岡田斗司夫のオタク日記
2002年4月1日〜4月15日
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4月 その1


1日(月)

 夕方から新宿ロフトプラスワンで今年初のオタク・アミーゴス公演。今夜と明日の連続二夜で、今日は「ネタ編」である。唐沢さんも眠田さんも僕の事故を知らなかったので、三角巾で吊った右腕を見て相当に驚いていた。開演前に牛丼を食べる。「やたら腹が減って」とイイワケすると唐沢さんに「怪我の治りかけはそんなもんです」と教えてもらう。しかし公演本番中にカレーまで(舞台上で!)喰ってしまい、いったい僕は壊れてしまったのだろうか。
 明日は朝から娘と映画を見るので、打ち上げはやめて帰宅。


2日(火)

 朝イチの『ロード・オブ・ザ・リング』を見る。和美と静が寝ているうちに吉祥寺の映画館に並んだらほとんど先頭。昨年末のハリポタ騒動の印象があったため、開演2時間前から並んだら早すぎたみたい。
 娘と映画を見るときは吹き替え版にしてるんだけど、やっぱ字幕見なくていいのはストレスがないなぁ。
 夕方になると今日も新宿へ出勤。歌舞伎町のど真ん中、ロフトプラスワンでアミーゴス公演「フリートーク編」だ。完全なフリートークにしてしまうと場がダレるので、大判のスケッチブックに「老後」「人生最後のネタ」などとキーワードを書き込んで、これを壇上でみせながら進行する。『ごきげんよう』の「なにが出るかな」サイコロと同じだけど、不思議とこういう準備をキチンとしたほうがフリートークというのは盛り上がる。


 イベント後、打ち上げでまた大量に炭水化物&コレステロール価の高そうなものをむさぼり食う。


3日(水)

 さすがにバテて寝る。起きたら夕方近く、驚いた。


4日(木)

文春の田中さんと和美を交えて打ち合わせ。「いま、どこで詰まっているか」「次回までに準備できるのはなにか」などを話す。次の打ち合わせは一ヶ月後、それまでに年表を作るためのカードを準備します、と約束した。


5日(金)

 夕食が終わってネットを見ていると柳瀬君から電話。明日の朝までに日記をあげてくれ、とのこと。一度寝てから事務所で作業。最近、2ちゃんねるオカルト板で「吉祥寺の怖い話」とか読んでいるので、深夜に一人で吉祥寺を歩くのが怖いなぁ。


6日(土)

 4月からWOWOWで「ザ・シンプソンズ」の新シリーズが始まる。いまやシンプソンズにはまりまくりの僕は、それを見たいがためだけにデコーダーを買って契約してしまった。柳瀬君に休日出勤して明日のオンエア録画の準備をしてもらう。


7日(日)

 「ザ・シンプソンズ」新シリーズを見る。あー、今回はハズレだったな。ちょっとがっかり。来週に期待しようっと。


8日(月)

 慶応の高等部は「○のも○たの次男」がクラスを牛耳っている、というタレコミ情報がメールで来た。こんなの、自分では確認も出来ないので、伏せ字でお届けします。
 午後から自由国民社の一柳さん来社。「現代用語の基礎知識」のマンガ欄執筆を依頼される。引き受けたら10年は続けなければいけないようなマジメな仕事なので辞退させていただき、鶴岡法斎さんを推薦した。「一年間のマンガ状況全体を観察して位置づける」という仕事は彼ぐらいの若い人にやらせた方が面白いもんな。


9日(火)

 今日は静の入学式だけど「パパは無用」と言われたので、ありがたくさぼらせていただく。先月の小学校卒業式での「相田みつをに失笑事件」が尾をひいてるみたい。


10日(水)

 なんかどっと疲れた。
 いや、鬱になっている。
 それも数年ぶりの大型鬱だ。
 取材や面談を数件キャンセルして、寝る。


11日(木)

 起きあがれない。そろそろ3月前半の日記をまとめないとヤバい、と頭でわかっていても動けない。キーボードに向かわずに「原稿を落として、土居編集長から連載打ち切りを言い渡されて、柳瀬君にイイワケできなくて」などと考えても意味のないけど鬱の時には抜け出せないようなループに落ち込む。


12日(金)

 逃避でネットを覗いていたら「惑星開発委員会」というサイトを見つけた。

http://members.tripod.co.jp/toumyoujisourin/rvtop.htm

 惑星開発大辞典コーナーに僕の名前もあったので掲示板に挨拶したら、さっそく管理者の方からメールをいただく。
 返事で「なぜ岡田斗司夫は作家を自称しているのか、については次の日記で答えましょう」と約束してしまうけど、なんでオレは仕事でもないところで働こうとするのか。とほほ。


13日(土)

 原稿も書かずに逃避。ネットでQuickTimeのサイトを見つけると、そこには最新映画の予告編がいくらでも見れる。

http://www.apple.com/trailers/

 一番ウケたのは『13日の金曜日』の十作目、『ジェイソンX』の予告編だ。「時は西暦2455年、未来の人類が冷凍されていたジェイソンを見つけだし、という内容。もちろんトレードマークのアイスホッケーマスクはかぶったまま。と思ったら予告編最後ではなんか未来的マスクかぶってるヨお母さん!


14日(日)

 「なぜ岡田斗司夫は『作家』を自称するのか?」について考えてみた。前々からちゃんと説明しようと思っていたけど、つい面倒なのでさぼっていたら、「惑星開発委員会」のサイトにも「本人は(ギャグで?)「作家」と名乗っているが」と書かれちゃったので、キチンと説明してみよう。
 『BSマンガ夜話』の自己紹介では「作家の岡田斗司夫です」と言うことにしている。それを聞くと、いしかわじゅんさんは、「作家なんて大げさな。えらそうに」などとツッコミを入れる。彼自身はマンガ評論家、と紹介されると「違うよ、漫画家だよ。ちゃんと描いてるよ」と反論するので、きっといしかわさんの中では作家〉評論家という上下関係があるんだろう。
 いや、いしかわさんだけでなく、世間一般の人はたいてい「作家」は偉い、と思っているらしい。そして「言葉」というのは、世間一般の用法や解釈を前提にしなければ意味はない、と僕も思う。しかし。しかし、だ。なにが困ったかといって、僕自身は自分の言葉の定義や解釈に恐ろしく頑固だ。僕には僕なりの「作家」の定義があって、それによると僕は「作家」であって、「ライター」ではない。これを主張することで、いかに世間から笑われようが呆れられようが、この「自分定義の言葉」だけは譲れないのだ。
 僕は、自分の使う言葉に、特別のニュアンスを入れて語ることが多い。例えば『ぼくたちの洗脳社会』の時の『洗脳』という言葉。
 センセーショナルで否定的なニュアンスで使われがちなこの言葉だが、人類の歴史は洗脳の歴史なのだ。為政者たちが被支配階級を洗脳し、従わせる。その流れそのものが歴史を形作っている。コミュニケーションの本質的な目的が『意思の伝達』ではなく『意図の強制』なのだから、人類の歴史が洗脳の歴史であることは、僕にとっては当たり前の事実でしかない。
 …と、単行本一冊を使って丁寧に説明すると納得もしてくれようが、表紙や題名だけで著書を判断されたら誤解されて当たり前だ。
 『作家』という言葉も、僕なりのニュアンスがある。僕がはじめて、自分の肩書きを強く意識したのは、『オタク学入門』の担当編集者、落合さんの口グセからだった。
「岡田さん、ライターのままでいて下さいね。作家にならないでくださいね」 
 初めて聞いたときは、「作家になんかなりませんよ。僕、小説は書かないですから」と答えた。が、彼女の言う作家というのは、小説家ではないという。
「私たち編集の注文で文章を書くのがライター、私たちの注文とは関係なく、自分の書きたいことを書くのが作家」なのだ。落合さんは続けた。
「編集者は、どんな本が売れるか、わかっているんです。だからその編集者がライターに文章を発注したら、それは売れて当然です。売れなきゃ編集者の責任です。しかし、作家は違います。売れるも売れないも本人だけの責任です。たとえ売れても、たまたま時代に合っていたからという偶然かも知れない。確実に売れる本は、編集とライターというシステムから生み出されるのです。岡田さんは作家にならないでください。一緒に売れる本を出しましょうよ」
 これを聞いて、僕は一も二もなく賛成した。
 僕は、自分の書いた本がちゃんと売れてほしかった。より多くの読者に読んでほしかったし、喜ばれたかったし、お金だって稼ぎたかった。
 「でも」と彼女は言う。「たいてい、良いライターは人気が出ると、作家になりたがってしまうんです。岡田さんはどんなに人気が出てもライターでいてくださいね」
 そんなに懇願されなくても、僕はライターとしてバンバン書いて、バンバン稼ぐつもりだった。
 「大丈夫です。バンバン売れるライターになりますよ」と僕は太鼓判を押した。
 ところが、そう現実は甘くない。その直後、僕はさっそくつまずいてしまったのだ。
 『オタク学入門』のヒットで、連載コラムの依頼がいくつも舞い込んだ。その中の一つが講談社・ホットドッグプレスからだった。編集の人は「オタク学入門を、コラムで連載してください」と言う。
 「ホットドッグプレスの読者には合わないですよ。第一、コラムなんていう短い原稿では、あんなことは書けません」と正直に答えると、「じゃあ、書けるものでいいです。いま岡田さんがおもしろいと考えていることを自由に書いてください」と言われた。
 何でもいいなら、と僕は気軽に引き受けた。
 が、実際は何でも良くなかった。原稿を送ると、リテークがかえってくる。
 もっと季節感のあるテーマにしてください。
 一般の読者にわかるような話題にしてください。
 女性読者もいますので、彼女たちの興味範囲も考慮してください。
 僕は苦しんだ。書けないのだ。季節感なんて僕の生活にはない。一般的な話題に、僕は興味がない。女性が何に興味があるかなんて、さっぱりわからない。
 いま考えれば、ホットドッグプレスの編集さんは、僕に「ライター」という職能を期待していたのだろう。「岡田さんの書けるものでいい」というのも「得意ジャンルのサブカルに偏ってもいいですよ」程度のニュアンスだったのだろう。
 これが、ライターの仕事なんだ、と僕は初めて思い知った。偉そうに「売れるライターになる!」といきまいていたにもかかわらず、考えてみれば、僕は誰かに発注されて文章を書いたことなんて一度もなかった。
 デビュー作『ぼくたちの洗脳社会』も、その次の『オタク学入門』も「こんな本を書きたいんです」と編集さんに説明して「じゃあ書いてみてください」という返事をもらって書いたものだ。
 連載していたテレビブロス誌のコラムだって、ただの一度もボツをくらったことがない。それどころか「こんな話を書いてみて下さい」という依頼すらされたことがなかったのだ。
 僕なりにかなり努力したが、結局「読者に合わせて文章を書く」ということがどうしてもできなかった。そのとき自分の興味あるものしか書けないのだ。
 仕方なくホットドッグプレスの連載を、途中でやめさせてもらった。忙しくて連載を受けないならともかく、連載している最中のコラムをライターの方から断るなんて、交通事故で入院でもしない限り、まずあり得ないことだ。役者が舞台に穴をあけるような大失態だろう。
 その頃友人になった唐沢俊一さんにも「これで一生、岡田さんは講談社に出入り禁止ですね」とからかわれる始末だ。きっと業界のブラックリストに名前が載って、僕のところに二度と連載の依頼はこないだろう。僕は、そこまでびびって、それ以後は絶対に「こういう内容の原稿を書いてください」という注文は受けないことを決意した。
 幸い、この業界にはブラックリストなんてなかった。ごくたまに「岡田さんが書きたいことなら、何でもいいですよ」といってくれる編集の人もいて、そして僕は本を書き続けることができた。
 しかし、それはどう考えても、落合さん言うところの「作家」の仕事だ。売れるかどうかわからない原稿を、自分のリスクと判断で書き続ける、という効率の悪い生産システムは。
 僕はライターには、なれなかった。編集者からの注文をキチンと文章にするプロの仕事を、僕はこなすことができなかった。
 たとえば永江朗さんの『批評の事情』という本がある。現在の日本の批評家を一覧的に論じている労作だけど、そこで僕の『洗脳社会』も取り上げられている。永江さんはどうも読んでいないらしく、なんかお茶を濁したような表現で、僕の著作には触れずに人物評みたいなことを書いている。これがライターの仕事だ。
 誤解しないでほしいが、「こんないい加減な仕事がライターだ」と非難してるわけじゃない。もし、あの本に取り上げられている評論家を全て本気で語ろうと思ったら、とても商業的にペイするスケジュールや作業ではできないだろう。しかし永江さんは「評論家に関して網羅的に全て取り上げる」という編集的な判断に基づいて、有限な時間や制限の中でとにかく書き上げてしまった。「売れるものを、売れるチャンスにキチンと提供できること」。これこそ「職業的物書き」、つまりプロライターの仕事なのである。
 ところが僕は、売れようと売れまいと関係なく、自分の興味のあることを書いてしまう。これを編集の人に見せるわけだけれど、必ず出版してくれるわけではない。日の目をみないことの方が多いのだ。幸い編集の人に「まぁまぁ売れるか」と判断してくれれば出版してもらえる。しかし売れるか売れないかは運しだい。売れればラッキーという、アマチュアな仕事しかできない。
 これが「作家」である。
 僕にライターとしての才能があったら、今ごろはもっと儲かっていたと思う。『オタク学入門』がヒットしたら、それに類した連載をたくさん書いて、単行本にだってなっただろう。数年前のオタク出版物バブルの時期は、それぐらいの勢いはあったのだ。でもねぇ、なりたくてもなれなかったんだよねぇ。ライターには。
 その後、大田出版の落合さんからは何度か「岡田さん、こんな本を書いて見ませんか?」というお誘いを頂いた。しかし僕は「それには興味がないので」とか「今はこちらのことを考えているので」と答えてお断りしてばかりだ。きっと落合さんは、「岡田も作家に成り下がってしまった」と思っているだろう。
 でまぁ、最初の方に話は戻る。「言葉」というのは、世間一般の用法や解釈を前提にしなければ意味はない、という話だ。その通り。
 しかし僕は「作家(とほほ)」なので、自分の使う言葉に、自分独特のこだわりを持ってしまう。プロのライターなら、他人が普通使う言葉、いま流行っている言葉にこだわるのだろうが、そんなことはできない。
 だから、あくまでも自分の肩書きを僕なりの気持ちをこめて『作家』と言い続けるしかない。僕のできる最善のことは、こういう場で『作家』のニュアンスを説明して、僕の心を少しでもわかってもらうことだけだ。
 そんなわけで、今回の日記は延々と、ほとんどの人が気にもとめていないだろう「作家とライターの違い」について書いている。
 そして、こういう「儲かりもしなければ誰も興味を持たないこだわり」のことを、世間では『作家性』と呼ぶのである。
 ああ、なんかオチまでついて、コラム書いてるみたいだよ。オレ、なにやってんだろ・・・。


15日(月)

 東京へ配属が変わった松原2号を囲んで柳瀬君と焼き肉屋へ。モー娘。話を熱く語っていると隣席のカップルから変な目で見られた。だから柳瀬君、君は声が大きいんだよぉ・・


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