16日(日)
コミケの最終〆切だけど、原稿なんかどこにもない。当日、謝るしかないけど、とりあえずコピー一枚のパンフだけでも作ろう。
17日(月)
インフルエンザ、ようやっと治る。来年からはあらかじめ予防注射を打つぞ、と決意する。
19日(水)
立教大で最後の授業。
20日(木)
今日は、歌舞伎について、ちょっと考えてみた。
歌舞伎についてというより、歌舞伎ファンの考え方について。なんとなく、前々から気になっていた、歌舞伎ファンっていう存在が。
で、それを説明するには、ちょっとまどろっこしいけど、歌舞伎に関してから考え始めなきゃいけない。
歌舞伎は、一つの演目が20人から50人の登場人物で構成されている。そのうち、見せ場があったり、せりふがたくさんある中心人物は10人ほど。これらの役を演じる役者は、すべて世襲制なのだ。
本人に才能があるないは関係ない。どんなに才能があっても、その血筋でない者は一生、端役しかできない。逆に、その家の跡取に生まれさえしたら、どんに才能がなくても歌舞伎役者になると決められ、練習させられ、三歳で初舞台を踏む。
論理的に考えればわかることだが、歌舞伎役者の家に生まれたからといって、かならず歌舞伎の才能があるはずはない。
いくら小さいころから練習しても、限界はある。
血筋と環境で何とかなるなら、野球選手の子供はみな、野球選手になっているはずだ。長嶋親子の例をあげるまでもない。実際には親子とも選手ということすら難しいのだ。林家三平とこぶ平を見ても、差は歴然としている。「芸」は遺伝しない。これが当たり前の、冷徹な事実だ。もし才能が確実に遺伝するなら、日本の伝統的なスポーツ「相撲」は、世襲制のように見えるはずだ。
どんなに伝統を重んじる世界であっても、実力の差が明確になる世界では、世襲制はありえない。
言いかえれば、世襲制である限り、実力は必ずないがしろにされるということだ。何代も世襲制が続いている歌舞伎や能、狂言の世界では、才能のある人が主役をやっている可能性はほとんどないと言える。
はっきり言ってしまおう。
歌舞伎は、上手な役者が主役を演じているわけではない。
たいして上手くもない役者が、主役を演じているのだ。
だからおもしろくなくても当然なのだ。
僕たちは、歌舞伎は伝統芸能で、昔のメディアだからおもしろくないのだと思っている。でも、主役クラスの役者が下手だからおもしろくない、という要素も、大きく影響しているに違いないのだ。
才能のない人間が跡取りになって、そいつが次の世代に芸を教えても、それはダビングを重ねたビデオテープのようなものだ。元の素晴らしさはどんどん失われ続ける。
そこはそれ、「それでも日本が世界に誇る伝統芸能だから、守るべきだ」と考えて、お客様がガマンして見ているのなら、別にかまわない。そういう心もわからなくはない。絶滅寸前の動物を守るように、絶滅寸前の芸術も守るのも、立派な行為だと思う。
絶滅寸前の動物は、かわいいとか、かっこいいとか、役に立つとかに関係なく、絶滅寸前という理由で守られる。多少、不自然な形でも、種を守ることのみに主眼がおかれる。
茶道や華道にとって、伝統で引き継がれてきた「形」が大切なのと同じことだ。画期的な才能は歓迎されない。ずば抜けた才能も必要ない。そのままの「形」を守ることを大切にする。当然、現在の華道や茶道には、メジャーな客層を感動させるほどの美は存在しない。それでもいいのだ。
伝統を守るためには、自由競争の波にさらしてはいけない。波から守るシステムが必要なのだ。
大切なのは、それがまだ、生き残っていること。
だから、歌舞伎の役者が世襲なのも、その結果、下手なのも、仕方ないことだと思う。
と、ここまで納得している僕が不思議なのは、そんな歌舞伎や能を鑑賞するファンが、そうは考えていないらしいことだ。
「やはり厳しい芸の世界」とか「動かぬはずの能面が、いいようのない悲しみを映し」とか。なんだか、崇高な芸術扱いなのだ。
確かに歌舞伎や能は、見る人に教養を要求する。その要求レベルが異常に高い。百人に一人もわかればいい、というレベルだ。
これはいけない。
僕が書いているくだらない文章だって、百人のうち五十人にはわかってもらおう、おもしろがってもらおうと考えて書いている。これが百人に一人でいいなら、実は表現者にとってはすごく楽だ。自分の世代にだけ伝わる言い回しや常識、知識を使っていいし、内輪受けのネタも使える。
百人に一人で構わない、というのは、表現者を堕落させる姿勢なのだ。
ところが、そういう表現者を堕落させる部分も、歌舞伎ファンはOKらしい。
なぜ?人間ってフシギだ。
歌舞伎ファンは、役者の世襲制はOKと言う。伝統芸能だから、伝統を守るためには世襲が一番だという。にもかかわらず、いやいや、芸がすばらしいという。
すばらしいはず、ないでしょ?世襲制なんだから。
理解させようという努力もないんだから。
例えば、歌舞伎のせりふって、よく聞きとれない。
でも、あれって古い日本の言葉だからってわけだけじゃない。
もっと声量ゆたかな人が、きちんと発音の練習もして演じれば、聞きとれるはずなんだ。実際に、一流の声楽家に演じさせてみれば、わかる。
歌舞伎で有名な、六法。あれも、ダンス大会の優勝者が演じたら、もっとすごいんじゃないかな。足ももっとあがって、静止位置も高いし、空中でとまっているように見えることも可能だろう。本来の演出意図も、誰が見てもわかるほど明確になるんじゃないかな。
スポーツ選手やバレーダンサーなんかを見ればわかるけど、超一流の人間の身体能力、表現能力って、普通の人間の創造をはるかに超えるものがある。
そういう強烈な才能で演じたら、実は歌舞伎って、もっともっとエキサイティングなメディアなのではと思う。
多分、歌舞伎や能の創世記は、そういう圧倒的な才能を持つ人が演じていたんだと思う。だからこそ、大ヒットしたんだ。
歌舞伎は昔、面白かった。それは才能のある役者が観客と勝負していたから。
歌舞伎は今、おなじみさんしか見に行かない。なぜかというと、才能のない役者が観客に甘えているから。
今の歌舞伎を、江戸時代のお客さんの前で演じても、喜ばないと思う。
こんな当たり前の理屈を、なぜ歌舞伎ファンの人は認めようとしないんだろう。
ほんとに歌舞伎が好きなら、歌舞伎の何が好きなのか、中身なのか、パッケージなのか、よく考えたほうが良い。もし「中身がおもしろいんだ」と言うのなら、伝統を守るのではない、別のアプローチを提唱するのもアリだと思うんだけどね。
26日(水)
事務所のクリスマス飾り付け、今年はさんざん悩んだけどキリンのぬいぐるみにサンタ帽をかぶせるという案に決定。高さ2メートル以上ある巨大なぬいぐるみで、冬季には胴体をコート掛けとして利用しているけど、あんがい似合うなぁ。
学校が冬休みに入ったので、静を連れてマンガ喫茶へ行く。自分では絶対に買わないようなマンガ(『ラーメン発見伝』とか『食キング』などのグルメもの)を読みふける。
27日(木)
コミケ用お詫びペーパーの原稿と、未来玩具の打ち合わせ。今年は29日まで原稿書いて、30日まで働かなきゃいけない。昼は仕出しの弁当食べて、午後から大机の片づけ。我が社の大掃除といえばこれだけである。気楽だねぇ。
徹夜で未来玩具の原稿を仕上げる。唐沢俊一さんの日記を読んでいると、多い日には一日に4本ぐらい原稿をあげてらっしゃる。なんでこんなに仕上げ分量に差が出るのか。「量は質を作る」が持論の僕としては、来年こそ多作になりたい、とここだけで決意する。
28日(金)
深夜に出来た原稿を持って、デザイナーの水谷さるころさんと打ち合わせ。彼女は毎回の原稿(の面白さ)にすごくシビアな人で、打ち合わせ中にクスリとも笑わなければ、その回はムニャムニャな出来、ということなのだ。今回はクスクス程度は笑ってくれたからよしとしよう。
29日(土)
今日からコミケ。和美がガイナックスの企業ブースで売り子するため、娘の昼食を作ったり、明日の準備などで一日が終わる。事務所の机もおおかた片づいた。柳瀬君から「明日くばるペーパー、何部刷りますか?」と電話があったので「二〇〇〇部!」と力強く答える。謝るときこそ、コソコソせずにどーんと行こうぜ!
30日(日)
冬コミ本番。今回ぼくは予定していた同人誌を落としてしまったので、お詫びのペーパーを配ってひたすらあやまる。ブース前に「あれ、ここが岡田斗司夫のサークルかな?」という人が来るたびに「はいはい、岡田斗司夫のサークルは予定していた同人誌を落としました。ただいまお詫びのペーパーを配っています。お一人様何部でもお持ちください」と声をかけて持っていってもらう。
はっきり言ってミジメである。次回こそ落とさないぞ、と決意も新たにしていると来やがった、セバスチャンだ。
年末の『世界まるごとTV特捜部』でも紹介された、フランスいち、いやヨーロッパでも(悪い意味で)ナンバーワンの、(悪い意味で)オタクである。しかし男子三日逢わざれば刮目すべし、いつのまにか日本語がペラペラになっている!声優の名前も「林原めぐみ」と正しく発音してる!
「イマ、世界中ニおたくトモダチ、イッパイイマス。ろしあノいつきチャン…」
「ちょっと待て、お前例の『氷点下20度で大学さぼってプレステに興じる、あのイツキちゃん』とも知り合いか!」
「ハーイ」とイクラちゃんみたいな返事をして、さらに続けるには「イマ、一番スゴイおたくハ、ちりニ住ンデイマス」
チリ!あのアルゼンチンの近所の。そんなとこにもオタクが!
…もういい。今日は帰る。二〇〇〇枚も配り終えたし、今年はもうオタクはたくさんだ…。
31日(月)
朝から吉祥寺の駅前映画館で『ハリーポッターと賢者の石』の行列に並ぶ。会場が九時半・上映開始が一〇時過ぎなのに、八時には長蛇の列。八時一五分に到着した僕は「前列しか空いてませんが」と確認された。一人で映画館に入って、三人分の席を取ってコーヒーを飲んでいると、やっと和美と静が到着。僕一人が離れた席だけど、とにかく座って見れるだけでもありがたい。
内容?『ホームアローン』の監督だから内容を問うてもしかたないのだけど、これが原作の「動く設定集」と考えると、とんでもないレベルの高さだ。ダイアゴン横町へ入るときの煉瓦の動きや、クイデッチ試合前の静寂〜空中戦の高揚感など、とにかく見せる画作りが素晴らしい。
年末なのでどこも混んでるだろうと昼食はデニーズで済ませて、夕食のしゃぶしゃぶを準備して帰る。
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