4.落ちこぼれとは何か1988年5月12日後楽園ホール。新生UWFの旗揚げ戦。「選ばれし者の恍惚と不安、二つ共に我にあり」。おぉ、前田、太宰の引用かぁ。滑舌悪いのは変わらんけど、かっこえぇなぁ。もぅ空手バカ一代やないんやなぁ。と、信者の涙ちょちょぎれる中、UWFはどこにいっても会場満杯。ビデオもビシバシ売れ、笑いがとまらん状態になっていた。流石、世界最強である。とはいえ、このブームは、神社長の金銭スキャンダルを契機に、たった二年で終わってしまうのだが・・・。(その後新生UWFは1991年頭に3派に分裂。その後も分裂を重ね、現在では5派)。それはさておき。 UWFの成功は妙な方向へも飛び火した。「テレビ局がつかなくてもプロレス団体がやれる」という真理が突如発見されたのだ。テレビと共に生まれ、テレビがなくなった団体はすぐ潰れるというのがそれまでの業界の常識。それが崩れたのである。メジャー(=テレビ付き)団体から放り出されたレスラー達にとってこれは正真正銘の福音だった。そーかぁ、新日や全日に雇ってもらえなくても、自分たちで団体やればいいんだぁ。 で、一番最初に始めたのが剛竜馬。早速、パイオニア戦志という団体を旗揚げした。でも失敗した。バカだから。何せ、試合中あまりにバカなんで、客が「さる〜、さるあたま〜」と野次ると、おどおど回りを見渡して、あせって益々バカなことをするという位のバカなんである。だけど今でもレスラーやってる。余りにバカなんで、バカ専の客を獲得したのだ。雑誌なんかじゃ、プロレスバカのプロレスを略した呼び名、てな感じでジェントルに扱われているが、そんなこたぁない。要はバカなんである。 本命は、次に出た「涙のカリスマ」大仁田厚。最初、大仁田は、UWFそのものにちょっかいかけようとやってみた。会場に前田宛の挑戦状を持っていったんである。普通のプロレス団体だったら、「おっ話題になるかな」とかいって少なくとも控え室には通してくれる。で、話がついたら、リングに乱入である。ところが世界最強は違った。神社長に、「チケットありますかぁ。チケットないと入れないんですよぉ」とか言われて、会場にも入れず。きっつい対応だ。でも、ここで腐らずに、方向を180度変更したのが大仁田の凄いところだった。何と、FMWという団体を1989年に作るにあたって、プロレス団体、格闘技団体には必須と思われていた「強い」っていう看板を引っ込めてしまったのである。 「FMWは、新日にも、全日にもいられない落ちこぼれの集まりなんじゃぁ。でも、プロレスが好きなんじゃぁ。だからやっとるんじゃぁ」。うぅ、そんなはっきり言われても。だけどそれじゃぁ学生プロレス・・・。「違うんじゃぁ。だからわしたちはデスマッチしとるんじゃぁ。有刺鉄線で、電流爆破なんじゃぁ。技はしょぼいから痛そうに見えんかもしらんが、ぶっとい針が刺さったら痛いことわかるじゃろう。おまえらに千針縫えるかぁ。全身火傷できるかぁ。わしはホントに死にかけたんじゃぁ。臨死体験してシロクマにあったんじゃぁ。ファイヤー!!」。うぁわすいません。おっしゃるとおりですぅ。 死んでもいいからともかく体を張る(実際、大仁田も、大仁田の相手としてカマを振り回して活躍したミスター・ポーゴも、本気で死にかけている)。この一点でFMWは全国津々浦々興行して回り、ついには川崎球場を満杯にするまで成長した。大仁田は、メジャーのプロレスでも、UWFでもない、世界最強ということととことん離れたインディーという新たな世界を作り上げてしまったのだ。弱くってもいいプロレス。こいつはプロレス史上、いやいや格闘技史上最大の発明だ。ルターどころかイエス・キリスト級である。でも、これで底抜けちゃったんだよねぇ。何せ、強いレスラーいなくても、どんどん団体作れるんだものねぇ。 FMW設立の翌90年には、SWSという、日本プロレス史上初の「タニマチのタニマチによるタニマチのための」プロレス団体が作られ、全日本プロレス、新日本プロレスから天龍源一郎(当時、全日本のトップをジャンボ鶴田と争っていた実質上のエース)はじめ10人のレスラーを引き抜くという大事件も勃発した。タニマチの名は、全国安売り眼鏡店チェーン「メガネスーパー」田中八郎社長。なんか、設立記者会見で、男、男と散々いっていた。要は、プロレス団体やるのが男として生まれての本懐だったらしいんだわ。その心意気やよし、なんだけど、レスラーって、レスラーの言うことしか聞かないんだよね。バンプ(受け身)とったことのない奴に「試合終わってへとへとになってないレスラーは減俸だぁ」とか言われるとカーっとくるんだよね。結局、SWSは、内紛に内紛を重ね、週プロと正面戦争してボロボロに負け、部下に「社長、頼むから道楽はこのへんで止めて下さい」と泣き落とされ、92年に崩壊。後にはそこそこ有名な元メジャー選手の山だけが残った。こうなるとやることは決まっている。てんでバラバラのインディー団体の設立である。 かくしてほんとにほんとの「何でもあり」の、闘いのワンダーランドが誕生した。96年現在、プロレス(らしき)団体は、男女合わせて30くらい。もう専門誌でもてんで追い切れていない。んでまぁ、パンダやイルカの仮面被ってる選手はまだ可愛い方で、蟹とか、バッタとか(ひょっとして仮面ライダーのつもりか?)、原人二人組(クッパ、クッパとしか言わない)とか、怨霊(どーゆーわけか30代女性のアイドルになってる。裏SMAPか?)とか、宇宙のパワーの方々とか、毒ガス男とか、軍刀持った大日本帝国陸軍兵士とかが、前に書いたマミー三人衆や宇宙怪獣連中と組んずほぐれつ状態である。試合内容も、会場の二階から飛ぶわ、セカンド・ロープから落っこちて失神するわ、電気消して真っ暗闇で試合するわ(観客は音を頼りに逃げまどう)、ガラス撒くわ、外人女子マネをもっこりさせて追い回すわ、チェーンソーにスイッチ入れて振り回すわ、生きた大タコを相手になすりつけるわ、などなど。確かにここまでやれば強いも弱いもないですよ。「そのうちワニ・デスマッチやるんだ」とかいって子ワニをニコニコしながら飼っているレスラーもいるし。 プロレス界は、世界最強至上主義の絶対王制から、プロレスやりたいという基本的人権を何より重んずる民主主義の時代に移りかわってしまったのだ。かつてはプロレスラーになりたいと思っていても、団体の試験は狭き門だったし、せっかく通っても、殆どの若手は、余りの練習の激しさに夜逃げしていた。でも今だったら、夜逃げしても、星の数ほどあるインディーのどっかが引き取ってくれる。給料はあんまくれないけど、バイトで生活費を稼ぎ、チケットを友達に押しつけ販売すれば、とにもかくにもプロレスができる。自己表現の道は開かれているのだ。昔アングラ、今プロレスってところである。 というような感じで日本のプロレス界が究極の進化を遂げていた頃、海外では不穏な動きが始まっていた。世界最強のロマンは、決して、死んでいなかったのだ。 |
| <前のページへ> |