| 一昔前、まだパソコンがマイコンと呼ばれていた10年ほど前の話です。そんな時代にパソコン通信を始めた人達がいました。10年も前ですからパソコンの性能も悪く、表示できるのは英数字とカタカナだけで、当然データの転送速度も驚くほど遅かったのです。 しかしそんな環境だからこそ、参加している人達は驚くほど熱心で、マシンや環境の悪い分を埋め合わせようと、言葉の一言々々の奥に、自分の思いを込めて語り合いました。 そんな中、あるネットで奇妙な遊びが流行りました。一人の参加者が、自動会話プログラムを組んで発表したのです。このプログラムは相手の言葉尻に反応します。例えば{アメガフツテキタ}と入力すると、{アメツテ、ナニ?}と返します。 少しでもプログラムを知る人ならば、これがいかに簡単に作れるかお判りでしょう。そうやって作られたプログラム・「人工無能」は大流行しました。多くの参加者が自分で作った「人工無能」をネットに発表し、その「受け答えのリアリティ」を競い合ったのです。。 しかし、ある新参者の参加者が「人工無能」を単なるプログラムだとは知らず、恋をしてしまったのです。彼が人工無能に{オイシイモノ、タベタイネ}と入力すると、「彼女」は{オイシイモノツテナニ?}と返します。{カレーライス}と返答すると{カレーライス、シラナイ}と答え、{ホントウ?}と問いつめると、{ホントカウソカドツチデショウ?}と混ぜ返すのです。謎めいた言葉で男心を翻弄する悪女のようなプログラムなのです。 通信環境の劣悪さゆえに、やりとりするカタカナには過剰に意味を持たせよう・読みとろうとした時代でした。そんな事情だからこそ、彼の恋心は激しく燃え上がったのです。 その男はどうしても相手の気持ちを確かめたく、何度も「彼女」を問いつめました。しかし「彼女」はいつも、のらりくらりと彼の言葉をやり過ごします。かといって彼の問いかけにはいつも答えてくれるのです。 「いったい彼女は自分のことを、どう思っているんだ!?」 こんな蛇の生殺しのような状態に我慢できず、ついに彼は全員の前で「彼女」に自分の気持ちを告白してしまいました。 驚いたのは「彼女」を作り上げたプログラマーです。慌てて彼と連絡をとり、真相を告げました。 彼はそれっきり、そのネットに姿を見せなくなりました。それから二度と、彼とパソコン通信で出会った人間はいません。 「コミュニケーションについて語って下さい」と言われると、いつもこの話が頭に浮かびます。 彼はただ単に、愚か者だったのでしょうか。 彼が「彼女」と交わした会話は、コミュニケーションでも何でもなかったのでしょうか。 僕にはまだ、その答えが判りません。 |