『東大オタク学講座』
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一九九五年暮、僕が始めた東京大学マルチメディア・ゼミも、もう三期目を迎えていた。さすがに、そろそろネタ切れの感もあって、次回、春からのゼミの講義内容は何にしようか困っていた。講義の後、学生たちといろいろ相談したりもした。 ちょうどその頃、僕は翌年に太田出版から刊行することになる『オタク学入門』の原稿を楽しく書いていた。当然、頭の中は、アニメだの、特撮だの、ゲームだのでいっぱいだった。本を書きながら、思い出したり、調べたりして発見したオタクなことを、講義の合間や、終わってから、学生たちに話すのが、何よりの楽しみになっていた。 学生たちはゼミの内容に悩む僕に、「いっそ、来年はオタクをテーマにしたらどうですか?」と気楽に言いだした。でも、案外保守的な僕は、「オタクが講義になるはずがない」と考えていた。『オタク学入門』みたいな話を講義でやっても、雑談のかたまりにしかならないのではないか。それを、学問として系統だった話にするためには、事前準備がハンパじゃないはずだ。だいたい、まだ誰も学問として研究していない分野なのだ。文献も整理されていない。 「ある作品に対する代表的な解釈をいくつか上げ、それに対する自分の判断を述べる」といった文芸評論的なアプローチさえ不可能なのだ。あるジャンルの学問を一つ、最初からまるまる作りあげる、といった作業になってしまうのではないか。 でも、僕はその時、つい考えてしまった。「まぁ、暇だし。苦労するのもいっか」
実際、当時モノカキとしての僕は、今にくらべてウソみたいに暇で、「何でもいいからお仕事下さい」状態だった。隔週でTVブロスの短いエッセイを連載している他は、『オタク学入門』の書き下ろしを、好きなペースでゆっくり書いていればよかった。今から考えたら、タスマニアみたいな生活だったのだ。つまり、「天国に一番近い」生活っていう意味だ。 だから、忙しくがんばってみれば、良いことがあるかもしれない、と考えた。というのも、それまでのマルチメディア・ゼミでも、いろいろ調べたり準備したりしたおかげで、『ぼくたちの洗脳社会』が書けたのだ。今度の苦労も、自分の血となり肉となるだろうと考えることにした。少なくとも、ネタがないから、ゼミをお休みするよりは、ずっと前向きでいいはずだ。 それに、とにかく自分の一番好きな話ができるわけだし。いざとなったら、雑談で終わってしまってもいいや。『オタク学入門』の宣伝になるかもしれないし……。 そんなことを一瞬で考えながら、僕は学生たちにいきなり、「よし、今度は『オタク文化論』だ!!」と宣言した。 『オタク文化論』 この言葉に、まわりの学生たちも僕も、ゲラゲラと大笑いした。まず、「オタク」と「文化」が合わない! しかも、それに「論」がついている!! に、似合わない、似合わない!!! みんな、大喜びしてくれた。
が、いざ始めてみると、ゼミは僕にとって、予想以上に苦しかった。とにかく、週にまる三日は、講義のレジュメ作り、OHPや資料調べに費やされた。ゲストに来てもらう週も、ゲストと話すべきことの準備の他、ゲストの著書を基本的に全部読み直しておく、という作業が必要だった。その上で、ゲストと打ち合わせをしてから講義にのぞまなければならない。 もう一つ、苦労したのは、学生たちのオタク習熟度のばらつきだ。同じ話を聞いても、すごく喜ぶヤツもいれば、「えっ、全然分かんない!」という顔をするヤツもいる。理性では、分かんない顔をしている人を相手に話さなければならないと考えている。けれどついつい、オタク言葉を安易に使って、分かるヤツ相手に語る、という自分が楽な方へ自分が楽しい方へ流れてしまう。講義後は毎回反省したり、落ち込んだり、苦しんだりで、精神的にも大変だった。 それなのに、〆切は毎週やってくる。 しかも、幸か不幸か、マスコミも珍しがって次つぎと取材に来てくれる。休講という最終兵器すら、ほとんど使えない。 天国に一番近い島へ引っ越したら、そこは地獄に一番近い島だったという気分だった。あんまりだ。 ヒィヒィ泣き言垂れ流しの一年間だったが、何とか、頑張り通せた。
今、思い返してみると、オタクという狭い空間での講義のつもりだったのが、オタク的な関心の持ち方という、相当広くて深い切り方ができたのではないか、と思う。僕としては、「いやぁ、実は僕の本棚ってこうなっているんですよ」と告白した気分でもある。本棚は、オタクにとっては、とても大切で、アイデンティティーの一部を肩代わりしているものだ。嬉し恥ずかしな告白なんだよな。 前期のアニメ、マンガ、ゲーム、UFOなどは、ジャンル自体がオタク的だ。後期の現代アート、セックス、ゴミなどは、オタク的な着眼点によるサブカルチャーの見え方を語っている。また、本書では収録できなかったけれど、講義最終回で浅羽通明氏と語った「そういう自分たちの、オタク的な視点の限界と、それをいかに越えるか」という問題も含めると、「オタク」という視点で自分が言いたいことは言い尽くし切れたな、という実感がある。 全体として、いいカンジのゼミに仕上がった。大満足である。
九六年の夏頃、講談社の唐澤さんから、今、東大でやっているゼミを本にできないかときかれた時は、「はい、はい。できます、できます。簡単、簡単!」と答えた。が、根が怠け者な僕は、その後もいつまでも、ズルズルと引き延ばしてしまった。申し訳ない。 今回、単行本になったのも、唐澤さんが「もう岡田はあてにならん」ということで、編集部で特別チームを組んでくれたおかげだ。講義のレジュメ、録音テープ、OHPの素材を元に、テキスト起こししてくれた星 望さん。ゲスト対談部分のみならず本文も手がけ、おまけに膨大なオタク用語に、ナイスな注をたくさんつけてくれた紀田伊輔さん(本来、注は専門用語を一般人にわかりやすく解説するためのものなのだが、その概念とまっこうから対立する、より濃い解説に拍手!)。講義の時に、僕が黒板にへろへろ描いた絵を、分かりやすく仕上げてくれた眠田直さん。これらの方々の数ヵ月におよぶ努力の結果、ようやくこの本は生み出されたわけだ。いや、めでたい、めでたい!
本としてできあがったものを改めて読んだ僕は、「ほぉ、ほぉ、僕はこんなことも言ったのか。うん、うん、うまいこと言うね、こいつ。おもしろいじゃん」などと、無責任に楽しんでしまった。 もう、ずいぶん前に話したことなので、今では考え方が変わってしまっていることも多々あるけど、九六年の岡田斗司夫はこう考えていた、というのを正直に伝えられるよう、あえて手を加えないでおくことにした。そのため、著者自身の加筆・訂正は、あきらかな数字的まちがいと、いくらなんでも書いちゃマズいことを削ることぐらいにとどめてある。 この本を読まれた読者の方で「オタクってなんなのか、もっと知りたい」と思われた方、拙著『オタク学入門』(太田出版)を読んでください。また「この岡田斗司夫ってヤツ、何考えてるんだ?」と思われた方には『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社)を読んでいただけると、本当に嬉しい。「オタクねたでもっと笑いたい!」という方には『オタクアミーゴス!』(ソフトバンク)がお薦めだ。
著者への感想・文句その他は電子メールがお薦めだ。アドレスは「GFG04070@nifty.ne.jp」。といっても本人は、実は封書が一番嬉しいアナログ野郎だったりする。 また岡田斗司夫自身のホームページ「URL:http://www.netcity.or.jp/OTAKU/okada/」には『オタク学入門』、『ぼくたちの洗脳社会』の全データが公開されているので、書店での立ち読み代わりにどうぞ。
現在、東大ゼミはお休み。充電期間と考えている。来年春からすぐ、再開するかどうかは未定だ。でも人前でこういう話をするのは楽しいので、ぜひまた、チャレンジしたいと考えている。 ではまた次の本でお逢いしましょう。
九七年八月 岡田斗司夫 |