[移動]

 「このゲームはこのマシンでは表現しきれない」と言う言葉を聞いた事がある人は多いと思う。果たしてこの言葉は本当だろうか?もしも本当の事だとするならば、ハードウェアを移動するソフトメーカーに十分な(ように思える)理由を与えることになる。だが飯野氏はこれをあっさりと否定した。音楽でたとえるなら、ある曲が出来上がったときに「この曲を表現できるのは、この楽器だけだ」と言っているようなものだ。確かにその言葉は間違いではないが、かといって正しくもない。なぜなら「この曲」と言うものが最初からあったわけではなく、最初は「こんな曲」と言う漠然としたイメージがあるだけだからだ。そのイメージだけの段階でギターやピアノなどの楽器を選び、そこからやっとその楽器に縛られた、よく言えばその楽器にしかできない曲が出来上がっていくのだ。それはゲームについても同じである。「このゲーム」があってゲームを作り始めるのではない。「はじめに思想ありき」これが何事にもあてはまる法則だ。
 しかし現実問題、ハードを選ぶときにはこのハードにかけようと言う決意を抱いていたはずである。それなのに移動するのは何故か。担当者、開発者レベルでの信頼が大切だということらしい。

 おまけその1, 飯野氏が語るには、ワープはワンハードウェアにかけているので、移動せざるをえなかったそうである。だからこそ武田とラモスの気持ちがよく分かり、また日韓共催と言う言葉を聞いたとき目からうろこを落としながらも「それずるいな、俺はどっちかにしたのにー」とさけんだそうだ。ここまでは面白かったが、最後に「決勝戦はどっちだ」と言う落ちをつけたのははずしたとしか思えなかった。

 おまけその2, 3DO ----> PS ----> Saturn ・・・・> 64 と言う図を岡田氏が描いたとき、飯野氏は少し抗議したが、今までの事を考えるとそう考えられても仕方がないだろう。人間日頃の行いが重要だ。

 移動の正当性を否定するなんて自分の首を絞めるようなことするなーと思いましたが、きちんと自分の非を認める堂々とした態度に感心しました。どんどん僕のイメージの中の飯野さんから離れていく。

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