東北人とアメリカ移民
●世の中を下から見上げる目



NYの街並み

chapter1〜『ライフ』と『賢者の贈りもの』〜

 中学2年の夏に戦争が終わって、翌年の昭和21年に初めて『ライフ』というアメリカの雑誌を買ったわけです。1945年のクリスマス号でした。仙台という街は基地の街だったのです。よくアルバイトに私も何度かキャンプへ行きました。ニコヨンですね。当時日給240円でした。黒人兵がチューインガムを売っていたりしたものです。

 『ライフ』を買っても、べつにアメリカへ行きたいと思ったことは全然ありませんでした。ただ、英語を勉強する気になったのではないかと思います。というのは、中学と高校が旧制から新制への変わり目で、同じ学校に6年間いたのです。その6年の後半の2年ぐらいが現在の私を作ってくれたのではないかなと思っています。

 といいますのも、英語の先生が非常に優秀だったのです。佐伯先生という、定年退職して嘱託で来ていたおじいさんだったのですが、その方が私が高校3年になったときに、O・ヘンリーの『賢者の贈りもの』を講読したわけです。おじいさんだからみんなバカにして、だから先生はわれわれを相手にしないで、一人でテキストを読んで、一人で訳をつけていました。それが初めから非常に面白かったのです。バカにしていたのが、だんだん熱心に聴くようになったわけです。

 その時に私は将来英語の本を読むようになりたいと思ったんだろうと思います。と同時に、O・ヘンリーの世界に、つまり舞台がニューヨークですから、日本の小説とは全然違うハイカラな面に魅かれたのではないかと思います。

 このあいだ仙台に行ってきて、佐伯先生のことを調べたのです。旧制の仙台二高を退官になって来られたということで、昭和21年嘱託の給料は900円なのです。先生は旧制二高の教官ではなくて、仙台工業専門学校を退官して嘱託で来ていたのです。しかも明治17年の生まれで、東大を出ているわけです。宮城県の丸森という小さな町の出身で、丸森始まって以来の秀才だったのではないかと思います。調べてみますと、もしかすると夏目漱石に教わっているのではないかと。確認はしていないのですけれど。

 今となっては名もない人なのですが、そういう人の影響をずいぶん受けていると思います。そういう意味では、私を作っているのは紛れもなく仙台であり、東北ではないか。それを知っているから、いっそう逃げたりしたのではなかろうかと思います。

 

談話音声:chapter1-『ライフ』と『賢者の贈りもの』

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