7.200%とは何かレスラー安生誕生は謎に満ちている。第一次UWFの頃からいるのだが、誰も入門を許可した覚えがないのである。みんな他の選手が入門させたと思っていた。で、思いついたようにいじめていた。洗濯とかも押しつけていた。でも、ずっといるんである。「僕、帰国子女だから」というのが安生の説明である。おばさん顔で、たらこ唇で、豹柄のパンツだったけど、新生Uの頃までは、テクニックのある、特にキックの巧い選手として、中堅で渋くやっていた。変貌が始まったのは、新生UWF分裂後、UWFインターに入ってからである(ちなみに、その頃前田日明は、たった一人でリングスという団体を旗揚げしていた。UWFは、金銭スキャンダルを起こした神社長を追放した後に一応選手間で大同団結を図ったのだが、その席上、前田が「なんやおまえら。わいに文句あるんやったら、もうUはしまいや。解散や、解散!」と怒鳴っちゃったんである。前田の妄想では、その後みんなが泣きじゃくって「わかりましたぁ。もう何も言わずに前田さんについていきますぅ」となるハズだったんだが、そうは問屋が卸さない。ネジが外れた人にはついていけない、っていうんで分裂しちゃったのだった)。 帰国子女であった安生は、持ち前の英語力を駆使し、まずはフロントとしてインターをぐいぐい引っ張っていった(UWFインターは、社長兼エースレスラーの高田延彦がだんまりを押し通し、安生・宮戸・鈴木健の役員三バカトリオが何でも決めるという変な団体だった)。格闘技世界一決定戦をUWFインターナショナルで再開。元ボクシングヘビー級チャンピオンや「スポーツ冒険家」北尾光司を高田延彦にぶったおさせる。鉄人ルー・テーズや、人間風車ビル・ロビンソン、そしてキレたらテーズも逃げ出すと言われていたダニー・ホッジなど、まだアメリカのプロレスが世界で一番強かったとされていた頃(1950〜60年代、力道山からBI砲の時代やね)の名レスラーを呼んできて、挨拶させ、権威をつける。アントニオ猪木である。梶原一騎である。「四角いジャングル」である。かつての、世界最強であった時代の新日を、UWFインターは復興させようとしたのだ。う〜ん、ロマンだねぇ。 レスラー安生は、その頃は脇役に徹していた。もっとも兆候は既に出ていたのだが。出始めは、元WWFチャンピオン、イランのおっさん、アイアン・シーク戦。つるっぱげ、カイザー髭のシークと、にやにやおばはん笑いの安生の、超スローモー、なが〜い間が印象的な試合は、それまでのUWFのイメージを塗り替えるものだった。取りあえず無視されたけどね。ついでテレビ・デビュー。一時、Uインターの中継をやっていたTBSは、パブリシティのためにインターの選手を催眠術番組に投入。メインの選手は、「俺たちはスポーツマンだからぁ」てな顔で白けて座っていただけだが、場の雰囲気を読むのが巧い安生は違う。最初はその他大勢で後ろにいただけなのが、宇宙人になったり、狂乱しながらオーケストラを指揮したりして一躍主役の座に駆け上がっていった。そして、エンディングのクレジット・ロールの時には、安生の狂乱の指揮シーンが繰り返し、繰り返し流され続けていたのだった。 1994年。安生は遂にマット界への主役へと躍りでる。きっかけは1月に前田日明が、未練がましく、他のUWF系団体に対して行った交流戦の呼びかけだった。しめしめ。UWFインターは、この呼びかけを逆手に取り、「1億円トーナメント」を発表する。記者会見の会場に一億円の札束を積み上げ(勿論、借りて来たのだ。借金するのも猪木=新日の伝統である)、前田日明を筆頭に、都合5つのプロレス団体のエースレスラーに内容証明付きの挑戦状をたたき送ったのである。おまけに一億円トーナメントの雑誌広告には、前田日明が、あからさまにわかるシルエットで登場している。明らかに前田が、前田のみがターゲットだった(当然のことながら、他の団体は、インターの呼びかけを200%無視した)。 挑発されたらすぐキレる前田の性格を読んでの行動である。案の定ブチ切れた前田は、リングスとUWFインターの全面対決戦を申し出る。それに対してインターの役員の一人が「リングスは、前田以外は馬の骨」と煽り、そして安生がとどめを刺す。「前田さんなんかホントは弱いんですよ。ウチの高田を出すまでもなく、僕でも200%勝てますよぉ」。やった! もう試合云々じゃあない。「安生、てめぇこら、何さまのつもりや。道場に来い。潰したるわ」。「え〜、そんなのやだなぁ。僕はプロだからお客さんがいないとぉ」。グズグズいって何もしない安生。目の前真っ赤になった前田はUインターの道場に直接電話をかける。「こら、おまえら。安生の住所教えんかい。今からいってブチ殺してくれるわ」。 ここで素直に出ていかないところが安生様の素晴らしいところ。何と、不当な脅迫を受けたといって、警察に刑事告発したのだ。「家まで来て人を殴ろうなんてぇ、そんなの社会人としておかしいじゃあないですかぁ。怖いですよぉ。そんな人は警察に頼んでどうにかしてもらわなくちゃぁ」。おぃおぃ、200%勝てるんじゃなかったのかい。200%勝てる相手が家に来たら怖いんかい。結局、あわてて出てきたリングスのフロントが、前田に無理矢理謝罪させ、UWFインターに刑事告発を取り下げてもらった。鼻づら引き回されての完敗である。こうしてリングスを戦わずして退治した安生インターの次の目標こそがヒクソン・グレーシーだった。 「UWFインターは決してヒクソンを逃がしません。プロレスリングは世界最強です!」インターの会場にアナウンスが響き渡ったのはその年も終わり近い11月だった。佐山経由でヒクソンの担ぎ出しを狙っていたUWFインターは、全然進まない交渉に業を煮やし、交渉経過を発表。翌月には、何の反省もなく「ヒクソンにも200%勝てますよぉ」とまたも200%発言をしていた安生を使者として渡米させた。緊張感のない安生は、インターの仕事を海外で手伝ってくれていた笹崎夫妻と、ふらふらとヒクソンの道場に出向く。リングスの道場には怖くて行けない癖に、世界最強の男の道場には行っちゃうんである。世の中、前田ほど非常識な人間は他にはいない、とでも思ってたんだろう。それが甘かったんである。 グレーシーは、リング上だけでなく、ストリートでも世界最強を謳っている。で、ストリート世界最強をどうやって証明するかというと、路上とか、道場とかでいちゃもんつけて来た奴を取り囲んで、喧嘩に持ち込んで、それをビデオにとって発売するんである。そんなところにのほほんと行くなんて飛んで火にいる夏の虫である。案の定、無理矢理着替えさせられて、道場生数十人に囲まれて、ヒクソンとヴァーリ・トゥード。ぼこぼこに殴られる結果となる。しかも佐山とコネのあるヒクソンは、「安生ぼこぼこ」の報を日本にすぐ流したばかりか、一月もたたないうちに、シューティング主催で、「安生ぼこぼこビデオ鑑賞会」を開かせたのである。徹底してますわ、ほんとに。 でもね、安生様はこんなことではへこたれなかった。それどころか、世界最強っていう肩の荷が降りたこの時からこそ、安生様のホントウの活躍が始まったのだ。 それを語るためには、再び、新日本体へと話を戻さなければならない。 |
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