【初出】:安田EXECUTIVE 【連載開始日】:99/3
#1
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はじめまして。これから一年間このコーナーで一点づつ、未来のオモチャや未来にまつわる様々な思いを語っていこうと思う。 さて第一回目。「未来のオモチャ」と言えばロケットである。今回はロケットの中でももっともロケットらしい『ムーンロケット』を選んでみた。 僕が子供の頃、ロケットはみんなこういう形をしていた。飛行機みたいな操縦席には、でっかいガラス窓。三角形の翼を広げ、尾部ノズルから炎を巻き上げて、あっと言う間に青空の彼方に消えていく。少年雑誌のグラビアや、幼稚園の頃やっと家に来た白黒テレビや、近所の商店街のいつもチャンバラばかりやってる映画館でたまにかかるSF映画でも、出てくるのはそんなロケットばかりだった。 当時の男の子なら誰しも、こんなロケットにあこがれたものだ。 が、現実化したロケット、アポロ宇宙船は、ロケットと呼ぶには余りにも違っていた。一段目、二段目、三段目と次々と切り放し、細長い船体の本当に先っぽの部分、カプセルだけが月にたどりつく。地球に帰る時なんて、そのカプセルにパラシュートをつけて、太平洋に落ちてくるのだ。乗組員達は近くの空母から派遣されたヘリコプターに拾われて、ぶら下がって帰ってくる。ああ、情けない!そんなの、断じて月ロケットじゃない! 科学者がどんな理屈を言おうが、技術者がどんな弱音を吐こうが、聞く耳なんか持ってはいけないのだ。ロケットは絶対、お尻から勢いよく炎と煙を噴射し、自分の力でゆっくりと力強く、垂直着陸するべきなのだぁ! そんな、ほとんど偏屈爺さんの僕が楽しみにしているのは、数年前からNASAが開発している新型のロケットだ。一段式のロケットで衛星軌道まで上昇、おまけに逆噴射しながら高度を降ろし、そのまま垂直着陸できる性能なのだという。 「そうかぁ!アメリカもやっとわかってくれたか。スペースシャトルとか、あんな邪道なロケットじゃなくて、ようやく正しいロケットを作る気になったんだな。うんうん、それでいいんだよ、クリントン」 気分はすっかり熱血教師。登校拒否、ツッパリ、シンナー、覚醒剤とどんどん非行化していく受け持ち生徒が、バスケやサッカーという健全な発散方法を見つけて、更正していくさまを暖かく見守る心境だ。 しかし、喜んだのも束の間、先日「新型ロケット、開発中止」というニュース。あまりにも勢いよく噴射して着陸したため、船体に炎が燃え移って横転・大爆発してしまったのだ。NASAの科学者は、「いやぁ、こりゃダメですなぁ」と無気力に語っていた。 でも今年からはいよいよ、先進国が協力しあって、大宇宙ステーションの時代が始まるらしい。もちろん僕は「宇宙ステーションはかくあるべし!」というイメージを持っているので、またチェックで忙しくなりそうだ。 |
#2
| 最初にリニアモーターカーの話を聞いたのは、大阪万博の年・1970年だった。「10年後の昭和55年、東京・大阪間を50分で走破するリニアモーターカーが開通する」 まだ分割民営化されていなかった頃の元気な国鉄がそう宣言し、当時の小学生たちはもちろん、大人もその言葉を頭から信じてしまった。 リニアモーターカーには、車輪がない。いや、レールすらないのだ。電磁石の反発力で宙にふわりと浮き上がり、磁界の中を滑るように進む。そんなイメージはいかにも斬新で、「未来の乗り物」という呼び名に相応しかった。 当時は世界各国で、次世代高速鉄道の研究が進んでいたが、ドイツのプロペラ車、フランスのTVC、アメリカの高速モノレールも、リニアモーターカーの敵ではなかった。 万博のパビリオンでは、リニアモーターカーの模型が走り、おもちゃ屋ではこんなブリキのオモチャまで飛ぶように売れた。それはもう、すごい騒ぎだったのだ。「あと10年で来る、輝かしい昭和55年」 それを当時の少年たちはどんなに待ち望んだだろうか。しかし1970年代には、オイルショック、公害ブーム、ベトナム戦争という時代の荒波が押し寄せ、「科学バンザイ!」という気運は霧散無消してしまった。 昭和55年になってもリニアモーターカーは走らなかった。いや、昭和60年になっても走らなかった。 それどころか、国鉄はいつの間にか大赤字団体に転落し、分割民営化されてしまった。昭和も終わって平成の現代、リニアと言えば、山梨の人里離れた試験場で、ひっそりとまだ実験ばかりを繰り返している始末だ。 見学に行くと、リニアまんじゅうやテレカをおみやげに買えるらしいが、訪れる人はけっして多くない。 金丸信が「リニアの実験線は、鶏小屋、豚小屋の中を走っている」と暴言を吐いて問題になった時にちょっと注目されたくらいで、夜のニュースで華々しく取り上げられることもなくなった。寂しい限りである。 しかし考えてしまうではないか。もしリニアカーが実現化して、東京・大阪間が50分で結ばれた日がきたとしよう。はたして現代の我々には、それが「夢の超特急」と言えるだろうか。東京圏への物資・人材一極化をさらに加速させ、文化の多様性を減らすことになるだろう。東京・大阪50分ってことは、日帰り出張どころか毎日午前中は大阪で会議、なんていう恐ろしい事態を招くだけかも知れないのだ。 しかし、である。それでも、ブリキのリニアモーターカーのボディに「東京-大阪50分」と誇らしく書いてあるのを見ると、僕の心はわけもなく踊ってしまう。遠い未来を夢見たあの日の少年たちに、もう一度出会えた喜びなのかも知れない。 |
#3
| その昔、3Cという言葉があった。高度成長時代の娘達が「お嫁に行くならこんな家!」と求めた条件のことで、カー、クーラー、カラーテレビをさす。そう、自家用車、クーラーと並び称されるほど、当時カラーテレビはとっても偉かったのだ。 発売間もないカラーテレビは、「家具調」デザインがはやりだった。木目模様にマホガニーっぽい色調。いかにも応接間の主役然としたたたずまい。4本脚がむき出しの白黒テレビに比べて、ぐっと格調高く仕上げられていた。使う方も、テレビを見ていない時には、ブラウン管の前にレースのカバーをかけたりした。そんな行為が、さほど違和感のないデザインだったのだ。 そんな応接間の主役だったから、カラーテレビの上に置物を飾るのもまた、違和感がなかった。各メーカーもそれに目を付け、オマケとして様々な置物を宣伝した。オマケは徐々にエスカレートし、ついには「維新の大砲」とか「黄金の茶釜」とか、なにやらとにかく高級で歴史観ありそうなものまで登場した。 最初は調子の良かった置物シリーズも、何シリーズかこなすにつれて、どんどんネタ切れになってくる。たぶん、各メーカーの置物担当者は、相当頭を悩ませたと思う。 「インカの遺跡は?」「マヤのピラミッド・ジッグラトは?」「いや、滅びた文明は縁起が悪い!」とか、そんな白熱した議論があったに違いない。よく知らないけど。 そんな頃、悩める「カラーテレビ用置物」担当者の救世主として現れたのがEXPO70・大阪万博だったのだ。各メーカーはこぞって、万博置物を制作した。サンヨー電気に万博の象徴・太陽の塔をもっていかれた日本家電界の盟主・松下電器は、「ナショナルのカラーテレビを買うとタイムカプセルがつきます!」作戦で逆襲に出る。 タイムカプセルとは、五千年後の人類に向けて、現在の文化をそのまんま伝えよう、という装置だ。当時の新聞や芸術作品の写真、各国代表からの言葉や最新の科学知識などをマイクロフィルム化して封入する。それどころか当時新発売だったパンティストッキングや庶民の食事・チキンラーメンなどを詰め込んだ。カプセル中のこれら「人類の遺産」が決して風化・変質しないよう、科学技術の粋を尽くした合金・密封法で作られていたのだ。 さて、写真はナショナルのカラーテレビのオマケ、タイムカプセルの実物だ。上部を開けると万博・松下館パビリオンのミニチュアが入っていて、子供たちを大喜びさせた。その下には松下幸之助開祖の『道を開く』というPHP節満開のミニ・バイブルが黄金の宝箱に入っている。当時の印刷技術の粋を集めて作られたその超豆本には、専用虫眼鏡までセットされていた。 子供たちにねだられて、ナショナルのカラーテレビを買わされたモーレツ社員のお父さん達は、夜中に虫眼鏡でその小さい字を読んで発奮し、明日からまた仕事に燃えるエネルギーを貰ったのかも知れない。 まだまだ社会が熱かった時代、豊かさを求めることが絶対的な善であった時代の「日本人の遺跡」なのだ。 |
#4
| 男の子っていうのは、どうしてあんなに操縦席が好きなんだろう? 車に乗ったら助手席に座りたがる、船を見学したら必ず操舵室に入って舵輪まわさなきゃ気がすまない、デパート屋上の乗り物にも一通り乗らないと気がすまない。よくお母さん方も「なんで男の子って」と話しているんだけど、当の本人もなんでかわかってないに違いない。 いや、子供だけじゃない。大人になってもどこか心の中に「男の子」が色濃く残っているおじさん達は、操縦席が大好きだ。 大人になっても飛行機模型を作ってるようなおじさん達には、やたら操縦席ばっかり作り込む人が多い。完成した操縦席の上には半透明の風防(ルビ・キャノピー)をかぶせるわけだから、どんなに作りこんでもよく見えない。それでも作ってしまう。 一大ブームになった「電車でGO!」というゲームソフトも、きっとそうだ。ゲーム解説者は「鉄道マニアが云々」なんてもったいぶってるけど、あのゲームがヒットした本質は「操縦席がホンモノそっくりで、自分でいじれる」ということに尽きると思う。だから、僕たちのような「おじさんだけど、子供」が買ったんだ。 今回紹介する「キャプテンビデオ」のゲームは、ゲーム盤自体が操縦席という、憎い設計になっている。そこにはちゃんと、メーターやスイッチ類、ハンドル、ボタンなどが細かく設定されている。 ゲームの内容自体は、何のことはない、ただの宇宙すごろくだ。でもサイコロを振るかわりにゲーム盤左右のダイヤルを廻し、出た目に会わせて中央の司令盤を合わせる。 「基地に戻れ」 「衛星軌道に進入せよ」 男の子の心は、激しくくすぐられてしまうんだな。こういう仕掛けに。 この相当レトロな操縦席を見ていると、当時の子供たちの震える心が伝わってくる。ラジオの組立が好きな子、とにかくでっかい乗り物が好きな子、宇宙が好きな子、ロボットが好きな子。そういう機械には目がない男の子たち。そんな理系な子なら、一目でとりこになりそうなのが、このゲームなんだ。 夢の操縦席。 そこは男のロマンで満ちている。 だから君たちも、自分の操縦席にはロマンを持とう。床にシャギーの紫絨毯をひきつめて土足厳禁なんて言ってはいけないし、冷気吹きだし口に缶コーヒーのホルダーをつけるなんて、もっての他だ。 男のロマンはハードなんだからね。 |
#5
| 今回紹介するおもちゃは、「宇宙パトロール隊」の旗だ。50年代のアメリカでボーイスカウトに入っていたら、誰でも通信販売で買うことができた科学少年たちのシンボルである。 きっと当時の少年達は、この旗を木の棒にくくりつけて、自分たちの隠れ家に高く掲げたのだろう。僕だって少年の頃、こんなカッコいい旗があったなら、高々と掲げてみたかった。そして、隠れ家で気のおけない友達同士で、いっしょにおやつを食べたり、マンガやSFを読んだりして過ごす。合い言葉にも凝ったりして‥‥ と、ここまで考えてハタと気がついた。 そういえば子供の頃、隠れ家なんてなかったよな。ある気がしてたんだけど。 もちろん、アメリカのTV番組に出てくるような木の上の小屋なんてあるはずもない。だけど、例えば空き地の土管の中とか、誰も住んでいない廃屋とかに、いかにもありそうじゃないか。あれ、だけど冷静に思い出すと、僕の記憶のどこにも、そんなものは存在しないぞ。 さんざん考えて、やっとこの「捏造された記憶」の原因がわかった。『オバケのQ太郎』とか『ドラえもん』などの藤子マンガでは、よくそんな土管の秘密基地が登場する。たしかにこれらのマンガの連載がはじまった昭和30年代初頭は、日本全国どこへいっても道路工事やビル工事の嵐だった。だからマンガの中で「土管の秘密基地」なんかが出てきても違和感がなかったわけだ。 しかし僕自身の少年時代は昭和40年代。そんな記憶はろくにないんだけど、代わりに登場したのがテレビだ。その子供番組内で、すっかり「男の子=秘密基地」っていう図式を植え付けられてしまった。いつの間にか、自分自身に関する記憶さえ、ゆがんでしまったらしい。 だから「あぁ、あった、あった。懐かしいねぇ」なんて言ってしまいそうになるのだ。 よくテレビでも言ってるでしょ?たとえば「ランニングシャツに麦わら帽子をかぶってセミ取りしている男の子」なんかを見たりすると「昔はこんな格好で虫取りしてたよね。なつかしいなぁ」とか。 でも、麦わら帽子で虫取りする子なんて、あんまりいないんだよね。視界が悪いから。都会から来た田舎に憧れた子供がそんなことするけど、みんなすぐ、便利なアポロキャップに切り替える。それが本当だったんだよな。 メディアに踊らされるのはやめて、まじめに思い出してみよう。僕にとって秘密基地と呼べるのは、近所の汚い川の橋の下。そこにはよく、ゴミと一緒にエロ本が捨てられてあった。友達と行って探し出し、いっしょにウヒウヒまわし読みした。 旗なんて、お子さまランチの日の丸くらいしか覚えがない。 現実なんてそんなもんだ。 やはり美しい追憶は、テレビにでも任せておいた方がいいに違いない。 |
#6
| 「エポック社の宇宙船ゲーム」を簡単に説明すると、手元の操作盤にあるレバーで、二つのプロペラの回転速度を変えるおもちゃだ。 二つのプロペラが同じ速度で廻ると、宇宙船は垂直に上昇する。後部が早く廻ると宇宙船は前屈みの姿勢になり、前進する。止めたいときや後退したいときは、全部プロペラの回転を上げればよい。 ハイテクとは無縁な、この単純な遊びに昔の少年たちは多いにハマった。思ったところにピタリと着陸させたり、小さな荷物をひっかけて運んだり、自分が宇宙船を操縦している気分がしっかり味わえるからだ。 もちろん、宇宙船を支える針金のバーは見える。だけど、それはそれ。ちょっと目を細めれば、本当に宙を浮いているようだ。ウルトラマンなど特撮番組に出る飛行機のピアノ線を見ないようにするマインドセットと同じ事なわけだ。 子供の頃、このおもちゃが本当に好きで、二週間もぶっ続けで遊んだ思い出がある。 最初は両親も「プシュー、プシュー、隊長、着陸します。了解!」とつぶやきながら熱中している息子を「まぁ、こんなに喜んで。良い買い物だったわ」と、目を細めてみていた。 が、1日2日ならともかく、一週間経ってもまだ、夢中で遊んでいる。同梱の電池は初日で無くなり、僕の少ないお小遣いで電池を買えたのは三日目まで。そこから先は仕方なく、バーを手で持って遊び続けた。 僕の頭の中は、宇宙船の着陸のことだらけ。テレビ番組や怪獣映画を見ても、着陸シーンになると目の色を変えて集中する。 食卓に座るときに呟く言葉も、「隊長、着陸します。フィーン、ボババババ(エンジンがせき込む音)、右エンジン停止。非常ジェット噴射。フゥアッシュー。着陸成功。化学消火班、直ちに現場へ急行してください!ファーフー、ファーフー、ファーフー」と複雑になっていった。 ある日とうとう、僕の声がかれてしまった。何日も、小声でしゃべり続けたからだ。しわがれた声の「隊長、着陸します!」を聞いた両親の顔は 次第に不安そうになり、二人で顔を見合わせ始めた。 もともと僕の両親は子供の過剰な創造力に対して懐疑的だった。2才年上の姉が「幽霊を見た」と言っただけで、精神病院で強引に脳波をとらせ、思春期の姉はかわいそうに、頭に二つも剃り痕を作られてしまった。このままでは僕もハゲを作られてしまう。 その後は人目のないところでだけ、この宇宙船主役ドラマを、自分の原作、脚本、主演、脇役、効果音付きで演ることにした。 子供の個性や創造力をのばすなんて口では言う親も、本当はそんなことちっとも望んじゃいない。「普通」から逸脱すると、一番慌てるのはそんな大人たちだ。 僕はこのおもちゃで、そういう哀しい現実を学びとり、少し大人になったのである。 |
#7
| 子供の頃、歯医者の待合室で見た少年雑誌。そのクリスマス特集に紹介されていたのが、このオモチャだった。白黒ページの粗い写真を見つめても、どんなオモチャだかよくわからない。それでも「アメリカにはこんなオモチャがある」というふれ込みと「僕はパイロット」という商品名に、当時の僕は「ああもあろう、こうもあろう」と勝手な想像をどんどん膨らませた。 それから約30年後、昨年末に横浜のフリーマーケットで、これを偶然見つけたときには、本当に「うわぁ〜!」と声をあげてしまった。大げさな言い方をすれば、30年以上、一日たりとも忘れたことがなかったオモチャに、ついに出会えたのだ。 何より意外だったのは、このオモチャが日本製だったということ。当時、世界最先端の技術を誇っていた日本のオモチャは、輸出も盛んだった。中にはそのごく一部が日本仕様のパッケージに変えられて、逆輸入される場合もあり、この「僕はパイロット」はそんな逆輸入オモチャだったのだ。 と、理性の声がいくら僕に説明してくれても、僕の心の中で30年以上育んできた「アメリカのかっこいいオモチャ」というイメージがガラガラと音をたてて崩れ落ちるショックはどうしようもない。バーブ佐竹やミッキー・カーチスの正体はただの日本人、みたいな肩すかしな気分。「何や、おまえ。日本人かぁ」怒りとも、安心ともつかない感情がこみあげてくる。 肝心の中身は、さすが日本製だけあって、ギアチェンジだけで複雑な動きを見せてくれる。6機のジェット旅客機が並んでいて、スイッチを入れると一番手前の一機が滑走路上をゆっくりと動き出す。格納庫の上からクルクルと旋回するアームが伸びて、子供はこれをレバー操作して、ゆっくり動いている旅客機を後ろからひっかける。これで旅客機の離陸は完了。着陸は、まったく逆の手順。アームから離れた旅客機は、列の最後尾につき、それに押し出される形で、最前列の旅客機が走り出す。 遊んでみると案外地味で、淡々と作業が続く。「僕はパイロット」というよりも「僕は管制官」という気分だ。 それでも、こういう巨大システムの一部になって、運行管制する喜び、というのは、男の子の心には必ずあるのだ。 ベルリンにある世界最大の鉄道模型クラブでは、クラブ員が交代で鉄道模型を何十年も前から決められている運行ダイヤ通りに動かし続けているそうだ。その模型を動かせることは大変名誉なことで、担当の日は仕事を休んで運行に当たるという。 そんな「組織運用を任される責任感」をシミュレートしたような、このオモチャ。現実の組織運用には、ちょっと疲れてしまった僕たちだけど、こういう憧れを持っていた時代もあったんだよなぁ。 |
#8
| ブリキのロケットに関して、僕はちょっとうるさい。破産で有名になってしまった岸辺シローの他、ロケット玩具を集めている人も大勢いる。だけど、僕ほどちゃんとした価値観を持ってロケットを集めている人はいない、と断言してしまうほどだ。 僕が集めているのは「正しい」ブリキのロケットだ。つまり、他の人は間違ったロケットを集めているわけだ。しかもケシカランことに、世の中で売られているロケットは、大半が間違っている、ときている。 ミニカーやブリキの自動車はたいてい、実車を簡略化して作られる。ロケットも当然、そうあるべきなのだ。 ところが、たいていのロケット玩具はそういう精神(ルビ:スピリッツ)を持ち合わせていない。一番多いのは、ロケットに宇宙服姿の子供がまたがっているパターン。三輪車でもないのに、一体何を考えているのか。自動車玩具ではミニカーの上に子供をまたがらせたりしているのを見たことがないのに、なぜロケットだけはこんな扱いになる?! ロケットそのものも、あまりにいい加減にデザインされているものが多い。 「そんなところにハッチをつけたら、エンジンはどこに入れるんだ?!」 「そんなにでっかい窓つけたら、操縦席内を一気圧に与圧した瞬間、窓が割れるぞ!」 玩具のプロが作った立派なブリキの玩具かもしれないけど、ロケットに関しては素人以下だと言わざるをえない。 車や飛行機はいいよな。恵まれてる。どんな玩具工場でも必ず一人はやたら車好き、飛行機好きな奴がこだわって作っている。しかし、ことロケットに関しては「テレビの特撮物を見て、適当にでっち上げました」という知性もセンスのかけらもないものが多すぎる。 とまぁ、ロケットの玩具に関しては、ここまで偏屈で陰険で、悪口魔人になれる僕ですら、「へへ〜!」っと頭を下げるのが、この「ツーステージ・アース・サテライト」だ。この変な英語をムリヤリ翻訳すると「人工衛星打ち上げ用の二段ロケット」というところか。 発射台後ろのクランクをグルグル回すと、ロケット内部の弾み車がすごい勢いで回転しはじめる。その音がまるで、ロケットのエンジン噴射音のように聞こえる。そこで、発射台のリリースボタンを押すと、真っ赤なロケットは勢いよく走りだす。 やがて速度が落ち始め、見ている人が「あぁ、これでおしまいかな」と思ったときに、ロケットは一段目を切り放して、前半分の二段目だけで、さらに加速して走るのだ。 玩具玩具としての仕掛けの楽しさ。そして、ロケットとしての美しさと設定の確かさ。 これこそ、ロケット玩具の中の王者なのだ。みんなもこの機会に「正しいロケット玩具とはなにか?」と、一度考えてみてはどうだろう。あ、考えたくない? やっぱり。 |
#9
| 「SFセンス」と言っても今は通じなくなってしまった。 「あぁ、SFね。スターウォーズとかガンダムとか、ああいうヤツでしょ?」というのが世間の反応だ。 そうじゃない。僕がいうSFとは、サイエンスフィクション、日本でも1960年代から70年代までの間、一時的にブームになった小説のジャンルのことだ。 SFの中には、独特の価値観と美意識があって、それがいかに濃厚かによって「これはSFだ」とか「こんなのSFじゃない」とか評価されたりした。ジャズにはジャズの、ロックにはロックの魂があるように、SFにはSFの魂がある。 しかし石油危機が訪れ、高度成長にも陰りが見えた頃、SF小説ブームは下火になった。活字SFの持っていた破天荒なイメージは徐々に映像世界に移っていった。SF小説ファンは「作品としては楽しいかも知れないが、あんなのSFじゃない」と眉をしかめたものだ。だから、未だにスターウォーズやガンダムをSFと言われると、抵抗を感じてしまう。 そんなSFにだけは小うるさい僕から言わせてもらうと、このロケットは申し分なく本来のSF的なのだ。 普通の人から見れば、流線型のロケットの方がよほどきれいなデザインだろう。でも、このへんてこで不格好なデザインは、SF的視点で見るとすばらしいデザインを誇っている。 ロケット外側に着いているたくさんの燃料タンク。別に設定書がついていたわけではないけど、SF眼力で見れば燃料タンクなのは一目瞭然だ。スペースシャトルで衛星軌道に出るためだけにでも膨大な燃料が必要なのだ。惑星間ロケットならなおさらである。 使い終わった燃料タンクは不必要な質量となるので、宇宙空間に投棄するのがベストだ。このオモチャでも燃料タンクは取り外せるようになっている。 ロケットの先端部分には人間が乗る部分、居住区がついている。最終的にはここだけが切り放されて、大気圏に突入する。 これと反対側、細長い船体のおしり側には、ロケットエンジンがついている。惑星間ロケットだから、当然、動力は原子力だ。このエンジンが居住区に近ければ近いほど、分厚い鉛の放射能防御壁が必要になる。そんなデッドウエイトをロケットにつむのは無駄なので、できるだけエンジンと居住区は離すのが科学的正解。そのために、こんなに細長い船体にしてあるわけだ。中間部分に燃料タンクを配置して、より放射能防御機能を高めている。 SF的視点を持てば、ひと目このへんてこなデザインのロケットを見ただけで、これだけのことがわかる。SFの心を持っていれば、涙が出そうなほど嬉しくなる。 今度の日曜日、久しぶりにSF小説を読んでみようかな。 |
#10
| 『アメション』という言葉をご存知だろうか。アメリカに行って小便をして自慢するバカ、聞いてありがたがるバカ。要するに「外国かぶれの愚か者」という意味だ。 思い出したくもない恥ずかしい記憶だけど、かつて日本人は全員、アメションだった。いや、今でもそういう痕跡はあちこちに残っている。女性誌の広告は外人のモデルばかりだ。 だけど、日本人総アメションだった時代の、その大バカぶりは実にすごかったのだ。 初めてアメリカへ行ったのは、中学二年の時。YMCAのキャンプでハワイに行った。 まだ1ドル360円の時代だ。主催者側も気を使って、行く前に8ミリ映画を3本も見せられた。 1)ジャンボジェットの乗り方 2)トイレはどこですか 3)私は日本から来ました 「僕らもサルじゃないんだから飛行機の乗り方まで教えてもらわなくても」という気もしたけど、外人に笑われてはいけないと、メモまでとって真剣に見てしまった。 現地に着いたら、英語の看板一つ一つをいちいち写真を撮り、ドラッグストアの紙パック牛乳を「アメリカの牛乳や!」とありがたがって飲んだ。 そんなアメリカからきた輸入品は『舶来品』と呼んで、誰もがありがたがった。その中でも、あこがれの中心、ど真ん中だったのが外車、アメ車だったのだ。 当時の言葉に「モーターボートみたいにデカいアメ車」という表現がある。僕らがあこがれるアメ車は、とにかくでっかくてデラックス、そしてパワフルだった。 交差点を曲がる時だって、キュッと軽快に回れない。一度、交差点の真ん中まで進んで、一気にぐるぐるぐるっとハンドルを廻すと、ゆっくりと前の方にあるボディの先端、というより舳先が真横に動き出す。まわりの日本車を一時停車させて、長いカーブを描いて堂々と旋回するアメ車。それは、王者の風格を持つ僕らのあこがれだったのだ。 写真のUNIT5は、僕にとってそんな古き良きアメリカへのあこがれを体現したブリキおもちゃだ。アメリカのおもちゃらしく、とにかくでかい。全長50センチ以上あるボディ。スイッチを押すと、後ろからパラポラアンテナが出てくるデラックスな仕掛け。 ドキドキしながら電池を入れると、モーターがいい音をたてて動き出す。が、ぴくりとも動かない。 ああそうか。アメリカらしい、おおざっぱな作りなんだ。 思わず僕は納得してしまった。かつての「舶来だからありがたい」という信心から「アメリカだから無意味にデカい」という魅力の再発見。この視点の変化ははたして、日本人がアメリカコンプレックスを脱出した証しなんだろうか。 UNIT5のボディを見つめていると、そんなことを考えてしまう。 |
#11
| おもちゃで遊ぶ、というのは、実は想像力を必要とする行為だ。それぞれの子供がどれくらい豊かな想像力を持っているかを測るには、一つのおもちゃでどれくらい長く遊べるか試してみるとわかる。 例えばミニカーを一つ、与えてみる。 最初の5分は、どんな男の子でも楽しく遊ぶことができるだろう。まず手に持って、上から横からながめる。それからミニカーを押したり引いたりして、指先に伝わるタイヤの回転する感触にふける。 その時には、どんなに想像力の乏しい子供でも、手で押しているミニカーの下には、たたみでもフローリングの床でもない、コンクリートの道路が見えているだろう。 それからが、想像力の勝負になる。 自分が動かしているまわりに、抜きつ抜かれつする他の車が見える。高速道路のオレンジ色の明かりが見える。流れすぎる高層ビル街が見える。そんな子供なら、30分でも1時間でも遊んでいられるのだ。 戦車のプラモデルでも長い間作り続けていると、こういう幻影が見える。銃弾に倒れながらなおも進撃を叫ぶ司令官。あるいは瓦礫まみれのベルリンの街が見えてくるようになる。 おもちゃというのは、単体で楽しむ物ではなく、遊ぶ者の想像力によって楽しみ方の深さや色味に差が出るものなのだ。 写真のロケットエクスプレスは、昭和30年代のブリキのおもちゃだ。金属のレールから釣り下がったロケット型モノレールが、モーターで軽快に走る。 子供の頃の僕は、モノレールのまわりに未来の街が見えていた。 地上千階まであるビル群と、それをつなぐ動く歩道。そして、空飛ぶ自動車やロケット型モノレールが、その間を遊弋する。 スーツ姿のパパとおめかししたママに連れられた子供たちが、召使いロボットにおみやげのおもちゃをいっぱい持たせて、幸せそうにデパートから出てくる。 はるか向こうの宇宙空港には、木星から帰ってきた観光ロケットが着陸するようだ。 こんな風景と一緒に、僕はいつまでもモノレールのおもちゃで遊んだ。 でも今、大人になってあらためてモノレールのスイッチを入れても、もう未来都市は僕には見えない。 かわりに見えるのはこんな風景だ。 変色し波打った畳。茶ダンスの上には、こけしの入ったガラス棚。柱にはゼンマイ式の掛け時計。部屋の真ん中のちゃぶ台には、小さいガラスの醤油さし。そんな部屋の片隅で、寝転がったまま真剣にこのモノレールを見つめている、半ズボンの少年がいる。 僕が今、このモノレールが好きなのは、そんな光景がたまらなく愛しいからかもしれない。子供の頃、あんなに見てみたかった未来の街と同じように。 |
#12
| 我がオタキング事務所では、時々、おもちゃパーティを開く。土曜か日曜の真っ昼間、いい年をした大人達がどんどん集まってくる。九州や北海道はもちろん、たまには海外からのお客さんもくる。集まったメンバーは次々に、自慢のおもちゃをテーブルに出して、それにまつわる曰く由縁を語り始める。 「縁日で偶然見つけたんだよ。驚いたねぇ」 「九才の頃、これ買えなくてさぁ。30年以上たってようやっと出会えたよ」 「これ五万円で思い切って買ったら、次の日に別の店で五千円で見つけちゃってさぁ。悔しいから、それも買っちゃったよ。平均すると2万七千五百円だよね?」 最初にコーヒーが一杯出たっきり、ただただ、夢中で語らい続ける。話題は延々、古いおもちゃやプラモデル、盤ゲームやマンガやモデルガン。自慢したり、うらやましがったり、悔しがったり。ゼンマイで動くおもちゃを動かしたり、手にとってみたりも忘れない。 夕方近くなってくると、さすがに喉がかれてくる。飲み物でも買いにコンビニへと立ち上がる。チョコやポテトチップなんていう脂っこくて体に悪そうなスナックをたっぷり。ビールを大量に買うのは当然だろう。おもちゃのためには交換用の電池を買い、修理のために瞬間接着剤も買う。レジの茶髪の兄ちゃんは、この仲の良さそうな中年男たちの団体はなんだろうか、といぶかしんでいるかもしれない。 帰り道は夕焼け。あたりは薄暗くなると、いよいよおもちゃパーティも第二部に突入だ。 拳銃に弾をこめるように、おもちゃに新しい電池をガチガチと装填する。 「電気、消してくれますか?」 安っぽい真鍮のギアがかみ合う音を響かせて、みんなの視線を集めながら、ランプを点滅させて動きまわるおもちゃ。男たちは、ビールを片手に息を呑んで見つめている。 「おぉぉ!」という歓声。 「今の、もう一回!」 おもしろい動きには、必ず誰かからアンコールが起きる。古いおもちゃなので、「動きませんねぇ」なんてことも珍しくない。 過ぎてゆく時間すら忘れてしまう世界。 それは、よく言われるような「少年っぽさを失わない心」とはちょっと違う。本当の少年なら、おもちゃに目を輝かして遊んでいる姿なんて、他人に見られたくない。少年の頃、光るおもちゃで遊んだのは、押入の中。モーター音に気がついた母親に「こんなところで何やってるの?」なんて顔をのぞかれたりすると、本当にどうしていいかわからないほど恥ずかしかった。 おもちゃとの対話とは、少年にとってかくもプライベートな、まるで逢い引きにも似た行為なのだ。他人に見せられるはずもない。 大人になった今だからこそ、同じ趣味の仲間と見せ合い、秘密の時間を共有しあうことができる。これこそ大人の特権なのだ。 そんな秘密の世界、あなたも何か一つ、持ってみませんか? |