。これが経費として、ポーンとトップオフされます。で、さっきの宣伝費もトップオフされます。

 つまり、最初、ガーッと映画館が半分とっていって、次に配給会社が宣伝費としてガバーッととっていって、その次にようやっと、製作会社と配給会社が半分ずつ分けるんです。配給会社ってすごいですね、まだとるんですよ。俺、言いながらだんだん思い出して腹が立ってきたけれども(笑)。

 だから、製作会社にまわってくる金というのは、興行収入のほぼ4分の1から2割くらいですね。例えば日本で100万人動員したとします。100万人動員っていうと結構なもんですけど、興行収入全部は15億円ですね。だいたい大人1枚1800円ですけど、子どもも学生もいますから、15億円もいかないかもしれない。13億円くらいかな。これはねえ、スーパーヒットなんですよ。年に2本とか3本とか、それくらいのスーパーヒットです。まあ『ゴジラ』と『ドラえもん』はだいたい20億とか30億とかいくんですけども、それ以外で、これは相当スーパーヒットです。で、その15億が、映画館にとられた後の配給収入として、7億5000万になります。そのうちトップオフで2億5000万とられます。そうすると残りは5億になる。そうすると製作会社には2億5000万ですね。これはですね、今映画作ると、2億5000万かかっちゃうくらい、並の製作予算なんですよ。100万人動員しても、製作会社に入ってくるのはそれくらいの金額になってしまいます。

「宣伝費2億よこさないと配給してやらない」というのは、どこの業界もそういう部分はあるのかもしれないですけど、すごい利権構造ですね。しかも100万人動員しても、製作会社というのはそんなに儲からないとなると、プロデューサーというのは大変ですね。今、映画の製作予算は2億5000万くらいかかっちゃうということでしたが、どんなところでいくらくらい、お金がかかるものなんですか。

日本映画のお金の使い道ですね。お財布の中身っていうのはどうなってるかっていうと、もう、今日は俺、ガンガン、イケイケ状態で全部表にしてまとめちゃいました。総予算2億円の映画だと、だいたいこんなふうに使われてるはずです。

 順番に説明すると、企画、準備費、これはシナリオとかロケハンの費用ですね、だいたい800万円くらいですね。監督のギャラもこの中に含まれています。ですから映画監督というのは自分で脚本を書きたがる。なぜかというと監督料だけではとても喰っていけないからです。

 平成版の『ゴジラ』シリーズを監督した大森一樹監督、彼なんかはもう一流の監督なんですけど、その人への監督料がなんと1作品500万円。これだけではとても生活できないから、脚本料としてもう500万円で、合計1000万円。1000万円、と聞くとなんだか多いような気がするかもしれませんけど、何年もかかる映画作るときの準備期間・拘束料含めてですよ。年収にしたらそこらのサラリーマンにも、とてもかないません。東宝という最大手会社の、『ゴジラ』シリーズっていう超メジャー企画でも、こうなんです。ですから邦画の監督というのは、いつも貧乏なんですね。スタッフの人件費、これはいわゆる映画のスタッフですね、俳優を除く人の人件費で、4000万くらい。

 俳優さんのギャラ、これが2000万くらいです。ただこの2000万というのは、有名俳優を1人しか使わないという前提です。だから、岩下志麻と、勝新太郎と両方出るということになると、それだけでそれぞれの人に1000万円ずつドーン、ドーンと上乗せしちゃいますから、そういうふうなことはできないですね。普通の映画で、よく知らない俳優がいっぱい出てくるっていうのは何かっていうと、ギャラの高い俳優さんを一人雇うと、その人にもれなくついてくる俳優が3、4人いるわけです(笑)。その俳優さんの事務所で、「この人売り出したいから映画に出られるんだったらギャラなんかタダでもいいです」と。「そのかわり織田裕二を使うんだったら、これを全部つけます」というのが、だいたい織田裕二クラスだったら15人くらいいるはずです。そういうもれなくついてくる人を含めて、だいたい2000万円くらい。

 機材費っていうのは何かっていうと、カメラと照明ですね。日本の映画会社で自前のカメラをもってるところは一つもないです。全部レンタルです。それから、クレーンとかドリーっていうのがありますね。クレーンっていうのは何かというと、クレーンの先にカメラをつけて、バーッと持ち上げるとかっこいい絵が撮れたりするやつですね。ドリーっていうのは、地面にレールを引いて、その上をガーッと車で移動していくやつです。で、「貧乏ドリー」っていうのが世の中にはあって、車椅子なんかで撮る場合もありますけど、やっぱりねえ、レール引いたドリーって、動きがきれいなんですよ。この機材費がだいたい2000万くらい。

 美術、衣装。これはお金をかけだすと無限にかかりますね。例えば、黒澤明なんて人はですね、『天国と地獄』というサスペンス映画のロケハンやったときに、カメラ位置に立つわけですね。そうすると、目の前がバーッと住宅街の屋根が続いている、甍の波ですね。で、突然「あの二階がジャマだ」と言い放った。スタッフが見ると、犯人の住む貧困街・平屋建ての住宅街の中に一軒だけ二階建ての家があったんですよ。あんなのがあっては「貧困が犯罪を生む」というテーマが生きてこない。それでどうしたかというと、プロデューサー以下のスタッフがその二階建ての家に行って、そこに住んでる人たちを説得して、なんと翌週にはその二階を取り壊してしまった(笑)。

 まぁこれでいくらお金がかかったか知りませんけど、映画っていうのは映像にこだわり出すと、それこそ無限にかかるんですよ。

★5 黒澤明監督も、いつまでも贅沢ができるわけではない。久々の大作『乱』の公開時、古くからのファンの大工さんが「クロサワもダメになった」としきりに嘆いていた。「あの映画に出てくる城の柱、まっ平らなんだよな。ありゃ電動カンナの仕事だよ。手で削らなきゃ、昔の建築の味は出ないよ」。それでも衣装だけは手縫いで作らせた、というのだからやっぱりスゴい。

え〜美術費が、まあ4000万くらい。僕の知識というのはSF映画がベースになってますので、ちょっと美術が多い目です。しかし、これは衣装なんかも含まれてますから、時代劇だともういきなりガーッと上がっちゃいますね。時代劇で大物の女優さんっていうのは、その服がレンタルだったら怒ります。「自分の服作ってくれないと出ない」とか言います。それだったら4000万なんて全然おさまりません。

 ラボっていうのは何かっていうとですね、フィルムを回したフィート数によって、現像所(ラボラトリ)で現像するときの実費です。だいたい2時間の映画っていうのは200時間くらいフィルムを回してます。この200時間というのは日本映画だと多い方なんですけども、ハリウッドだと2時間の映画作るんだったらほぼ6000時間くらい回してます。そうするとカット選ぶときに、どのカットからどのシーン選ぼうかっていうのに、すごい余裕が生まれるんです。だからこのラボ費用っていうのは、逆に言えばこれ以上落とせない。

 音楽、安いですよ。だいたいね、600万くらいといわれてます。600万だったらいい方ですよね。50万とか100万という話もよく聞きます。で、普通やるのは、タイアップつけて、ユーミンの新曲つけて、権利はユーミンの方に全部あげますからその曲使わせてくださいというような感じですね。

★6 実際は「映画に曲を作ってくれたら、その曲を使ったTVCFを○週間に渡って○回以上、打ちます」という条件で持ちかける場合がほとんど。つまり「映画作るからにはTVCF打つだろう?だったらこの曲を使ってくれ」というタイアップになるわけ。これじゃ「映画タイアップ」じゃなくて、「映画CFタイアップ」だよな。

 ダビング、編集っていうのは、フィルムを編集して、音をつけるお金ですね。これだいたい1000万くらいです。

 ロケっていうのは外で撮影するんですけど、だいたい2000万くらいかかりますね。車両レンタルは、まあわずかなものですね。

こう見ると、やっぱり映画っていうのはすごくお金がかかるんだというのがよくわかりました。でも、総予算2億円かかって、さっきの話だと、結構ヒットしてもあまり儲からないとなると、映画なんて作ろうという人は、どんどんいなくなってしまうんではないでしょうか。もっとお客さんの入っていない映画もたくさんあるはずですけど、そういうのは全部、ものすごい赤字になってるわけですか。

それはいい質問で、それじゃあみんな、こんな思いしてまで映画作るのかというと、ここまでの話は映画館で見るだけの話ですよね。テレビでオンエアされると、興行収入15億、配給収入7億5000万の映画だったら、だいたい夜の9時の映画劇場とかに使われると1本あたり7500万ペイバックが返ってくるわけです。これが大きいです。あとビデオ化収入がさっきのやつには入ってません。つまりヒットした映画だったら、全国のレンタルビデオ屋でほぼ3万本から5万本くらいはレンタルビデオが出ちゃうわけです。それのおかげで、ようやっと今、映画は旨味のある産業になりつつあります。旨味のある産業になりつつあるので、だんだんみんな目の色が変わっちゃってるわけです。

 で、参考までにいいますと、映画の製作予算というのは、いわゆるVシネマってやつありますね、Vシネマで1000万から3500万くらい。シネ・アルゴとか、そういったいわゆる独立系で作ってる映画、これが多くても5000万くらい。一般的な映画が1億から2億。「大作です」と宣伝してるようなやつは、3億くらいです。で、さっきいった『敦煌』というような、会社の命運かけたような大プロジェクトというのは10億以上。上限はというと、僕の知っている限りでは、日本映画で40億以上かけたという話は聞かないです。

★7 少し興行会社を弁護してみよう。実は「作り手が思い入れのある映画」というのは厄介なものが多い。そんな映画は尺数(上映時間)も長く、内容も観念的なものが多い。だいたい2時間以上ある映画というのは、興行側に嫌われる。映画館が開くのは早くて11時、遅い館だと正午近い。で、最終は午後7時前に始まってしまうから、2時間の映画だと1日あたり4回しか上映できない。これを「4回廻せる」と表現する。しかし映画サイズが90分だと一日5回以上廻せる。つまり何もしなくても25%の収益UPを見込めるわけだ。このため興行会社は、何かというと「切れ切れ」と制作者に要求せざるを得ないのだ。

 僕自身の経験では、以前、僕が『王立宇宙軍・オネアミスの翼』というアニメ映画を作ったときも「40分切ってくれ」といわれた。その映画の製作予算は、「本編制作費3億6000万、音楽制作費5000万、宣伝費2億5000万」という巨大なものだった。音楽監督は坂本龍一氏だったので、今作るともっとかかってしまうだろう。だから興行側も「何がなんでも当てなければ!」という気迫で迫ってきたから大変だったぞ。これだけの映画に出資したのに、スポンサーはさらに出費を迫られる。悪名高い「前売り券保障」というやつだ。この場合、スポンサーとなった会社は40万枚という前売り券を引き受けることになった。映画には金がかかるのだ。

 

4.映画とマルティメディア

 今盛んなマルチメディアは、映画にどのような影響を与えているのでしょうか。日本とアメリカとで、その関わりの差を見てみましょう。

えーとですね、日本映画の話をするとすぐにハリウッドをほめて日本映画をけなすっていう形になっちゃって、あんまり安直でその形を使いたくないんですけど、今しばらくはそういう手法でやらせてください。本当に問題点がわかりやすくなるんで、上のように表にしてみました。

 まずCGっていうのがあります。これ、映画でこの頃よく使うんですけど、何のために使うのかという考え方が全然違います。アメリカ映画っていうのはですね、コストを減らすために使ってます。つまり、コンピューターグラフィックスを使えば、本物の恐竜のでっかいロボットを作るよりは安上がりだというのが、彼らがコンピューターグラフィックスを使う本当の理由です。たとえば、『ターミネーター2』みたいな映画にしても、『ジュラシックパーク』にしてもそうですよね。お客さんをびっくりさせるような絵を作りたければ、実物大のセット組んで、そこで大爆発させるのが一番いいに決まっている。でもいくらなんでも、本物のミサイル4発も撃ったらそれだけで映画の制作予算オーバーしちゃいますから、それよりは、CGを使っちゃう。

★8 かつてアメリカ映画界は『クレオパトラ』なんていう「実物大のローマのセット組んで、そこで超スターが豪華な衣装で大量に出まくって…」なんていうバブリーな映画で大失敗してから、こういう予算管理にはとてもうるさくなった。映画というのは本当に金食い虫だ。フィリッツ・ラングの『メトロポリス』という古典SF映画では、未来都市を本当にコンクリートで作ってしまい、出資したドイツ国策会社は破産、旧ドイツ帝国衰退の一因となったほどだ。みんなも気をつけよう。

 日本では、何のために使うのかというと、予算アップのためです。「この映画はクライマックスでCGが出ます!」っていうと予算が増えるんです。だからさっきの『ノストラダムス・戦慄の啓示』というやつも、クライマックスは、日本列島が巨大な龍に変形するCGがあるそうなんですけども、それは典型的に映画製作会社が「こんなシーンをCGで入れましょう」っていって予算をアップさせる方法になってるわけです。

 次の電子編集というのは何かというと、できた映画を一度全部コンピューターのハードディスクみたいな電子媒体の中に取り込んで、コンピューターの中で編集しちゃう。なんでいいのかというと、それまでの映画の編集っていうのは「ネガ編」といわれてまして、フィルムじゃないんです。フィルムのネガですよ。つまり普通の人だと見てもすごいわかりにくい、光学的に反転したネガフィルムを、だいたい2畳くらいの部屋でですね、その映画のカット分だからもう何万本ものネガの短冊がバーッとぶらさがってるわけです。で、日本でネガ編のうまい人がですね、3人いるんですよ。この3人の順番待ちなんです。で、そのうちで名人級の腕を持ってる人っていうの人が、ちょっともうおばあさんなんですけど、白い手袋つけて、ネガを傷つけないようにしてくっつけるわけです。そういう職人芸でもってる。だから、監督とそのおばさんが編集室にこもっちゃうと、他の人は絶対に口出せないわけです。

 またもや黒澤明監督の話になっちゃうんですけど、この人がドストエフスキーの「悪霊」を原作に『白痴』という映画を作ったときの話です。制作前に会社に対して「2時間以内で作る」という約束してたんですけど、完成試写したらなんと2時間46分になっちゃた。これ以上1分も切れないと。で、プロデューサーは、どうしても切れと。「3時間近い映画なんて、映画館で1日に2回しか上映できないじゃないか」と。「それよりは2時間にしてくれたら4回かけられるんだから、売り上げが倍になるだろう」と言ったんですが、「これ以上切るんだったら、フィルムを縦に切れ」ってタンカ切っちゃってですね、2時間46分のまま通しちゃったという、そういうのが美談として伝わっちゃうのが日本映画の恐ろしいところなんですけども。

 アメリカではですね、プロデューサーがフィルムを切る権利っていうのを持ってるわけです。最終的に完成フィルムっていうのはどんな編集にするのか、編集っていうので本当に映画の印象って変わるんですけど、それをするために、ツールとして電子編集があるわけです。ハードディスクとか電子媒体の中に映画を入れちゃって、コンピューターの上でこことここをつないでカチャカチャとかやるのは、子どもでもできちゃう。ある程度その映画をおもしろくしようという意思があれば、素人でもできちゃうので、どんどんそういうふうな方向になっていく。プロデューサーがそれで判断する。日本映画はそういうところに他人を入れさせない。つまり、映画監督の作家性というのを極限まで許してるわけです。

ネガを人間の手作業でつなぎあわせて編集するという方法だと、一度くっつけちゃったらとてもじゃないけどもうやり直したくはないですよね。電子編集だったら、一度つないでも、すぐにやり直しもきくし、いくつかのつなぎ方を比較して検討することもできるわけで、効率もいいしより効果的な編集ができそうですね。

次は、二次使用についてです。映画館の映画というのは、皆さんが普段見てるのは「ビスタフレーム」ってやつです(図1)。で、テレビでオンエアするときには左右を切っちゃうわけですね。これが「スタンダードフレーム」です(図2)。ほぼ正方形だと思ってください。

 向こうの映画というのは、スタンダードフレームで撮影してるわけです。どういう意味かというと、2人の人間が出るときには、必ずこういうふうに撮ってるんです(図3)。映画館で見たらわかりますけど、あとでテレビでオンエアするときに間違いなくちゃんと見られるようになってます。ところが日本の映画ではですね、その辺、伊丹十三監督はさすがに計算してるんですけど、結構他の監督は、2人の人物が出るとこういうふうにしちゃうんですね(図4)。そうするとこれは、テレビ放映するときには、しょうがないからこう切って使うわけです(図5)。その意味で日本映画って、二次使用、テレビ放映とかビデオ化に、本当に向いてないんです。ハリウッドの場合は最初から、このスタンダードフレームで撮ることっていうのが契約書に明記されてますので、ばっちりOKなんですね。

 それが極端なのが「シネスコ」というやつでありまして、こんなフレームなわけです(図6)。これだけだとわかりにくいですけど、これをテレビで見るとどうなるのかというと、こうなるわけです(図7)。上まで切れちゃう。業界では俗に「バンドエイド」っていうんですけれども(笑)。だからいまシネスコ映画が廃れた原因っていうのは、シネラマ劇場がその辺にないというような理由よりも、今は映画をビデオで見るというのが極めて当たり前の形態になっているということです。ところが日本の映画の評論家の人のほとんどは、ビデオというのを認めてません。この東京大学でいちばん偉い、蓮實重彦先生という方が、授業科目の案内のところに「年間100本以上映画を見ることを希望する」とか書いてますけど、俺、ビビってそんなこと聞けないですけども、あれ、きっとビデオは映画の中に入ってないんだろうなあ(笑)。「映画なら見ましたよ、ビデオで」って言ったら殴られると思いますけども(笑)。

 あと、ロケ電卓。こういうのが世の中にはあるんですよ。すごい単純な仕掛けだから日本でも売ればいいんですけども、何かっていうとですね、シナリオが上がったら、どこでロケするかっていうのをインプットする電卓なんです。で、世界地図を出して、このシーンはカナダでロケしようとか、ここはオーストラリアでロケしようとか、プップッと入れると、どこからどこまで移動するのに何時間かかるかとか、何日に撮影終了したらバスがこの便がここまで出てるからこの日はOKだとか、スケジュール計算ができるんです。あと大事なのは、各国の時差とか、日照時間が書いてあるわけです。季節ごとに、何時何分に日の出があって、何時何分に日の入があるか。すごい重要ですよね。ロケっていうのをするときには太陽の光がなかったらできませんから。そういうデータが全部入ってるわけです。だからシナリオができたらすぐにこのロケ電卓にインプットしていけば、ほぼその映画のスケジュール計画、製作予算が把握できちゃうわけです。

 じゃあ日本ではどうかというと、シナリオができたらですね、俳優さんのスケジュールをおさえるというのをまず先にするわけです。その後で、全員そろって神社に行って、ロケ中は晴れますようにと祈るわけです。この差はすごいですよね。

 それから、シナリオプロセッサーというのがあります。これはワープロソフトみたいなやつなんですけど、「主人公は男で、何歳で、黒人」とか、そういうデータを入れていって、「アクションもの」とかマウスで選んでおくと、シナリオの土台ができちゃうんです。で、その上にドラマっていうのを組んでいけばいい。そんなやり方でシナリオができるのかって聞かれると思いますけど、後で説明しますけど、実はシナリオってそのやり方で作ってるんです。日本でもそのやり方で作ってるんです。でも、そこまでですね、みんなドライに考えられないわけです。これを使うとシナリオ完成から準備までの工程管理がすごく容易です。

 それに対して日本では、だいたい、シナリオライターとか脚本家というところに見たことない名前を見たことがあると思うんですけど、これはおおむね監督の弟か友達です。なんでそんなことかというと、現場で変えちゃうんですよ。シナリオがどうあっても、現場でノリがよければそっちのほうにいっちゃう。そっちのほういっちゃうから、シナリオなんかそんなに完成度あげてもしょうがないということになっちゃうわけです。

 

5.映画=ジェットコースターだ

 ここまで、主に映画を取り巻く状況というのをお話ししました。で、ここからは、映画の中身といいますか、映画というのはどういうふうに考えればいいのか、映画の仕組みみたいなものを考えましょう。

 

プロデューサーとしてもっとも重要なのが、面白い映画を作るという仕事です。そのために知っておかねばならないのが、「映画とは何か」という本質論です。

 日本映画の問題点というのはこれまでにも話してきましたが、「映画とは何か」という根元的な問いかけがないことなんですね。そもそも、リュミエール兄弟が始めた映画っていうのは、機関車が向こうから走ってくるっていうだけなんですよ。それを見てみんな「おおっ!」って言う。機関車なんか見たこともない人もいるわけですよ。

 『ジュラシック・パーク』に文句をつける人もいますけれど、映画ってあれでいいんですよ。でっかい恐竜が出てくる、びっくり!、これでいいんです。ところがこれにストーリーだ、テーマだと入れ出すから、ややこしくなる。ややこしくなってもいいんですけど、ただ、映画の原点っていうのは、「人に、見たことないものを見せるんだ」ということなんです。ところがそういう意識がないから、多くの日本映画というのは見たことない映像というのを作ろうとしない。

★9  その意味で女優が脱ぐ映画、というのは「見たことのない川島なお美の裸がおがめる」という正しい映画の在り方である。

 その意味で『ゴジラ』がなぜ強いのかというと、映画館に行ったら必ずゴジラが出てきて、必ず怪獣とたたかって、必ずビルをぶっ壊すという、そのカタルシスが約束されてるからです。映画とは何か。ゴジラのスタッフははっきり言います。「映画とは何か」「ゴジラです」って。「ゴジラが暴れてビル壊すことです」と。こういうふうにはっきり言い切れる人がすごく少ないです。

 

『ジュラシック・パーク』は僕も見たんですけど、確かに怪獣があんなふうに動くというのは初めて見る映像でしたが、ただそれだけでおもしろかったとは思えなくなっているみたいです。身の回りにこれだけ映像があふれている世の中になって、見る側もぜいたくになっているというか、見たことない映像にプラスして、何か感動させられるストーリーまで求めてしまうんだと思います。

 

それはその通り。ただ、映画というのはそもそも、見たことのないものを見せようと思って始まったんだということは、知っておいてほしいんだ。それは、なかなか大事な視点です。なぜならそこには、見る人を驚かせよう、見る人の感情を揺さぶろうという、映画の本質があるからです。

 だからここでは、わかりやすく、「映画とは感情のジェットコースターである」という定義をしてみることによって、その本質に迫ってみましょう。で、いきなりですが、次のグラフが、「映画の感情曲線」です。

 これが映画の構造です。これは、どんなに偉い映画のシナリオの先生を連れてきても、「うん、そうそう」と言うと思います。映画ってこうできてるんです。横軸が時間で、縦軸が感情の揺さぶられ方、興奮の度合いですね。

★10 この「シナリオの感情曲線」に関しては『オタク学入門』(太田出版)にも書いた。知ってる人には同じ話を2度読ませることになってしまうけれど、許して欲しい。

 最初の10分、ガッと上げる。次に落とす。20分目がいちばん落ちます。次に40分目に向かってゆっくり上げていきます。また落とす。70分目にガーッと上げる。また落とす。80分目から90分目にかけて主人公は悩む(笑)。90分目からガーッと、もうできる限り上げる。ガーッと上げて、上げたままだったらお客さんが家へ帰れない(笑)。グーンと110分で落とす。映画終わり。これが映画です。

 でですね、世の中にはすごい映画というのが時々あります。普通映画って、感情の山を4つにするのが限度なんですよ。それが『ジュラシック・パーク』は、6つあるんです。ただそれでも法則にのっとってまして、いちばんすごいクライマックスっていうのは100分のところにあります。次のクライマックスは始まってだいたい7分から10分のところです。

 ほとんどの映画がこの法則に従ってますが、これ以外の映画は、芸術映画です。『バベットの晩餐会』とかですね、いわゆる芸術映画っぽいやつは、これに入ってません。でも、芸術映画っぽいといっても、『ニューシネマパラダイス』ですら、ちゃんとこのグラフのようになってます。

 このように、見てる人の感情をジェットコースターのように上げ下げするのが映画です。だから実を言うと、本質的に映画にはストーリーはいらないんです。ただ見てる人が感情を上げ下げするときに、客観的になるのを防ぐために必要なだけなんです。「おいちょっと待てよ、その主人公の行動、おかしいんじゃないか」とか、「ちょっと待てよ、つじつま合わないぞ」というふうに、画面に向かって突っ込みを入れると、感情が冷めちゃうわけです。だから画面に向かって突っ込みを入れられないために、シナリオライターというのは、映画の中でのストーリーの整合性っていうのを保つわけです。

 

たくさんの人を感動させる映画というのは、実は作り手が最初から意図的に感動させるように作ってるということなんですね。すごく感動した、ってことは、まんまとはめられたというか、見事に感情をジェットコースターのごとく上げ下げさせられた、と。

 

だからいい映画っていうのは、見た人が、みんな3ヵ所しか覚えてないです。極端なこといえば2ヵ所ですね。林海象監督がいうには2ヵ所で十分だと。映画っていうのは2ヵ所見るところがあればいい。日本映画は特にそうだ。ハリウッドは3ヵ所あって俺たちは勝てないけども、2ヵ所だったら俺たちもできるから頑張ろうというのが林海象監督の立論なんですけども。

 とにかく、どんな映画でも、皆さんこれまでに見た映画で自分が結構好きだなっていう映画ってですね、だいたい頭とお尻をみんな覚えてます。中盤どんなだったかって、案外覚えてないんです。ラストシーンにいたっては、覚えてる人ほとんどいないです。このあいだ、知り合いの学生の子らに聞いてみたんですけど、『ターミネーター2』が好きだって言うので、「じゃあラストシーン覚えてるか」って聞いたら、「えーっ」ってみんな考えちゃいました。

 あの映画でみんなが思い出すのは、溶鉱炉のシーンじゃないでしょうか。なんか、シュワルツェネッガーがガラガラガラッと鎖につかまって「ぼっちゃん、さいならー」とか言いながらドロドロの溶鉱炉に降りていく(笑)。あれがラストシーンじゃなかったか。違うんです。ラストシーンは、サラ・コナーという女主人公が、なんかブツブツ言いながら、未来はどっちへ行くのかわかんないとか言いながら車に乗ってて、高速道路の地面を写してるシーンなんですよ。走ってる車で、地面だけ写してる。なんであんなシーンが必要なのかというと、シュワルツェネッガーが、溶鉱炉に降りていきながら、「じゃあみんな、達者で暮らせ!」では、映画が終われないんです。観客が家に帰れない(笑)。この感動をどこに持っていったらいいのかわかんない。だから、感情のクライマックスから徐々に落としていって、落としたところで終わる。

 これの落差が激しいのが、『フィールド・オブ・ドリームズ』です。この映画、最後は死んだ父ちゃんが出てくる映画なんですよ。死んだ父ちゃんが出てきて、観客の感動クライマックスなんですよ。そこからフィルム終わるまで、1分しかないんです。どうしたかっていうと、そこから空撮でどんどんカメラ離していって、地平線まで見えるっていう、アクロバチックな方法になってます。なんでそれが必要かというと、最高潮に引き上げた観客の感情を、クールダウンするためなんです。余韻を持たせるためにやってるようなフリをしますけど、本当に、お客さんが席を立つきっかけを与えるためなんです。これがないと帰れない。

 

なるほど。確かに、シュワルツェネッガーが溶鉱炉に降りていって、そこでブツッと映画が終わったら、高ぶった感情の持って行き場がないですよね。突然、現実に引き戻されてしまって、「今のは何だったの?」というか、ちょっとした混乱に陥りそうです。映画のラストシーンというのは、印象に残らないけれども、それによって感動を確かなものにする、なくてはならないものなんですね。

 

 

 「映画とは何か」という問いに対し、「映画とは感情のジェットコースターである」と定義しました。映画の感情曲線というものを見ていただきましたけれども、ここではさらにそれを実証的に検証してみます。もう、あまりにもあからさまなので驚かれるのではないかと思います。

 

 

これが映画の構造です。『E.T.』『ダイハード』『ターミネーター』『ジュラシックパーク』、この4作品で書いてあります。まあだいたいこの4作品挙げとけば、みなさんどれか見たことあるだろうと、私はタカをくくってます(笑)。

 全部やってると結構時間かかるから、どれにしましょう。いちばん覚えてるのってどのへんですか。さっき『ターミネーター2』の話をしたら皆さん結構見てるようでしたので、じゃあ、『ターミネーター』でやりましょう。

 表の中には、映画がスタートしてから10分、30分、45分、60分、75分、90分目に何が起きているか、ラストはどうなっているか、が書いてあります。で、なんでラストという書き方をしてるかというと、たとえば『E.T.』は2時間の映画です。『ダイハード』というのは100分、『ターミネーター』は2時間20分、『ジュラシックパーク』は2時間の映画です。全部違うんですよ。ところが、構造は全部同じなんです。違うのはクライマックスの長さです。

 さて、『ターミネーター』です。最初の10分目は何かっていうと、ターミネーターが未来から来たと。なんか乱暴な奴が来たと。それも2人来た。1人は素っ裸の男で、1人は筋肉隆々の兄ちゃんだ。で、最初の10分でターミネーターは、革ジャンなんか着たアメリカの見るからに恐い男をボコボコにどつき倒しますね。大変だ。そこでまず、見てる人の感情はガッと盛り上がっちゃいます。その次に、本当の主人公のサラがやっと出てきて、そのサラの日常生活、すごいつまんない日常というのが描かれます。これが、20分目に向けてのクールダウンといいますか、観客の一度盛り上がった興奮を静める効果になってるわけです。

 30分目からは2回目の山場に入っていきます。ここで何するのか。ここでですね、主人公のすべての動機が与えられる予定です。その前までは、主人公の内面的な動機ですね。なんかこの日常じゃつまんない。このままでいいのだろうかという気持ちです。で、主人公のルームメイトの女の人には恋人がいて、でも自分には恋人がいない。ひとりぼっちだ。仕事ではウェイトレスみたいなことをやってるけど、日常に不満だ。こういう内面的な動機を描くことで、同時に、最初の山場からのクールダウンになっていたわけです。

 そして30分目。全部の映画を見てください。全部ここが、動機になってます。

 たとえば『E.T.』だったら、エリオットという主人公がお兄さんにE.T.を見せて、彼をかばおうということを自分で宣言します。これが『E.T.』という映画を貫く主人公の動機ってやつです。

 『ダイハード』だったら、ジョン・マクレーンっていう警官が主人公なんですけど、その主人公の目の前で日系の会社の社長が射殺されてしまいます。この時に主人公は手ぶらなので、隠れて見てるしかないんです。すっごい悔しいと思います。この悔しい心が動機となって、主人公をラストまで引っぱっていきます。

 『ジュラシックパーク』ではですね、グラントという主人公の科学者が、パークでよりによっていちばん恐ろしいヴェロキラプトルという恐竜が作られたことを知ります。「何、ヴェロキラプトルを作ったのか、ガガーン!」というシーンです。だからこの映画では、ヴェロキラプトルという恐竜が本当の敵なんだということがここでわかって、その対立が最後まで続く。「ヴェロキラプトルの襲撃から逃げ切れるかどうか」がこの映画の主題なんです。

 さて、本題の『ターミネーター』の30分目は、T−800、つまりシュワルツェネッガーですね、シュワルツェネッガーがディスコに来て大暴れします。で、この瞬間に主人公のサラの日常が全部崩れてしまって、ここから先、最後までシュワルツェネッガーから逃げる、逃げる、逃げる、という連続です。つまりサラの行動の動機がここで与えられて、最後まで続くわけです。

 

まず映画が始まって10分目で、観客をグッと引き込むための山場がある。そして主人公の内面と状況が説明されることで、その興奮が静められて、20分目には感情はまた落ち着いた状態に戻らされる。そして30分目までには、映画全体を貫く主人公の動機づけとなるような事件が起きて、観客の興奮も高まっていく。本当にジェットコースターみたいですね。

 

 

はい。つづいて45分です。ここは状況が大きく変わる場所です。『ターミネーター』では、T−800から逃げるカーチェイスのシーンになっていて、サラと一緒に逃げるカイルという未来から来た男が、なんでこんなことになっているのか、車の中で説明します。「君は、未来のすごい偉い革命軍の隊長さんのお母さんで、T−800というのは彼を消すために、未来から君を殺しに来たんだ」と。だからここから先、主人公の行動は変わらざるを得ないです。サラはここまでは、一緒にT−800から逃げるカイルのことを信用できないんです。でもここから先は、カイルのことを信用して、どうにかしなくちゃいけないと考え始める。それまではとにかく逃げればいいと思っていたのが、最後はT−800を破壊するようになるのも、この45分目で状況の変化があったからですね。

 60分。映画のどまん中の位置です。おもしろいもんで、映画っていうのはまん中の60分で必ず絵が沈むん

です。それまでどんなになってても、ここで一度落ち着くんです。『ターミネーター』ではですね、荒れ地でサラとカイルが二人で隠れているシーンです。お互いの苦しかった思い出というか、だいたいカイルがなんで過去に来たのかというふうなことを語り始めます。ですから絵としてもまあ地味ですし、観客の興奮もだいぶ低くなるのがこの時間帯です。

 75分。さっきの感情曲線を見てもらうと、ここがまた山になってます。『ターミネーター』はですね、実は「未来からやってきた男とのラブストーリー」というのが基本なので、やっとここで、二人ともお互いにひかれていることを見せあって、結ばれるという、ベッドシーンです。それまで自分で隠していた行動を、とうとうやってしまう。もうこれで、映画行くとこまで行けー、という感じで、観客の感情も、またグッと持ち上げられるわけですね。

 

 

ものの見事に、最初の「感情曲線」そのままの展開になってますね。この後は、曲線によればいったん最低レベルまで盛り下がって、そこから一気に最高レベルにまで興奮させられて、クールダウンされておしまい、ということですが、『ターミネーター』だとどうなってるんでしょう。

 

 

90分というのは、極限まで落ち込んで、そこから上がるしかないという上り坂です。T−800が炎上します。これはですね、ガソリントレーラーか何かにぶち当てて、ターミネーターが燃えたように見えるんですけども、まだここではその中からターミネーターは出てきてません。あの骨だけになったやつがガチャンガチャンと出てくるのはこれより1分後です。ここではですね、サラとカイルは何も知らずに抱き合ってます。でもなんか、映画館でだいたい時計見てる人は、ヘンだなあと思ってるあたりですね。90分で終わるはずない、ということはこれがクライマックスだとしたらおかしいなあと思うわけです。で、1分たつとターミネーターがまだ死んでないことがわかりますから、ああやっぱり、まだ先があるんだとほっとします(笑)。

 そしてラスト。一人旅立つサラのシーン。ターミネーターとの闘いが終わったところで映画が終わらないのは、前にも言いましたね、そこで終わるとお客さんが帰れません。お客さんが席を立つことができるように、最高まで盛り上がった興奮を静めるシーンがラストに持ってこられているわけです。

 映画っていうのはこういうふうになってます。具体例を挙げると無限にあります。1、2分から最大3分のズレはありますけど、基本的な起伏というのはだいたいこういう構造になってます。特にハリウッドの派手な映画というのは、もう確実にこの構造で作られていると言っていいでしょう。だから皆さんも、家に帰って、自分の好きなビデオ借りてきて、時間を計りながら見てもらうと、本当にこうなってるというのがよくわかっていただけると思います。

 

 

映画の作られ方というのがだいぶよくわかりました。適当に撮影して適当に編集するのでは作りようがないですけど、あのジェットコースターのグラフを思い出せばいいわけですね。見る人の感情をあのグラフのように上げ下げするように作られているのが、映画なんだと。それにしても、自分が一人の観客として、作り手の思うようにドキドキさせられたり感動させられていたというのは、ちょっとショックというか、新たな発見でした。映画で感動させられるのには、ちゃんと理由があったんですね。

 

6.『ターミネーター』のタイムテーブル

 「映画とは何か」という問いに対し、「映画とは感情のジェットコースターである」と定義しました。映画の感情曲線というものを見ていただきましたけれども、ここではさらにそれを実証的に検証してみます。もう、あまりにもあからさまなので驚かれるのではないかと思います。

これが映画の構造です。『E.T.』『ダイハード』『ターミネーター』『ジュラシックパーク』、この4作品で書いてあります。まあだいたいこの4作品挙げとけば、みなさんどれか見たことあるだろうと、私はタカをくくってます(笑)。

 全部やってると結構時間かかるから、どれにしましょう。いちばん覚えてるのってどのへんですか。さっき『ターミネーター2』の話をしたら皆さん結構見てるようでしたので、じゃあ、『ターミネーター』でやりましょう。

 表の中には、映画がスタートしてから10分、30分、45分、60分、75分、90分目に何が起きているか、ラストはどうなっているか、が書いてあります。で、なんでラストという書き方をしてるかというと、たとえば『E.T.』は2時間の映画です。『ダイハード』というのは100分、『ターミネーター』は2時間20分、『ジュラシックパーク』は2時間の映画です。全部違うんですよ。ところが、構造は全部同じなんです。違うのはクライマックスの長さです。

 さて、『ターミネーター』です。最初の10分目は何かっていうと、ターミネーターが未来から来たと。なんか乱暴な奴が来たと。それも2人来た。1人は素っ裸の男で、1人は筋肉隆々の兄ちゃんだ。で、最初の10分でターミネーターは、革ジャンなんか着たアメリカの見るからに恐い男をボコボコにどつき倒しますね。大変だ。そこでまず、見てる人の感情はガッと盛り上がっちゃいます。その次に、本当の主人公のサラがやっと出てきて、そのサラの日常生活、すごいつまんない日常というのが描かれます。これが、20分目に向けてのクールダウンといいますか、観客の一度盛り上がった興奮を静める効果になってるわけです。

 30分目からは2回目の山場に入っていきます。ここで何するのか。ここでですね、主人公のすべての動機が与えられる予定です。その前までは、主人公の内面的な動機ですね。なんかこの日常じゃつまんない。このままでいいのだろうかという気持ちです。で、主人公のルームメイトの女の人には恋人がいて、でも自分には恋人がいない。ひとりぼっちだ。仕事ではウェイトレスみたいなことをやってるけど、日常に不満だ。こういう内面的な動機を描くことで、同時に、最初の山場からのクールダウンになっていたわけです。

 そして30分目。全部の映画を見てください。全部ここが、動機になってます。

 たとえば『E.T.』だったら、エリオットという主人公がお兄さんにE.T.を見せて、彼をかばおうということを自分で宣言します。これが『E.T.』という映画を貫く主人公の動機ってやつです。

 『ダイハード』だったら、ジョン・マクレーンっていう警官が主人公なんですけど、その主人公の目の前で日系の会社の社長が射殺されてしまいます。この時に主人公は手ぶらなので、隠れて見てるしかないんです。すっごい悔しいと思います。この悔しい心が動機となって、主人公をラストまで引っぱっていきます。

 『ジュラシックパーク』ではですね、グラントという主人公の科学者が、パークでよりによっていちばん恐ろしいヴェロキラプトルという恐竜が作られたことを知ります。「何、ヴェロキラプトルを作ったのか、ガガーン!」というシーンです。だからこの映画では、ヴェロキラプトルという恐竜が本当の敵なんだということがここでわかって、その対立が最後まで続く。「ヴェロキラプトルの襲撃から逃げ切れるかどうか」がこの映画の主題なんです。

 さて、本題の『ターミネーター』の30分目は、T−800、つまりシュワルツェネッガーですね、シュワルツェネッガーがディスコに来て大暴れします。で、この瞬間に主人公のサラの日常が全部崩れてしまって、ここから先、最後までシュワルツェネッガーから逃げる、逃げる、逃げる、という連続です。つまりサラの行動の動機がここで与えられて、最後まで続くわけです。

まず映画が始まって10分目で、観客をグッと引き込むための山場がある。そして主人公の内面と状況が説明されることで、その興奮が静められて、20分目には感情はまた落ち着いた状態に戻らされる。そして30分目までには、映画全体を貫く主人公の動機づけとなるような事件が起きて、観客の興奮も高まっていく。本当にジェットコースターみたいですね。

はい。つづいて45分です。ここは状況が大きく変わる場所です。『ターミネーター』では、T−800から逃げるカーチェイスのシーンになっていて、サラと一緒に逃げるカイルという未来から来た男が、なんでこんなことになっているのか、車の中で説明します。「君は、未来のすごい偉い革命軍の隊長さんのお母さんで、T−800というのは彼を消すために、未来から君を殺しに来たんだ」と。だからここから先、主人公の行動は変わらざるを得ないです。サラはここまでは、一緒にT−800から逃げるカイルのことを信用できないんです。でもここから先は、カイルのことを信用して、どうにかしなくちゃいけないと考え始める。それまではとにかく逃げればいいと思っていたのが、最後はT−800を破壊するようになるのも、この45分目で状況の変化があったからですね。

 60分。映画のどまん中の位置です。おもしろいもんで、映画っていうのはまん中の60分で必ず絵が沈むんです。それまでどんなになってても、ここで一度落ち着くんです。『ターミネーター』ではですね、荒れ地でサラとカイルが二人で隠れているシーンです。お互いの苦しかった思い出というか、だいたいカイルがなんで過去に来たのかというふうなことを語り始めます。ですから絵としてもまあ地味ですし、観客の興奮もだいぶ低くなるのがこの時間帯です。

 75分。さっきの感情曲線を見てもらうと、ここがまた山になってます。『ターミネーター』はですね、実は「未来からやってきた男とのラブストーリー」というのが基本なので、やっとここで、二人ともお互いにひかれていることを見せあって、結ばれるという、ベッドシーンです。それまで自分で隠していた行動を、とうとうやってしまう。もうこれで、映画行くとこまで行けー、という感じで、観客の感情も、またグッと持ち上げられるわけですね。

 ものの見事に、最初の「感情曲線」そのままの展開になってますね。この後は、曲線によればいったん最低レベルまで盛り下がって、そこから一気に最高レベルにまで興奮させられて、クールダウンされておしまい、ということですが、『ターミネーター』だとどうなってるんでしょう。

 

 90分というのは、極限まで落ち込んで、そこから上がるしかないという上り坂です。T−800が炎上します。これはですね、ガソリントレーラーか何かにぶち当てて、ターミネーターが燃えたように見えるんですけども、まだここではその中からターミネーターは出てきてません。あの骨だけになったやつがガチャンガチャンと出てくるのはこれより1分後です。ここではですね、サラとカイルは何も知らずに抱き合ってます。でもなんか、映画館でだいたい時計見てる人は、ヘンだなあと思ってるあたりですね。90分で終わるはずない、ということはこれがクライマックスだとしたらおかしいなあと思うわけです。で、1分たつとターミネーターがまだ死んでないことがわかりますから、ああやっぱり、まだ先があるんだとほっとします(笑)。

 そしてラスト。一人旅立つサラのシーン。ターミネーターとの闘いが終わったところで映画が終わらないのは、前にも言いましたね、そこで終わるとお客さんが帰れません。お客さんが席を立つことができるように、最高まで盛り上がった興奮を静めるシーンがラストに持ってこられているわけです。

 映画っていうのはこういうふうになってます。具体例を挙げると無限にあります。1、2分から最大3分のズレはありますけど、基本的な起伏というのはだいたいこういう構造になってます。特にハリウッドの派手な映画というのは、もう確実にこの構造で作られていると言っていいでしょう。だから皆さんも、家に帰って、自分の好きなビデオ借りてきて、時間を計りながら見てもらうと、本当にこうなってるというのがよくわかっていただけると思います。

映画の作られ方というのがだいぶよくわかりました。適当に撮影して適当に編集するのでは作りようがないですけど、あのジェットコースターのグラフを思い出せばいいわけですね。見る人の感情をあのグラフのように上げ下げするように作られているのが、映画なんだと。それにしても、自分が一人の観客として、作り手の思うようにドキドキさせられたり感動させられていたというのは、ちょっとショックというか、新たな発見でした。映画で感動させられるのには、ちゃんと理由があったんですね。

 


次章へ目次へインデックスページに戻る