『週刊読売連載書評』
【初出】:週刊読売 【連載開始日】:
ン1995-1998.Toshio OKADA all right reserved.
|連載一覧に戻る|
#1
| 映画評論と言えば、立派な映画がいかに立派か、なぜ立派かを論じたものばかりだ。ゴダールだの小津だのタルコフスキーだの、そんな映画を見る奴も、評論をありがたがって読んでる奴も、スカしたイヤな奴ばかりに違いない。 が、この「映画秘宝」シリーズは違う。まず第一弾「エド・ウッドとサイテー映画の世界」は、金なし、アイデアなし、才能無しと3拍子揃ったクズ映画を次々と紹介する。なぜそんなのを紹介するのか?編者の町山智浩氏は次のように巻頭で宣言する。 「(前略)この百年に全世界で作られた映画の99.9パーセントは「サイテー映画」なのだ。「映画が好き」と言ってる奴らのほとんどが最上段の「イイ映画」しか見ていない。丘の上の名所しか見ない観光客と同じだ。眼下に広がる巨大なスラムを見てから言え!」 今回紹介するのは、映画秘宝シリーズ第六弾「底抜け超大作」。この本では、巨大な製作費に恵まれ、豪華な大スターが出演したが、しかし中身は大惨事、という映画史に残る大失敗作をジャンル別に読者に紹介してくれる。あまりにも素晴らしい紹介文なので、本書からそのまま引用しよう。 「タカ派俳優ジョン・ウェインが「ベトナム戦争の真実を知ってくれ」と私費を投じて作ったが、夕陽が海に沈むラストで失笑をかった『グリーンベレー』(ベトナムには西向きの海岸がないのだ) 『七人の侍』の名脚本家、橋本忍が、スペースシャトル、ジョギング、ソープ嬢と最新(?)の要素をゴッタ煮にしたら鍋の底が抜けてしまった東宝創立五十周年記念作品『幻の湖』(一週間もたずに打ち切りになった) 『エアポート』シリーズで儲けたプロデューサーが自らシナリオを書き、パニックを六回も盛り込んだせいで収拾がつかなくなった『エアポート80』(シリーズは打ち止め)」 その他、親子二代に渡って超大作プロデューサーを努めるが駄作ばかりのラウレンティス一家や、ジャパン・マネーを引き出すだけ引き出して会社を倒産させたカロルコ社元社長マリオ・カサールなど、「なぜ超大作に駄作は生まれやすいのか」という考察は興味深い。どうだ、読みたくなっただろう? 何?別に読みたくない!?そんな奴は一生名所旧跡だけ見て、人生の何たるかも知らずに朽ち果ててしまいなさい。 |
| 最近のベストセラーと言えば、「脳内革命」と「神々の指紋」あたりだろう。「脳内革命」は、いいことばかり考えているとなぜか頭の中にいい物質が出て健康になり、結局何もかもうまくいく、というお目出たい主旨。「神々の指紋」は、エジプト、マヤ、インカなどの古代の巨大遺跡のもとは、南極大陸にあった白人文明だったという脳天気な主張だ。 どちらも俗耳には心地よいが科学的論拠は薄い。いわゆる「トンデモ本」系の書籍である。こういったトンデモ本を見破り、我々に教えてくれるのが秘密読書団体「と学会」の面々だ。最近、そのと学会のメンバー達の本が続けざまに出版されたので紹介しよう。 一冊目は植木不等式の「悲しきネクタイ」。「窓際族」を自認する著者が、サラリーマンという身分の悲哀を綴ったエッセイだ。怒りや哀しみに流れがちなテーマを、(1)明るいユーモアと、(2)くだらないダジャレと、(3)バカみたいな替え歌で綴り、軽い読み物にしあげている。(勿論これはホメ言葉である。サラリーマン社会なんて笑い飛ばす以外、何が出来よう)アナロジーとして、無意味なほど豊富な最新動物学の知識を駆使して、動物社会を紹介している点が面白い。 二冊目は皆神龍太郎の「宇宙人とUFOとんでもない話」。日本のUFO論議は、なぜか「信じる」「信じない」という宗教的発想に走りがちだ。が、皆神はFACTS主義、つまりUFO事件をあくまでも科学的に検証するという態度で臨んでいる。科学的と言っても 肝心のUFOの実物はどこにもない。従って、目撃者の証言を一つ一つ丁寧に拾い集めるというのが唯一の方法となる。これを読めば、あなたも安易にUFOを信じたり否定したりできなくなる筈だ。「神々の〜」などを読んで不覚にも信じてしまった人は必読。 三冊目は、唐沢俊一の「大猟奇」。これはもう、ひたすら何の役にも立たない知識のオンパレード。読めば読むほど、一体この唐沢俊一というヤツは何者なんだ!?という疑問に駆られる。同じ作者の「薬局通」は膨大な薬品知識を駆使したエッセイだし、その他の著作も「仮面ライダーの悪役の伝記本」とか、「古本コレクター達に関するエッセイ」とか、「戦前・戦後の少女小説論」とか奇妙な本ばかりだ。作者自身の、イッセー尾形の前座、芸能プロの社長、占い師派遣業と多様な経歴に目眩がする。次はこの変な作者自身の自伝が、読みたいゾ。 |
| 書評コーナーというと「語るに足る本」ばかり取り上げてしまうので、たまには趣向を変えてみる。 現在、書籍流通は紀伊国屋を抜いて、セブン・イレブンがトップだ。つまり日本で一番の本屋さんとは、セブン・イレブンだということになる。まぁ知識人とかはこんな状況を嘆いたりしてればいいのだろう。が、それだけで済まないのが、これでメシを喰ってる出版社。そんなわけで今、各出版社とも「コンビニで売れる文庫本」という路線を開発中である。これらのコンビニ文庫のコンセプトは「薄い・どこからでも読める・すぐに捨てられる」だ。私もときどき買っては、読後に捨ててしまっている。本棚の負担にもならず誠に壮快である。 では今回はそんなコンビニ文庫の中で「トイレの中に常備しておくのがちょうどの本」を紹介しよう。トイレットペーパーや生理用品の備蓄棚にこれらの本を並べておくと、まぁ退屈しのぎになるわりに、読みふけって痔になる、という愚は避けられる。(なんせそんなに読み続けられるほど面白くはないから)誠に便利な文庫本だ。 一冊目はワニ文庫の「痛快・豪快・奇々怪々…さすが世界の大富豪」(ザ・ビリオネアーズ・編)だ。この2時間サスペンスのように長いタイトルも、コンビニ文庫の特徴。内容は「金持ちたちの贅沢話」、「金持ちなくせにケチな奴の話」、「思わぬ幸運で巨億の富を掴んだ話」、「歴史上の金持ちたち」という、黄金キラキラ話の連続だ。このシリーズ、ちゃんと巻末に参考文献が載っているのには感心。意外と面白いので、コンビニ文庫とバカにせず一読をお薦めする。(勿論、トイレの中で) 二冊目は青春出版社の「おいしい300冊・オモシロ鑑定!退屈知らずの【本】のネタ本」(話題の達人倶楽部・編)。これも長いタイトル。なにせ三百冊もの本を紹介しているので、一気に読むなどという疲れることはとても出来ない。トイレで6ページも読んだら充分。紹介されている本は多岐に渡り、そのバラエティさが面白さのキモなのである。 中でも実用書のコーナーが面白い。「土曜閉庁 主旨と運用方針」(総務庁人事局・土曜閉庁研究委員会編)という、役所が土曜日の休みにするためのイイワケとして、460ページもの書籍を出版していることなんて誰も知らないだろう。コンビニ文庫、あなどれない。 |
| ファンというのは、その作品についてならどんな事でも知りたがる。例えばある映画ファンは、「風とともに去りぬ」でスカーレット・オハラが「アシュレー!」と叫んで駆け下りてきた、タラの屋敷の廻り階段は何段あるかを熱心に数えていた。そんな他人がきくと実にどうでもいい事でも、知りたがってしまう。もちろんそういう気にさせるカルト的映画は限られている。 劇場公開当時は全然客が入らなかったSF映画「ブレードランナー」なんかは、熱心なファンの情熱をかき立てる魅力満載の映画だ。ブレラン・ファンは、とにかくブレランに関することなら何でも聞きたがってしまう。僕もその一人だ。 そんなファンの情熱の為に作られた福音、それが「メイキング・オブ・ブレードランナー」だ。この本には、ブレードランナーに少しでも関係する事柄は、どんな些細なことも事細かにかかれている。例えば、レプリカントのストリッパー・ゾラと踊っていた蛇は、その女優が飼っていた蛇で、名前はダーリング。その蛇はタバコの煙が大嫌いで、撮影現場のタバコの匂いに参って、全然動かなかった。これには監督も苦労したらしい。 読んでも読んでも、こういうどうでもいいエピソードのオンパレードだ。 ブレードランナーのことなら、どんなことでも知りたいと強く思っていた僕だけど、読めば読むほど、何で僕はこんなことを知りたかったんだろう、という気になってきた。 「まるでヤクルトみたいだな」と僕は思った。子供の頃、毎日ヤクルトを1本ずつしか貰えない僕は、一度でいいからヤクルトを腹一杯飲んでみたいと熱望していた。ある時、固い決意をして、何日も何日もヤクルトをガマンして冷蔵庫に貯めた。そして、とうとうビールジョッキ3杯分のヤクルトを一気に飲んだ。熱望していた腹一杯のヤクルトは、案外おいしくなかった。 ブレードランナーのくだらない話も、映画雑誌の隅にちょこっと載っているから嬉しいのかも知れない。ヤクルトみたいに。 でももし、僕の大好きな「2001年宇宙の旅」とか「ゴジラ」とかで、こういうメーキング本が出たら、やっぱり、きっと買ってしまうと思う。で、読みながら、何で僕はこんな下らないことが知りたくてしようがなかったんだろう、と思うに違いない。でも読んでしまうんだな、きっと。 |
| 何についての本だかまったくわからない書名に惑わされないように。この本の画期的な面白さは、ひとえに「戦争」や「核」に対するタブーを開放したところでの立案である。 著者はまず、核兵器は安くてお得だ、と言う。そして、核装備のコストを実際に算出して見せる。核は必要悪とか、抑止力がとか、そういった観点と思いきり離れた発想である。 二つ目として、「対権力直接アプローチ」という概念が面白い。国には、それぞれ国の意志決定を司るシステムがあり、それを兵頭氏は「国体」と呼ぶ。そして、国によって違う国体に対して直接、戦争は行われるべきだ、と指摘する。 例えば、アメリカは、民主主義が浸透している国なので、意志決定機関は市民にある。だから、市民が危険にさらされると、大変な騒ぎになり、国はそれを全力を挙げて阻止さざるをえない。ベトナム戦争で米兵の死傷者が増えるにつれ、米国内での厭戦ムードは高まり、ついには戦争放棄へと繋がった。ところが、ベトナムの意志決定機関は国民ではない。だから、いくら国民が殺傷されても、国の意志決定は動かない。 これは、良いとか悪いの問題ではない。民主主義が良いとか悪いとか、戦争がよいとか悪いとかという問題は横に置いておいて、 「国体が違う」という事実をまず認識すべきだ、というのが兵頭氏の考え方だ。 さて、この国体の違いを元に、効率のよい軍備を兵頭氏は立案する。まず仮想敵国は、世界で最も強い国、当然、アメリカだ。アメリカの国体は市民にある。つまり分散型国体の国だ。そういう国には、人口密度の高い都市を、いくつも効率よく攻撃することの出来る軍備が相応しい。つまり、アメリカの主要都市を、同時に核攻撃できる武器を持っているのが、一番いいと説く。 そんな軍備を持つ国に、アメリカは戦争を仕掛けることが出来ない。圧倒的な抑止力を持てることになるのだ。 「これは、おもしろい」と、ぼくは唸ってしまった。核や戦争など、普段あまり語られない言葉を、その価値観をとっぱらったところで使っている。こういうタブーをやぶる発想が、僕は大好きだ。しかも、とっぱらったところで論理的に組み立てた仮説が、新鮮で面白いのだ。 だがしかし、相変わらず「ヤーボー丼」というタイトルは、何が何だかわからない。 |
| 映画の歴史に残る名作を3本あげろと言われると、どんな映画雑誌でも出てくるのは、『市民ケーン』、『風と共に去りぬ』そして、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』だろう。 それほどの名作にもかかわらず、『2001年』に関する研究書は驚くほど少ない。これは一重に、キューブリックの異常なまでの完璧主義の結果の一つに他ならない。 彼は映画製作が終了すると同時に、全ての設定資料やミニチュアを破棄してしまった。不本意なリテークができないようにするためでもあり、勝手に続編を作ったり、他の映画に流用されたりしないようにとの予防措置でもある。又、ミニチュアが映画に映っていない角度から紹介されたりすることも防げる、というのが彼の理由だ。まったく天才というのはやっかいなものだ。 が、謎のベールに包まれれば包まれるほど、ファンとして見たい、知りたい気持ちは募るばかりだ。 そういうわけで、今回出版された『未来映画術 2001年宇宙の旅』は、マニアの間でまさに待ちに待たれた一冊だった。 今まで未公開だった関係者へのインタビューや、美術デザイナーのキューブリック監督へのグチ、宇宙船ディスカバリー号のデザインが決定されるまでの推移など、様々なことが詳しく記されている。 そういった資料的なことはもちろん、キューブリックの人間的な面もうかがえるエピソードもある。 例えば、スペースシャトル・オリオン号の客室内装を、見学に来た原作者A.C.クラークに見せたら「わぁ、すごぉい! 中華料理店みたいだ」と叫ばれてしまった。クラークが帰るとすぐ、その日の午後から、オリオン号の内装を全部、作りなおさせた。しかもクラークに、「もう見学には来ないで欲しい」という手紙まで送ったそうだ。 些細な悪口も耐えられないほどの気の弱さが、彼の完璧主義を支えていたのかも知れない。そんな想像までかき立ててくれる。 そんな理想のメーキング本だが、惜しいことに翻訳がイマイチ。月と地球を結ぶシャトル「エアリーズ号」を、本文中でエリアル号と訳している。そこいらの2001年ファンですら、やらかすはずのない凡ミスである。こういうカルトな作品は本当にその映画を好きな人が翻訳した方がいいだろうに。 |
| 梶原一騎の作品で、最もメジャーなのは『巨人の星』と『あしたのジョー』である。が、後世に与えた影響力で言うと、この三作品よりも大きい作品がある。それは『空手バカ一代』だ。 現役のプロレスラー、格闘家、格闘マンガ家、格闘小説作家、編集者、誰に聞いても全員が、影響を受けた作品として答えるマンガ、『空手バカ一代』。1971年から77年までの連載期間中、小中学生だった男ならば、誰しも「極真カラテ」の神話を憶えているだろう。 その『空手バカ一代』、実話という形式を取っている。実話とは、完全なフィクションでもなく、かと言ってノンフィクションでもない。現実にあったことを元に、エピソードを膨らませたり、順番を変えたりして作る、「講談」の流れを組む独特の形式だ。 今や大人になった『空手バカ一代』世代には、「あの話は、一体どこまでが本当だったのだろう」という疑問が残っている。 今回、紹介する『空手バカ一代の研究』は、評論でも謎本でもない。一重に、『空手バカ一代』に描かれているエピソード一つ一つが、どこまで事実であったかを、綿密に取材した報告書だ。 例えば、「牛殺しのマス大山」というエピソードがある。では実際に牛を殺す為には、どんな力が必要か。空手の力とは実際はどれほどのものなのかを、取材する。同時に、屠殺場の人やカウボーイの人達にも、牛を殺すための条件を、具体的にインタビューする。 この他、「十円玉を親指と人差し指で曲げた」「FBIに空手を教えた」「ヨーロッパの闇の社交場、地下プロレスで、イワン・ロゴスキーという大男と死闘を演じて、友情を育んだ」「ニューヨークの下町のビルの地下室に連れ込まれ、両脇から二人の男にナイフを喉に突きつけられ、正面から三丁の拳銃で狙われるという、絶体絶命の窮地から、一撃で反撃した」「アラブの王の前で、ライオンと戦わされたがひと睨みするとライオンは逃げた」とか、「ほんとかよ、これ!」というエピソードを、一つ一つ取り上げ、きちんと検証してくれている。もちろん、大抵はウソなのだけれど、まるきりウソでもなく、元ネタが探し当てられることもある。これが実話の醍醐味である。 そんな時は、おとぎ話と言われていたトロイの遺跡を発掘したシュリーマンのような快感を味わうことが出来るのだ。 |
| 今回は、若い人の間でブームになっている『マッシブ・アクションヒーロー』『ゲット・ザ・ヒーロー』というコレクター雑誌の紹介だ。これらの本は今、若者の間でブームになっている「フィギュアの専門誌」である。フィギュアというのは、リアルタイプの人形のことだ。そう聞くと、すぐアニメのキャラクターの女の子や、女子高生の人形の服を脱がせて、うへへへへと、よからぬことを想像するかも知れないが、全然違う。今ブームなのは、アメリカン・コミックスのヒーローや悪役達のフィギュア、「スポーン」や、映画「スターウォーズ」シリーズの登場人物のフィギュアの、ブームなのだ。そういうフィギュアは、何百種類もある上、もう昔に製造停止になって、今は市場にも流れていない、いわゆる「絶版もの」もあって、集め出すと、これでなかなか奥が深いのだ。 さて、タイトルだけで説明がたいへんだが、この雑誌、中を開くともっとわからない。まず、カタログのように、びっしりフィギュアの写真が並んでいる。で、その誌面のいろんなところに、「激レア!」「激ヤバ!」「即ゲット!」の字が踊っている。さっぱりわからないだろうが、ひるんではいけない。若者の考えることだから、実は単純なのだ。 まず基本的に今の若者誌は全て「こんな貴重なモノがあるぞ」「さあ買おう」「すぐ買おう」と煽りたてるものばかりだ。これらの用語も、その文脈で解読できる。 「レア」というのは、直訳すると稀少という意味。つまり、「手に入りにくいもので、稀少価値がある」ということ。激は単なる強意。激レアで、「とても手に入りにくい品」という程度の意味だ。「激ヤバ!」は、「激レア!」よりもっと手に入りにくいという意味。なぜ、「ヤバ」なのかよくはわからないが、「どうしよう、こんなの売ってるよ。ちょっとぉ、これ、これヤバいよぉ。」くらいのノリだろう。「即ゲット!」は、すぐ買えという意味。要するに、こんな珍しいモノ、すぐ買うしかないね、という程度の意味だ。 こう解説するとややこしいが、簡単に言えば、「激レア」「激ヤバ」「即ゲット」の順で意味が強くなっていくだけなのだ。英語の比較級、最上級みたいなものと考えておけば大丈夫だ。 というわけで、今回はこの3つの言葉を覚えて貰えば、あなたも今日からバカ系若者たちとのコミュニケーションが可能になるのだ。 |
| プラモデルの専門誌は、現在3誌ある。広い年代層に向けて、はやりのプラモデルを紹介・改造法を指南する『ホビージャパン』。これに対して「これからはこれだ!」という視点で、ブームを先取りしたり、しかけたりと意欲満々の『モデルグラフィックス』。 『ホビージャパン』がNHKの紅白歌合戦なら、『モデルグラフィックス』は民放深夜枠の番組だ。が結局両方とも、『エヴァンゲリオン』や美少女フィギュア等の、ハヤリものを追っていることに変わりはない。 そんな中で、ただひたすら、クラッシックで、地味〜なプラモデルを取り上げ続けている雑誌がある。それが日本で一番古い模型誌『モデルアート』だ。『モデルアート』に載っているのは、第二次世界大戦中の飛行機だとか、第一次世界大戦中の戦艦だとか、渋いモデルばかり。『エヴァンゲリオン』どころか、『ガンダム』すら目を向けない硬派さだ その『モデルアート』が、20世紀内に完成させる歴史的企画として発表したのが、各時代ごとに発売されたプラモデルをまとめたシリーズ、「モデルス・プラスティック」だ。 その第一弾が先日発売された「モデルス・プラスティック`60」。中を見ると、1960年代に発売されたプラモデルの写真がぎっしり、つまっている。 感心したのは、60年代のプラモデルを紹介するのに、ちゃんとそのプラモデルを組み立てて、完成品の写真を載せているということ。何しろアンティークショップで、そういう古いプラモデルが、一つ五十万円とか百万円とかいった非日常的な値段で売り買いされているご時世なのだ。それを惜しげもなくきちんと作り、しかもそれを誇りもせず、何の気負いも見られない。地味だけれど信念を持ってずっとやってきた『モデルアート』の底力を見せつけられた気がした。 日本で最初にプラモデルが発売されたのは1958年。戦車・飛行機・SFものとプラモデルは大ブームとなった。第一次プラモデル黄金期である。その後70年代に、子供はプラモデルから一度離れたが、80年代にガンダム・ブームとともに帰ってくることになる。 今年、発売を予定されている『プラスチックモデル`70』は、忘れていたなつかしいプラモデルのオンパレードになるに違いない。 単に懐かしさを回顧するだけにはとどまらず、その歴史的意義まで追求しちゃうという、この企画。今から楽しみである。 |
いわゆる「超合金」と呼ばれる金属製合体ロボットのオモチャがある。この数年、「超合金」は、アンティークおもちゃ屋で高値をつけていたが、世間のお宝ブームと重なって、その価格はうなぎ上り。二十年前には一個五百円で投げ売りされていたものが、今や百万円以上。二千倍以上の値上がり率である。同じアンティークものとして、古書や絵画の比ではない。 ここ数年のブームは、東南アジアのバイヤーが、一斉に買い占めを始めたことがキッカケだ。彼の地では70年代後半から、日本のアニメが放映され、大ヒットした。その頃の子供達が、今30代。お金を自由に使える年齢になっている。しかも数年前まではアジアの奇跡と呼ばれるくらいの好景気が続いた。一山当てた人の中にはオモチャの為に、お金を惜しまない人が多い。「東南アジアのバイヤーが来ると、棚ごと買い占めて行った」という伝説は後を絶たなかった。 今回、そんなブームに対応して出版されたのが、この「超合金 お宝鑑定カタログ」だ。今までにも、超合金のカタログは何冊も出ている。しかしこの本の特徴は「お宝鑑定」にある。掲載されている超合金のすべてに、鑑定価格が明示されているのだ。しかも著者の西村氏が、実際に他の店などに直接電話して取材したものだという。 実はこれ、閉鎖的なこの業界では、画期的な試みなのだ。海外なら、コレクター市場が確立している商品に関しては、必ず価格表が存在する。いわゆるバリューガイドと呼ばれるものだ。が、日本ではバリューガイドがない。僕は前々から、これは問題だと思っていた。バリューガイドがないというのは、専門店は常連を大事にし、情報は閉鎖的になり、初心者には敷居が高い、という非常に厳しい状況だからだ。 その意味では、実に有意義な本である。写真の点数も豊富で、箱や解説書もきちんと正面から撮影されている。当然、資料的価値も高い。掲載されている価格も、市場を充分反映しているので、思う存分それらオモチャの高価格を噛みしめることが出来る。 ただ単に、ちょっと懐かしい気分の浸りたいだけの人は、読まない方が良いかもしれない。現代では、ノスタルジーは最も高くつく趣味だということを、思い知らされるばかりだからだ。 |