美術手帖 BT連載コラム第十一回〜第二十回
ン1995-1998.Toshio OKADA all right reserved.
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97年は梶原一騎の年だ。80年代に、見捨てられた作家として評価されることなく死んでいった梶原一騎の怨念が、今復活する!! |
| 学生の頃、「マッドテープ作り」というのがはやった。アニメや特撮の主題歌を録音したテープを好き勝手に編集して、大笑いできるテープを作る、という遊びだ。 例えば「キューティハニー」と「人造人間キャシャーン」の主題歌をつないで「この頃はやりの キャシャーン! お尻の小さな キャシャーン!」みたいなのを作るわけだ。 最近この遊びがマッドビデオとして復活した。米国では、数年前からオタクたちの間で密かなブームだった。AV機材やコンピュータによるデスクトップビデオ編集の発達が、ビデオ編集を身近なものにしてくれたからだ。様々なジャンルの音楽に合わせてアニメの映像を編集し、全く新しい魅力を作り出す。米国のアニメコンベンションに行けば、必ずそんなビデオクリップの上映会が見れる。 日本で最近面白かったものといえば「ニセ主題歌」だ。70年代のTV特撮番組「人造人間キカイダー」の主題歌に合わせて「ターミネーター2」の名場面を編集したものや、「ワイルド7」の主題歌に合わせて「白雪姫と7人の小人」の映像を編集したものなどがグッドだった。 こんなのを見たら僕もやらずにはいられない。さっそく「謎の円盤UFO」の主題歌に「新世紀エヴァンゲリオン」の映像を合わせたテープを作ってみた。これが予想以上に楽しい。友達にも大ウケだった。 自分がやって楽しいことは、必ず仕事に取り入れるのが僕のやり方だが、そんな僕でもマッドビデオは残念ながら仕事には出来ない。何しろ著作権法というヒマラヤより高い壁があるからだ。著作権が開放されれば別だが、そんなご時世は当分来そうにない。楽市楽座のように、国際著作権条約に加盟していない国に行ってビデオを作っても、それを日本に持ち込むと違法になってしまう。オタキング岡田のセンスが爆発したマッドビデオが見れないのは、君たちもさぞかし残念だろうが、仕方がない。 このマッドビデオ、本人が自分の楽しみのために編集する分には、法的に全く問題ない。既存の映像にはもう魅力なんて感じないという諸君、自分でどんどんマッドテープを作ってみないか?アリモノの映像を使ってのスクラッチ&ビルドは楽しいぞ。 |
| 朝日新聞社が主宰する「手塚治虫文化賞」というのが今年から始まった。その年、日本一のマンガを選ぼうというのが主旨らしい。 その選考委員に僕も入っている、 選考方式は、選考委員一人一人に持ち点15点を与え、これはと思う作品に自分の思う割合で割り振るという方式だ。選ぶ作品は、3作品以上5作品以内。それぞれの選考委員が、どんなマンガに何点づつ割り振ったかも同時に発表される。なかなか斬新な方式だ。 一口に賞の選考といっても難しい。 一番売れた作品=一番いい作品とは限らないのは、みんなも賛成してくれるだろう。が、この客観性を排除すると、偉い先生がたまたま知ってる作品、偶然読んだ作品の中だけで選考されてしまう、という心配も出てくる。 が、今回のこの方式だと、各審査員とも「え〜、あんな作品を推すなんて」とか「最近の作品、ぜんぜん読んでないんじゃない?」とか、オタクたちの厳しい目にさらされる事になるため、気合いも入ろうというもんだ。(オレだけか?) とにかく、気合いを入れた僕は悩んでいる。 まず一本目。福本の「カイジ」は文句無くきまりだ。とにかく、コンセプトの斬新さ、読んでいるときの緊張感は、他の追従を許さない。 次に永野護の「Tales of Joker」。仮想世界の緻密さとSF的なセンスは十分に評価に値する。マニア誌での連載ということもあり、オレが評価しなきゃ誰がする!という気分もある。 で、あと一作品。メジャー誌、マニア誌ときたから、次は「コロコロ」「ボンボン」あたりの幼児誌かレディースコミックあたりで一本と思うんだが、これはというのが見つからない。「爆走兄弟レッツ&ゴー」もいいのだが、あれはやはりマンガがいいのではなく、アニメやミニ四駆がいいのだろう。 コミケで見つけた同人誌で、ぜひ推したいのがあるんだけど、受賞対象作品は商業誌でないとダメ、という決まりがある。コミケで定価がついて売られていたのに、何がまずいのか。僕の悩みは僕個人から離れ、審査方式の方へまた舞い戻ってしまう。そんなことを考えるくらいだったら、本屋に行ってもっとたくさんのマンガを見た方がいいかもしれない。いやいや、オタキングとしてはこういう悩みも大切なのだ。などと思いながら、冬の夜は更けていくのだった。 |
| なぜ誰も「マンガが長すぎる」と言わないのだろうか?別に「ドラえもん」や「ドラゴンボール」、「ドカベン」とかに限った話じゃない。(あれ、全部アタマに「ド」がつくぞ) 望月峯太郎の「ドラゴンヘッド」(またドだ!)もあと何年も続きそうだし、「ジョジョの奇妙な冒険」も打ち切られる以外は永遠に続きそうな雰囲気だ。 いや、マンガは長くなっただけではない。 永野護がライフワークと公言する傑作SFマンガ「ファイブスター物語」なんて先月、やっと8巻が出たけど、連載開始は1986年だ。12年間で8冊、しかも永野は他のマンガ、仕事は殆どやっていないのだ。 「攻殻機動隊」で国際的にも注目される士郎正宗の代表作「アップルシード」はもっとヒドイ。書き下ろし単行本のシリーズとして第1巻が発売されたのが1985年。現在4巻までが発表されているが、5巻が出るのは来世紀になるという。待ってる身にもなってくれ。 長いマンガ、終わらないマンガ、進まないマンガ。もちろん出版社の都合で続けさせられているシリーズもあるかも知れない。しかし、ひょっとしてマンガ家たちは、「ラスト」が描けなくなっているのではないだろうか? 自分の壮大な構想を元に始め、人気を得、画力も表現力も、経済力も上昇する。キャラクター達も作者の思いもつかない主張をしてくれるようになる。そんな中、そろそろこの物語のテーマ、結論を出すタイミングが来る。しかし用意していた回答では、すでに読者も、なによりも作者自身が納得できない。 かつて竹熊健太郎は「敵はインフレ化する」という法則を提唱した。少年マンガでは主人公の敵は毎回強くなり、最期には「宇宙の意志」とか「進化の法則」とかそういう訳のわからん奴と戦うハメになるからだ。 それと同じく、「ラストはインフレ化する」という法則を提唱してみよう。シリーズが長く続くと、主人公の「行動の意味」や「想い」に対して作者も読者も、過剰に「思い入れ」するようになる。そうなってしまうともう、「人の生きる意味」とか「人類の進化」とかを絡めて描かざるを得なくなる。しかしそんなもん、毎日マンガを描いてばかりの連中に求めるのは酷、というもんだ。 「デビルマン」や「寄生獣」みたいに奇跡的に巧くまとまった作品ばかり求めると、マンガ家も壊れちゃうゾ。 |
| この春の超大作アニメ映画と言ったら、「新世紀エヴァンゲリオン」と「ヘルメス」の2本につきるだろう。このコラムをみんなが読む頃には、もう既にどちらも東映系で公開されている筈だ。きっとがっぷり四つに組んだ戦いが繰り広げられていることだろう。 「エヴァンゲリオン」の方は、言わずと知れたTVアニメの映画化で、天才、庵野秀明監督が自分の心が壊れていく様をフィルムに焼き付けた、本当の意味での「芸術作品」だ。天才とキ○ガイは紙一重と言うけれど、この映画の中には彼の狂気がたっぷりと閉じこめられている。 一方、「幸福の科学」制作の「ヘルメス」は、今の所まったく評判になっていない。エヴァの前売り券が20万枚を突破して、前代未聞と大騒ぎしている。けれど、実は「ヘルメス」も20万枚売れているのだ。ところが、なぜか「ヘルメス」に関しては、マスコミもアニメ雑誌も、知らんぷりしている。 配給している東映からしてそうだ。インターネットの東映のホームページには、「ヘルメス」の「へ」の字も出てこない。自分のところで配給して、ちゃんとお金もとっているくせに、「ヘルメス」なんてこの世にないみたいなフリをしている。 先日、エヴァンゲリオンの試写に行った時もそうだった。ちょうど隣では「ヘルメス」の試写をしていた。ところが、詰めかけているアニメ誌など業界の人達は、全員「エヴァンゲリオン」だけを見て、「ヘルメス」は見ようともしない。それどころか話題にもしない。エヴァンゲリオンの試写が終わったあと、僕が「どうしてヘルメスの試写に行かないの?キ○ガイの作ったアニメはよくて、宗教の作ったアニメはだめなの?」と、アニメ誌の編集に尋ねたら、「勘弁して下さいよぉ」と言いながら、逃げていってしまった。 実は僕は、宗教団体が作った映画なら、突き抜けていてすごいんじゃないか、とちょっと期待していた。スタッフリストを見ると、中途半端に一流の人ばかりを集めている。無難で陳腐なものを作っても仕方ないのにな。 だいたい、せっかく宗教してるんだから、「ヘルメス」なんていう一般映画のふりをしてはもったいない。もっと男らしく、真っ正面から宗教をテーマに作って欲しいもんだ。 その結果、作り手が壊れたらきっと、アニメ雑誌やマスコミもエヴァみたいに取り上げてくれるだろう・・と思う。 |
| 「大学生や社会人ががマンガを読む国は、日本だけだ。電車の中で大人達がマンガを読んでいるのを見ると、情けない」という批判をよく耳にする。お互いの文化の差を理解できないバカヤロ様の暴言だ。まぁ爺さん達の世代が妄言吐くのはお迎えが迫っているんだから仕方ない。ユルセンのは、そんな戯れ言聞いて感心している若者だ。もの知らずたちめ。仕方ない、教えてやろう。 アメリカン・コミックス=アメコミと、日本のマンガは、全然違う。アメリカでアメコミを楽しんでいるような少年は、日本のマンガは難しくて読めない。逆に、日本の大学生でアメコミを読んでいるヤツがいるとしたら、ただのバカか余程のマニアだ。 アメコミは読むものではなくて、見るものだ。一冊36ページから40ページのアメコミを見るのに、普通、一時間をかける。それに比べて、日本のマンガは読み飛ばすものだ。週刊マンガは、一回の連載が18ページから24ページ。これは、電車の一駅分の時間で読める量に設定してある。「読み飛ばす」ことを前提に作られた作品なのだ。 そういう読み方に慣れている私達にはわかりにくいが、アメコミは、絵の隅々までジグソーパズルを組み立てる位の注意深さで、じっくり鑑賞するものらしい。描かれていることを何一つ見落とすまい、という注意深さで、ゆっくりと眺める。絵を隅から隅まで眺め、コマの運びを鑑賞し、描線の流れに注目する。 アメコミは、一コマ一コマがイラストなのだ。だから、説明的な絵は嫌われ、ストーリーや登場人物の心理の変化は文字で説明する。説明ぜりふがやたら多いはずだ。 反対に、日本のマンガでは、説明せりふが嫌われる。その代わり、説明的な絵は平気で多用される。ドアを開くだけのシーンを数コマかけて描写したり、スローモーションや心情描写の絵も平気で挿入する。「もっともカッコいい瞬間を摘出して、最高の構図で見せる」という思想が、日本のマンガにはないのだ。 ストーリーは幼稚だが構図は最高。アメリカ人にとってコミックとはそういうものだ。だから日本人が電車の中でマンガを読んでいると、「なんであんな幼稚なものを!」と驚くわけ。でもそのアメリカ人の理解しているコミックと、日本のマンガは似て非なるものなんだよね。 というわけで、諸君はそういう誤解から生まれた批判を頭から信じないように。以上。 |
| RPGというと、日本ではドラクエやファイナルファンタジーといった、TVゲームの種類を指すことが多い。しかし本当のRPGは「テーブルトークRPG」と呼ばれる相当複雑なゲームである。プレイするゲームの種類によって、分厚い設定書があり、ゲームに参加する人達は、まずそれを熟読しておかなければならない。地図はもちろん、物理法則や魔法の法則。モンスターの種類や特徴など。魔法使いなら、どんな魔法が使えるのか、どんな条件が必要か。演じるキャラクターの人生観、性格づけ等、あらゆる事柄が細かく記されている。 ゲームマスターはその設定に従ってストーリーを進め、結果の判定をする。プレイヤーは、ターン(順番)毎に何をするかを決め、サイコロを振る。主に中世のファンタジーなど剣と魔法の物語的なものが有名だが、現代を舞台にした探偵ものや未来のSF世界なんていうのもある。 その中でも超変わり種に「TOON」がある。「TOON」の世界観はアメリカのアニメーションだ。登場人物は、いつも大騒ぎで暴れてるが、誰も決して死なない。自動車に引かれても紙みたいにペチャンコになるだけで、しばらくすれば元に戻る。 キャラクターの能力も、「小さい鞄から、次々といくらでも物が出せる」「とにかくめちゃくちゃ運がいい」とか「目に見えないぐらい走るのが速い」とか、アメリカのお気楽アニメーションのノリなのだ。 フライングと言う能力は「崖の上から落ちているとき、手をすばやくパタパタさせると、空中で数秒間止まっていられる」という例の能力。サイコロの目によって、落ちたときのダメージが変わる。中には、「びっくりしたらあごが地面にくっつく」という能力もあるが、何の役に立つのだかまるでわからない。 中でも一番にトンデモないのが「次元逆転」という能力だ。枝に座ったまま、その枝をノコギリで切る。普通は当然、枝ごと自分が落っこちる。が、時限逆転の能力を使えば、なんと、木と地面の方がなぜか落っこちるのだ。 テーブルトークRPGの場合は、その世界が大好きで世界観にひたりたい為にやる人が多い。ファンタジーやSFの設定も、憶えること自体が楽しいのだ。が、この「TOON」の場合、読むだけなら楽しいが、憶えようとすると相当、頭が痛くなりそうだ。 |
| 文庫本マンガ、というのがよく売れている。昔の名作や絶版になってしまったマンガを安く復活させようというのが狙いの商品だ。 この企画、最初は僕もバカにしていた。 「あんなに小さいサイズで、マンガの面白さが伝わるもんか。きっと売れないよ」 「どうせ、『弐十手物語』とか、そういうオッサン臭いマンガばっか復刻するに違いない」 なんていうマンガサークルのOBみたいな、根拠の薄いキメツケをやっていたわけだね。でまぁ、その予想は大ハズレになってしまったわけだ。 この企画が最初にブレークしたのは「天才バカボン」からだった。まさかいまどきバカボンが売れると考えた人は少なかった。だって「攻殻機動隊」とか「寄生獣」が売れていた時代だ。ギャグだってポスト・吉田戦車の時代だったわけだ。 そりゃ誰が考えてもバカボンじゃないよな、と考えるのは無理はない。 しかし、読者、というよりこの場合は消費者は、実はこんなシチ面倒くさいマンガに飽き飽きしていたらしい。バカボンの文庫マンガは売れに売れた。 マンガの著作権を管理している他の出版社も、この「バカボン、ヒット!」には多いに驚き、商品ラインナップを揃えてきた。 当初は僕の予想通り、文庫マンガは「オッサン臭いマンガの墓場」だった。具体的に名を挙げるのはナンであるが、まぁ中高年向けのウンチクものとか叙情ものとかが多かった。それがバカボンのヒット以来、名作や隠れた佳作をどんどん出版するようになり、あっというまに書店の棚を一本取るようになってしまった。 まんだらけで古書価格五万したのが、今月に文庫で出る。 15万の○○は、新潮社のラインナップに入っているそうだ。 怪しげな噂はマンガコレクターの間を駆けめぐり、またそのほとんどが実際に刊行されてしまった。いやぁ、いい時代になったもんだ。 まさか「少年の町ZF」や「ザ・ムーン」が新刊で読める時代が来るとは思わなかった。僕は最初の「あんなもの、売れてたまるか!」というキメツケをすっかり忘れて今、マンガ文庫にハマっている最中だ。 |
| 今回は『新スーパーロボット大戦コミック』を紹介する。この本の紹介はややこいしが、そのややこしさこそ、存在理由なのだ。 まず「スーパーロボット」という分類をご存知だろうか。これは『機動戦士ガンダム』以降に作られた言葉だ。 それ以前は、アニメに出てくるロボットは、みんなスーパーロボットだった。どのロボットもみんな、材質は不思議なスーパー合金でできていて、とにかく固くて丈夫で、いろんな場所からミサイルが無限に出てきて、空で、海で、陸で大活躍の、無敵の巨人だったのだ。 それがガンダム以降、「リアル・ロボット」になった。ボトムスやダグラムなんかもそうだ。主人公ロボであっても、リアルな量産機械として設定されている。撃たれれば故障もするし、破損もする。動きすぎれば燃料も無くなる。一体だけがいつまでも強いわけではなく、新型が出れば旧型より性能がよい。 こういった路線が確立されれば確立されるほど、「でもやっぱり、昔のでっかくて強くて、ロケットパンチが飛ぶ景気のいいロボットの方が好きだ!」という意見も強くなる。そこでリアルロボットに対して、こういった景気のいいロボットを総称し、スーパーロボットと呼ぼう、ということになったのだ。 このスーパーロボットをたくさん集めて、大戦争しよう、というシミュレーションゲームが数年前に発売された。これが「スーパーロボット大戦」だ。主人公はマジンガーZだのゲッターロボだのスーパーロボット軍団を率いて、スーパー悪役軍団、つまりやられメカの円盤獣ギバギバなんかと戦うのだ。 これが大人気、シリーズ化されて、決定版とも言える「新スーパーロボット大戦」が発売された。各ロボット共に声優さんの声でちゃんと必殺技の名前を叫んでくれるし、発進の時には、アニメの時にかかっていた発進時のBGMを流してくれる。これまた大ヒット。 そこで企画されたのが、この本「新スーパーロボット大戦コミック」だ。これは、いろんなマンガ家に、スーパーロボット同志が戦う短編マンガを描いて貰うというアンソロジーだ。中でも注目すべきは、スーパーロボットの本家本元「ゲッターロボ」の生みの親石川賢が、久々にペンを握って、新作マンガを描き下ろしている事だ。 この蛇が尻尾を飲むような複雑なメディアミックスに、僕はめまいのような感動を覚える。お薦めの一冊だ。 |
| 「コミケに行けば、どんな本でもある」と言う伝説がある。ブースの数が3日間で約4万店。1ブースに最低3〜4種類の同人誌を置いているから、10万種類以上の本が、売られていることになる。 ブースは、ジャンル別に整理されている。しかし油断は出来ない。例えばメインは「碇指令×シンジのホモパロディ」、つまりアニパロ系同人誌でも、ついでに「うちで飼っているハムスターがかわいい本」も売ろう、と考えるヤツもいる。つまりこのジャンル別とは、売り手が一押しの同人誌の種類、というだけでアテにはならないのだ。 この間のコミケで、鉄道系のブースに行った。すると、なんと南海天王寺線の同人誌があるではないか。僕の出身地・大阪の天王寺ー天下茶屋を結ぶ、間に駅が一つしかない、という超マイナー鉄道だ。もちろん、すかさず買ったあと、南海高野線の本はないか、と訊ねた。僕の実家のすぐ裏を走っている電車だ。残念ながらないとのこと。南海上町線や南海片町線という、単線電車まであるのに・・・・。しかし「ない」と文句言っても、それは今回の「鉄道模型ジャンル」の中には無かったというだけにすぎない。他の10万冊を丁寧に探したら、あるかもしれない。これがコミケの底知れ無さであり、何でもあるという伝説を支えている源だ。 「コミケには何でもある」という伝説を支えているもう一つの力。それは、まさかこれは無いだろうと思っていた本がやはり見つけられなかった時、ムラムラと自分で作りたくなる事だ。実は、僕はさっそく南海高野線本が作りたくなってしまった。早く作らないと、他のヤツに作られてしまう、と本末転倒な気分まで生まれてくる。 気軽に自分で作ろうと思えるのは、コミケで売る本の許容量のとんでもない広さだ。書籍コードだの、版権だの、プロ的な事柄に無縁なのはもちろん、体裁も内容も一切制限がない。全4色オフセット印刷で、1冊3000円で売るのもOK。当日、コミケ会場に行く途中の電車の中で、レポート用紙に手で書いて、駅前のコンビニのコピー機でコピー、10円で売るのもOK。この、幅広さ。無秩序さ。 僕はひねくれた人間なので、識者達のいう「自由な発想の素晴らしさ」なんて胡散臭く思ってしまう。が、このコミケのカオスを見ると、クリエイティブとは何か、いつも考え込んでしまうのだ。 |
| 謎本の次のトレンドは何か。今、出版社は躍起になって探している。謎本というのは、マンガやアニメ作品の知られざる設定なんかを、いろいろ研究したり、想像したりして書き連ねた本だ。 ブームのきっかけはサザエさんの謎本、『磯野家の秘密』から。この本では、磯野家の間取りや、波平の年収やマスオの出身地など、事細かいどうでもいいようなことを、全巻読破して調べあげ、書かれている。 この謎本が一気に大ヒット。その他のマンガやアニメ、耽美小説などの謎本も相次いで出版され、今や書店の棚一つ分を占領する勢いだ。この夏は『新世紀エヴァンゲリオン』に関する謎本があふれたので、本屋で見たことがある人も多いだろう。 謎本に関しては、もはや飽和状態だ。では謎本にかわるトレンドは何か? それが今回、取り上げる「語録本」だ。 マンガやアニメ作品に登場するキャラクターの名セリフ、キメセリフ、心に沁みいる一言を並べて人生を語る、という形式の本だ。 人間として許せんヤツには、バシっと言ってやりたい。こんなシチュエーションで、この言葉を使って、キャラクターの気分になりきりたい。こういう「マンガのセリフでカラオケ」が、語録本の醍醐味なのだ。 まずは正確には語録本ではないが、『巨人の星伝説』。『巨人の星』に登場する元祖モーレツしごきオヤジ、星一徹の名セリフ集と、昭和時代の評論集。 次に出版されたのが、島本和彦作品に関する名セリフ集『炎の言霊』。炎のマンガ家、島本和彦が描く作品に登場する熱い男達の名セリフ集だ。 例えば、相手の卑怯な行いを責める主人公に、「お前も以前、卑怯なマネをしたではないか」と言い返すライバル。そこへ主人公が返す名セリフ「それはそれ!これはこれ!」。理屈をぶっ飛ばす力強さ。なかなか味わい深いセリフと言える。 麻雀劇画誌で活躍する福本伸行の『カイジ語録』も、渋い魅力である。「勝たねば意味がない」「眠り続ける偽善者」・・・こんな福本節は、島本節とは正反対の、クールな魅力に溢れている。でも雀荘でポツリと言ったら、殴られそうなセリフばかりだが。 この3冊に共通するのは、「男の生きざま」がほとばしっているという点だ。これからは、「生きざまブーム」が来るかもね。 |
| 先日、某大出版社の言論誌が、『ポケモン』の「ヒットの秘密」を僕に訊きに来た。僕は「なんでそんなことを知りたいのだ?」と思いながらも、一応まじめに答えた。現在の大状況をふまえて、ポケモンの制作者が、売るためにどんな努力をし、どんな工夫をしたかを、具体的に説明した。僕がいくら一生懸命説明しても、記者の顔色はさえない。「それでは編集長に通らない」という。僕がどんなことを言えば、彼は喜ぶのだろうか? 訊くと、彼は嬉しそうに教えてくれた。「少年ジャンプのヒットの秘密は、友情・努力・勝利なんです。『ドラゴンボール』も、この3つの要素で大ヒットした。ポケモンは久しぶりに、この3要素が入っているから大ヒットしたんですって!」 得意げな彼の顔を見ながら、僕は腰がヘナヘナと砕けてしまった。 どんな物語にも、主人公の動機付けが必ず必要だ。ジャンプの場合、主人公の動機は常に「友達の危機=友情」にあるという程度のことだ。動機によって、実際に主人公が行動することで、ストーリーが進む。ジャンプの「努力」とは、主人公の行動に障害がともなうという意味である。「勝利」とはカタルシスのこと。ジャンプの場合、それがいつもハッピーエンドだ、という程度のことだ。 こんなの、何にも言っていないのと同じだ。この20年、『少年ジャンプ』は友情・努力・勝利に満ち溢れている。その中には大ヒットもあれば全然ダメなのもあるじゃないか。 第一、ポケモンというゲームでは、プレイヤーの動機付けは友情ではない。だいたい友達なんか出てこないぞ。ゲームをすればわかるはずだ。それでも、記者は嬉しそうだ。要するに、それらしい言葉、わかったような気分が大切なだけなのだろう。 「では今、子供達の間でポケモン・カードのコレクションがブームですが、これはお宝鑑定のブームと関係があるんですよね?」何が「では」なんだ。関係ねぇよ。 僕は、その後、記者に1時間も説教してしまった。みんなの中にもこれから、ジャーナリストになったりする人がいるだろう。そういう人は特に「ヒットの秘密」なんていう言葉には気をつけよう。そんなこと場に惑わされると、本当に、その作品のどこがすぐれていて、どこが受けているのか、ちゃんと考えることを放棄することになる。ズルししないで、自分の頭で考えるように心掛けること! |
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