◆「ジャパニメーション」は、ない
「アメリカでは今、日本のアニメのブームだ」という話をよく聞く。特にここ2〜3年、頻繁に語られるようになった。僕も、取材なんかで質問されることが多い。「ジャパニメーションがブームだそうですね」とか「AKIRAやナウシカがアメリカで大評判だそうですが」とか。
そう聞かれるたびに僕は「違う、違うぞ!」と心の中で叫んでしまう。別にブームを否定するつもりはない。しかし、みんなその中身に関して勘違いしているのだ。
「アメリカで今、AKIRA等のジャパニメーションのブーム」この誤解には重要な意味が含まれている。大げさに言えば、この言葉の中に現在のアニメをとりまく環境の不幸と現状が全て凝縮されている。誤解を恐れずに解説したい。
まず「ジャパニメーション」という言葉は、もう無い。確かに20年ほど前、アメリカで日本製アニメを放映し始めた頃「ジャパニメーション」という言葉がつくられた。日本でもマスコミで評判になった。
が、現在アメリカにいる日本製アニメのファンたちは、すでに「ジャパニメーション」なんていわなくなった。単に「アニメ」と言う。ビデオショップにもちゃんと「ANIME」の棚があって、日本のアニメが並んでいる。ちなみに米国製アニメは「アニメーション」または「カトゥーン」と呼ばれている。
◆ジャパニメーションとは何か?
「ジャパニメーション」と「アニメ」の差は、単に言葉の差というだけではない。この2つは、もっと根本的に違う物だ。ジャパニメーションと呼ばれていたのは、その頃アメリカでずたずたに再編集され、テレビでお子さま向けに放映されていたもののことである。
ストーリーは勧善懲悪。残酷シーンは全部カット。主人公たちはいろんな人種・性別を取り混ぜる。セリフはわかりやすく、悪役はダミ声、正義の味方は力強く。大河ドラマのようなオリジナルストーリーも、放映局ごとに放映本数が違うという米国事情によって一話完結の単純明快ストーリーに改変される。
たとえば日本で放映された「宇宙戦艦ヤマト」は、次のようなドラマである。人類絶滅まで1年というタイムリミットの中、14万8千光年彼方のイスカンダル星まで放射能除去装置を取りに行くヤマト。しかしその戦争を仕掛けたガミラス星も、環境汚染が極端に進み、地球への侵略・移住を余儀なくされていたのだ。ガミラスとの戦いで最愛の兄を失った古代進は必死の戦いの末、ガミラスに勝つ。しかし彼も「滅びの運命を甘受するイスカンダル」と「他の星を侵略してでも生き延びようとするガミラス」を目の当たりにして、廃虚となったガミラス星で絶句する。
このヤマトがアメリカで「スターブレイザーズ」というタイトルで放映された。これこそが「ジャパニメーション」の典型である。主人公たちの名前を変えるのは当然。設定もスタートレックのように一話完結の「宇宙の平和を守るためにパトロールするスターブレーザーズに、今回はこんな悪者が挑戦してきたぞ」という調子だ。ヤマト全26話のフィルムは全部ズタズタにされて、こののーてんきな設定にあわせて再編集された。これでは、原型をとどめなくて当然である。映像の一部をパズルのようにつなぎ合わせただけの、全く別のものとしかいいようがない。
これが「ジャパニメーション」の正体だ。20年程前から徐々にTVで放映されているが日本製だと気付く人は少ない。アメリカで人気、といってもあくまで子供番組としての人気でしかない。
◆米国でのアニメブーム
これに対して、「アニメ」とは日本製アニメをそのまま英語化したものだ。米国人にはなじみの薄い字幕版で、登場人物名も、ストーリーもオリジナルの日本語版に忠実である。これが評価されるようになった直接原因は「ジャパニメーションを見てきた世代が大人になって、初めて日本製アニメのオリジナル映像に触れた」という時間的な要素が大きい。少し説明してみよう。
今、25歳前後の世代は子供の頃に「バトル・オブ・ザ・プラネット」「ロボテック」(それぞれ「科学忍者隊ガッチャマン」「超時空要塞マクロス」をジャパニメーション化したもの)に夢中になった世代だ。もちろん日本製アニメとは知らず、原作の複雑なストーリーや大人っぽいキャラクターも知らない。しかし今、アメリカの大抵の大学には「アニメサークル」があって、日本製アニメの上映会が毎週誰かの家で開かれる。彼らはそこで初めてアニメの真実の姿に巡り会う。スピーディなアクションやセクシーなキャラクター。ハリウッド顔負けストーリーと見たこともないような美しい映像。声優陣の押さえた演技がドラマを盛り上げる。これらは全て、アメリカの放映局が「子供向けではない」「アメリカ人向けではない」という理由で切り刻んできた珠玉のようなシーンばかりである。彼らはここで、今まで自分たちがマガイモノを掴まされたことに気付く。
従って、アメリカのアニメファンたちはオリジナルであることに異常にこだわる。生まれて初めて本物の「アニメ」を見たとき、彼らは皆「初めて自分たちがニセモノを見せられ続けてきたことを知った」と語る。そして、吹き替えのカトゥーンではなく本物のアニメをもっと見たいと努力するようになる。友達にも本物のアニメを見せようとする。これが「今アメリカでは日本製アニメがブーム」の正体である。
だから「ジャパニメーション」という一見通ぶった表現に、僕は「ちが〜う」と言わざるを得ないのだ。
◆観客不在のアニメ批評
二つ目のもっと大きな「ちが〜う」は「AKIRAやパトレイバーといった高級なアニメが評価されている」という解釈である。誤解しないで欲しいが、僕は両監督の業績・才能をここで貶めるつもりは毛頭無い。大友・押井両監督の日本アニメ界における業績は世界に誇れるものとして充分に評価しているつもりだ。けれども「アメリカで日本製アニメがブーム」すなわち「大友、宮崎、押井はアメリカでは大人気」を意味してはいない。
僕は今まで数百人の米国アニメおたくたちにインタビューしている。その中で、好きなアニメに関しては「えっ?こんなものが!?」と言うほど、普通のものが多いのだ。
「らんま1/2」「マクロス」「セーラームーン」「機動戦士Zガンダム」ETC。おまけにアニメリカというアニメ雑誌の人気投票では3年連続で「王立宇宙軍」が一位だ。
僕はてっきり大友克洋の「AKIRA」や押井守の「パトレイバー」が一番人気かと思っていた。現に日本のマスコミでも「AKIRAがアメリカで大好評」なんて取り上げられているのを何度も見た。いったいこのズレは何なんだ?僕はとまどった。ニューズウィーク他、アメリカのマスコミ関係者にも、多数インタビューした。
そして、彼らの意見とアメリカの一般マスコミの意見を比較して、やっと発見したことがある。アメリカのマスコミもこのアニメブームがなんなのかさっぱりわかっていないのだ。
彼らはまず、アメリカのアニメファンにインタビューする。しかし彼らはヘンな字幕入りビデオを見せようとするばかりだ。次に彼らは日本のアニメ業界に取材に来る。日本のアニメ業界は「アメリカが取材に来た!」と背筋を伸ばし、日本が誇れる「立派な作品」「芸術性の高い作品」を紹介する。つまり「AKIRA」や「トトロ」だ。アメリカ取材陣はその斬新な絵や動きに感心して記事にする。が、彼らは別にファンではないので他の作品を見たりはしない。その記事を見て、日本では「今アメリカではこんな作品が人気」と記事にする。
こうして、日本とアメリカのピンポンゲームは日本のファンもアメリカのファンも置き去りにして進められるのだ。誤解の無いように言っておくが、アメリカのアニメおたくたちがAKIRAやパトレイバーを知らないわけではない。僕が「AKIRAはどうだ?」と聞くと「絵は素晴らしい。しかし自分としては○○○の方が好きだ」というきっぱりした返事が返ってくる。この○○○がロリコン・アニメだったりすることもあって、そんなときは僕としてもヘナヘナと力が抜けてしまう。僕の見栄はり根性が、せめて「ナウシカ」と言ってくれ!と願ってしまうのだ。
まあ、仕方がないことかもしれない。かつて、日本が高度経済成長を続けたとき、アメリカから取材や研究の目的で大量の人間が押しかけた。そして、日産の座間工場やシャープの液晶工場を見て帰った。が、彼らがそのとき本当に見るべきだったのは、日本のサラリーマンのモラルの高さ、忠誠心や所属意識の強さ、仲間との一体感に関してだったと思う。彼らが赤ちょうちんに行って耳を澄ましさえしたら、残業を終えたサラリーマンたちがそれでもなお仕事の話を熱心にしているのが聞けたはずである。
日本のゲームソフトがアメリカを席巻したとき、取材陣たちは任天堂やエニックスに押しかけた。が、すこし目を凝らせば、東京の片隅でたくさんの小さいソフトハウスが毎日寝る間も惜しんでソフトを作る姿が見つけられたはずである。
ゲームアーツという会社も、発足当初は四畳半のアパートで6人が作業していたという。机は置けない。コタツを4人で囲んでプログラムしていた。6人全員が作業するときは本当に場所がないので、洋式便器の上にもコンピューターを載せて、ゲームを作った。そういった情熱が今のゲームブームを陰で支えたのだ。アニメの批評も、観客不在の時代が長く続きすぎたのではないだろうか。
◆普段着のアニメ
ここまで読んで、困ってしまった人もいるのではないだろうか。「今回のキネマ旬報はアニメ特集だから、アニメの人気の秘密が判ると思ったのに。あれも違う、これも違う、なんて書いてるだけだ」大変もっともな御批判だ。
正直な話、アメリカの一般マスコミに日本のアニメの面白さを本当に理解してもらうためには、いきなり「メモリーズ」や「攻殻機動隊」を見せてもキツいだろう。こういう言い方をすると「まだまだアメリカ人には日本製アニメは理解できないのさ」という風にとられそうだが、そうではない。日本アニメの面白さの本質は、「らんま1/2」や「マクロス」といったごく普通の、よそゆきでない作品群の中にたっぷりと含まれているからだ。
アニメの本質的な「おもしろさ」とは何だろうか。改めて聞かれると、少し言葉に詰まる。が、あえて極論すれば「メカのかっこよさやキャラのかわいさ」と「奇想天外なストーリーの楽しさ」ではないだろうか。例えば時代劇の本質的な面白さは、なんといっても「チャンバラのかっこよさ」と「義理人情の浪花節」だと僕は考えている。時代劇の面白さを外国人に伝えるために紹介する作品が「乱」ではちょっとマズイ。そんなものを見せるなら「暴れん坊将軍」の方がずっといい。
別に僕はここで芸術不要論をぶつつもりは全くない。ただ、「面白い作品」と「いい作品」は違う。ブームの原動力は「おもしろさ」であることを、澪としてはいけない、ということを言いたいだけなのだ。
ビデオレンタル屋のいつも見逃しているコーナーにこそ、本質がある。「映画秘宝・エド・ウッドの世界」の巻頭言で町山智浩氏は、名所ばかり見たがるのは観光客だ、名所の下に拡がるスラムを見ろ、と名作ばかりを観たがる映画ファンを批判した。別にカルトな作品を観ろ、というつもりはない。今回の特集でアニメに興味を持っていただけた人には、もっと普通のアニメの面白さを知って欲しいのだ。
◆アニメ入門
それでは日本アニメの本質的なおもしろさを理解するためには、どんな作品を見ればいいのか。そこで、僕が独断と偏見で、まず次の2作品をおすすめする。
一つは「劇場版超時空要塞マクロス・愛おぼえていますか」。巨人族の宇宙人との戦争という奇想天外な設定。その中で進む身近な恋愛ストーリー。クライマックスでは戦うために作られた宇宙人と、恋よりも歌を選んだヒロインとがお互いのドラマの頂点で力を合わせて、自分の信じるゴールに突き進む。「ファンタジア」なんぞ吹っ飛んでしまう曲と映像のシンクロした戦闘シーン。ある意味でロボットアニメの頂点であり、集大成である。
もう一つは「劇場版・美少女戦士セーラームーンR」。息を呑むばかりの変身シーンの美しさ、リミテッドアニメの限界を利用した静と動の対比は現時点で世界最高峰の映像であろう。歌舞伎や人形浄瑠璃の時代から受け継がれる「変身」というコンセプトと、トレンドドラマを高度に抽象化させた「美少女もの」の集大成である。
また、日本アニメの幅を知りたい場合は次の2作品がよい。
一つは「ルパン三世カリオストロの城」。アニメーション技術を駆使して「動きの面白さ」を追求した作品である。アニメによくある約束事の面白さの頂点といえる作品だ。
逆にアニメーション技術を駆使してリアルな世界を作り上げているのが「王立宇宙軍−オネアミスの翼」。こちらはアニメとしての約束事をストイックなまでに一切利用せず、表現の可能性を押し広げた日本製アニメの極北といえる作品だ。米国のケーブルTVでノーカット放映されたので人気も高い。
現在のアニメの面白さ、可能性は以上4作品のバリエーション・組み合わせの中に入っている。
◆アメリカのアニメオタクたち
アメリカのおたくたちは、ニセモノでもなくよそ行きでもない、普段着のアニメのおもしろさをちゃんとつかまえている。これはさっき説明した。その結果、彼らはなんと驚いたことに本当の日本をつかまえ始めているのだ。
彼らは皆、口をそろえて「日本に行きたい」という。もちろん第一の目的はもっとたくさんの本物のアニメやマンガやゲームに触れるためである。が、それだけではない。彼らはセーラームーンに出てくる麻布十番の火川神社のモデル氷川神社にも行きたいし、メガゾーン23-2の舞台、吉祥寺にも行きたい。アニメに出てくる「かっこいい」日本をもっと知るために、日本語の勉強だけにとどまらず、日本文化の勉強に熱心だ。そして密かに、時にはおおっぴらに「日本人だったら良かったのに」「日本人になりたい」と考えている。
この姿を見ていると、子どもの頃「自由と正義の国アメリカ」に憧れたた自分自身を思い出す。もちろん最初はTVが面白くて見ていた。「奥様は魔女」「かわいい魔女ジニー」「それいけスマート」。けれど、いつのまにかその中で描かれるアメリカンスタイルの生活に多大な憧れを抱くようになった。
豊富な家電製品や明るくて広い家、といったものだけではない。靴のまま部屋を歩くことも、日曜日に庭の芝刈りをすることも、オーブンでパイを焼くことも、本をバンドで縛って登校することも、どんな些細なこともかっこよく思えてうらやましかったものだ。
だから「サイモン&ガーファンクル」の歌も丸覚えした。英語にカタカナのルビをつけたカードをこっそり持ち歩いた。アメリカで流行っていると聞けば1も2もなく飛びついた。足が短くてもGパンをはき、ノリが悪くてもロックを聴いた。それでも「アメリカ人は合理的だが日本人は」などという話を聞くと、本当に自分が日本人として生まれ、日本の中で育ったことが悔やまれた。こういった現象が、なんと今アメリカのアニメおたくたちのあいだで起こりつつある。
現に僕は日本語で書かれた歌詞の上にローマ字で振られたルビを見てきた。彼らにとっての日本は「フジヤマ・スキヤキ」でも「ゼン」でもない。そういった日本人ですら旅行代理店にセットしてもらわなければならないエキゾチックジャパンではなく、もっと普通の私たちの日常に近づきつつある。アメリカのオタクたちに映る日本は、輝いている。
毎日、アニメが放映され、本屋はもちろんコンビニにもキヨスクにも爆発的な種類のマンガが売られている。街にあふれるゲームセンターやカラオケBOX。子どもから大人まで、あらゆる年齢層の様々な趣味の人たちが楽しめるソフトがあふれている日本。かつて僕たちが「便利なもの」であふれているアメリカの豊かな生活にあこがれたように、アメリカのオタクたちは幅広いソフトであふれている日本の楽しい生活にあこがれているのだ。そしてそのイメージは「ゼン」や「ワビサビ」よりはよほど現実の僕たちの生活に近いものなのだ。そういう意味でようやっとアメリカ人と日本人は対等になった、とも言える。
◆アイデアの宝庫「日本製アニメ」
「いやいや、日本とアメリカの文化交流はとっくに始まっているじゃないか」とおっしゃる方がいらっしゃるかもしれない。「現に、ハリウッド映画の中にも明らかに日本アニメの影響が色濃く見受けられる」
確かに日本アニメの影響と思われる部分はあらゆるところから見つけだせる。が、それはアメリカ人と日本人が対等の関係で影響し合ったからではない。
例えばJ・キャメロン監督の「エイリアン2」は日本の特撮・アニメのイメージ博覧会だ。同作品のスラコ号ドロップシップがミサイルポッドを開くシーンは東映映画「宇宙からのメッセージ」でリアベ号が両翼を広げて戦闘機が発進するシーンと異常に似ている。いや、そっくりなのだ。また、パワーローダーの格闘シーンは「機動戦士ガンダム」。
「ロボコップ」は東映の「宇宙刑事シリーズ」のアイデア、イメージそのままだ。日本でこういうことが取りざたされるたびに、実は僕は素直に喜んでいた。憧れのハリウッドが、日本の作品を見ていてくれていたのだ。しかもおもしろがって、作品内でも使っている。アニメや特撮も世界に通用するようになった、という気持ちだった。が、今では決してそんな風には思えなくなっている。
それは「ライオンキング」事件がきっかけだ。あの作品は日本人なら誰だって手塚治虫の「ジャングル大帝だ」と言うほど似ている。どう見ても言い逃れのしようがない。原作はジャングル大帝と言うしかない。僕はそれ自体全く問題がないと思う。原作ものだって、原作以上におもしろい作品は山ほどある。だいたいクリエイティブという作業自体、結局は今までの作品や手法を組み合わせることなのだから、良い部分はむしろ積極的にパクるべきだと考えている。それこそが文化の発展を促すのだ。
が、僕が問題にしたいのは、ディズニープロがそのことを全面否定していることである。あそこまで似ているのにだ。別に問題はない筈だ。ディズニーの担当一人が日本に来て、原作権をとればいいだけなのだから。日本側がそれを断るとも思えない。なぜそれをしないのか? 答えはただ一つ。ディズニープロは日本のアニメなんか「作品」とは思ってないからだ。ただの「材料」なのだ。
先ほど説明したジャパニメーションを思い出してほしい。自分が本当におもしろいと思う一つの完成された作品をズタズタに編集して作りなおす、ということができるはずがない。彼らは日本のアニメなんて「作品」とも思ってなかった。単にアメリカの子ども番組をつくるための映像「素材」にすぎなかったのだ。だから放送コードだの言葉だのと言う不可抗力の部分と全く無関係の部分であっても、オリジナルを尊重してなんて夢にも考えなかった。チョキチョキ切り刻んで、自分たちの名前だけをクレジットしたのだ。
◆搾取されて喜んだ私たち
ライオンキングも同じだ。彼らにとってはアイデアや設定を利用してあげただけだ。だから無関係だと言い張れるのだ。他人が汗水たらしてつくったものを自分たちのものだという顔をして取り上げることを「搾取」という。僕たちは明らかに搾取されているのだ。それは「ジャングル大帝」がアメリカ人にとって面白さが判らないためではない。単に日本人なんかがつくった作品だからだ。そこには圧倒的な差別意識が存在している。それに対して搾取するな、差別するな、と倫理的に抗議するつもりはない。この社会、弱肉強食は当たり前だ。が、せめて搾取してくれた、と喜ぶことだけはやめようと思う。今後こういうことは増える一方だろう。が、私たちは農奴ではない。王様がわが家の野菜を勝手にたくさんとっていったからと言って、きっととてもおいしいからだ、と喜ぶのはやめよう。 今公開中の「ウォーターワールド」だってどう見たって「未来少年コナン」のパクリだ。ヒロインに口移しに空気を与えるわ、ケビン・コスナーは足で舵を取るわ。もちろん日本側に何の挨拶もなしだ。これがハリウッドのやり方なんだろう。
◆OTAKU文化は国境を越える
しかし僕は、アメリカで会ったオタクたちに望みをつなぎたいと思っている。彼らがアメリカで作品をつくり始めたとき、初めて「日本のアニメに影響を受けた」「日本のアニメはすばらしい」という言葉が公けに聞けるようになるだろう、と思うからだ。そうなって初めて、日本はアメリカと本当のつきあいができるようになるだろう。
かつて、日本文化がヨーロッパに多大な影響を与えた時期があった。歌麻呂や広重といった日本人の名前がヨーロッパで尊敬を込めて呼ばれた、150年程前のことである。浮世絵の影響を受けたゴッホやルノアールは浮世絵の熱心なコレクターであり、愛好家でもあった。彼らが多くの人々に浮世絵の魅力を語ったことはよく知られている。それが印象派やアールヌーボー様式の誕生につながった。これと同様に、日本製のアニメやゲームといったオタク文化が世界の文化様式を変える日がもうすぐ来る、と妄想している。
解題:
最初、編集部からの注文は「押井守論を書いてくれ」だった。「攻殻機動隊、ボロクソにいいますよ」と予告すると、「では、総論をお願いします」となって、結局押井論は村上隆氏に廻った。この原稿は編集部でもウケがよく、「キネ旬始まって以来の分かりやすい内容」と喜ばれた。押井守氏も気に入ったとのこと。押井氏は自分のアニメが「海外で評価されている」などの不当な宣伝を快く思っていないらしい。
文中の「海外版ヤマト」に関しては、岡田の勘違いの可能性が高い。ヤマト研究家の方から「そのような内容のヤマトが米国で放映された、という話は知らない」というメールを受け取って、現在も調査中。(96/06/30)
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