chapter2〜内閣情報部を創設〜
須磨弥吉郎は、1892年に秋田市の郊外で生まれました。旧制秋田中学を卒業後、先生になろうと広島の師範学校に進学しますが、一転して法律家になろうと思い立ってそこを中退し、中央大学の法学部に入り直します。そして卒業後、1919年に外務省に入省しました。
イギリス、ドイツ等の在外公館に勤務の後、1927年に二等書記官として中国に赴任するのですが、当時は国民党政府が南京を拠点に勢力を拡大していた時期です。これ以降、広東の領事館の領事等を経て、1932年に上海の日本公使館の情報部長となり、蒋介石政権を相手とした情報収集に努めます。
その後、日本に帰国するのですが、彼は中国での活動から、情報収集の重要さに気づきました。そして当時、同様に情報収集の重要さに気づいていたのが、海軍次官だった山本五十六で、山本は外務省や陸、海軍の情報機関がそれぞれ独自に情報を収集・処理している状況を改善して、どこか一カ所に集約して総合的に判断する組織が必要だということを、強く主張していました。
その話を聞いた須磨弥吉郎は、中国から帰国後に山本を訪ね、お互いに意気投合して1937年に内閣情報部を設立します。この頃の日本の情報機関は、陸・海軍の情報部は情報収集を主な仕事とし、外務省の情報部は外部に対する広報活動をしていましたが、内閣情報部はその両方の役割を担っていました。
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