#31
| 「動機や原因不明の犯罪」と聞いても、誰も驚かなくなった。一昔前までの犯罪報道なら、考えられないことだ。 金目当ての犯罪なら、犯罪心理も素人にだって想像はつくかもしれない。 「無職で働く気がない」「何度も刑務所に入れられている」「昼間から酒に溺れている」「バクチでいつも金をすっている」 こういう人が犯罪を犯すに違いない、という偏見や予断にしたがっても、まだ犯人が捕まった時代があったのだ。 が、異常犯罪には関してはその犯罪心理が理解できない分、恐怖感が大きい。マンションの隣室に住んでいる一見平凡なサラリーマンが、実は異常犯罪者だった、などという話はいまさら珍しくもないほどだ。このような犯罪からの被害は、あらかじめ避けきれるものではない。そこが怖さを誘うのだ。 近代に成立した恐怖の様式、ゴシック・ホラーでは、犯罪者は吸血鬼ドラキュラだったり、異常な科学者フランケンシュタインだったり、見るからに悪者だった。異常な犯罪が起きる場所も、人里離れた古城や墓場など、必ずおどろおどろしい場所。怖いには違いないが、そんな場所に近寄りさえしなければ、大丈夫なのだ。 それに比べて現在の恐怖は、モダンホラーの時代だ。どこにでもいる平凡な人間が、確たる理由もなく犯罪を起こす。自分のよく知っているこの街やこのマンションに、実は異常者が潜んでいる。あるいは、自分のよく知っているあの人が、異常者かも知れない。いやそれどころか、自分自身でも気づかぬうちに平凡な生活に押しつぶされて、自分自身がモンスターになっている場合だってあるのだ。 モダンホラーは、現代生活の暗部を暴きたて、「平凡な日常」という欺瞞をあざ笑う。 ロストフューチャーの世界にも、犯罪は存在した。それは悪の科学者が率いるロボット兵団だったり、国際ギャング団といった判りやすい形で登場した。犯罪の目的も、世界征服や強盗といった合理的で明解な犯罪だ。 当然、向かえ撃つのは科学の力で武装した警官隊たちだ。当然、隊員たちはコンピューターで選抜された「正しい資質」を持つ若者たちだろう。 「間違った科学」と「正しい科学」の対決。なんとわかりやすい対立構造であったことか! あと数十日後に、西暦二千年はやってくる。新時代の科学や社会風俗に「正しい」も「間違った」もあり得ないのかも知れない。しかし、その結果やってくる未来社会は、果たして我々に理解可能な世界なのだろうか。 |
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わんわんパトカー ロストフューチャーの住人・手塚治虫の『鉄腕アトム』に登場したパトカー。 耳の部分がドアになって、警官が乗り込む。 警察=犬というあっけらかんとした権力批判が有効であった時代のデザインだ。 撮影・毎日新聞社 |
#32
パラボラアンテナ型ラジオ NEC製のAMラジオ。パラボラの巨大な放物面は天を指して、遥か未来や科学の国から夢とロマンを語りかける。 撮影・毎日新聞社 |
「宇宙からのメッセージを解析する」 いかにも巨大科学の最先端でおこなわれているような、我々一般人には関係なさそうな作業だ。が、現在はインターネットを通じ、世界中のマニアたちがボランティア活動として行っている。 カリフォルニア大学バークレー校では、プエルトリコのアレシボ電波望遠鏡で収集した膨大なデータを細かく仕分けし、インターネットで公開している。それを世界中のマニアが自分のパソコンで解析する。こうして、全天球のデータが着々と解析されつつあるのだ。 大変地味な作業ではある。それでも「巨大プロジェクトに参加している」という感覚は魅力的なのだろう。 かつては「サハラ砂漠に巨大な二等辺三角形を描く」「宇宙機や電波を宇宙へ向けて送る」といった計画が推進された。「知的生命体がここにいるぞ」という意志表示をしたかったのだ。 ロストフューチャー・ワールドにおける「宇宙連合」といった世界観が大きく影響していた時代であった。 この宇宙のどこかには、我々と同じ知性と文明を持った存在がたくさん生きている。戦争もあるかもしれないが、宇宙連合といった組織もあるだろう。そんな遠くの星同士を行き来できるほどの高い科学力をもった知性なら、きっと正しい合理主義、平和主義でみごとに制御された統治を行っているに違いない。我々もその一員として認められたい。 だから、「我々はここにいるぞ」というメッセージを送っていたのだ。このメッセージを受け取ったどこかの宇宙人が、きっとこちらへ返事をくれるだろう、という夢があった。 そういった夢は、なんとなくしぼんでしまった。30年前よりはるかに科学が進んだ現在ですら、地球上の国際連合は、正しく機能していない。科学が進むことと、合理的な政治をするということは、全く違う次元の話なのだ。我々以上の知的存在が他の星にいたとしても、「正しい」宇宙連合なんて本当にあるのだろうか。 「宇宙の知的存在を探す」というインターネット・プロジェクトは順調に進んでいるようだ。いずれはどこかの星に、我々のような知的生命や文明が見つかるのかも知れない。 しかし、「知的文明の証拠」を発見したとき、我々はどうしたらいいのだろう。 相手は邪悪な存在かも知れない。星間軍事紛争に巻き込まれるのはごめんだ。どんな相手なのか判断を間違えたらどうする?まず相手の交信内容を傍受し、よく見極めるべきだ。きっとその時、我々は惑星間ストーカーとなって、じっと聞き耳をたてるに違いない。 膨大な解析作業の果てには、巨大すぎる選択が待っているのだ。 |
#33
「前世紀怪獣大暴れ」・こいでソノシートブック。 タイムマシンで恐竜を捕獲する、という科学とロマンが結びついた内容のドラマ。 撮影・毎日新聞社 |
いつの時代も、子供たちは恐竜が大好きだ。映画やアニメだけの話ではない。デパートなどの催事でも「恐竜」と冠がつけば動員が違うという。熱心に化石を見たり、複雑な学名を覚えようとしている子供たちは、今も昔も変わらない。 が、現代の子供たちの恐竜に対するイメージは、昔とはずいぶん変わったようだ。我々が子供の頃に抱いていたあこがれは、「いつか、ほんものの恐竜を見てみたい」というものだった。 この地球上には、まだまだ人類の知らない世界がある。アマゾンのジャングル奥地や、南極の氷の下、深度1万メートルの海溝の底。こういった様々な秘境には、今まで人類が見たこともないような生物がいたり、不思議な現象が起こっているかも知れない。 地底の奥深くには、何千万年も前に絶滅した恐竜の生き残りが生きていても不思議ではない。 その謎と神秘を科学の力で解明するのだ。 そんな力強い信念がまだまだ有効だった時代だ。ロストフューチャーの世界では、未来の科学力で恐竜を発見する。ネッシーを生け捕りにし、凍りづけのマンモスを解凍する。深海の怪物や古代の恐竜が、ビルの街へ運ばれ、展示される。 それまで子供たちの心の友であった、カッパや座敷わらしといった妖怪たちが、非科学的という名のもとにせん滅させられてしまった時代だからこそ、科学の洗礼を受けても「可能性」という名の下に生き残った恐竜は、輝くばかりに魅力的だったのだ。 しかし現在、我々は地球が無限の世界ではないことを知ってしまった。資源も空気も水も有限で、国境同士はすぐにぶつかる。未知の世界はもうどこにも見つからないのかも知れない。 何があるかわからない「無限の世界」は、今やゲームソフトやコンピュータ・ネットワークといったデジタル世界にしか存在しえないのだ。 だから今の恐竜とは、映画のスクリーンや、テレビのモニターの中にだけ住んでいる架空の生物だ。その動きやデザインがいかにCGやアニメーションでリアルに再現されようと、その地位はペガサスや妖精などファンタジー世界の住人となんら変わりはない。 恐竜たちが生き残れるのは、そんな仮想現実の中だけになってしまったのだ。 街のゲームセンターで、超リアルなCG恐竜が咆吼する。今の我々が持てる「科学の力で再現された太古のロマン」とは、これだけなのだろうか。 |
#34
「The Greatest Science & Technology of the 30`s」 米国の科学雑誌ポピュラーサイエンスの編集した、30年代の科学ニュースビデオ。中でも「未来のキッチン」は夢の全自動ロボット台所を見せる。 撮影・毎日新聞社 |
バブルが崩壊して久しい今も、グルメブームは続いている。と言っても、かつての三ツ星のフレンチ・レストランを食べてまわるようものではない。 コンビニの新しい弁当を試食する。JR線ホーム内の立ち食いソバ屋を食べ比べる。新発売のスナック菓子や新銘柄のジュースは、かならず人より先に試す。そんな「B級」「C級」グルメブームが若者や主婦の間でも流行っているのだ。 ダイエットに有効な低カロリー食は、いまやドラッグストアの定番商品だ。ゼロカロリー食品という、本来の「食品」という意味から離れた味覚と食感のみのイミテーション食品も、もてはやされている。 こんな未来を誰が予測しえただろうか。 かつて信じられていた未来、来るはずだった西暦二〇〇〇年の世界は「ロストフューチャー」と呼ばれている。その世界では、食べ物はなによりもまず「満腹」と「栄養」が最大の目的だった。 一粒の錠剤を飲めば、一本のチューブ食を食べればお腹一杯になる。必要な栄養素も取れて、健康にもいい。食事の支度にわずらわされず、一日を有効に使える。それがかつて信じられていた「西暦二〇〇〇年の食事」だったのだ。 そんな時代、クロレラこそ食糧難を一気に解決する夢の食糧だ、と言われた。太陽光と水だけで培養できるクロレラは、土地や飼料を必要とする農業や牧畜業と違い、何十倍、何百倍の生産高を期待できる。地球の人口がいかに増えても、クロレラさえあれば、食糧難はありえない。未来はバラ色に輝いて見えたのだ。 丸薬やチューブ食は「時間との戦い」のための武器だった。タイムマシンで恐竜退治に行ったり、ロケットで火星旅行にでかけたりする週末。食事などに時間をとられたりしないために、また食糧を運んだりする無駄を解決するために。 だって美味しいゴハンなんかより、ずっと楽しい世界が待っているんだから! そんな未来世界が、我々を待っているはずだったのだ。 しかし現実の西暦二〇〇〇年を前にして、丸薬やチューブ食が流行する気配はない。期待の優等生・クロレラも「美味しく食べられない」という本末転倒な理由で、なかなか広く受け入れられなかった。 いや、現実化した未来食品もある。忙しいビジネスマンのための高カロリー食品、スポーツドリンクや栄養ドリンクだ。我々は忙しい朝、高カロリー食品をかじり時間を節約する。時間を気にしながら駅の立ち食いソバをすすり、弁当を作る時間を節約してコンビニ食を食べ比べる。 そうやってやりくりした時間で、何をするのか。雑誌を見つけたラーメン屋に何十分も並んでラーメンを食べるのだ。 これが現実の西暦二〇〇〇年なのである。 |
| 学級崩壊は今や、国民的な問題である。教師が教室で授業をすることが困難なクラスが急増しているのだ。学力的な、いわゆる「おちこぼれ」問題ではない。椅子に座って、教師の言うことを聞く、という基本的事項すらクリアできない児童・学生が急増しているのだ。 親としては、こういう話を聞くと当然、不安にもなる。「私立の名門校に行けば、そんな問題も起こらないのでは」という噂を聞いて、有名私立小中学校に受験希望者が殺到することになる。受け入れる生徒を選ぶ権利のある私立校では、学級崩壊の起爆力になりそうな「問題を起こす可能性のある子供」を慎重にふるい落とすことで、辛うじて秩序を保っているだけなのだ。 この問題を大した認識もなしに「また教育ママが、お受験ブームに振り回されて」と批判したりするから、討論はいよいよ面倒くさくなってしまう。 はたして誰がこんな西暦二〇〇〇年を予測できただろうか?来るべき未来、ロストフューチャーの世界では、教育は今よりさらに高度化し、子供たちが学ばなければならない事柄はより増加しているはずだった。科学は爆発的に進歩し、子供たちは中学校卒業までに相対性理論を学び終えなければならない。そんな世界には、教育を効率よくこなす魔法の機械・ティーチングマシンが活躍する。 超コンピュータで制御されるティーチングマシンは、子供一人一人の理解力や興味に合わせて、適切な教育プログラムを組んでくれる。そうやって、西暦二〇〇〇年の子供たちはみな、高い教育を身につける。 「立派な大人になり、高度に進化した科学力に支えられている社会を守り、さらに発展させる」という使命を、それぞれの子供たちが担っているからなのだ。 が、現実にやってきた西暦二〇〇〇年の現実世界。文部省の進める「ゆとり教育」は、子供たちの教育カリキュラムをどんどん間引きしている。「生活」「ボランティア」「総合学習」などの単位が増えて、基礎的能力を伸ばすはずの算数や理科などの時間が減らされている。将来の日本を担う子供たちの教育レベルは、今より低くても問題なし、と判断したのだろうか。それでも我々の産業社会は、はたして成り立つのであろうか。 原子力施設の事故や、国産ロケットの失敗を見ていると、素人目にも「基礎学力の低下」という問題が将来、問題になるのではないかと思う。しかし、これもみな我々が「詰め込み教育はいけない」「もっと子供に個性を」と叫んだ声を受けての、文部省の判断なのだ。 西暦2000年の教育問題、それはティーチングマシンでも解決できないことだらけである。 |
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「SPACE SCIENTIST DRAFTING SET」(1950年代) 小学生用の製図セット。 直角を描いたり、角度を測ったりという行為の向こうに、未来の世界が拡がっていた。 撮影・毎日新聞社 |
「SPACE PATROL OF THE UNIVERSE 紙幣」 宇宙時代の紙幣の玩具。「統一された通貨=平和社会の象徴」と信じられた時代の産物である。 撮影・毎日新聞社 |
来年度、二千円札が発行される。 西暦二千年を記念し、なおかつ景気振興策として企画されたと言う。もし本当にこれで景気が回復するなら、それは目出度いことである。 しかしちょっと待ってほしい。キャッシュレス時代の到来が叫ばれて久しいではないか。なぜ今さら新紙幣発行が必要なのか。 確かにクレジットカードは我々の生活に定着したが、実際は完全なキャッシュレス社会とはほど遠い。景気振興策として新紙幣が発行されるくらいだから、政府の誰もが「キャッシュレス時代」なんて信じてはいないのだろうか。 ロストフューチャーの世界では、新紙幣による経済振興など登場しない。地球だけでなく、火星でも木星でも、共通の貨幣単価が使える理想の世界だからだ。 それどころか、貨幣もカードも必要無い世界すらも考えられた。モノが世の中にあふれ、人々はお金を使うことなく、欲しいものを欲しいだけもらうことができる。本当のキャッシュレスの理想郷だ。 けれど現実社会では、国際為替業界はますます争いが激化している。欧州共通通貨ユーロにしても、「夢の統一通貨」を目指しているわけでは決してない。老獪なヨーロッパ経済界のシビアな対ドル防衛策なのだ。 クレジットカードですら、種類が細分化され、一度に何枚ものカードを持ち歩くことになってしまっている。カード一枚で世界中、どこででも気軽に買い物ができる、なんて結局は調子のいい夢物語だったのだ。 目前までやってきた21世紀。それは決して「平和な夢の世紀」なんかではありえない。通貨は統一されるどころか、よりマイクロ秒単位の為替差をめぐっての攻防が激化するだろう。 現実の21世紀は、いままでそれぞれの国内で保護され育成されていた金融業界が、オープンになる時代。大競争の時代であり、そこで負けたものはたちまちのうちに勝者の支配下に組み入れられるだろう。 もし、この社会に統一通貨が登場することがあっても、それはロストフューチャーの世界で描かれたような、理想やビジョンから生まれてくるのではない。 それは、全ての通貨を、経済圏を勝ち抜いた、たった一人の勝利者。敗北した貨幣や経済圏の上に君臨する「血塗れの勝者」なのである。 |
| 男の子たちは誰しも、戦争ゴッコが大好きだった。 日本国中の男の子が「立派な兵隊さんになりたい」と考えていた戦時中の話ではない。高度成長期の日本でも、男の子なら戦争ごっこをしたことがない子などいなかった。悪者をやっつける、というプリミティブな快感に酔いしれながら、友達同士で色々な工夫を凝らす。 敵は「海賊」であったり、「地底人」であったり、「宇宙の帝王」の時もあった。戦う相手や舞台がかわるにつれて、戦法も武器も乗り物も違ってくる。そうやって子供たちは、想像の翼を拡げ、有り余るエネルギーを昇華させていた。 しかし気がつくと、戦争ごっこはいつの間にか姿を消してしまった。もちろん塾やゲームで、今の子供たちが忙しくなったことも一因だろう。 が、それだけではない。戦争ごっこを、「いけない遊び」として眉をひそめる大人達が、平和教育を子供たちに施した成果があらわれているのだ。 「日本流の自由平等教育」と戦争ごっこは、まったく相入れない関係だ。「争いは常にいけないこと」で、「平和的な解決のみが最も正しい方法」という考え方が主流の現在、戦争を憧れの対象として捉えさせるような行為は戒めるべきだ、というのも自然な発想だろう。 が、それでは、子供たちの本能はどちらへ向かえばいいのだろうか。 偏差値教育は必要悪。 運動会では足の遅い子がかわいそう。みんな「平等に」楽しめるように、と選抜リレーすら廃止される。 お弁当は、保護者が来られない子供がかわいそうだから、と親とは別に教室で食べさせられる。 学芸会では主役をもうけず、すべての生徒が順番に、一つか二つセリフを言うだけの群衆劇。 あまりにも不自然に整えられた「平等と平和」の檻の中で、子供たちの想像力は極端に管理されている。 あれほど個性を尊重した教育、想像力を伸ばす教育、と唱えながら、圧倒的に統一された価値観で、子供たちを一部の隙もなく包み込む。 そう、「教育」とは、その社会で公式に認められた通念を洗脳することに異ならない。その社会通念が変化したときのみ、「昔の教育は、まるで洗脳だった」としたり顔で批判されるのだ。 かつて子供たちの心を奮わせたSF兵器ですら、この究極の平和民族たちにとっては過去の遺物にしか映らないのだろうか。 |
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「タイガーキャプテン」(青島文化教材社のプラモデル完成品) 60年代の模型店を賑わせた「仮想兵器」の代表作。 少年雑誌には戦記物の読み物があふれていたが、別にそれが原因で少年犯罪が増えたわけでもなかった。 撮影・毎日新聞社 |
| (画像用意中) 子供の科学 1937年第一号 昭和12年1月号『子供の科学』(誠文堂新光社刊)に掲載されてれいる通販広告。「頭のよくなるエヂソンバンド」や「モダーンタイプ ポケット望遠鏡」が取り扱われている。 撮影・毎日新聞社 |
インターネットでの商取引が盛んになってきている。メーカーではフォローできないような特殊なニーズに対する小規模売買では、今やインターネットの右に出るものはないだろう。 なんと言っても、世界中の消費者に呼びかけることが出来るのだ。普通ならとても商売にならないような特殊な商品でも、世界中が相手なら、それなりの顧客数になる。商売のバリエーションが無限に広がるのもうなづける。 事業を興したい人にとって、初期コストが圧倒的に安くなったのも電子ネットのおかげだ。宣伝や販売経路などは、かつては莫大な資本と時間投資を必要とした要素である。それがネット社会到来によって、簡単に手に入るようになってしまった。 この変化は消費者の側にも起きている。かつては通信販売すら何となく苦手だった日本人も、今や気軽にインターネットでものを買う。クレジットカードの普及や、宅急便の着払いといったシステムが一役買っているのは明かだろう。 が、なんと言っても、電子取引の魅力とはその多様性である。世界中の情報から本当に自分の欲しいものを探し出せることや、自宅から気軽に買い物できることが、魅力なのだ。 ほんの一昔前までは、特殊なルートやコネクションを築きあげた人のみが持つことを許された銘品。労を惜しまずこつこつと世界中の店を探して歩くような人だけが手に入れることができた稀少品。 こういったものでさえ、今ではインターネットの検索機能を使えば、簡単に探し当てることができるのだ。 ロストフューチャーの世界では、「未来では、すべての人間の仕事はボタンを押すだけ」と言われてきた。買い物も、画面に出ている商品をボタンを押しながら選べば、そのまま自宅まで転送されてくるはずだった。 現在のインターネットの買い物システムは、これに非常によく似た状況を作り出すことに成功している。ロストフューチャーの夢が現実化した希有な例かも知れない。 ただ、残念ながらすべてが理想通り、というわけではない。 毎日の買い物は、あいかわらずスーパーの安売りのチラシをチェックしてから出かける。週末ともなれば、郊外の大型安売り店まで日用品の買い出しに、家族を引き連れてでマイカーで出かけ、駐車場に数十分並ばなければならない。 どんな買い物でもボタン一つで、というのは、やはり夢のままなのである。 |
| グラハム・ベルが電話を発明したとき、誰もが「郵便や電報で充分なのに、そんなものが流行るはずがない」と批判した。 今から考えると信じられないが、テレビが発明されたときも、科学者や批評家は「誰も欲しがらない無意味な発明」と結論づけた。 テレビというメディアの使い道を、誰も思いつけなかったのだ。せいぜい、教育の分野で役に立つくらいだろう、と捉えられていた。当時、発明と言えば「役に立つ」だけが、価値基準だったからだ。 しかし、プロレス中継や皇太子御成婚というイベントをきっかけに、テレビは最大の娯楽設備として一気に人々に受け入れられた。 その普及スピードは爆発的で、その魅力は麻薬的だった。あっと言う間に、日本中、いや世界中の家庭でテレビが団らんの主役となった。 いまや我々の世界にテレビは必要不可欠だ。サービスの悪いホテルや病室を言うとき「テレビすらない」という表現を使ってしまうほどである。別に必要不可欠な情報が常に流れているわけではない。我々の世界は前述の「役に立つ」という価値観をとうに通り過ぎてしまったからだ。 「テレビを見ていないと、この世界に参加していない気がする」 そんな視聴者の思いこみによって、この人類最大のメディアは今も膨張し続けている。 ロストフューチャーの世界にも、テレビは登場する。その姿は立体テレビだったり、平面大画面だったり、多少は未来っぽい雰囲気を持っているが、決して今のような娯楽の王様的な扱いではない。どちらかと言えばテレビ電話のような実用的な使用法である。 人々が夢見た未来の世界、そこでの娯楽の王道は、あくまでもっと優雅で貴族的なものだった。 エアカーで湖まで飛んで行き、釣りや乗馬、散策と別荘生活を楽しむ。つまり、それまで貴族だけの娯楽だったものが、科学の力で庶民に開放される。それが「あるべき21世紀」の姿だったのだ。 現在我々は、大宅壮一が「一億総白痴化」と呼んだ爆発的なテレビの普及時代よりさらにTV漬けの生活をしている。 一〇〇〇チャンネル時代と言われるほど、ケーブルテレビや衛星放送も充実した。パソコンを使ってインターネットで番組予約をしたり、深夜の通販番組でショッピングをしたり、他人の夫婦喧嘩を見物し、それがヤラセと言われるとマナジリを吊り上げて激怒する。 あらゆる局面で、どっぷりとTVづけの生活を送っているのだ。 人類の三大発明は、「火・文字・原子力」と言われていた。でもそろそろ、「火・文字・テレビ」だと正直に認めてはどうだろうか。 原子力とテレビ、どちらも止めることはできない悪魔の発明なのかもしれない。 |
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「テレビ型鉛筆削り」(60年代米国製) 空飛ぶ円盤に乗って通勤するSFアニメでも、やっぱりテレビは登場した。これ以上の娯楽をSF作家すら考えられないのだろうか。 撮影・毎日新聞社 |
「タイムカプセル模型」 1970年、松下電器のカラーTV販促用の景品。中身は万博松下館のパビリオン模型と、故松下幸之助氏の啓蒙ミニ本という不思議な取り合わせだ 撮影・毎日新聞社 |
一九七〇年、大阪万国博開催を記念して埋められたタイムカプセルが、今年掘り出される。 本来の目的は、五千年後の世界へ我々の文化を具体的に伝えるためのカプセルだ。当然、西暦六九七〇年に開封されるべきものである。しかし実はタイムカプセルにはまったく同じものがもう一つある。経年変化を調べる為に、同じ内容物のカプセルが同じ場所に埋めてあるのだ。そのカプセルの開封が30年後の西暦二〇〇〇年、つまり今年なのである。 カプセルに保存されているのは、下駄やそろばん、祝儀袋など社会生活に関わる用品や、最新科学、芸術の記録など二〇九八点。 ジェット機や新幹線の模型、電子ライターや宇宙食などは、当時の人々の「どうだ、20世紀の我々だって、ちょっとしたものだろ?」というプライドや意気込みが感じられて微笑ましい。少年マガジンまで入っているのは、子供文化を何らかの形で残そうとしたかったのだろう。 あらためて中身のリストを見てみると、五〇〇〇年後どころか30年後の今ですら懐かしさがこみあげてくる。 SF小説内の未来世界では、「20世紀は核戦争のあった野蛮な時代」というタッチで描かれている場合が多い。「宇宙に行く技術もないくせに、殺しあいをする道具だけが進歩した、悪夢の世界」「すぐ戦争ばかりしたがる野蛮人の世界」 ロストフューチャーの住人達は、20世紀を振り返って、そう評価する。では、現実の西暦二〇〇〇年の現在、我々の世界はどうだろうか? 核はあいかわらず世界各国に存在する。が、我々は今や、戦争よりも環境破壊に大きな恐怖と関心を抱いている。お互いの不信による核戦争の恐怖より、歯止めの利かない消費社会の方が怖い。 こんな現在、タイムカプセルを作るとしたら、どんなものを入れるだろうか。 おそらく、世界各地に残された自然に関する様々な記録を入れるに違いない。美しい自然風景や天然記念物の写真、アマゾンのジャングルが現在どれくらい残っているか、地球の気温はどう変化しているか、といった自然に関する様々なデータを、ぎっちり入れるのだろう。 それは、今の自然がどんどん破壊され、五〇〇〇年後の未来ではまったく違った姿になっているだろう、と我々自身が覚悟しているからだ。 後世に我々の生きた証をつたえるタイムカプセル。 最新の科学成果と地球の自然。 我々はどちらの現在を遺そうというのだろうか。 |