小学館文庫BANANA FISH ANOTHER STORY解説文
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 『バナナフィッシュ』は誰もが疑いようもない名作だ。ラストではアッシュが開放され、この解説が載る番外編では、その後のエピローグが情緒豊かに描かれている。しみじみと「ああ、終わったんだなぁ」と感慨に浸ることもできる。
 連載時には「どうしてアッシュを殺してしまうの?!」といった熱い意見も、ファンの間で多かっただろう。しかし文庫版で読み返した今、「やはりこの終わり方しかない。アッシュも幸せな気分の中で死ねて本当に良かった。こういうのも、ハッピーエンドかも」などと思っている人も多いのではないだろうか。
 が、ここで安心してはいけない。
 マンガ界やアニメ界には思わぬ落とし穴が待ち受けている。それは「続編」という名前でやってくる。
 吉田秋生先生が、『バナナフィッシュ』の続編を描くわけがない、と考えているだろう。が、君達はまだ若い。「この作品だけは、続編など描かれない。描ける訳がない、描いては前作が台無しになる」と考えられていた過去の名作のいかに多くが、続編と言う名前で描き続けられたことか。
 僕はイヤと言うほど見てきたのだ。
 例えば『巨人の星』。これは、僕の世代では、君たちの『バナナフィッシュ』に匹敵する青春のメモリーだ。ラストは、幼い頃から父を越えろとしごき上げられた主人公・星飛馬が、彼の投手生命である左腕と引き替えに、野球史を塗り替える魔球・大リーグボール3号を完成させ、パーフェクトゲームを達成。それっきり世間から姿を消し伝説となる、というものだ。さすが、名作中の名作、大感動、涙、涙のラストだった。
 この名作に、続編が作られてしまったのだ。しかも、始まり方は、実は星飛馬は右利きだった、というマヌケなものだった。
 オレ達の感動って何だったの?
 『デビルマン』も、大感動のラストだった。人類とデーモンの最終戦争で、たった一人生き残ったサタン・飛鳥了が、主人公デビルマン・不動明の死体に優しく語りかけるという感動と震撼のラスト。これが、のち『バイオレンスジャック』として蘇ってしまう。しかも、夢落ち。バイオレンスジャックのストーリー自体が、一人残されて寂しがっている飛鳥了の夢だったというオチだったのだ。
 オレ達の感動は(以下略)
 他にも枚挙にいとまがない。『宇宙戦艦ヤマト』『エースをねらえ』『2001年宇宙の旅』『機動戦士ガンダム』『ブレードランナー』。
 作品が名作であればあるほど、ラストが感動的であればあるほど、続編は作られ、結果的に僕達の感動を裏切ってくれるのだ。
 だけど『バナナフィッシュ』は完全に終わっている。この本に収録されている『光の庭』でも、英二やシンが「アッシュが死んで7年」と言ってるじゃないか。続編が作れるわけがない!と考えるかも知れない。が、君たちはまだ若い。続編の落とし穴は、あらゆる理屈をくぐりぬけるのだ。
 ではここで、君たちの為に、少し解説してみよう。
 続編には3種類ある。
 A)番外編や、サイドストーリー
 B)別人編
 C)実は生きてた編
このうち、A)はこの本のような、本編の感動を裏切らない、余韻を楽しめるものだ。ファンにとっては、思いがけないオマケの楽しさにあたる。
 問題はB)とC)だ。
 盲点なのはB)だろう。
 突然、アッシュとそっくりな人物がニューヨークのダウンタウンに現れる。騒然とするストリートキッズ達。だが別人。英二やシンは驚きつきまとう。そっくりさんは、どこへ行っても比べられたり、いきなり襲われたり、慕われたりでうんざり。おれはアッシュとは別人だ!と反発。そんなところへ、ホワイトハウスがバナナフィッシュの調査に乗り出す。残った人物をしらみつぶしに調べ上げ、しめあげて、データを収集しようというのだ。当然狙われる、そっくりさん。運命やいかに!
 そっくりさんが、なぜ似ているかは、いくらでもあとで説明がつく。実は双子だった。異母兄弟だった。アッシュの隠し子だったなんていうのも、OKだ。「理屈と膏薬は、どこにでもつく」という諺を甘く見てはいけない。
 が、何と言ってもダメージが大きいのは、C)実は生きていた編、だ。
 実際に、骨になって焼けるところを見てすら、本当に死んだかどうかは疑わしい。その骨は別人かも知れない。油断大敵だ。
 ラスト直後のコマでは、死ぬ直前に改心したシンの兄が呼んだ救急車が来ているかも知れない。そうして、いつもの医者が感心するタフさで、アッシュは生き延びたかも知れないのだ。
 そして、彼は表向き死んだことにされ、知り合いからは引き離され、軍の殺人マシンとして生まれ変わり、湾岸戦争で大活躍したかも知れないのだ。で、再登場シーン。過去の記憶を消されれ、人間の心を無くし、ものすごく強くなったアッシュが、一撃でブランカを倒すというところから始まるかもしれない。「前作で最大の敵を、一撃で倒す」、これは続編の定番だ。
 考えても見てくれ。コルシカ人財団は、マンハッタン計画(第二次大戦の原爆製造計画)以来の可能性を持つ兵器として、バナナフィッシュを開発したのだ。バックアップしていたのはアメリカ政府。国の命運が懸かっている。アッシュやゴルツィネが死んだり、研究所が焼けたくらいで諦めるわけはない。
 ニューズウィークだって黙ってはいないだろう。今世紀最後の特ダネだ。あの事件の後、大々的にキャンペーンを張り、大統領の一人や二人交代してるに違いない。そこに新たな陰謀は発生する。
 そう、物語はいくらでも転がり続け、理屈と膏薬はどこにでもつくのだ。
 いや、こんなことを書いたからといって誤解しないでくれ。別に僕は続編を望んでいるワケじゃない。
 「厄落とし」という言葉がある。あらかじめ縁起の悪いことを自分で言ったりやったりして、本当にそんなことが起こらないように祈る、という古人の知恵だ。
 「ひょっとして、こんな続編が」
 「あ、こうやったらアッシュは生き返れる」
 こういうコワいことをあらかじめ考えておきさえすれば、続編なんて生まれないに違いない。キリマンジャロの頂上のヒョウを生き返らせようなんて、悪趣味なだけだ。
 『バナナフィッシュ』は終わった。だからもう一度、最初から読み直してみようか。





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