『オタク学入門』
世界中で今、オタクは増殖しつつある。
一般人だけではない。現在、世界を舞台に活躍するメジャー・クリエイターにも、オタクがたくさんいる。彼らは自分の作品にそっとオタクアイテムを忍ばせ、世界のオタクに連帯の挨拶を送っている。挨拶を受け取ったオタクは、相手がどれほどのオタクかをすぐに見抜く。そんな厳しいオタク度チェックに合格した本物のオタク、有名人をちょっと紹介しよう。
日本人も負けてはいない。
たとえば文学を考えてみよう。
ガンダムがビームサーベルを抜いてザクに切りかかったとき、僕らオタクたちはみんな叫んだ。
パクリの歴史はいろいろあるけど、初心者にも判りやすいようにまず『スターウォーズ』から始めてみよう。もちろん、『スターウォーズ』以前だってパクリの歴史は脈々と続いてきた。が、『スターウォーズ』はその後の映像、特にSF系の映像をすっかり変えてしまったエポックメーキング的作品なのだ。
今度はこの宇宙刑事シリーズをハリウッドがパクった。
こうして『スターウォーズ』から『ガンダム』へ、「宇宙刑事」から『ロボコップ』へ、「戦隊シリーズ」から『プレデター』へと、日米のパクリ合戦は熾烈な仁義なき戦いを繰り広げている。
日本が世界に誇るアニメ作家の宮崎駿もパクリの名手だ。
こうとらえると、いかに文化というものがパクリの上になり立っているかがわかる。むしろ、パクリによってこそ文化は互いに刺激しあい、より進化するのだろう。パクリこそが、創作のあるべき形、原点と言える。
日本の戦隊ものが『パワーレンジャー』という名でアメリカのテレビで放映されていることは、最近やたら話題になっている。しかも、人間が登場するシーンはまるまる撮り直しで、ストーリーも全然違うお話になっている。つまり、5人の戦士が変身してからのシーンと、ロボットや悪者のシーンのみを適当につぎはぎして新しく撮った人間の実写部分と組み合わせて米国番組『パワーレンジャー』を制作しているのだ。
少し話が横道にそれてしまったが、日米のパクリ合戦の凄まじさの一端はわかってもらえたと思う。
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オタクの世界性
-1 世界のオタクを探せ!
-2 パクリを探せ!
●世界オタク事情
たとえば、インターネットを覗いてみるといい。そこはさながらコミケと化していることはすでに述べた。フランスのホームページで、カタカナで「オタク」と書かれた、決して上手ではない文字を見ると、あの文化的中華思想丸出しの高慢なフランス人がと、そのけなげさに胸が熱くなる。
この背景には、アメリカはもちろん、東南アジアでもヨーロッパでも日本のアニメやマンガのファンが急増している事情がある。しかもその中から、立派にオタクの進化論を経て、20代30代の一流のオタクがどんどん誕生している。
95年の秋に、僕が行った米国ペンシルバニアで行われたイベントには、アメリカ各地からはせ参じた大勢のオタク達が集っていた。その名も『オタコン』。オタクコンベンションの略だ。
そこに来ているオタク達は日本のアニメ・マンガを見てファンになった人たちばかりだ。彼らは日本のアニメキャラ、たとえばキャプテンハーロックやダーティペア、ルパン3世に憧れている。彼らの親たちがスーパーマンやコンバットのサンダース軍曹に憧れたように、小さい頃から見聞きしていたという由緒正しい憧れ方だ。
オタコンだけではない。どんな地方でも大都市と呼べるような都市では、必ず日本のアニメなどのイベントが行われている。おまけにそこにいけば、必ずデスラー総統のコスプレやキャプテンハーロックのコスプレにお目にかかれる。いったいアメリカ全土で、何百人のデスラーがいるんだろうと思うほどだ。
彼らは日本のアニメをきっかけに、マンガや特撮など日本のオタク文化を理解しようと、言葉の壁や国民性の壁を情熱でカバーしてがんばっている。その中でもより努力しているオタク達ほど「日本に生まれたかった、日本人になりたい」という。
もちろん「神秘の東洋」に対する憧れもあるだろう。
が、それだけではない。彼らはアニメの中で描かれている、日本の普通の生活にあこがれているのだ。一昔前、僕たちが『奥様は魔女』や『チャーリーズ・エンジェル』を見て、アメリカの豊かな生活にあこがれたのと同じような現象が起こっているわけだ。
この現象はアメリカだけでなく、ヨーロッパ各地でも東南アジアでも着実に膨らみつつある。
たとえばフランス。
10年ほど前、『UFOロボ・グレンダイザー』が『ゴルドラック』というタイトルで放映され、視聴率がなんと100%を記録した。100%なんていう視聴率があり得るとは僕も思わなかった。
現在でも『キャンディキャンディ』や『ドラゴンボールZ』が80%〜90%という超高視聴率をとっている。フランス文化庁はこの事態を「日本の文化侵略」と判断して、日本アニメの放映時間に制限を設けることを決定した。ディズニーより過激な文化侵略、と判断したわけだ。
日本のアニメグッズ専門店もパリでオープンし大人気だ。毎週金曜は日本から船便が届くので、パリっ子オタクたちが行列を作っている。パリで行列してるのは、ブランド店の日本人観光客だけだと言われてきたが、そこにアニメショップのパリっ子オタクたちも加わったわけだ。何か愉快だ。
アジア圏ではオタク文化の影響は絶大だ。マルコス政権下のフィリピンで『超電磁マシーン・ボルテスV』が放映され、視聴率50%を超える大ヒットになった。しかし「暴力的だ」「日本の軍国主義の宣伝だ」といった批判が続出、マルコス大統領じきじきの命令で放映が中止された。これは後にNHKスペシャルでも取り上げられた大事件だ。
しかし僕の読みはNHKと少し違う。実は放映中止された後あたりから『ボルテスV』は、当時のフィリピンでは放映できないような「独裁軍事政権を倒して、市民革命を成功させる」というクライマックスに入るのだ。そのあたりが真相じゃないのかなぁ。
また、上海でもすごい。新しくできたヤオハンデパートで開店記念イベントとしてウルトラマンショーを企画した。すると、3000人しか入れない野外劇場に15万人が押し掛け、やむなくショーは中止になったそうだ。が、この事件の後ヤオハンは東南アジアや中国に新しく支店を作るときは、必ず野外劇場をつけてウルトラマンショーなどのアトラクションをする決定を下した。
内乱がおさまらないカンボジアでも、アニメ『装甲騎兵ボトムズ』が放映され大人気だ。ボトムズ放映の時間になると家から子供たちが戦火を避けながら電気屋の店前まで走ってきて、食い入るように見ていくそうだ。終わると、その後続いて放映されている『東京ラブストーリー』には見向きをせずに帰っていく。何しろ、少しでも早く帰らないと命が危ないからだ。
放映されているのが『装甲騎兵ボトムズ』というのも何とも言えない。
ボトムズの設定はこうだ。超未来の話、500年も続いた宇宙戦争が終わったばかりで、まだあちこちで内乱が起きている時代である。戦争で戦っていたロボット乗りたちが職にあぶれ、街中で戦いを見せてその日の食い扶持を稼いでいる。
「彼らロボット乗りたちは最低の人間、『ボトムズ』と呼ばれていた」
この台詞で始まるのがボトムズだ。
ちょっとのけぞるほど殺伐として、暗い設定である。日本ではガンダム放映後、リアル派ロボットアニメブーム最高潮の時に放映された。さすがに殺伐としすぎていて大人気は出なかった。これを、内戦の続くカンボジアの子供たちが熱心に見ている。リアルなんだろうか?平和な日本で作られたとは知らないで見ているんだろうが、世界のおもしろさをかみしめてしまう話だ。
オタクの波は、今や地球の裏側にまで届きつつある。
今現在、「オタク天国」と言えばメキシコだ。毎日のようにTVで『ハクション大魔王』『ガッチャマン』『ドミニオン』『キャッ盗忍伝てやんでえ」『未来少年コナン』の再放送を繰り返しているので、メキシコの子供はもう、日本のアニメ漬けだ。
その他、『大場久美子のコメットさん』も超人気で、メキシコ少年の夜のオカズになってるという。去年あたりから宇宙刑事シリーズもブームになった。
しかし、これを見て「日本が文化的に世界をリード」とか「いよいよ日本も世界のお手本に」などと考えるのは早トチリだ。最近のマスコミでの「ジャパニメーション特集」などはそんな決め付けがあるけど。
評価されているのは、いわゆる「日本文化」ではなく、「オタク文化」である。そして何故、オタク文化が評価されるようになってきたかというと、当たり前のことだが世界中でオタクが増えてきたからだ。
かつて世界中にアメリカ製ホームドラマが配給されることによって、あらゆる国の若者がアメリカに憧れた。その生活や文化だけではなく、英語そのものまで「かっこいい」ものとして受け入れられたのだ。それと同じく、20年以上も前から、あの優秀な日本製子供番組(つまりオタク番組)を見続けてる世界中の若者たちは、当然オタクになるに決まっている。
僕がアメリカで出会ったオタクたちの中で、「手作りの英和辞典」を持っている者が多いのに驚いた。今や、日本語(特にカタカナの人気が高い)自体もかっこいいものとして評価されつつある。
●ブルース・ウィリスを辟易させたタランティーノのオタク話
まずはマイケル・ジャクソン。もちろん誰もが知ってるロボットみたいにダンスの上手な、あのマイケル・ジャクソンのことだ。
彼は一部オタクにのみ熱狂的人気を誇るアニメ、『闘え!超ロボット生命体・トランスフォーマー』の大ファン。彼の「僕もトランスフォーマーになりたあい!」という熱い思いは、初主演映画『ムーンウォーカー』で見事に成就した。なんと、マイケル・ジャクソンは巨大ロボットに変身し、あまつさえラストで宇宙船に変形して宇宙へ飛んでいってしまうのだ。
彼のオタク度、ワガママぶりには伝説がある。マイケルの邸宅地下にはディズニーランドのアトラクション『カリブ海の海賊』がまるまる同じように作られているという。あんなもの毎日見てどうする?おまけにそこまで行くのは特注のケーブルカーに乗るのだ。丘の上に建っている彼の屋敷から少し下の別宅までケーブルカーで移動できるようになっている。正確には屋敷のラウンジが部屋ごと移動するというすごいものだ。で、これで移動して地下にあるカリブの海賊に乗ったりするわけだ。屋敷まるごと夢とおとぎの国って感じだ。
また、彼はこの前来日したとき、原宿のキディランドを借り切って超合金系ロボ玩具を片っ端から買いまくったし、ホテルにはアニメのキャラクター・デザイナーいのまたむつみ氏を呼びつけ、アニメキャラとしてデザインしたマイケルジャクソンを描かせた。
先日のジャネットとのMTVで使ったアニメも『アキラ』みたいにフツーのアニメではなくて、『紅い光弾ジリオン』と『新バビル2世』という超マニアックなアニメ。世界中のオタクに「さすが」と言わせた。
おそるべし、オタクの王様マイケル・ジャクソン。
お次はマシュー・スイートっていう日本でも名の知れたミュージシャン。
彼は大変なオタクである。腕の「ラムちゃんの入れ墨」を見せびらかしながら、日本の音楽雑誌のインタビューに答えたことは結構有名。
その彼にも売れなくて不遇な時代があった。普通はドラッグに手を出すがマシューは超貧乏。そこでアニメにハマって毎日喰い入るように見たおかげで、初ヒット『ガールフレンド』が全米チャート1位になったときには、もう取り返しのつかないほどのオタクになってしまっていた。
MTVの映像に「劇場版コブラ」を使うは、ラムちゃんは使うは、日本ツアーで高橋留美子に会ってビンテージギターにラムちゃん描いてもらって大喜びするは、大タワケぶりを見せてくれた。さすがにレコード会社のトップが呆れて「もう絶対にMTVでアニメは使うな!」と厳命される。
すると次のMTVの映像は、格好いい自宅のリビングで歌うマシューの映像。しかしカメラが不自然なパンをすると、そこには高橋留美子のサインや『アウトランダーズ』のコミックが!ギンギンのオープンカーに乗り込み、エンジンをかけるマシューの映像。しかしキーホルダーがアップになると、ラムちゃんの人形が!
まるで中学生である。
クェンティン・タランティーノもホンモノのオタクだ。わざわざパリで『ジャングル大帝』のLD買って、パルプフィクションの撮影中にはブルース・ウィリス相手に「知ってるか?フランス語版のジャングル大帝では、レオは『ボンジュール、パパ』なんていうんだぜ」というオタク話を毎日して嫌がられた。
夕張映画祭の時もカラオケでアニソンを熱唱して周りの真面目な映画ファンを困らせたという。
カルトなアーティスト、フランク・ザッパ(彼のアルバムにはジャケットに四脚形態の東宝怪獣・ヘドラが描いてある)は次男にRodan(ラドン)って名前をつけた。
DEVOのリーダー、マークは日本の怪獣マニア。海賊版のライブには『サンダ対ガイラ』でガイラに食われる女性歌手が歌っていた唄のカヴァーが入っている。これは映画館で本人がテレコに録音してコピーしたものだ。
●『アニメージュ』を読むサーヤさま
あんがい知られていないのが紀宮(サーヤ)さま。アニメージュを定期購読し、中学・高校時代には学習院付属のアニメ研だかマン研だかに入っていた。ことに『風の谷のナウシカ』等の宮崎アニメがお好きだそうで、『魔女の宅急便』ではわざわざ専用の試写会が開かれたほどだ。美少年がわんさか登場するアニメ『サムライトルーパー』の同人誌も作られたそうだ。見たいなぁ。
お兄ちゃんの浩宮さまは、初めてのお小遣いで買ったのが大伴昌司の『怪獣図鑑』。けっこうスジガネ入りだ。
その他にもマンガ研究会の部長で同人誌まで出していた斉藤由貴とか、TVで濃い話をボロボロしてしまう西村知美とか芸能界にもオタクは多い。
最近になって、こうしたオタクの世界性が日本でも紹介され、オタクは侮れないという論調が、少しずつマスコミに取り上げられてきた。国内ではキワモノとして扱われていたものが、海外の評価を経て、改めて日本で認知されるというのは、浮世絵の昔からあったことだが、オタクもその経路をとりつつある。ただ、オタクの世界性の底力はそれだけではとどまらない。
これについては、次項で述べてみる。
●ハリウッド対日本オタク業界
古くは、夏目漱石がフォークナーに影響を受けて、小説を書いた。新しいところでは、村上春樹がフィッツジェラルドやカート・ボネガットに影響を受けた。
しかし、その逆があっただろうか。夏目漱石に触発されて小説を書いたアメリカ人を、僕は寡聞にして知らない。まして、村上春樹に影響を受けたヨーロッパ文学者にいたっては、僕がこれを知らないのは、寡聞のせいではないと断言できる。
ところが、日本のオタク文化は、ハリウッドを相手に、パクりパクられつつのデッドヒートを繰り広げてきた。ここでは、そうした日本オタク貿易摩擦について触れてみたい。
●ビームサーベルのルーツ
「こりゃ『スターウォーズ』のライトセーバーだ!」
落ちついてからも、僕らはいろいろ考える。
「ガンダムの制作開始は1978年後半、時代的に見ても、明らかにSW1(『スターウォーズ』1作目の略号)の影響を受けている。おっ、今月のアニメージュで富野監督がそれっぽいこと言ってるぞ。ふんふん、なるほど」
オタクたちはこういう作品の見方をすることは前章で述べた。作品単体を見て面白かった、つまらなかったというだけでは決して終わらない。
高性能レファレンス能力をフルに稼働することで見抜く、「パクリ」という視点を導入すると、オタクたちがアニメや映画をどう見ているかの一つの側面が見えてくる。
サル真似といわれる日本人だから、アメリカ映画をパクるのも当然だろう、と考えたりするのは大間違いだ。実はハリウッドが日本のアニメや特撮をパクることも珍しくない。むしろ、そっちの方が大胆なパクリ方をする。
『ライオンキング』や『ウォーターワールド』もその一例だ。
そんな「パクリの証拠」を見つけて楽しむには、過去の作品に関して膨大なディティールの知識が必要である。
たとえば宇宙船一つとってみても宇宙船のデザイン、飛び方、武器のデザイン、着陸の仕方、エア・ロックの開き方、方向転換のタイミング、噴射ノズルの色合いETC。それぞれが似ていたり斬新だったりパクリだったり。
クリエイター同士は互いにその微妙な差に名誉をかけて発表しあっているし、オタクたちもそこのところを心得て楽しんでいる。
ここでは、今までこっそりオタク同士の間だけで語られ楽しまれてきた「通人の会話」を再現してみることで、日米パクり合戦の全貌を掴んでみよう。
●『スターウォーズ』ショック
『スターウォーズ』は偉大だった。何しろ、日本人でもたいていの人が知っている。あんな奇想天外なスペースオペラだと言うのに、ごくノーマルな人々に、オタク体験をさせた、という点ではヤマトやガンダムを押さえてオタク貢献度一番だ。POPEYEをはじめとして当時の若者雑誌も『スターウォーズ』特集で溢れ、新たなオタクたちをたくさん生み出した。
後のオタク界の作品群への影響も計り知れない。いわゆる『スターウォーズ』ショックというやつである。『スターウォーズ』以後、日本のオタク界は『スターウォーズ』の影響から逃れられなくなった。というより積極的にお手本にした、という方が正確だ。
東宝の『惑星大戦争』、東映の『宇宙からのメッセージ』といった『スターウォーズ』公開前に間に合わせて、急遽でっち上げた特撮映画や、円谷プロの『スターウルフ』などの特撮TVシリーズなどが放映され、アニメや特撮番組なんかにも『スターウォーズ』っぽいシーンが続出した。さっきのライトセーバーもそのひとつだ。
もちろん『スターウォーズ』を見て剣を光らせたのはガンダムだけじゃない。『宇宙刑事ギャバン』も『宇宙刑事シャリバン』も『宇宙刑事シャイダー』も、その後の光る剣のSFチャンバラは東映の宇宙刑事シリーズで次々と取り入れられた。もうだれもパクリとは思わなくなった。むしろ、剣が出れば光るのがお約束というカンジだ。
東映・宇宙刑事シリーズの「光る剣」はライトセーバーより遥かにかっこよかった。その名も「レーザーブレード」。決めポーズ時の背景処理、巨大な夕日をバックにしたライティング。抽象化が得意な日本人らしいセンスで、レーザーブレードのかっこよさはスターウォーズやガンダムと違う方向へ進化した。
●宇宙刑事シリーズをパクった『ロボコップ』
『ロボコップ』だ。
ロボットが警官になったという設定程度の問題ではない。ロボコップのデザインが歴代宇宙刑事まんまなのだ。来年の宇宙刑事はこれです、と「たのしい幼稚園」にロボコップの写真が載っても、日本全国の良い子たちやオタクたちは誰も驚かないだろう。
もちろんアメリカらしいリアリティの香りはあった。たとえば口から顎にかけてマスクがなく、生身の顔がむき出しになっている。抽象化が好きで、能や浄瑠璃の文化をどこかに残している日本人のセンスではない。(『星雲仮面マシンマン』やライダーマンという例外もあるが、あまりにオタク的な指摘なのでここでは触れない)
が、リアリティを重んじ、アニメーションでもリップシンクロ(セリフと唇の動きを一致させること)にこだわるアメリカでは、逆に口の動きが見えることは重要なのだろう。そういう事情がなかったら、まるまる同じにしたのではなかろうかと疑ってしまうほど、デザインは似ている。そのうえ、ロボット警官という設定である。今度は、宇宙刑事シリーズを見たことがあるオタク野郎たちは声をそろえて、「アメリカ人のパクリは凄い」
と叫んだ。
しかしそんなパクリ映画『ロボコップ』はご存じの通り、日本でも大ヒットした。そのヒットによって、東映の宇宙刑事シリーズはメタルヒーローものに昇華され、『機動警察ジバン』が始まった。これがもう、誰がどう見てもロボコップのパクリ。
.一度死んだ(死にかけた)警官をロボット化して蘇らせるという設定、視界にインサートされるセンサーによる映像、右太股に銃を装着、というあまりに「まんま」なドラマはオタクたちを呆れさせた。
宇宙刑事シリーズで始まったメタルヒーローものは、日本のテレビ特撮界のもう一つの大きなシリーズ・戦隊ものと常に影響を与えあいながら進化していった。メタルヒーローものが主に等身大の一人のヒーローというイメージが強く、仮面ライダーの孤独の美意識を残しているのに対し、戦隊ものは5人くらいのチームで、巨大ロボットが登場する、という点でチームワークものの美意識を追求した作品である。
この戦隊ものの一つ、『電撃戦隊チェンジマン』の宇宙海賊ブーバのデザインがパクられてA・シュワルツネッガー主演の『プレデター』になった、ということはデザイナーのスティーヴ・ウォン自身、認めてる。
その戦隊ものをフィリピン人がパクって作ったのが『バイオキッズ』、メタルヒーローを韓国人がパクったのが『ファイティングマン』。その他、香港や中国でも日本のヒーローものやアニメをパクった作品を作っている。
『パワーレンジャー』をアメリカ人自らがパクって『タトゥード・ティーンエイジ・エーリアン・ファイター・フロム・ビバリーヒルズ(あえて訳せば「ビバリーヒルから来たイレズミ高校生エーリアン」)』という番組も最近作られたそうだ。
●オビワン・ケノビは三船敏郎
が、最初に言ったように、パクリ合戦はスターウォーズがオリジナルと言うわけではない。そのスターウォーズでも、実は監督のルーカス自身「スターウォーズは宇宙を舞台とした時代劇にしたかった」と語っている。「ケノビは黒帯、ジェダイの騎士のジェダイは時代劇の時代(ジダイ)から来ている」と言ったことは、ちょっとしたオタクなら誰でも知っている。
それだけではない。スターウォーズのプロットは、黒澤明の『隠し砦の三悪人』とそっくりだ。まず悪者の基地から脱出するのっぽとちびのコンビ。そして二人の珍道中にお姫さまやならず者が加わって、クライマックスでは主人公のライバルが助けに来ると言うところまで、舞台をそのままスペースオペラにしただけでスターウォーズができてしまう。そう思ってみると、まるでパロディ作品を見るようだ。
老賢者オビワン・ケノビもその三船敏郎のイメージだ。監督のジョージ・ルーカス自身、三船に出演依頼したが断られたと語っている。
スターウォーズのお手本のメインとなった黒澤明映画だが、彼の作品ほどアメリカで激しくパクられたものはない、というのは年配の映画ファンには有名な話。
『用心棒』は『荒野の用心棒』に、『七人の侍』は『荒野の七人』に、チャンバラからウエスタンに衣替えしただけの作品がアメリカで大ヒットした。見事にまるまるパクリである。
それなら黒澤明が全てのオリジナルかというと、もちろんそうではない。彼もまた、過去の作品のいいとこ取りが大の得意だった。
黒沢の『用心棒』をパクったと言われた『荒野の用心棒』監督のセルジオ・レオーネも、「あの映画だってハメットの『血の収穫』のパクリじゃないか!」 と反論している。
●宮崎駿の恐るべきパクリ芸
名作との評判も高い『さらば愛しきルパン』のロボット兵・ラムダの銀行襲撃シーンは、戦前の米国アニメの『スーパーマン』(監督はデイブ・フライシャー、つまりディズニー映画『海底2万マイル』の監督リチャード・フライシャーの父ちゃんだ)とまるっきり同じ。
ロボットのデザインと動きはもちろんのこと、カット割から画面の色調まで何から何まで同じ。その宮崎駿のラムダを、米国ワーナーアニメーションのケビン・アルテリという監督が、自分の演出作でバンバンとパクりまくって、しまいには上司から怒られた。
●文化はパクリから生まれる
文豪アレキサンドル・デュマが、盗作の疑惑をかけられた時に、「確かに盗作したが、俺の方が面白い」と開き直ったという。まさにその通り。
また、あまり知られていないことだが、科学の本質はパクリだ。
今まで発表された様々な理論や研究を組み合わせ、その上にほんのちょっぴりのオリジナリティを振りかける。まったくゼロから科学理論を組み立てようとするのは、宇宙のブラザーからチャネリングで教えて貰ってる人達だけだ。だから学術論文は、参考文献や「○○の論文によると〜」という引用だらけになる。
もちろん他人の研究を盗むのは罪になる。未発表、又はマイナーな論文を盗用したりすると、大変なことになる。しかし自分のアイデア(テーマ)を証明するために、他人の論文を使うことは「引用」であり、正当な学術発表なのだ。
僕はこうした文化のパクリ合戦、影響の軌跡を「イタダキ・シルクロード」と命名した。
その昔、文化は人やモノに付随して、船やラクダに乗って運ばれた。が、今や文化単体で目に見えない道を通ってあっと言う間に世界中に運ばれる。それでも、そこには明らかにパクリの軌跡が残されている。それをオンタイムで、あるいは過去をひもといて推察するのは、コツさえわかればゾクゾクするほど楽しいゲームだ。
時の流れにそって技術の進歩、流行の移り変わり、クリエイターの気負いや好み、業界事情など様々な要素を頭の中の仮想空間で組み直して、見えないシルクロードをたどってみる。それは自分が監督やプロデューサーの立場に立ってみるということでもある。
だからオタクたちは「ターミネーター2ではシュワルツネッガーを正義の味方にするのか。ゴジラじゃないのに、キャメロン監督大丈夫かなあ」とか「ほお、宮崎監督、ナウシカの巨神兵は庵野秀明を使ったのか。なかなか着眼点がいいね」とか「確かにマクロスでは美樹本キャラと板野サーカスが冴えてたけど、だからって同じ手でオーガス作ってもダメだよ」とかいっぱしの口をきく。油断していると「俺がプロデューサーならさあ」と言い出す。プロ野球を見ながらビール片手に一席ぶつオヤジ状態だ。
ただ、オヤジは絶対プロ野球選手にならないが、一席ぶってるオタクたちはクリエイターになってしまう人が結構いる。クリエイターとまでいかなくても、編集や制作、営業など周辺を見渡しても業界はオタクだらけ。もちろんみんな一席ぶってる。
作る側、お客という区別意識の薄いのがオタクともいえる。
けれども監督はじめクリエイターたちはのんきに人の話ばかりしてられない。業界内では、いかにヒットしたか、いかに人々を楽しませたか、あるいはいかに良い作品を作ったかよりも、クリエイター固有のオリジナリティが重視される。というよりそれのみがクリエイターの存在価値だという極端な考え方が結構メジャーなのだ。
業界内のクリエイター同士の評価もそうだ。逆にパクリはよくないこと、才能が枯渇した証拠と捉えられる。
アートじゃあるまいし、ほかのと違ってりゃいいってもんでもなかろうにと僕なんかは考えてしまう。だいたい世界のすべてのお話は、聖書の中で47種類のパターンとして出尽くした、といわれている。
では世界中の映画は聖書のパクリだろうか? そんなことを考えても、余り意味はないだろう。
●『パワーレンジャー』のノーテンキなパクリ
途中でフィルムがなくなるとジュウレンジャーからダイレンジャー、カクレンジャーと別のお話のを使う。同じシリーズだから、似てるけどマスクだってロボットだって子どもが見てもどれが何かわかる程度には充分違うのだが気にしない。
もちろん無断で使用しているのではなく、米国サバーン社は日本の東映から権利を買い取ってやっている。
このサバーン社は、タイトルクレジットに日本人の名前を一つも入れなかった。『ジャングル大帝』の明らかなパクリ、『ライオンキング』もディズニー側のスタッフは『ジャングル大帝』とは無関係と表明している。
しかしオタクの目はごまかせない。
「ふーん、サバーンってそんな会社なんだな」
「へーえ、ディズニーって今はこうなっちゃったのか。ヘタに影響を認めると権利問題が大変なんだろうけど、かっこわるいなぁ」
やっぱり見抜かれてしまうのだ。
オタクの見る目は厳しく、容赦がない。
●オタクは国境を越える
さらに、付け加えておくと、ハリウッドがオタク文化を意識するのは、時代の要請と、ビジネス上の戦略がある。
考えてみると、見たことのないものを見たいという視覚の欲望は、常にハリウッドが叶えてきた。そのハリウッドが、映像の時代にもっとも進化した視覚を持つオタクの感性を意識するのは当然だろう。
実際、最近ハリウッドで成功した監督はオタクばっかりだ。
大学時代からSF映画を撮り続け、『スター・ウォーズ』に生涯を賭けるジョージ・ルーカス。中学校のときに空飛ぶ円盤映画を作り、『未知との遭遇』を作ったスティーブン・スビルバーグ。日本のマンガを空輪して読みふけるジェームス・キャメロン。「もう僕は人形アニメしか作らない」と言い出したティム・バートン。
これが「ハリウッドオタク四天王」だ。
しかも、オタクは観客としても最高だ。オタクは視覚を刺激されれぱされるほど、何度でもその作品を繰り返し見る。映画人口が、10分の1に滅ったとしても、オタクが一人10回劇場に足を運んでくれれば、売り上げは変わらないのだから。
また、ハリウッド映画が、国境を越えるのと同じように、オタク文化も国境を越えている。
日本全国に散らばっているオタクたち数百万人の結びつきは、血縁よりも住んでいる地方よりも出身地よりも強い。アメリカのオタクたちも、自分をアメリカ人であるより先に「オタクである」と発言する。オタクたちの忠誠心は国家や民族より、自分の好きなものに向かっている。日本人同士という一体感、アメリカ人である、というアイデンティティより、オタク同士という一体感の方がずっと大切なのだ。
これは別にオタクという一つのグループだけに限ったことではない。ペット好きな人の集団、プロレスファンの集団など、今日本では血縁より、国籍より大切と感じるつながりがあちこちで生まれつつある。A・トフラーの言うところの「二次文化集団の形成」である。日本は単一民族の国、と信じられていながら、その実像は多民族文化国家に移行しつつあるのだ。
多民族文化国家というのは、いくつもの違った文化を持つ民族がそれぞれ共存しあっている国家のことだ。
一昔前、アメリカは「人種の坩堝(メルティングポット)」という言葉で呼ばれていた。けれど現在は、「文化のサラダボール」と表現される。アメリカというボールの中に、ごちゃごちゃといろんな文化が入っているが、決して溶けて混ざったりしないことが何年もかけてわかったのだ。
それと同じ状態が同じ国、同じ日本民族の間にも生まれつつある。日本人であり、同じ家族であり、同じ会社に籍を置く、というシンパシーよりも、お互いにアニメ好きである、同じ趣味であるということの方がより大切に感じるオタク達。
彼らは、ユダヤ民族同様、肉体的・物理的なつながりではなく、精神的・文化的な集合体だ。
オタク民族は、多民族文化国家である日本の中でも今や数百万人という有力民族である。おまけにアメリカ・ヨーロッパ・東南アジアなど世界中を合わせると数千万人は優に越えるだろう。しかもこれからマルチメディア社会、ネットワーク社会が進むにつれ、言語の壁・距離の壁がますます低くなる。
現代ですら、東南アジアでは多くの日本アニメをノーカットで放映している。ヨーロッパでもノーカットで放映され始めている。フランスで現在、放映中の『めぞん一刻』はタイトルこそ『ジュリエット・ジュテーム』に換えられて、ヒロインも「ジュリエット」と改名された。しかしそのヒロインは瓦葺きの家の前を竹ボウキで掃いているのだ。そこまで「そのまんま」の日本文化が流されている。莫大な数の人々が、母国の質の低い子供向けテレビ番組と、日本のアニメやマンガを見比べる機会を得ると、どうなるか?そのとき起きる現象は実証済みだ。つまり、彼らのうちの何人かに一人は必ず日本のアニメやマンガ、ゲームにガーンと来て、すっかりはまってしまい、オタクへの道を歩み始めるという奴だ。
世界はすでに日本の子ども番組で制覇されている。
来るべき未来、アルバート・ゴアの予言した「世界ネットの情報ハイウエイ」は実現化するだろう。しかしそこは既に、アニメ・マンガ・ゲーム・特撮等が合体した「オタク文化」という日本車で予約済みなのだ。