[Quit飯野]

 ゲーム製作者になろうと心に決めた飯野氏はボーステックに面接を受けに行ったが、これまた見事に落とされてしまった。
 そしてそのとき自分がダメ人間である事に気がついてしまった。それまでは飯野氏の中の自分とは「過信な人」(岡田氏いわく「無限にOKな人」)だったのに、大検ダメ、ボーステック駄目で、何か変なアニメであったように、「俺の価値ってなんだ?」とか、「俺は何なんだ?」とか、「俺は存在するのか?」とか考えるようになってしまった。そして「俺がそこに生きてる」とか、「俺がそこにいる」と言う価値を一週間くらい考えてしまった。そのとき飯野氏を救ったのはユングとデカルトであった。コギトエルゴスム「我思う、ゆえに我あり」だから、今考えている事ぐらいはあるんだということに気付かせてくれたおかげで飯野氏は救われたのだった。

 その後、小学校のころゲームコンテストで優秀な成績を修めていた事を思い出し、その賞状を持って別のゲーム会社に面接に行くと、何とかうかる事ができた。最初その会社にはいったとき社員は5人くらいだったのだが、飯野氏がプロデューサーとして企画で頑張ったおかげで、一年後にやめるころには40人くらいにまで増えていた。だがその間企画は飯野氏唯ひとりであり、7本もの企画を一人でやっていたので非常にきつく、また社長の仕事の受け方が下手だったために賃金もやすく、嫌気がさしてやめてしまった(2回目)。

 そのあと、企画で仕事を取ろうと思ってハルケンと言う会社に行ったとき、正論で会社を創るように勧められた。企画でやっていっても将来伸びないし、自分で仲間を集めて会社を創れと言われたのだ。そこで突然会社を創った、この時弱冠19歳だった。その会社で四年半くらい下請けとして、カプコンのゲームを作ったり色々していた。そしてこの会社もうダメだなと思ってやめてしまった(3回目)。やっぱりパブリッシュもしないとダメだなと思っただからだそうだ。この場合のやめるとは、飯野氏が社長だったのだから、会社を潰したということだ。  そしてその後、1から自分でプロモーションをやって、自分で営業も行って、自分で最後にパブリッシュもするとをめざして創った会社が、ワープである。そこで一本目のゲームで好きなものを作ろうと思ってつくられたのが「Dの食卓」である。これが飯野氏のこの人に歴史あり。

 高校をやめて、19で会社社長。本当に波乱万丈な人生をおくっておられることだ。それにしてもよく親がこんな人生を送ることを許したものだ。もしかして諦めてたのだろうか。

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