毎日新聞『失われた未来 LOST FUTURE 2000』第一回〜第十回
ン1996-1999.Toshio OKADA all right reserved.
|目次へ|連載一覧に戻る|
#1
![]() 「TWAムーンライナー」ロンドンの科学博物館に展示されていたミュージアム・モデル。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
いよいよ先進16か国の共同プロジェクト、国際宇宙ステーション計画「I.S.S.」がスタートする。完成時には総重量四百トン以上もの巨大宇宙基地が、地上四百キロに出現する、という壮大な計画だ。いよいよ21世紀が始まったのである。 しかし人々は今、本当に科学のユートピアなんて信じているのだろうか。書店を覗けば怪しげな予言関係の本はあふれ、テレビのワイドショーでは相変わらずオカルト番組が花盛りだ。教育関係者達は子どもの科学離れを嘆いている。 そんななか、我々が迎えようとしている21世紀とは、はたしてどんな世界なのだろうか? 漠然とした不安を解消しようと、米国フロリダのディズニーワールドへ行ってみた。昨年、リニューアルされた「未来の国」を、この目で見たかったからだ。 かつては「科学の力で理想の未来を作ろう」というテーマの楽園は今、大きく様変わりしていた。「未来の国」のそこかしこに、何やら古めかしくてなつかしいメカデザインが見うけられる。未来なのに懐かしい、ノスタルジックな光景が眼前に展開している。 どうやらディズニーは、その膨大なマーケティング能力で、いま人々が求めている未来像を「科学万能という、ノスタルジックな夢の世界」と捉えなおしたようだ。だから「未来の国」のシンボルに選ばれたのも、ディズニーランドに1956年に建造され、74年に撤去されたディズニーランドのシンボル、ムーンライナー・ロケットになった。 そしてその選択は圧倒的に正しい。 ムーンライナーは、人々がまだ宇宙旅行など夢の夢と考えていたスプートニク以前に建造され、60年代の冷戦時代は強いアメリカのシンボルとして屹立していた。70年代に入り、アポロ計画は「無意味で予算ばかり喰う」ということで中断され、このムーンライナーも時代遅れとなって取り壊された。 しかし、時代と共に忘れ去れたこの純白のロケットは、再び世紀末に「ロストフューチャー」という新しい様式として蘇ったのだ。 「ロストフューチャー」。それは、かつて訪れるであろうと待ち望まれた未来像、今やどんなに待っても決してこないバラ色の未来像をモチーフとする様式である。 ディズニーワールドだけではない。世界中でいま、この「ロスト・フューチャー様式」が大きなうねりとなりつつある。 この連載では、いま世界中で同時に起こりつつある巨大なムーブメント、「ロスト・フューチャー」についての断片的なメモをお届けしたい。 |
#2
| 今年の自動車トレンドは、「丸くて快適、エコロジー」だそうだ。たしかに昨年末からこの春にかけて発表された新型車は、どれもポケットモンスターのようにまるっこく、キャビンは広々として快適だ。そして、環境にやさしいことを謳い上げている。 世界中の自動車メーカーがそうだというのだから、確かにそれが時代の流れなのだろう。が、そんな車があまり魅力的に見えないのは僕だけだろうか。 自動車不況が叫ばれてから既に久しい。評論家たちは「どの車も同じで、個性がない」と批判する。 「魅力的な車なら多数ある。問題なのは、絶対に欲しい車がないことだ」 知人の車雑誌編集者のボヤきが、現在の自動車産業の重要な問題を指摘している。 そんな個性のない、同じような車ばかりのデザインの中で、ロストフューチャーな車たちが注目されている。 一昨年に出版された洋書『CARS DETROITS NEVER BUILD』は、デザインはされたけれども、決して生産されることのなかったアメリカ車の写真集だ。この中に登場する「フォーチュラ(リンカーン社)やファイヤーバード(GM社)などが、注目の車種である。書籍だけではない。50年代のモーターショーを記録したビデオソフト『オートラマ』も、発売元の予想を裏切り、売れ行き好調のようだ。 写真は、フォード社が1955年に発表した近未来車「ジャイロン」のブリキ玩具だ。このロストフューチャーなデザインが気にいられたためか、アンティークショップでは相当の高値で流通している。買い手は意外なことに、大学生から若いサラリーマンが多いという。 実際、こういうデザインを見たことのない若い世代は「こんな自動車があったら、絶対に買うのに」と溜息をもらしているのだ。 確かに「丸くて快適、エコロジーな車」は、楽しくて便利で、文句がないのかもしれない。が、そういう「手頃な現実の満足」と引き替えに、私たちは「理想の未来を追い求める情熱」を失ってしまったのだ。 現実に満足し、未来に夢をもてない私たちは、これから何を目標に生きて行けばいいのだろうか。 ロストフューチャーから来た車たちは、私たちにそんな問いを投げかけているような気がする。 |
|
ブリキ玩具「フォード・ジャイロン」(新正工業(株)・1950年代)(岡田斗司夫・蔵) 撮影・宮坂政邦 |
#3
![]() 1958年世界博のテーマ建築・アトミウムの模型。大阪千里の万博記念公園でも太陽の塔のオミヤゲを売っているが、それと同じくブリュッセル国際空港で売っていた。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
最近、万博がちょっとしたブームだ。と言っても二〇〇二年に予定されている愛知万博のことではない。一九七〇年に大阪千里ヶ丘で開催されたEXPO`70万博のことだ。 `EXPO70は、開催前から日本の国を挙げてのお祭り騒ぎだった。マスコミはもちろん、国民全体の注意が万博に寄せられていたと言っても過言ではない。が、あの熱狂から29年、いつの間にか博覧会はすっかり過去の遺物になってしまった。地方博も次々と失敗し、都市博も中止。新世紀初の国際博・愛知万博も、今一つ盛り上がりに欠けている。 理由は簡単、万博のメインテーマたる「技術が支える明るい未来」を、子供たちが信じちゃいないからだ。 このテクノロジー離れは日本だけの問題ではない。フランス政府の威信をかけて、パリ郊外に86年に開館したハイテク科学教育パーク「ラ・ヴィレット」は、なぜか土日もガラガラ。科学する心を子供たちに教えようと世界最先端の教育的アミューズメント施設を作っても、子供の科学離れは止まらないのだ。 そう、万国博が盛り上がらないのは、決して企画や宣伝のためでない。「技術の進歩と環境との調和」みたいな、科学主義的な価値観を軸とする「博覧会」というコンセプトそのものが、もはや受け入れられる土壌をなくしてしまったからだろう。 その一方で、カルト宗教やノストラダムスの予言など、安易なオカルト思想がどんどん若者たちの間に拡がっている。彼らの世界観では、ドラゴンや妖精が飛ぶ世界、予言や超能力がある世界と、科学万能、楽観主義の未来とは、全く等価にフィクションなのだ。 そんな彼らに今、大阪万博EXPO`70が注目されている。万博に関する書籍・特集が次々に企画され、いずれもヒットしている。 いや、日本だけではない。アメリカでも、39年や64年のニューヨーク博、34年のシカゴ博や67年のモントリオール博など、万博・世界博に関する再評価が次々に発表されている。当時の切手や記念アイテムなどを、値上がりを見越して買い占めるブローカーも多い。 これら昔の万博に共通していること、それは、楽観的な未来予測、科学と民主主義による楽園への信仰、即ちロストフューチャー・ワールドなのだ。 魔法や予言の世界と、これらロストフューチャーな世界が、どちらも等しく「虚構だから、夢があって楽しい」と感じる子供たち。現実の愛知博にではなく、過去の万博に心奪われる若者たち。 彼らに現実の未来は、どう映っているのだろうか。 |
#4
| カーネギーメロン大学のハンス・モラベック教授によると、二〇〇五年頃に最初の家事ロボットが登場するという。二〇一〇年には万能ロボットが登場し、知能ロボット産業は地上最大の産業になる、と予想している。 と、こう聞いても素直に納得できる方は少ないと思う。日本でロボットと言えば、普通、バブル経済時代に町工場の救い主としてもてはやされた工業用ロボットを指すからだ。しかし、これら工業用ロボットが自動車をオートメ生産するニッサンの座間工場は、バブル経済崩壊後に閉鎖された。今や工業用ロボットを新たに導入する町工場は少ない。偉い外国の大学教授が「これからはロボットの時代!」と言っても、にわかに信じがたいのも当たり前なのだ。 そんな中、日本で唯一元気なのは、ブリキやオモチャのロボット達だ。 この、ロストフューチャー的ロボット達はいま、街の雑貨店や古着屋で大流行だ。原宿や青山などに専門店もある。 もともとロボットの玩具は、欧米のコレクター間では人気が高かった。それが最近、昔のレプリカ製品も手ごろな価格で出回るようになって、若者たちの間でちょっとしてブームになっているのだ。 いや、オモチャのロボットだけの話ではない。モラベック教授の言うとおり、最近の大企業もロボットに注目しつつある。ホンダ技研は二本歩行ロボット「P2」を発表したし、ソニーはペット用ロボットを年内発売を予定している。 さて、お気づきであろうか。こうして今、復権しつつあるのは、かつての工業用タイプではない。鉄腕アトムを夢見て育った世代が作った家庭用ロボット、友達としての知能ロボットなのだ。 わずか十年ほど前、あの経済繁栄のみを夢見てひた走っていた時代。そんな頃は、そういった家庭用ロボット、ロストフューチャー的ロボットは否定されていた。未来を切り開くのは、そんな効率の悪い、役に立たない夢のようなロボットではなく、工業用ロボットだと誰しもが考えていたのだ。 しかし21世紀を迎えようとしている今、我々の前に再び姿を現したロストフューチャー的ロボットたち。かつての自動車産業のように、そして今のデジタル産業のように、彼らが新時代の中心となるのかも知れない。 来るべき新世紀、我々はこのロボット達とともに、一体どんな未来を作っていくのだろうか。 |
|
![]() ロボットの語源はチェコ語のロボータ=労働、そのイメージ通りのロボット労働者灰皿(蔵:岡田斗司夫) 撮影・毎日新聞社 |
「宇宙時代』(昭和35年・集英社なぜなぜ学習漫画文庫)科学の力で実現する明るい未来を解説。「どうだ、これが10年後の日本さ」「はやく10年たつといいなあ」 登場人物が無邪気に語るセリフが感慨深い。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
ハリウッドに続いて、また日本製ゴジラが復活する。誕生より40年以上、世界中でヒットする原因はなんだろうか。 ゴジラの生みの親、田中友幸氏は、かつてゴジラ映画のヒットの秘密を「親に変わって子供に説教してやることだ」と語った。 「説教の内容は何でも良い。生き物を大切に、とか、家族愛を大事にといった正論であればあるほどいい。こういう気恥ずかしい正論を、今の大人は子供に教えていない。そんな頼りない大人に替わって、ゴジラ映画は子供に説教してあげるのだ。すると親は、何か子供のためになったような気がして、また次のゴジラ映画を見に行こうという気になる」 映画だけではない。大衆娯楽メディアの中に、我々は無意識の内に失われた価値観の復活を熱望しているのだ。 ヨーロッパで騎士道物語が流行り始めたのは、セルバンテスがドンキホーテを書いた時代、すなわち「騎士道」という概念が完全に無意味になってしまった時代からだった。 西部開拓が完全に過去となった20世紀初頭のアメリカでは、国民の物語として西部劇が映画化された。家族崩壊が叫ばれた昭和の日本でも、ホームドラマが大ヒットした。 この連載のテーマ「ロストフューチャー」も、今や失われた価値観である。 かつてアメリカを中心に、日本でも「科学と民主主義の楽園、理想の未来社会」という理想郷が、信じられていた時代があった。1940年代後半から60年代にかけての頃だ。しかし、アメリカではベトナム戦争を境にして、日本でもオイルショック以降、いつの間にか、誰一人そんな理想郷のことなど忘れ去ってしまった。 ところが、それが完全に忘れ去られてしまった現在になって、その理想郷がもつ統一されたスタイルや独特のデザインが、若者たちの間で流行し始めた。失われた価値観は、大衆娯楽の形を借りてスタイルとして復権するのだ。 これが、僕が毎回報告している「ロストフューチャー」現象である。 未来っぽいスタイルが流行っているからといって、若者たちの間で科学主義が復活したわけではない。環境ホルモンや遺伝子工学、脳死判定やダイオキシン公害など、今や科学の力は、我々を不安に陥れる方向でばかり強調されている。 我々はもう決して、エアカーが飛び交い、週末の宇宙旅行に出かけるような未来など来ないことを知っている。 そう、我々はある価値観を失ってしまってから、その世界を様式化して復活させるのだ。 科学と民主主義による輝かしい未来はもう来ない。 それを今の若者たちは知っているから、ロストフューチャーというスタイルで科学の未来を様式化し、消費しているのである。 |
| 都市交通システムとしてモノレールが注目されている。昨年末に多摩モノレールが開通し、大阪では伊丹空港から門真まで世界最長運営路線のモノレールが開通した。2003年には県内初の鉄道として、沖縄都市モノレールの開通が予定されている。 なぜ今、モノレールなのか。悪天候や路線の高低差に強い、という利便性ももちろんある。しかし最も大きな理由は、その経済性の高さだ。 慢性的な過密状態の都心部、新たに鉄道を計画しようとも用地確保は不可能 に近い。モノレールの場合、鉄道に比べて1/2程の輸送力を持ちながら、利用する用地面積は少なく、したがって圧倒的に建築コストは安く上がる。建設期間も短くてすむ。 ラッシュ時に大量の人間を運ぶには不向きだが、定期的に少しずつ運び続けるには、充分役に立つ。時差出勤やフレックスタイム導入など企業自身の変化も、有利に働いている。 経済的で小回りの利くモノレールが注目されるのは、当たり前なのだ。 しかし、ロストフューチャー的世界でモノレールが持っていた、「空飛ぶ列車」という夢のイメージはどこにも見あたらない。 かつて日本中が田舎だったころ、土ぼこりの舞う道で人々はアメリカのような大都会にあこがれた。地面がコンクリートでおおわれ、ガラスと鉄のビルが空を覆い、そして空飛ぶ列車がビルの間を縫うように走る。 もちろん、そんな街は世界中のどこへ行っても存在しない。そんな大都会は、高度成長を夢見た人々にとっての「おとぎの国」だったのだ。一生懸命がんばれば、やがては必ずやってくる約束の地だったのだ。 日本人は、いつか来るであろう夢の世界を目指し、東京オリンピック、大阪万博、GNP世界第二位と、まるでコンピューター・ゲームのようにイベントを次々とクリアして突き進んだ。 そして1999年の現在、日本の地方はすべて、小さな大都会になった。へんぴな街道にまでコンビニがあふれ、地方の青年達も標準語を器用にあやつる。駅前は放置自転車と英語教室であふれ、すべての町は小さな東京になった。 気がつくと、我々はかつて夢見たコンクリートの道路・ガラスのビルに囲まれた「未来の街」で暮らしている。しかしそんな街のどこにも、あの夢の未来は、空を飛ぶ列車は見あたらない。 見上げればそこにはモノレールが走っている。ラッシュを緩和してくれる便利な乗り物、建設費の安くすむ新交通システム。まるでコンビニエンス・ストアのように、安くて便利なモノレールがただ、走っているだけなのだ。 |
|
ディズニーランド・モノレール(旧西独シュコー社鉄道模型・1950年代)。夢の王国を走るモノレールは、まさに未来からきた乗り物だった。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
『核攻撃における生き残り術』・1950年代に米国政府より配布されたパンフレット。彼らは「生き残る」つもりだったのだ。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
最近、どの書店でも「ノストラダムスの大予言」本のコーナーが目に付く。あの有名な「1999年7の月」が近づいて、終末思想のようなものが現代人の間で拡がっているのだろうか。TVや雑誌などでも「7の月」が近づくにつれて加速度的に取り上げられる頻度が上がるに違いない。 書店で手に取ってみると、それぞれの本ごとに、人類滅亡の原因は異なっている。 「巨大隕石が落下する」 「未知の病原菌が猛威を振るう」 「惑星直列で地磁気に影響が出る」 「環境異変が立て続けに起こる」 荒唐無稽なものもあればリアルな主張もあるが、どの本も人類最後の日を避けがたいもの、どうしようもないものとして描き出している。 確かに巨大隕石や惑星直列は、人類の力ではいかんともしがたい。が、未知の病原菌や環境ホルモンによる汚染も「偶発的で不幸な事故が、結果的に人類を滅亡へと導いてしまう」というシナリオになっているのだ。 このような「犯人の特定できない終末」こそ、もっとも現代的な末世思想なのだろう。 ロストフューチャーの世界にも、人類滅亡という終末観はあった。国家と国家がエゴをむきだし合ってぶつかっていた時代の黙示録。それは第三次世界大戦とも最終戦争とも呼ばれる、水爆による熱核戦争のことである。 ひとたびそれが起こると、地表は全て焦土と化し、勝者として残るものは誰もいない。まさしく「最終戦争」なのである。 当時、核戦争による人類滅亡という概念は、非常にリアルに感じられた。この滅亡を直接引き起こすのが、自己利益のみにとりつかれた少数の人間で充分だったからだ。「一部支配者階級による無意味な対立が、人類滅亡を呼ぶ」という、わかりやすい悪の論理だ。 しかしこれは言い換えれば、誰もが正しい認識を持ち、合理主義や民主主義の心を忘れなければ、必ずや避けられる滅亡でもあったのだ。 わかりやすい悪の姿と、理想に燃えた解決への歩み。しかし我々は、このような単純な世界からすでに歩み出てしまった。 正義無き時代、明確な悪の見えない時代に生きる私たちの終末を避ける方法は、どこにも提示されていない。 終末すら約束されていない時代、これから我々は何を避け、何に向かって進めばいいのだろうか。 |
人が造ったものが、いつか人間を脅かす。この科学時代の原罪をアシモフは「フランケンシュタイン・コンプレックス」と呼んだ。そんな原罪を知らぬ子供たちは、アトムやドラえもんに限らずロボットが大好きだ。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
人間の音声を認識するおもちゃが日本に上陸した。アメリカ生まれのこのおもちゃ、簡単な単語を聞き分けて理解し、体を動かし目の表情などを微妙に変えて応答する。いわゆるインタラクティブ(相互関係的)なおもちゃなのだ。 こういう話題になると、眉をしかめる識者も多い。「デジタルな関係は人間性を貧しくさせる」、そんなしたり顔の評論が目に見えるようだ。 しかし育児の現場は机上の空論ではない。オムツひとつ替えたことのない評論家たちには、こういったおもちゃが渇望されている理由がわからないだろう。小さい子供を一人で外に遊びに行かせられない住環境で、母親は子供と二人きりで一日の大半を過ごす。 そんな中、子供のおかげで倍増する家事をこなしながら、育児ノイローゼを避けるためには、どうしても自分以外に子守が必要となる。そこで登場するのが、子供に見せるビデオやこういったおもちゃ類だ。 ベビーシッターならぬビデオシッターと呼ばれる「子供がずっと見ていられるビデオ」は、数年前から育児の必需品だ。幼児向け英語教育ビデオなども、罪悪感を刺激しないビデオシッターなのだろう。音声認識のおもちゃは、ビデオシッターに継ぐ「育児家電品」として脚光を浴びているのだ。 SF作家アイザック・アシモフは、50年以上前にすでにこんな現実を予測していた。彼の初期短編「ロビィ」の主役は子守ロボット。体力の限界も忍耐の限界もなく、ひたすら子供に尽くし、遊び相手をする。母親は、子供とロボットの強い結びつきに何か非人間的なものを感じ、ヒステリックにロボットを破棄してしまう。しかしロボットを手放した後も、母親は子供の心を埋める存在にはなりえず、子供はふさぎこんでしまう。結局、子供の憂鬱に負けた母親が、子供のためにロボットを買い戻すという結末が用意されている。 コンピュータ・ゲームやたまごっち、ビデオシッターから音声で応答するおもちゃ。 先端技術は、確実にロストフューチャーへの道を歩んでいるように見える。完璧な子守ロボット・ロビィすら、いつの日か我々は手にするかも知れない。 その時、我々は泣き叫ぶ子供からロビィを取り上げることが出来るのだろうか。それともやはり、「育児に不可欠な家電品」として、その存在を受け入れるようになるのだろうか。 |
| オモチャがこんなに巨大産業になるなんて、いったい誰が予想しただろうか?一時ほどの盛り上がりは過ぎたとはいえ、あいかわらず電子ゲームに子供たちは熱狂し、大人のお人形遊び・フィギュアブームはまだまだ続いている。 ビル・ゲイツやスピルバーグも「オモチャコレクター」を自称しているし、いまやオモチャは子供のもの、なんて誰も言えないのかも知れない。 そんな中、昭和30〜40年代製の飛行機や戦車のプラモデルを扱う、いわゆるヴィンテージ・プラモ専門店なども、賑わいを見せている。人気は、モーターでゴムキャタピラを動かし、畳の上を走る戦車や、ミニモーターでプロペラを回す飛行機のプラモデルといった昔懐かしいタイプだ。 ガンダムプラモやミニ四駆、電子ゲームなどによって町のおもちゃ屋から追い出された古き良きプラモデルが、又、注目されているのだ。 今回紹介するのは、そんな中でも実在しなかった戦車や飛行機のプラモデル、いわゆるSFものと呼ばれる、ロストフューチャー・ワールドの乗物だ。 SFプラモデルには、ドイツ戦車やアメリカ最新式戦闘機などのような、はっきりした後ろ盾がない。あくまで架空の乗り物だ。そのデザイナーは全員、無名のクリエイター。高度成長期のプラモデル工場の職人たちである。 きっと未来の乗物はこうなるに違いないと、願いと希望を込めてデザインしたプラモたち。そのデザインには、まだ見ぬ未来への強い憧れと、明解な展望が打ち出されている。 地底を走る戦車や宇宙探険車も、兵器としての側面より「果てしなく拡がる冒険へのあこがれ」が狭量されているのだ。 そんなあこがれを、次世代の子供達へ伝えたい、未来の夢を託したい、という思いがSFプラモにはつまっていた。 しかし、これらSFプラモが店先から消えて30年近い。私たちはいつの間にか、冒険や未来を語ることをやめ、オモチャ屋の店先には「今を楽しむ」ためのオモチャが積み上げられている。 未来への夢を託されたはずの私たち。そんな私たちがバトンを受け取り、再び次世代の子供たちへと、自らの言葉で未来を語るとき。 ロスト・フューチャーから蘇ったSFプラモたちは、そんな私たちの言葉を待っているのかも知れない。 |
|
「ベビー・ビートル」(緑商会製プラスチックモデル・1960年代) TVからではなく、組み立てる指先から夢を見られた。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
「ユニスフィア・デスクトップモデル」(直径83ミリ・1960年代) ニューヨーク郊外の記念公園は昨年より再整備され、ユニスフィアも以前の輝きを取り戻した。(岡田斗司夫・蔵) 撮影・毎日新聞社 |
欧州統一通貨ユーロの登場は、実に一世紀ぶりに「強いヨーロッパ」を復活させるかに見えた。しかし現実的には欧州各地や周辺で内戦の火は消えず、世界はより一層、混迷の度合いを増している。 これを見て何かを思い出しはしないだろうか。そう、あの湾岸戦争時のアメリカだ。 多国籍軍を率いたアメリカは、「ニューワールドオーダー」という合い言葉を掲げ、正義を自称し、世界統一を呼びかけた。 そのアメリカですら、結局、頻発する内戦には爆撃を持って制するしか術はない。真の世界平和の遠さ、統一の夢を実現する難しさを実感させられる。 世界平和の舞台となるはずの国際連合にしても、アメリカ自身がその維持費をもう何年も滞納している状況なのだ。 その国際連合ビルがあるニューヨークには、実はもう一つ、世界統一のシンボルが残されている。それがロストフューチャーからの現代遺跡・ユニスフィアだ。 1964年、ニューヨーク世界博のシンボルとして建築されたユニスフィアのテーマは、「来るべき世界統一」だった。 ワイヤーで編まれた直径40メートルの地球儀上に、全ての大陸が配列され、一目で地球の裏側まで見通せる。世界統一という価値観がヴィジュアルの力で伝わってくる巨大建造物。しかし現在、この遺跡を見て世界統一の夢に胸を躍らせるものは少ないだろう。 リドリー・スコット監督の映画『ブラックレイン』の冒頭には、日の丸とダブって、このユニスフィアが登場した。タイトルの「ブラックレイン=黒い雨」とは、広島・長崎に原爆が投下された後に降った、放射能まじりの黒い雨のことだ。 赤い日の丸がフェイドアウトし、黒く錆びたユニスフィアがスクリーン一杯に映し出されたとき、観客はこの映画の意図を思い知らされる。 朽ち果てたユニスフィアは、原子爆弾を投下したアメリカの原罪と、そのアメリカ自身が語る「世界統一」という虚構と欺瞞をあざ笑っているのだ。 現代の遺跡としてのこるユニスフィアと同様に、やがては我々も世界統一という理想を忘れるのだろうか。世界大戦の終結は「大いなる平和の時代」をもたらさなかった。我々は今、小さな戦いが絶えず繰り広げられている世界に住んでいる。 やがて国連ビル自体すら、ユニスフィアのように黒くさびつき、忘れられてしまう日が来るのかもしれない。 |