| 風吹峠(かざほことうげ) 1991年5月文藝春秋刊 |
南の空には連山の背後に朝日岳の頂上がのぞいている。北には月山が牛が臥せるかたちに横たわり、背を白銀に輝かせている。四方を山に囲まれ、壷の底にあたる部分に白い蛇が寝そべるように寒河江川が流れ、川沿いのわずかな平地に萱ぶき屋根があちらに十戸、こちらに二十戸と、心細気に身を寄せあっていた。それが根子沢村である。 大正十三年に千花は山形第一女学校に入学した。根子沢村では最初の女学生だった。千花は昭和三年に東京女子医専に入学した。……村ではもう診療所建設の予定をたて、千花が帰るのを首を長くして待っているというのである。……結局、千花は父に負けて根子沢に帰ることとなった。しかし、三年間の期限をつけた。 千花は馬車の横に坐りこんだ。涙が頬を伝う。こらえても嗚咽がもれる。悲しいというより、なさけなくてしかたがない。今ほど自分が無力であると、なんの役にも立たない人間だと感じたことはなかった。……荷車のうしろにつき、黒い往診鞄を白衣の肩にかけ、風に髪を乱しながらうなだれて歩く千花の背中を、死者を呼ぶ木精が追いかけてきた。 山桜や梅やスモモが一時に咲き、山は花盛りである。五月末のおそい春が、根子沢村のもっとも美しい季節だった。診療所の下を流れる寒河江川の下流方向は、若葉の色の幕を左右にひき開けたように山が開き、月山のなだらかな白い稜線が輝いている。 「んだ。千花は誰の妻にも、誰の母にもなんねえかもしれねえ。おれはそれを望んでいねえだが、そうなるかもしれねえ。それでも千花は根子沢村みんなの母親だ。みんなが千花のことを、そだな目で見ているなた゛」「わたしはそだなものになりてくねうず」「千花は逃げることはできねえちゃ。根子沢村のこどもたちの命ば背負って歩くなだ」 |
((読者の独り言))
○道の駅「チェリーランド」(寒河江市)を後に、国道112号線が西川町に入ります。かっての冬の難所で、六十里街道という旧名を持つ国道もすっかり整備され、右手に月山、左手に寒河江川を従え西進します。 ○西川町の中心を出はずれ、登り勾配がきつくなるころ「風吹大橋」が見えてきます。橋の上に立ち川の上流を臨んでも、細い谷が山際に消えていくだけです。 ○その手前、国道を西に入ると高橋義夫さんの「家」があった、岩根沢という集落につきます。その集落には丸山薫記念館があり、そこを訪れた時、「あそこが風吹峠と呼ばれた所ですよ」と指差しで教えて頂きました。 ○「峠」はいつも叙情に溢れています。まして況んや風吹峠においてをや… |