毎日新聞『電脳文化的今日』第十一回〜第二十回
ン1996-1997.Toshio OKADA all right reserved.
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#11

   「パソコンはこれからもっと使いやすくなる」 10年前からずっと言われ続けている言葉だが、本当だろうか?
 だいたいパソコンが本当に使いやすいのなら、あんなにたくさんの種類のパソコン本が売られているはずがない。書店に行くと必ずこんな本が棚を占領している。「だれでもわかるWindows」「3日でわかるMac」「3時間でわかるパソコン通信」「サルでもわかるパソコン基礎の基礎」。つまり、こんなにみんな判らなくて困っていて、だからこんな本が書店に溢れるわけだ。
 せっかく便利な道具を買ったつもりでも使い方が判らなく、仕方なく本を買う。もっと便利に使う方法はないのか、もっといいソフトはないのかと情報を求めて、パソコン雑誌にまで手を出すことになる。
 またこのパソコン雑誌という奴がクセモノだ。分厚くて重くて広告ばっかりで種類が多くて難儀する。せっかくパソコンを買って効率よく仕事を進めるはずが、こんなに雑誌や本を読まされて、本当に便利に、効率的になったんだろうか?今年より来年のパソコンの方がずっと使いやすいかも知れない。しかしその分、パソコン雑誌はまた増えているに違いないのだ。なんか詐欺っぽい。
 それに比べて、例えばボールペンというのは、いちいちペン先をインク壷に浸さなくても書ける、という画期的な道具だった。買った瞬間から誰でも使える。「月刊ボールペン」「ボールペン・ワールド」「オー!ボールペン」 こんな雑誌、誰も買わなくていいのだ。
 そろそろ、「パソコンはどんどん使いやすくなっている」という幻想を捨てても良いのではないか。楽器やサーフボードと同じく、苦労して慣れたら慣れただけ使える道具だと割り切る。そうしてから、諦めて勉強するなり、使える部分だけで満足するなり、こんなわけのわからない魔法の箱には2度と近づかないと決めるなりの判断をした方がいい。




#12

 先日、マイクロソフト社のパソコンOS(操作用ソフト)「WINDOWS95」中国語版の移植が完成した。ところが、完成したWINDOWS95を中国政府がチェックしたところ、「表現上に問題がある箇所」が発見されたため、作りなおしを命じた。現在、「政治的に正しい」WINDOWS95中国語版を制作中とのことだ。
 これを聞いてすぐ思い出したのが、フィリピンの「ボルテス」」事件だ。今から10数年前、マルコス軍事政権下のフィリピンで、日本製のロボットアニメ「ボルテス」」が放映された。ボルテス」は大人気を博し、フィリピン中の子供はもちろん、若者までが熱狂してみるようになった。ところが、ボルテス」のクライマックスのストーリーは「軍事独裁政権の圧制に反抗した市民達が、武装蜂起して市民革命が成立する」というトンデモないものだった。マルコス政権も、たかが子供番組がこんなハードなストーリーとは思わなかったから、最後まで見もしないで放映許可を出してしまったのだろう。
 幸い(?)そのクライマックスの放映直前に気が付いた政府は、放映を打ち切ることが出来た。熱中していたフィリピンの子供達は、何の予告もなくある日突然終わってしまったボルテス」に呆然とするしかなかった。あの当時子供だった人達の間では、いまだにあのボルテス」の最後はどうなったのだろう、と話にのぼることがある。
 これを考えるに、WINDOWS95中国語版にどんなマズい表現があったのだろうと気になって仕方がない。これがゲームソフトならいくらでも思いつく。敵の設定も、ストーリー展開も、いくらでも「政治的に正しくなく」設定できる。がWINDOWS95はパソコン操作用ソフトでしかない。どんな表現があったというのだろうか?「ああもあろう、こうもあろう」とイヂワルな想像を巡らして、今夜も秋の夜長を楽しむことにしよう。




#13

 毎回、このコラムの巻末には電子メール・アドレスを載せている。だから掲載の度に、たくさんの感想をいただく。もらう方としても、好きな時に読めるのがありがたい。しかし電子メールは、どうしても即時性に欠ける。家に居る時には、しょっちゅうメール到着をチェックできるが、外出中はそうもいかない。
 この前も、外出先でポケベルが鳴った。自宅の留守番電話からの転送だ。で、自宅に電話してメッセージを聞く。「FAXを見て頂けましたか?急ぐのでお願いします」と録音されている。相当、焦ってる様子だ。急いで帰ってFAXを見ると、「急ぎの用件を電子メールで送ったがもう読んで頂けましたか?」と書いてある。で、パソコンの前に走っていってようやく急ぎの用件と対面できることとなる。そうやって僕との連絡に疲れはてた担当は、「岡田さんは携帯電話はお持ちにならないのですか?」とすがるような目で聞いてくるのだ。それを聞く度につい、「絶対にケータイなんか持つもんか」と考えてしまう。もちろん、僕のさぼり根性がそう考えさせるのだが、それだけじゃないぞ。
 例えば昔だったら、「電話をかける。相手が出ない。また電話をかける。相手が出ない」このパターンで済んだ。この場合、電話代は1円も必要ない。それが留守電だと、「電話をかける。留守電になる。また電話をかける。留守電になる。」とかけた回数分、電話代がかかる。今回のように「相手が電子メールを送る。FAXを送る。留守電に録音する。留守電がポケベルを鳴らす。僕が留守電をきく。電子メールを見る」これだと実際の会話前に、何と6回も電話代がかかってしまう。なんてバカらしいんだろう。
 確かに僕の仕事は、電子メールやポケットベルのおかげで便利になった。まるで少年の頃読んだSF雑誌の未来特集記事みたいに。でも、あの「未来の生活」には,NTTの請求書のことなんか、書いてなかったぞ。 




#14

 コミックマーケット(通称コミケ)をご存知だろうか?毎年夏と冬に開催される、日本最大の同人誌販売イベントだ。その規模はけた外れ。毎回20万種類以上の同人誌が販売され、30万人近い客がたった2日間に押し寄せる。しかも何の宣伝もなしに、だ。
 コミックマーケットという名前だが、小説はもちろん評論や研究書まで、人間が興味を持つ事柄に関してあらゆるジャンルの本がある。著作権や出版規制、売り上げを気にする必要もない。無限に自由な言論・表現空間として,海外の日本研究者にも注目されている。
 コミケというと、オタク、コスプレといったイメージが強いが、実際にコミケの基盤を支えているのは女性陣だ。同人誌を作るという行為は、学校のノートをキチンと家で清書したりするという女の子に向いている。そんな女性達が熱心に育て大きくしたのがコミケだ。今や彼女たちは結婚し、子育ての合間の楽しみとして同人誌を作る。そして年に1〜2度のお祭りとしてコミケを楽しむ。客と楽しくおしゃべりしながら自分の本を売ったり、パワフルに同人誌を買いまくったり、晴れやかに着飾ったり。ここには彼女たちが大好きな行為がいっぱい詰まっている。
 インターネットに関して、日本のホームページには面白いものがない、情報収集にも役に立たないと立花隆氏も言っている。が、彼もコミケに行けばこの不満は解消されるだろう。ただし足は棒になる事を覚悟すること。
 コミケに比べて、日本のインターネット環境はまだまだだ。値段も高く、操作も難しい。自宅にいながらして世界とお友達、というせっかくの長所が生かせていない。将来、もっと手軽になったインターネットに日本の筆マメ女性パワーが参入するようになれば、日本の本当のソフト力が発揮される筈だ。日本のハードメーカー、ソフトメーカー各社は、早くここに注目して、奥様用HP制作ツールの開発を急いでください。




#15

 最近、ヴァーチャル・アイドルに関して、やたら取材依頼がある。「今、ヴァーチャル・アイドルが若者の間でブームらしいですね」とか聞かれるわけだ。違うんだけどなぁ。
 確かに、ヴァーチャル・アイドルという名前で、プロダクションが売り出しをかけているキャラクターがいることは事実だ。CGで作らせたアイドルがCDを発売し、「スキャンダルのないアイドル」としてCMやイメージガールの売り込みにもがんばっている。が、さっぱり売れない。「ときめきメモリアル」という恋愛シミュレーションゲームに登場するキャラクターもCDを出したが、別に大ヒット、というわけではない。ヴァーチャル・アイドルと呼ばれているのはこの2つだが、若者の間でブームになんかなっていないのだ。
 僕がこう説明しても「でも、マスコミでも話題になってますし。この現象を先生はどうお考えですか?」とくる。現象も何も、と言おうとすると、「やはり、他人とのコミュニケーションが上手く取れない現代の若者たちの代償行為なのでしょうか?」
 最初から結論は決めているのだが、どうしても僕の口から言わせたいらしい。
 ヴァーチャル・アイドルなんて言っても、単にCGで描いた女の子に過ぎない。人間がキャラクター設定した女の子を、コンピュータで色を塗っただけだ。人間が考えた動きや振り付けを、コンピュータでアニメーションしただけにすぎない。
 だいたい、この世のどこにも実在しないアイドルなら、ジェームス・ディーンもマリリン・モンローもおなじ事。もう何十年も前に死んでいるのに、ファンは未だ多いぞ。それとも映画ファンにも「他人とのコミュニケーションがうまくとれない若者」とでも言い出すつもりか?
 「マルチマディア時代のアイドル」という口車に乗せられて大騒ぎするマスコミ諸君、その感覚がオジサンだぞ。




#16

 コンピューターゲームっていうのは麻薬である。「達成感」そのものを娯楽にしてしまったんだから、これは「最終娯楽」であり、「行動の麻薬」でもある。説明しよう。
 これまで人類の発明したあらゆる娯楽は全て「努力の分量」に対して「得られる結果」を保証していなかった。いかに努力しようとテニスの上達には個人差があるし、山登りだって長く続けている人が上手いとは限らない。
 映画鑑賞や読書だって、そこから得られる楽しみは、それにかけた時間や努力にはあまり関係がない。
 しかし、だ。コンピューター・ゲームは違う。明らかに10時間やった自分より、20時間やった自分が上手くなっている。戦略系シミュレーションゲームという例外はあるが、大抵のゲームは「努力した分だけ上手くなる」、つまり「努力が報われる」世界なのだ。
 この「努力が報われる」という部分が麻薬である。なぜか?現実の世界では努力が報われるシチュエーションの方が少ない。幼稚園児ですら、この世の中は努力と成果は正比例しないことは知り尽くしている。だから幼稚園の先生は「頑張れば、それでいいのよ」としか言えないわけだ。
 しかしゲームでは、自分の費やした時間・手間に応じて、見事に技術が上がる。そのようにプログラム側が調整しているのだ。適度なプレイ時間に対して、適度な達成感。これはゲームデザイナーなら誰しも心掛けていることだ。
 さて、そんな「努力が報われる」という麻薬的世界にハマってしまった子供たちは、どうなるのだろうか?当然、現実世界は彼らにとっては「努力が正当に報われない、理不尽な世界」だ。現実の方がつまらなく見える娯楽なんてけしからん?僕もそう思う。
 理性ではそう思うんだけど、今日も僕は娘と一緒にドンキーコング3にハマりまくっている。親だってもっと達成感が欲しいんだぜ。




#17

 今、コンピューター・ゲーム業界は大揺れだ。しかし当事者であるゲーム・ユーザーの視点と一般マスコミの視点は大きく違う。同じニュースを伝えていても、「なんでこんなにズレてるの?」と首を傾げるようなオッサン臭い報道が目立つのだ。
 例えば、今評判のセガとバンダイの合併劇。マスコミの話題は「プリクラとたまごっちの結婚」とか「最大手エンタテインメント企業の誕生」、「業務不調の2企業が合併」というニュアンスだろうか。
 しかしこの2企業のユーザー達の視点は違う。「セガサターンは、セガバンダイ・サターンになってしまうのか?」「スーパーロボット大戦はもう、プレステでは出ないのか?」
 これらの意見を笑ってはいけない。セガの最大資産とは、高度なゲーム開発力に支えられたブランドイメージだ。対するバンダイにはマニアックなブランド力はないが、キャラクター展開力は誰しも認めざるを得ない。
 ユーザー達が気に病んでいるのは、この2つの力がどのように組み合わされるか、ということなのだ。セガバンダイ・サターンなどを発売してしまうと、セガのブランドイメージは落ちるだろう。しかしそのような「ユーザーの皮膚感覚」に踏み込んだ報道など全くと言っていいほど見受けられない。
 現在の「プレイステーション、大ヒット」という報道も同様だ。「プレステの成功はコンビニなど一般ユーザーを取り込んだから」 たしかにそうかも知れない。しかし一般ユーザーを取り込んだ事によるデメリット、「年少ユーザーのゲーム離れ」が起きている。今や小学生の興味はミニ四駆、ビーダマンと急激に変化している。この事実を気に病まないゲーム業界人はいないが、それに気付くマスコミはほとんどいない。
 何かが評判になると当事者に取材をして、「街の声」を拾う。そんな手法ではもうユーザー達の実感は伝わらないのではなかろうか。




#18

 「パソコン通信での発言って、半永久的に保存されるんですよね。怖いなぁ」
 知り合いに言われ、僕も考えた。パソコン通信への書き込み(これを「発言」と呼ぶ)は、ある程度の分量になると、データライブラリーという場所に移動され、データ圧縮して保存される。見たい人は、一手間かければ誰でも見ることが出来る。
 パソコン通信は始まってまだ十年ほどだから、今は十年分の発言が保存されているわけだ。当然、8年前についカッとなって書き込んだ自分のおバカな発言も残っている。なぜおバカな発言が多いのだろうか。
 パソコン通信をしている人の中で、実際に書き込むのは百人に一人の割合だという。残り99人は、他人の発言を読んでいるだけ。発言するその百人に一人の人物は、他の99人に比べて別に深い見識があるわけでも貴重な経験があるわけでもない。単に書き込めるとなったら我慢できないオッチョコチョイな人達なのだ、と僕も含めて断言できる。百人に一人のお調子者が、夜中に盛り上がって書き込んだ文章が永遠に保存されてしまう。中学男子生徒の夜中に書いたポエムを、タイムカプセルに入れて保存するようなもんだ。まさにデジタル資源の無駄遣いである。
 おまけに幸か不幸か、デジタル技術は日進月歩。今ではデータ整備も進んで、膨大なデータの中から例えば○○さんの発言ばかりを検索する、というようなことも可能になってしまった。オッチョコチョイの僕も、さすがに発言する前に、一息深呼吸するようになった。
 油断していると大変なことになる。数十年後、大人になった自分の息子や娘が、若かりしパパやママの発言を検索できちゃうのだ。そこに「レイ姫、ラブラブでごじゃりまするぅ。〜〜〜!!(翻訳:私はエヴァンゲリオンのヒロイン・綾波レイのことを考えると、心が熱くなることだよ)」と書いてあったりするのだ。
 書き込み一ナノ秒、恥永遠。気を付けよう。




#19

 先日、DVDのプレイヤーとソフト一式を試す機会があった。DVDとは、CDサイズのディスクで映像が見れる、という規格だ。デジタル信号を再生する方式なので、今までの映像ソフトとは違って「マルチアングル」「多国語字幕」など、様々な付加機能が付いている。しかしこれらの機能、利用する私たちにとって本当に画期的なものなのだろうか。
 ビデオデッキ登場の頃を思い起こしてみて欲しい。テレビ画面に映る映像は、どんなに面白くても、一度見たらそれっきり。それが当たり前の時に、ビデオデッキが華々しく登場したのだ。好きな番組を何回でも見れる。家を留守にしていてもタイマー録画が出来る。今では当たり前に感じられる機能だが、間違いなく「人とTVの関係」を変革してしまったほど画期的な製品だった。
 レーザーディスクの場合もそうだ。まるで映画館のような、今までのビデオでは考えられないほどの高画質。ビデオデッキほど革命的ではないが、十分に画期的だった。
 それに比べてDVDは、コンパクト以外の魅力が見あたらない。高画質と言っても、画像データを圧縮してあるので、LDと比べて別に進化した気がしない。マルチアングル他の機能も、まだ使い方がピンとこない。「技術的に画期的」であれば、魅力的な商品足り得た時代は、すでに終わっているのに。
 DVDの位置づけは、やはり「安くて手軽で、収納もコンパクト」につきると思う。LDが単行本だとすると、DVDは文庫本だ。メーカーは「画期的な技術」の製品を作りたいだろう。でも日本の住環境を考えたとき、手軽でコンパクトというのは「画期的な商品」なのだ。
 以前このコラムでも書いたのだが、デジタルの進むべき道は、この「安かろう、悪かろう」だと僕は確信している。恋人と逢えないときは、電子メールも次善の策として悪くない。これがテクノロジーではないだろうか。




#20

 マッキントッシュ・ユーザーの僕は、そろそろウインドウズに乗り換えるべきか、という厳しい選択を迫られていた。以前にマックを買ってから4年、最近はウインドウズのみに対応しているソフトが目につきだした。そろそろかな、と考えてしまう。
 確かにマッキントッシュのグラフィック・ユーザー・インターフェースは使いやすい。例えば、要らないデータはマウスでつかまえて、ゴミ箱まで持っていけば削除される。捨てるとゴミ箱の目印アイコンがプクっと脹れてかわいいし、分かりやすい。
 いやちょっと待て、だけどそれが何だと言うのだ?
「はいはい、ここにポイするんでちゅよー。は〜い、じょうじゅにできまちたね〜」
 グラフィック・ユーザー・インターフェース?まるでパソコン幼稚園じゃないか。「初心者にも簡単」と「幼稚」は違うような気もするぞ。僕も、早く「幼稚園」から卒業するべきなんだろうか。
 しかし最近はウインドウズも、パソコン幼稚園に成り下がりつつある。それならどちらでも同じだろうか?
 いや、忘れてはいけない。パソコン選びの基本は「友達と同じものを買う」だ。そうすれば、困ったときすぐ尋ねられる。いいソフトも紹介してくれる。僕の友達は、マックユーザーばかりだ。
 そんなわけで、さんざん悩んだあげく、僕は結局、又マッキントッシュを買った。で、買ったその日に見事に止まってくれたわけだ。その止まった画面を見ていると「これからもよろしくね」と言われた気がした。
 さて、この連載も最後だ。今回は一パソコンユーザーである僕の、リアルな心の動きを記してみた。迷ったり悩んだりも多いけど、それこそが電脳生活の醍醐味だよな。
 では皆さん、1年間の御愛読ありがとう。またどこかでお会いしよう。




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