『東大オタキングゼミ』1998年4月15日版 ン1997.Toshio Okada
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第5章 マルチメディア


1.マルチメディアの定義

 さて、今回の講義は「マルチメディアって一言で言うと、何なんだろう」というものです。

 みなさんもご存じのとおり、今、本屋さんにはマルチメディア本が山積みされています。

 僕も立場上、マルチメディアと名のつく本はほとんど買って読みましたが、結局のところ、そこに書かれていることはだいたい次の4つのパターンに分けられます。

順番に説明すると、まず最初が、「マルチメディアというのは定義なんかできない」という内容です。まあ、いろいろあるのがマルチメディアなんだから、ひとつに定義なんかできないんだと、最初から言ってるもの。

 次は、「マルチメディアなんてものがあるような感じがするんだけど、そんなのは気のせいだ。みんな思い思いに言ってりゃいいんだ」というもの。「みんな勝手に騒いでいますが、マルチメディアなんてものに実体はないんです」というわけです。

 その次が、「わからない。これからどういうふうになるのか今の私たちにはわからない。まあ、見守っていこうではないか」というもの。好感はもてるんだけど、無責任な態度というんですか。

 もうひとつが、「マルチメディアなんて、言葉が古い」とか「ダサい」とか、いろんな表現を使います。「マルチメディアなんて言葉が悪い。そんな言葉は気にせずにやっていけばいいんだ」というものです。

 これらを見て全体的に言えるのは、定義がこれだけ混乱してきて、話している人にもわからなくなってくると、もう定義するのなんてやめようよ、という雰囲気になってくるということです。

もうそんなこと論議している場合ではない、アメリカみたいにどんどんものをつくっていこうじゃないか、というような流れです。

なるほど。でも、マルチメディアって何なのか知りたくて本を読んだのに、「定義はできません」とか「見守っていこう」なんて言われたら、納得できないですよ。ほとんどダマされたような気分で、イライラはつのるばかりです。先生は、マルチメディアをどう定義するのか、もうズバッと教えてください!

まあその前に、そういった本を読んだ人がどうやって自分を納得させようとしているか、状況を見ておこう。

 マルチメディアって何なのか知りたい、でも何を読んでもよくわからないという混乱のなかで、僕がマルチメディアゼミをやってるなんてことがわかると、もう会う人ごとに「マルチメディアって何なんですか?」と聞かれるわけです。でも、ちょっと時間がたつと、とにかく「何なんですか?」とだけ聞かれることは、かなり少なくなった。

 そのかわりに、「マルチメディアって、これですよね」というような言い方で、自分なりの「マルチメディア観」が正しいのかどうか、確認のために聞いてくるようになった。で、大雑把に言うと、この4つのパターンで聞かれることがほとんどでした。

「マルチメディアっていうのは、CD-ROMソフトで、本みたいに、何か書いてある文字を読む。そのなかで、ウインドウをマウスでクリックしたりすると、絵が動いたりする。ああいうものが、マルチメディアなんですよね」というのが最初のパターン。

 次によく聞かれるのが、「マルチメディアっていうのは、全部映像ですよね。人間が今まで活字でやりとりしてたものが、もう古くなっちゃう。すべて映像でやって、それが通信回線で送られてきて、家で見られる。ビデオ・オン・デマンド、ですか。これこそが、マルチメディアですよね」。

 たとえば、マイクロソフトが開発したタイガーという通信規格があります。それがこれからのビデオ・オン・デマンドの中心になるとマイクロソフトは言ってるんですが、そういうようなものをマルチメディアだと考える人もいます。

 次のパターンが、「パソコン通信が、マルチメディアだ」というもの。前にあげたようなものはそのうち全部なくなっていく、意味がない、と。すべてはインターネットみたいなものに含まれていって、誰でもそこに安くアクセスできるようになる。つまり、そういった通信環境にともなって発達していくものが、マルチメディア。この人たちが次に言うのは、「通産省と郵政省が対立してるのは困ったものですね、日本でもどんどん安く通信できるようになってほしいもんですね」ということ。

 それから、最後がちょっといっちゃってる人の意見なんですけど、「マルチメディアっていうのは、人間の意識の革命ですよね」っていきなり目を見て言われても困ってしまうんですが(笑)。で、この人が次に言い出すのは「イルカ」っていうような、まあコワい世界に入っていくんですね。だいたい、4、5年前までチャネリングやってた人が、今「イルカ」って言ってるんですよ。

 でもまあ、この人のおっしゃる意味もすごくよくわかるんですよ。

 コンピューターの発達にあわせて社会のいろいろなものが電子化されていっていて、何らかの進化過程として現在があるということは僕も納得するんです。人間がさまざまな情報をデジタル化して、自分のもっているデータみたいなものをお互いに交換するようになったら、人がもっている価値観が変わっちゃうだろう。これは僕は100パーセント賛成します。

 しかし、「その結果、意識の革命が起きて、人は国境線などにとらわれることなどなく、真の自由がやってくるのだ」という話になってくると、おいおい、という気がするというのが実際です。

 自分なりの「マルチメディア観」を語るときに、だいたいこの4種類の意見が出てくるんですが、なんでそういう議論になるのか。その理由というのを、ちょっと分析してみましたので、つづいて考えてみることにしましょう。

 

2.「おたく」「ネクタイ」「電機屋」「ギョーカイ人」

 自分なりの「マルチメディア観」を語るとき、なんで人によって違う意見が出てくるのか。その理由を考えるために、現在のマルチメディア関係者と、彼らの価値観を分類してみました。下のベン図を見てもらいたいのですが、ここではわかりやすいように、あえて差別的にそれぞれの世界の人たちを6種類にまとめてみました。

 いちばん上の「おたく」というのは、マルチメディアの情報を『ファミコン通信』などで集めている人たちです。

 その左下。「ネクタイ」というのは、いわゆるビジネスマンです。マルチメディアに関しては『日本経済新聞』から情報を得ています。

 いちばん下の「電機屋」とは、技術者やプログラマーたちのことです。彼らは『技術レポート』などでそれぞれの情報を収集します。

 その右上が、いわゆる「ギョーカイ人」。彼らは、『日経トレンディー』から仕入れた情報を、『スタジオ・ボイス』で読んだ言い回しでしゃべります(笑)。

その人がどこから情報を得ているかをチェックすることで、まず分類してみるわけですね。確かに、『ファミ通』ばっかり読んでる人と、『日経』ばっかり読んでる人とじゃあ、考え方は相当違ってくるはずですよね。ところで、図の中に書いてある「楽しい」とか「お金」っていうのは何なんですか。

カッコの中は、それぞれの集合に含まれる人の価値観というか、まあキーワードが書いてあります。

 おたくの人たちっていうのは、「楽しい」がキーワードです。この世の中を楽しもうとしている人たちです。だからおたくっていうのは、マルチメディアと聞くと「どんな楽しいことがあるんだろう」というような視点で考えちゃう人たちというわけです。

 ネクタイって書いてるのはですね、まあビジネスマンと思ってもらえばいいんですが、「お金」ですね。マルチメディアっていうのはお金になるんだ、だからやらなくちゃいけない。という考えです。

 電機屋さんというのは、いわゆる研究所なんかにいる人たち全部です。テクノロジーで物事を見ている人ですね。マルチメディアっていうのは、ハイテクであると。

 ギョーカイ人というのは何かというと、彼らのキーワードは「流行」とか「はやり」です。彼らがマルチメディアに注目している理由はただ一つ、はやっているからです。

その人がどういう価値観の持ち主なのか、マルチメディアをどんな側面からとらえるかというところに違いがあるから、意見の食い違いが出てくるということですね。マルチメディアでどう楽しもうかという人たちと、どう儲けようかという人たちでは、理解しあうどころか、どこまでいっても平行線、場合によっては対立しちゃうんじゃないでしょうか。

実はこの図では、「向かい合っているものどうしがお互いを敵視する」という法則があります。

 電機屋はですね、おたくをバカにします。「まったく、あいつらはオモチャみたいなものばっかり考えやがって」と。「マルチメディアっていうのは、ものすごい技術の進歩にともなって進んでいるもので、ゲームなんてものじゃないんだ。というわけです。で、おたくにしてみたら、そんな小難しいことをいう人たちは大嫌いなわけです。

 「流行」が好きなギョーカイ人と、「お金」が好きなネクタイとは、やっぱり対立します。

 ネクタイの人たちからしたら、マルチメディアってどうやってお金にすればいいのか、と考えてるのに、ギョーカイ人たちは今の流行でしか見ていなくて、すぐに離れていっちゃいそうな気がする。とても一緒に組めるような相手ではないと。

 で、世間の目もここを中心に分けることができて、いわゆる「トゥナイト」的なものの見方と申しましょうか、トゥナイト的な世界は「ギョーカイ人」側なんですね。そして、なんかその、『プレジデント』とかでですねえ、ああいうところで大前研一が言うのは反対側、つまり「ネクタイ」サイドですね。

 それから、ギョーカイ人の隣にカリスマっていうのがあります。このカリスマっていうのは主に外国人なんですけども、この人たちとギョーカイ人がパイプをもってたりするわけですね。

 で、いちばん左には役人がいます。役人にとってマルチメディアは何かっていうと、これは通産省のものなのか、郵政省のものなのか、大蔵省のものなのか、文部省のものなのかという問題ですね。

 まあ言っちゃえば、天下り先をどういうふうにつくるのか、というイヤな言い方もできますし、彼らにとってすごく好意的な言い方をするならば、NTTがここまで発達したのは、前身の日本電信電話公社が公社であったからだと。あれを私企業とかに任せておいたら、日本中で開発競争が起きて、田舎ではいまだに電話が引かれてないはずだと。だから、マルチメディアもそうである、ファイバー・トゥ・ザ・ホームなんてことを一般の私企業に任せておいたら、結局貧富の差とか、地域差が出てきて、できないというのが彼らの言い方ですね。

 で、その役人の反対側の人たちがいうのは、そういうことが全然聞こえなくなっちゃってますから、とにかく、いまもてる人、もしくはもとうとする人すべてに与えればいいんだと。そうすれば自然に落ち着いてくるというか、適者生存の法則みたいなのが働いてくるといいます。国からしたら、適者生存の法則なんか働いてしまったら、えらいことになっちゃいますよね。それはつまり、いま日本が方向としてもっている、ある程度弱いものに対して福祉的なものの見方をするという考えと180度反対ですから。

 

3.ソフトはここから生まれる

 さて、マルチメディア業界の関係者を分類し、それぞれの特徴を分析した上で何が言いたいかというと、実はこういう人たち、それぞれの業界にいる人たちが、他の業界の人たちと交わるところで、ソフトが生まれるわけです。

 この人たち自身では、あんまり新しいソフトってつくれないんですね。ですから、それぞれの人が、未来はもっとこういうふうになるに違いない、っていう話を始めてもいまひとつピントのずれた感じがしてしまうわけで、それが最初に出たマルチメディア論議というやつです。

 じゃあ具体的に、それぞれの接点で、どんなソフトが生まれるのか。先ほどの分類図に重ねて描いたものが、次の図になります。

では順番に、まず、おたくがらみの接点から見ていきましょう。

 最初に、おたくとネクタイですね。「マルチメディアってのは楽しそうだぞ」っていう人と「マルチメディアってのは金になるぞ」と思ってる人が合体すると、ここから通信カラオケってのが出てきます。それから、おたくとギョーカイ人の接点、つまり「楽しいぞ」ってのと「はやってるぞ」というところからは、通信ゲームというのが出てきます。

 どのような違いかというと、前者は「任天堂」的な娯楽なんですよ。で、後者は「セガ」的ということです。つまり、後者、おたくプラスギョーカイ人の方がよりマニアックで、ゲームの本質というものに近づこうとする。で、前者の方、すなわちおたくプラスネクタイの方は、いわゆる大量消費の娯楽、どんなにたくさんの人に遊んでもらおうとするかという視点になるわけです。

 ですから、後者はどんどん先端の方へいく、かっこいい方へいくというやつですね。バーチャルリアリティー技術なんてこちらの方です。ところがバーチャルリアリティー技術自体を、企業として、ビジネスとして開発している会社なんて世界中にどこにもないんです。松下電器とかそこら辺がやっているのもですねえ、いわゆる入出力ディスプレイの端末の一種類として研究している。あとは東芝とか日立がやっている、原子力発電所の施設のなかに人間が入れないからというような理由から、あくまで技術の一分野としてやっているという、そういう作り方ですね。

 あと、こんなに日本、通信環境が整備されてきたのにですね、いまだに通信ゲームというのがちゃんと開発できてないですね。アメリカなんかでは7、8年前からやっているきわめて当たり前のことがなんでできていないのかというのも、通信ゲームというのはおたくとギョーカイ人の合体だからです。ネクタイの人たちが、ここに興味をもってないんですよ。

 これ、どうやってお金集めていいのか。パッケージソフトっていわれる、お店屋さんで売ってて、8000円とか値札がついてるものが売れるような話と違って、開発したところでどうお金になるのか見えにくいものですから、ネクタイの彼らは熱心じゃないんです。それよりは、著作権とか法的なものが全部かたまっている通信カラオケであるとか、バーチャルリアリティーよりは具体的な応用ですぐにでもお金になるコンピューターグラフィック、こっちの方に彼らは狙いをしぼってくるわけです。

マルチメディアでどう楽しもうかと考えるおたくの人たちも、ギョーカイ人と組むかネクタイと組むかで、似ているようで実は違うソフトになるんですね。通信ゲームとかバーチャルリアリティーってものが、いまひとつ表に出てこないのも、結局はお金を握ってるネクタイの人たちが興味を示さないからというのも、よくわかりました。やっぱり、それがお金になるかならないかというか、お金になりそうに思えるか思えないかって、大きいことなんですね。

じゃあ次に、そのお金を中心にしてみているネクタイと、電機屋さんとの間に生まれるものは何か。

 これがですねえ、いまおそらくマルチメディアについて本屋さんで売ってる1000円以上の本で扱ってるようなものです。NII、ナショナル・インフォメーション・インフラストラクチャー。情報ハイウェイと訳されてるやつですね。各家庭に光ファイバー網を張り巡らせるという、FTTH。このファイバー・トゥ・ザ・ホームというのをFTTHと覚えておくだけでですねえ、「ああ、さすが東大でマルチメディアを学んだ」と威張れるんじゃないでしょうか(笑)。その他、出てきているものとしては、ビデオ・オン・デマンドなどがあります。

 つまり、ネクタイと電機屋が結びつくことの意味は、新たなテクノロジーで産業がおこせるということです。このNIIにしてもFTTHにしても、ここにあるのは、膨大なまでのファイバーを敷設するという、土木作業ですね。建設省とかそこら辺が、日本をこの20年間改造して大儲けしてきたのと同じ方向なんですね。そのうえで、映像が動くと。

 で、ここに役人がからんできます。なんでここに役人がくるのかというと、日本でファイバーを張り巡らせるには、たとえばこの東大の構内で張り巡らすにはあんまり問題ないんですけど、東大から一歩外に出た瞬間に、道路をまたがなけりゃいけない。道路またいだファイバーを通すには運輸省の許可がいる。道路またいでずーっと走っていく最中に、たとえば区とか市がかわっちゃうと、自治体の各許可がいる。川を途中でまたぐと建設省河川局の許可、途中で電車が通ってたら各電車の会社もしくは運輸省に許可がいる。既存のネットを利用しようとすると郵政省の許可がいるし、これ全部動かそうとすると大蔵省の方もだまっていない。

 役人がここにくる理由というのは、日本国中に電線なり光ファ

イバーなりネットを張り巡らせるというのは、実は規制緩和の問題だからなんです。緩和するかっていうのは、つまりどこからどこまでがどこの管轄かってことですね。

 ま、こういうのがいちばん嫌いなのが、図の中でも役人の反対側にいるギョーカイ人たちですから、だまってるはずがない。そういうことやってるからアメリカに遅れるんだ、と。アメリカに遅れるといわれると役人やネクタイたちがビビって仕方ないわけです。アメリカに遅れたことでこれまで何度も苦しいことがあったから。

 で、まあ、役人さんが最近いってるのは、規制緩和するんだけれども、じゃあもうどういう割り振りか決めちゃいましょうと。一律、郵政省とか建設省とか決められないだろうから、日本中の道路はこう、川はこう、って決めちゃって、何回またぐかっていうのはあまり関係なくて、全部の省で、ある程度ひとつの団体をつくりましょう、みたいなことをいう役人さんがそろそろ出てきています。

 

なるほど。よくいわれる「タテ割り行政の弊害」って問題が、ここにも表れているんですね。

 

つづきまして、ギョーカイ人と電機屋の接点ですが、日本は、これがものすごく薄いんですよ。いわゆる、はやってるのが好きっていうのと、コツコツやる技術者っていうのは結びつきにくくて当然なんですけども、実はハッカーっていうのはここに発生するんですね。

 ハッカーっていうのは、コンピューターの防御を破って侵入するとか、そういうネガティブなイメージもあるんですけども、彼らはもともと、究極のプログラマーなんですよ。そういう究極のプログラマーで思想性をもっちゃった人がハッカーなんですよね。

 どういうことかというと、こういう巨大ネットワークっていうのは、放っておくと簡単に国家が人間を支配する原動力になる、と。じゃあ、積極的にカウンターとして彼らにくらわせなきゃいけないっていってるのが、ハッキングという行為なわけです。どんなコンピューターの防御をしても我々は入ってみせるぞというデモンストレーションと、それによって人間の自由というのを高らかにうたうというやつですね。本来ハッカーというものには、国家による人間の支配に反抗するというような、思想的なものが含まれているんですよ。でもさすがに俺、日本でこれやってる人、ほとんど知らないですね。

 で、図の中でギョーカイ人と電機屋の接点にクリッパーチップっていうのがありますが、何かというと、アメリカで、インターネットとかどんどん伸びてくるにつれて、盗聴問題といいましょうか、データの改ざん問題とか、コンピューターネットのなかでの犯罪がすごく問題になってきた。ですから、そういう問題をなくすために、各電子デバイスに、もうこれからつくるもの全部に、クリッパーチップという暗号をつくって翻訳するハードウェアのチップを埋め込んじゃいましょうという構想です。

 これやっとけば、たとえば僕から誰かのところへデータを送るときに、一度クリッパーチップで暗号に変換されて、相手のところでクリッパーチップで翻訳されると。で、コードはお互いに自分のしか知らないし、相手のは全然知らなくても大丈夫なんですよ。クリッパーチップの暗号コードも一緒に動くから。

 ところがですねえ、これをゴア副大統領がやろうとしている条件として、国家だけはそれのマスターキーをもっていると。つまり、みなさんがマンションで鍵かけて安全に暮らすのはけっこうですけども、大家さんが全部の部屋に入れる鍵をもってますよということですね。もうそれは、ハッカーたちはそういうことが大嫌いですから、クリッパーチップというものには大反対していますし、もしつくられたら即に、これに対するプロテクト外しに入るでしょう。

 

電機屋さんはネクタイと結びつくにしてもギョーカイ人と結びつくにしても、お金とか利権とか国家への反抗とか、ドロドロした話につきあわされて、たいへんそうですね。そんな面倒そうな人たちとつながるんじゃなくて、たとえばおたくの人たちと結びついて、電機屋さんのもっているせっかくの最先端の技術をいかした斬新なエンターテインメントソフトというのはできないものでしょうか。

 

うーん。前に話したとおり、基本的に図の中では「向かい合っているものどうしがお互いを敵視する」という法則があるんで、なかなかおたくと電機屋はつながりにくいんだ。純粋にテクノロジーの研究をしている人ほど、やっぱり楽しいのがいちばんというようなおたくを理解しにくいでしょう。電機屋さんにしたら、研究した技術を使ってソフトをつくるなんてことよりも、より厳密な研究を進めて、精密な理論なり技術を完成させていくこと自体の方が、興味あるんだから。

 でも、このおたくと電機屋さんっていうのは、おたくを突き詰めていってプログラマーになっていっちゃった人もけっこういますし、研究職にありながらアニメとか毎週見てる人もけっこういるんで、接点はまったくないわけじゃないんですよ。

 それよりひどいのは、もうひとつの組み合わせである、ネクタイとギョーカイ人の接点です。本当は、このネクタイとギョーカイ人の接点で、インタラクティブ・ムービーってのが生まれるはずなんです。

 映画の作り方を明らかに革命的に変えなければインタラクティブ・ムービーなんてできるはずがないし、それには大量のお金が必要だからです。で、今のところ、インタラクティブ・ムービーというものの開発に成功をまったくしていないのは、ネクタイとギョーカイ人との、日本は特に離れ方が激しいからなんですね。どんな国でもわずかに接するものなんですよ。でも日本は、ネクタイとギョーカイ人のつながりが全然ないですね。

 ということで、マルチメディア関係者の分類と特徴、その接点から生まれるソフトについてみてきましたが、最後に、その人が図のどこの集合に含まれるのか、簡単にわかる見分け方を話しておきます。相手がどんな価値観の人で、どんな視点でマルチメディアをみているのかを知った上で話をすると、だいぶ話もかみあうのではないかと思います。

 まず、「マルチメディアなんていってるけど、おもしろくなけりゃユーザーに受け入れられるはずはないよ」というような言い方をするようでしたら、その人は「おたく」ですね。

 マルチメディアに関して、「日本は遅れている」とか「規制緩和しなけりゃ」などといってる人はだいたい、「ネクタイ」です。

 「電機屋」はですねえ、まあ「CPU」とか「圧縮」とかしゃべりだして、わけわかんなかったらここです。

 で、「ギョーカイ人」のポイントは、これも実に簡単で、マルチメディアっていうと「まだマルチメディアなんていってるのか」って顔をしたらそいつはここにいますから大丈夫です

(笑)。

 「役人」は自分からはしゃべりません。

 「カリスマ」は会おうと思っても会えませんから大丈夫です(笑)。

 

4.いま起こっている、ヘンなこと

 マルチメディアについて語るとき、どうして人によってバラバラな意見になるのか、ということを、ここまで考えてみました。マルチメディア業界の関係者が、その価値観によって「おたく」「ネクタイ」「電機屋」「ギョーカイ人」「役人」「カリスマ」の6種類に分けられること、また、その交点から新しいソフトが生まれるという話でした。

 実際、現在もいくつかのソフトのようなものが開発されたり、企画が進められたりしています。でも、それらをみると、どうもヘンなものが多いです。なんでそんなものをつくっちゃうんだろうとか、本当にそうなるの、と疑問を感じざるを得ないヘンな話というものが、いくつかあります。

いま世の中で起こっている、マルチメディアがらみのヘンなこと、を順番にみていこうというのが、つづいてのお話です。

 まず大きな問題は、官僚の争いですね。先ほどもいいましたが、どこがどれを担当するんだ、という話です。

 で、通産省が、いまのところいちばんキャスティングボードを握るといわれているところです。しかし通産省というのはですね、

かつて自分がキャスティングボードを握った企画で成功させたことがないという、悪夢のような省庁でありまして(笑)。

 たとえば、戦後すぐにですね、「自動車産業なんてのは、まあ子どものおもちゃみたいなもんだから、まあ日本で、そうだな、会社2つとか3つありゃいいから、みんな合併しなさい」とかいって、戦後日本にあった個性的な自動車会社が通産省の意向でいくつもつぶされちゃうということがありました。その結果、まあ日本の自動車産業というのは、けっこう遅れちゃったんですよ。いまの自動車社会というのを、通産省は全然読めなかった。

 もうひとつは、15年くらい前に、これからのコンピューターは大きくなっていくのか小さくなっていくのか、という議論がありました。よくいわれる、スパコン、大型コンピューターみたいな方向で進化するのか、それとも個人で使うようなパソコンが発展するのかという問題です。

 これでも通産省は完璧な読み違いをして、その、大型コンピューターを開発している富士通とかにですね、ガバガバっとお金を出して、人も投資して、国際競争に勝とうとしたわけです。

 ところが、その後スーパーコンピューター開発も、演算速度では世界トップだったクレイ社とかにも勝ったんですけれども、そこまでやって計算速度を上げても、やることといったら気象予測くらいしかないわけですね。大規模な雲の流れとか大気の動きっていうのは、各々の気体分子の典型的な動きというのをそれぞれベクトル計算して集合体で表して把握するという、恐ろしいことをやってるんですけど、それくらいしか実は使い道がないんですよ。そんな計算速度の速いやつは。

 それから、みなさんが高校とか中学生くらいのときに新聞によく書いてあって、もういまはみなくなった話に、「第5世代コンピューター」とか「光コンピューター」というのがあるんですけれども、あれはもうご存じのとおり開発がとん挫しちゃいまして、そういうものはなかったことになっています。

 あとですね、さっきのファイバー・トゥ・ザ・ホーム、というやつなんですけど、実はNTTが電電公社時代に、日本全国の主要都市に光ファイバーを引いたんですよ。引いたんですけどね、「そんなに大容量のファイバーなんか、必要ない」といって、電電公社がNTTになるときに、開発を中止しなさいとは通産省もいいませんけども、開発しなくていいというふうにいっちゃったんですね。あの光ファイバー、日本各地のメインのところへ張ったものが、いま朽ち果てようとしています。

 その他にも、まあ、けっこうナンパなところでは、いま通産省では「国立国民映画学校」というのをつくろうとしているんですよ。ネーミングもすごいんですが、おかしいと思うのは、その国立国民映画学校にアニメ部門がないんです。

 これは、考える人が考えればわかるんですが、いま日本で、よその国に比べて金をとれる映画、国際競争力のある映画っていうと、怪獣映画と、寅さんと、アニメだけなんですよね。で、この怪獣映画も寅さんもアニメもつくらずに、いきなり黒沢明とかですね、あとなんだっけな、あの、なんかすぐに吉原で女の人がどつきあいするような映画ありますよね、ああいう映画の監督にガンガンお金を渡しちゃおうとしています。

 まあ、過去の話はこの辺でおしまいにして、では彼らはいま、マルチメディアについてどんなことをいっているのか。

 最近よくきく「123兆円」という数字があります。これは何かというと、郵政省の諮問機関が今年1994年の2月にまとめた、マルチメディア産業が2010年、いまから15年後に発生する、総生産というか総売上みたいなものですね。

 123兆円というと、国民ひとりあたり、えっ、100万円?そんな恐ろしいことをいうわけです。で、それによって得られる直接雇用250万人。間接雇用、彼らがいうには1500万人から2000万人以上。国民の、働ける人のうち2人に1人はマルチメディア産業で働くという、すごいことをいったわけですね。

 でもこれはまあ、極端に数字膨らましたもんで、いま通産省がいってるのは、これを半分にしてます。60兆円と125万人というふうに。まあ、こういう話があるもんだから、マルチメディアに対するビジネス界とか官庁の注目というのが大きくなっていて、これによって、産業界の思惑がなりたっているわけですね。

やっぱり、そんなでかい数字をみせられたら、企業がマルチメディアときいて、うちだけ遅れてはならない、何かせねば、と思う気持ちもわかりますね。よくきく話では、インターネットにホームページをつくる企業が増えている話とか。でも、ホームページをつくっても何がメリットなのか考えるより先に、とりあえずつくってる、という感じがします。そのへんの、バランスの崩れた感じというのも、マルチメディアの混乱のひとつなんでしょうか。

そうだねえ。何かしようと思っても、結局マルチメディアってものがわかりにくいから、おかしなものがでてくるんでしょう。じゃあ、官庁の話をしたので、次に産業界、企業で起こっているヘンな話をしてみることにしましょう。

 デパート業界では、マルチメディアの発達にともなうネットワークの進歩とか、流通革命によって、デパート自体がなくなっちゃうのではないかというふうにいわれています。ですから、そこでどうやって生き残っていくかというのはデパート業界の大きなテーマなわけですが、いま三越がバーチャルリアリティー技術に注目してつくってるやつがすごいんだ。

 まず、デパートの屋上にテントみたいなのがあるわけです。テントをなかに入っていくとですね、カウチがあるんですよ、ソファが。まあ、俺がみたやつは、例の、猫足のバロック調というソファだったんですけど、そこに座ると、目の前に宝石箱があるんですよ。

 で、その宝石箱をパカっと開けると、すごいでっかい指輪が入ってるんです。これが、ジョイスティックなんですよ。宝石箱の向こう側にはでっかいテレビスクリーンがあって、その宝石箱の指輪を握ってグッと動かすと、テレビに映ってるすっごいせこい3Dで描いたデパートの廊下を歩けるんです。で、その一式には「奥様向け」って書いてあるんですが、なんで奥様向けかっていうと、宝石箱のなかのでっかい指輪がジョイスティックになってるからなんですね。

 こういう、消費者をなめたようなことを研究してまして。で、僕、そのビデオをみせてもらったときにですね、まあ一応自分が映像づくりの人間として、「この映像だったら700万だな」というふうに見積もったんですけど、これに出た予算が2億ときいて、「マルチメディアがいまおいしい」というのは本当なんだなと思いましたね。

 それから、今年の6月に「日本液晶学会」というのがありまして、そこでシャープの人がいっていたことなんですが、だいたい今年の秋くらいに、シャープは液晶の生産が月産500万枚になるそうです。で、液晶の技術はシャープはいちばん進んでますから、それを追って他のメーカーもいっせいに液晶工場というのを世界中につくっているわけです。

 となると、今年から来年にかけて、月産何百万枚の液晶というものができるわけです。そうするとですね、まあシャープのものだけでも、月に500万枚も液晶を使わなきゃいけなくなるわけですよね。

 でも、そんなに使い道ないんですよ。だから、みなさんがいま買おうとしている新しい電話機とかに、全部液晶がついてるのはこれですね。とにかく液晶の使い道をさがそうとして、みんな必死なんです。カーナビゲーションシステムとかの宣伝に熱心なのも、これのせいです。何か使い道をさがさなきゃいけない。

 で、大林建設が考えたのが、高層ビルの壁面を全部、カラー液晶にしちゃいましょう、というものです。壁を全部テレビにしちゃって、そこに自然とかを映して、都会人が失った心のオアシスを再現しましょう、と。

 お昼になったらですね、なんか高層ビル全面に「思いっきりテレビ」とかがオンエアされるわけです。……そういう未来、やだなあと思いますね。

デパートのバーチャルリアリティーというのは、なんかものすごいですね。でっかい宝石箱を開けて指輪型のジョイスティックを操作するというのには、何ともいいようのない破壊力を感じさせられました。

 それと、必要だからつくるんじゃなくて、つくっちゃったから使い道をさがすという液晶の話も、バランスの崩れ方がマルチメディアっぽくて、いいですよね。

 さて、官庁、産業界、ときましたが、あとは個人ということになるんでしょうか。いま、ひとりひとりの人間のまわりで起こっている、マルチメディア関係のヘンな話、というとどんなことがあるんでしょうか。

やっぱり個人となると、パソコンの問題ですよね。パソコンで何が問題なのかというと、最大の問題点は「パソコンで生産性は上がるのか」というものです。

 これ、ソースを忘れちゃったので、あんまりはっきりした数字はいえないんですが、アメリカで、あれは何省だったかが調べたことなんですが、パソコンを導入したことによってだいたいアメリカ人のビジネスの生産性はどれくらい上がったか、という調査です。確かその結果は、98〜104%の間だったと思います。つまり98%というのは、下がっちゃってるってことですよね。104%は、4%上がったと。

 そこに書いてあった主な理由が、たとえば、ボールペンというものを使うのには、買ってきたらいきなり書けばいいと。で、壊れりゃ次のを買えばいいと。とにかく、ボールペンというのは買ったらすぐ使えるものなんだというわけです。ボールペンにはマニュア

ルもなければ、『ボールペンファン』とかですね、『月刊ボールペン』というような雑誌もないわけですよ。(笑)

 ところがパソコンってそういうわけにはいかないんです。どんどんマニュアルは分厚くなる。で、毎月4冊も5冊も専門誌を購読しなくてはいけない。

 俺もこの春、自分で新しいマッキントッシュを入れたんですけども、俺のやつも買ったらすぐに古くなるわけですよね。最新のコンピューター環境を維持しようと思ったら、どんどん買い換えないといけないわけです。それで、前にアスキーの人と話したときに、どのくらいお金をかければ常に最新のコンピューターをも

っていられるのかときいたら、「普通の人がやろうと思ったら年間200万円いる」というんですよ。

 で、マルチメディアによって、バーチャルリアリティーだ、インターネットでモザイク使って画像に直接アクセスだ、というのは、そんなようなマシンを使うという前提なんですね。じゃあ、これから何十年も、毎年200万出す根性のある日本人が、はたして何人いるのかという問題ですね。

 そして、それによって生産性は上がるのかというと、もうご存じのとおり、マニュアルを全部読み切らないうちに次のマシンを買うというのが、いまのコンピューターの業界ですよね。だから、はたしてこれで生産性は上がるのかどうか、日本でも疑問ですよね。

 それと、パソコンというのは、まあ毎年ではなくとも2年に1回は買い換えるものだと考えると、いまいろんなとこに出てるパソコン普及率という数字のウソがわかります。「国民機のPC-98というのはすでに200万台売れて……」とか、いろいろ書かれてますが、累計で200万台売れようが、それは40万人が2年に1回買い換えたのが5年間続いたというだけのことなんですよ。「累計で何百万台売れた」というと、「国民の何人に1人はもっている」というふうにみえちゃうわけですね。だから、「これからマルチメディア時代がくる」と。例の「123兆円」とかいう数字も、ここからきてるわけで、やっぱり注意が必要ですよね。

 

5.これがマルチメディアだ!

 ここまでの話でもわかるように、マルチメディアという言葉と一緒に、官庁から産業界、個人にいたるさまざまなところで混乱がおきているわけです。よくわからないけど、とにかく何かしようという雰囲気におされて、冷静に考えればそれってヘンじゃないのといいたくなるようなことにガンガン予算をつけちゃったり、ということにもなっているんですね。

 ですから、このあたりでちょっと落ち着いて、現在あるソフトがマルチメディアの進歩とともにどう変わっていきそうなのか、という視点で、マルチメディアというものに迫ってみたいと思います。

最初に、現にいまの世の中でソフトを作り出している業界にはどんなものがあるのかというと、「出版」「映像」「コンピューター」「放送」という、この4つになります。マルチメディアっていうと、すぐに「通信」っていうふうにいわれているんですけど、僕が「通信」をここに入れてないのは、「通信」というのは状態を作り出しているだけであって、ソフトを作ってはいないからです。

 これはよくいわれていることですけれども、マルチメディア社会では、これまでの「出版」とか「映像」といったものの境界がなくなるとか、そういったものが融合したソフトが作られる、という話があります。

 「出版」と「映像」とが重なると、映像モノを出版の流通で売るような「パッケージビデオ」になります。「映像」と「コンピューター」が合体すると、「デジタルエディション」ですね、つまり「電子的編集」、一度フィルムやビデオで撮った映像を全部ハードディスクに入れちゃって、コンピューターで処理するわけです。「放送」と「コンピューター」の融合、これはパソコン通信というか、ネットみたいなものです。「放送」と「出版」というのは、これは10年くらい前からいってる「メディアミックス」というやつです。

 それぞれのソフト業界が融合するようなかたちで進化していく、という考え方なんですが、実はここでいちばん見落とせないことは、それぞれが全部コンピューターがらみだということです。業界間の融合ということの裏側には、ソフトのデジタル化の進行がカギになっているんですね。これを追っかけていくことで、マルチメディアの将来というのがみえてくるのではないか。

ということは、それぞれのソフト業界が融合するとどんなソフトが生まれるのか、と考えるのではなくて、それぞれのソフト業界がデジタル化の進行にあわせてどう変わっていくのか、ということを考えてみるんですね。これって、似てるようで違いますよね。でも実際の現場のことを想像すれば、「いやあ、これからはマルチメディアですから、一緒に仕事しましょう」なんて感じで、出版社の人とテレビ局の人がチームを組んで仕事するというのは考えにくい。実際はたぶんそうじゃなくて、出版社の人がコンピューターを使って仕事をしているうちに、「けっこう手軽に映像も扱えるようになってきたから、映像もからめたソフトを作ろうか」といった具合で、なんとなく融合が進んでいくように思えます。

 「出版」と「映像」がくっついたらどうなるか、ではなくて、デジタル化が進行したら「出版」はどう変わるか、「映像」はどう変わるか、という視点の方が、わかりやすそうですよね。

そういうことです。ですから、「出版」「放送」「映像」のソフトが、デジタル化の進行にともなってどう変化していきそうなのか、というふうに考えてみることにしました。で、それを図にしてみたのが、これです。

まず、出版です。本やマンガといったものが、いまはDTP、デスクトップ・パブリッシングという、つまり書かれた文書や画像を全部コンピューターのなかに入れて編集するという方法で作られるようになってきています。

 で、それらを運用するプラットホームとしてあるのが、CD-ROMです。いまマルチメディアに関していろいろな本が出てますけれども、それらの多くがCD-ROMというのをおまけにつけているというのは、出版業界にとってのデジタル化ですね。そしてデジタル化の先にあるものとして、「パーソナル・ブック」というものが考えられます。

 CD-ROMっていうのは、まだデータが前の方から順番に並んでいる状態です。読み方もある程度自由になるとはいえ、例えば読んでいる最中で「こいつが主人公になって話が進んだらいいのになあ」というようにはなっていません。パーソナル・ブックというのは、要するにそういうことができるものです。

 まあ簡単にいえば、プログラミングがいつの間にかできちゃうわけです。画面に向かって本というかマンガみたいなものを読んでいるつもりが、それが実はプログラミングであって、そのプログラムの結果のソフトを自分で見ることができる。そういうパーソナル・ブックまでできるんじゃないか。

 次は、放送です。ここは、通信も含めた方がいいかと思うんですが、テレビとか電話とかの未来ですね。いまのところは、「パソコン通信」や「ビデオ・オン・デマンド」というかたちがあげられます。

 その次の段階で考えられるのは、「バーチャル・リアリティ・ネット」みたいなものです。つまり、映像を通信して、そこで自分が何かをすることによって、その内容が変化していくというものです。これは、ビデオ・オン・デマンドという豊富な映像情報と、パソコン通信が合体するだけで、ほぼ環境は整うはずです。これが、放送通信業界を巻き込んでいる、デジタル化です。

 この先にあるものっていうと、もういきなり、ブルース・スターリングとかが書いているSFの世界になっちゃうんですけど、それにしてもバーチャル・リアリティ・ネットというのを極端にカルカチュアライズしたものがいえるだけであって、この先が何かということはいえません。

 それから、映像ですね。映像、映画といったもののデジタル化が現在どうなっているかというと、CGを豊富に使っているとか、編集がデジタル編集であるというようなことです。

 その次におそらく出てくるのは、映画の素材というのを全部CD-ROMのなかに押し込んじゃって、「自分で好きなように編集してください」というものですね。

 次の段階になると、「インタラクティブ・ムービー」ですね。さっきもちょっと話しましたが、これの開発がうまくいっていない、めちゃくちゃ大変だというのは、映画を作った人間だから、俺、検討がつくんです。

 ただ一つのお話を作るのがあんなに大変なのに、見る人ごとに、途中も変われば結論も変わって、おまけに見る人は全員感動させなくちゃいけないというですね、そんなに恐ろしいもの人間に作れるの?っていう。

 ただ、こんなにまあ、なんかみんなが開発したいからには、人間の想像力というのはすさまじいもんですから、なんか抜け道があってやれるんでしょう。

出版、放送、映像というものがデジタル化の進行でどう変わっていくのか、というお話でしたが、図の中の「過去」「現在」「近未来」には具体例が書いてあるんですが、その先はどれも「?」になっています。それって、どういうことなんでしょうか。

さすがにその先は、もう誰にもわかんないんですよ。俺も、なんかこれに関して「この先どうなんですか」っていわれると、めちゃくちゃ困っちゃいます。

 おそらく、この3つが融合するんでしょうけれども、ひとついえるのはですね、双方向性がすごく高いですね。出版にしても放送にしても映像にしても、自分で作れるようになったり、複雑なものが扱えるようになる。

 たとえば俺だったら、どんどん育っていく娘を、ビデオでおさえておく。それをどんどんハードディスクに入れちゃうわけですね。で、そのときに自分が感じた感想なんかをワープロソフトで打ち込んじゃうと、なんか電子アルバムみたいなものがあって、「静、4才の誕生日にナントカだった」って出てきて、画面の中の娘が俺に向かって笑ってるとかですね。

 こういうものが、今年のシャープの年末の新製品のワープロですでに出てきてまして、あれが動く絵になるのもあと一歩ですよね。

 自分自身でページをめくってると、ページのどの部分に自分が注目するのかというのをコンピューターが読みとって、それをひとつのオリジナル・ソフトにしていく。自分でデータを入れてアルバムみたいなものを作って遊んでることがいつの間にか未知のソフトを作ってることになるという状態まで、あと一歩です。そういうスクリプティングをもつプログラミング言語というのは、すでに開発されています。

 まあしかし、この先どうなるかというのは、すごくわかんないです。で、いちばん最初に戻りますが、マルチメディアが

混乱している原因、「マルチメディアって何なんですか?」っていわれる最大の原因がここです。結局ゴールがわかれば、みんなしゃべれるわけです。

マルチメディアのゴールがわからないから、マルチメディアって何なのかわかりにくい、ということはよくわかったんですが、それで終わりになったのでは、やっぱりムズムズしてしかたないです。このままじゃあ、講義をきいてるみんなも納得いかないというか、スッキリしないですよ。何とかして、このムズムズ感を突破する方法はないんですか。

さすがに私も、これで終わりじゃ済まないと思いまして、こんなことを考えてみました。

 例えばいま、みなさんがタイムスリップして100年前に行っちゃったとします。で、マスメディアっていうのを説明するとします。

 体験してる人間からいえば、マスメディアっていうのは要するに、テレビとか新聞とか週刊誌のことです、ということになりますよね。テレビとか新聞とか週刊誌と、それを作ってる人たちというものがあって、それが業界を作っているというか、あるサークルのなかにあるわけです。その状態のことを、マスメディアという。

 だから、「マスメディアにのる」というのは、テレビや新聞や雑誌の編集者であるとか、その業界での発言者に注目されるということがまずあって、その結果としてマスメディアに登場するわけです。全部、そこにいる現場の人間たちにどう思われるのかということなんです。

 で、問題は、マルチメディアに関してです。「マルチメディアって何なんですか」という質問にどう答えるのか。

 100年後の人たちが来たら答えてくれるんでしょうけど、僕にいまいえるのは、おそらく100年前の人たちがマスメディアとは何かということを答えにくかったのと同じ状況に、私たちはおかれているのだということ。つまり、未来のマルチメディアという状態の現場にいる人たちが、どんな人なのかわからないのがポイントなんです。

 で、さっき僕が、マルチメディア関係者の分類図というかたちで、それぞれの人種というのにこだわった理由はそこです。

 最終的に、どういう人たちがマルチメディアという状態のなかで中心になっているのか。つまり、ある言葉の定義というのではなくて、人の定義ではないかというふうに思うんです。

 マスメディアというのを僕たちが考えるときには、明らかに「マスメディアの人たち」と考えてて、マスメディアに実体がないのと同じです。未来の「マルチメディアの人たち」がどんな人たちなのか、どんな価値観をもっているのか。「技術」でも「ソフト」でもなく、「人の価値観」がどう変化していくのかを考えることが、マルチメディアを理解するための最大のポイントなのです。

 

【参考文献】

週刊朝日百科「世界の歴史」第26巻「余暇と労働」、朝日新聞社

Art EXPRESS「思想としての遊園地」

「Building a Dream」BETH DUNLOP,Abrams社

「WALT DISNEY WORLD The FirstDecade」

「CONEY ISLAND」RICHARD SNOW, BrightwatersPress社

「ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯」ボブ・トマス、講談社

「テーマパークの秘密」伊藤正 、日本経済新聞社

「東京ディズニーランド 脅威の経営マジック」小宮和行、講談社

「新ゲームデザイン」田尻智、エニックス

「マルチ・エンターテイメント・ビジネス」根本祐二、ダイヤモンド社

「シナリオハンドブック」大木英吉他、ダヴィッド社


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