『東大オタク学講座』
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第二講 アニメ概論
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アニメーションの種類 僕らは通常、セルアニメだけを「アニメ」と呼んでいますが、他にも粘土を使ったアニメとか紙アニメとかいろいろな種類のアニメーションが存在しています。とりあえず実例を挙げながら説明していきましょうか。 まずは「セルアニメ」。セルアニメの中にもいくつかの種類があります。たとえばディズニーの『白雪姫』。動いてるとこを見ないと実感できないんですけど、日本でやってるアニメより動きが滑らかで、全身で演技してます。フルアニメーションといって、一秒二四コマ作画で動かしてるんです。これ、制作費がすごくかかるんですよ。一枚一枚描いてますから。で、もっと効率よい方法をと考案されたのがリミテッドアニメと呼ばれるものです。背景とか動かさなくてもいい部分は止めておいて、固定ポーズのままキャラクターの目や口だけが別のセルで動いてたりするやつです。作画枚数も一秒あたり大体一二コマ。「静止している部分/動いている部分」を分けるというのがリミテッドアニメのお約束です。 それではセル以外にどんなアニメがあるのかということで、まずはわりとポピュラーな「粘土(クレイ)アニメ」。『クレヨンしんちゃん』のオープニングなんか有名ですね。これはカラー粘土を一コマごとに少しずつ動かして撮影したものです。粘土は柔らかくていじりやすいので、かなり昔からアニメーション素材として用いられてきました。手軽で低予算、しかもスタッフは自分一人いれば事足りるという利点があって、世界中にクレイアニメ作家がいるんですよ。 ただし二四コマ撮影して、やっと一秒できるという世界なんで、並大抵ではない根気を要しますし、その地道で細かい作業を熱い照明浴びながらやらなければならないというのがキツい。よほど好きじゃないとできませんね。すこし前の東ヨーロッパとか崩壊前のソヴィエトとかは粘土アニメの宝庫だったんですけど、社会主義が終わったら途端にすたれたようです。「手間かかりすぎてとても商売にはならない」って気づいちゃったんですよ。 次は「人形アニメ」。クレイアニメよりもさらに立体的というか、もう立体そのものですね。使用する人形は粘土製のもの、針金内蔵でポーズ固定可能なぬいぐるみ、本格的なパペットなど多種多様です。一コマごとに少しずつポーズを変えて撮影し、それを連続した動画として見せるわけですね。可動部分でフォローできないような動きについては、頭部差し替えで表情を変えたりといった手法を用います。『ピングー』なんかだと、クチバシの部分がいくつかの形状ごとに別パーツになっていて、それを取り替えることで口が動いてるように見せるわけです。 人形アニメの場合、粘土アニメとちがってグループで撮影を行うことが可能です。といっても二〜三人程度のスタッフですけど、パーツの取り替えとかが使えるんでそれほど微妙な動きを要求されないし、なんとか分業できるんですよ。絶望的なほど手間をくいますけどね。 これがハイグレードになると、映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』みたいになります。「トーントーン」という生物を人形アニメーションで動かして、他の画像と合成してましたね。 次は「紙アニメ」。セルアニメと大体同じなんですけど、鉛筆画を動かしてるわけですね。セルとちがって柔らかで心地よい質感が表現できるんで、CMなどでもよく使用されてます。これをやる場合のポイントは、あまり色を増やしたり塗りつぶしたりしないこと。色数や塗りつぶし面積が増えると鉛筆画独特の透明感が損なわれちゃうんですよ。 角川アニメ『ボビーに首ったけ』でも鉛筆画の質感を活かしたザクっとしたタッチになってましたね。このあたりがギリギリのラインです。問題点は、セルアニメに比べて手間がかかること。セルだったら素材が透明だから何枚かを重ねあわせて動かす部分だけ描き換えればいいんですけど、鉛筆画の場合は背景まで全部描かなくちゃなりませんからね。そのため背景などが微妙にチラつくんですけど、これがまたいい味出してるんですよ。CMなどにも登場している『スノーマン』なんかがいい例でしょう。一〇年ほど前の作品ですが、全部で二〇分くらい。紙アニメとしては驚異的な長さですね。スタッフが数人というのもすごい。スタッフロールが一瞬で終わっちゃうし、懲りたんだかなんなんだか、いまだに次回作が発表されてません(笑)。 この紙アニメというのは、使える幅が広いんですよ。『スノーマン』みたいに絵本的な柔らかさも表現できるし、『ボビーに首ったけ』みたいな「バイクの透明な疾走感、風の雰囲気」にもマッチするんです。音楽のビデオクリップとかでもよく目にしますよね。有名なのはA〜HAの『Takeonme!!』。以前MTVで大ヒットしたやつです。これに触発されて日本のCM屋たちがパクりまくったんですけど、たしかにこの兄ちゃんたち、アニメの方が絶対にカッコいいですよね(笑)。 さらに、ちょっと変わりダネかもしれないけど、『きまぐれオレンジ★ロード』のエンディングなどで使われてたんで、見たことある人もいるんじゃないかと思いますが、「砂アニメ」。信じられないくらいの手間と集中力が要求されるんで、日本でこれやってる人は四人ぐらいしかいません。 最後が「人間アニメ」。動いてる人間をそのまま撮ったんじゃただの映画ですけど、一コマごとに分割撮影することで、人形アニメのような不思議な動きを表現できます。 とまあ、アニメーションと一口にいっても様々なスタイルがあるわけです。粘土にしろ人形にしろ紙にしろ砂にしろ人間にしろ、あるいはCGにしろ、少しずつ変化していく一フレームごとの映像を作って、それを連続させて「動いてるよう錯覚させる」ものはすべてアニメーションだと思ってください。それくらい大雑把なくくり方をした方が、アニメを豊かに見れますから。
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アニメの構造 それではセルアニメ、つまり僕らが普段「アニメ」と呼んでいる映像作品の構造を解析してみましょう。 まずごく簡単な分解法として、アニメというのは「絵と音」に分けられますね。さらに絵の方はセル、BG(背景)、マスク(セルの上にもう一枚載せる効果用のもの)、特殊セルの四つに分かれ、音はSE(効果音)、ME(ミュージックエフェクト。BGM)、ダイアローグ(セリフ)の三種に分かれます。ちなみにショックを受けたときに「ガーン!」という感じを表現するような短い曲は「ブリッジ」と呼ぶんでよろしく。冷や汗流すときの「チャララ」とか気合入れるときの「シャキ〜ン!」とかも、厳密にはブリッジです。こういう細かいエフェクトというのが実は難しくて、音響さんや効果さんによってそれぞれ得意分野がちがうんですよ。 この全部を制御し、一つの作品としてくっつける作業のことを、アニメ制作の現場では「ダビング」と呼びます。たとえば『エヴァンゲリオン』の場合、「ビデオ・LDでは第二一話以降を再ダビングします」なんて言ってますけど、あれは「音響バランスを新しいミキシングで再ダビングしますよ」という意味なんですね。 ではちょっと「絵」の部分を細かく解析してみましょうか。例に出すのは映画『ルパン三世 カリオストロの城』の冒頭部分。動いてるとこを見ると分かりますけど、一番手前にいるルパンと車は静止したままで、背景だけが動いてます。一番奥では船が進んでますね。これは一枚のセルを進行方向側へ引っ張って表現してるんですよ。中間位置を歩いてる人たちは同じ動きのリピートです。恐ろしく少ない枚数のセルでここまで奥行きのある画面構成ができるんだという、素晴らしい見本ですね。「引っ張り」にしても、船、歩いてる人、自転車の人、犬を連れてる人の速度をバラバラにすることですごくリアルな遠近感が出てるんですよ。 この画面、おそらく作画総枚数は一〇〇枚程度じゃないかと思われます。それだけの枚数でこれだけの動きを演出できるんだから、見事というしかありません。 次もそうですね。一台目のトラックと三台目のトラックは同じセルの使いまわしです。街頭場面の奥へ行くにしたがって細かくなっていくので、なんとなく動いてるように見えるんですよ。バックの雲を垂直に引き上げたりして、観客のパース感覚・遠近感に錯覚を生じさせるわけです。走っていく列車も一枚セルの「引き」。次元はピクリとも動きません。ルパンが上半身を動かしますけど、これは上半身だけ作画して、下半身は同じセルを使用。寝袋でつなぎ目を隠してるんですよ。 こういうのを見ると、「カネにもの言わせてセル使いまくればいいってもんじゃないんだなあ」と実感してしまうでしょう。必要最低限なだけの動画枚数で、最大限のカッコよさを実現しているという、見事というしかないセンスです。結局「いい画面」を作るのに必要なのは、どういうオブジェクトをどうレイアウトして、どんな速度でどんな方向にどう動かすのかという、画面構成を的確に把握するレイアウト感覚、そして演出能力なわけですね。いやほんとにカッコいいっすよこのオープニング。これだけの仕事をさりげなくやってしまうんだから<B>宮崎駿は恐ろしい。 もう一つサンプルを紹介します。『ボビーに首ったけ』から、バイクが疾走するシーンですね。この映画はあまり制作予算もらえなかったんですけど、少ない枚数でカッコよく見せるためのテクニックが随所に使用されています。特にセルを引っ張るテクニックが秀逸なんですよ。一枚絵なのに、いい具合に動きが出てます。これはモトクロスの場面ですけど、走ってるバイクは全部止め絵。重力を計算した動きになっていて、坂を上がるときはゆっくりさせ、下るとき徐々に加速していくという「引き速度の調整」によってリアルさを出してるんですよ。 枚数節約のための苦肉の策だなんて思っちゃいけません。動かさなくて済むということは、一枚当たりのセル作画密度を高められるってことでもあるんですから。動画でハイレベルな作画を維持するのは手間も予算もかかりますけど、同じセルの引っ張りで済むなら、エフェクト入れたり影増やしたりできるんで、止まっていてもきれいな絵に見えるんです。 こういった「描き込み」には様々な特殊技法が用いられています。たとえば「透過光」。画面の一部が光るというあれですね。映画『AKIRA』では、ただ後ろから光を透過させるだけでなく、バイクのテールランプが残像で流れるというテクニックを使用しています。 光ではなく影を表現する特殊技法が「ハーモニー」というテクニックで、セルの上にもう一枚影を描き込んだハーモニーセル(別の画材を使用し質感を変えてある)を載せるというものです。『風の谷のナウシカ』作中、王蟲(オーム)が移動する場面ではこれを応用発展させた「ゴムマルチ」という技法が使われていました。普通のハーモニーは動かせませんけど、これは王蟲の各関節をそれぞれ独立したハーモニーで作り、それぞれをゴムでつなぎあわせてあるんですよ。こいつを引っ張ると、いかにも昆虫的な関節動作が表現できるというわけです。しかも重ね合わせによる遠近感や立体感まで出せるんで、一石二鳥ですね。 そして「ブラシ」。エアブラシを使用した吹き付け彩色のことです。透過光が考案された後も、コストが低いのでよく使われていた手法ですね。『ガンダム』のビームサーベルやロボットものの光線などに使用されていました。ちなみに劇場版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』では富野さんが意地になってしまったのか、ビームサーベルの表現で「透過光で光らせて、さらにその上からブラシを吹く」という、アニメーターを瀕死に追いやるわりにはたいして目立たないことをやってます(笑)。富野さん、よほど燃えてたんでしょうね。オタク心を熱くしてくれます(笑)。
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アニメーション映画の誕生 もともと映画というのは全部アニメーションみたいなものなんで、「映像を動かしたい」という欲求が元となって、映画誕生以来一〇〇年かけて短編フィルムから長編アニメなどへ分化してきたわけです。 つまり、映画が多様化した背景には「画面のすべてをコントロールしたい」という欲望があったんですよ。でも、ロサンゼルスみたいに年がら年中晴れてる土地は外でいろんな画が撮れるからいいとして、日本のように雨や曇りの多い土地では外で自由に撮るのは難しいし、それに「かったるいから外へ出たくない。インドアでやりたい」という欲望があります(笑)。だから日本みたいな土地で映像表現やるならアニメの方が向いてますよね。 外で実際のモノを撮った方がお手軽というわけではありません。テリー・ギリアムという監督は「直径二メートルの目玉が砂漠の上を地平線までぎっしり埋め尽くしている画が欲しい!」って予算何億も組んじゃったんですけど、そういう画面作りたい人はアニメやった方がいいでしょう。 それに、アニメってやろうと思えば安く作れるんですよ。実写の場合でも、派手なSFXスペクタクルは別として低予算の日常劇みたいなのはかなり安く撮れますけど、「スペクタクル大作を安価で制作できる」というのは、アニメならではの特性です。最低ラインの予算として二時間作品なら七〇〇〇万円から制作できますし、友達に作画や音楽頼んだり口パクでダイアローグばっかりで「ゼーレの紋章は……」なんて言ってる作りにすれば五〇〇〇万円でも制作可能でしょう。 というより、いくらカネかけようと思っても二〇億以上はかからないんですよ。宮崎さんの『もののけ姫』も予算二〇億でした。監督の完璧主義が裏目に出て延々リテイクが繰り返されるという事態も、あまり発生しません。これが実写だったら、黒澤明みたいに夕日にNG出したり、チャップリンみたいにラストシーンにリテイク出しまくって制作が四百数十日遅れるなんてこともあるんですけど、アニメでそんなことしたらスタッフが皆逃げちゃうんで、あまりムチャ出さずにある程度のところで妥協ポイントを迎えてしまうんです。
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フルアニメーションとリミテッドアニメーション ちょっと話が戻りますけど、フルアニメとリミテッドアニメのちがいについて、もう少し補足しておきます。 代表的なフルアニメーション作品はさっき紹介したディズニーの『白雪姫』だとか、他には同じくディズニー作品である『ファンタジア』、それとフランスアニメの『やぶにらみの暴君』といったところでしょうか。とにかくまあ、グネグネと動く動く。 これに対して、リミテッドアニメーションというのは『愛天使ウェディングピーチ』など、僕らが日頃テレビやOVAで見てる作品ですね。 たとえば「人物がドアを開けて室内に入ってくる」なんていう場面だと、フルアニメの場合はすべての動作や背景などを動かすわけですけど、リミテッドアニメの場合は「ドアが開く」↓「バストショットのキャラクターが引きセルで入ってくる」↓「ドアを閉める手は見せずに、ドアの動きと効果音だけで、後ろ手に閉めたように表現」という具合になるわけです。これだと人物は一枚作画で済みますし、後はドアだけ動かせばいいから枚数が節約できるでしょう。しかしリミテッドだからといってただやたらに枚数節約しまくっているというわけではありませんし、フルアニメだから停止部分があっちゃダメだというわけでもありません。 グリグリ動かせばそれでフルアニメになるというわけじゃないんですけど、ときどき誤解する人がいるわけです。「秒間二四コマ作画」の意味をカンちがいした悪例というのが、手治虫の劇場アニメ『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(笑)。手さんはリミテッドとフルの意味をカンちがいしてしまって、「とにかく二四コマで作画すればいいんだな」と、止まってる部分もフル作画しちゃったんですよ。静止部分を一枚絵で済ますことには枚数節約の他にも「絵のブレや動きをなくして一定状態のままポーズする」という目的があるんですけど、本来止めておくべき部分まで一枚一枚フルで作画しちゃったもんだから、よく見ると立ち止まってる人物とかが微妙に震えてるんです、プルプルと(大笑)。いやあ、素晴らしいムダ遣いっすよね。『火の鳥2772』は制作が進行するにつれて予算規模が縮小されたらしく、前半パートをクリアしたあたりで台所事情が限界に達してしまい、途中からリミテッドアニメに戻ってしまったという、なんとも奇妙な作品でした。
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貧乏への道 日本のアニメはみんなリミテッドなんじゃないかと思った方もいるでしょうけど、わが国にもちゃんとフルアニメ作品が存在します。東映フルアニメと呼ばれていた『太陽の王子 ホルスの大冒険』がそれですね。 ただしフルアニメといっても、これ、秒間二四コマではなく一二コマの作画なんです。どことなく動きがぎくしゃくして見えるのはそのせいです。ディズニーが『ファンタジア』に豊富な予算をつぎ込んでいるのに対し、当時東映アニメにいた宮崎さんや高畑さんたちが「秒間一二コマのアニメでも観客に感動を与えられるんだ」と意気込んで、途中で労働運動起こしながらも二年間かけて作ったのが『太陽の王子 ホルスの大冒険』でした。 その時期に手治虫がダンピングを行ったんですね。当時テレビアニメの制作費は三〇分もので二〇〇万円必要とされていたんですけど、手さんは「うちなら五五万円で作れます」と、ものすごい価格破壊を行ったんです。それでできたのがテレビアニメ第一号の『鉄腕アトム』。どうやって制作費を下げたのかというと、秒間八コマ作画という、すさまじい枚数節約をしてるんです。このあたりから日本のアニメーション作品は動かなくなりました。 手さんもマズいことやってくれましたよね。ダンピングがなんでいけないかっていうと、企業間の健全な競争を阻害してしまうからなんですよ。たとえば大企業Aと零細企業Bがあったとしますよね。資本力ではA社の方がすぐれてるけど、B社は若くてほんとうにアニメ好きな人たちが集まってて技術力が高いと、そんな感じだとしましょう。で、A社としては零細ながらも高い技術力のあるB社に潰れてもらった方が都合がよいので、いろいろ工作するわけです。本来なら二〇〇万の制作費がかかる作品を、「うちなら五〇万円で作れるからおトクですよ」と宣伝して、それでB社が潰れると今度はそこのスタッフを吸収して、仕事も人材も独占。その後で徐々に値段を吊り上げ、採算を合わせるわけですよ。 手治虫がやったのはこれと同じことなんです。そのため、『アトム』の後に作られた『8(エイト)マン』や『狼少年ケン』なども大体五〇万円前後で制作されるようになってしまいました。ほんとうは二〇〇万かかるんだからどこかで採算合わせておかないとヤバいってんで、そういった事情から日本アニメの業界に、玩具メーカーへ商品化権を売り込んで儲けるというシステムが定着してしまったんです。 ちなみに本格的な意味での「アニメの商品化」は『マジンガーZ』から始まったといわれています。『マジンガーZ』などとは逆の「商品企画先行型のアニメ」なんていうシロモノもありました。商品先行型の顕著な例というのが、実は『機動戦士ガンダム』なんですよ。あれは最初、クローバーという玩具メーカーから超合金ロボットの企画があって、その販売戦略用にテレビアニメが制作されたんです。ただしこの超合金ガンダムというのがまた、あまりにもひどい出来でして、まったく売れなかったんですよ。クローバー社はその後倒産してしまいました(笑)。で、代わりに商品化権を買い取ってあのガンプラブームを巻き起こしたのがバンダイというわけです。 また、最近では玩具だけでなく声優さんを「商品・ウリ」としているアニメもあって、「声優人気先行型アニメ」なんてのもよく見かけるようになりました。
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アニメーション評論 現在のアニメーションに対するマトモな評論というのは、ほとんど存在していません。映像系の芸術評論家たちは東ヨーロッパなどから発表されているクレイアニメ、砂アニメ、紙アニメ、人形アニメしか「アートだよね」とみなしていませんし、『トムとジェリー』のようなカートゥーンにしても、ポップアートの人たちが「ひょっとしたらアートだよね」とやや注目しているにすぎず、あのディズニーですら、大衆芸能として「ギリギリのラインでアートかもしれないよね」程度の評価しかされていません。 で、ディズニーの下に日本のアニメがあるんですけど、リミテッドだしダンピングだしといった理由がありまして、なかなかマトモなアートとしては認識されてないんですよ。最近になって『キネマ旬報』がアニメ評論を載せたりするようになりましたけど、これは単純に発行部数が五倍に伸びるからという理由ですよね(笑)。だから低俗なロボットアニメとか美少女ものとかは評論してもらえないんです。『怪盗セイント・テール』なんてもってのほか(大笑)。 こういう話をしてると低俗なアニメはダメでアートっぽいのがいいんだみたいな感じもしますが、ところが現状としては逆なんですよね。アートっぽくないアニメの方が逆にウケてます。 たとえばヴァージン・メガストアというCD・ビデオのショップがあるでしょう。あそこの海外店舗の話なんですけど、店内に「アニメ」のブースが「カートゥーン」や「アニメーション」とは別に設置されていて、しかもかなりデカいフロア面積を取ってるんですね。ちなみに「カートゥーン」のブースに並んでるのはハンナ・バーベラとか『バットマン』とかで、「アニメーション」ブースに置いてあるのが東ヨーロッパ製芸術アニメとかディズニー。それらよりもデカいブースを取って、「アニメ」のに日本アニメが並べられて、『ロボテック』(『マクロス』の海外輸出版用タイトル)だとか『天地無用! 魎皇鬼』だとか、『プロジェクトA子』までありますよ、渋いでしょ(大笑)。『うる星やつら』も『遊人』もありますし、『マクロスプラス』も『AKIRA』も『銀河英雄伝説』もあります。『ジャイアントロボ外伝・裸足の銀鈴』まであります(大笑)。 ご存じのようにこれらは以前「ジャパニメーション」と呼ばれていたんですが、スペルの頭が「JAP」となっていて、読み方によっては「ジャップのアニメーション」という人種差別的な呼称に見られてしまうんですね。それで人種差別の団体から抗議がきてしまって、「アニメ」に呼称変更したんです。だいたい、僕ら日本人は誰も「ジャパニメーション」なんて呼び方していないでしょう。世界で一番カッコいい日本人は「アニメ」と呼んでます。それで海外での呼称が「アニメ」で統一されたんですね。
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アニメがメジャーになった理由 なんでリミテッドでチープな「アニメ」がメジャーになれたんでしょうか? ウケる理由はなにか、日本の「アニメ」の一体なにが面白いのかを海外のアニメファンに質問してみると「絵がきれいでストーリーが素晴らしい」という回答が一番多いんですよ。止め絵がすごくきれいだと言います。動いてるところよりも一枚絵や描き下ろしセル画など、止まっているものの方が人気高いようです。あとキャラクターが美しい、これまで見たことのないような美があるなんて評価もよく耳にしますね。海外のアニメファンは『美少女戦士セーラームーン』シリーズを見て「他のメディアでは絶対に見られない美だ!」なんて感動するわけです。 ストーリーの魅力については、手加減のなさがポイントになってるようです。正義の味方も死ぬし、ストーリーは何話も続くし。向こうのアニメーションというのは企画段階で全何話って決められないんです。ヒットすれば何十回でも延長されるし、コケれば五回一〇回で打ち切られてしまう。だから、向こうで放映する場合には第一話も最終回もない方がいいんですよ。とにかくなんの前提もなしにポンとキャラクターが出てきて活躍するようなタイプがウケるんです。第一話で少年がロボットに乗れとか言われて「逃げちゃダメだ」と悩んだりしたらいけません(大爆笑)。向こうでは、いきなり敵が出てきてロボットに乗って戦って、それで勝利して万歳よかったねなんて作品が求められてるんです。その結果、向こうのアニメは子供向け作品ばかりになってしまいました。 ところが、日本のアニメというのはちがうわけです。この理由というか背景はですね、講義に集まってる皆さんが生まれるよりちょっと前、六〇年代に安保闘争というのがありまして、このとき政治運動に参加して就職活動しなかった人たちが、ポルノ映画界やアニメ界にたくさん流れ込んできて、それで子供向けアニメの中に政治とか人間とか陰鬱なテーマを盛り込むようになっちゃったんです。日本独特の「変な文化」としてのアニメはこうやって誕生したんです。 それ以降の日本アニメというのはご存じのように、子供向けであるにもかかわらず、クライマックスで人間の業が出てきたり、ニュータイプやら因果地平やら小難しい単語が続出するようになっちゃったんですよ(笑)。ほんとに、これって日本アニメだけの特徴ですね。 日本のアニメは「子供向けである・子供が見る」間口の広い内容なのに、クライマックスに行くと走ってしまうわけです。ニュータイプは人の革新であるだとかイデが発動して因果地平へ旅立ったりだとか、あと「おめでとう」だとか(大爆笑)。 つまりこういった部分が、向こうの人たちがいう「手加減のないストーリー」なわけです。『セーラームーン』にしても、ちびうさの友達だったほたるが実は地球を滅ぼすセーラーサターンだったなんて、そんなクライマックス、アメリカじゃ絶対に出てきません。 それとヴィジュアル的な部分での「これまでに経験したことのない美」といった評価についてなんですが、西洋人の考える「美」というのは、セリフがなくてずっと動いてるような「動の美」が多いんですよ。バレエにしても然り、シンクロナイズドスイミングにしても然り。動きによる美の表現を追求してるんですね。だから画面を止めて見た場合、ディズニーのキャラクターって案外不細工なわけですよ。動いてるとなんかカッコいいんですけど。 それに対して日本の基本的な「美」は、能とか狂言とかのような「静の美」ですよね。動いているときよりも静止している状態、動きと動きの「間」がカッコいいという感覚でしょう。まんがもそうです。向こうの人たちが映画を好むわりにまんがはあまり読まないというのも、静止画を美しく感じないからです。 日本人ってアニメでもビデオを止めて鑑賞したりしますからね。静止させたときにピタッとキマる画面、そういう美が追求されてるんですよ。
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まとめ 日本アニメというのは元来、映像芸術としても大衆娯楽としてもバカにされてきたジャンルでした。誕生したときはアニメはれっきとしたアートだったのに、ディズニーのような商業アニメが誕生し、その下層カテゴリーとしてリミテッドアニメ、つまり『トムとジェリー』や『ホルス』などの作品が「カートゥーン」とやや軽んじるような呼ばれ方をされ、さらにその下に日本独自のものとして、われわれが「こういうのが普通のアニメなんだ」と思っているテレビアニメが誕生したわけです。『あらいぐまラスカル』程度がギリギリ「枚数は少ないけど頑張ればアニメになるよ」というラインでしたね。で、テレビアニメの中でもロボットものの下に美少女ものが、もっと下に『レモンエンジェル』や、『くりぃむレモン』みたいな一八禁アニメがある、という階層化がなされていたわけです。 ところがふと気がついて現状を見てみると、逆転現象が起こってるんですよ。『スタジオヴォイス』あたりでジャパニメーション特集とかやってましたけど、そういうメディアで扱えるのは『攻殻機動隊』とか大友克洋の『MEMORIES』とか、それなりに見栄えのいいものばかりですね。 でも実は、向こうの人たちに「いま一番ハマってる日本アニメはなんですか?」なんて聞くと、すっごい力強い笑顔で「レイアース!」と答えが返ってくるんですよ(笑)。
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