週刊金曜日掲載原稿
ン1996-1997.Toshio OKADA all right reserved.
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自由洗脳競争社会

 「オタク」は今や世界共通語だ。今、米国では毎月どこかの大都市でオタクのためのコンベンションが開かれている。その多くに僕は招待され、「センセイ、オカダ」と呼ばれている。世界一マニアックなアニメやゲームを作ってきた僕に対して業界(アニメやマンガやゲーム、といったオタク業界)が僕につけたあだ名は「オタキング」、つまりキング・オブ・オタクだからだ。
 そこで僕は「アメリカのアニメファンをどう思うか?」と聞かれた。
「まだまだ作品を見ているだけだ。日本なら自分なりにクリエイティブな活動として同人誌を作ったりする」と答えると、1時間後には「同人誌を作るためのディスカッション」が大会議室で始まっている。翌日にはそのレポートを持って「センセイ、オカダ」に報告に来る。僕は「例えば」と言ったつもりだが、彼らは真剣だ。僕はマジで「王様」なのだ。
 だから彼らは日本人の僕に何をすればいいのか、どう考えればいいのか聞きたがる。僕の「アメリカ人像」はガタガタに崩れた。
 この状況は日本でも同じだ。僕のように、あるジャンルの中でその価値観を決めている「王様」がどんどん増えつつある。オタク業界にも僕以外にマンガの王様やゲームの王様がいる。だから誰と誰を王様と崇めるかが「自分らしさ」の表現であり「自分というのはこんな奴だ」という自我の確認に繋がる。
 今の世の中、王様が見つからない奴は不幸だ。東大生から聞ける愚痴もこんな感じだ。「自分は何が好きなのか判らない」「何か好きになるにも、キッカケがない」「オウムの信者すら、羨ましくなるときがある」
 とにかく何かを面白がれる人、夢中になれる人は尊敬の対象だ。オタク界の中だけでも情報は氾濫している。新作アニメや次世代ゲーム機、マンガの新連載といった情報の他、見るべき昔の作品が次々と復刻される。それを紹介する雑誌も山盛りだ。とにかくたくさんありすぎて、本当に面白いものが判らない。
 バブル時代にはお金が余っていた。だから「どうやってお金を使うか」というマニュアル文化が生まれた。モテるから、なんてのは表向きの理由。本質は「いったいお金ってどうやって使うの?」という文化だったのだ。
 情報が溢れる今は、その情報(社会事件やオタク作品も要するに情報だ)の使い方、すなわち楽しみ方や受け取り方を教えてくれる人がヒーローだ。つまり個性ある人物が独断で「情報の解釈」をすれば、そんな人の周りにはその価値観を求めるグループができる。
 僕は、自分なりの価値観を伝える人を「洗脳生産者」、価値観を探す人を「洗脳消費者」と名付けた。洗脳消費者は自分の意志で複数の洗脳生産者を選ぶ。たった一つの価値観、ただ一人の王様しか持たない人は、他人の価値観に対して寛容になれないからだ。それがこの世界に蔓延する対立や内乱の正体だ。それら複数の価値観をコーディネートすることが「個性」なのだ。
 商品が溢れる消費社会では、良いモノを選び、メーカーの不当な表示や利益に対しても抗議するのが立派な消費者だ。同様に「価値観」が溢れる価値消費社会(僕は「自由洗脳競争社会」と名付けた)では自分にフィットした価値観、他人に納得して貰える性能のいい価値観が、良い洗脳商品だ。そして洗脳生産者が発信する発言や行動を、その価値観に合致しているかを常に見定めるのが立派な洗脳消費者の態度だ。これは『ぼくたちの洗脳社会』(朝日新聞社刊)に詳しく書いた。
 この『週刊金曜日』も、ちゃんと一つの価値観に貫かれている。これからの自由洗脳競争社会のニーズにも合致する立派な商品だ。
 でも、読者のあなたは大丈夫だろうか?『週刊金曜日』的な価値観以外の「王様」をいくつか持ってますか?社会問題や政治、経済の他に興味を持ったり楽しんだりしていることは、ちゃんとありますよね?




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