『東大オタク学講座』1997年9月26日版 ン1997.Toshio Okada
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第四講 まんが概論

あくなきオタクな漫画読みになる方法


 まんがの基本文献

 他のジャンルと比べると、まんがは結構いい文献が揃ってるんですよ。ぜひ押さえておいてもらいたいものをいくつか挙げますんでチェックしてみてください。

 まずは別冊宝島EX『マンガの読み方』。夏目房之介さんや竹熊健太郎さん、斎藤宣彦さんなど七人の研究者グループが三年の歳月をかけて作った大変な労作です。次に呉智英『現代マンガの全体像』。まんがの歴史や「戦後まんがの社会主義的な位置づけ」、「まんがの言語論的な分析」といったアカデミックな分析がなかなか読ませてくれます。三つめが四方田犬彦『漫画原論』。結構有名ですね。

 現代風俗研究会の『マンガ環境』も要チェックです。これ、変な本でしてね、「少年ジャンプの行方」っていうルポが載ってるんです。どういうルポかというと、キオスクでジャンプを買った人を追跡して、どこの駅で読んでどこの駅で捨てて、それを誰が拾うのかという流れを延々追いかけてるんですよ(爆笑)。サブカル系に強い書店などを探せば手に入ります。

 まんが家が書いたものとしては、いしかわじゅん『漫画の時間』。後半部分はレビュー中心で、好みの作品とか「俺はこの作者とケンカしたことがある」みたいな話がなかなかですね。特に参考になるのが前半の「まんが家はどんな視点からまんがを読んでいるのか」という部分。いしかわさんはどんなまんが誌でも、一冊読むのに丸一日かけてゆっくり楽しむことができるそうなんです。そんなにじっくり読んで一体なにを見てるのかというと、トーンの削り方やペンの描線、コマ割り、ト書きの書き方など、各作品・各作家のテクニックを詳細に観察して楽しんでるんですね。「あ、こいつこんなテクニックを身につけたのか」とか「このトーンの使い方って変わってるなあ」とか「あれ? 途中で81番トーンが切れちゃったのかな」とか(笑)。誌面に掲載されたものを通して、技術的なものから作者の心理的葛藤まで想像を広げてるんですよ。

 もう一つ、唐沢俊一『まんがの逆襲』も押さえておいてほしいですね。残念ながら現在は絶版なんですが、都内の古書店で手に入ります。従来のまんが文献は少年まんがや青年まんがなどのいわゆるメジャー系を対象にしたものがほとんどだったんですが、この本では昔の貸本まんがとか、いまじゃ誰も読む人がいないような「母恋もの」とか、かなりディープな対象を扱っています。「継母の所に捨てられた女の子が健気に頑張る」みたいなちょっとすさまじい内容のまんがが紹介されてたりして、ところがいまこれを読むと逆に面白かったりするんですね。それで「なぜ面白いんだろう? まんがの原点・パワーのルーツはひょっとしてこのへんにあるんじゃないか?」みたいなアプローチが読ませてくれます。

 スタンダードな文献として竹熊健太郎&相川コージ『サルでも描けるまんが教室』。通称サルまんですね。これはストレートなまんが教室ではなくそのパロディとでも言うべき内容で、あくまでも「遊び」だということを念頭に置いて読んでくださいね。

 以上、このあたりがまんが研究の基本的文献として押さえておくべき、最低限のラインナップです。もちろんオタクとしてまんがを把握するためにはただ読んでるだけじゃダメですよ。オタクというのは基本的にフィールドワークが重要なものですから、自らも対象にどっぷり浸からなくちゃいけません。どっぷり浸かって帰ってこれるかってのが大事なんですが(爆笑)。いや、マジにいるんですよ、帰ってこれない人が。皆さんも油断してると五年後には池袋の劇場裏でセル画交換するようになっちゃ@Sう場合がありますから、気をつけてくださいね。

 

 まんがの環境

 では基本的なまんが誌を押さえましょう。少年まんが、少女まんが、青年まんが、マニア誌。これぐらいは目を通すこと。これはオタクとしての基本スタンスです。そのためにコンビニというものがあるんですよ。基本的に、コンビニに置いてあるようなものは大体でいいからチェックしておいてください。パラパラめくる程度でいいです。

 でもさすがに毎週毎月は見ていられないでしょう。僕だって『アフタヌーン』を毎月読めなんてムチャは言いません。けれど毎号でなくてもいいからせめて三ヵ月や四ヵ月に一回くらいのペースで目を通して、たとえば『ヨコハマ買い出し紀行』とはどんな作品なのかとか、いま『ガンスミスキャッツ』はどうなってるんだろうかとか、基本的なところはつかんでおかないと。一人でボ〜ッとしてなんとなくCD聴いてるような時間があったら、さっさとコンビニへ走って三時間くらい立ち読みするようにしてください。皆さんまだ若いんですから。

 その他、オタクとして当然チェックしなくちゃならないのが、エロ、レディースコミック、アメコミ、児童まんが。特に『コロコロコミック』は重要ですよ(爆笑)。あとは特殊まんがも押さえておきたいですね。たとえば『ファミ通』に載ってるやたらネームの多いまんがとか、あと創価学会の出してる『聖教新聞』掲載のものとか、『赤旗』のフリースペースに載ってるやつとか。これはメチャクチャ面白いんでぜひ読んでみてください。『赤旗』のまんが、いいっすよ〜(笑)。僕は友達から見せてもらったんですけどね。あと『聖教新聞』のまんがとかも、読んでるうちにだんだん創価学会の教義に興味が湧いてくるという面白い部分があります。とにかくあの類のものは、その世界の「約束事」を理解してないとなかなか笑えないってところがいいですね。

 これらのものをちゃんと幅広くフォローしておくと、まんが読みとしてのいい目が養われてきて、あらゆるまんがを楽しめるようになるわけです。オタクの基本的スタンスってのは「のめり込むでもなく否定するでもなく、面白がる」ことなんだというのを忘れないでくださいね。あらゆるものを面白がれるようにしてください。

 

 まんがの分析

 では、基本文献によるまんが分析をやってみましょう。

 これまでに僕が読んだ「まんがの構造に関する考察・定義」のうち、評価に値し、参考になるようなものとしては、以下の三つがあります。

 一つ目は呉智英さんの唱えた「言語モデル」。呉さんはまんがを「コマを構成単位とする、物語進行のある絵」と、まあちょっと難しい感じのものとして定義しています。

 二つ目はアメリカのコミックアーティストであるスコット・マックロードという人による、「まんがとはイコンでありアイコンである」という定義。

 そして三つめが夏目・竹熊・斎藤の三氏による「まんがとは絵とコマと言葉から成り立っているものである」という定義。

 これ以上厳密な形でまんがを定義づけることは、ちょっと難しいんじゃないかと思います。これら三つの定義は「大体コマを中心としていて、連続性のあるストーリーが展開されていく」という、似たようなニュアンスを持ってるんですが、それぞれ微妙に異なってます。僕が知っている限りまんがの構造に関する定義として面白いなと思ったのは以上三つくらいなので、以下、これらをもう少し掘り下げてみましょうか。

 

 まんがの構造モデル

 まずは呉智英さんの言語モデルから。

 この人の唱えるまんがの定義は「コマを構成単位とする物語進行のある絵」でしたね。これを別の言い方で表現すると、「現示性と線条性が複合した一連の絵」ということになります。

 現示性ってのは、絵画を見れば分かりやすいんですが「その全貌が一目で見渡せて、一瞬にして内容が全体として把握できる」ということ。で、線条性というのは言語や音楽などのように、情報が線的な流れとして伝わってくるものですね。個々の構成要素が部分=文字や単音として見えたり聞こえたりして、それが流れとなったときに初めて全体が意味を持つ。これが線条性です。呉さんはまんがという表現形式を、この「現示性=絵」と「線条性=ストーリー」を持った特殊なものとして定義しているわけですね。

 呉さんはこの定義を踏まえた上で、まんがってのは日本語と類似してるんじゃないだろうかと考えたんですよ。なぜ日本はこれほどまでにまんがが盛んなのか、なぜ海外アーティストたちが日本まんがを模倣しようとしてもうまくいかないのか。その原因は僕ら日本人が使用している言語に密接な関係があるんじゃないだろうかと主張したわけです。

 さて、日本語というのは皆さんも習った通り、ウラルアルタイ語属に属する膠着語です。膠着語というのは形容詞とか名詞・動詞を助詞でくっつける構造の言語ですね。「きれいな花を花瓶に挿した」という文章は「きれいな・花・を・花瓶・に・挿した」という具合に分割できるわけです。それと同時に、日本語は「漢字仮名混じり文で記述される」という特徴も持っています。漢字ってのはそれ一文字で意味が通じる、表意文字でしょう。ところが仮名は表音文字。つまり日本語の文章は表意文字=漢字と表音文字=仮名が混在しているという不思議なシロモノであるわけですが、さあ、ここでちょっと考えてください。

 表意文字の「一目で意味が伝わる」という特性、そして表音文字の「それ一字では意味をなさないがつながると意味が生じる」という特性。これ、何かに似てませんか?

 そう、さっきの「現示性」と「線条性」ですね。つまり日本語もまた「現示性と線条性を兼ね備えたもの」なんですよ。呉さんはこのことから、まんがは膠着語である日本語と似ているんじゃないかと気づいたんです。「コマ・コマ・小さいコマ・コマ・コマ・余白」なんていう、まんがの進行に関係しているんじゃないかと。

 これは少女まんがを読んでみると実感しやすいんですよ。少女まんがって他のジャンルに比べて不必要なコマが多いでしょう。よく見かけるものだと、カットの変わり目に「捨てゴマ」なんてのがあります。回想シーンに入る場面で何も描いてない白いコマが、小さくなりながら何個か並ぶというアレですね。あれは明らかに文章での「……」と同じ機能ですよ。他にも、気絶した人物が目を覚ます直前のところで、真っ黒なコマが入ってたりするでしょう。こういった「コマとコマを接続するための助詞的なコマ」が進行に用いられるわけです。

 戦前のまんがは大体捨てゴマなしで進行してたんですけど、手治虫がコマ使いを大胆にして、それを石森章太郎(現・石ノ森章太郎)がさらにアレンジしたりして、まんがのコマ割りは徐々に複雑化・多機能化していったんですよ。

 これこそが日本人がまんが慣れしている理由、あの複雑な構造を自然に理解できる理由、他文化の人たちが真似しにくい理由なんじゃないか。これが呉さんの主張する「言語モデル」です。言語を中心に据えたアプローチでまんがを考えてみたわけですね。

 

 つぎにスコット・マックロードの「まんがとはイコンであり、アイコンである」という定義。つまりマックロードは抽象化にポイントを置いているわけですね。

 彼によれば、まんがというのはまず、絵を簡略化することで成立しているわけです。たとえば「顔」を描く場合、輪郭の中に目が二つ鼻が一つ口が一つというところまで簡略化できるでしょう。そこまで極端にしなくても、ギャグまんがなどには劇画タッチのものにくらべて簡略化された顔のキャラクターが目立ちます。

 で、マックロードは「まんがとはこの簡略化された流れの中にあるんだ」というようなことを言っているんです。実際の絵ではないもの、ピクチャーでもアートでもなく、抽象画でもない、簡略化された一種の「アイコン」こそがまんがの表現であるというわけで、そのことについて大変面白い図式を提示しています。

 これはマックロードの案による「まんが表現の三角形」というやつです。絵の性質を「リアリティー」と「プレーンピクチャー=図形」「ランゲージ」の三角チャートで表していて、簡略化=アイコン化によってどんどん言語的なものになっていくんだというんです。彼は「絵としてのあらゆるまんが表現はこの三角形内に位置づけることが可能だろう」と唱えています。マックロード自身、まんが家として活躍している人なんで、まんが分析をやろうとすると呉さんみたいな言語学的アプローチよりも「アーティストとしての自分は絵画やまんがをどのような視線で見ているのか」と考えた方がしっくりくるようなんですよ。

 リアルタッチの「顔」を絵として崩していくとどんどんまんが的になり、さらに崩すとほとんど記号のようなものとなって逆にまんがからズレていく。「絵から言語へ/絵画から図形へ」。この中間位置にまんが表現があるということですね。

 マックロードは『アンダースタンディング・コミックス』という、「まんが形式によるまんが研究書」とでもいうべき力作を五年ほど前に発表しています。彼のまんが理論がダイナミックに展開されていてかなり参考になりますから、ぜひチェックしておいてください。

 

 さて、三番目のモデルですが、夏目・竹熊・斎藤三氏の提唱するこの構造モデルが一番ややこしいというか難解なシロモノなんですよ。見ただけでクラクラします。「まんがは絵とコマと言葉から成り立っていて、絵というのは線と同じモノである」というのが、かれらの定義。絵を構成する線をまんが用語で「描線」というんですが、人物の描線がまず主体としてあって、次に客体として背景画などがあり、さらに「主体に対する形喩」として汗や描き文字などがセリフと連動していると。

 竹熊さんは人物の額をつたう汗やこめかみでピクピクいってる青筋などを「漫符」と呼んでいます。言われてみればなるほどという意見で、たしかに現実の人間は焦燥を感じてもあんな雨粒みたいな汗は流さないし、目からアメリカンクラッカーみたいな涙を垂らしたりしないでしょ? つまりあれらは、まんがの中で用いられるある種の符号、漫符なわけです。焦ってる星飛雄馬の額からなんか水飛沫みたいな汗が飛んでるのは、実際に「まんがの物語世界内」で汗が飛び出してるんじゃなくて、心理表現のための符号なわけですよ。で、進行に関してはやはりコマ割りとコマ間が関係していて、言語についてはフキダシやナレーション、さらに枠外にある作者の落書きなどが担っているんですね。

 まんがの構造を分析する場合、ここらあたりがギリギリのラインであって、それ以上の細分化は「分類のための分類」になってしまうだろうというのが、かれらの主張です。

 

 海外のまんが市場

 堅い話が続いちゃったんで、笑える実例の方に移りますね。まずは海外のまんが市場。世界各国のまんが市場がどのような状態になっているかを、国ごとに解説していきます。

 

○東南アジアの場合

 東南アジアでは現在、『ドラゴンボール』の出版ブームが一息ついたところです。基本的にこれまでこの地域で出版されていた『ドラゴンボール』は海賊版ばかりだったんですけど、去年あたりからようやく、集英社から正式に著作権を取って販売するという動きが出てきたんですね。

 それまでは「タイのドラゴンボール争奪戦」というのがありまして、二〇社くらいの出版社から海賊版『ドラゴンボール』がいくつも発行されるというとんでもない状態だったんですよ。内容はどこの社のも同じだから当然ダンピング競争が起きて、最初は一冊二〇バーツだったのが毎週値下がりしていくような状態だったんです。で、相場が一〇バーツを切ったあたりでようやく「印刷費だけで足が出てしまう。このままじゃダンピング競争で共倒れだ」と気づいたらしくて、一計を案じたある出版社が集英社に正式交渉を行ったんですよ。

 ただし当時の集英社は海外に対して一切版権を許可していませんでした。というのも、以前アメリカで『北斗の拳』の英語版を発行して大失敗した過去がありまして、その苦い経験からガードが固くなってたんですね。その集英社に対してタイの出版社がどんな交渉を行ったかというと、これがまたすごい。

「タイでの『ドラゴンボール』出版を認めてくださいよ。認めてくれなかったら俺ら、いままで通り二〇社三〇社総がかりで海賊版出しまくりますよ。それでもいいですか?」と(大笑)。集英社もビビッたでしょうね。「だったら版権認めた方がましだ」って、結構いい条件でタイ版発行を認可したんです。

 この交渉というか、ほとんど脅迫みたいな手段で版権取ったオジさんの偉いところは、タイに帰国してからなんです。帰国後タイ国内で『ドラゴンボール』海賊版を出してるところの社長を全員集めまして、会議を開いたんですよ。

「ダンピング競争で一冊一〇バーツとか五バーツなんてやってたんじゃ、自分の首を絞めてるだけだろうが。こういうのはお互いもうやめようや。俺が日本に行って、集英社から版権取ってきたからよ」

 他の社長たちも驚いて、

「ええ 正規ルートで版権取ってきただって? 大した野郎だぜ。よっしゃ、『ドラゴンボール』はおまえさんとこにくれてやるよ」

 まだ親分肌とか男意気というのが通用するんですよねえ(笑)。おかげでいま東南アジア、特にタイのあたりは著作権問題がすごくクリーンになってます。現在だと週刊『少年ジャンプ』が日本より一ヵ月遅れで、大体四五バーツぐらいで販売されてます。大変安いです。

 

○ヨーロッパの場合

 ヨーロッパのまんが市場は現在、プラネッタ社とノルマ社の二社(共にスペイン)の競争状態ってところですね。イタリア・フランスのまんが出版はスペインに比べるといまいち情報が整理されてなくて、ちょっと報告をまとめづらいんですよ。ただヨーロッパのまんが人口はここ数年確実に増加していて、その活力源になってるのが先に挙げたスペインの二社なんです。

 プラネッタ社は「スペインの講談社」と呼ばれていて、めちゃくちゃデカい会社なんですよ。月に一〇〇タイトルくらいのまんがを出していて、ラインナップの内訳は三分の二がアメコミ、残り三分の一が日本まんがです。

 ところがこのプラネッタ社、資本力がデカいのはいいんですけど、どんなまんががウケるかっていう選択眼がまるでないんですよ。日本へ来るたびに「とりあえず」って感じで版権買っちゃうんです。講談社に出向いて「どんなまんがが売れますか?」と質問するでしょ。それで「お薦めは『What'sMichael?』ですね」とか言われて、あっさり信じちゃうんですよ。案の定『What'sMichael?』の発行で大赤字くらいました(笑)。で、今度こそはって意気込んでまた版権買いにきたものの、またしても小林まことの『へば ハローちゃん』と、あと『哭きの竜』を描いてる人のマイナーなまんがをつかまされて、「もしかしたら日本のまんがって売れないんじゃないのか?」なんて悩んでるらしいです。

 それに対してノルマ社というところは、後進ながらもマニア上がりの気合入ったスタッフが揃ってて、なんかいいんですよね。社長が四〇代、社員がみんな二〇代くらいで、僕が見た限り全員とも完全なオタクです(笑)。

 そんな感じだからウケるまんがを見抜く眼力も相当なものでして、「ノルマ社では今までどんな日本まんがを出してるんですか?」と質問したところ、「わが社が自信を持って発行しているラインナップは……」と名前あがったのが、大友克洋『童夢』、まつもと泉『きまぐれオレンジ★ロード』、士郎正宗『ドミニオン』、藤島康介『逮捕しちゃうぞ』、桂正和『電影少女』(会場大爆笑&拍手)。「今度は士郎正宗の『攻殻機動隊』を出します」って言ってましたからね。いやあ、すっげえマニアックなセレクションですよ。こんないいセレクションできるんだったらなにも悩みなんかありません。そのためにプラネッタ社が押されつつあるんです。

 その大活躍を見たプラネッタ社としては当然「ちょっとまった。俺達もなにかウケる作品を出せばノルマ社くらいイケるんじゃないか?」と疑問に感じまして、また日本まで来るわけですよ。再び講談社や小学館を回って、「今度こそヒットする作品をください」。すると「じゃあこれなんかどうでしょう」といわれて版権買ったのが『沈黙の艦隊』(大爆笑)。なんかカンちがいしてるんですよ、プラネッタ社の人たちは。

 ラインナップを見れば一目瞭然なんですけど、ノルマ社が目をつけた作品はどれもアニメっぽい絵柄のものばかりでしょう。ここがポイントなわけです。スペインでは昔から日本のアニメがオンエアされてたんで、〈まんが=絵で読むアニメ〉という認識が定着してるんですね。だから必然的に、アニメオタクと読者層がダブる以上、それっぽいタッチの作品がウケるわけです。実際、『美少女戦士セーラームーン』の海外版がマーベル・イタリア社から発行されてるんですが、これはイタリアからスペインに輸入されてかなりのヒットを記録してるんですよ。

 僕自身、プラネッタ社のアントニオ・マーティネス社長にさんざん説明したんですけどね。『セーラームーン』や『オレンジ★ロード』をサンプルにして「ヨーロッパじゃアニメ絵の作品がウケるんですよ」って説明したんですけど、ところがかれら、アニメ絵って感覚自体が理解できないんですよ。話がさっぱり伝わらなくて「ノルマ社が『攻殻機動隊』をヒットさせたから、われわれはアニメ版『攻殻機動隊』の権利を」とか、絶対やめとけって感じのことばかり言ってるんです。「ノルマ社は『童夢』をヒットさせたから、われわれも同じ大友克洋の作品でいこう」って、それでなに選ぶかと思ったらよりにもよって『彼女の想いで』ですよ(爆笑)。なんでこう、自分とこの会社を苦労するように苦労するように持っていくかなあ(笑)。

 とにかくもう、全然伝わらないんです。「アニメ絵ってのは目のでっかい絵のことか? じゃあ、いがらしゆみこ出せばいいんだな? 『キャンディキャンディ』出せばいいんだな?」(大笑)悪くはないんでしょうけど、なんかちがうなって感じです。

 

○中南米の場合

 中南米もまだまだ著作権無法地帯のままですね。このごろになってようやく、メキシコの出版社が正式なルートでの権利獲得に乗り出したんですけど、日本の出版社がすごい高額の著作権料を言うんですよ。スペイン語圏って世界人口の中でもかなりの割合を占めてるんで、すごくおいしいマーケットなのに、メキシコ側はなかなか手が出せないんです。

 しかもメキシコやブラジルってのは海外作品だけでなく、自国内のまんが作品ですら堂々と海賊版が出回ってるという、なんかこう恐ろしく著作権フリーダムなところで、日本のまんが出版社が入る余地が見出しにくいという事情もあるんですね。

 

 アメリカにおける日本のまんが

 まんがの世界市場みたいな話をするときにいつもアメリカの事情を適当に済ませてしまうんで、今回はきちんと突っ込んでみます。ほんとうは学生の皆さんだけじゃなくて、日米の出版人たちに聞いてもらいたいんですけどね。

 アメリカの出版業界には「日本のまんがはこっちじゃ売れない」という定説がありまして、これは『北斗の拳』と『うる星やつら』の記録的敗北が原因となってるんですよ。当時としては一ッ橋グループのすべてをかけたプロジェクトだったんですけど。『うる星やつら』は小学館ですけど、集英社が小学館系列の会社だってのはご存じですよね。二作とも、海外版の発行を手がけたのは小学館VISという会社です。『北斗の拳』は当時日本でもアニメがブームになっていて、「日本のまんががいよいよアメリカに進出するんだ!」って、小学館VISが巨額の宣伝費を投じたんですけど、二〇〇〇〜三〇〇〇部しか売れなかったそうです。

『うる星やつら』の方も、先ほどいったような「アニメ絵のまんがは売れる」という読みがあったんで二〇万部ほど刷ったんですけど、向こうではいわゆるアメコミファンの間でしか話題にならなくて、結局六〇〇〇部しか売れなかったんです。どちらも大敗北ですね。それでいま、日本の大手出版社にとってアメリカは鬼門みたいなイメージになっちゃってるんですよ。

 ヨーロッパや東南アジアでならそこそこ部数を伸ばせるのに、どうもアメリカでは同じようにいかないみたいですが、この背景にはアメリカというかアメリカ人の「大衆文化に関しては保守的」という気風が影響してるようなんです。

 たとえばこれが日本だったらあらゆる国のものが翻訳で輸入されてきますけど、他国の大衆文化に対してここまでオープンな国というのは世界的に見てもひじょうに珍しいんです。映画で言うと、もとの言語をそのままにして字幕上映するとかそういう扱いですね。ところがアメリカで他国の大衆娯楽をどんな扱いしているかというと、全部英語に吹き替えちゃうんですよ。フランス映画であっても、日本のTV番組みたいに全部吹き替えなんです。字幕とか吹き替えとか言う以前の問題として、他国の映画を上映するってこと自体が滅多にない。こういった具合に、他国の娯楽作品を受け入れることについてはひじょうに保守的な面があるんですね、アメリカは。

 その他見逃せない失敗原因として、日米のまんが出版形態のちがいがあります。

 アメコミというのは大体一冊三二ページオールカラーで一ドル前後というのが普通で、それがマーベル社やDC社といったところから毎月百何十タイトルか発行され、コミックスタンドやまんが専門店で販売されるというスタイルですね。普通の本屋さんではあまりに並びません。

 さらに、アメコミの制作システムというのも日本のまんが制作とまるっきりちがっています。アメコミの制作は完全に分業化されていて、ストーリーシナリオを書く「ライター」、鉛筆による下書き担当の「ペンシラー」、ペン入れ担当の「インカー」、そして彩色担当の「カラーリスト」がいて、サウンドエフェクト=「BOOOOOM!」などの描き文字担当の人なんかもいる。このうち、アメリカでコミックアーティスト=いわゆるまんが家として尊敬されるのはペンシラーとインカーがメインです。最近のマニアックなペンシラーはインカー作業まで自分で手がけたりしていますね。

 で、このような完全分業スタイルで作られた一冊一ドルくらいのアメコミがコミックブックストアでどれくらい売れてるかといいますと、最低五万部くらいから、『バットマン』や『スパイダーマン』みたいなメジャータイトルの新作で一〇〇万〜一五〇万部というところでしょうか。一週間で最低五万部、ヒット作で一五〇万部を売り捌くという状態ですね。これがアメリカのまんが文化です。

 さて、このような市場に日本まんがが参入したらどうなるか。日本の場合は週刊誌でも大体三百数十ページのものが二〇〇円前後、コミックスも二〇〇ページくらいで一冊四〇〇円ってとこですよね。もちろんモノクロ中心だからできる値段なんですけど、この価格感覚がアメリカ人に違和感を与えてしまうんですよ。

 実は日本まんがをアメリカで販売する場合、向こうのフォーマットに合わせて一冊三二ページの構成で販売するんです。比較すると、

  アメコミ      32ページ  オールカラー 1$

  日本まんがの翻訳版 32ページ  モノクロ   2$

  少年ジャンプ    300ページ モノクロ   1.50$

 なんかガタガタでしょ? もう文化としてまったく異なるんですね。

 ジャンプを一〇〇円玉二個で買ってる僕らの金銭感覚からすると、アメリカのコミックってのは高く感じるんですよ。日本でこれだけまんがが盛んなのもつまりは質と量の関係で、手ごろな値段で毎週大量のまんがが読めるからなんです。人気作品のコミックスなら初版五〇万部とか一〇〇万部とかですから、印刷コストも安くつくんですよね。皆さんまんが好きでしょうけど、三二ページのものが毎月一〇〇タイトルしか出ないなんて我慢できないでしょ?

 ところがアメリカでは日本みたいに「総出版物の三八パーセントが、まんが」なんて状態はまず考えられない。そんな市場ですから、参入するのがなかなか難しいわけです。いま、新書サイズのコミックスが大体四〇〇円、判型の大きいもので一冊五〇〇円くらいでしょう。向こうの人たちにしてみれば「五ドルあったらアメコミが五冊買えるじゃないか」って感じなんですよ。だから日本からの輸出まんがが売り上げを伸ばせないでいるんです。

 とにかく日本まんがのアメリカ進出は最初失敗続きでした。『北斗の拳』と『うる星やつら』に続いて『バオー』と『コブラ』も失敗しましたし、『風の谷のナウシカ』の原作豪華装丁版も三〇〇〇部しか売れなかったんです。アメリカのまんが市場で豪華版の本が三〇〇〇冊売れるってのはちょっとした事件で、ある意味で大ヒットといえるんですけど、日本国内では一巻当たり六〇万〜七〇万部売れてましたからね。小学館VISの担当者が「すごいですよ、アメリカで三〇〇〇部も売れました!」って徳間書店に報告入れたところ、「バカか」と返されたそうです(笑)。

 

 翻訳出版のプロセス(アメリカの場合)

 その手の業界に進みでもしない限り役に立たない知識なんですが、日本まんがをアメリカで出すときの翻訳出版プロセスについて説明します。プレプロダクション、プロダクション、ポストプロダクションの三つに分かれるんで、順を追って説明していきましょう。

 

○プレプロダクション

 プレプロダクション、つまり前制作は「アメリカで売れそうなまんが」を探すところから始まります。アメリカ出版社のエージェントが日本に来てまずどこで情報収集をするかというと、「まんがの森」と「まんだらけ」に行くんです(大笑)。いやホントですよ。あと「高岡書店」とか、いろんなところ行って探すわけですね。いいまんがが見つかったら航空便で向こうの出版社、ダークホース社とかイプリクス社とか日本まんがを多く扱ってるところに送って、売り込みを行います。もう口八丁手八丁でね、「これは売れますよ。園田健一はいま日本で大ブレイク中です」とか「真鍋譲治は日本のマニアから神様のように尊敬されていて」とか大嘘をかますわけですね(笑)。

 次にプロポーザルを作成します。プロポーザルというのは契約書の元になる「契約申込書」みたいなものですね。日米それぞれの出版社と、アメリカのディストリビューター(本の配給元)三社に対するプロポーザルを作成し、権利を売る側、つまり日本側に対して「最低何部売りますよ」などの保証や「翻訳完了はこの日を予定しており、ディストリビューターへの納品は何月何日。お支払いは何月何日の予定です」といった期日取り決め、さらに「発売前にこれくらいの広告を打っておきます」みたいなことも決めるわけですね。これがプロポーザルです。

 プロポーザルの次が契約。印税は実売部数×定価の六〜八パーセントが相場です。日本だったらまんがでも活字本でも印税は一〇パーセントが普通なんですけど、アメリカでは六〜八パーセント契約が通例みたいですね。もちろん超一流クラスになると一〇パーセントとか一四パーセントとかに跳ね上がることがあります。ただ、アメリカの印税は日本のような刷部数制ではなく実売制なんですよ。

 刷部数の場合、たとえば『ドラゴンボール』が二三三万部、『BeBopHighSchool』が一七六万部(共に初刷部数)だったとして、それぞれ刷った分だけの印税を支払ってくれるんですが、アメリカではたとえ『ドラゴンボール』を二三三万部刷ったとしても、一〇〇万部しか売れなかったら一〇〇万部分の印税しか払ってくれないんです。つまり売れ残って返本された分は作者の儲けにならないんです。そのため発売六ヵ月後ぐらいに実売部数調査の報告書を出して、その数字を元に支払い額を決めるようにしているわけです。やはりアメリカのまんがは、日本まんがみたいに確実に利益を上げられるところまではいってないですね。

 

○プロダクション

 プロダクション段階で一番最初に行う作業は、原画の紙焼き入手です。原画、つまりまんが原稿ってのはスクリーントーンが貼ってあったり、上にホワイトが塗ってあったりして扱いに注意を要するシロモノなんですよ。封筒を垂直に立てて輸送したりしたらトーンはパラパラ剥がれるわホワイトは落ちるわで目も当てられない事態になるという、なんとも厄介なものなんです。この原画を写真製版して実寸大プリントしたものが「紙焼き」と呼ばれるもので、まずはこれを入手するところからプロダクション作業が始まるわけですね。

 次にこれを左右反転します。日本のまんがは右開きですが、アメリカのまんがは左開きですから。全体のトーンを統一するため、表紙も左右反転するんですよ。要は絵を全部裏返すわけなんですが、そのせいなのか、デッサンに自信のないまんが家は自分の作品を絶対に海外出版しません。

 次にフキダシ内のセリフや描き文字を消去。これがややこしい作業なんですよ、ひじょうに。描き文字=サウンドエフェクトってのは「ドカッ!」とか「ガッ!」とか、絵の上にかぶってるでしょう。これをいったん消去してその部分の描線を描き直さなくちゃならないんですけど、これがすごく時間かかるんです。

 そしてやっと翻訳。フキダシ中のセリフやサウンドエフェクトを英語に変えて、レタリング担当の「レタラー」が修正を加えていきます。以上でプロダクション作業が終了って感じですね。

 

○ポストプロダクション

 そしてポストプロダクション。まずはプレスキットの作成ですね。メーカーやディストリビューター、アメリカ全土のコミックストアなどに配布する販促用チラシやパンフレット、ポスターを制作します。

 この作業にはどの出版社も気合を入れるんですが、なんでかというと、出版部数が確定するのはプレスを開始してからなんですよ。できるだけいい感じのプレス活動をしてコミックストアからたくさんの注文を取らないとならないんですね。で、全国の小売店からディストリビューターの元へオーダーが届いて、それに基づいて出版部数が確定するわけです。だからいかにも売れそうなプレスキットを作成しないといけない。

 次にディストリビューターへの告知。「何月何日に出ますよ。このまんがは日本で大ヒットしていて、アメリカのマニアも翻訳を待ち望んでいた作品です」とか「このまんがは『ナウシカ』の宮崎駿が『名探偵ホームズ』を犬のキャラクターで描いた奴です」とか(笑)、そういったいろんな宣伝文句を飛ばすわけですね。

 これらポストプロダクションの作業を経てようやく部数が確定するわけですが、ちなみに日本まんがの翻訳出版では、大体六〇〇〇〜一万二〇〇〇部が目安と言われています。

 

 では士郎正宗の『攻殻機動隊』を例にあげて、実際のプロダクション作業を追ってみましょうか。

 オリジナルと海外版の同じページを並べてみましたんで、ちょっと見てください。「WHAMWHAM」という描き文字が入ってるでしょう。向こうのスタッフはまずオリジナルの「ドドドドド」というレタリングを消して、背景の効果線にいたるまで全部の絵を描き直すんですね。その上からレタラーが英語版の擬音とかを入れるわけです。士郎正宗さんの場合は、ちょこっとだけど英語での擬音とかを使ってたりするんで修正不要な部分もあるんですが、とにかく日本語の擬音は全部修正しなくちゃなりません。

 だからこれらの人たちも苦労して擬音を考えてるんですよね。頭にちょっと「K」をつけてみたりとか、弾が当たる部分を「ブミッフブミッフ」(笑)。

 このように翻訳と一口に言っても、フキダシの中だけ英文に書きかえればいいってもんじゃないんですよね。大変な労力を必要とします。

 向こうの出版社の人は、「こっちで出すときに作業しやすいよう、日本のまんが家は擬音とかセリフを、セルの上乗せみたいな方法で別に描いておいてくれればいいのに」なんて風にボヤいてるんですけど、現在の日本まんがはとにかく余分なことせずにハイスピードで描きまくれという量産体制によって量と価格と発行ペースを維持してるわけですから、海外版の六〇〇〇部やそこらのためにそこまで手間をかけられないのが現状なんですよ。だからそれは「レタラーに泣いてもらう」形になっているんですね。

 士郎正宗さんの『攻殻機動隊』と『アップルシード』はアメリカの日本まんが翻訳業界で「もっとも手間のかかる二大作品」と呼ばれてます(爆笑)。翻訳版は大体日本での発行から二年遅れで店頭に並ぶんですけど、二年間延々こうした作業を続けてるんですよ。アメリカってスクリーントーンの種類が揃ってないんで、トーン部分の修正するときは仕方なく、ペンでドットを打っていったりするわけです。トントントンとすごい地道に。同じトーンが手に入ればいいんですけど、まちがってちがうトーン貼っちゃったら悲惨ですよ。モアレができちゃうでしょ。だから「ヤケだ。手で打っちまえ」と、二年間ペン先でトントントントントントン(笑)。

 そんな大変な作業なんだから日本でそういうことしてやればいいのにという声もあるでしょうけど、できないんですよ。なんでかというと、日本のまんがというのは恐ろしい体制で作ってるからなんです。雑誌なんかでまんがを読んでると、皆さん「まんがの原稿ってのは一枚の原稿用紙にコマ割って……」って思うでしょ? たしかに印刷所に入れるときはそうなんです。でも忙しい作家の場合、描いてる間どのような状態であるかというと、コマ割って先生がペン入れした段階で、一度すべてのコマをバラバラに切り刻んじゃうんです。カッターでバラバラにして、それを各アシスタントに「はい、君はこのコマやって」と分配しまして、ホワイトなんかも超強力なアメリカ製二〇〇〇ワットドライヤーでグワァ〜ッと乾かしまくって、そうやってできあがったモノを裏からガムテープでバキバキ貼って仕上げてるんですよ。

 まんがの原画展というのがあまり開催されないのは、これがバレちゃうからです(爆笑)。たまに開催されてますけど、展示されてる原画ってのは地獄絵図のような制作光景がバレないようなものばかりですね。週刊で人気連載やってる人とか複数連載してる人はほぼ全員が同じことやってますよ。有名なところでは国友やすゆきさんがこれの天才ですね。あの人の仕事場ってのがまたすごいもんでして、パズルが置いてあるんですよ(笑)。原稿パズルがいくつも散らばってて、チーフアシスタントの人がまた器用なことに、それを裏返して一つのミスもなく貼り合わせていくんです。

 僕思うんです、そんな描き方してるんだったら新作まんがなんて描かずにこれまでのやつ組み合わせてやりゃあいいじゃないかと(爆笑)。以前あるまんが家に「まんが界にはそういう手段があるんですよ」と自慢されまして、僕もつい負けん気出して「いやいや、サン○イズだってそれでアニメ一本作ったことがありますよ」と(爆笑)。

 実際、アニメ界ではよくあるんですよ。バンクフィルムというストックみたいなのを再編集して一話作ってしまうってのが。皆、見たことあるでしょ?

『ナディア』でもやったよな?(爆笑)『エヴァ』でもやったよな?(大爆笑)スケジュールが混んでくると必ずこれで切り抜けちゃうんです。

 このように、翻訳作業ってのは大変な修羅場仕事なんですよ。そのままじゃ使えない状態の原画を左右反転したりレタリングし直したりって、そういう地道な作業を二年がかりでやってるわけです。翻訳が楽になるような描き方をしようったって日本本家の方も毎週修羅場なんだからそんな余裕はありません。

 


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