世界最強とは何か−−−プロレス・格闘技読み方ガイド(悪質版)


8.保守反動とは何か

 UWFに、前田に、世界最強の立場を奪われて以来、新日はどん底だった。特に前田を出場停止にした1987年は最悪。謎の海賊男は現れるは、ビートたけしは出てくるは。ファンの暴動が実に二回も起こり、国技館使用停止である。新日が息を吹き返したのは、格闘技世界一決定戦からビートたけしまで「全ての引き出しを持つ」稀代の天才、アントニオ猪木が、1989年に参議院選挙に出て議員さまになってくれたからである。やれやれ。国会に卍固めでも、消費税に延髄切りでもやっててくれ。一プロレス団体では、あなたの才能も、借金も引き受けきらん。
 猪木の留守の間、新日の指揮を取ることになったのは「革命戦士」長州力。ミュンヘンオリンピック・アマレス代表選手から、1974年、鳴りモノ入りで新日入団。88年、89年と二年連続して猪木をシングルで破り、押しも押されもせぬ新日のエースとして君臨していた。いわば猪木の公認の後継者である。でも、猪木と長州は、一つの点でまるきり異なっていた。アマチュア・スポーツ選手としてトップを極めた長州は、レスリングの外の世界に全く興味がない。つまり、「世界最強」って言葉に、長州は何一つロマンを感じていなかったのだ。
 確かに長州はマット界に革命を起こし続けた。1982年10月8日、「俺は藤波の噛ませ犬じゃない」という日本プロレス史上最も有名な言葉を吐き、当時新日のNo.2選手であった藤波辰巳、というよりその背後にいる猪木に反旗を翻した(藤波辰巳という選手は、とってもとってもいい人で、ダシにされやすいんである)。で、UWFができた84年末には、新日の宿敵、交流どころか対抗戦や選手の貸し借りすら全く考えられなかった全日マットに登場。一通り主力選手と戦って5分以上の星を残した挙げ句、87年には、契約書も何もかも全て踏みにじり、新日に復帰。その2年後には、猪木をマットに沈め、新日のエースとなっていた。
 いやぁ実に凄い経歴だ。猪木、前田に並ぶカリスマになっていてもおかしくない。でも、このゴージャスな長州の経歴には、決定的に抜けていることがある。異種格闘技戦である(一応、似たようなものはやった。全日参戦時にトム・マギーという元ボディ・ビルダーと戦ったのである。でも、トム・マギーは既にプロレスやってたし、第一ボディビルって格闘技か?)。結局、長州の革命は、プロレスの枠を一回たりとも越えることはなかったわけだ。
 で、その長州が何より嫌いなのが、UWFという奴だった。
大体なんだ、てめえら。格闘技、格闘技っていってまともにアマチュア格闘技やってたことねえじゃねえか。アキラが空手ぇ?どっかの大会で勝ったのか?佐山のアマレスたって賞とったわけじゃないだろ。それであいつらは真剣勝負で、こっちは八百長か。俺も、マサ(斉藤)さんも、馳もみんなレスリングでオリンピック出てんだよ。それに新日のフロントもなんだ。アキラの首切るのに、俺の顔蹴ったことをダシに使うんじゃない。俺はやりたかったんだよ。あれで逆に勢いづいちまったじゃねぇか。
 一番不愉快なのが週刊プロレスの山本だ。「ケーフェイ」なんて本に後がき書きやがって。それってプロレス業界の人間のやることか。それで前田が新生Uを旗揚げしたら大会毎にUWFの特別増刊号か。何持ち上げてるんだ。プロレスで飯食って来たんじゃねぇのか。てめえみたいなのがいたからUなんてもんが出来ちまったんだよ。おまけにSWSの時の報道はなんだ。源ちゃんが金で転んだってぇ。天龍源一郎のことは俺が一番よく知ってるんだよ。嘘書くんじゃねぇよ。おまえが馬場さんにすり寄るためにでっちあげただけだろ、おい。
 UWFも、週プロの山本も、俺がまとめて潰してやる!
 というわけで、長州はイライラしながら待っていた。UWF系の団体を全面対抗戦に巻き込む機会をである。1995年8月、UWFインターが掴まった。UWF系の団体の中でも、一番長州が嫌っていたところだ。なんせ「あいつらが死んだら、墓にうんこぶっかけてやる」とまで言っていたのだ。長州の仕掛けは素早い。プロレス記者が集まっている目の前で、インターの、一応は、社長である高田に電話をいれ、「やるんだな、わかった。逃げるなよ」、ガチャーン。その場で東京ドームを会場として押さえた上で「10月9日、インターと全面対決をする。Uを消してやるからおまえら見てろ!」である。豪儀である。これで盛り上がるなってぇ方が無理だ。
 1995年10月9日、東京ドーム、「UWF」インターVS新日本プロレス全面対抗戦。6万人超満員。で、結果は、「U」の惨敗。UWFインターのエース、高田延彦は、四の字固めという超プロレスチックな技に破れ、安生様は、長州力に何にもさせてもらえず、ラリアットで秒殺された。まぁ、例によって戦前に「200%勝つ」っていっていたんで、どうせ負けるだろうとは思っていたが。そして、長州は、この勢いとふんだんに集まった資金を糧に、翌96年、週プロの山本を潰しにでる。週プロに対する完全取材拒否宣言である。既に天龍ファン、前田ファンには蛇蠍の如く忌み嫌われていた週プロは、これで新日ファンをも失い、部数激減。山本隆司は退社を余儀なくされた。ざま〜みさらせ。
 かつての新日の路線を勝手に継承して「プロレスは最強、プロレスの中ではうちが最強」と主張していたUWFインターは実力でたたきのめした。また、既に1993年には、UWF分裂後「藤原組」をつくっていた藤原嘉明とその愛弟子の石川雄紀を恭順させている。前田日明のリングスと、船木誠勝・鈴木みのるのパンクラスが元UWFとして残っているのはちょっと鬱陶しいが、まぁあいつらは二度とプロレスはやらないらしいし(この二つは総合格闘技団体)、第一UWFという名前は使っていないから、そう迷惑にはなるまい。長州のUWFに対する反革命は一応成功裡に終わったわけだ。
 でも、安心はできないのである。だって、95年の参院選で、アントニオ猪木が落選。プロレス界に戻って来ちゃったのだから。


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