| マスコミがオウムで大騒ぎし始めた頃、言論界はまっぷたつに割れた。片方の主張は「いいぞがんばれ<生ぬるい<死刑だ」、もう片方は「ちょっと待った<不当検挙だ<権力のマインドコントロール」。 この二つを僕は「平成右翼」「平成左翼」と名付けた。もともと左翼、右翼というのは日米安全保障条約に反対する人たちが左翼、その左翼に反対するのが右翼だった。このシンプルな定義は一水会代表の鈴木邦男氏から聞いたものだ。 そう考えると、警察、国のオウムに対するやり方に反対するのが平成左翼、平成左翼に反対するのが平成右翼という構図がはっきりする。 平成左翼の特徴は個人主義、自由主義だ。国や権力を疑い、常に否定する。 平成右翼の特徴は「平成左翼が大嫌い」だ。主張は当然、「個人の権利制限」「国家の威信復権」になってしまう。 オウムによる言論界の特需によって、この論争、当初は双方燃えに燃えた。しかし今、冷静になって状況を見るとはっきりと勝敗が見える。平成右翼側の圧勝だ。もちろん結果的にオウムの犯罪証拠が次々と立証された、と言うこともあるがそれだけではない。どうもオウム事件をキッカケに言論の主導権が平成左翼から平成右翼へ、つまり「自由の制限」へぐっと傾いた気がするのだ。 オウム事件以前は確かに左翼的思想が主流派だった。日本国よりも個人の自由が圧倒的に優先された。ブルセラショップの女子高生たちにも、多発するイジメ事件や自殺に対しても親や大人たちは咎める言葉を持てなかったほどだ。 「誰にも迷惑をかけていない」この言葉に反論できるロジックは左翼的思想にはない。個人の自由を優先すると、どうも説得力のある説教が出来ない。咎めるべき大人や親は安保で国家権力や権威を否定し続けた団塊の世代だ。無理もない。 が、さすがにどうにも「自由」だけではやりきれないとみんながうすうす感じ出したときに起こったのがオウム事件だった。この事件は「個人の自由」ばかりに気を取られて国が権力を行使できないと、大変な目に遭う、という認識をみんなに植え付けた。 オウム事件からこっち、住専問題や薬害AIDS問題などが表面化するにつれて、マスコミをはじめとする世論の方向は「国家や官僚は正しくあれ」、の方角に向かいつつある。それまでの「国家・権力否定(オレたちに国なんか関係ないさ)」から「国家・権力肯定(国がちゃんとしてくれなくっちゃ)」へと言論トレンドは一気に移ったのだ。 この右翼・左翼の逆転は、歴史上シーソーのように何度も繰り返されてきた現象だ。左翼思想が主流の時は右翼思想が「そうとは限らない」と異を唱える。それによって左翼思想が揺らぎ出すと、ますます激しく批判する。そんなうちにいつの間にか異を唱えていたはずの右翼思想が主流になってしまう。今度は右翼思想に左翼思想が異を唱える、という構図になる。 僕はこの反主流派が異を唱えることを「ツッコミ」、主流派がツッコまれて揺れることを「ボケ」と呼んでいる。ボケとツッコミは、時代の流れにつれて何度も入れ替わっている。まるで全盛期の「やすし・きよし」のマンザイだ。 戦前は「日本は大東亜共栄圏を築いてアジアを導かねばならない」が主流の思想だった。最初の頃は「個人の幸せは?」というツッコミも入ったが、やがてツッコめる人もいなくなって戦争に突入してしまった。 戦後はボケとツッコミは逆転して「個人の自由・幸せ最優先」が主流の考え方になった。「日本の国はこうするべきだ」といった全体主義的な考え方はすっかり影を潜めてしまい、ODAや海外派兵ですら「おつき合いで仕方なく」という捉え方だったのだ。 そこへ起こったオウム事件。待ってましたと全体主義から「ほら見ろ、個人の自由なんか野放図に認めるからだ」という鋭いツッコミが入ったわけだ。 これからしばらくは傾いたシーソーの勢いで「日本の国はこうあるべきだ、こうするべきだ」といった考え方が主流になるだろう。 後で考えると「ちょっと行き過ぎだったかな」、と思うほど傾くかも知れない。ちょうど真ん中でバランスよく考えられればいいのだが、そうもいかないのが人間だ。 シーソーと同じで「行きすぎて、ぶつかって、その反動でまた戻る」、が歴史の宿命だ。 平成右翼と平成左翼も同じように動きながらバランスを取っているのだろう。世界にボケとツッコミが存在していれば、戦争になることも失業者が街を埋め尽くすこともないまあまあ穏健な状態なのだ。 コワイのはどちらか片方に傾きすぎて、誰もツッコめなくなったときだ。それにだけは気をつけたい。 |