[OHP出す・何か手に付けて、何か眼に付けたバーチャルな映像]
これねぇ、何かねぇ、バーチャルの嘘とは何かというのをこの間、飯野さんとあの後、話してたんですけどね。何でこう、アメリカ人ってこういうのを作りたがるんだろう(笑)。ついこの間、何か発表会で発表してたバーチャルシステムなんですけど、「最新の…」と言われても何処が違うか解らないですよね。5年前からこの手の映像がよく出すぎてて。「何か手に付けて、何か眼に付けたら、バーチャルだろう」という…。もう、今そこら辺のおじいちゃんとかおばあちゃんとかバーチャルというのは「大きいメガネ」だと思ってると思うんですけど。(笑) アメリカ人の考えるバーチャルってこれなんですよね。ところが、
[OHP出す・「バーチャファイター」の映像]
日本人が考えるバーチャルって、こうなんです。違いますよね。何が違うのかと言うと、アメリカ人が考えるバーチャルって、すべて自分の主観映像のことなんですよね。だから、もしアメリカ人がバーチャファイターというのを自分達で作っちゃったらどうなるかというと、マイクタイソンのパンチアウトというゲームがあったんですけど(爆笑)、相手がここに立ってて、自分のパンチが、こう見えてる訳ですね。右手と、左手が。自分の見た目で戦う訳ですね。
で、今のバーチャコップにしても、レースものなんかにしてもそうなんですけど、すべて自分の視点で見るというのが、あちらの人が考えるバーチャルなんですね。ところが、日本人が考えるバーチャルっていうのは、人間とそっくりなものを箱庭みたいな空間で動かして、で、コントローラーでプレイできればいいや…って。こんなもの(OHPを指して)別に必要としていないんですよ。それよりは、コントローラーをぐるりと手で回した時に、こいつの手がぐるりと回る方が、「それっぽい」「リアルっぽい」と考える。
全然違いますよね。これ。例えばバーチャファイターの新型が出てきてその新型にはボタンのところに電撃トリガーがついてて、パンチ受けたらビリッとくる(爆笑)っていっても、誰もやらないでしょう(笑)。思想的に違うんですよね。バーチャルって言っても。
こういう風にですね、コンピューターゲーム、バーチャルと一口に言うんですけども実は日米でバーチャルというもののスタンスが凄く違うんですね。 それは日本人がアニメとか漫画とかゲームとか何で得意なんだろう、何でおたく文化が日本で栄えたんだろうという、まぁ、今年の年末から来年の春あたりの総論になるところで、出てくるであろう謎というものがおそらくここら辺に一旦ちらりと見えているような気がします。
[OHP出す・「マインスイーパー」の映像]
(どよめき)これは、何だっけ。そう。マインスイーパーだ。 え〜と、もう一つゲームを批判する時、批評するときよく言われるのが、コンピューターゲームでなければならないゲーム、例えばCD-ROMとかでどんどんメモリが増えてきて中でムービーみたいのができてきたら、これはまるでアニメと同じじゃないか、映画と同じじゃないか、そんなのはゲームじゃない。コンピュータゲームだったらコンピュータにしかできないことをしろ。という風によく言うんですけども、そんなこと言ってもですね、コンピュータでなければできないものって、オレ2種類しか思いつかなくて…これとテトリスですよ(笑)。
こういう風にですね。回りのコアを素早く認識して計算結果を出すなんていうのは人間ではなかなか出来ない。これ、コンピュータでなければ出来ないですよね? あと、テトリスもそうですよね。あの上からブロックが落ちてきて次々消すというのは確かに人間では出来ないんですけど、では、残りのもの、そうでないゲームはコンピュータ的でないから駄目かというと、そうではないですよ。 別にコンピュータ的である必要はないと。コンピュータゲームを語るときについつい、コンピュータでなければ出来ないからいいんだとか、これはコンピュータゲームの本質から外れているから駄目だという話に行きがちですけど、あまり、気にしないようにして下さい。
え〜、最初に説明した「粋の眼」と「通の眼」と「匠の眼」というヤツでゲームというものを説明してみますね。 「粋の眼」というのは作者の意図とか作品の意味というものを見通す眼のことです。で、これが先ほど言ったテーマ性を探るということですね。例えばですね、作者の意図で言うとゴッホの絵というのがあってですね、ゴッホの絵というのは「ひまわり」とか、何かグアーっと燃えているようなのが有名で、あれ、この間話で聞いたんですけどゴッホという人は日本という国を凄い誤解していたらしいんですね。 何か浮世絵とかの印象で、色が淡泊だから、日本というのはよっぽど太陽の光が強いんだろう、と。で、昼間の光の中ではすべてが色あせるくらい太陽の強い国だろうと、まるで、ハワイとかフロリダのように日本を思ったらしいんです。 で、ゴッホの日本に対する憧れですね。浮世絵ファンであった彼がいつか日本に行きたい行きたい行きたいというのは、どうもタヒチとかハワイとか何かそういう早見優が来たような場所がありますよね(笑)、ああいうカリフォルニアみたいな場所を考えて、で、そんな場所のひまわりはこんな風に咲いているに違いない。と、頭の中でバーチャルな日本というのを作ってやったんスけれども。まぁ、彼がそういう風に考えてやったと。
これが作者の意図を見抜くという事ですよね。で、作品の意味とは何かと言うとその「ひまわり」というのが美術界に与えた影響。もしくは、そこから印象派というのが出てきて現代の美術界がどういう風に変わってしまったと。こういう様なことを見るのが「粋の眼」というヤツでありまして。 なかなかね、これがねぇ、ゲームにはないんですよ。作品の意味ぐらいだったらかろうじてあるんですけど、作者の意図が見えるようなゲームって、まずないんですよ。で、唯一作者の意図を見つける方法として、僕はアノマリって呼んでるんですけど、異常性ですね。異常性というのを発見するということです。異常性というのは、まぁ、否定的な言い方をすると異常性なんですけど、ま、良い意味で言えば個性というヤツですよね。作ってる人間、作者の個性というのを何処で見るかと言うと、どこかその作品に異常なところがあったら、そこは個性なんです。で、よく個性化教育なんて申しましてですね、子供達の個性を伸ばそうとかですね、個性を発揮して、ゆとりのある教育を…とかよく言うんですけど、私は昔から自分の個性に苦しめられてきた人間として助言できるんですが、個性なんか伸ばしちゃいけませんよ(笑)。個性ってのは殺して丁度。でも、殺しても殺しても殺しても殺してもね、出て来ちゃうんですよ。個性っつーヤツは。やめろと言っても見てしまうアニメみたいなもんで(爆笑)。
やめろと言われたり、潰せるものって、あまり個性じゃないですよね。だから「小さい頃から絵が描きたかったんだけれど、私は受験戦争で絵が描けなかった。私の個性は殺されたー」というのは大嘘でですね、絵を描くヤツは絶対描いてるんスよ。何かノートの端っこにちょっと描いたりしてる…とか(笑)そういう風に潰そうと思っても、潰せないのが個性なんですよ。で、ちょっと、ビデオ始めますけど、作者のアノマリというのを…。
[ビデオ・「ダイターン3」のオープニング流れる]
これね、「ダイターン3」ってアニメですね。これは「ガンダム」を作った富野由幸(とみのよしゆき)さんが、息抜きみたいにして作った作品なんですけど、ま、割と軽い作品ですね。 で、前、一度、金田伊功さんの作画を見るときに見たんスけど、今見るとさすがにツライ。(笑) で、今回のポイントは歌にあるので歌のなんとなく歌詞を見て下さい。何も考えてない…(爆笑)。ロボットアニメらしい歌詞ですね(爆笑)。一緒に歌うのはやめましょう(爆笑)。でね、これが「ダイターン3」のオープニングです。んで、見ていただくのはエンディングの方なんです(爆笑)。オープニングの、このトーンで作られた作品なんですよ。大変軽いと申しましょうか、コメディタッチの作品で、まぁ、ガンダムとかですね、そのあとのイデオンとかボトムズとか今のエヴァンゲリオンというですね…巨大ロボットアニメというのはどんどんディープに深く暗くなっていくんですけども、そうなっちまう時代の前のですね、まぁ、何かその〜、何か宇宙の水戸黄門みたいな話しが(爆笑) …そういう凄い時代の
*******************************************テープ中断。
で、ここに彼のアノマリ…異常性というのが出ている訳ですね。(爆笑)…ロボットを操ってる子供ですよ…。
[ビデオ・「ダイターン3」のエンディング流れている]
○エンディングが終わると、キャンディキャンディの絵がちょっと入っている。大爆笑がおこる。
これはオレのビデオじゃなくて、学生の有志の方から貸して頂いたもので、最後に見えるキャンディキャンディはオレのものじゃないです。(爆笑)
え〜とですね、ちょっと解りにくかったと思うんですけど、今のエンディングの歌詞を書いたのは監督の富野由幸氏自身でですね、彼が昔から言ってるのが「俺はいつまでもロボットアニメを作り続けたくない、でもロボットアニメしか作らせて貰えないからロボットアニメを作ってる」と。 というのが…大体「ZZ(ダブルゼータ)ガンダム」あたりから本人が開き直って「俺はガンダムです!」という風に力強く言い出したと。
で、この辺で、富野さんのアノマリ、異常性…異常性と言っちゃ言い過ぎだなぁ…個性というのがほの見える訳ですね。自分はロボットの操り手であると。だからその、自分というのを人前に出すときにエンディングで…主題歌じゃなくてエンディングという風になっちゃうんですけど、エンディングで何となく自分の考えていることを出しちゃう。で、子供向けのアニメなんだけど何となく歌も寂しいヤツにしちゃう。で、寂しい歌で、何かその、番組の主題自体、正義の為に戦うロボットというのを茶化しちゃう訳ですね。
だから、中に操り人形のダイターン3というのがいろんなポーズをとるんですけど、あのポーズは全て「ダイターン3」という本編の中のかっこいいポーズなんスよ。それをわざわざカリカチュアライズと申しましょうか、ちょっとコメディ風に処理してやっちゃうというところに、富野さんの屈折というのがある訳ですよね。 「何で俺は子供もいながら、まだロボットアニメなんだ」という風な思いとかですね、「何で俺はいつまでもこんなの作ってなきゃいけないんだ」、「ロボットなんて俺の操り人形じゃねぇか」とかですね、「でも、俺だってメーカーとかそういうのにとっては操り人形だよな」とか、いろんな思いが積み重なってですね、ついついあんな大人げない歌を作ってしまった訳です(笑) こういう風にですね、アノマリというのは、何となく歪みからゆっくり見えてくるものなんですね。
で、俺がねぇ、「アヤシイな」と思っているのが、「何でドラゴンクエストは父と子とか親子とかに、こんなにコダワルんだろう。堀井さん、何かあるんじゃねぇかな?」って思ってるんですけど(爆笑) あんまりそれはデータがまだ揃ってないから解んないですね。堀井さん、ドラゴンクエストに関してインタビューで答えてるのは「日本人が好む要素というのは全て入れました」と。「日本人が大好きなのは「復讐」であったり「お家再興」であったり「血縁」であったり、「父親と子供のドラマ」であるとか、「失われた母親」であるとか、そういう風なもの全て突っ込みました」と言ってるんですけども、全て突っ込んだからといってドラクエになるというのは限らない訳ですから…いろんなメーカーも全て突っ込んでやってる訳なんですけど…ドラクエはドラクエにしかならない訳ですよ。
何かいつも同じ様に、世界中に仲間がいて、散らばっていて、で、話し合ったら解るようなヤツらがいて、で、最終的に悪いヤツってのは心の歪みが生んだような存在であって、というようなですね、似たようなパターンになっちゃう。 おそらく堀井雄二という人の心の中のアノマリというのはですね、それで、語れるのではないかという風に思ってるんですけど、なかなか難しいですよね。
で、「シムシティ」というのがありますよね。シムシティにも少し歪みを感じるんですよ。何かというと、あれは人口が増えると犯罪者が増えますよね。で、人口密集地にどんどん犯罪者が増えてきて、で、警察に対してお金を投資すると、犯罪が減っていくと。で、道路が増えても犯罪は減らなくて、鉄道が増えると犯罪が減ると…。実に不思議なロジックになっているんですよ。ウィル・ライトという人はこのシムシティをデザインした人なんですけど、「これは全て都市の設計の条件に即してやりました」と言ってですね、ま、日本のゲームの評論の人はその答えにみんな納得しているんですけど、疑い深いオタクとオレ達の考えではそれだけで許しちゃイカン訳ですよね。「何かあるんじゃないのか?」と。
ウィル・ライトって、地上げ屋みたいな考え方してるんじゃねぇかと(笑)。ま、地上げ屋とは言いませんけども、「公園を増やせば犯罪が減るっていうのは何で彼の心の中に生まれてきたアイディアなんだろう」「何で彼はここまでやっておきながら、原子力発電所のメリットをここまで出すんだろう」と。 「シムシティ」やった人はご存じの通り、火力発電所より原子力発電所の方が圧倒的にメリットがある訳ですよね。で、あのゲームをやっていると、ついつい何となく「原子力発電所の方がいい」ような気がしてしまう効果があります(笑)。それは何かウィル・ライト自身の心の中にある、ちょっと普通とは偏向している、ほんの少し傾いている、いろんなアノマリがさせる訳ですね。 ゲームを批判的に見る、批評的に見る、「粋の眼」で見るということは作者の中のアノマリというのを探さなくちゃいけない。これが最初言った通りですね。大変少ないんですよ。
何かその、「ファイナルファンタジー」というのには僕はあんまりアノマリというのは感じずに、いわゆる、少年ジャンプ的な考えですよね? 何か「最後、主人公が勝って、そのために何か犠牲もいろいろあったんだけど、良かったね」というようなゴールがありますし、あと「卒業」とかですね(笑)。「ときめきメモリアル」とかアノマリはある、と言えばあるんですけどね(爆笑)。それはまぁ、男全てにあるアノマリだろうと(爆笑)。あまり言わぬが華と申しましょうか…。あんまり、あのう、フェミニズムの人が男性心理の歪みというのを経験するのに「ときめきメモリアル」とか使われないのは不思議なんですけれども…。 ま、こういう風にですね、作品というのを「作者の心の歪み」を探すつもりで見ればほぼその作品のテーマというのが見つかると思います。
さっき例として出そうとしていた押井守というアニメーションの監督がいるんですけど、ま、批評の話やゲームからズレがちになっちゃいますけど、押井守という人を批評する時にも、彼のテーマを探すときに「押井守という人は通常の人に比べてどの辺が心が歪んでいるんだろう」というのを探せばいい訳ですね。 ディズニーアニメでも、「ウォルト・ディズニーというおっさんはどの辺が心が歪んでいるんだろうか」というのを、よーく探すと、なるほど、コイツは何かナチの友達だし、あと、白人優越主義者だし…というのが、すぐに解るようになっちゃう訳です。
[OHP出す・「スーパーマリオ3」の映像]
これはね、「匠の眼」ってヤツで、えー、ハードウェアとソフトウェアの双方からテクノロジーを批判するってヤツですね。これね、前、飯野さんと後で飲み会の時に話したんですけども、これ、スーパーマリオ3です。で、画面ちょっと解りにくいですけどクリボー踏んで思いきりジャンプしてるところですね。で、解りやすいように私がPhotoShopで加工して、ちょっと偽写真を作ったんですけども、これ、ほぼ現実の通りの筈です。
[OHP出す・「スーパーマリオ3」小ジャンプの映像を指す]
これね、ジャンプボタンを一回軽く押してジャンプした時のジャンプの高さです。
[OHP出す・「スーパーマリオ3」大ジャンプの映像を指す]
これはジャンプボタンを1秒以上、深く押した時のジャンプの高さです。これ、実際はね、こんなには違わないです。PhotoShopで大げさに解りやすくしてますけど、本当はボタンを軽く押すと、これくらい(小)ジャンプすると。で、ボタンを深く押しっぱなしにすると、これくらい(大)ジャンプするんですよね。 で、この差がいろんなところにあるブロックとかの高さがこれくらいになっててですね、軽く押したら届かなくて、深く押すと、なんとか届くというっていうね、スーパーマリオの「実感」になっているんですよ。 で、これっていうのはプログラミングテクニックでやってるんですけども、こういうプログラムテクニックというのはあまりにも日本のゲーム界では語られなかった様な…。 ゲームというのを批判する時にその「背景の色がどうだ」とかですね「動きがどうだ」とかですね「ポリゴンがどうだ」と言う前に、まず、プログラミングテクニックとして、こういうような事を考えているかどうか。人間がボタンを押し続けたら、ほんの少し高く飛べるということで、そのリアリティというのを高度なところで出そうとしていると。
さっきの「バーチャファイター」と同じですよね。人間のバーチャルリアリティとか、リアリティという風なものをボタンと人間とのインターフェイスの関係によって作っていこうという考え方なんですけども、こういう風なところで評価していこう、つまり、作られた技術ですね。 この場合で言うと、「よくこんな事を思いついたな」、「よくこんな事をごく自然にゲーム化したなぁ」っていうテクノロジーを評価するというのが、「匠の眼」であります。
で、ゲームというのの面白さというのはですね、実はこのゲームというもの自体が発展途上のテクノロジーなんですよね。つまり、常に新作のゲームを見てみると「もう昔のゲームなんて出来ない」と感じちゃうと。 こんなのは、よそのジャンルではあまりないですよ。例えば映画にしても漫画にしても「これを読んだら今までの漫画が読めない」とかですね、「この映画を見ちゃうと今までの映画が見れない」ということはあまりないですよね。 ところがね、やっぱ「バーチャ…」やっちゃうと、「ストリートファイターのワンはもう出来ない」というのがあるんですよ(笑)。それは、もう、前の世代のゲームが全て否定されちゃうからなんですね。例えば今のプロ野球ゲームの最新のヤツをサターンとかプレイステーションのをやっちゃうと、一番昔のナムコの「ファミリースタジアム」というのも出来なくなってきちゃいますよね。
つまり、発展途上のものだから最新のテクノロジーによって、常にその前の世代のものが否定されちゃうというような弱点を持っていると。 この辺がゲームがあまり多層的に語られない、歴史として語られないという風な一因になっているんですよ。それと同時にですね、ゲームを見る方の眼もですね、その辺はひいき目で見ちゃう訳ですね。「お、今回はとうとうここまでやったか」という風に評価する訳です。だから、何か、任天堂の今のマリオの宣伝なんかもですね、「ここまで出来るようになった」と宣伝する訳です。で、他のジャンルでね、あんな宣伝の仕方はしない訳ですよ。何か、映画でもですね「ここまで出来るようになりました」と「今度はガメラも街の中で暴れるようになりました」と(爆笑)。
出来て当たり前のことが、「私達はリアルになった」と特に宣伝しませんよというのが漫画にしろ小説にしろ映画にしろ、あと、スポーツにしろ全部同じなんですよ。ところがね、ゲームだけは発展途上のテクノロジーだから、「ここまで出来るようになった」と。同時にみんながゲームを買う時にもですね、そのテクノロジーの期待込みで買ってる訳ですよね。 「このゲーム機を買うと将来凄いゲームが出そうな気がする」とかですね、「何かこの、バーチャファイターというのの向こうにはもっと凄いものが待ってるような気がする」という思いで入れ込んだりする、というのがあります。それとね、ちょっと、自分の観測眼というのを少し引き離さないと、なかなか批判は出来ないですよ。批判というのは出来ないですね。
何か、ついついSEGAに入れ込んでいたら、SEGAの悪口が言えないとかですねぇ。俺はこの頃、Macintoshの悪口はいくらでも、お望みとあらば3時間でも4時間でも言えるようになったんですけど、つい一昨年ぐらいまではMacintoshの悪口を言うと空から隕石が落ちてくるような気がしてたんスけど(笑)。それは何か発展途上のテクノロジーに自分が肩入れしてるからなんで、なんか、そういう風なものと、身を離すのが、ちょっと必要であるなと…。
[OHP出す]
え〜とねぇ、これはねぇ、家の資料から掘ってきた写真なんですけど、何が嫌かって、俺、この写真が何か忘れちゃいましてですね、確か1962年に世界で初めてゲーム作ったヤツなんスよ。 すいません。それだけなんですけども。何かねぇ、テーブルテニスみたい。アタリのポンより遥かに前に、作ったヤツだそうです。 で、こっちはねぇ、スペースウォーズですね。だからコイツねぇ、マサチューセッツ工科大学の誰かです(笑)。でー、これ商品化されたけど、あまりダメだったみたいですね。
でも、アッチの人はあれを両手に持っていて、モーションキャプチャーなどやっておいて、マイクタイソンみたいな…自分でシャドーボクシングみたいなのをしてら、敵からどんどんパンチを受けるとか、で、敵がパンチでくると、電撃パンチかなんかで(爆笑)ばちっとくるという。
では、次行きましょう
これは確かに人間がやれって言われたら凄い難しいですよ。(笑)これ、何かと言うと、この近くに爆弾が1個ありますよ〜。ということなんですね。マインスイーパーやったことのある人はご存じの通りです。この、マスの回り、ここには5個ありますよ。ということで、だから、たぶん、ここも爆弾なんですけど…。