『オタク学入門』1996年5月25日版 ン1996.Toshio Okada
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。 オタクの3つの眼

。-1 『ブレードランナー』をオタクと見る


。-1 『ブレードランナー』をオタクと見る

 

●オタクを体験しよう

 さて、ここまで読んで、オタクに対して興味が湧いただろうか?あるいは、オタク的感性を身につけて、めくるめく視覚体験を自分も味わってみたいという気が起きただろうか?
 もっとビジネスライクに、これからの高度情報資本主義の世の中の落ちこぽれにならないために、一応オタクの基礎だけでも知っておこうと思っただろうか?いずれにしても、ここから先、この本は「オタク文化へのインストラクター」として機能する。
 「アニメとかも見たことあるけど、何が面白いのかさっぱり判らない」
 そういう人は案外多い。安心して欲しい。それで正常なのだ。いきなり歌舞伎座行って3時間座っていても、面白いわけじゃない。能とか狂言を楽しんだりするのには「コツ」や「教養」が必要だ。
 オタク文化もそれと同じ。初心者が最先端のアニメなんか見ても、面白がり方は判らないだろう。でも大丈夫。この本で説明する「コツ」さえのみこめば、誰だってオタク文化をおもしろがれるようになっている。
 オタク文化を理解し、楽しむために「オタクはどういった視点で作品を見ているのか」という具体例で説明しよう。
 実はオタクには、「3つの眼」がある。
 それは、生まれながらに神から授かったものではない。感覚を磨き、知識を蓄え、経験を積み、己を鍛えることによってようやく手に入れたものだ。オタク達はこの「3つの眼」を一杯に見開いて作品を観る。オタク達からすれば、普通の人たちの作品の見方は、目をつぶっているがごとくである。「3つの眼」のどれ一つも、まともに使ってはいない。
 オタク達には、なぜそんなもったいないことが出来るのか理解できない。なぜそんなにぼんやり観ていて退屈しないのか判らない。そんなことは、ごちそうを目の前にして食べもせずだんだん腐っていくのを眺めるように、無意味だ。
 そういうわけで、彼らは普通の人には到底理解できない情熱と気力と努力を傾けて作品を楽しんでいる。
 オタクには「それが面白いか否か」という二段階の集中力切替えがある。何かが面白いと思えば、オタクの集中力は瞬時に全開になる。それがTVであろうがゲームであろうが、立読みしている雑誌であろうが友人との会話であろうが、いつでも最大集中力がスタンバッている。鍛錬の賜だ。これが「オタクとしての眼」を鍛えた。では、オタクたちは、その「眼」を使ってアニメ等をどのように見ているのだろうか?
 ここでは『ブレードランナー』という映画で、この「3つの眼」を説明してみよう。もし時間があれば、『ブレードランナー』をレンタルビデオで借りて、この章を読むと更に判りやすくなるだろう。
 時間がない?じゃ、雰囲気だけでも掴んでくれ。

 

●3つの眼

 『ブレードランナー』は、近未来社会で、人類に作られた人造人間・レプリカントの逃亡を取り締まる刑事の話だ。バリバリのSF設定でオタク達の心をがっちり掴んだこの映画は、オタクの必須科目の一つだ。演劇研究家にとっての『リア王』みたいなものか。お話としても、過去の記憶を持ち得ないレプリカント達の苦悩を描く中で、人間自身の「自分たちはどこから来て、どこへ行くのか」という永遠のテーマを問い直してくる名作だ。
 主役のハリソン・フォードも、あまりセリフがないのがイイ味だしていて儲け役だ。ヒロインのレプリカントを演じたショーン・ヤングも、非人間的と思える美しさを発揮していて実にいい。
 が、そんなのは素人の感想で、一流のオタクなら目をつぶっていても判ることだ。別に言葉のあやではない。一流のオタク達はその程度の情報はとっくにチェックしているので、観る前から知っている。では、オタク達は「3つの眼」で『ブレードランナー』の何を観ているのか、具体的に説明してみよう。

 

●粋(いき)の眼

 まず一つ目は「粋の眼」。
 自分独自の視点で作品中に美を発見し、作者の成長を見守り、楽しむ視点だ。
 『ブレードランナー』の場合は、煙・光・水滴が奏でる美しさの発見。リドリー・スコット監督の作品の場合、映画に登場するシーンの半分以上が煙っていたり光っていたり濡れていたりその全部だったりで、写っているものがよく見えない。それが幻想的な美しさを出したり、よく見えない事による恐怖を掻き立てたり、見たこともないものにリアリティを与えたり、退廃的で都会的な雰囲気を醸し出したり、様々な効果を発揮する。
 例えば『エイリアン』。
 宇宙基地の中はちょっと歩くと常に煙ってそこら中濡れている。非常ベルが鳴ると赤い光が点滅して、とにかくなんだかよく見えない。
 中世ヨーロッパの世界を描いた『レジェンド』でも、霧の立ちこめる森、そこへ差し込む神々しい光、その中をかける白馬という、幻想的で美しい絵を創り出している。
 『ブレードランナー』でも、半分以上のシーンは光ったり煙ったりしている。特に、それまで未来都市といえば透明チューブを走る車や高いビルをピカピカに描いたイメージばかりだったところへ、「スモッグで煙る街、毒々しい漢字のネオン、ずっと降り続く酸性雨、空飛ぶパトカーからのサーチライト、スラム化した薄暗いビル、漏れてくる雨の滴」というイメージは新鮮だった。
『エイリアン』で宇宙船や宇宙基地を、『ブレードランナー』で未来都市を、煙と光と水滴で埋めてオタク達を喜ばしてくれたリドリー・スコット。だが次の作品『ブラックレイン』では、さすがにオタク達全員が脱帽した。何しろ自分たちがよく知っている「大阪の町」が煙ったり光ったりしているのだ。もちろん雨も降ってる。あの間抜けなバンザイグリコの看板が、雨の中に毒々しく滲むように光ってるのだ。
 なんだか都会的で妖しげで犯罪都市OSAKAな感じなのだ。
 これを見て、オタク達はおそれいった。アメリカの街はかっこいいけど、日本の街はダサいと思っていたのは大間違いだったのだ。単にどう撮るかというセンスの問題だったのだ。
 と同時に、いかに根性をこめてリドリー・スコット監督が頑張ってスモークを焚いたりライトを当てたり濡らしたりさせているかも思い知った。で、彼の次回作を見るときは、もちろん何を煙らせるのか、何を光らせるのか、何を濡らすのか、そうするとどんな風に見えるのか、に注目することになる。
 これは画家の画風を楽しむのと同じ態度だ。
 ルノアールの、あの特徴的な色彩を楽しむ。
 ゴッホの、絵の具をカンバスに削りつけるような画風の確立を追いかける。
 その作家のそれまでの作品を理解し、傾向の変化を楽しみ、画風の確立の時期を読んだり、確立した画風による作品群を「画風」の応用として理解したり、その中の変化を楽しんだりする。また、それが同時代や後世のどの作家に影響を与えたか、美術史の中で、どんな意味を持つのか。
 こういう態度を、アート界では「アートの文脈を読む」と表現する。古来日本でもこの視点は、「粋人」と呼ばれた美の鑑定者のみが持ち得たものとして尊敬された。オタク達も「文脈を読む」というアートな作業を怠らない。
 こう言った作品の見方を、僕は「粋の眼」、と名付けよう。作品を単なるお話としてみるのではなく「クリエイターのセンスの結実」として捉える眼。その作品群を時代的に位置づけ、歴史的に評価する「鑑定家の視点」のことだ。
 アニメでは、冨野由悠季のエキセントリックなキャラクターにシェイクスピアの作劇を発見する。
 ガイナックスの素早い場面カッティングは、どんな先端音楽よりもエキサイティングなリズムを刻み、エイゼンシュタインのモンタージュを大胆に踏襲し、突破する。
 士郎正宗のメカデザインの向こうに、T型バクテリオファージの美しさ・自然がミクロの世界に隠した造形の神秘を発見する。
 技法だけではなく、クリエイターのモチーフ、テーマへと興味は尽きることはない。それが「粋の眼」だ。

 

●匠(たくみ)の眼

 二つ目の見方は「匠の眼」。
 『ブレードランナー』で言えば、例えば時計を片手に見る見方。後で詳しく説明するが、アメリカの2時間映画ならシナリオの構成は時間毎にほぼ決まっている。
 例えば映画が始まって30分目あたりで、主人公は「動機付け」を与えられる。
 60分目あたりで一応、事件は一段落するが、主人公は満足しない。
 90分目あたりで主人公は状況から逃げるのを止めて、解決へと向かう。
 これが「ハリウッド・スタイル」の映画構成だ。大切なシーンは15分とか30分という、観客の飽きない位置にきちんと配置されている。シナリオの構成を把握すると、何が面白いかではなく結局この映画で何が描きたかったか、語りたかったかはっきり把握できる。また、それがどのくらい成功しているかと言った評価も出来るようになる。
 「匠の眼」は作品を論理的に分析し、構造を見抜く科学者の視点だ。同時に、技を盗もうと見抜く職人の視点でもある。
 SFXに関する「匠の目」も忘れてはいけない。
 『ブレードランナー』で何度も登場する空飛ぶパトカー・スピナー。スピナーがリアルに空を飛ぶおかげで、いやが上にも「未来都市!」という感じが盛り上がるわけだ。
 が、オタクならそれだけで納得していてはいけない。
 空中に停止しているスピナーのパトランプがくるくる回転しているシーン。よく見ると、パトランプの灯りがこちらがわに向くとき、画面にハロウ(光暈)が生じる。
 ハロウというのは、レンズ面に対して垂直に光が入射した時に出来る「光の滲み」のことだ。カメラなんかで直接ライトなどを見てしまうと、よくこのハロウが起きる。TVドラマやアニメなんかでも、「朝」の表現によく使われる効果だ。
 このハロウによってスピナーがオモチャっぽくなくなっている、ちょっとした効果だ。が、実はこの効果を作るための特撮はスゴク大変なのだ。
 「えっ! じゃあ、モーションコントロールカメラで撮るときに、いちいちレンズ面に垂直に光を入れて撮ったんだな。ひえー、普通そこまでやんないぞ。さすがリドリー・スコット監督。やっぱこだわりかたが違うね」とオタク達は驚く。
 目の前の幻想的な映像に感動しながらも、その制作プロセスを推理し、映像職人の技にまた感動。これもオタクの「匠の眼」だ。
 『ブレードランナー』の有名なオープニング。
 未来のロサンゼルスの街並みのシーン。夕焼けに浮かび上がる、無限に続くビル街のシルエット。宣伝用スチルとしても何度も使われたシーンだ。このビル一軒一軒が実は立体ではなく、銅の板だということをオタク達は知っている。
 薄い銅の板をエッチングという技法で腐食成形して、複雑なビルのシルエットを作る。そのシルエットの窓一つ一つに裏から光ファイバーを通して光らせる。
 こういう手間をかけて、あの見事な夕暮れの街並みが作られていることを知っているからこそ、映画史上初の美しいシーンのありがたさがより味わえるのだ。
 シナリオの分析やSFXの分析だけではない。
 コンピューター・ゲームではポリゴン数・スプライト数に注目し、プログラマー達がいかにその制約の中で規制をくぐり抜けるかを考える。その時、オタクの心は純粋数学空間の快感に震える。
 タミヤの新作プラモデルの箱を開け、一目見る。部品のテーパーやオーバーハングを数えて金型を見る眼は、優れたメカニックが初めて触るエンジンの性能と問題点を見抜く眼と同じだ。
 作品をそこにあるものとしてだけでなく「人間の手によって作られたものとしてみる」という、観察・分析する科学者の視点。名人たちが作り上げた傑作から盗み、自らも名人を目指す職人の視点。
 これが「匠の眼」だ。

 

●通の眼

 3つ目は「通の眼」。
 作品の中にかいま見える、作者の事情や作品のディティールを見抜く目だ。映画の中に一瞬だけ登場したり、すみっこにちょこっと登場するものも見逃さない眼力、動体視力や広範囲を一挙に把握する視力。作品内にスタッフ達の情熱や葛藤といったドラマを見いだす見方。
 これも『ブレードランナー』を中心に説明しよう。
 スピナーの飛行シーン。スピナーは市街地から上昇したり下降したりするとき、必ず螺旋形を描きながら飛行する。これは小型飛行機が市街地にアプローチするとき、航空法で決まっている飛び方だからだ。
 スピナーの動きに合わせカメラもクルーっと回転移動する。当然、下の方に見える背景のビル群もぐるーっと360度映ることになる。が、360度すべての街並みを全部作る予算も時間もない。『ブレードランナー』は貧乏映画だからだ。
 だから、東の方で使ったビルを北の方、南の方でも兼用して使うことになる。といっても丸々同じビルを何度も映せば、すぐバレてしまう。
 というわけで、ビルはレゴブロックみたいに組み立て式になっていて、いくつもの組合せで別のビルに見せるという手法を使っている。
 これをオタクは見逃さない。ぐっと目に力を入れてよく見ると、全く同じ窓の形の並び方のパターンがいくつも見つけられる。
 スピナーが優雅に旋回している時に、オタク達は「あっ、あのビルさっきと同じだ。あれ、あの上の方の窓さっきのビルの下の方にあったヤツだ!」とチェックする。制作者から見て、こんなイヤな客はいないだろう。
 また公開前から評判だった噂があった。『ブレードランナー』の建物のミニチュアに、ケナー社のスターウォーズ玩具「ミレニアムファルコン」をそのまま使った、という噂だ。
 もう、どうにもミニチュア造りが間に合わないので、スターウォーズに出てきたミレニアムファルコンという白くて丸い宇宙船の市販のオモチャ(!)にいろいろ窓みたいなのとかくっつけてそれっぽく塗装して、ビル群の真ん中にぽんと置いた、というのだ。ケナー社のオモチャはスケールが大きい。ミレニアムファルコンも直径80cm位もある。これを置けば結構面積が稼げるはずだ。
 もちろん長々と映せばバレてしまう、カメラが移動している一瞬に映るわけだ。
 オタク達はスピナーと一緒にカメラが移動するとき、これも必死で探す。もちろん見つけたときは鬼の首を取ったときのように大喜びだ。(興味ある人、探してみて下さい)
 またミニチュアの中に「YUKONホテル」というのがある。ビルの壁に細いネオン管でYUKONというロゴが光っている。ということは、このためにわざわざネオン管を曲げてYUKONという文字看板を作ったに違いない。そこまでしたYUKON、兼用しないはずはない。何しろダグラス・トランプルも6週間で逃げるほど貧乏なんだから。
 そう考えて、目を凝らすとスピナーの向こうに見える見える。あっちにY、こっちにK、そこにはO、やっぱりねえとニンマリする。イヤな客だ。
 また、スピナーが着陸するシーン。高くからの俯瞰では、遥か下の方に着陸場が見える。その時オタクは、目を凝らしてそこに別のスピナーが止まっているかいないか確認する。で、俯瞰ではガラ空きの駐車場なのに、次のカットで着陸するときには隣にスピナーがあったりすると「ダメだなあ、忘れちゃ」とニンマリ。(我ながら書いててイヤになってきた。でも見えちゃうんだもんなぁ)
 作品の中に入っている全てを見逃すまいとする眼。それは作品のアラ探しだけではない。
 『スターウォーズ・ジェダイの復讐』ではデス・スター前の艦隊戦に突っ込んでくる数十機のTIEファイターの全ての動きを見取る。3Dで動き出した曼陀羅を見るような錯視感だ。
 静止・コマ送りを駆使して、アニメーター毎の動きの違い、こだわりの差を発見する。それはオリンピック選手の一挙一動を分解写真で見つめる眼だ。
『ソニック』がゲーム世界を駆け抜ける、それはナム・ジュン・パイクのビデオ・アートより美しく、アッパーな映像ドラッグだ。
 一瞬、画面を横切るものを見逃さず、広大なスクリーン一杯に拡がる戦闘シーンを一つ一つチェックする。
 あれほど『宇宙戦艦ヤマト』を嫌っていた宮崎駿の『紅の豚』は、奇妙なほど松本零士の「戦場マンガシリーズ」にそっくりだ。権威を否定していた者が権威になると同じ事を繰り返すことに歴史の皮肉を感じる。
 現在のゴジラの着ぐるみ役者・薩摩剣八郎はデビュー当時、初代の中島春男から抜けだし、新しいゴジラの型を作ろうと必死だった。初代・名人を越えようとする歌舞伎役者の葛藤をそこに見る。
 『クロノトリガー』のスクェア、『いただきストリート』のアスキーとの三つ巴の末に、エニックスは『ドラクエ』の堀井雄二を獲得した。古代中国の名参謀、三顧の礼を尽くして諸葛孔明を得た劉備玄徳の世界をここに見る。
 これが通人の視点、「通の眼」だ。
 「粋の眼」、「匠の眼」、「通の眼」。
 この3つが、オタク達が作品を見るときの秘密、一般人との差なのだ。オタク達はこの「3つの眼」を見開いて、普通の人たちには見ることの出来ない面白さを見つけている。この本では、これら「3つの眼」を中心に「オタクは何を見ているのか、何を面白がっているのか」を解説しよう。
 では、出発だ!

 


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