この3つ似ているようで、大体何か、コマを中心として連続になって、ストーリーが 展開してるというニュアンスだけは、似ているんですけれども、少しずつ違っていま すので。大体、現在までのところ、僕が知っている限り漫画の分類で、構造でですね、 面白いなと思ったのはこれぐらいですので、少しずつこれを見てみましょう。
これは、くれともふささんの言語モデルです。まず先程の漫画の定義ですね。この人 の漫画の定義「コマを構成単位とする物語進行のある絵」というのを、非業論的に、 もう1回見直すと、「現時性とセンジョウセイとが複合した一連の絵」という風にな るそうです。現時性とセンジョウセイというのはこういう字を書くわけですね。現時 性というのは絵画とかでよくあるやつなんですけれども、「その全貌が一目のもとに 見渡せて、一瞬にして内容が全体として把握できるさま」というのを現時性といいま す。センジョウセイというのは、言語、あと音楽なんかもそうなんですけど、個々の 構成要素が、その度ごとに、部分として見えたり聞こえたりすると。で見ている人間 聞いている人間というのは、それをたどりながら、全体を自分の心の中で構成して把 握する、これが線上性ですね時間によってだからずっと聞こえてくる。言葉もそうだ し、小説も一文字一文字読んでいくと。一文字一文字読んでいる最中に目を止めたら そこには字があるだけですよね。字自体にはたいして意味がないですけど、文章とな って流れとなった時に、全体で初めて意味を持つ、こういうのをセンジョウセイと言 います。絵とか写真みたいなもので、一瞬にして全貌がつかめるものが現時性である と。くれさんの定義によると、漫画というのはこの現時性である絵と、センジョウセ イであるストーリーを持った、特殊なものとして定義してます。これを彼は、日本語 との類似、として捕らえているわけですね。なぜ漫画が日本でこんなに盛んになった のか。なぜ日本の漫画が海外に輸出して力を持っていて、海外の作家が日本の漫画み たいなものを作ろうとしても、なかなか作れないのかというと、実はこれは日本人が 使っている言語と大変密着な関係があるのではないか、というのがくれさんの主張で す。
コウチャク語としての日本語。日本語というのはみなさんも習った通り、ウラヌアル タイ語属に属するコウチャク語です。コウチャク語というのは何かと言うと、形容詞 とか名詞とか、動詞という風なものを、助詞でくっつけると。「きれいな花を花瓶に さした」とかですね、そういう風な「きれい、はな、かびん、さした」というのを、 「きれい『な』はな『を』かびん『に』さした」という風な形で、助詞とか助動詞で つなげちゃってると。これがコウチャク語ですね。こういうふうに接着しちゃう。で、 それと同時に、日本語っていうのは、漢字かなまじり文として使われます。漢字と言 うのは一文字で、意味が分かる、これだけで意味が分かる表意文字ですね。ところが ひらがなというのは表音文字で、一文字だけではなかなか意味がない。この漢字の部 分は、この部分、この部分で意味がある。大変現時性が高いわけですね。ところが、 ひらがなの方は、「まじり」とか、続けて読まないと意味を持たない、大変センジョ ウ的なものです。「漢字、かな、漢字、漢字」これ熟語ですね。「かな、漢字、かな」 この構造も、大変コウチャク語としての特長を持ってる。
で、これが、「コマ、コマ、ちいさいコマ、コマ、コマ、余白」という漫画の進行に すごく関係しているのではないかと。実際に、漫画の場合は、漫画というものを見た らわかる通り、必要なコマだけでなっていないんです。つまり、こういう名詞とか形 容詞だけのコマでなっているのではなくて、助詞や助動詞にあたるようなコマがある わけですね。例えば、少女漫画でよくある、カットの変わり目のシーンで、捨てゴマ という形で、小さいコマの何も描いてないやつだけが、連続している場合とかもあり ます。そういう形で、こういう風な余白のコマ、何も描いてない場合とか、あと黒く 塗ってあるだけの場合とかよくある。こういう風な形で、コマとコマを接着するため のコマがある。これだけで進行するというのは、大体戦前の漫画なんですけれども。 戦後手塚おさむがコマ使いを大胆にして石之森章太郎がどんどん進めていった結果、 徐々にこれに近づいていった。で、これが日本人が、漫画というのを一目で見て、あ の複雑な構造を理解できる理由であり、同時に世界的に漫画がヒットしても、なかな かよその国の人に漫画が作りにくい理由というのは、この辺にあるのではないかと。
で、これと似たような構造もっている言語として、ハングル語、韓国語があります。 漢字とハングル文字が組み合わさっているわけですけれども。だから韓国では漫画が 盛んだ、とくれさんは言ってますけれども、この辺ちょっとわからないですけれども。 韓国で盛んな漫画というのも、何かそんなに、僕も読んだことがないですので。責任 を持ったことがなかなか言えません。
これが、くれさんの言語モデルですね。言語というものを中心として考えて、漫画と いうものをとらえたというやつです。
次は、スコットマックロードの、絵というのは、イコンである。アイコンである。つ
まり抽象化である。という風なものを、のっとった三角形のモデルというのを提示し
ています。ここではそれをすごく簡単に説明します。
これは、スコットマックロードが作った「漫画表現の三角形」というやつです。こち ら側がリアリティ、こちら側がランゲージ。絵が、無限に言語になっていくわけです ね。こちら側が、ピクチャーとかプレーンピクチャー、図形ですね。「リアリティ」 「単なる図形」「ランゲージ」、この三角形の中におそらく、あらゆる漫画表現、絵 としての漫画表現が、入るだろうと。スコットマックロード自身、自分が絵を描く漫 画家なので、漫画の分析というものをする時に、先ほどの言語的な分析とか、構造的 なものよりは、どちらかというと実際の絵を描いた時に、どういう風に自分が考えて いるのかということに教義が集中しています。この形ですね。ほぼリアルな絵から、 それをどんどん単純化して言語化していく。このフェイスとかこういう風なものにな ると。ここまでいくともう漫画からはずれていくわけです。どんどん絵から字へ、そ してリアルな絵から単なる図形へ、この間の方に漫画表現があるということで、彼は、 「アンダースタンディングコミックス」という、漫画で描いた漫画を理解するための 本、という力作を、5年ほど前に発表して、この中で、彼の考えている漫画理論を大 々的に展開しています。
これは、今私が翻訳中でありまして、年内か来年の初頭ぐらいに、美術出版社という ところから出版できると思います。まあ、翻訳書が出てから見ていただいて結構です。 大きな洋書屋さん行くと売ってます。英語自体すごい簡単なので、興味がある人はの ぞいて見てください。「アンダースタンディングコミックス」というスコットマック ロードの本です。彼が考えている漫画の構造図式、とは、まあ、言えないですけど、 大体分類というのはこういうふうになってるんじゃないかと。
次です。次が一番ややこしいんですよ。竹熊夏目斉藤の構造モデルというやつでです ね、見ただけでくらくらするようになっています。
コマと言葉と絵でできている。絵はこれだけにわかれると。絵というのはまず、線と 同じ意味であると。これは枠線、コマ枠線、あと間白(まはく)、コマがぜんぜんな い空白、吹き出し。絵を描く線は描線ですね。輪郭の線、それは主体としての人物を 描く、客体としての背景を描く。ところから、客体背景以外の主体に対しての形喩で すね。先ほどの汗とかですね、「ガッ」とかいう効果音とか、その音喩。この音喩が ほぼセリフとつながっていると。場合によってはこの間がわからなくなっている時も あるし、解説というのもこの中に存在すると。つまり、作者が欄外に書いたり、作者 がコマの中に書いている解説です。このセリフも、ひとりごとと、会話とにわけられ ると。この形喩、さっきの汗みたいなものも。漫符と効果にわけられると。効果とい うのは、実際その画面の中で、物理的に起こっていること。漫符というのは、起こっ ている表現で、ここのところに四角形描いたりしますよね。青筋立てて描いたり、も しくは、泣いてる時に、涙をびろーんと、描いたりするんですけれども、別に本当に そんな涙が出ているわけではなくて、記号として、符号としてかいているわけですね。 そういう風なのを、竹熊さんは漫符と呼んでいます。で、この外側に背景というのが あると。これ全体はおそらく絵というものであろうと。で、進行に関して、コマの枠 線と間白が関係している。言語、言葉という風なことに関しては、音喩、セリフ、解 説が関係している。で、絵というものはこういう風にして、ここまで構造というもの を明らかにしました。で、更にこの言葉というのは、セリフ、解説、音声にわかれて いて、セリフはひとりごとと会話。解説はナレーション、音声は音喩として、漫画の 中に組み込まれる。で、この相対がおそらくで漫画あって、これ以上分解をしちゃう と、もう既に、分類のための分類になってしまうだろうというぎりぎりが、この辺で はないかと、あの人達はいっています。