#41
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毎日新聞万博版 撮影・毎日新聞社 |
バブル崩壊後も好景気を誇っていた出版界に今、不況の嵐が吹き荒れている。旺文社などの名門大手出版社ですら、倒産や買収の憂き目にあっているのだ。 この事態に出版界では、文字を印刷した書籍を流通させるという形態から、デジタル化してデータのみを配信する形態へ移行しよう、と試行錯誤を重ねている。e-ブックやマンガの画像配信など、業界での話題も盛んだ。 しかし、出版不況の根本的原因はそれが紙の上に印刷されているか、モニターの上に表示されているか、というハード的な問題ではない。「文字を読まない世代」の急増にあるのだ。 今の若者は本を読まない。雑誌や写真集を「見る」ことはあっても、本は読まない。 何よりの証拠に、若者向けのおしゃれな部屋をインテリア雑誌で見ても、まず本棚は見あたらない。CDラックや小物を飾る棚だけだ。 30年前なら、百科事典や名作全集といった重そうな本がびっしり詰まった本棚は、ステイタスだった。読もうと読むまいと、分厚い本を並べているだけでなんとなく教養が身につく気がした。 が、今や教養は少しもかっこいいものではなくなってしまった。そして本棚がずらりと並ぶ部屋も「理屈っぽそう」と敬遠されるようになった。 では、今の若者たちは社会情報をどこから学ぶのか。答は単純、電話とテレビからだ。電話から、身近な最新情報が手に入る。テレビを見ていれば、常に社会の動きについていける。情報のジャンルが偏ることもない。確かにテレビに流される情報は薄っぺらだが、テレビ以上にものごとを知りたい人など、今や少数派なのだ。電話で話せる以上の人間的つきあいなど、誰も求めていないのだ。 新聞が電子配信になる時代は近いかも知れない。が、晴れてインフラが整い、新聞が電子配信される頃には、もう誰一人、新聞など読まないようになっているかもしれない。 ロストフューチャーの世界では、膨大なデータはマイクロ・フィルムで保管されている。本はかさばるし、木材パルプを使っているから貴重品なのだ。自分のお気に入りの本だけを厳選して、手元に置くというのが、ぜいたくな生き方とされる。 が、現実の西暦二〇〇〇年を目前に控えた現在、情報はマイクロフィルムではなく、テレビやネットワークで手に入れる。 貴重でぜいたくなのは、本ではなく、読書する習慣や時間なのかもしれない。 |
#42
| 最近、マイクロソフト社の代表取締役を辞して話題になったビル・ゲイツ。彼は著書『思考スピードの経営』の中で2000年代の経営の最大要因はスピードである、と予言する。限りなくタイムラグのない経営。消費者が欲しいと思っているものを瞬時に提供することこそが、現代の企業が生き続ける為の最大ポイントだというのだ。 決して突飛ではないが、今まで規模の上に胡座をかき安穏としていた大企業にとっては、高すぎるハードルなのかもしれない。 かつて栄えた業界、例えば造船・製鉄・繊維業などを考えてみる。これらの企業にとって、戦略の中心は「安価な仕入ルートの確保」や「オートメーション化による品質管理と、人員の合理化」などにあった。 すべてのシステムが大量生産を前提として成り立っているのだ。広大な敷地に工場を作り、オートメーションの機械を導入する。何十年という時間単位で同じ製品を製造し続け、資本を回収し利益をあげる。安価な仕入ルートの確保も、大量仕入が前提なのだ。 こういう産業形態にとって一番不得意なのは「変化に素早く対応する」ということだ。今年の春は透ける素材が流行っていると聞いても、今持っている工場を放り出して作り始めることは難しい。 それに対して現在、起こりつつある変化が「スピード」を価値基準とした企業形態だ。 スピードを価値の基本とした企業とは具体的にどんなものだろうか。ゲイツ氏と彼の同族達は「消費者のニーズをもらさない」「誰にでもビジネスチャンスが与えられる」「あらゆる無駄や待ち時間が回避される」と讃えている。大きな工場や設備、大勢の労働者や大規模な在庫を必要としない、むしろあってはいけないのだ。誰もが気軽に参入でき、昨日までの消費者が明日の起業家となる世界。限りなく消費者と互換性のある企業。 現在、電子ネットワーク上ではそういう企業形態が育ちつつある。消費者は電子ネットで安くて手軽な商品を世界中から物色する。 電子ネットに対応したメーカーは直接小売店からのデータを集めてマーケティングし、消費者の「こんな商品が欲しい」というアイデアをたちまちのうちに具現化する。デザインし、量産し、販売する。唯一そのスピードのみが競われる社会の到来だ。 ロスト・フューチャーの世界では、スピードとは交通手段に求められていた。リニア・モーターカーや大陸弾道ロケット機など、かつての少年雑誌グラビアを飾った未来世界は、あらゆる「モノや人」がめまぐるしいスピードで動いている世界だ しかし現実の西暦二〇〇〇年。デジタル社会は仲買や問屋などの流通過程を無くそうとしている。つまり物流の無駄な動きを抑制して、情報のみを動かそう、というのが「スピード社会」の本質なのだ この社会変化には当然、痛みが伴うだろう。ネット証券取引では、わずか数十分の一秒の判断の遅れが、莫大な損害を生み出す。「一瞬、チクっと痛い」というわけにはいかない 我々は時代の転換点に立ち、そのすさまじいまでの変化のスピードを見守るしかないのだろうか |
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40年代アメリカ車に取り付けられていたロケット型のヘッド・オーナメント(ボンネット先端の飾り)。 新時代への期待にあふれて、あらゆるモノがスピードを目指していた時代の産物だ。 撮影・毎日新聞社 |
#43
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スペースニードル模型(高さ23センチ・金属製) スペースニードル最上階の土産物店で売っている模型。頂上の円盤部下層はレストランになっている。 撮影・毎日新聞社 |
今を去ること38年前。アポロの月着陸も石油ショックもインターネットもなかった時代、一九六二年にシアトルで開かれた万国博覧会のテーマは「宇宙時代の人類」だった。 旧ソ連館ではガガーリンの乗った宇宙機が誇らかに展示され、共産主義の優位性が科学の世界でも証明されていた。この時代、まさに「宇宙」こそが人類の夢だったのだ。 シンボル建築としてシアトル市中心部に建てられた高さ二百メートルの塔・スペースニードルは、当時「宇宙へと伸びる科学の勝利」を具象化した巨大建築物で、今も同市の観光名所になっている。 しかし、当時から「科学の勝利」に対して不安を訴える人はいた。LIFE誌62年5月3日号はこの万博の素晴らしさを謳いあげる一方、「スペースニードルは現代のバベルの塔か」という一文を掲載している。 バベルの塔とは、旧約聖書『創生記』第11章に登場する巨塔だ。人々が天にも届く塔を建てようとしたので、その高慢に怒った神は言語を混乱させ、人々を各地に散らしてその完成を妨げたという。 これは単なる伝説や宗教説話ではない。イラクのウル地方に現存するジッグラト遺跡こそ、このバベルの塔の原型だと言われている。ウルのジッグラトは基部が60メートルで2層までが現存し、その高さは20メートル。旧約聖書に伝わるバビロンのジッグラトは基部が90メートルを超え、7層になっていたので、おそらく高さは百メートルに近かったのではないか。当時の技術力から考えても、まさに「神への挑戦」そのものであった。 スペースニードルも、人類の科学力や合理主義の「神への挑戦」だ。宇宙を、天上の世界へと屹立するその姿は、恐れを知らぬ傲慢かもしれない。 遺伝子組み替え技術や原子力発電所の事故など、最先端の科学は常に我々を不安にする。 不安は、科学の進歩に対してだけでなく、科学を使う人間の方にまで拡がっていく。先端科学を扱うエリートたちを、我々は全面的に信じていいのか?なぜ電力の大消費者である大都市近辺に原発施設はないのか?新薬を認可する官僚たちは本当に国民の安全を第一に考えているのだろうか? 私たちは同じ日本語を喋りながらも、「霞ヶ関の論理」や「政治家のあいまいな答弁」という、違う言葉で語り合っているようだ。 我々は、望んではいけない領域へと踏み出してしまったのではないか、禁断の知恵の実を食べてしまったのではないか、という不安。 西暦二千年の現在、スペースニードルを見ると、現代人の不安を象徴する塔のようにすら見えてしまうのだ。 |
#44
| 写真は、潜水艇「プロテュース号」のプラモデル完成品。60年代のSF映画『ミクロの決死圏』に登場するメカニックだ。 時代設定は米ソの冷戦時代。画期的な発明をした科学者が脳腫瘍で倒れてしまう。科学者の頭脳を助けるため、米政府は密かに開発した物質縮小装置で、潜水艇と医師団をバクテリアサイズに縮小して体内に送り込む。期限は一時間という設定が物語を盛り上げる。 当時、人間の体内をビジュアルで見せるという試みはかなりエキサイティングで、大評判になった。この人体内の視覚デザインはサルバドール・ダリが担当し、素晴らしいSFXで興行的にも大ヒットした名作映画である。 西暦二千年の現在、ソ連は崩壊し冷戦は過去となったが、縮小装置は実現しなかった。しかし最先端医療の進歩は、このSF映画に追いつきつつある。 米国の科学者たちは、医療用マイクロマシンで患者を体内から治療するというまったく新しい治療法を研究している。血管の中を移動して薬を運ぶマイクロロボットは、その中でも実用化が有力視されている一つだ。このロボットは患部に到着すると、薬を溶かしてくれる。経口薬よりも少量・確実で、副作用も少ない。このようなマイクロマシンの心臓部となる分子モーターでは、日本の研究者たちが世界の先端を走っている。 ロストフューチャーの世界で描かれた「魔法のような医学」は、かたちを変えながらも、現実化しつつあるのだ。 にもかかわらず、我々は現在、健康に関して常に不安を抱きながら生きている。癌やエイズどころか、花粉症やアトピーすら治せない現代医学。携帯電話から出る電磁波は脳に悪影響があるのか、遺伝子組み替え食品は果たして無害なのか。それすらはっきり答を出すことができない。 ダイオキシンの例を出すまでもなく、少量なら害がない、とされる有害物質が、世の中にあふれている。並行して摂取した場合の害に関しては、不安がささやかれるばかりだ。 「万が一何らかの害が出ても、遅かれ早かれ、医学が治療法をみつけてくれるだろう」と楽観的に構えるのは、もう難しい。 新しい科学の発達は、我々にその恩恵と同時に、常に新しい不安を運んでくる。『ミクロの決死圏』では、天才科学者の頭脳を救うために国家規模の作戦が発動した。彼の「知識」が冷戦を終結させ、平和な未来をつくるために必要だったからだ。 今の我々にとって、そこまでして欲しい「知識」とは、いったい何なのであろうか。 |
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マルサン製プラモデル「プロテュース号」完成品。 日本初のプラモメーカーであったマルサン社は怪獣やSFキットでブームを興したが、70年代に入って惜しくも倒産した。 撮影・毎日新聞社 |
| 写真は一九五〇年代の子供用ランチボックスだ。アメリカの少年たちはこんなイラストの弁当箱を持って通学していた。 当時の少年たちにとって一番のあこがれは、宇宙の新天地だったのだろう。筆者の所有する同様多種のランチボックスでも、その絵柄は不思議とどれも同じ図案で構成されている。 どこかの植民星だろうか。宇宙の見知らぬ星に荷物をいっぱいに積んだロケットが降りてくる。喜びで迎える人々。どことなく「ヤコブの梯子(ルビ・はしご)」のイメージを彷彿とさせるではないか。 「ヤコブの梯子」とは、旧約聖書の『創世記』に基づく話だ。イサクの子・ヤコブは雲間から地上へとかけられた梯子と、そこから降りてくる天使達を目撃する。中世キリスト教絵画にも頻繁に登場するモチーフだ。 天から降りてくる神聖なもの。科学の最先端の象徴だったはずのロケットには、不思議とそういう宗教的なニュアンスが似合うのだろうか。 これに似たモチーフは他にも見たことがある。一八八〇年代以降,植民地状況下のニューギニアおよびメラネシア各地で起こった土着主義的宗教・社会運動、これを称してカーゴカルトと呼ぶ。カーゴとは白人が汽船などでもたらす豊かな「積荷」「外来の物品」のことで、神々に祈願することによって,カーゴはまもなく自分達のもとに確実に届けられ、至福の世界が到来するという預言を信じた。 カードカルト信仰は、二〇世紀の冷戦の時代になって再燃する。米ソ両大国は後進国に対しての物資援助を競い合い、「援助合戦」と揶揄されるほど過熱した時代。米国は自国の豊かな食料や衣類、トランジスタラジオなど最先端製品を、飛行機で空からばらまいた。資本主義体制の豊かさを、直接知らせることによって、自由主義陣営への参加を呼びかけようと考えたからだ。 もちろん、こんな効率の悪いプロパガンダは一時的なことで、すぐに中止になった。が、メラネシアの一部の島々ではこのような経緯があいまいに伝えられ、「西洋人が飛行機から素晴らしい幸福を落としてくれた」という記憶だけが伝播されるようになる。 やがてその記憶は信仰になり、人々は椰子の葉や枝で飛行機を模した形を作り始めた。自分たちが作った飛行機が飛ぶと思っているわけではない。彼らの作っているのは雌の飛行機で、雄の飛行機を呼び寄せるためのものなのだ。 彼らを笑うことは出来ない。 五〇年代のアメリカは理想と力にあふれ、不安などないように見えた。しかしそんな夢の時代を過ごした少年たちのランチボックスには常に幸福を運んでくる夢のロケットが描かれているのだ。 物質的には豊かであったはずの彼らは、いったいどんなカーゴを待ち望んでいたのだろうか。 |
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1950年代のランチボックス。ブリキ製で同様の図案が描かれた水筒とセットで販売された。 撮影・毎日新聞社 |
| 一九四〇〜五〇年代の話、様々な商品にロケットや宇宙のイメージが利用された。 たとえば新発売のエンジンオイルが、ロケットオイルと命名された。オイル缶にはロケットのイラストが大きく書かれている。インク漏れのしないボールペンはロケット・ペンであり、最高級蜂蜜缶詰にもロケットのイラスト。 このように、宇宙に全然関係ない商品でも、商標や意匠がロケットだったり宇宙だったりすることが珍しくなかった。当時は「ロケット」「宇宙」は、文句なく最先端科学の結晶であり、高品位、高品質のシンボルだったのだ。 写真のロケット針は、ごく普通の家庭用縫い針セットだ。縫い針などという、科学と一切関係なさそうな商品である。しかし工場から大量生産される規格品だからこそ、その精密さや品質をイメージさせるのには、ロケットのイメージが魅力的に映ったのだろう。 なんだか、当時の人たちの素朴さが微笑ましくなる。今や宇宙やロケットは、決して最先端でも高品質でもなくなってしまった。むしろ昔なつかしい画風のイラストを見ていると、ロケットが、夢のあるおとぎの国の乗り物のように思えてくるからだ。 しかし、我々も同じような「素朴な憧れ」の中に生きてはいないだろうか?現在の我々にとってのあこがれとはなんだろうか? 「デジタル」や「電子ネットワーク」がそれに相当するだろう。 コンピュータ自身は、冷蔵庫や掃除機、携帯電話と同様、いまや単なる家庭用電気製品である。しかし、誰もがパソコンを使えないと取り残される、と考えがちだ。しっかり使いこなせる人は、それだけで仕事ができるような気がする。 インターネットで集めてきた情報は、雑誌や図書館で調べたデータより説得力があり、会議でも尊重される。とにかくホームページを作れ、と命じられる社員も多い。どんなページにしたいか、何を知らせたいかといった考えもないのにだ。 50年前、輝いて見えた未来への夢は、今や、デジタルの世界の中に封じ込められている。コンビニにはデジタルっぽい書体で商品名が書かれた新製品が並ぶ。「インターネットで視聴者からのアンケートをとった」と誇らしげに語るニュースキャスター。必要もないのに毎号、CD−ROMを付ける雑誌。 そう、我々に「ロケット針を有り難がった人たち」を笑う権利はない。私たちもまた、いまだ来ない未来への不安と憧れの中に生きているのだから。 |
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「ロケット針」 占領下の日本で作られ輸出された、いわゆる「オキュパイド・ジャパン製品」。 当時の日本製品パッケージは、今でも通用するモダンなデザインであった。 撮影・毎日新聞社 |
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「ロズウェル事件ディオラマ」 空飛ぶ円盤の墜落現場を模型化したディオラマ。まわりで倒れている宇宙人など細かいディティールが笑えるジョーク商品だ。 撮影・毎日新聞社 |
ロズウェル事件をご存知だろうか。 一九四七年七月八日に「ロズウェル・デイリーレコード紙」で発表され、全米に衝撃を与えた事件だ。記事の概要は以下の通り。 「ロズウェル陸軍航空隊、空飛ぶ円盤を捕獲: 八日の正午、ロズウェル陸軍航空隊は、空飛ぶ円盤を捕獲したと発表。情報部マーセル少佐他がブラゼル牧場に墜落した円盤を回収した。当局情報部は,円盤の構造や外見の詳細は不明と発表」 宇宙人だ、空飛ぶ円盤だ、ソ連の新兵器だと、一時は騒然となる。が、その真相は意外に単純だった。 回収された円盤なるものは、当時アメリカがソ連の原爆実験を探知するための秘密プロジェクト、別名「モーガルの気球」の破片であることがわかったのだ。翌日の九日には、円盤は気球であったと訂正された。 にもかかわらず、いまだロズウェル事件の真相を追いかけるUFOマニアは後を絶たない。当地にはUFO博物館ができたり、多数のUFO論者が事件の検証本を出版している。 彼らの理屈はこうだ。 気球だと発表されたが、あれは政府の陰謀だ。実は宇宙人は実在して、UFOで地球に飛んできているのだ。アメリカ政府もそれを知っているが、国民には隠している。政府は異星人と密約をかわし、彼らが地球人をさらって人体実験するのを黙認している。気球などと発表したのも、もちろん隠蔽工作に決まっている。 他のUFO事件でも、政府の陰謀説はお馴染みだ。 UFOだけではない。英国BBCのエイプリルフール番組を信じて、「米国とソ連は既に火星に植民地を建設中。移民の準備を着々と進めている」と主張する人まで存在する。 日本でも、神奈川県警の不祥事や、原発の事故隠しなど「常に我々は真実から遠ざけられている。」と感じざるを得ない事件は多い。政府の陰謀を信じたくなっても、無理はないと言えよう。 ロストフューチャーの世界、民主主義が因習の封建主義を駆逐した社会では、政府は公明正大、我々の豊かな生活を確実に守ってくれるはずだった。 が、現実の政府は、国民が知る権利のある事実も、都合が悪ければひた隠しにする。上の方では、我々の知らない陰謀が渦巻いているに違いない。大きな組織に対する不信感、不安感は膨らむ一方である。 ロズウェル事件は、そんな現代的恐怖に我々がさらされている限り、決して忘れられることはないだろう。 |
| 最近、書店の棚を賑わしている『架空戦記もの』をご存知だろうか? 「第二次大戦、ミッドウェイで負けなければ」「戦艦大和が2年早く完成していれば」 やり直せないはずの歴史を、ある時点からリセットしてもう一度現在の視点から最適の選択を繰り返してみる。『架空戦記』は、そんな「ifの世界」を商品化した小説ジャンルである。 第二次大戦で負けたはずの日本が、架空戦記の世界ではナチスドイツと敵対する。このような血沸き肉躍るような展開がファンにはたまらないのだ。 過去に関する後悔や反省は、どんな人間にも誰しもある。人生の岐路で選択を誤った人や、不慮の事故でかけがいのない人を失った人には、なおさらだろう。 古来、このような願望はおとぎ話や説話の世界の領分だった。それを、魔法や仙人に頼らず、科学的な機械でかなえようとするのが、ロストフューチャーな世界観なのだ。 『タイムトンネル』は、1960年代後半に製作されたアメリカ製SFドラマだ。日本ではNHKで放映されたので、憶えている人もいるだろう。 冷戦下のアメリカ、アリゾナ州の砂漠の地下が舞台となる。合衆国国民にさえ秘密裏に人間や物体を過去や未来に自由に送る、「タイムトンネル計画」が進んでいた、というのがドラマの設定だ。 第1話で主人公の二人組トニーとダグはこのタイムトンネルによって、思いがけない時代に飛ばされてしまう。ついた場所はタイタニック号の船上、しかも沈没事故の当日である。二人は船長に必死で説得するが信じてもらえず、けっきょく歴史を変えることはできなかった。二人はそれからも過去と未来へ、歴史の放浪者となってさまようことになる。 タイムトンネルだけでなく、タイムマシンなど過去に干渉できる機械は、ロストフューチャーでは頻繁に登場する。 「あの日、こうしていれば」「あの時、あの一言が言えたなら」 時間を操るメカニックは、そんな「ifの世界」に我々の心を遊ばせてくれるのだ。 しかし、もしそんなメカニックが完成したら。もし歴史そのものがやり直せるとしたら、どうだろうか。 バブル崩壊?日米安保条約締結?太平洋戦争開戦直前?いや、黒船が来たときからやり直せたら。いや、本能寺の変が起こらなければ。 悩むのは日本人だけではないだろう。もし人類がもう一度チャンスを得たら、我々は歴史をいったいどこからやりなおせばいいのだろうか。 |
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「タイムトンネル」 フジミ商会製プラモデルの完成品。 トンネル奥のランプが点いて、スライドがレンズ面に投影される。 撮影・毎日新聞社 |
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スイッチのオブジェ。 純粋にスイッチの意味と質感を追求した作品。 スイッチを入れると赤いランプが輝く。 撮影・毎日新聞社 |
子供の頃、駅の券売機に未来を見ていた。 スロットに硬貨を差し込むと、金額ボタンに明かりが灯る。天井から吊るされた路線図で料金を確認して、金額ボタンを押す。ボタンは深く沈み、やがてゴトン、と分厚い切符が落ちてくる。ちょっと間があって、釣り銭がそれに続く。未来の生活とは、こんな光るボタンなどの「スイッチ」に囲まれた生活に違いない。 未来人の仕事は、スイッチを押すだけになるだろうと言われていた。 全ての産業は機械化され、人間はその頂点で一日に何度かスイッチを押すだけ。 家事労働はすべてロボットがやってくれる。 食事は、メニューのボタンを選ぶだけ。 複雑でなおかつ合理的な判断が必要な問題は、コンピュータに任せた方が安全だ。 スイッチを押す。 それだけの作業で一日の労働が終わってしまう世界。それがかつて考えられた21世紀の世界だったのだ。 しかし現実の21世紀は、まったく違う世界になりそうだ。 たしかにマグロの一本釣りロボットはあるけど、やはり小さな漁船に乗ってはるばると遠洋まで出かけなければならない。 農業は機械化が進んだけど、それ以上に後継者問題は関係者を悩ませている。 土地、環境、福祉。 コンピュータでは何一つ判断できない。 いや、コンピュータで単純に割り振った方が良いかもしれない問題ですら、誰も割り切れずに振り回されている。既存の価値観、権力、既得権、倫理観。様々な考え方が議論や解決策をより複雑に、動きにくくしている。 決断さえすれば、後はスイッチ一つ押せばいいというのに。 それでも、気がつけば我々の身の回りは、無数のスイッチにあふれている。 エアコン、テレビなどの家電製品。切符や飲料の自販機。エレベーター、インターホン、電卓‥‥ 考えてみればパソコンのキーボードこそ究極のスイッチ集合体だろう。それらの機械がなければ、我々の生活は一日たりとも過ごせないのだ。 この世界を動かしているのは我々だろうか、それとも機械だろうか。 人類は、複雑な機械を生み出した。 しかしまた我々は、そのほとんどに関して仕組みすら理解していない。「こういう場合はこのスイッチを押せ」と習っただけ。悩んでも仕方ない。それで世界がうまく運営されているなら、疑問など持たぬ方がいいのだ。 スイッチだけが唯一、我々と「世界=システム」との接点となっている。 |
| 「人類が月へ行った」という事実すら知らない子供たちが増えている。かつて、我々が「戦争を知らない子供たち」と呼ばれたように、彼らは「宇宙開発競争」と呼ばれた、もう一つの戦争があったことを知らない。 自分たちから「歴史という物語」を語らなくなった我々に育てられた子供たち。彼らにとってはアポロ計画も、ベトナム戦争も第二次世界大戦も、いや、あの湾岸戦争でさえもまったく同一の「世界の歴史」でしかない。見知らぬ、何の実感も持たない、歴史の時間に教わらなければならない「自分に関係のない過去」の一部なのだ。 この灰皿は、そんな「過去」からやってきた。米国フロリダ州の、とあるホテルの安灰皿は、我々にこんな過去を思い出させる。 一九五〇年代後半、今まで全く無名だった米合衆国の田舎町が、一躍注目を浴びることになる。町の名はケープカナベラル。米ソ二大大国が「宇宙競争」で覇を争ったあの時代、ケープカナベラルは「もう一つの戦争」の中心地だったのである。 ロストフューチャーの世界であこがれられた「宇宙時代」が、とうとう現実となる。これからは、今までと違う理想の社会がやってくる。 当時の人たちは、本気でそう考えていた。だからこそ、有人ロケットを月まで送り無事に生還させる、というたったそれだけのことに、世界中が沸き返ったのだ。 一九九九年の末、僕はケープカナベラルを訪れた。今ではサーファー達のメッカになってしまったこの町を歩いてみても、目に付くのはサーフショップや自然食の店ばかりだ。 「宇宙の町」の名残りは、わずかにバス停の標識や無人の新聞スタンドに描かれたロケットのイラストのみ。かつては世界中から観光客が押し寄せたとは、とても信じられない寂れぶりだ。 あんなに盛り上がった「宇宙への夢」は、現在、人々に忘れられてしまった。スペースシャトル打ち上げの入場パスは、打ち上げ当日になっても売れ残っていた。 ハンバーガースタンドで「ここからシャトルの打ち上げが見えるか?」と尋ねたら、「見えるんだろうなぁ。いつかはわからないけどね」と無関心な返事が返ってきた。 今はもうどこにも「サテライト・モーテル」というホテルは存在しない。この小さな灰皿だけが、そんな時代もあったという事を訴えかけているだけだ。 我々が経験したはずのアポロの時代、あの「もう一つの戦争」は幻だったのだろうか。 |
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「サテライト・モーテル」の灰皿。 おそらく一九六〇年代の前半、米国フロリダ州に「宇宙建築ラッシュ」が起きた時代の産物である。 撮影・毎日新聞社 |
| 一九三九年、ニューヨーク世界博で最も人気を集めた催し物は、ゼネラルモータース社の『フーツラマ』だった。25年後の未来(つまり一九六四年)のハイウエイを巨大ジオラマで見せ、興奮冷めやらぬ観客が出口から出ると、そこにはさっき見た未来都市の本物が、実物大セットの十字路が拡がっている! 当時の人々がいかに驚き、感動したかは想像にあまりある。この小さなバッチは、出口で配っていたおみやげである。 「私は未来を見た」 観客は、誇らしげにこのバッチを胸につけながら、会場を闊歩した。 失われた未来・ロストフューチャー。それは、かつて私たちが本気で夢みていた、輝けるバラ色の未来世界のことだ。それは結局、決して行き着くことのできない幻像だったのだろうか。 未来を信じていた時代の子供たちは、常に進むべき世界を教えられた。大人たちは素晴らしい未来を語り、町工場で作られるオモチャたちは「未来からのメッセンジャー」として子供たちに与えられた。 ロケットや空飛ぶ車やモノレール。そんな「未来のオモチャ」は、いつも子供たちに「きっと素晴らしい21世紀がやってくるよ」と約束しつづけたのだ。 21世紀を○○○日後に控えた現在、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか。フーツラマで予言された「高速道路によって都市が結ばれる社会」は、たしかにやってきた。量販店や宅配便、コンビニという都市生活者の生命線は、これによって保たれている。 貧困や病苦は社会にとって絶望的な病ではなくなり、カルト集団や無差別殺人が私たちの社会の不安要因となってしまった。 ではそんな世紀末の今、私たちは自分自身の子供に何を教えるべきだろうか。 「自然の大切さ」「人間同士のふれあい」「動物の素晴らしさ」 まるでゴールデンタイムの家族番組だ。 私たちはもう子供に「未来」を語らない。「月へ行くという目標に向かって、努力を重ねる」という「未来」は陳腐化してしまった。 「未来」のかわりに教えるのは「純粋さ」と「夢」だ。妖精やサンタの存在をいつまでも子供に信じさせたい、自分の可能性を信じさせたいという私たち。 「未来」を信じれなくなった私たちは、「せめて子供だけは、いつまでも夢を信じてほしい」と切望する。そんな「夢」や「純粋さ」とは、残酷で無慈悲な未来からの逃避だということを知りながら。 二一世紀を迎えるこの世界がどこに行こうとしているのか、それは僕自身にもわからない。 「私は未来を見た」 私たちはこのバッジを見て、こう呟く。 「私たちはかつて、輝ける未来を信じていた」 |