chapter3〜丸山薫と黒田喜夫〜
このこと(身近なものに価値を見い出すことが苦手な東北人)を示す話をもう一つ挙げますと、山形県の西川町に昭和20年から23年まで、丸山薫という詩人が疎開していて、地元の小学校の代用教員をやりながら西川町を題材にした詩を数多く書き、4冊程の詩集に残しました。そして当時丸山薫から学んだ人達が、この詩人のことを非常に尊敬し、思慕していて、4年くらい前に丸山薫記念館という文学資料館を建設したのです。
この丸山薫と同時代の詩人に、西川町の隣の寒河江(さがえ)市で育った黒田喜夫という人がいます。私は以前、この黒田喜夫の家のあった辺りに行き、地元の人に黒田喜夫のことを聞いたのですが、誰も知っている人はいませんでした。図書館にも行きましたが、本も置いていませんでした。実は黒田喜夫について多少なりとも知っている地元の人でも、黒田喜夫の詩を読むことを嫌がるのです。
なぜ余所ものの丸山薫が好かれて、地元出身の黒田喜夫は嫌われるのか。簡単に説明しますと、丸山薫という人は、叙情詩的な、いわゆるモダニズムの詩を書いた人です。すなわち余所から来て田舎暮らしをしているうちに山村の風景やそこに住む人達の生活に魅せられ、それを非常に美しい言葉で描いたのです。これに対して黒田喜夫はその土地出身の人間として、非常にドロドロとした攻撃的で愚痴っぽく、晦渋といいいますか難解な詩を書きました。
地元の人は感覚的にこの黒田喜夫の詩の暗さが非常によく理解できる。黒田喜夫の詩の根底には、飢餓に対する異常なまでの恐れや地主制によって生じた農村の身分制度のようなものに対して、ものすごい恨みのようなものがあります。こんな詩を黒田喜夫は、戦後ずっと書いてきました。
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