『東大オタク学講座』
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ある日、コンビニで「さぁて今週のゴーマニズム宣言は?」なんてサザエさんの予告編みたいなことを思いつつ『SAPIO』を手に取ると、とんでもないことを書いている人がいるのを発見した。 『保険も災害対策も、最悪の事態を想定して、その対策を考えるのが常識だ。国の防衛問題も、最悪の事態を想定して考えるべきだ。つまり、最強の敵に負けないようにしておくことが、国防に関する必要十分条件だ。では最強の敵とはどこか? 当然アメリカ合衆国である。アメリカに対する必要十分な軍備とはなにか? 核装備である』 ここまでは、ただの極論だ。兵頭二十八氏のいいところは、この極論の上に、具体的な情報提示がなされているところだ。 まず核装備が、他の兵器にくらべていかに割安であるかを、実際に試算して証明してくれる。また、アメリカに対して核兵器が他の兵器にくらべて、いかに効き目があるか、「対権力直接アプローチ」という概念から説明してくれる。 なんて面白い人がいるんだと感心してしまった。何と言っても、軍備や核装備をものすごく肉体的にとらえている視点が面白い。 僕は常づね、アニメやまんがの中で描かれている戦争が、あまりにもウソ臭くて不満だった。新兵器だけが活躍したり、敵味方の一番強いヤツ同士の決闘が戦争の趨勢を決したり。これでは、ギャングのケンカと変わらない。頭が悪いにも程がある。 ところが、自分が作っているアニメに関しても、どうしてもそういう印象が拭えない。どうやったら、戦争をリアルに描けるのか。この問題は、ずっと心にひっかかっていた。 兵頭さんの記事を読んだ時すぐに、日本核武装論とアニメの中における戦争という問題を、ごちゃまぜに語ってもらったら面白いだろうと閃いた。で、早速来ていただき、今回の講義となったわけだ。
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シャアはほんとうに偉かったか 岡田 今回のゲスト、兵頭二十八先生は、よく『諸君!』などに原稿を発表していらっしゃる方です(会場、『諸君!』と聞いてどよめく)。でも兵頭先生は極右じゃありません(会場爆笑)。たまたまというかなぜかというか、言論を発表する場所が極右的であったというだけです(笑)。で、その『諸君!』で発表なされていた「日本列島核兵備計画/我々はいかにしてくよくよするのを止め、核ミサイルを持つにいたるか」という戦争論が大変面白かったので、今回皆さんにも聞いていただこうとお呼びしたわけです。なんでオタクの講義で戦争論やるかというとですね、僕自身の戦争認識、具体的に言うと『ナディア』のシナリオ中で設定した「アニメ製作者として考えた場合の戦争」をいま振り返って見てみると、ひじょうにヌルいというか、リアリティーに欠けていた部分があるなあと反省してるんですよ。戦争するからには双方とも大義名分を立てる必要があるんですが、ただ「我々は世界を征服するのだ」なんて言っても目的として説得力ありませんよね。だっていまこの教室に誰かが入ってきて「これから東大を征服する!」なんて言われても困るでしょう(笑)。「征服されたらなんか困る? 困らないんだよね、ならいいや、勝手にして」って感じで。でも征服者からお小遣い巻き上げられたり、勝手に拉致されて炊事洗掃除など押し付けられたりしたら困る。つまりそれが本当の征服なんですよ。『ナディア』を作るときに僕が考えた「征服」というのは、簡単にいえば武力による経済支配です。悪役のネオアトランは潜水艦使って通商を破壊するんですが、これによって思い通りに各国間の輸出入商品価格を暴落させたり高騰させたり操って、おいしいトコ一人占めの商売をしてやろうと。「儲けるのは俺らだけ。世界経済思いのまま」っていう、これなら世界征服企んでるように見えるだろうと。これが『ナディア』における戦争のリアリティーだったんです。僕を含めて、あの業界の人たちが考える戦争の理由ってこのレベルなんですよ、結構ヌルいでしょ(会場笑)。兵頭先生はどう思われますか? 兵頭 そこまで自問自答を重ねてきてらっしゃるなら、きっと真の道に到達できるでしょう。オタクの本当にえらい人は、追究を中途で止めてしまわないところが好感がもてる。 岡田 で、前フリ終わったところでまずはパーソナルなことからお話をお伺いしていきたいんですが、兵頭先生はもともと自衛隊に入隊してらしたんですよね。 兵頭 それを言ったら殺される。自衛官は除隊後も所属部隊や職種のことを話してはいけないんですよ。「貴様もうしろのほうの純潔は失いたくないだろう。だったら話すな」と釘を刺されてます。ちなみに自衛官は在職中は勝手に海外旅行に行ってもいけないし、昔は上官の許可なしに結婚することもできなかった。 岡田 え? 結婚って、それは自衛隊の決まりで? 兵頭 いや、昔というのは戦前の旧軍です。現代でそんなきまりがあったら誰が入隊するんですか。 岡田 それで所属部隊はどこだったんですか。 兵頭 北部方面隊第二師団第二戦車大隊本部管理中隊通信小隊です。そこで暗号とモールスを……しまった! オレはもうだめだぁ! 岡田 その任地はご自分で選ばれたんですか? 兵頭 北海道には最前線に第二師団が、そのすぐ後ろに第七師団が配備されていましてね。当時牛とオカマの他に最新装備の七四式戦車があってソ連と実戦がやれそうなのはそこだけだった。しかし、ああ、私のツーロンはなかった! 岡田 じゃあ最新装備に乗りたかったというのが動機。 兵頭 いや、もっと現金な野望もありました。旧日本軍の歩兵小隊を主人公にした戦争映画をいつか作ってやろうと、高校時代から思ってました。まあ、サンダース軍曹が「三田軍曹」とかに変わって、一〇〇式短機関銃で連合軍兵士を一方的に皆殺しにする映画だと思ってください。ところが病院・警察・軍隊の三つは、インサイダーにならないとどうも分からないところがある。みなさんは「連隊」とか「中隊」とか「連隊長」とか「中隊長」とかいわれたって、なんにも具体的なイメージが湧いてこないでしょう。そうした「軍隊内での普通名詞」にどんな実感がともなうのかを五感でつかめなかったら、シブい戦争ドラマの脚本なんて書けっこありませんやね。 岡田 じゃあたとえば『コンバット』の旧日本軍版を撮るための、いわば取材としての入隊だったんですね。 兵頭 そうです。生半可な取材で妥協した脚本を書くから日本映画はつまらないのです。あの業界には、しゃんとしたオタクがいないといえる。 岡田 変な話になるんですが、軍隊で少佐って階級があるじゃないですか。これってどのくらい偉いんですか? 兵頭 全体から説明しましょうか。軍隊は「士官」と「下士官および兵」から成っています。『オフィサー&ジェントルマン』という映画がありましたが、士官とは紳士に対応するものだった欧米の文化をよく伝えるタイトルだ。兵卒は農民だから名簿外というわけです。その士官も、将官、佐官、尉官に分かれている。いちばん下っ端は少尉、中尉。古参の下士官にもバカにされるような二〇代の新米たちです。三〇代くらいにキャプテン、すなわち大尉になって、そのへんからようやく人に名乗って恥ずかしくない階級になります。 岡田 すると大尉クラスになると一〇〇人とか二〇〇人とかの部下を指揮していて、それなりの命令権も与えられていると。 兵頭 一コ中隊が任される。その大尉の上が少佐になります。少佐か中佐で大隊長。参謀本部ならもうバリバリの活動をしている。大佐になって連隊長。ちなみに、三単位制の歩兵部隊だと、三コ中隊で一コ大隊、三コ大隊で一コ連隊ですが、これは決まり事じゃありません。しかし劇画や映画にしやすいのはやはり中隊以下ですね。部隊員全員がお互いのパーソナルな知識を共有している単位だからです。おもしろいのは、アメリカ陸軍が第二次大戦後に兵士の意識調査を実施した。それで分かったのは、かれらはアメリカ合衆国のためというよりは、軍隊の最小の隊である「分隊」の仲間のために努力していたんだ。それでアメリカ軍は、分隊火器を改良して分隊中心の訓練を増やしました。 岡田 あの、なんで少佐について質問したかというとですね、『機動戦士ガンダム』にシャア少佐というのがいたからなんすよ(爆笑)。こいつが変な奴で、少佐なんだけど巡洋艦指揮してるんです。 兵頭 巡洋艦はないな。日本海軍でも米海軍でも、駆逐艦や潜水艦だったら少佐、中佐で艦長になれましたが、巡洋艦以上は必ず大佐でなければ艦長にはなれなかった。ただし、戦艦大和でも艦長はやっぱり大佐なんで、少将以上は、艦隊司令になります。もし少佐で艦隊の指揮がとれるとすれば、その軍隊はよほど士官が不足してるんだよ、きっと。 岡田 シャアは少佐なのに専用巡洋艦指揮して、それで戦闘に突入すると赤いモビルスーツに乗って自ら飛び出していくんです(笑)。あれはアニメの中の話だったんですけど、現実にはそういうのってアリなんですか? もちろんMSではなくて戦闘機でってことですけど。 兵頭 大佐で戦闘機に乗った人は第二次大戦のヨーロッパにいました。ベトナム戦争では北ベトナム空軍に「トーン大佐」という有名な撃墜王が現れた。今の米空軍や海軍で、少佐で戦闘機を操縦するのはごく普通のことです。坂井三郎みたいな下士官が戦闘機を操縦していたのは、世界のなかでも日本の陸海軍だけの例外で、日本にはジェントルマンの階級はなかったから、オフィサーも下士官もコンバチブルと認められていたわけです。農民が大将になったっていいんだ。でもたいていの国では、士官でなければ戦闘機パイロットにはなれない。ちなみにアニメに出てくる金髪パイロットたち、これ、絶対にナチスドイツ軍のイメージがありますよね。 岡田 ありますあります。あれはですね、プロシア軍から持ってきたみたいなんですけど。ナチスドイツからイメージ持ってくるアニメって七〇年代にやり尽くされてしまって、みんな詰め襟立てて肩肘張って、総統に向かって手を振り上げてたんですよ。そういうのはもうダメだってわかったのが大体七六年くらいですね。 兵頭 テレビ映画の『コンバット』に出てくるドイツ兵はただのマヌケな敵役でしたね。ところが、『頭上の敵機』あたりから、ドイツ軍人がカッコ良く描かれ出す。敵を強く描かないと主人公のアメリカ人も英雄的には見えないというドラマ制作上の真理に気がついたんです。その六〇年代アメリカ映画の影響で、日本ではまずロンメル戦記が訳されはじめて、ドイツ軍ブームに火がついた。特に私が子供心にもそのタイトルを恥ずかしいと感じた番組に『レッドバロン』というロボット物があった。これは第一次大戦のドイツの撃墜王、リヒトホーヘン男爵のあだ名でした。リヒトホーヘンは、真紅に塗装させたDRIという戦闘機で一コ飛行中隊を率い、最後はイギリス戦闘機に撃墜されてフランス上空で戦死した。それをギボンズという小説家が、一九二〇年代に『ドイツの赤い騎士』という本に著し、永遠の空戦ヒーローとして定着させたのです。シャア少佐の原型もそこまで遡ることができる。 岡田 少佐っていうのは、いまの日本人の感覚でいうと中小企業の社長くらいですかね。 兵頭 まあ、若社長くらいでしょうか。大佐くらいになったら神様ですが。 岡田 もう一部上場企業の会長クラス(笑)。 兵頭 そうですね。一コ連隊、一〇〇〇人単位の組織を指揮するわけですから、まず大社長ですよ。ところで士官は、実力があれば定年までに中佐にまでは必ず昇進できますけれども、大佐より上、少将、中将、大将には、実力だけではなれません。そこから先は、政治力で昇進が決まる。
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アメリカにリターンマッチだ 岡田 それでそんな世界に「戦争映画を作りたい」という目的でもって入隊したと。あの、さっき前線志願とおっしゃってましたけど、志願ってどのくらいまで細かく注文できるんですか? 兵頭 適性と能力があれば職種はまさに望み次第です。任地も北海道ならばどこでも大歓迎。頭が良くて体力がなくて女の顔を毎日拝みたけりゃ基地通信隊を選ぶ。早く出世がしたけりゃ、大所帯の普通科でしょう。行った先でも適性によって振り分けられる。特科に来たがどうも大砲の音がいというヤツは衛生小隊、施設科に来たがいきなりクレーンの玉掛けの資格を持ってるなら機材中隊とかね。まあそんな資格があったらまず自衛隊なんかに来ないでしょうが。 岡田 じゃあ北海道で戦車に乗りたいというところまでが兵頭さんの志望で、その結果通信部隊として配属された。 兵頭 正確には、最前線で実戦をさせろ、それから戦車兵の行住坐臥も観察したいというのが私の魂胆でしたが、行った先で、戦車部隊の中の通信を担当させられたんです。 岡田 ああ、それじゃ戦車の乗組員として通信を担当するという感じ。 兵頭 ちょっと違う。大隊本部といっしょに、装甲車で移動するんです。でも、戦車兵のはしくれである以上、戦車の操縦、砲撃の仕方、車載機銃の分解、ひととおり習って、さらに歩兵としてライフルから機関銃、手榴弾、バズーカまですべての武器の訓練も受ける。ラッキーだったのは、新兵の段階でコルト45とグリースガンを射てるのは、機甲科だけだった。それで意外な発見をしたんですが、銃の中で、射って「こりゃ楽しい」といえるのは、タマの火薬量が少なくてしかも銃身が拳銃よりも長いために音が抑制されて耳が痛くならない、サブマシンガンだけですね。その対極にあるのが小銃擲弾で、一発発射しただけで、もう何も聞こえなくなります。 岡田 ミリタリー好きな人にとってはバラ色の生活ですよ。二年で辞めたというのはどうして。 兵頭 取材の目的をほぼ達した。それから、私のツーロンはここにはないこともはっきりした。 岡田 幻滅してしまったというような感じでしょうか。そういえば兵頭先生の本の中で「日本にはABC兵器に対する備えがない。さてはおまえら、日本は戦争と無縁だと思ってるな?」みたいなくだりがありましたよね。 兵頭 『日本の防衛力再考』ですね。いままでの、カタログデータしか見ようとしない自称軍事評論家たちは、自衛隊の兵器の値段が高いということばかり言っていましたが、そんなのは外国の予算と調達の仕組みを知らないだけです。その手の「オタク」の名にも値しない半可通ライターの顔色をなからしめた本でした。自衛隊の本当の欠陥は、もっともありえる核戦争を想定してないこと。そしてほとんどありえないソ連軍の上陸などに備えてきたという思想面にある。つぎに、その想定が非現実的だとわきまえるがゆえの、ハード面での手抜きです。本当に性能がいいなら高価なのは当然で、安いだけの兵器がどうなったかはクウェートの砂漠を見れば分かるでしょう。自衛隊の兵器はけっして高いとは言えないが性能が低すぎるんだ。それは、本格的なテストをしていないからなんですよ。たとえば昔、明治三〇年前後ですが、「三〇年式歩兵銃」という六・五ミリの小口径小銃を採用するときには、病院から屍体を買ってきて実際に遠くから何百発も射ち込んだり、病馬を射ってみたりして、この口径で本当にロシアのコサック騎兵団を撃退できるかどうか、実に真剣な実験を繰り返しているのです。司馬遼太郎氏は『坂の上の雲』で秋山好≦よし≧古≦ふる≧を日露戦争の英雄にしてますが、あの先生はこういうメカの話は大いだったので書いてない。日露戦争の本当の功労者は、この小口径小銃をキッチリ戦争までに全師団に配備し終えた有坂成≦なり≧章≦あきら≧という長州閥のエンジニアです。小口径だったから、当時の日本の工業生産力でも、最後まで歩兵銃が弾不足に陥らずに済んだんだ。そしてその世界で一番省資源なライフル実包を工夫したのが、薩摩の何の学もなかった村田経芳という人。こういうことすら知らずに、アメリカ軍は自動小銃だったが日本軍は槓≦こう≧桿≦かん≧式≦しき≧だったから大東亜戦争に負けたとか、オタク度の足りないことをしたり顔で語っているのが司馬遼太郎以後の半可通でしょう。それはともかく、今の自衛隊は、米ロからの核攻撃に対してどうするかという真剣なリサーチもプルーフテストもしていない。だから核戦争はおろか、湾岸戦争程度の戦場に出すこともできないんですよ。 岡田 自衛隊とか上の方の人とか、戦争があるかもってのは想定してるんでしょうか。 兵頭 防衛庁の背広組は想定してません。いっぽう自衛隊の制服組は旧ソ連軍の上陸というフィクションなしに生きられない。 岡田 防衛庁の答えは「ない」。だけど現場の人たちは「戦争は必ずある」と思ってるわけですね。 兵頭 制服組にいわせれば、「地獄なんかないぞ」といったらみんなの信心が離れるのが心配なのでしょう。いっぽう、背広組にとっては、「じつは本当の地獄は別にある」という未来を見るのに堪えられないんだな。つまりは日本が将来巻き込まれる核戦争のことです。 岡田 背広の人たちがロシアは攻めてこないと考える理由ってなんなんでしょう。 兵頭 文永・弘安の役のとき、北条時宗は元軍がいつ襲来するかも正確につかんでいた。七〇〇年以上前の話ですよ。いわんや今日、偵察衛星なんか持ってなくたって、対岸の兵備の状況をちゃんと調べて少しもつかめないということはありえませんよ。ソ連が北海道に攻めてくるというガセは、アメリカと日本政府の、自衛隊と国民に対する情報コントロールだった。冷戦時代の日本は、右も左もアメリカが作ったフィクションの上で物を言い合っていたのです。 岡田 海を渡る能力はあるけど、陸地には上がれないというわけなんですか。じゃあ日本は、戦争なんてあるわけないと思いながら防衛予算組んだり法律決めたりしているんですね。 兵頭 戦争はあります。それは核戦争です。ない戦争は、北海道の地上戦です。 岡田 で、自衛隊生活を二年続けてから除隊されて、シナリオライターになられたという。 兵頭 いや、一月一〇日に満期除隊してすぐ入試を受けて、神奈川大学の英語英文科にいきました。なんで英語科かというと、自衛官時代に真冬の旭川の映画館で『アニー』というミュージカル映画を観た。この時はあまりの感動に不覚の落涙をいたしました。それで三田軍曹が一〇〇式短機関銃で木≦で≧偶≦く≧のように米兵たちを撃ち倒していく戦争巨篇の方はしばし忘れることにして、こんな優れた娯楽作品が作れる国の秘密は何か、英語を究めてそれを知らねば、と決心したのです。 岡田 もう、「遠回りの天才」っすね(笑)。 兵頭 その神奈川大学の二年生の時、もうすっかり軍隊の取材はやめてまして、英語漬けの生活をしていたんですが、たまたま江藤淳先生の『日米戦争は終わっていない』というネスコ文庫の本を見かけて、ついつい買って読んでしまった。ひやかしでパラパラと立ち読みしたら、ただの評論家にしては、ちょっと専門的で、刺激されたからです。それで、この著者がどういう人か、文春系の評論家というていどの知識しかもってませんでしたが、感想文というよりは偉そうな所見を書きつらねて、それを郵送したんですよ。なにせ自衛隊やめて二〜三年でしょう、怖いものなんてなかったな。復員兵みたいに、思ったら何でもやれたものです。そうしたら何日後でしたか、夜中の一〇時半頃に電話がかかってきまして、「君は防大のドロップアウトですか。私は東京工業大学の大学院で教官をやっている者だが……」というお話だった。それで大学卒業したあと、こんどは東工大の社会工学専攻の修士課程に進むことになりました。 岡田 高校出て自衛隊入って、神奈川大学英文科を経由して東工大大学院。紆余曲折ですよね。 兵頭 これでもまだ省略しているところが多々ありますが(笑)。 岡田 で、大学院の修士論文で、日本の対米戦略を研究されたんですよね。 兵頭 いや、修論は戦略論の研究で、対米戦略はその後の話です。正直な話、私も戦争といったら対ソ戦しか考えてはいなかった。大学院では特別に軍事問題で江藤先生との討論などはしないのですが、自分が構築した戦略理論を現代の日本の立場にあてはめてみれば、どうしても仮想敵からアメリカを外すわけにはいかないのです。いったん理詰めでその結論を出してから、研究室にあった江藤先生の著作なんか見ているうちに、だんだん感情的にも「そうだよな、やっぱしやられっぱなしで引っ込んでいたらいかんぞ」と目が覚めてきまして。ねえ皆さん、やっぱりアメリカにリターンマッチせにゃあ、いけませんよね!(会場拍手) 岡田 一〇年前の東大だったらこの講義つぶされてますよ、途中で民青の学生乱入してきて、俺らボコボコくらってしまうでしょうし(大笑)。 兵頭 時代はどう変わっているんでしょうかね。昔だったら尖閣諸島の一件とかでも必ず騒ぐ奴がいたはずですが、いまの学生は右も左もたいへんおとなしい。
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独裁国家を攻めるには 岡田 あの、軍事的な話題なんですけど、太平洋戦争の戦記ものとか読むと、日本人ってみんな「あのときこうしていれば勝ったのに」みたいな書き方してますよね。あれは、どうにかすれば勝てる戦争だったんでしょうか。 兵頭 その手の本が売れるので私は苦々しく思っているんです。東京裁判で絞首刑にされたA級戦犯には一人の海軍人もいなかったでしょう。しかも昭和二六年までは、GHQのお墨付きを得た「暗黒暴露戦記」しか出版はできず、国民の間にすっかり「陸軍悪玉史観」が定着させられました。昭和二七年、サンフランシスコ講和の成立によりやっと占領軍の検閲が廃止されると、今度は調子づいた海軍人たちが「海軍善玉史観」に立つ「アンチ暗黒暴露戦記」をドッと出したんです。その時に「あと五分あればミッドウェーは勝った」だの「『烈風』に三菱製エンジンを積んでさえいたら日本は勝てた」だのの、メチャクチャな「if」が一挙に普及、定着した。驚くことに、いまだに三流小説家はそれに基づいたくだらない小説を量産している。真にオタク度が高かったなら、とっくに破綻しているそんな設定は恥ずかしくて作品に使えないはずです。私はギリギリこの程度の「if」しか考えられないというところを、『日本の海軍兵備再考』という本で検討していますから、先の大戦の結果に納得できないという方はどうぞそれをご覧ください。 岡田 僕、こういう話でよく気になることがあるんですが、「日本が負ける。日本が勝つ」っていう場合の「日本」というのは、僕ら日本人のことなのか、それとも日本という国家・政府のことなのか、一体どっちなんでしょう。 兵頭 東大生の前だから漢字熟語と外来語は野放しにして説明してもよさそうですね。答えは「国家コミュニティー」です。戦争では、ある国家コミュニティーが、自分たちの主権者の権力、すなわち「飢餓と不慮死の可能性からの遠さ」を高めるために、他の国家コミュニティーと戦うのです。そもそも主権者はなぜ国家をつくっているかといえば、その方が国家をつくらないでいるよりも「安全・安価・有利」だからです。ではA国とB国はなぜ一つの国になれないか。それは、国家コミュニティーの「キャラクター」がA国とB国とではちがっているので、たとえば地球連邦政府というようなものもできない。結局、ある主権者にとって、国家より小さいコミュニティーも、国家より大きなコミュニティーも、自分の権力にとって「安全・安価・有利」ではないのだといえるでしょう。 岡田 つまりコミュニティーにおけるキャラクター=国民性とは、「日本という国がある。いろいろな人が住んでいる」という、共同幻想みたいなものなんでしょうか。「俺は日本人だ」っていう。 兵頭 もっと具体的な形にもなっています。たとえば法律です。法律は各国それぞれにちがいがあるでしょう。それは、一国の主権者にとっての正義が、世界の法典の数だけあるということなんです。法体系は、国家コミュニティーのキャラクターのちがいをストレートに反映するものの一つですよ。 岡田 つまりお互い「こっちの言い分が正しい」と反目し合うから戦争に発展すると。キャラクター、正義観、社会観のちがいですかね。 兵頭 もっともっと根源からですよ。ロバート・マルサスが『人口論』で書いたように、人がいくら食糧を増産しても、それは人口増加によって簡単に飽和させられるでしょう。マルサスに指摘されるまでもなく、人間はそのことを太古の昔から予測できた動物なのです。「権力とは飢餓と不慮死の可能性からの遠さである」。これは私が大学で考えついた定義ですが、世界の人口が増えつづける以上、あなたの、そしてこの私の権力は、つねに減っていこうとしています。誰でも餓え死にはしたくない。だから、この権力を維持し、できれば増やしたい。それにはどうするか。畑を耕して食糧生産を増やす手もあるでしょう。しかしそれはあまり「安全・安価・有利」な手とはいえないんだ。一番「安全・安価・有利」なのは、他人が子供を増やすのを抑制することです。これが個人間の、家族間の、会社間の、そして国家間の、人が競争をする根源の動機です。世の中に受験競争があり、経済競争があり、貧富の差があり、国家間競争がある、その理由のすべてです。 岡田 では兵頭さんは、第二次大戦は何に根差した戦争だとお考えですか? 兵頭 権力を維持増進する手には、おのれの権力を増す生産と、他人の権力を減らす戦争とあるわけですが、戦争の方が生産よりも「安全・安価・有利」な競争手段だと政治がみなしたときには、必ず戦争が起きるでしょう。これは、古今東西、どの戦争も例外はありません。 岡田 たとえば太平洋戦争というのは、まずアメリカという国が中国に欲望を抱き、それを見た日本が「俺らの中国を取られてたまるか」というノリになってしまって、お互いカリカリきた結果戦争になったといわれてますが。 兵頭 表面的にはおっしゃる通りです。アメリカの妨害によって、対外貿易という生産行為が「安全・安価・有利」に日本という国家コミュニティーの権力を増進してくれなくなった。だから、掠奪戦争という別な競争手段で、日本国は権力を維持増進しようとしたのです。その際、日本はアメリカに勝てないことは分かっていたのですが、勝てないからと予測がついても引っ込んでいられないときがある。それは、国家コミュニティーのキャラクターが危機に瀕したときです。 岡田 それに関係することで、兵頭先生の本の中で印象に残ったことがあるんです。先生、何度も「対主権者への直接アプローチ」ということをおっしゃってましたよね。これによって双方の思惑がズレてしまい、事態がこじれてしまったと。ベトナム戦争でアメリカが敗北したのもこれを知らなかったためであると、そうおっしゃってたのが大変印象的でした。 兵頭 「国体のちがい」という言葉も使っていたと思います。たとえばかつての北ベトナムで、ほんとうに自国の国策に影響力を行使し得たのは、限られたパワーエリートだけでしたね。いっぽう、アメリカ合衆国は、末端の兵士までがワシントンのパワーエリートと同じくらい国策に影響を与えられた。つまり独裁国家の主権者は国民とイコールではないが、民主主義国家の主権者は国民と一致しているという、単純な話です。北朝鮮だったら金正日らの特権階層が主権者ですよね。かれらが飢餓や戦死の危険にさらされれば北朝鮮の政策は変わるけれども、片田舎で農民の一家が飢えに苦しもうが主権者の知ったことではないから、北朝鮮という国家の政策は変わらない。 岡田 かりに国民が主権者であればかれらの苦痛が重い場合「主権者である国民が苦しむなんてわが国の国策上あってはならない」という理由で政策に影響を及ぼすと。しかし独裁国家の場合は基本的に「国民がいくら苦しもうが主権者は俺様だ。知ったことか」という考えで、もし政策に影響が出るとすればそれは国民のためではなく、独裁者が「よその国からとやかく言われると俺が恥ずかしいから」という理由による。こんな感じですか? 兵頭 それでいいでしょう。実際にはどんな独裁国家でも民意を完全に無視した政策は行えませんけど、たとえば経済制裁を独裁国家に対して行ったって無意味なのはその仕組みのためです。歴史上のどんな大飢饉のときでも、領主が餓え死にしたなんて話はないでしょう。 岡田 民主国家の人がよく「経済制裁は効果がある」と思い込んでますけど、あれは相手の国も自分たちと同じ民主国家であるはずだという幻想を抱いてるからなんでしょうね。「あの国の国民たちはどうも飢えているようだから、そろそろ音を上げるだろう」というノリで。 兵頭 「自分たちにとって痛いことは相手にとっても痛いはずだ」というカンちがいを皆してしまうようです。戦時中の日本はどうだったか。日本は貧乏国家だから戦艦一隻の価値は人間一〇〇〇人の命よりもはるかに重い。それで、「きっとアメリカだって戦艦を沈められたら戦意を喪失するだろう」と思い込んで真珠湾を空襲した。ところがアメリカでは戦艦一隻より乗組員一〇〇〇人の命の方が重かった。逆に硫黄島の戦い程度のちっぽけな損害ですら、「こんな作戦を続けるのは犠牲が大きすぎる、やめろ」という世論が沸き起こったくらい。だからアメリカ側は「日本もたぶん自分たちと同じように、空襲で大勢の国民が死ぬことには堪えられないだろう」と考えていた。だけどいくら空襲で国民死なせたって当時の主権者であるパワーエリートたちに直接与えたダメージは微小だったから、ムダな犠牲ばかり増えたわけです。「対主権者への直接アプローチ」の着眼がないとそうなる。 岡田 ベトナム戦争でアメリカが負けたのもそれが原因だったんでしょうか。 兵頭 そうです。アメリカの指導者層はあの時代まで自分たちのカンちがいに気づかなかったんですね。湾岸戦争では「主権者はフセインだ。奴を殺せば戦争は終わるじゃないか」と気づいていたようです。私の修論を読んでいたのかもしれないが(笑)。「やっと気づいたか」という感じですよね(笑)。おそらく、最初に気づいて実行を試みたのはリビアのカダフィ大佐を爆撃したとき。でも、これは完成していたステルス機を出し惜しんだために失敗。次がノリエガ将軍で、大成功。イラクは三番目ですが、人間が突入しないと独裁者を確実に殺せないこともあるんだという先例をつくってしまった。これはアメリカの対北朝鮮政策を変えたかもしれない。 岡田 するとですよ、もし北朝鮮とアメリカが戦争起こした場合、アメリカはとにかく金正日のいるところや彼の大事にしている施設を攻撃しまくった方が効果的なんですね。で、北朝鮮がアメリカに勝つためには、戦闘機撃ち落とすよりも兵隊をたくさん捕虜にしてアメリカ軍に「おまえらの仲間を殺すぞ」とアナウンスした方がよいと。 兵頭 はい。国際政治は意志の押し付け合いです。自分も相手もちがうキャラクターを持っているのだから、お互い意志を押し付け合うなら「自分がなこと」ではなく「相手ががること」を冷静に考えることです。
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一兆円あれば日米安保はいらなくなる 岡田 これまでは旧ソ連が日本の敵だとされていたのが、現在では、じわじわとではあるけどアメリカこそ敵だというお考えなんでしょうか。日本の国防上もっとも脅威なのは、ソ連の北海道侵攻ではなくアメリカだってことなんでしょうか。 兵頭 諸外国の日本に対する危害手段をぜんぶ比較してみたら当然そうなります。日本に届く核ミサイルをいちばんたくさん持っているのはアメリカでしょう。だったら、まずアメリカを仮想敵国とするのはあたりまえじゃないですか。 岡田 なんかどんどん複雑な話になってますけど、その場合、最強の敵から守るべき日本の主体、主権者はなんであるとお考えですか? 兵頭 現在、日本は民主国家ですから、国民一人一人が主権者ですね。あともう一つ、日本国という共同体コミュニティーのキャラクターがあります。 岡田 つまり「日本」という個性や文化ですか。 兵頭 よく日本人には個がない、自我がないという人がいます。しかしそれは程度の差のはずで、弱くなればアメリカ人も個我をひっこめるし、強くなれば日本人も自ずと個我を出します。アメリカにも「敵にできないのなら友達になれ」という現実的な処世訓があります。南北戦争では南部は最後に膝を屈して無条件降伏したでしょう。相手の意志の強さは一戦してみないと分からないところがあって、これだけは予測は不可能です。だから、南部のコミュニティーのキャラクターが脅威にさらされたとき、南軍は北部の意志に挑戦して立った。そして、聖域が奪われ、国家コミュニティーのキャラクターがどうなってももう仕方がないというぐらい、抵抗をし尽くしてから降伏しました。抵抗できるのに抵抗しないと、待っているのはジェノサイドです。だから私は、戦争ではつねに負ける方が悪い、侵略される方が悪いという考えです。昭和一二年に見せたような頑強な抵抗を最初からしていたら、中国は列強の侵略を招かなかった。アヘン戦争や日清戦争であまりにもあっけなく負けた中国人が悪いのです。動物ドキュメンタリーを見てください。健康な獅子は鹿の群の中からもっとも弱い一頭だけに追いつくことができる。が、健康な鹿には追いつけない。そして衰弱した獅子は、もっとも弱い鹿にも追いつけない。群のすべての鹿が例外なく全力を出して生き延びようとしなければ、この健全なバランスは保たれません。走れるのに走らない鹿が一頭でもいると、獅子を含めた生態系全体が不健康になる。だから、まだ財力があって、国家コミュニティーのキャラクターも持つ日本人が、あえて軍隊を持たず、アメリカを仮想敵として最大限の努力をしないとしたら、それ自体で悪です。 岡田 いやもう、熱い演説ありがとうございました。私たち国民は日本という会社の株主みたいなもので、政治家に対して株主の権利を行使することが可能なわけですね。で、その国には仮想敵がいて年がら年中ねらわれているんだけど、そのことに気づいている人はあまりいなくて、尖閣諸島問題とかでなんとなく理解できるという具合であると。外国からの侵攻があるかもしれないけど、大多数は有事の際直接戦えないから、そういう危機に対処できるよう、皆でお金出し合って自衛隊を持とうじゃないかと、こういうことでしょうか。 兵頭 わかりやすい喩えですね(笑)。信じられないことに、軍隊を持たなくてもいいじゃないか、侵略されたらひとりひとりがゲリラになれば、という人がこの立体戦争時代にもいる。 岡田 『週刊金曜日』にはときどきそう書いてありますね(笑)。 兵頭 組織的戦闘力は、個々バラバラの抵抗力の総和を上回ります。たとえば四トンダンプで運ぶような大きな庭石があるとしましょう。二〇人の職人がめいめい勝手に力を加えたって、そんな大きな石が動くものじゃない。しかし、親方のかけ声にあわせて二〇人が同時に一方向に力をこめれば、四トン以上の大岩だって転がってしまう。これが組織戦闘力です。すべての外国が軍隊という組織の力を備えているのに、どうして日本人だけ個々バラバラのままで抵抗が成り立つのですか。 岡田 じゃあ私たちのこの国も、普段は何も危険がないっていうような顔をしているけれど、いざとなったら「俺達も攻め込んでやるでえ! 声出していこ!」という根性があるわけですね。 兵頭 ないわけがない。だって紅白歌「合戦」とか、読売巨人「軍」、女性「陣」、合唱「隊」とか、まるで常在戦場じゃないですか(笑)。これを英語に訳したらどれもすごい表現でしょう。 岡田 僕は大阪人なもんで、戦争も商売に置きかえて考えるとすごく理解しやすくなるんすよ。敵というのは商売仇ですよね。お互いに利益がバッティングして争いが起こるという。たとえば資源問題にしても、国際的に見て北半球の方が穀物資源を独占しているけど、南半球の人たちが飢えているのを見ても平気でいられるから戦争にならないですむと。だけどなにかの原因で対立する可能性もあるから、カネと人を使って危機管理をしておくべきだという感じですね。 兵頭 南北格差はなぜあるか。西側先進国同士にも権力の格差がある。それから、最強のアメリカ合衆国のなかにも、より権力のあるものと貧民とがいます。その理由はすでに説明しました。人口がつねに食糧生産を飽和しようとしている世の中では、だれもが今日一日だけ豊かに暮らすことは可能だが、その全員が同じように明日もまた豊かに暮らすことはできないのです。なぜなら、今日人口が増えた分だけ、明日の一人の権力は減る。それをヒトという動物だけは予測ができる。だから、裕福/貧乏というシステムを国内社会、国際社会の中にビルトインすることで、せめて人口の自律的調節を促さなければならないんですよ。貧乏が戦争を抑制してきた。戦争とは成人同士の殺し合いでしょう。経済競争は、他人の子供の数を制限させることです。だから経済もまた人を殺してるんですよ。子供をね。ただ、経済の子供殺しは目には見えないから、ふだんは戦争よりも経済競争をしていた方が「安全・安価・有利」と思われているだけです。しかしもし人類がもっとお利口さんで、地球総人口を毎年一人ずつでいいから恒常的に減らしていくことができさえしたら、明日の生産力で今日の人口を養うのはじつに簡単だと予測がつきますから、人間の権力競争は消滅します。そうなったら、戦争だけじゃなく、経済競争も起こり得ません。 岡田 で、そういうことがあるために、兵頭先生は「安保やめちまえ論者」として活動なさっているんですが、安保ってやはりやめた方がいいんですか? 兵頭 仮想敵国と同盟できるわけがないでしょう。いや、アメリカが核兵器を全部日本に引き渡して、平和憲法を制定して日本の保護下に入るというなら別ですよ。みなさんはアハハとおっしゃるが、その考えられない大バカをしてるんですぜ、われわれは現に。 岡田 その日米安保を破棄または改正することによって、日本は失われつつある主権を取り戻せるとお考えなんですね。具体的には米軍が日本国内で自由に行動できないよう制限して単なる軍事同盟国として扱い、そして日本も固有で軍隊を持てるようにするべきであると。 兵頭 米軍が日本国内から自由に作戦するのを日本政府には止める力がないとしたら、それは占領とどこがちがうんですか。 岡田 でもしかし、いまの状態で日米安保を廃止したらどんななことがあるんでしょう。 兵頭 じゃあ安保がないんだから君の国はオレが軍事占領してもいいよね、とお濠端の第一生命にアメリカのGHQが復帰して四五年前に逆戻りするだけでしょう。いや、あのビルじゃもう手狭だからアークヒルズあたりかな。ただし自衛隊はいったん解散させられ、「スーパー日本国憲法」が制定されるでしょう。その繰り返しです。日本人が目覚めない限りは。 岡田 いきなりアメリカの軍事的後ろ盾を失うと攻め込まれる可能性も高くなるし、経済などで権利を訴えても「これまではおまえらにも半分の分け前を認めてたが、これからはうちの総取りだ」と脅されて、でも文句が言えないという立場になるんですね。では、どのような段階を踏んで安保改正と国体自立を実現すればいいんでしょうか? 兵頭 核武装です。それも段階を踏んでではなく、一挙に。 岡田 それは、「攻めてきそうな連中はみんな核持ってるからうちも用意しとこう」という低レベルな話ではないですよね。 兵頭 単純にいえばそうなるかもしれませんが、現実問題として、長距離核ミサイルだけが唯一アメリカ、ロシア、中国の権力に直接アプローチできる手段なわけですから。たとえばアメリカという国体にとってはワシントンやニューヨークのような中枢都市が被爆するのも、ナッシュビルやラスベガスみたいな田舎の都市が被爆するのも、痛みとして同じ大きさですからね。 岡田 そういえば『インデペンデンス・デイ』という映画の劇中で人口五〇万人くらいの小都市が吹っ飛んだとき、アメリカ大統領がガクッとする場面があったんですけど、たしかにアメリカ人はそれだけで戦意なくしますね。 兵頭 戦意はなくさないでしょう。ただ、これから起こり得る事態としては大統領はとても受け入れられない。そこが、アメリカに対する抑止力を考えるときに重要です。つまり、この場合の核は攻撃兵器ではなく抑止力ですね。相手を牽制するためのものだから、仮想敵一国当たりに対して二発もあれば足りるでしょう。フランスや中国が一〇〇発単位で所有してるのは、抑止力としての意味だけでなく、報復力としての計算をしているためで、あれを参考にしたらいけません。まあ日本の場合は抑止目的での核装備ですから、米ロ中に対してそれぞれ二発ずつ。合計六発あればいい。ただし、その六発をアラート状態で潜水艦に積んでおくためには、予備も必要になるから最低でも合計一二発の核ミサイルを造る必要がある。ちなみに長射程ミサイルの値段はというと、一発六〇億円。この価格はこの東大の宇宙研究所というところで開発した、ハレー彗星観測用の固体燃料式三段ロケットの価格です。ミサイルに取り付ける核弾頭は量産してしまえば一発一億円で調達可能なんですが、最初のコストもかかるでしょうし、製造数が少ないですから、一発二〇億円が目安でしょう。核搭載用の潜水艦は大型のものを使用するので一隻七〇〇億円くらいです。 岡田 潜水艦が意外と高い。 兵頭 通常動力で、特殊な運動性もいらないので、技術的にはなんてことないからです。さてそれで、潜水艦一隻につき核一発を装備するとして……。 岡田 ええと、ミサイル+核弾頭で一発八〇億。 兵頭 ただし配備前にも実験費用がかかりますし、約三〇発は研究用に必要です。つまり必要なのは潜水艦一二隻、核弾頭一二発、長距離ロケット三〇発。しめて一兆四四〇億円。こんな額で超大国に対する抑止力を手に入れることができるんです。 岡田 その一兆四四〇億円というのは、予算捻出が可能な額なんですか? 兵頭 湾岸戦争のとき、日本は不参加を決め込んだ代償として経済支援を押し付けられたでしょう。そのとき支払った「戦わないための落とし前」が一兆六〇〇〇億円でした。さらに農林水産省関係の補助金が全体でいくらあるかというと、たしか三兆円くらいつけています(会場どよめく)。 岡田 十分お釣りのくる金額ですね。すると核装備と海上自衛隊の兵力アップで……。 兵頭 陸上自衛隊の防空部隊だっていまよりもっと必要じゃないですか。それは、湾岸戦争の映像をみたらお分かりと思います。 岡田 そういえば兵頭先生、自衛隊を縮小しろとは言いませんよね。 兵頭 だって、北朝鮮ゲリラみたいなのがあちこちに複数入ってきたらどうします? 岡田 そりゃやはり警察でしょう。軍隊出すのはマズいですし。 兵頭 でも北朝鮮ゲリラってロケット弾とか軽機関銃を装備してますよ。 岡田 となればこちらも警察に重火器を持たせて……。 兵頭 警察は組織的殺人の訓練をしていない。それに、普段からマシーンのように一斉に人を射撃して一斉に突撃して一斉に銃剣で刺して、刺したあとすぐ次の目標に向かって一斉に走れるという訓練をしてないと、とてもものの役には立ちませんよ。しかし、警察がもっと重装備すべきだという意見に私も賛成です。別に四五五口径のスーパーブラックホークマグナムをもたせろってんじゃなくて、フランスやイタリアの警察みたいにサブマシンガンを持たせたらいい。パトカーには一〇番ゲージのポンプアクションショットガンを置いたらいい。 岡田 そうそう、日本って民間人・警察・自衛隊の間に極端な兵力差というか、戦闘力の開きがありますものね。 兵頭 それは良いことじゃないんです。軍隊とバランスをとれるパラミリタリーな武装警察がなかったから、戦前の列強のなかで日本だけが軍閥専制になってしまった。個がないとか自我がないとかの問題じゃないんだ。単にバランス・オブ・パワーの発想が欠けているから、日本人はまだまだアメリカ政府から民主主義の免許皆伝をもらえないんです。 岡田 そのパラミリタリーというのは具体的には。 兵頭 準・国軍的というニュアンスで、実例をあげれば、旧ソ連の赤軍に対してはOGPU/KGB、旧ドイツ国防軍に対してはSS親衛隊、今のアメリカなら州兵とSWATです。ヨーロッパ大陸では警察そのものがすでに軍隊に近い。 岡田 では軍の他に警察を強化したような武装集団があればいいんですね。軍としての自衛隊は核を装備して海上自衛隊をやや強化し、反対に陸自をややパワーダウン。将来確実に増えるであろう武装テロや小規模局地戦闘に備え、警察の別働隊を設立してバランスを整えると、このような計画で。 兵頭 いや、国内でのいついかなる立てこもりに対しても戦車と銃剣で突撃できるという態勢が陸上の究極の抑止力であり治安力ですから、陸自をこれ以上減らしても何の得にもならないでしょう。スーパー・オウムとか、あらゆることを想定してください。 岡田 自衛官を警察に編入して再編成というのは無理なんでしょうか? 兵頭 かれらは表面的には親近感があるんですが、奥深いところでは仲がよくないんですよ。二・二六で警視庁を占拠しちゃったでしょう。あれさえしなければね〜。いまだに警察は、あのとき縄目の屈辱を受けたことを忘れてないようです。 岡田 なおさら警察の武力強化が必要ですか。仲が悪いなら。 兵頭 アメリカはアジアに向かって「われわれが日本軍に対する瓶の蓋になる」なんてフカしてますからね。そういうダボラを語らせないためにも自前の武装警察力というカウンター・バランスが不可欠でしょう。 岡田 しかし兵頭先生、絶対に「自衛隊を縮小する」という話題には乗ってきませんね(笑)
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