『東大オタク学講座』1997年9月26日版 ン1997.Toshio Okada
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第八講

現代アートの超理論


 村上隆氏は、現代アートの人だ。しかも、けっこう偉い人らしい。

 が、アートが何なのかよく分からない僕は、現代アートと言われると、もっとよく分からないもの、という印象しかない。現代アートと言われて思い浮かぶイメージも、ソーホーのロフトで、ペインティングで、スノッブで、ドラッグで、セックスで、ラリパッパ、というオヤジ臭い凡庸な感想である。

 そんな僕だったので、村上さんに会って、彼が評価する作品を見せてもらった時、その中に特撮映画とかアニメに通じるテイストがいっぱい入っているのを発見して、びっくりした。しかも、氏に講釈してもらった現代アートの見方は、何となくオタクがアニメやまんがをみる見方とよく似ているのだ。注目している方向は違うが、現代アートはどこかオタクの世界に通じるものがある。

 僕は興味を持って、村上さんにあれこれ質問したり、自分なりに考えて「現代アートは何ぞや」という問の答えを組み立ててみたりもした。

 でも、やっぱりよく分からない。

 そうこうしているうちに、村上氏は本当にニューヨークのソーホーに行ってしまった。やっぱアートって言うのはロフトで、ペインティングで、スノッブで、ドラッグで(以下略)なのだろうか∞12?

 こうなったら仕方がない。村上さん本人を学生の前へ連れてきて、学生たちとぶつけてみるしかない。僕の大好きな、出たとこ勝負の手法をとってみることにした。

 こうしてお呼びした村上さんとの講義は、本ゼミ最大の、わけの分からん大爆笑に包まれた。

 終わった後、誰一人現代アートが分かるようになったとは言わなかったけれど、口をそろえて、面白かった、と言っていた。まぁ、面白かったんだから、これでいいのかもしれない。

 

村上隆展覧会IN東大

岡田 ええ、今回から裏オタク、闇オタクに関する講義へと突入します。その初回が現代アート。闇そのものではないんですが、このジャンルではところどころにオタク的な現象が見うけられるんですね。僕がそれに気づくきっかけとなったのは、何年か前に海洋堂が製作した『ふしぎの海のナディア』のガレージキット・フィギュアです。このフィギュアが『美術手帖』という雑誌にアート作品として紹介されていたんですよ。で、なにがなんだか分からなくて戸惑っていたときに村上さんと知り合い、現代アートの奥義や秘密をレクチュアしていただくにつれ、これはこれで闇の世界であるなあと考え始めたわけです。講義に出てる人は村上さんがどういう方なのか分からないと思いますんで、まずは作品の紹介からやっていきましょうか。まず、これはペインティングの作品ですね。

村上 はい、「DOB君」といって、僕が製作したアートキャラクターですね。いま世界のアートシーンにDOB君を駆け巡らせるべく精力的に動いていて、ここで紹介している三メートル×三メートルサイズのペインティングも、この前ブリスベンのクイーンズランド美術館に購入していただけることになりました。三年がかりで「これは美術だ」というお墨付きをもらったわけです。

 次はデビュー作品です。見ての通りタミヤマークですね(笑)。タミヤ模型から出ていたアメリカ兵のシルエットを焼き印でジュウジュウと。

岡田 あ、戦車とかのジオラマで使われてる、タミヤの1/35フィギュアですね。あれのアメリカ兵をシルエットにして……。

村上 タミヤという模型メーカーのCIがアメリカ国旗を模しているところに面白味があるかなあと、若い頃はそう思ったんですよ。それをもう少し自分へ引き寄せるために焼いてみました。

岡田 こんなことやって、タミヤは怒らないんですか?

村上 一応社長の弟さんから許可をもらったんですよ。しかし「タミヤ」から「タカシ」に勝手に名前を変えてしまったりして、それはさすがに怒られましたけど(笑)。ともかく事無きを得て、おかげさまでアート界にデビューできました。この作品は作るのが楽なうえにバカスカ売れたんで、お金持ちにもなれましたし。

岡田 これでデビュー。

村上 はい。簡単でしょ(笑)。

 次のもDOB君ですね。オタク文化論に出てる受講生の方は知ってるかもしれませんけど、アニメーターの……。

岡田 あっ、金田伊功だ。これ金田エフェクトですね。村上さんはそれを作品に取り入れてみたと。

村上 はいはい。でもすいませんね、なんか下手で。

岡田 この頃から壊れてきたんですね(笑)。

村上 わりと興味があったんですよ。東京芸術大学で博士号取ったときの論文が『意味の無意味の意味』というタイトルで、その中の「金田伊功とホルスト・ヤンセンと葛飾北斎のドローイングにおけるストロークの問題。それと2ディメンションにおける空間観の問題」というパートで金田エフェクトを扱っているんです。担当教授は困惑してましたが(笑)。

 では次、ちょっと見てくれますか。この作品です(会場大爆笑)。なんかすごいウケる学生さんたちですね。見てのとおり『タイム・ボカン』です。これはちょっとポリティカルな意味がある作品なんですよ。世界的にみて、アートにおける最大重要テーマというのは「死」なんです。「アートは死に対して哲学的な答えを出さなければいけない」という考えがあって、ゆえに宗教を引用したり政治的なものを使ったりしてるという具合で。で、日本は世界で唯一原爆を体験した被爆国ですよね。しかし『タイム・ボカン』というアニメでは毎週毎週原爆のキノコ雲のイメージが出るにもかかわらず誰も死なないという(笑)。

岡田 あの、ドクロの形した原子雲ですね。あれだけの爆発なのに悪玉一味は服が破けただけで、自転車で帰っていく(笑)。

村上 それを日本人の「死」に対するあいまいさの記号として使ったんですよ。ほんとは作品の右下にちっちゃく「タツノコプロ」とあるんです(笑)。

 次のこれは直径五メートルほどのバルーンです。作るきっかけになったのは、有楽町マリオンで毎年春に行われる「ドラえもん祭り」でしたね。マリオンの上空をドラえもんが飛んでいくんですけど、これはアートよりも素晴らしいなあと思って。それを自分のアートにしたくてバルーンを製作しました。日本ではそこそこの評判だったんですけどアメリカではジューイッシュのアートコレクターたちが「自分のアートパーティーでこういうのを飛ばして、ここが会場だよと宣伝したい」というような動機で買ってくれましたね。かなり売れて、いま、アメリカのアートマーケットではヒット商品になっています。

岡田 ヒット「商品」ですか。

村上 あ、ヒットアート「作品」となっています(笑)。ちなみにこれはジューイッシュの教会で飛ばしてですね、他の人たちはジューイッシュへの迫害が云々というポリティカルな問題意識のある作品を出していたんですが、僕だけDOB君を出して「ワーイ」と能天気にやっていたんです。これが『ビレッジボイス』で好評を博しまして、「タカシ・ムラカミのバルーンを見に行くべし」とか書かれていました。

岡田 あ、次のこれ、村上さんの作品で最初に見たやつです。ヒロポンちゃん。

村上 岡田さんの『オタク学入門』で厳しく書かれてましたっけ(笑)。これを3D化したくて悶々としていたときだったんですよ、岡田さんとお会いしたのは。

岡田 女の子が自分のオッパイで縄跳びしてるという。すごい巨乳でね。これを3D?

村上 ええ。これもアートだなと思って作ってます。

岡田 あの、こういうものには「なぜ」ってのはないんですか?

村上 僕自身よく分からないんですけど、超絶的に不可解なものというのはなかなか作れないんですよね(笑)。たとえば、ボンデージあたりだったら人間の趣味として理解可能なんですけど、「ヒロポンちゃん」の母乳はなぜペニスからの射精みたいになってるのとか、なんで縄跳びしてるのかとか、作者の僕にも分からないんですよ。落書きしてるうちにこうなっちゃって、「あれ? これって不可解だな。自分にも分からないからみんなも分からないだろう」と、そう思ってTシャツやポストカードにしてるんです(笑)。僕がニューヨークで個展を開くチャンスをつかめたのは、この娘がきっかけだったんですよ。いや、ニューヨークだけじゃないな。パリでもロンドンでも、この娘が画商さんの目にとまったのがきっかけで。で、そのとき思ったんですが、なにがなんだか分からないもの、不可解なものというのは興味をひくんです。人間にとって必要なものなんですよ。僕はそう信じてます。ヒロポンちゃんに興味を持った画商さんたちも同じような気持ちらしいですね。来年の一月にパリ、二月にロンドンでこのヒロポンちゃんの展覧会が行われるんです。結構国際的なショーなんですが、この娘だけは招待されてるんですよね。

 次も女の子もので、海洋堂さんといっしょに製作した「ココちゃん」というキャラクターですね。1/5スケールはボーメさんが原型師で、1/1スケールは最初川瀬美術さんに作っていただいたんですけどイマイチ出来が甘いんで、三枝徹(シャドームーン)さんに完璧ヴァージョンをお願いしました。

岡田 ガレキオタクにはたまらない名前が出てきましたけど、これもアートなんですか?

村上 ええ。と、ここまでは僕の作品です。この次に出てくるのが僕の敬愛してやまない榎忠さんというアーティストの作品群でして、「半刈りでハンガリーに行く」という作品ですね(会場爆笑)。ああ、ウケてるウケてる。嬉しいなあ(笑)。この作品はすごいことに、実は体毛という体毛を全部半刈りにしてあるんですよ。胸毛から脇毛から陰毛、お尻の毛と、もう全部半刈り。それでハンガリーに行ったら税関でストップかけられたという(笑)。いいでしょう、すごく。でも残念なことに榎さん、日本のアートシーンでは無視されてるんですよ。僕はこの人を心の師として仰いでますし、自分がデビューするよりずっと前から注目していたんですけど。で、次のこれは大砲ですね。でっかい大砲が山口組の組長宅へ向けられてるんです(笑)。なにも言わなきゃ山口組だなんて分からないのに、わざわざ明らかにしたばかりに警察から強制退去させられちゃって(笑)。

 この作品も日本では無視されちゃったやつです。「スペースロブスター」というもので、重量二五トン、一八メートル×九メートル×一〇メートルの超大作なんですが、榎さんはこれをたった一人で作り上げたんですよ。丸三年がかりで。完成は八一年。神戸のポートピアでイベント用に予算四〇〇万もらったんですが、結局総制作費は一〇〇〇万くらいかかったって言ってたかな、自腹切ってなんか大変な思いをしたそうです。作品そのものの評価にも制作過程にも、国内アートの現場が持つリアルさが出ていますよね。

 

アートの文脈

岡田 いやもう、「アートとはなにか」なんて個々の定義をするよりも現物見せてもらった方が理解早いだろうと思っていろいろ見せていただいたんですけど。俺いつも村上さんになんか聞こうと思って質問用意してても、現物見せていただいちゃうと、聞く気が失せちゃうんですよ。「これもアリかもしれん」と思って。ところであの榎さんという方、日本ではまったく評価されていないそうですけど、これがアメリカとかヨーロッパでなら受け入れられるということはあるんですか?

村上 絶対受け入れられますね。特にアメリカだったら爆発的な評価を受けるだろうと思うんですよ。日本の人たちは新しいもの、特異なものに対して、最初に評価を与えるのを極端に恐怖するんですよね。榎さんの「スペースロブスター」でも、発表から一五年経った現在なら僕みたく若い人間からの評価もあるんですが、当時は誰もあの作品について語らなかったんです。海外へ打って出れば世界を席巻できたはずなのにってものがいっぱいあるんですよ。でもそれを背景化・テーマ化できないから、海外アーティストに真似されるのを指くわえて見てるだけなんです。だから今、向こうではキャラクターブームでジャパニメーション風アートがどんどん出てきてるんですね。そこで僕とか他の評論家とかが「オリジナルは日本だ」と発言しなければ、もともとわれわれの間から出てきたものがかれらの歴史として奪い取られてしまうんです。

岡田 海外アーティストが、こっちでアートとして認められていないものをパクるというのはよくある話なんですか?

村上 あります。特にここ五〜六年は多いですね。この原因は、日本の文化が快楽原則でやってきてるところにあると思うんですよ。日本の文化は、相対化する必要なく快楽原則だけで突っ走ってきたでしょう。これだけ高度に成長した文化体系の中でなら普通、自分をアイデンティフィケーションしなければさらに前に進むことなんてできないんですが、日本はそれをせず快楽原則だけで突っ走っているんです。だからかれら海外の人たちからみて「未来」に見えるものが出てきやすいんですね。で、日本から出てきたその「未来のもの」を見せられて「あ、これは真似したい」という心理がはたらく。ジャパニメーションブームの理由の一つは、「自分たちの中に未来を取り入れたい」っていう気持ちがあるんじゃないでしょうかね。単に面白いとかじゃなくて、結構本気な気持ちが。

岡田 本気だってのは分かりますね。先ほどの「ヒロポンちゃん」ですけど、俺はこれ、最初見たとき悪い冗談だと思ったんですよ。ところが吉祥寺の「SHOP33」っていう、格好いい系のお兄ちゃんお姉ちゃんが集まってるようなショップで「ヒロポンちゃん」のTシャツが売ってまして、髪の毛尖らせた兄ちゃんが一生懸命、どう見ても冗談アイテムに向けるものとは思えないような顔つきで、「これのLありますか」なんて言ってたり(笑)。これには驚きまして、なにがなんだか全然理解できませんでしたけど、でもインパクトだけはありました。一度見たら忘れられないんですよ。

村上 その兄ちゃんはアートやってたんでしょうね。岡田さんの『オタク学入門』に、アニメがヒットする要素について「文脈をとらえることが大切だ」って書かれてましたでしょう。それと同じように「ヒロポンちゃん」もアートの世界における「アートらしさ」、「これはアートである」という文脈をすべて踏まえているんです。たとえば乳首はペニスに見えるなんてフェミニズム系のものや、髪の毛の色は「アーティフィシャルな日本の未来」というメッセージであるだとか。オッパイで縄跳びしてるのは超理論で、上はブラジャー着けてるのに下がスッポンポンなのは人間のアンビバレントな部分という風に、絵解きにしてあるんですね。そんなのは誰も理論化できないし文脈化できないであろうというようなものを加えているんです。今言った説明、全部言いながら考えたやつですけど(笑)。

岡田 僕らが何かやるときって一人で企画するのではなく、スタッフとか一部のファンとかと話してそこから徐々に詰めていきますよね。さっきのヒロポンちゃんでもそういうのってあるんですか?

村上 岡田先生に以前ご指摘を受けてから、海洋堂のスタッフの方に相談に乗っていただいて、作品キャラクターも徐々に今っぽく変化していますね。

岡田 ああ、じゃあそういう作り方ってアーティストの方でもやるんですね。いや、俺のイメージしてたアーティストって、一人でキャンバスに向かって「かあっ!」とテンション上げてるって感じだったんですよ。ところがそのアーティストのイメージと、今日東大にきて「アメリカのマーケットでよく売れた商品です」なんて言ってる人とのギャップがすごくて。

村上 僕は世捨て人みたいに一人で唸ってるアーティストって、今後可能性がないと思ってますから。たった一人の人間が世の中をほんとに驚愕させるようなものを作るなんてできないし、ましてや、どんな人間だって過去にあったものとかいろいろなところから影響を受けているわけだし、完全純粋なオリジナルなんてありませんからね。すごいスピードでどんどん新しいものを作っていれば、どうしても変えられない、変わることのないコンセプトみたいなものが出てきますし、それさえしっかり持っていれば、まあどうにでもなると思います。ミーティングとか人の意見とかというのは、ファインアートを作る上でネガティブなポイントにはなりません。

 

女の子は戦車か飛行機か

岡田 さっき出てた最新作の「ココちゃん」ですけど、なんとなくメカっぽいですよね。あの女の子ってメカなんですか?

村上 女の子が飛行機に変わろうかなっと思っているんですが……よく分からないんですよね。

岡田 あれは最終的には、変形する女の子を立体でやろうという。いや、格好いいと思いますよ、俺は。一六段階とか二四段階で変形過程を並べて、そこから飛行機になって飛んでいくわけでしょう。

村上 飛行機にしたいと思った発端は、岡田さんとのお話なんですよ。以前岡田さんが「ガンダムは飛行機なのか戦車なのかという論争があった」って教えてくれたでしょう。で、僕はそのとき「ガンダムは飛行機だよなあ」と感じて、そこがアイデアの元になったんです。

岡田 これは学生の皆にも説明しといた方がいいかな。昔ガンプラブームがあったとき模型雑誌が盛り上がりを見せまして、その中で『ホビージャパン』と『モデルグラフィックス』の二誌は、モビルスーツ(以下MS)の解釈についてちがうスタンスを見せていたんです。『ホビージャパン』の方は「ガンダムは戦車である」というスタンスで、たとえばドムのキットを改造するときなんかだと、足の後ろ側にガソリンのジェリ缶を付けるんですね。これだと戦車みたいなイメージになります。

 で、『モデルグラフィックス』派の人たちのMS改造はというと、ガンダムの肩から通信用VHFアンテナが出ていたり、飛行機っぽいディテールを加えるという。で、これは飛行機だと。そんな風に、MSだけでなく他のロボットへも話が広がっていき、「ロボットは戦車か飛行機なのか」という論争があったんです。これはロボットの装甲などにも関わってくる問題です。ロボットってのはもともと人型のものですよね。基本的な人間のフォルムからロボットへとデザインしていくときに、「ロボットは戦車である」というコンセプトがあれば、足が太くて重量感があり、全体的にずんぐりむっくりした低重心のフォルムになります。逆に「ロボットは飛行機である」ってコンセプトだと、頭が小さくてウェストが細いというスマートな、重量感よりもスピード感の方が強いフォルムになりますよね。肩の装甲が飛行機の主翼をイメージさせたり。

 その論争の中からロボノイドといって、いわゆるMS少女が出てきたんですよ。今でもよく見られる、女の子に水着みたいな装甲=プロテクターを着せたものですね。これはかなり流≦は≧行≦や≧りました。明貴美加とか、派閥によっていろいろ個性があるんですが、戦車派のデザインはグラマーで肩幅があって、対する飛行機派は背中にでっかいウィング背負っててボディは軽装甲という具合。ここまでくると両者とも、もうロボットはどうでもいいんですよ。ロボットならまだ「陸戦兵器か飛行兵器か」なんてレベルですけど、この段階に達すると「女の子は戦車か飛行機か」って論争なんです(笑)。女の子は戦車でも飛行機でもねえよっての(大笑)。そんな笑い話してたら村上さんが「それもアリだよね」って。

村上 いやあ、僕は飛行機だと思いますね(笑)。いやほんとに。女の子は飛行機であると仮定して進めていくと、なみいるフェミニズム論理を破できるんですよ。

岡田 でも女の子が戦車だったらドリル付けられて格好いいですよ(爆笑)。ドリル付ければフェミの人は喜ぶんじゃないですか。メタファーとして。

村上 それもアリかな(笑)。対アメリカ・ヨーロッパのアートシーンの文脈を考えていくと、女性は飛行機であるとした方が僕のなかではしっくりくるんです。だから飛行機にしたんですね。

岡田 ここでいう飛行機ってのは、乗り物というよりも明らかに武器ですよね。そういうのってあるんですか? 女性が武器に変形するというものの新しさみたいなのは。

村上 僕もちょっと把握してませんけど、こうものんべんだらりとした日本国家の中で、とがった武器みたいなのを持つのは女性かなと……いや、そういうわけでもないなあ。

岡田 テーゼとして「男は戦車になれ」というのがあるわけではないですよね(笑)。

村上 いや、やっぱよく分からないですね、すいません。ただ、僕が三年前ニューヨークに行ったときは、フェミニズムと肉体っていうのがアートシーンでのブームだったんですよ。勃起したオチンチンに五寸釘をブスッと刺して、抜くと血が吹き出すというビデオが権威ある大美術館のプロジェクターで上映されてたり、そういう「自分の肉体を裸にしたり変形させたりするレベルの論争をやってるのか、こいつらは」と考えさせられて、それならば全部変形させちゃえと思ったんです。その方が、この人たちが考えている「肉体という可能性」というテーマについて、なにかを論駁するきっかけとなるだろうと。

 

アートのかたち、ホビーのかたち

岡田 さあ、それではいよいよ、私たちが待っていたモノが到着したようですので。どうぞ(会場から「おお〜」というどよめき)。これが現在の日本アートの最先端です! 1/1スケール綾波レイ!(会場、「豪華ゲスト」の登場に拍手)

村上 この綾波レイと僕のココちゃんの3D化は、ココちゃんの方が先にスタートしたのにまだまだ改造を加えてる状況なんです。レイの方が一応の完成を今は見せている。というのはね、綾波レイのこのフィギュアはやはりホビーだと思うんですよ。ココちゃん今回持ってきませんでしたが、そのホビーの横に僕のアートを並べたときのパラドクスを提示したかったんです。パラドクスが面白いんじゃないかと思って。

岡田 その差、俺分かんないですよ。並んでても分からないんじゃないかな。あとやっぱり、もともと絵であったものを1/1で立体化するのは相当無理がありますよね。綾波の場合だとウェスト四四センチになっちゃうのに顔は人間よりちょっと大きいってボディバランスになっちゃいますから。ココちゃんの場合はどうやって解消しましたか?

村上 最初にこの綾波くらいのサイズでやって失敗したなあと思ったんで、今は身長を一七二センチに上げてます。顔の大きさがかなり不自然だったんですよ。それを解消すべく大きくしていて、改造ヴァージョンの方のココちゃんはもっと背が高くなる予定です。海洋堂のスタッフの方たちとお仕事させていただいてるんですが、こういう世界観をアートのフィールドに持っていくぞと思いまして。このまま持っていってもアートになるか、それともなにかテイストを変えなければアートにならないのか。そのせめぎ合いでグルグル回ってます。

岡田 じゃあ村上さんの文脈としては、この綾波はホビーなんですね。

村上 まだこの状態では、うーん……ホビーですね。これをアートだと思って製作しているのか否かが大事な問題なように思いますけど。

岡田 アートだと思って作ってると、ディテールがちがってくるもんなんでしょうか。

村上 いや、そういう問題ではまったくないんですよ。詰め将棋ですね、これは。最後の一手を思いつくために考えるという。だから、その一手が思いつかないからこそチャレンジするという部分もあるんです。同じスタッフで同じような現物を作って両者を並べたときに、皆さんから「同じやんけ。レイの方が可愛いやんけ」というリアクションがきますよね、多分。でもアートシーンでの評価はちがってくる。それがさっき言った「文脈の差」なんですよ。つまり、この綾波はアニメやガレージキットなど、ホビーの文脈にはバシッと当てはまってるんです。ところが別の文脈の中に放り込もうとすると、相当のヒネリ技を付加しなければアートにならない。この綾波はホビーの文脈は完全に踏まえているけど、アートの文脈は踏まえていないんです。そこを収まりよくするために変えていって、アートの文脈上にこれがあっても違和感がないようにしていけば、だんだんアートになっていくんですね。頭脳戦のようなものですよ。ただその頭脳戦において、僕にはこの綾波をアートにする発想がないだけなんです。

岡田 アートというのは、その物自体のバックにあるテクスト、本題みたいなものなんですか?

村上 そう、テクストです。表面的なものではないですね。

岡田 その奥にどれくらいのものが読めて、作者が持ち出そうとしたテーマや社会性といったものを引き出せるか、と、そういう問題なのかな。

村上 言葉になったり言葉を超えたりと……難しい問題なんですよ、その辺は。で、面白いのは、海洋堂さんはご自分たちの作品を「アートプラ」って呼んでますよね。あそこが考えているアートと僕が考えているアートというのは、多少ズレがあるにせよ、強烈なチャレンジングスピリットが感じられて、シンパシーを覚えます。

岡田 海洋堂さんがおっしゃるアートというのは、いわゆるクラフトマンの頂点としてのアートでしょうね。村上さんのとはちょっとちがう。

村上 そうそう、テクストのちがいですね。ゲームの対戦でも、強者同士の勝負になると最終的には詰め将棋みたいになって、予測不能の一手が重要になってくるじゃないですか。その一手を打っていけるか否か。というのが僕らの勝負どころでしょうか。

 

綾波一体三八万円は高いか安いか

岡田 商売っぽい話ですけどこの1/1綾波レイ、海洋堂さんが九六年一二月に売りに出すんです。三八万円なんですけど、この値段でもかなり売れると思うんですよ。で、ちょっと生臭い質問ですけど、これがアートだとしたら値段はいくらぐらいまで上がるものなんですか?

村上 参考になるかどうか分かりませんが、僕のココちゃんは現在二五〇万円の値がついていますね。高いと思われるかもしれませんけど、もともとアート、特にアメリカ・ヨーロッパを基準としたアートというのは、貴族階級が自分たちのステータスを立証するためのアイテムなんですよ。ですからオートクチュールの服がそうであるように、ある程度値段も高くなければいけないんです。

岡田 そういったハイソサエティーの人たちが自分でこれ買おうと思ったときって、ちゃんと文脈を読み取ってるんでしょうか。

村上 悪い言い方ですけど、文脈を発見するのは評論家とか大学の先生とかであって、お金持ちの人たちは「あなた、これ買うと絶対お得ですよ」と吹き込まれてるんですよね。それか超絶的な趣味の世界観だけでコレクションしたり。たとえば綾波買いますよね。それを中心にしてパーティー開くんですよ。こういうわけ分からないもの見て、皆で「ほほぉ、これはなかなかどうして」なんて言うわけです。その隣で「どうだおまえら、分からないだろう。俺は分かってるのになあ、この素晴らしさを。ははは」と悦に入るのがアートコレクターの醍醐味みたいですね(笑)。

岡田 それがコレクターの本来の道なんですか。

村上 ただこれは僕の文脈なんですけど、日本ってクラス分けのない社会ですよね。で、上流も下流もないこの社会で、こういう突然的なものがいろいろ出てきていると。オタク文化もその一つであると思うんですけど、そこでのアートの可能性というのは、いま僕が説明したような、上流ステータスの証(あかし)的なものとはまったく別物になると思うんです。ハイソサエティーであることの証明として高いものを買うのではなく、三八万円レベルでもアートという物が成立するとかね。要するにコストぎりぎりでも商品としての価値があり、それでもアートになり得るというのは、日本のアートが持つ可能性であると思っているんです、僕は。八〇年代前期あたりからアートと経済は切っても切れない関係になっていますけど、やはり値段と価値というのは普通の人たちから見て一番分かりやすくて興味のあるポイントでしょうからね。

岡田 いま普通の人たちがアートといわれて分かるのはクリスチャン:ぢラッセンとかヒロ:ぢヤマガタ。

村上 ラッセンの描いてるイルカやクジラの絵がありますでしょ。あのラッセンのコレクターの多くは「マイアミ」の社員だって話です。

岡田 新宿とかにある、チェーン経営の喫茶店でしょ、マイアミって。

村上 そのマイアミです(笑)。あとコンビニのお兄さんたちにもコレクターが多いみたいですね。狭い押し入れいっぱいにラッセンのでっかい絵がしまい込まれているとか。

岡田 それはラッセンの絵が好きっていうより、値段が上がるのを待ってるんですかね。ラッセンやヒロ・ヤマガタの展覧会やってると、街頭で呼び込みかけられるじゃないですか。「いまは三五万円ですけど、五年後には七〇万か八〇万にはなりますよ」って言われるんですけど、普通の人がアート作品買う動機ってそれなんでしょうか。それともさっき村上さんがおっしゃったようなハイソサエティー志向みたいなのがあるとか。

村上 どうなんでしょう。それももちろんあると思うし、まあバブルの頃なら通用しましたよね。ですからいま岡田さんがおっしゃったような呼び込みとかがそうですけど、ラッセンとかヤマガタをプロモーションしてる人たちのやり方というのは、売って二〜三年での逃げ切りなんですよ。「五年後には値上がりしてますよ」とか言っておいて、そのときにはもう業者がいなくなってるんです(笑)。

岡田 じゃあいまラッセンの絵を売りにいっても……。

村上 ハンズでジグソーパズル売ってますからねえ(笑)。そんなレベルですよ。その辺のカラクリはよくできてますよね。同じように日本画の値段がとても高価なのは明確な理由がありまして、要するに政治献金としての品物であったり、ブラックマーケットで流しやすいからなんですよ。ラッセンみたいに「値段が上がりますよ。今は一五〇万円ですけど三年後には二〇〇〇万ですよ」と。それをキープするために画商さんたちは必死に値を吊り上げるというゲームをやっていて、献金としての価値があるように流通させている。そのために価値のある業界として成立してるんですね。

岡田 じゃあ現代アートの方も、これも資産になりうるだろうなと考える画商やコレクターが入ってきて、村上さんのココちゃんを「値段が上がりますよ」と流通させることは可能なんですか? 売り出された途端に買い占めて自分のところに集めておくとか。

村上 それは難しいですね。というのは、日本画の場合は国内マーケットだけで成立するからコントロール可能なんですけど、コンテンポラリー・アートはワールドマーケットなのでジューイッシュが関わってきますから。ジューイッシュのディーラーがコントロールしている価格に対して日本のぽっと出のアーティスト自らがアプローチするのは難しいんです。

岡田 となると、いま平山郁夫の日本画なんて三億から五億くらいするじゃないですか。これを世界に持っていったら、そんな値段では誰も買ってくれないと……。

村上 買いませんね。

岡田 ひえぇ〜。

村上 実は日本でも、いまじゃ平山先生の日本画を三億五億で売るのは難しいんですよ。アート市場については、戦後のどさくさに紛れてうまいものを作り上げたなと感心しているんですけどね。そのシステムに乗っかってクリスチャン・ラッセンなんかも値段を吊り上げることに成功したわけですから、あの手の連中は。

岡田 うまいですよねえ。俺、ビデオとかガレキやってると、原価の何倍だろうなんて考えがどうしても頭に浮かんでしまうんすよ。「こんなフィギュア作ったぞ。原価は二〇〇〇円だ。じゃあ四八〇〇円の値段を付けよう。あれ、二倍以上の値段になっちゃった。俺って悪人」なんていうのが染みついちゃってて(笑)。

村上 でもガレージキットは高いなんていわれてますけど、この1/1綾波レイが二八万円なんていったら、僕がいままでやってきた感覚からいって相当安いですよ。

岡田 二五〇万円だったら誰も買えないですよね。

村上 二八万から二五〇万となったら購買者層も変わるし、それなりの文脈をつけないといけないし、いろいろなカラクリ合戦が展開されないといけないですよ。

岡田 村上さんの目から見ると、複製品を量産して何千円かで売って、しかもそれが一万個くらい売れてしまうという日本のガレージキットは異常ですか?

村上 いやもう、もはやアンダーグラウンドシーンとは言えないマーケットにまで成長してますよね。一般の人たちがこれをオタクとして隠そうとしても、もはや隠しようがないところまで露出してきていて、メインカルチャーになる日だって遠くない。まあ異常なことかもしれませんけど、普通といえば普通ですよ。アジア各国でもどんどん同じような道をたどっていくでしょうし、アメリカのマーケットも日本を見習って似たような状況を作り上げていく可能性はありますね。その点どうでしょうか、アメリカによく行かれる岡田さんとしては。

岡田 俺はね、オタク的なものってのは最終的にアメリカを包囲するんじゃないかと思ってるんですよ。あの国の人たちは大衆文化をよその国に対して開放しないじゃないですか。よその国のアーティストはアメリカナイズされてから開放しますよね。だから、日本のアニメやまんががイケてるならアジアでも中国でもヨーロッパや南米でもイケると思いますし、「この包囲網で最後にはハリウッドを潰してやるんだ」くらいの気持ちでやって、「ハリウッド潰れちゃったなあ。でもアニメが残ったからいいか。寂しいなあ」というところでちょうど一対一なんじゃないかと(笑)。

村上 そうなるかもしれないですけど、うーん、でもなあ。我田引水ですけど、いま、アートシーンでは日本人アーティストって向こうから欲しがられてるんですよ。アメリカからいくら斬新なアイデアを持ったアーティストが誕生しても、日本のアーティストの、たとえばココちゃんみたいなの描いちゃうようなお馬鹿なアーティストは出てこないんです。やっぱアートな業界ってのはお馬鹿である必要があるんですよ。超理論ポーンと出されて評論家たちが頭ひねるってゲームが必要になったとき、向こうのアーティストたちは最初から理論武装しているがゆえに超理論が生まれにくいという問題があるんです。ですから中国とか日本とか、アジアのアーティストたちがブームになっているんですね。

岡田 村上さんの最近作である「マルガリータ」を見ると理解できますよね。アーティストにはお馬鹿なセンスが必要だってのが。

村上 「マルガリータ」は榎さんの「半刈りでハンガリーに行く」へのオマージュなんですけど、あの人は本当に大変みたいで、この前の阪神大震災で家潰れちゃったみたいだし、せっかく復興したと思ったら今度は自分の家がちっちゃくなってて、その四畳半にちっちゃい畳を敷き詰めて「俺は百畳の王だ」なんて言ってる(笑)。そういうどうしようもないアートを作り続けている方々に敬意を表して、僕もお馬鹿にやっていきたいですね(笑)。

 


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