ニューヨーク遥かに
1996年8月集英社刊

「マンハッタンか」
 大原は感慨深げに呟いた。年をとって感傷的になっている。アメリカにはじめて来たときが1ドル360円だったから、100円を切るか切らないかという為替レートがいまだに信じがたい。よくぞまたニューヨークへ来られたと思う。緊張する。
 その緊張は、大原が学生のころ、春休みや夏休みの帰省から状況したときの気持ちに似ている。東北本線の急行が大宮を過ぎるころから緊張するのだった。

 戦争に負けたあと、仙台の街に米兵がやってきた。近くに米軍の基地ができて、米兵についてまわる、かたことの英語しか話せない日本人の通訳が増えた。当時中学生だった大原にも聞くに堪えない英語だった。米兵にむらがる自称通訳たちを大原は軽蔑した。

((読者の独り言))

○常盤さんは、電柱の前で立小便し、気に入らないことがあるとちゃぶ台をひっくり返す父を子供のころから恥ずかしく思い、嫌っていたそうだ。父に代表される東北的なものから逃げたくて上京し、都会的なものにあこがれ、しゃれたニューヨークの小説を翻訳したという。

○「マンハッタンか」と呟く大原のように、東北新幹線の中で「東京か」と思ったことがある東北人は多いであろう。故郷から東京に戻ってくる九州や四国の人もそう思うのだろうか。東北人のほうが複雑な思いを抱えているような気がするのはどうしてなのだろう・・・



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