これは映画のコンプレックスから来ている。
映画には批評がある。売れなくても意味があれば批評される。
ゲームの場合は売れなければ話題にならない。
革新的なことをやっても、思想的に新しいことをやっても、話題にならない。
注目されない。
ゲームも映画みたくなりたい。
映画を見る人と批評する人は層が違うので、映画批評をちゃんとやったからって映画業界がよくなるということもない。
ボンバザルやバンゲリングベイ批評しろって言われても、難しい
つまらない。中古屋で安いですよねとかしか言えない。
(バンゲリングベイの名前がでて爆笑)
映画に比べ見る場所が限られているのでゲームの批評は難しい。プレーヤーの視点が限られている。
ゲーム批評などができる。別にできたってゲームが良くなるわけではない。
大事なのは、批評するという行為によって、
私たちはゲームをみるポジション(独自なポジション)を得られる。
だらだらやってもただの娯楽でしかない。
デジタル、出版、映像に関して、批判的、批評的観点で見てください。
そして、いいオタクになってください。
ゲームに対する理解が深まる
基本的な批評のスタンス
夕日は美しいのはなぜ?
夕日は光学現象。
これ自体は美ではない。
観察者がいて、ああ、美しいなと感じてはじめて美しい。観察者の文化的バッ
クグラウンドによって決定される。
もし、夜はタブーな民族では
夕焼け 危険な印。恐怖を感じる。
美しいと感じない。
文化的バックグラウンドが違えば、同じ物を見ても違って感じる。
極論で話します。
人間の死体がある。
文化的バックグラウンドによって違う
日本的な文化的バックグラウンド
残酷、かわいそう、怖い。
人間を食べる文化圏の人
おいしそう、食べれるかなぁ、腐っているかなぁ
このように、見る主体、ポジションによって、感想、印象が変わる。
批評とはすべてこれである。
批評とはこれの本質をさぐるものと考えがちである。
批評の本質はここ(?)にある。
自分の文化的バックグラウンドや自分の考えとものとの関係にあって存在する
だから、同じゲームをやっても一人一人違うのはあたりまえ。
批評とはその人の文化的バックグラウンドとその人の個性との間で作られるもの。
だから、これ自体を語ってもしょうがない。
批評とは自分の文化的バックグラウンドと自分の個性をさぐるもの。