5.映画=ジェットコースターだ
ここまで、主に映画を取り巻く状況というのをお話ししました。で、ここからは、映画の中身といいますか、映画というのはどういうふうに考えればいいのか、映画の仕組みみたいなものを考えましょう。
プロデューサーとしてもっとも重要なのが、面白い映画を作るという仕事です。そのために知っておかねばならないのが、「映画とは何か」という本質論です。
日本映画の問題点というのはこれまでにも話してきましたが、「映画とは何か」という根元的な問いかけがないことなんですね。そもそも、リュミエール兄弟が始めた映画っていうのは、機関車が向こうから走ってくるっていうだけなんですよ。それを見てみんな「おおっ!」って言う。機関車なんか見たこともない人もいるわけですよ。
『ジュラシック・パーク』に文句をつける人もいますけれど、映画ってあれでいいんですよ。でっかい恐竜が出てくる、びっくり!、これでいいんです。ところがこれにストーリーだ、テーマだと入れ出すから、ややこしくなる。ややこしくなってもいいんですけど、ただ、映画の原点っていうのは、「人に、見たことないものを見せるんだ」ということなんです。ところがそういう意識がないから、多くの日本映画というのは見たことない映像というのを作ろうとしない。
★9 その意味で女優が脱ぐ映画、というのは「見たことのない川島なお美の裸がおがめる」という正しい映画の在り方である。
その意味で『ゴジラ』がなぜ強いのかというと、映画館に行ったら必ずゴジラが出てきて、必ず怪獣とたたかって、必ずビルをぶっ壊すという、そのカタルシスが約束されてるからです。映画とは何か。ゴジラのスタッフははっきり言います。「映画とは何か」「ゴジラです」って。「ゴジラが暴れてビル壊すことです」と。こういうふうにはっきり言い切れる人がすごく少ないです。
『ジュラシック・パーク』は僕も見たんですけど、確かに怪獣があんなふうに動くというのは初めて見る映像でしたが、ただそれだけでおもしろかったとは思えなくなっているみたいです。身の回りにこれだけ映像があふれている世の中になって、見る側もぜいたくになっているというか、見たことない映像にプラスして、何か感動させられるストーリーまで求めてしまうんだと思います。
それはその通り。ただ、映画というのはそもそも、見たことのないものを見せようと思って始まったんだということは、知っておいてほしいんだ。それは、なかなか大事な視点です。なぜならそこには、見る人を驚かせよう、見る人の感情を揺さぶろうという、映画の本質があるからです。
だからここでは、わかりやすく、「映画とは感情のジェットコースターである」という定義をしてみることによって、その本質に迫ってみましょう。で、いきなりですが、次のグラフが、「映画の感情曲線」です。

これが映画の構造です。これは、どんなに偉い映画のシナリオの先生を連れてきても、「うん、そうそう」と言うと思います。映画ってこうできてるんです。横軸が時間で、縦軸が感情の揺さぶられ方、興奮の度合いですね。
★10 この「シナリオの感情曲線」に関しては『オタク学入門』(太田出版)にも書いた。知ってる人には同じ話を2度読ませることになってしまうけれど、許して欲しい。
最初の10分、ガッと上げる。次に落とす。20分目がいちばん落ちます。次に40分目に向かってゆっくり上げていきます。また落とす。70分目にガーッと上げる。また落とす。80分目から90分目にかけて主人公は悩む(笑)。90分目からガーッと、もうできる限り上げる。ガーッと上げて、上げたままだったらお客さんが家へ帰れない(笑)。グーンと110分で落とす。映画終わり。これが映画です。
でですね、世の中にはすごい映画というのが時々あります。普通映画って、感情の山を4つにするのが限度なんですよ。それが『ジュラシック・パーク』は、6つあるんです。ただそれでも法則にのっとってまして、いちばんすごいクライマックスっていうのは100分のところにあります。次のクライマックスは始まってだいたい7分から10分のところです。
ほとんどの映画がこの法則に従ってますが、これ以外の映画は、芸術映画です。『バベットの晩餐会』とかですね、いわゆる芸術映画っぽいやつは、これに入ってません。でも、芸術映画っぽいといっても、『ニューシネマパラダイス』ですら、ちゃんとこのグラフのようになってます。
このように、見てる人の感情をジェットコースターのように上げ下げするのが映画です。だから実を言うと、本質的に映画にはストーリーはいらないんです。ただ見てる人が感情を上げ下げするときに、客観的になるのを防ぐために必要なだけなんです。「おいちょっと待てよ、その主人公の行動、おかしいんじゃないか」とか、「ちょっと待てよ、つじつま合わないぞ」というふうに、画面に向かって突っ込みを入れると、感情が冷めちゃうわけです。だから画面に向かって突っ込みを入れられないために、シナリオライターというのは、映画の中でのストーリーの整合性っていうのを保つわけです。
たくさんの人を感動させる映画というのは、実は作り手が最初から意図的に感動させるように作ってるということなんですね。すごく感動した、ってことは、まんまとはめられたというか、見事に感情をジェットコースターのごとく上げ下げさせられた、と。
だからいい映画っていうのは、見た人が、みんな3ヵ所しか覚えてないです。極端なこといえば2ヵ所ですね。林海象監督がいうには2ヵ所で十分だと。映画っていうのは2ヵ所見るところがあればいい。日本映画は特にそうだ。ハリウッドは3ヵ所あって俺たちは勝てないけども、2ヵ所だったら俺たちもできるから頑張ろうというのが林海象監督の立論なんですけども。
とにかく、どんな映画でも、皆さんこれまでに見た映画で自分が結構好きだなっていう映画ってですね、だいたい頭とお尻をみんな覚えてます。中盤どんなだったかって、案外覚えてないんです。ラストシーンにいたっては、覚えてる人ほとんどいないです。このあいだ、知り合いの学生の子らに聞いてみたんですけど、『ターミネーター2』が好きだって言うので、「じゃあラストシーン覚えてるか」って聞いたら、「えーっ」ってみんな考えちゃいました。
あの映画でみんなが思い出すのは、溶鉱炉のシーンじゃないでしょうか。なんか、シュワルツェネッガーがガラガラガラッと鎖につかまって「ぼっちゃん、さいならー」とか言いながらドロドロの溶鉱炉に降りていく(笑)。あれがラストシーンじゃなかったか。違うんです。ラストシーンは、サラ・コナーという女主人公が、なんかブツブツ言いながら、未来はどっちへ行くのかわかんないとか言いながら車に乗ってて、高速道路の地面を写してるシーンなんですよ。走ってる車で、地面だけ写してる。なんであんなシーンが必要なのかというと、シュワルツェネッガーが、溶鉱炉に降りていきながら、「じゃあみんな、達者で暮らせ!」では、映画が終われないんです。観客が家に帰れない(笑)。この感動をどこに持っていったらいいのかわかんない。だから、感情のクライマックスから徐々に落としていって、落としたところで終わる。
これの落差が激しいのが、『フィールド・オブ・ドリームズ』です。この映画、最後は死んだ父ちゃんが出てくる映画なんですよ。死んだ父ちゃんが出てきて、観客の感動クライマックスなんですよ。そこからフィルム終わるまで、1分しかないんです。どうしたかっていうと、そこから空撮でどんどんカメラ離していって、地平線まで見えるっていう、アクロバチックな方法になってます。なんでそれが必要かというと、最高潮に引き上げた観客の感情を、クールダウンするためなんです。余韻を持たせるためにやってるようなフリをしますけど、本当に、お客さんが席を立つきっかけを与えるためなんです。これがないと帰れない。
なるほど。確かに、シュワルツェネッガーが溶鉱炉に降りていって、そこでブツッと映画が終わったら、高ぶった感情の持って行き場がないですよね。突然、現実に引き戻されてしまって、「今のは何だったの?」というか、ちょっとした混乱に陥りそうです。映画のラストシーンというのは、印象に残らないけれども、それによって感動を確かなものにする、なくてはならないものなんですね。
「映画とは何か」という問いに対し、「映画とは感情のジェットコースターである」と定義しました。映画の感情曲線というものを見ていただきましたけれども、ここではさらにそれを実証的に検証してみます。もう、あまりにもあからさまなので驚かれるのではないかと思います。
これが映画の構造です。『E.T.』『ダイハード』『ターミネーター』『ジュラシックパーク』、この4作品で書いてあります。まあだいたいこの4作品挙げとけば、みなさんどれか見たことあるだろうと、私はタカをくくってます(笑)。
全部やってると結構時間かかるから、どれにしましょう。いちばん覚えてるのってどのへんですか。さっき『ターミネーター2』の話をしたら皆さん結構見てるようでしたので、じゃあ、『ターミネーター』でやりましょう。
表の中には、映画がスタートしてから10分、30分、45分、60分、75分、90分目に何が起きているか、ラストはどうなっているか、が書いてあります。で、なんでラストという書き方をしてるかというと、たとえば『E.T.』は2時間の映画です。『ダイハード』というのは100分、『ターミネーター』は2時間20分、『ジュラシックパーク』は2時間の映画です。全部違うんですよ。ところが、構造は全部同じなんです。違うのはクライマックスの長さです。
さて、『ターミネーター』です。最初の10分目は何かっていうと、ターミネーターが未来から来たと。なんか乱暴な奴が来たと。それも2人来た。1人は素っ裸の男で、1人は筋肉隆々の兄ちゃんだ。で、最初の10分でターミネーターは、革ジャンなんか着たアメリカの見るからに恐い男をボコボコにどつき倒しますね。大変だ。そこでまず、見てる人の感情はガッと盛り上がっちゃいます。その次に、本当の主人公のサラがやっと出てきて、そのサラの日常生活、すごいつまんない日常というのが描かれます。これが、20分目に向けてのクールダウンといいますか、観客の一度盛り上がった興奮を静める効果になってるわけです。
30分目からは2回目の山場に入っていきます。ここで何するのか。ここでですね、主人公のすべての動機が与えられる予定です。その前までは、主人公の内面的な動機ですね。なんかこの日常じゃつまんない。このままでいいのだろうかという気持ちです。で、主人公のルームメイトの女の人には恋人がいて、でも自分には恋人がいない。ひとりぼっちだ。仕事ではウェイトレスみたいなことをやってるけど、日常に不満だ。こういう内面的な動機を描くことで、同時に、最初の山場からのクールダウンになっていたわけです。
そして30分目。全部の映画を見てください。全部ここが、動機になってます。
たとえば『E.T.』だったら、エリオットという主人公がお兄さんにE.T.を見せて、彼をかばおうということを自分で宣言します。これが『E.T.』という映画を貫く主人公の動機ってやつです。
『ダイハード』だったら、ジョン・マクレーンっていう警官が主人公なんですけど、その主人公の目の前で日系の会社の社長が射殺されてしまいます。この時に主人公は手ぶらなので、隠れて見てるしかないんです。すっごい悔しいと思います。この悔しい心が動機となって、主人公をラストまで引っぱっていきます。
『ジュラシックパーク』ではですね、グラントという主人公の科学者が、パークでよりによっていちばん恐ろしいヴェロキラプトルという恐竜が作られたことを知ります。「何、ヴェロキラプトルを作ったのか、ガガーン!」というシーンです。だからこの映画では、ヴェロキラプトルという恐竜が本当の敵なんだということがここでわかって、その対立が最後まで続く。「ヴェロキラプトルの襲撃から逃げ切れるかどうか」がこの映画の主題なんです。
さて、本題の『ターミネーター』の30分目は、T−800、つまりシュワルツェネッガーですね、シュワルツェネッガーがディスコに来て大暴れします。で、この瞬間に主人公のサラの日常が全部崩れてしまって、ここから先、最後までシュワルツェネッガーから逃げる、逃げる、逃げる、という連続です。つまりサラの行動の動機がここで与えられて、最後まで続くわけです。
まず映画が始まって10分目で、観客をグッと引き込むための山場がある。そして主人公の内面と状況が説明されることで、その興奮が静められて、20分目には感情はまた落ち着いた状態に戻らされる。そして30分目までには、映画全体を貫く主人公の動機づけとなるような事件が起きて、観客の興奮も高まっていく。本当にジェットコースターみたいですね。
はい。つづいて45分です。ここは状況が大きく変わる場所です。『ターミネーター』では、T−800から逃げるカーチェイスのシーンになっていて、サラと一緒に逃げるカイルという未来から来た男が、なんでこんなことになっているのか、車の中で説明します。「君は、未来のすごい偉い革命軍の隊長さんのお母さんで、T−800というのは彼を消すために、未来から君を殺しに来たんだ」と。だからここから先、主人公の行動は変わらざるを得ないです。サラはここまでは、一緒にT−800から逃げるカイルのことを信用できないんです。でもここから先は、カイルのことを信用して、どうにかしなくちゃいけないと考え始める。それまではとにかく逃げればいいと思っていたのが、最後はT−800を破壊するようになるのも、この45分目で状況の変化があったからですね。
60分。映画のどまん中の位置です。おもしろいもんで、映画っていうのはまん中の60分で必ず絵が沈むん
です。それまでどんなになってても、ここで一度落ち着くんです。『ターミネーター』ではですね、荒れ地でサラとカイルが二人で隠れているシーンです。お互いの苦しかった思い出というか、だいたいカイルがなんで過去に来たのかというふうなことを語り始めます。ですから絵としてもまあ地味ですし、観客の興奮もだいぶ低くなるのがこの時間帯です。
75分。さっきの感情曲線を見てもらうと、ここがまた山になってます。『ターミネーター』はですね、実は「未来からやってきた男とのラブストーリー」というのが基本なので、やっとここで、二人ともお互いにひかれていることを見せあって、結ばれるという、ベッドシーンです。それまで自分で隠していた行動を、とうとうやってしまう。もうこれで、映画行くとこまで行けー、という感じで、観客の感情も、またグッと持ち上げられるわけですね。
ものの見事に、最初の「感情曲線」そのままの展開になってますね。この後は、曲線によればいったん最低レベルまで盛り下がって、そこから一気に最高レベルにまで興奮させられて、クールダウンされておしまい、ということですが、『ターミネーター』だとどうなってるんでしょう。
90分というのは、極限まで落ち込んで、そこから上がるしかないという上り坂です。T−800が炎上します。これはですね、ガソリントレーラーか何かにぶち当てて、ターミネーターが燃えたように見えるんですけども、まだここではその中からターミネーターは出てきてません。あの骨だけになったやつがガチャンガチャンと出てくるのはこれより1分後です。ここではですね、サラとカイルは何も知らずに抱き合ってます。でもなんか、映画館でだいたい時計見てる人は、ヘンだなあと思ってるあたりですね。90分で終わるはずない、ということはこれがクライマックスだとしたらおかしいなあと思うわけです。で、1分たつとターミネーターがまだ死んでないことがわかりますから、ああやっぱり、まだ先があるんだとほっとします(笑)。
そしてラスト。一人旅立つサラのシーン。ターミネーターとの闘いが終わったところで映画が終わらないのは、前にも言いましたね、そこで終わるとお客さんが帰れません。お客さんが席を立つことができるように、最高まで盛り上がった興奮を静めるシーンがラストに持ってこられているわけです。
映画っていうのはこういうふうになってます。具体例を挙げると無限にあります。1、2分から最大3分のズレはありますけど、基本的な起伏というのはだいたいこういう構造になってます。特にハリウッドの派手な映画というのは、もう確実にこの構造で作られていると言っていいでしょう。だから皆さんも、家に帰って、自分の好きなビデオ借りてきて、時間を計りながら見てもらうと、本当にこうなってるというのがよくわかっていただけると思います。
映画の作られ方というのがだいぶよくわかりました。適当に撮影して適当に編集するのでは作りようがないですけど、あのジェットコースターのグラフを思い出せばいいわけですね。見る人の感情をあのグラフのように上げ下げするように作られているのが、映画なんだと。それにしても、自分が一人の観客として、作り手の思うようにドキドキさせられたり感動させられていたというのは、ちょっとショックというか、新たな発見でした。映画で感動させられるのには、ちゃんと理由があったんですね。
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