1日(火)
桜がほぼ満開。
夕方から山田五郎氏と対談。有線放送用の番組、と聞いて驚く。たしかにラジオと同じようなものだから、オリジナルコンテンツがあってもおかしくないんだけど、有線といえばエンドレスで放送でしょ?
「いやだから、同じ番組を毎週流すんですよ」
なるほどなぁ。「どんな曲でも流せます」と言われたので笑福亭仁鶴の「大発見やぁ!」「赤壁周庵先生の歌」を探してもらったけど、ないと言われた。栗塚旭の「天を斬る」のテーマもないし、コメディNo・1の「アホの坂田」もない。
「そういうのは全部、大阪本社です」
そういうの、って言うなぁ!けっきょく、北島三郎の「浪人一人旅(素浪人月影兵庫のテーマ)」をかけてもらった。
2日(水)
日経ネットナビから取材依頼。先方の持参した作品を見てコメントなど、写真撮影を含めて1時間半の拘束という。取材場所の地図や時間の調整などまとめてメールして、その中でいちおう相場のギャラを提示した。
すると夕方電話がかかってきて、担当編集者に「こちらとしてはギャラの発生は考えてなかったんですが」と言われて驚く。いや、ノーギャラでも構わないけど、そういう時はあらかじめ言うのが礼儀じゃないの?それとも聞かれなかったら後から「払うつもりはない」と開き直るつもりだったのだろうか?
いろいろ考えて、雨の井の頭線を眺める。
3日(木)
今日もハモニカキッチンでランチ。メニューは「手羽先ごぼう大根のみそ煮込み、豆腐チャンプルー、モヤシきゅうり薄揚げの和物、タコサラダ、ズッキーニの卵焼き、野菜スープ、鯖の文化干し炭火炙り、玄米1/3合」

前に日記で「ここの店員が」と苦言したけど、あれは不公平だった。僕は基本的に「100点満点で当然、それ以下はダメ」と決めつける癖がある。自分がこういう癖を持ってることは知っているつもりだけど、どうにもこうにも直せない。アニメ作ったりなど集団作業をしているときは、これがプラスに作用するときもあるけど、実生活では困りものだ。
このカフェも、こんなに美味しいものを出してるんだから、もっと誉めよう。第一、毎週3回も行ってるんだから、気に入ってることは確実なんだしね。
最近ハマリつつある西荻に、雨の中お茶を飲みに行く。DANTEという南口駅前の喫茶店は、ホワイトコーヒーというカフェオレがおいしい。カフェオレ好きの和美にお勧めしたのだ。
ただし、最初から砂糖が入っているので、ダイエット中の僕には飲めない。前回知らずに注文して、一口飲んだだけで残してしまった。その雪辱戦というのもあるが、何より店の造りがかっこよくて魅力だ。
細工扉の入り口から入ると、奥に細長く続く店内は、左側のテーブル席が1メートルほど高く、右側のカウンター席が4段ほど低くなっている。奥のテーブルはその中間の高さだ。この段差が、店内の狭さをカバーして、落ち着いた雰囲気を作り出すのに成功している。空間のうまい利用方に感心した。
今回はイタリアンコーヒーを注文する。ローストが効いておいしいが、ミルクを入れないで飲むので、かなりきつい。僕はコーヒーが好きだけど胃が弱っているときは全部飲まないことにしている。今回も半分ほど残してしまった。
精算して出ようとする僕の背中に、店の主人がいきなり「あんた!この店にもうこないでくれ!」と叫んできた。驚いて振り返ると「あんた、前もコーヒー、残したでしょ!ちゃんと見てたんだから。憶えてるんだよ、こっちは!」と店の奥から怒鳴っている。
あまりのことに面食らった。「なぜ、残したのか」の理由も聞かない。自分の店のコーヒーに誇りを持っているのだろう。それは素晴らしいことだ。でも客に「あんた」呼ばわりはどうかと思う。もし「もう来るな」と言いたいなら、少なくとも僕からお金をもらう前に言うべきだ。
「コーヒーを残す奴など客とは認めない。だから金は受け取らないから、もう来るな」
これなら納得はできる。そういう頑固な職人根性はけっして嫌いではない。しかしお金を受け取ったら、そういうワガママは通らない。「どうすればお客さんが残さないようなコーヒーを淹れれるか」に専念すべきだろう。
「残しちゃだめなんですか?」と聞くと「うちは30年間、これでやってきてるんだ。もう来るな!」
顔を真っ赤にして怒鳴っている。他のお客さんは目線をそらしている。たぶんこの店ではよくある出来事なんだろう。コーヒーは美味しい。内装は最高だ。残念だよなぁ。
4日(金)
某所より、「マサチューセッツ工科大学で講義してくれないか」との打診。面白そうなので受ける方向で話を進める。「ボストンにどれぐらい滞在できるのか」と聞かれて、それが「何ヶ月ぐらい」という意味だとわかってびっくり。そうか、講義する、というのはそういう意味なんだよな。
5日(土)
準備していた花見が雨でパーになってしまい、おまけに幹事を頼まれていた二次会の会場がダブルブッキング。パニック状態をなんとか収拾したら次は約束していた北久保監督がなかなか来ない。連絡したら「西荻で動けないので、わるいけどドタキャンさせてください」と謝られた。まだオープンにできない企画だろうけど大変だろうな、と思ったら花見の宴会ごときで騒いでる自分などまだ小さいわい。
6日(日)
デルプラドの「週刊・中世を作ろう」の模型作り。やり残した小屋根の瓦など。
7日(月)
某グラビアアイドルから、インターネットのぞきサイトのギャラやシステム話を聞く。のぞきサイトの管理者はマンションの部屋をいくつも持っていて、そこに面接で合格した女の子を住ませる。部屋中にCCDカメラが装備してあり、女の子の生態を24時間放映できる。女の子はその部屋に住んでもいいし、別に通いでも構わない。21時〜3時までの6時間がギャラ支払いの対象で、それ以外はいわゆる「サービス残業」になってしまう。
時給制で一時間●円、オナニーと入浴がOKだとプラス●円。可愛い子はそれだけでお金になる、という現実を知らされる金額だった。
8日(火)
現代書林の武藤さんと、いろいろ新企画の話。しかしどうも気力が抜けている。燃え尽き症候群、というやつか。
9日(水)
「王立科学博物館」の打合せでモリナガ・ヨウ氏らと打合せ。進行と〆切を確認すると、なんとモリナガ氏はこれから週一ペースでマンガをあげないと間に合わない、と気付く。あああ、どうしよう・・。
10日(木)
変な映画の試写案内が二通、来る。絶対に見に行こう。
11日(金)
タカラからの紹介で凸版印刷の三浦氏が来社。「王立〜」の見積もりに参加してもらうためだ。凸版は最近、食玩のお菓子部分にも大きく関与しているらしく、いろいろサンプルを見せてもらったり僕のアイデアを聞いてもらったり。あとはコストの問題だけだけど、現実化したらすごい食玩になることは間違いない。
夕方から渋谷ライオンで柳瀬君の壮行会。総勢30人以上が僕の奢りで飲み食いした。
二次会は同じ渋谷のJ-POPカフェへ。内装がミッドセンチュリー風というか「時計仕掛けのオレンジ」みたいでかっこいい。スイスから帰国したばかりの額田さんも参加したところで体力の限界、額田さんと一緒に帰る。
12日(土)
海洋堂から「王立科学博物館」の塗装マスター到着。「このとおりに中国工場で塗らせるから、これが最終確認になる」と言われたのでいくつか指摘。しかしバイキングとか月面表現の塗装とか、すごいよコレ。
13日(日)
塗装マスターをもう一度箱詰め。こんなおっかないものは手元に置きたくないが、写真撮影までうちで預かるしかない。爪が当たっても塗装が剥げるので、ものすごく慎重にビニール袋に入れてスチロールパッキンに詰め直した。
14日(月)
僕は唐沢俊一ファンである。どれくらいファンかというと、パソコンを立ち上げたら最初に、唐沢さんの日記を見に行くくらいだから、かなりのものだと思う。
著書もきっちり読んでいる。彼の博学ぶり雑学ぶりには、頭があがらない。が、それだけではない。「後世に残る本」「為になる本」「賞をもらった映画」といった権威づけだけで判断せず、星の数ほどあるB級、C級の作品の中から本質を拾い出そうとする「心意気」が好きなのだ。
今回のイラン戦争でも、「平和主義一辺倒論」「勧善懲悪論」といった単一的な物の見方を最も嫌い、常にバランスを失わず発言しようとする、大人な態度がかっこいいのだ。
その唐沢さんの日記で「もうお互いいい年齢なんだから、まずいものを我慢してまで食べたくない」という記述を見つける。これは、先週の柳瀬くん送別会の食事に関しての記述だ。
確かに、高級料理ではなかった。しかし、何だか違和感を覚える。もう20年以上前のある事件を思い出した。
会社の仲間とストロベリーファームという、和食のちょい高級めファミレスに行った時のことだ。
部下の三輪くんが、「給料も出たし、ちょっといい食事をしたい。岡田さん、どこか良いところは知りませんか?」というので、何人かで連れだって出かけることになった。
ストロベリーファームは、バブル期らしい高級志向の店で、チェーン店とは言っても、内装も凝っていて、メニューも本格懐石っぽいレストランだった。
が、食事が運ばれてくると、一緒に言った山賀監督が、悪口を言い始めた。「こんなのはホンモノの懐石じゃない」「内装ばかり凝っている」「食材の鮮度が悪い」などなど。山賀君は監督だけあって、表現も端的で辛らつなのだ。
言っていることはわからないでもないけど、どこかに「こんな偽ものの店でありがたがるヤツはバカだ」といったニュアンスが漂っていた。食事の雰囲気はひどいものになった。特に三輪くんはすっかり沈んでしまい、食事の間中、ほとんど口をきかなかった。
酒が飲めない僕は食事にお金を使う。が、給料も多くなく、趣味とお酒にお金をつぎ込む三輪くんはめったに豪華な食事などしない。
それが「たまにはいいものでも食べてみるか」と思ったのだろう。ひょっとしたら、たまには僕たちにつきあって、食事をしたいと思ったのかもしれない。
それを思うと胸が痛んだ。
僕を含めて、モノを作る人間はわがままだ。自己主張も強い。「作家性」なんて、日常生活では「わがまま」なだけだ。だから僕は、その時三輪くんが気の毒だと思ったけれど、山賀監督が悪いとは思わなかった。
これは、モノ作りをする人間と一緒に仕事をしたときのリスクなのだ。イヤならもっと一般常識のある人たちと、普通の仕事をすればよい。そう思っていた。
で、先週の話。唐沢俊一さんの奥さん、ソルボンヌK子さんも、料理には文句を言っていた。彼女も作家だから仕方ない。TPOを考えない毒舌こみで、彼女の芸風は成立しているからだ。
だけど、唐沢さんの日記には、違和感を憶えた。唐沢俊一という作家は「美味い、不味い」という単純な二元論で物事を語る人ではないのではないか。「面白い」「妙味だ」「気分に合う」「楽しい」など、料理にだって他にも評価軸はあるだろう。
「新鮮な食材を、名職人が腕をふるい、作りたてをきちんと頂く」のなら美味くて当たり前。面白くもなんともない。「千と千尋〜」を見て「面白い」というのとかわらない。
しかし、料理にも裏街道はあるだろう。だいたい、「美味しい」というのが本当にそんなに大事な要素だろうか?もし、そんなに味が大事なら、なぜ21世紀の今になって我々は、レトルトのカレーやカップラーメン、牛丼を求めているのだろう?グルメ評論家のご高説を読んだときに感じる、一種の胡散臭さはどう表現したらいいのだ?
食とは、本質的に暗いものだと思う。大人数で食べる食事、親密な二人で食べる食事、一人で気楽に食べる食事、家族で食べる食事。それぞれ、おのずと要求されるものが違う。
という部分は唐沢俊一こそが語るべきだと思う。「もういい年なんだから、つまらない本を読んでいる時間は残されていない」なんて絶対言わないのが唐沢俊一である。新聞の書評欄の機能を込みで論じる人なんだから、渋谷ライオンの食事をただ単に「食ってオモシロクない味」と切られるのはイカンと思う。金を出した僕はそう思うんだけど、どうでしょうか?
14日(月)
あ〜なんか燃え尽きちゃった。動けないや。
15日(火)
MITからメールが来た。新学期9月から講義して欲しいらしい。気力を無理やりおこして返事を書く。
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