[ゲーム業界に進んだ理由]

 飯野氏は、小学校のころ異常に偏差値が高くそれ以後その過去の偉功を自慢しながら生きていくと言う、高校受験に失敗する典型的なタイプの人物だった。そしてその例に漏れず、見事に高校に落ち続け、受験校7つの内の第6志望の高校(つまり第2希望しない高校)に収まった。だが、4分の1くらいしか学校に行かず、気付いてみると一年のときは成績分けクラスで2番目のクラスだったのが、2年のときは一番下の10番目のクラスになっていた。そして運命の2年の夏休み、だれも高校に来いとは言っていない事に気付き、やめていいかと父親に聞くと父親はゴールデン洋画劇場を見ながら「いいよ」と答えたので、飯野氏はあっさりと高校をやめてしまった(やめ1回目)。

 その後、大検をうけるということを言い訳にして、1年間学校の勉強でない勉強に明け暮れた。毎朝電話して本屋から本を届けてもらったりレコードやからレコードを届けてもらったりして、自分の好きな本を読んだり、好きな映画やビデオを見たりした。こんな事をしていたものだから当然大検の事をすっかり忘れており、ある日、運の良い事に「あっ、今日だ!」と大検の申し込みの締め切りがその日である事に気付き、慌てて申し込みに行った。電車の中で受験科目を決めるとき、まじめに受けるのはつまらないと言う考えが浮かび、高校でならっていない科目、例えば簿記会計や保健体育、家庭科などを受ける事にした。そして結果は、家庭科が100点だったにもかかわらず、地学で2点だけ足りなかったせいで見事に落ちてしまった。なぜ地学が悪かったかというと、地学だけが普通の科目だったために勉強していなかったから。

 そして、親に1年間と宣言していた手前、もうこれ以上遊ぶわけにはいかなくなり、仕事を探しに行くことにした。飯野氏はなるとするなら音楽家か映画監督、広告代理店、ゲーム製作者だと思っていたが、もしここで音楽家になると言うと「まだ遊ぶか!」と親が泣くと思って候補からはずし、映画監督はなり方が分からなかったのでボツにし、広告代理店はインチキみたいな気がしたので却下した。そこで消去法で残ったゲーム制作の道に進もうと決めたのである。

 飯野さんは「偏差値」という言葉を使うとき間違えて「経験値」といわれた。この時爆笑がまき起こったが、僕としては指すものがまったく違うしそれ程面白いとは思えなかった。それよりは僕が小学校のとき「もう少しで卒業だな」を「もう少しでクリアだな」と言い間違えたことのほうがよっぽど面白いと思う。
 飯野さんも岡田先生も小学校のころ放送委員になって、愚民どもを見下ろす気持ちよさを体験していたとは驚きだった。そのせいで今の飯野さんや岡田先生が育ったのかと思ったが、小学生のときにもしも普通の子供だったらそもそも放送委員の特権を使って全校生徒で遊ぼうとは考えるはずがない。やはり子供のころから今のようになる素質があったということか。

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